の加筆に注記して、おそらく詩を収めた本が一五八八年から放つ。善行の施しも、その見返りがあるときはそれほど豊か 彼が死ぬまでのあいだに刊行されたためだろうといっている に施されるとはいえない。 ・ : 私から友情と感謝を受けるの が、その本は発見されていない。なにか謎が残る削除である。 に値した人たちは、もうこの世にいないからといって、それ を失うようなことは決してなかった。彼らはこの世に不在で 私の友情も感謝も知らないから、私はなおのこと手厚く、な とにかくこの友情論の執筆は、難題に苦しめられながら おのことこころを込めて友情と感謝を支払ってきた。私は友 も、詩篇の挿入によって最後にたどり着くことができた。 達の話をするのに、彼らがもうそれを知ることができなく しかし、わたしたちにとって肝腎なことは二十九篇の恋愛なったとき、さらにいっそう愛情を込めて話すことにしてい 詩の提示ではない。それは、モンテーニュが無二の友と肝胆る」 ( Ⅲの九 ) 相照らして、いまの世にはありえない奇蹟のような友情を実 こころ遣いの崇高さによって人を打たずにはおかないみご 現したことである。したがってそれほどの友情が現実に存在とな一節である。これを読んだとき、わたしは思わず襟を正 したという事実である。それは人間のこころがどれだけ高貴したものだった。モンテーニュにとってこころ遣いとは、相 なことを成し遂げられるかということをわたしたちに教えて手に気づかれずになされてこそ本物のこころ遣いであり、相 驚きと感動を与えてくれる。 しいかえればモンテーニュがそ手が死者ならばなおさらのことなのだ。これもまた人のここ れほどの友情を実現できた高邁なこころの持主だったという ろがなし得るもっとも高貴な行動のひとつであって、ここに ことでもある。 は、あの友情を実現させたモンテーニュと心情の高貴さにお そのことを思うにつけて、わたしは、「むなしさについて」 いて色のない人間がいる。 という晩年のエセーにある次の一節を引かずにこの章を終わ 友人の死から長い時を経て、晩年を迎えたモンテーニュ ることができなくなった。それは直接ラ・ポエシーについて は、亡き友にたいする絶望を浄化されて、「さらにいっそう 語ったものではないのだが、明らかにその彼も含めた死者た愛情を込めて」彼への友情と感謝を語ることができるように ちとの関係にモンテーニュが見せたこころ遣いの深さを示すなった。喪失は悦びに変わったのである。ラ・ポエシーとの ものなのである。 出会いと友情の誕生、そして友人の死という一連の出来事 「⑤私は自分の気性から、死者にたいしてはいっそうこころ は、モンテーニュの内的資質のもっとも貴重なものである心 遣いを篤くする。彼らはもう自分で自分を助けるわけには、 情の高貴さを証明する特権的な経験だったのであり、それを かないのだ。だからそれだけいっそう私の助けを必要として 語った「友情について」はモンテーニュの高い人間性を後世 いるように思われる。感謝はそこでこそ、まさにその輝きを に伝える掛けがえのない一篇となったのである。 ( 以下次号 ) 280
あっても、それがどんな性格のものなのかは考えようとしない。 ましてモンテーニュが味わった完全無欠な友情は想像も付か ないから、ここはまず彼の語るところを聴くことにしよう。 「交際というもの以上に自然がわれわれに求めるように仕 ・ : その交際 向けたものはなにひとつないように思われる。 の完成の極致が友情なのである。◎なぜなら一般的にいって 快楽や利益、あるいは公私の必要が生み出して育てるすべて の交際は、交際以外の別の原因と目的と成果を友情のなかに わたしたちが生きているいまの時代は人を信じることが薄混ぜ合わせているから、それだけ美しくも高貴でもなく、ま たそれだけ友情でもないからである。 くなり、どこを見ても殺伐としていて、好ましい人間関係を 古代人がいうあの四種類の交際、すなわち生まれつきによ 結ぶのがむずかしい世の中になった。友情はさまざまにある る交際、社会における交際、主客のあいだの交際、性愛によ 人間関係のなかでも相手のこころを信じ、互いの信義に基づ る交際は、単独でも、そのすべてをいっしょにしても友情に く関係であるからさらに結びがたいものになってしまった。 モンテーニュがキロン〔古代ギリシアの七賢人の一人〕のこと は合致しないのである」 わたしたちは生きている時間の多くを他人との付き合いの ばを引いていづたように、だれかを友として愛することに なかで過ごしている。血縁による親、兄弟、姉妹のあいだで なっても、それは「⑤いっか彼を憎まなければならない日が の付き合い、おなじ職場での付き合い、店での主人と客との 来るかのように彼を愛せ」という疑心を隠した友情にすぎな いのだ。一方、モンテーニュの時代は、宗教戦争に人心が乱付き合い、あるいは異性との恋愛は、多少とも友人同士の関 されてあらゆる悪徳が跋扈した時代だったことはすでに述べ係であると同時に、それ以外の動機や目的を持っている。そ斎 れゆえいずれの付き合いも、付き合うという素朴な行為とその たが、そんな時代のなかで、友情は、ラ・ポエシーが指摘し ュ たとおり、あらゆる悪徳に阻まれて失われてしまった。二人の悦びだけで結ばれた友情の関係ではない。関係の純粋さと いうことで友情に優る交際はなにひとつないのである。 テ はその失われた友情をいまの世に甦らせて、それを古代にさ ン 例えば、恋愛と比べると、友情はそれとどこがどう異なる え類のない完璧な域にまで育てようとしてそれを実現させた モ のか。 のである。 「@女性にたいする愛情は、それがわれわれの選択から生ま わたしたちは何気なく友情ということばを口にすることは いうことは、それだけ彼がなによりも心情の人だったことを 示している。「友情について」の章は、彼が知性や徳義と いったりつばな資質にも増して繊細なこころの持主だったこ とを語るものであって、その意味からこれは彼の人間性を知 る上で見逃せない一章なのである。
したためにベストの感染を気に病んでいた。そこでメドック うがなかった。それが恋と友情の不思議さなのである。 にある妻の実家へでも行ってしばらく静養したいといった。 しかし、わたしが見るところ、二人を友情へ駆り立てた例 モンテーニュは、その夜はメドックへ向かう途中にある彼の の「得体の知れない精髄」や「天が下した命令」のほかに、 唯一、現実的な理由があったとすれば、二人がそろって知性義弟の別荘まで行くことを勧めたので、ラ・ポエシーは夫人 とともにその日のうちにそこに移った。ところが、翌朝、モ も品性も抜群の人物だったことがその理由だったと考えてい ンテーニュは夫人からの使いで、友人の容態が急変したこと いように思われる。モンテーニュが自分の口から私はそうい を知らされた。彼は驚倒した。そしてただちに駆けつけた。 う人間であるといえないのは当然であっても、じつはそこに こそ奇蹟のような友情が生まれたのである。キケロは『友情ラ・ポエシーは血便と激しい腹痛に苦しんでいて、一夜にし て衰弱していた。 について』のなかで、「秀れた人々の間でしか友情はありえ いしすえ それからというものモンテーニュは、連日のように親友の ない」といったが、それが彼らの友情の礎だったのである。 もとを見舞い、枕頭にあって友と語り合い、最後まで彼を励 さすがにキケロは友情の本質を見抜いていた。古代ローマの ましつづけた。病床で見た友の様子、死を恐れない毅然とし 賢人の言葉は、二人の友情に照らしてあらためて実証される た態度 ( 死の前日、彼は「 An vivere tanti est? 生きること とともに、彼らの友情の秘密もそこにあったと見ていいので はそんなに重要なことだろうか」と漏らしていた ) 、聴き ある。 取ったかずかすの言葉、それらの貴重な記録は、のちに彼が 父に宛てた手紙に克明に綴られることになった。 ラ・ポエシーは、死期を察すると蔵書の一部と著作の稿本 をモンテーニュに遺贈する旨の遺言を書いた。そして、一五 ところが、そんな二人の友情を予想もしない悲劇が襲っ 六三年八月十八日未明、発病からわずか十日後に、妻とモン斎 た。友情の発端から数えてわずか四年後のことであった。 一五六三年八月、ラ・ポエシーはポルドーから東南へ百数テーニュをあとに残して絶命した。こうして彼は三十二歳の 十キロの町アジャンへ評定官としての視察のために旅に出九カ月の短い生涯をあわただしく閉じてしまったのである。 モンテーニュの悲しみの深さは、二人の友情があまりにも た。そして視察から戻って来ると、にわかに体調を崩した。 モンテーニュが会いに行くと、彼は下痢を起こしてべッドに親密だっただけにわたしたちには想像も付かないことであ る。最愛の友を失ったあとの彼の生活は悲しみと、絶望と、 横たわっていた。それが八月八日のことである。彼はベスト が広まっていた故郷のサルラやペリゴール地方を通って帰還孤独のなかに埋もれてしまった。まだ若かった彼は落ち込ん 271 モンテー
〔彼の友人のために建立する、あるいは捧げることにした〕」 ( 『モン ぜなら、これは私が確かすぎるほど確かな経験から知ってい テーニュ辞典』 ) ることであるが、われわれが友達を亡くしたとき、互いに、 この貴重な銘文は、亡き友の遺稿の刊行とともに、モンテ うべきことはなにひとっ忘れずに語って思い残すことのない ーニュが彼への哀悼と追慕の気持ちを具体化した二つ目の例完全なこころの疎通を持ったという自覚が与えてくれる慰め となるものである。これはラ・ポエシーの人格と学識にたい ほど、こころ休まる慰めはないからである」 ( Ⅱの八 ) する讃辞であり、二人の友情を永遠に刻した記念碑であっ 彼はラ・ポエシーと完璧なこころの交流を果たした経験か た。しかしまた失われた友情を弔うための墓碑でもあった。 らこう書いたのである。ところが、ヴィレーの脚注を見る といっても過去の友情と悲しみを埋葬するためではない。 と、彼はこの一節の一ページほど前し ( リこのの加筆をしたあと の銘文によって「互いの愛情」、すなわち友情を記念し、喪で、ラ・ポエシーに語りかけてさらにこう書いていたのであ 失の悲しみを慰めに転じようとするのである。なぜなら永遠る。従ってこれも最晩年の加筆と見ていいだろう。 の喪に服することは亡き友にたいするもっとも敬虔な義務で 「ああ、友よ ! 私はその慰めを味わうのにいっそう値する あり、それゆえそれを果たすことは彼の慰めであり、「無上だろうか。それともそうではないのだろうか。いや、たしか の悦び」となるはずだからである。 に私は充分にそれに値する。友人への哀惜は私を慰め、そし 彼のうちに起きたこの内面の変化を推測させる手がかりと て私の誇りとなる。永遠に友人の弔いをすることは私の人生 なるあるエピソードが「父が子供に寄せる愛情について」の の敬虔で喜ばしい務めではないだろうか。あの喪失に匹敵す 章に語られている。 るような悦びがあるだろうか」 ( Ⅱの八。ただしこれはポルドー あるときモンテーニュは、猛将で聞こえた同郷の人、故モ 本の『エセー』では、なぜかモンテーニュのではないだれかの手に ンリュック元帥からこんな身の上話を聞かされたことがあっ よって削除された。一五九五年版の『エセー』は、冒頭の「ああ、 た。厳格で知られた元帥は将来を嘱望されたわが子を戦場で 友よ ! 」を除いてこれを復元している ) 失ったとき、い つも自分は厳しい顔ばかりしていて、息子を 死んだ友への変わらぬ哀惜は、長い年月を経て、彼の「慰 芯から愛していたことをついに伝えぬまま息子に死なれてし め」となり、「誇り」となった。永遠の「弔い」を果たすこ まった。それが返すがえすも残念で、断腸の思いに堪えない とで、友の「喪失」は「悦び」に変わっていったのである。 といったのである。モンテーニュは深く同情して、亡友ラ・ ポエシーを思い出しながらこう記したのだった。 翻って例の引退の銘文に話をもどすと、これは「宮廷への 「@この嘆きはいかにも正当でもっともなことだと思う。な隷属と公務の重荷」から自分を解放して、「自由と平穏と閑 274
たいして人間の自由を称揚した論文である。ただし実際は彼かに稀有なものであったかを伝えたかったのだろう。 彼らがはじめて顔を合わせたのは、モンテーニュが一五五 がオルレアンの大学を卒業する一五五三年、二十三歳のとき に書かれたようである ( 関根秀雄訳『モンテーニュ全集 9 』、白七年にポルドーの高等法院に移ってから、なおしばらく時が 水社、一九八三年 ) 。モンテーニュによると、これはその稿本経ってからのことであった。その時期については諸説があっ が「久しい以前から知性ある人びとの手に渡って、当然受て確定されていないが、おそらく一五五九年の初めではな かったかと思われる。モンテーニュ二十五歳、ラ・ポエシー けるべき非常に大きな評価を得ていた」 ( —の二十八。以下— の二十八からの引用にはこの表記を略す ) といわれたものであっ 二十八歳のときである。彼はその記念すべき偶然の出会いに ついて、ずっと後になってこう回想している。 て、彼もそのなかの一人だった。彼はラ・ポエシーに出会う 「◎われわれは出会う以前から、たがいに耳にしたそれぞれ 前からこの論文を読んで感銘を受け、ひいてはそれが二人の の噂によって相手を探し求めていたが、その噂はわれわれの 友情を生むきっかけともなったのである。 感情に通常の噂以上に強い印象をもたらしていた。私はそれ 彼はそのことを回想してこう記している。 がなにかしら天の命令によるものだったと思っている。われ 「@私はこの作品にはことのほか恩義を感じている。という のもこれが仲立ちとなってわれわれをはじめて出会わせてくわれは相手の名前が告げられるのを聞くだけでたがいにここ ろが結ばれたのだった。われわれが最初に出会ったのは、偶 れたからである。実際これはその著者に出会うよりずっと以 前に私に示されて、著者の名を私に教え、あの友情に道を開然、〔ポルドーの〕町の盛大な祭りの集いでのことだったが、 いたのである。われわれはあまりにも完璧なその友情を、神そのときわれわれはたがいにあまりにも強く惹かれ合い、知 り合、、結ばれてしまったのである。だからそれからという さまがお望みになるかぎり二人のあいだで育んできた。それ もの、われわれ以上にたがいにちかしいものはだれ一人とし ほどの友情だったから、たしかにこれに匹敵するものはほと 斎 んど本で読んだことがなく、同時代の人間のなかにそれが生ていなかった」 おそらくモンテーニュはポルドーの高等法院に着任して以の これほどの友情を きているいかなる痕跡も見たことがない。 築き上げるにはじつに多くの偶然の巡り合わせが必要だか来、刮目してラ・ポエシーとの出会いを待ち望んでいたであニ ろう。それがある日、賑わう祭りのなかで、偶然、彼に遭遇 テ ら、運命が三世紀に一度そこに到達すればそれだけでも大し ン すると、たちまち二人は意気投合して固い友情で結ばれたの たものである」 モ 三世紀に一度の友情というのはずいぶん思い切った言い方である。 いったい、なぜこの友人はそこまでモンテーニュのこころ躪 であるが、彼はその誇張とも取れる言い方で二人の友情がい
「この高貴な交際にあっては、奉仕とか恩恵とかいうもの してそこまで愛したのかと人に問われても、 は、ほかの友情には糧になっても考慮する値打ちさえもな 「私にはそれを言い表すことができないような気がする」 。われわれの意志がすっかり溶け合っているからである。 と、正直に答えざるを得なかったのである。 なぜなら私が自分に抱いている友情は、ストア派がなんとい これは一五八〇年版の最初の『エセー』に書かれている返 おうと、私が必要に応じて自分を助けたからといってそれだ答である。そう答えるほかに言いようがないという気持ちが け殖えるものではなく、また私が自分に奉仕したからといっ先にたって、いかにも素っ気ない答えである。ところが、そ て自分に感謝するはずもないが、それとまったくおなじようれからおよそ十年ばかりが過ぎて、彼は一五八八年版の『エ に、われわれのような友達の結合は真に完璧なので、そんな セー』の余白に有名な最後の加筆を施した。 義務感などは消滅させて、善行、義務、謝意、懇願、感謝、 「@私には◎それが彼だったから、それが私だったからと答 あるいはそれに類するような分離と差異を示すことばを嫌悪 えるほかに、それを言い表すことができないような気がす させ、彼らのあいだから追放させる。実際、彼らのあいだで る」 は、意志も、考えも、判断も、財産も、妻も、子供も、名誉 この加筆も、じつは答えとしては堂々巡りのようなもの も、生命も、すべてが共通であるから、◎また彼らの和合ぶ で、筋のとおった答えにはなっていない。 ) それを承知でこう りと来たら、アリストテレスのまことに適切な定義に従って書き加えたのは、それがまさしく彼であり、私だからであっ いえば、魂一つに身は二つであるから、互いに貸すことも て、それがほかのだれであっても友情は生まれなかったとい 与えることもありえないのだ」 うことをいいたいためなのだ。ジュリエットが、恋しくてた こうした具体的な事例をあげて説明されれば、彼らの友情まらないロミオにむかって、「なぜあなたはロミオなの」と の輪郭も多少は掴むことができる気がするけれど、それが常訊ねる科白が思い出される。いつの間にかロミオを夢中で恋 人には近づきえない奇蹟のような交わりであることは依然と してしまった娘心の驚きと恋の切なさをこれ以上真実に伝え して動かしようがない。 ) それを承知しているモンテーニュが る言葉はない。 これは答えを求めているのではない。自分を 次のようにいうのも無理はなかった。「しかし私は、こう こんなにも夢中にさせたロミオへの愛の訴えなのだ。答えよ した友情が一般の慣わしからいかにかけ離れたものである うのないことを訊ねているのは理屈ぬきにそれがあなただか か、いかに稀なものであるかを知っているから、これを正し ら、ロミオだから恋しくてならないと胸の想いをぶつけてい く判断してくれる人があろうとは期待していない」。 るのである。同様にモンテーニュの友情も、それが彼であ だからモンテーニュは、なぜラ・ポエシーを無二の友人と り、私であるからということ以外に、彼には理由の見つけよ 270
について私が言いうることのかなたに、この結合の仲立ちと は、あらかじめ長い交際によって充分に用心することが必要 なったなにか説明のつかない運命的な力がある」といって、 なのだ。ところが、われわれの友情はそれ自身のほかには 二人の友情が運命による「結合」だったことを認めていた。 まったく理想とするものがなく、それ自身に比べることしか それを彼は最晩年の加筆のなかでは、「◎天が下した命令に できない。 ) いそれは友情に関する一つの特別な評価でも、二 よるもの」だとさらに強く言い切った。 つのでも、三つのでも、四つのでも、千のでもなく、それら こうして彼らはそこまで互いに自分を相手のなかに溶け込 すべてを混ぜ合わせたものの得体の知れない精髄が、私の ませたことで俗にいう一心同体となり、互いに相手の分身に いっさいの意志を鷲づかみにすると、それを彼の意志のなか に飛び込ませ、没入させたのである。◎またそれは彼のいっ等しい存在となった。そんな魂の融合を彼は次のように説明 している。 さいの意志を鷲づかみにすると、私とおなじ渇望と競争心を 「@世間のあらゆる議論をもってしても私の友人の意図と判 もってそれを私の意志のなかに飛び込ませ、没入させたので あった。私はただしく没入させるといったが、それはわれ断について私が持っている確信を私から奪い取ることはでき ない。彼の行動は、たとえそれがどんな様相を見せていて われに固有のものも、彼のものであり私のものであるもの も、それが私に示されればたちどころにその動機を見出さず も、なにひとつ自分たちに残さなかったからである」 にはおかない。われわれの魂はこんなにも一つになって進ん これを読んでいると、モンテーニュが言葉で表現しがたい でゆき、こんなにも熱烈な愛情をもって見詰め合い、またお ものを表現しようと一心に努めているのが感じられる。それ は二人が祭りのなかで遭遇して一瞬で互いに惹かれ合い、相なじような愛情をもってはらわたの底の底まで晒し合ったか ら、私は彼の魂を自分の魂のように知っていたばかりか、 手のなかに自分を没入させた理知を超えた不思議さを説明し きっと私のことは私よりも彼に喜んで託したことだろう」 ようとしているからである。二人の意志に魂の完全な融合を こう説明されて、二人の精神の状態をわずかに掴みかけた斎 もたらすように促したいちばん肝腎なものを示すために、中 の ようにも思うのだが、正直なところ、まだ充分わかったとは 世の錬金術で、ある物質を五たび蒸留して得られたそのもっ いえないもどかしさが残る。深い友情を誓い合ったことのあニ とも純化された部分を指す「精髄 quintessence 」という用語 をあえて選び、なおかっそれに「得体の知れない」という形る人には自明のことかもしれないが、そうでないものには容テ ン モ 容を添えたところにそれがあらわれている。それだけ友情の易に探ることの許されないこころの境地である。 そこで、具体的な例をあげて友情の篤さを語った次の一節 始まりが彼にとって名状しがたい神秘だったのである。 を読んでみよう。 それゆえ彼は「私のあらゆる説明と、特別に友情の理由
を魅了してしまったのか。しばらく彼のいうところを聴いて 語ったこういう部分がある。 みよ , つ。 「私が心底深く愛するわが兄弟よ、私が多くの人間のうちか 「生きているもので私が知っているもっとも偉大な人物、 らあなたを選んだのは、あなたとともにあの徳高い誠実な友 私がいうのは精神の生まれながらの資質ということである情をいまの世に甦らせるためだった。この友情の慣わしはさ が、そしてもっとも天稟豊かな人物はエティエンヌ・ド・ まざまな悪徳のためにわれわれのあいだから遠ざかってすで ラ・ポエシーであった。実際、彼は完璧な精神の持主であっ に非常にひさしいから、その古い痕跡がかろうじて古代の思 て、あらゆる面から見て見事な相貌を示していた。それはま い出のなかに残っているにすぎない」 ( 『ミシェル・ド・モンテ ーニュ辞典』、オノレ・シャンピオン、二〇〇四年。以下『モンテ た古代風の精神であり、もし運命が望んだならば、学問と研 ーニュ辞典』と略記する ) 鑽によってさらにあの天性豊かな資質を大きく伸ばして偉大 な成果を上げたであろう」 ( Ⅱの十七 ) モンテーニュはラ・ポエシーのこの一言葉を受けて、『エセ 思うことを率直にいうモンテーニュにここまで讃辞を呈さ ー』のなかに、「◎彼はラテン語による見事な諷刺詩を書い れるというのはよほどのことであって、それほどまでに彼は た。これは出版されているが〔モンテーニュによるその出版は この人物に心酔したのだった。そのラ・ポエシーを評して 一五七一年である〕、彼の詩はわれわれの絆があまりにもすば 「古代風の精神」といっているのは、モンテーニュとおなじ やく完璧な域に達したので、その迅速さを釈明しているので く卓越したユマニストとして、セネ力、キケロ、プルタルコ ある」と記している。 スといった思想家、あるいは詩人のウエルギリウス、ホラ 二人の友情は、長い待機の時を経たあと、たった一度の邂 テイウスなどを熟読して、古代ローマ人が持っていた美徳や逅によって一気に頂点に達することにな 0 た。そが、例え 勇気、あるいは国家への忠誠心、精神の自由と独立から醸し ば純真な少年のあいだでのことならばともかく、分別のつい 出されるいにしえの気風を慕い、自らもそれを身に付けてい た二人の大人のあいだで起きたということがなにか信じがた たということだろう。宗教戦争によって腐敗した乱世のなか い感じがする。だからラ・ポエシーもそれを釈明する必要を で古代の風格を具えた人物に、若いモンテーニュが強くここ感じたのであろう。 ろを惹かれたのも当然のことだった気がする。 たしかに友情というのは、恋愛とおなじく、こころの結び ラ・ポエシーもまたモンテーニュの人柄を見込んで無二の つきによる交際であるから、相手がいくら知的に優れた人間 友人として彼を愛し、その思いをラテン語で詩に綴ってモン であっても心情の一致がなければ成立するものではない。そ テーニュに献じさえした。そのなかに二人の友情について の点モンテーニュがこれほど篤い友情を抱くことができたと
れるものではあっても友情と比べることはできないし、また享受され、高められ、育まれる。それは享受されるなかでし その範疇に加えることもできない。はっきりいって、恋愛の か増大しない。なぜなら友情は精神的なものであり、精神は 火は : いっそう活発であり、 いっそう焼け付くようであ使われることによって洗練されるからである。かってこの完 いっそう激しい。しかしそれは向こう見ずで、移り気璧な友情のもとで ( あの移り気な恋愛が私のなかに宿ったこ な、揺れ動く、むらのある火、発作と鎮静を受けやすい熱病とがあった。彼については〔ラ・ポエシーを指す〕なにもいう の火であって、われわれの一カ所をしか掴まない。一方、友 ことはない。彼は例の詩によって充分すぎるほどそれについ 情のなかには、全身に行き渡り、その上穏やかで、むらのな て告白しているからだ。そうやってその二つの情熱は互いに い熱、安定した、静かな熱があり、それは甘美さ、繊細さそ相手を認め合いながら私のなかに入ってきたのだが、しかし のものであって、すこしも激しい、刺激的なところがない。 決して比較できるような筋のものではなかうた。一方はその さらにいえば、恋愛におけるこの熱は、われわれから逃げて気高く、誇らしげな飛翔を崩さず、他方がはるか下のほうを ゆくものを追いかける凶暴な欲望にほかならない」 歩んでいるのをさげすむように眺めていた」 これが二つの情熱の比較である。要するに友情は穏やかで 恋愛の火は時とともに衰弱し消滅し、そしてふたたび別の 安定した情熱であり、一方の恋愛は激しさを身上とする欲望恋人を伴って復活するが、友情は相手を変えずにただ深まっ であるから、一途に激しい恋は、それを決定的に阻むものに てゆく。一方は肉体に関わり、他方は精神に関わるからであ 出会うと死をも辞さない行動に出ることがある。たとえば近る。ただしここに述べられたことは友情一般についての説明 である。 松門左衛門が描いた心中がそれである。しかし恋愛は、いっ たん肉体の欲望が満たされると、死さえも辞さなかったその 激しさも徐々に衰えてついには消えてゆく。この「熱病の ではモンテーニュがラ・ポエシーとともに経験した友情の 火」は「発作と鎮静」を免れることができないからで、モン特徴はどんな種類のものだったのか。それがこの章の語る核 テーニュはその点から恋と友情を対比して、さらにこういっ 心の部分であり、わたしたちの知りたいところでもある。 ている。 「◎われわれの友情は、その期間があまりにも短く、始まっ 「恋愛は、友情の範囲に入ると、つまり二人の意志と意志 たのがあまりにも遅かったので、というのも二人とも大人 が一致すると、たちまち衰弱して消えてゆく。享楽は恋愛を だったからで、彼のほうが何歳か年上だったが、無駄にする 消滅させるのだ。なぜなら恋愛の目的は肉体的で飽満しやす時間もなく、軟弱な、あり来たりの友情の雛形を手本にする いからである。反対に友情は欲せられればそれだけいっそうわけにもいかなかった。そういうあり来たりの友情のために
モンテ 1 ニュの書斎〔第 + 回〕保苅瑞穂 友達といえば、だれにでもなにかの縁で友達になった人が いるものである。そして日ごろからその友達との付き合いを 愉しみ、ときには友達がいることのうれしさやありがたみを しみじみ味わうこともある。ただそれはあまりに日常的なこ となので、友達や友情というものについてことさら考えたり しないのが普通のことである。だから、たまたま太宰治の 『走れメロス』を読んだりすると、友達のためなら命までも斎 モンテーニュがその生涯に経験したことのなかで、エティ投げだすような人間がいたことに驚いて、あまりにも純粋での ュ エンヌ・ド・ラ・ポエシーという人物と結んだ熱烈な友情ほ 一途なその心情にこころが洗われる気持ちになる。 ど『エセー』の読者を驚かすものはない。第一巻第二十八章 またそれだけにメロスの場合のような後世にまで伝わる友 の「友情について」は二つの魂の融合の記録であり、なによ情の例は稀なのであって、せいぜいむかし読んだ『イーリア りもラ・ポエシーの思い出に捧げられた激しく哀切な一章で ス』に登場する勇士アキレウスとその親友バトロクロスの友 あって、『エセー』のなかに特別な位置と意義を持っている。 情やキケロの『友情について』くらいしか頭に浮かんで来な 友情について 連載 263 モンテー