音楽、特にフランクやラヴェルといったフランス音楽に傾「劣点」のように言われるのは、池内友次郎としては甚だ 倒し、作曲家を志します。俳句もやりましたが、そちらの楽しくないことであったに違いありません。 方では兄の高浜年尾が居る。『ホトトギス』の後継者は兄 そのせいと思います。彼は路線の転換をはかってゆきま した。自ら作曲するよりも作曲教育の方へと次第に力を注 だろう。弟は勝手をやっても赦される立場にありました。 ぐようになります。一九三七年からは日本大学で教え、そ 友次郎は、虚子の兄、池内政忠の養子になって池内姓を のほかにも個人的に多くの弟子をとる。バリ音楽院で長年 名乗り、俳句を趣味としながら、音楽に励み、東京で亡命 外国人教師たちに個人レッスンを受けたあと、父の虚子の研鑽を積んできた和声やフーガや対位法の技術を門人たち に手ほどきする。池内はバリ音楽院の仕方をバリに行かず 金銭的支援を受けて、一九二七年から三六年まで、二度の 一時帰国を挟みつつバリに長く留学します。いずれのとき とも完璧に教えてくれる師として名声を築きました。日本 もパリ音楽院に籍を置いて、和声はポール・フォーシェ 作曲界における「フランス派」の総帥と目されました。池 に、作曲はアンリ・ビュッセルにつきました。そして、ラ 内本人にとっても、弟子たちに囲まれ、彼らに仕上げのよ さへの美的信仰を説く暮らしが性に合っていました。『ホ ヴェルの、緻密で仕上げよく灰汁のないスタイルの音楽を トトギス』を主宰して、大勢の門下生に取り巻かれ、客観 自身の理想と考えるようになり、管弦楽伴奏歌曲『アマリ リス』、ヴァイオリンと管弦楽のための『短章組曲』、ラ写生の美学を説き続ける父親の暮らし。それが、池内の子 ヴェルの『ポレロ』を模した管弦楽曲『馬子唄』などを作供の頃からの暮らしのモデル。彼は父親の生き方を、音楽 の分野において、とても似たかたちでなぞろうとしたので 曲。それらはいずれもそれなりの好評を得ましたけれど、 その一方でラヴェル張りのエレガンスを意識するあまり表す。 そんな池内友次郎は戦後には東京音楽学校 ( 現・東京藝 現力が弱く印象に欠けるといった批判も受けました。 術大学音楽学部 ) の作曲科の教授に迎えられました。むろ 池内友次郎は、俳人としては『ホトトギス』の流儀であ ん池内の実績がそのポストを呼び込んだと言えばそうなの る、主観を排し妙な思い入れを消しての淡泊な客観写生の 美学を父の虚子から叩き込まれていて、それが、ラヴェル ですが、やはり人の世。実力があるからといって自動的に の仕上げのよさへの憧れと結びつき、池内の芸術観・音楽地位が付いてくるとは限りません。にもかかわらず池内が 日本における「西洋クラシック音楽の最高学府」、上野の 観を決したと言えるでしようけれど、その根本のところを 287 鬼子の歌
の音楽は必ずしもエンターティンメントとはかぎらないので 。ないかとつづける。直接引用しよう。 未来に希望はあるのか そのとき音楽は、例えば医療といった分野でまったく新 しい役割をもっことになるかもしれない。 いまのばくらは、音楽の海のはんの浅瀬でちゃぶちゃぶ 遊んでいるにすぎない。いまばくが興味をもっているのは 西崎憲 音楽の海のもっと深い部分だ。最新の科学とテクノロジー は世紀にあったあらゆるものをいま根底から覆していっ ている。電話やテレビが変わっていくように、鏡やポケッ 「未来」という語には、子供の頃はずいぶんわくわくさせら トなんてものですら、数十年後、いったいどんなものであ れた。多くの人々はその語から未来け都市、未来の技術など るか予測もっかない。音楽がいままでのように歌って踊る を連想し、燦然と輝くそれらに胸を躍らせたのではないだろ ためのものだなんて思ってたら大間違いだね。 うか。ひるがえって大人になってからの未来はどうだろう。 その語は大人にとってたとえば保険や貯金や家の購入や老後 ウイル・アイ・アムのこの言葉を聞いてわたしは脳天にト を意味していないだろうか。 ロールの槌を振りおろされたような衝撃を受けた。それまで 未来ということに関して、ここ二、三年でもっとも刺激的 - の自分の音楽にたいする考え方があまりに受動的であり、教 だった文章は、ヒップホップのウイル・アイ・アム (will. - 条的であることに気づいたのだ。しかしウイル・アイ・アム i.am) の二〇一三年刊行の『』八号掲載のインタが示唆する利用法とは具体的にはなんだろう。 すぐに思い浮かんだのは超音波を用いた癌の治療である。 ウイル・アイ・アムは、音楽が根源的なものであるにもか 通常の音楽はもちろん可聴帯域内の音によって作られる。 かわらず、脳や神経、そして物理的な環境にどのように作用それはへルツから 2 万ヘルツだとされている。超音波治療 しているかはまだ解明されていない、けれど最新科学がその】に使われる音の周波数は 100 万ヘルッと 300 万ヘルツの 謎を解明してくれるかもしれない、と主張する。そして末来ようで、もちろんそれは人間の耳には音としては聞こえない 194
奥泉大いにありますね。僕は山下洋輔さんの影響を強く受ていける。小 説家にはそれができない。相当不思議なジャン けているんですよ。山下さんの音楽ももちろん好きですが、 ルだと思います。 音楽以上に文章から影響を受けている。山下さんが書かれた大友印刷技術が生まれる以前の物語にはライプもあった。 ェッセイなどには、ジャズの自由をめぐる思想が色濃く滲み奥泉そう。小説にライプがあるとすれば、物語性の部分。 出ている。 物語ること自体は、歌ったり踊ったり演じたりすることと同 大友そうですね。 様、普遍的な人間の行為です。しかし小説は、パフォーマ 奥泉その思想を一言でまとめるなら、対話的、ということ テイプに語る位置から距離をとるジャンルなんです。さっき に尽きると思います。例えばアドリプソロをとるのでも、や の比喩で言うと、最初からスタジオワークで、ライプなしで りたければ何コーラスやってもよい。逆に、誰かがアドリブ世界をつくっていく。 しい。ただし ソロをとっているとき途中から入っていっても、 大友長い人類史の中で見たら、変な営みですよね。 相手の音は注意深く聴かなければならない。そのうえで逸脱奥泉ですね。僕は小説というジャンルは永遠不変じゃない を含め応答したり、裏切ったり、刺激したり。自分が全体を と思う。物語ること自体は永遠になくならないと思います 支配するのではなく、相手のプレーと自分のプレーが対話的が。とにかく小説は、書いた文字によって物語ることを批評 に関係を取り結ぶところから、豊かな何かをつくっていく。 するジャンルなんです。非常に間接的なんですよね。 そういう思想ですね。音楽に限らずあらゆる場面で、他者と 世界に存在する良いものはだいたい対話的で、悪いものは かかわるモラルとしての山下洋輔思想が僕の中にあります。 対話を欠いていると、つい決めつけちゃうんだけど ( 笑 ) 、 大友でも小説を書いていると、基本的に一人の世界になり そう思うぐらい僕は山下洋輔思想が身にしみわたっているん がちじゃないですか。 です。だから僕は小説を書くこととなかなか折り合いがっか 奥泉そういう意味では小説家はよくない ( 笑 ) 。音楽家の ないんですよ。小説も当然好きなんだけれども、直接的な対 ほうが絶対面白いですよ。 話性を欠いたこの営みは一体何なのかということが、やれば 大友誰かと話しながら小説を書くわけじゃないですしね。 やるほどわからなくなってきてしまう。 奥泉音楽の比喩で言うと、小説にはライプがないんです ・音楽家がうらやましい よ。音楽も今は、コンピュータで打ち込んで全部つくれたり するじゃないですか。けれど、戻ろうと思えばライプに戻っ 大友音楽家は音楽をやることにそういう疑問を残念ながら
に言うと、言葉だけでできているところに小説というもの てもいし 文体を先に考える。大友さんがおっしやるよう の、ある種の特性はあるといえる。 に、音楽家がどういう音を出したいかというのと似ています ね。 大友相当こじれた人がやるジャンルですね。 奥泉そうなんです。 大友僕はよく知らないですけど、たとえば夏目漱石さんの 時代はそういうことを考えていたんですか。 ■こじれた小説 奥泉漱石だけは考えた。ほかの人はほば考えていない、と 大友この『ビビビ・ビ ・バップ』も、相当こじれている感思う。 じがあって、そこが面白いと思うんですね。複雑な入れ子型大友確かに漱石さんは小説によって文体を苦心して変えて いますよね。 構造になっていて、何重にもレイヤーがあって、例えば僕ら の世代が読むのと二十代の人が読むのとじゃ、読後感が全然奥泉特に初期の『草枕』は典型的です。ああいう言葉で書 違うでしようし、さっきの山下洋輔さんの影響で言うと、ポ きたかったということがひしひしと伝わってくる。新聞小説 リフォニーのようにいろんな声が響いている感じも確かにあ作家になってからの漱石はリアリズム小説を書くようになる る。ただの文字でしかないんだけども。 んですけど、『草枕』などの初期作品は、完全に言葉それ自 奥泉この小説の出発点は、ジャズでもでもなく、言葉体の魅力で小説を書こうとしている。 それ自体なんです。 大友面白い。音楽家で言うと、古い音楽家にはたいてい、 大友どういうことですか。 その人固有の語法があって、そこから逸脱できないんです 奥泉海外の非常にレベルの高い日本語訳を、僕はこれ よ。ビル・エバンスはどこまで行ってもビル・エバンスのよ まで何冊も読んできた。その言葉遣いが好きになって、自分うな語法しかしない。ダメという意味じゃないですよ。もの も書いてみたいと思ったのが出発点です。はじめに物語がすごく完成されているから。 あって、それにふさわしい言葉を探してくるんではなく、使 ただ、さっき言ったポストモダンという言葉を使うなら、 いたい言葉があるというのが先なんですよ。 それ以降の音楽家は選択できる。自分の音楽は自分の音楽で 大友それはめちゃくちや音楽家的ですね。その言葉が使え しかなかったのが、ある時期以降、僕もそうですけど、この るシチュエーションを探すという感じ。よくわかる。 映画音楽はタンゴで書こうかなとか、幾らでも選択肢があ 奥泉構成とか物語は後から。極端に言えばこの話じゃなく る。同じタンゴでも、こういう和音を使いたいなとか。たカ
あまり持たないかな。 奥泉すごくうらやましいと思うんですよ。小説家にはそう いうのはないですからね。さっきから言っていますけど、も 奥泉うらやましいな。それはライプに戻っていけるからで すよ。 ともとスタジオワークしかないわけです。だから、小説を書 大友そうなんですね。 く。ハワーを得るとすれば、他のテキストしかないんですね。 奥泉僕は大友さんの『— 0 』を読んだんですけ ほかのよいテキストを読むことに尽きる。それにしたって、 ど。 もともとはどれもこれもスタジオワークでつくられたものな 大友ありがとうございます。 わけですよ。音楽家は、大地的なところ、原初的なところ 奥泉楽器のできない素人の方を集めてオーケストラをやる に、ライプによって絶えず立ち戻れる。 というのを読んで、なるほどと思ったんですよ。音楽のルー 大友コーヒーを飲むのがおいしいとか、ごはんを食べるの かおいしいに、 ツにある、踊ること、ること、演じること、歌 , っことは、 かなり近いレベルでやれちゃう。小説を書く とか本を出すのは高度な営みなんだと思う。 大地的祝祭につながっているわけで、もともとジャズにもそ ういうルーツがあったけど、どんどんそこから離脱して洗練奥泉高度化していくときに何より重要なのは、音楽にとっ していった。 ても言葉だと思うんです。言葉に導かれていく。だから、 ジャズだって、特にフリージャズの時代は言葉が先行するわ 大友高度化していきますね。 けですよ。 奥泉でも、いつでもまたルーツに戻っていける。大友さん がやっていらっしやるあの活動は、大友良英という一人の大友そうでした。 、、、な亠め、とい , っッ バッと聴いて、感覚的に、ああ ミュージシャンが、根のところ、大地的なところにもう一回奥泉 ともなくはないけど、それ以上に言葉を通じて背景を知った 戻ってみるという行為だと思ったんです。 大友あれもいろいろ大変なんですけど、面白い。何か竜宮り、歴史を知ったりという、言葉の介在を経て初めてそれが説 城にいるような感じがします。変な喩えですが。音楽が生ま面白く思えたりということはあるわけです。 れる瞬間の喜びみたいなものがある。 大友あるある。 愛 奥泉僕に言わせれば、それは大地の匂いを嗅ぐ行為なんで奥泉だから、音楽はコーヒーを飲んでおいしいなというと 偏 ころから、一一一一口葉の力によって離脱できるし、またそこへ帰っ すよ。それで。ハワーを充填できる。 大友だから竜宮城なんでしようね。 ていける。それに対して、小説は最初から言葉しかない。逆
が、周波数を選び照射時間、間隔を選ぶ施術者が行っているまり、貨幣が造られ、銀行というものが考案された流れから のはたしかに「作曲」である。 それは明瞭である。何かが動かなければ利益は生まれない。 可聴帯域の音も骨伝導を利用するなどの工夫によって血管価値のあるものがどこか一箇所に止まる時、利益は生じない や内臓に影響を与えることができると思われるので、そうしのだ。そして経済における移動Ⅱ流通の役割は時代が進むに たものはより音楽に近くなるだろう。しかし先に進もう。 つれてどんどん大きくなった。 ウイル・アイ・アムの示唆は当然広がりを持っている。わ たとえば「業界動向サーチ」というサイトによれば、業界 たしが必然的に連想したのは兵器だった。 規模の一位は卸売である。卸売の利益はもちろん物を移動す »--)*<2 (Long Range Acoustic Device) というものをご一ることによって得られる。同サイトのランキングの九位は通 存知だろうか。イラク駐留の米軍が使用した対人用の非殺傷信であるが、通信というのは情報の移動である。新聞、テレ 兵器である。は 2 0 0 053 0 0 0 ヘルツの音を 1 ビ、ラジオ、電話、インターネット、 Z t-n 、»-a — Z 、す 50 デシベルで指向的に発することができる。 べて情報の移動である。情報が動く時、利益が発生する。 その音はもちろん聴覚に永続的で深刻なダメージを与える移動の事情をよく窺わせるのが、日本における人材派遣の 可能性がある。は現在多くの国の警察でデモの鎮圧分野の隆盛だろう。人間を素材として流通させて利益を得る などの際に使用されているようだ。そしてから発さ - のである。そこに生産はない。経済に関するかぎり「生産」 れる音も一一 = ロうまでもなく作曲された音である。それはデモ鎮 . はもう人間にとっての第一の目的ではないのである。生産す 圧のための音楽なのである。 る者の代わりはいくらでもいる。問題はそれをどのように流 音楽の話は枕で、じつは小説の末来ということについて書通させて利益を得るかなのだ。もちろん小説や他の文化的営 きたかったのだが、どうも紙数に無理があるようだ。とても為も例外ではない。 そこまで行きそうにないので、小説と経済という観点での現一しかしその是非を論じることにはあまり意味はないだろ 況を記すに留めよう。 いうまでもなく現況を判断できなけれう。いずれにせよ生産者たる音楽家は音楽を作り、俳優は役 ば末来の予想など及びもっかないだろう。 を演じ、詩人は詩を作り、小説家は小説を書く。それが自分 ほんとうに大雑把にまとめると、世界はあるところからたちの務めであるかのように。然り。それらはまさしく務め 「移動流通」という概念によって動いてきた。経済は元々 , 》なのだ。われわれは大いに経済に関心を持つべきかもしれな 移動という観念からはじまったのである。物々交換からはじ 経済が生の目的にならないように。 195 随筆
らメロディーが先じゃなかったりもするんですよ。この録音奥泉しかしそこが僕の弱点でもあって、大体いつもミステ リーにするんだけど、途中でその謎はどうでもよくなっちゃ の音質の感じでやるにはどういう音楽が合うかという考え方 う小説が多いんだよね ( 笑 ) 。 も平気でする。 奥泉『ビビビ・ビ・ ップ』は猫という語り手を出してい ■「バナール」でいいんだ ますが、基本的には三人称の語りで構成されていて、とりあ えず猫という語り手を設定した方が書きやすいという程度の大友素朴な疑問なんですけど、こういう小説を書くとき 、最初から結末を決めて書くんですか。それとも書きなが 意味しかない。それよりも、たとえば日本語に片仮名でルビ らだんだん結末が見えてくるものなんですか。 を振る t-n= 用語を多用したかった。そういう字面の本にした かったというのが本心なんです。その上で、読者にもサービ奥泉僕の場合は完全に、だんだんですね。 スはしなくちゃいけないから、読まれるような形を何とかつ大友ジャズ的だ。 奥泉そうじゃないと面白くない。 くっていこうという目論見でした。 本作は一応続篇なんですよ。二〇〇一年刊行の『鳥類学者大友書いている本人も成り行きを面白がっている。 でいこうかな、くらいは のファンタジア』という、純然たるジャズ小説があって、本奥泉とりあえずこんなストーリー 作のヒロインのひいおばあさんの話です。「 Foggy's Mood 」考えますが、人間に考えられることって、たいしたことない んですよ。だから最近はあまり考えない ( 笑 ) 。物語は世の という曲も既に出てきます。 決まり切ったコード進行しかな 大友知っている人が読むと、オオーツと盛り上がる仕掛け中にそんなにたくさんない。、 いようなものです。 なんですね。 大友音楽も、西洋音楽の範疇でやる分には、バリエーショ 奥泉前作に・は「 Foggy's Mood 」にどの音階が使われてい ンは数えられる。 るか書き込んであって、演奏シーンもある。そうしたら、山 説 奥泉物語も同じです。事前に、とりあえずこんなコード進 下洋輔さんが曲をつくってくれたんです ! 行で今回は小説を始めてみようかなと何となく考える。実際Ⅳ 大友それはうれしいですね。 愛 に書く行為が、音楽のアナロジーで言えば、プレーというこ 奥泉うれしかったですよ。文庫本にはその譜面を載せてる 偏 とになるわけですが、そこではコード進行に一応は従いなが の。解説も書いてもらった。 ら、逸脱があって、逸脱していく中で進行自体が変化してい 大友仕掛け満載ですね。
けないらしいという感じになって、難しいな、と思いながら はおそらくそれが見えていらっしやる方だなと、この小説を も聴いていたわけです。中学から高校にかけて。 読んで思いました。 大友早い。マセてる。 ■音楽の先端へ 奥泉ジャズだけを聴いていたわけじゃないですけどね。し かしジャズについていえば、僕の記憶だと、大学入学後の七大友先ほどのアイラーとか、あるいはオーネット・コール 〇年代半ばから後半にかけての頃かな、ジャズであること自 マンまでは、進化論的に捉えられるんですよ。豊臣秀吉が出 体を否定するという、前衛ジャズの時代になる。 ました、徳川家康が出ましたとか、英雄たちの「国盗り物 大友なりましたね。 語」みたいな、わかりやすい進化論なので説明しやすい。そ 奥泉当時は新しい音楽だと感じていたけれど、いま聞くれはジャズという、ある一一 = ロ語体系の中の出来事だからであっ と、アルバート・アイラーはまったくのジャズなんですね。 て、そこから出ちゃうと言葉が通じない。 ジャズのルーツに直接つながる非常に太い根を持っている。 ジャズがジャズでなくなる時代は、家康とか秀吉とか言っ しかしその後、ジャズのルーツを断ち切ることがジャズの先ているところに、全然関係ないアフリカの王様が来たような 端となる時代が来る。僕はそこから先はついていけなくて、 話なので、わかりにくい。その変化は七〇年代以降、世界が 関心もほかに移ってしまった。 特定の民族や地域だけで完結しない時代になっていくのとパ 一方で、僕が音楽から距離を置いた時代に、三つ年下の大 ラレルだったとも思います。既存の歴史軸で流れを捉えよう 友さんは音楽を始められたわけでしよう。当時の大友さんが としても何も見えてこない。その先の航海には羅針盤がな どんなことを考え、その後に起こった出来事をどういうふう 。というか、山のように羅針盤があって全部違う方向を示 に受けとめてきたのか、非常に関心がある。 しているので、従来の航海術では航海できないといった中 大友奥泉さんにとってのフリージャズの時代がそうであっ で、さあ、オレどうするんだというところから始まりまし たように、僕にとっては、フリージャズが次の段階に入る時た。 期が、十代の高校生の多感な頃とぶつかったんだと思うんで奥泉なるほど。僕の場合、ジャズがジャズでなくなった頃 すね。僕もそのことを考え続けて今日まで来ているという感 に、個人史的なポストモダンーーというのも変だけれど じはあります。その微妙なニュアンスがわかっている人とわ に突入しました。どういうことかとい , っと、スイングもあっ ードバップもあった。さまざまなスタ たし、ビバップも、 かっていない人で話の通じ方が変わるんですけど、奥泉さん
" 茅ヶ崎の音楽系文化人 " 宮治淳一 私のベスト 東京から約五十キロのわが故郷茅ヶ崎は多くの音楽る茅ヶ崎館で稽古を繰り返した。また、俳優養成学校 の達人が親しんだ街だ。山田耕筰、中村八大、平尾昌設立のため茅ヶ崎に土地を購入している。川上のスゴ 晃、加瀬邦彦、尾崎紀世彦、そしていわずもがな加山さは着眼点とその実行力につきる。話題になる事を好 雄三と桑田佳祐。という背景から茅ヶ崎ゆかりの音楽む優れたマーケティング・ディレクターであった。 そえだあぜんばう 家・文化人ベスト 3 をやってみる。私はヘそ曲がりな 2 番は添田唖嬋坊である。一九七一年頃フォークが プームになり私が真っ先に好きになったのが高田渡。 ので前記はあえて外す。 1 番は川上音ニ郎である。川上は江戸の末期福岡に愛嬌のある独特の歌声と親しみやすいメロディはとっ 生まれた自由民権運動家。「新演劇」「壮士芝居」を標つきやすく、なかでも「あきらめ節」はグッときた。 榜し一座を率い全国を回り喝采を受ける。特に諷刺が添田が一九〇六年頃作った詞に高田が曲をつけたもの 利いた「オッペケベー節」は大人気となる。一八九四だった。添田は神奈川県大磯町出身の「街角の演歌 年貞と結婚、運が向いて来る。九九年川上一座は恐ら士」で、政府や権力者を槍玉に挙げ、社会の矛盾を諷 く日本人として初の全米ツアーを敢行する。それは渡刺した歌詞で庶民感覚溢れる「大衆音楽」を生んだ才 米までに何も決まっていない出たとこ勝負の無謀なも人。近代フォーク・シンガーの先駆けである。彼は一 ので、ギャラの持ち逃げや座員の死去など大変な目に九〇一年頃妻の実家近くの茅ヶ崎駅北ロでハンカチェ あったが、多くの出会いもあり一座は絶賛された。特場を始めた。ところがすぐにうまくいかなくなり妻子 に代役で舞台に立った貞はその美貌と舞で激賞されを置いて放浪の旅に出る。川上一座がこの工場に挨拶 よしちょう た。貞は葭町の人気芸者貞奴。その近代的な美しさに来たとの記録がある。 3 番は最近の発見。近代日本を代表する書家、井上 と知性で多くの贔屓を骨抜きにした。十七歳の貞奴を 水揚げしたのは時の内閣総理大臣伊藤博文というから有一である。井上は一九一六年東京の生まれだが戦後 すごい。そして周囲から「ホラ吹き」と揶揄された妄すぐ茅ヶ崎に来て第一中学校の国語の教師になった。 言の主、川上は貞奴を虜にした。一九〇二年、音二郎加山雄三や尾崎紀世彦を教えた可能性がある。昨年井 と貞は茅ヶ崎に三千坪の松林を求め和洋折衷の家屋を上が『別冊太陽』で特集されその作品群の中に自作の レコード・ジャケットがあった。まさに独自のパッケ 建て、それは伊藤によって「萬松園」と命名された。 ージ・デザインである。井上は書に向かう時大音量で 川上は私淑する歌舞伎役者九世市川團十郎が茅ヶ崎に 別荘を構えたことにならったのだった。一座は『オセレコードをかけていたという。いまの私といっしょだ ロ』の上演に向け、後に小津安二郎の創作の拠点となよ、先生。 249 私のベスト 3
想像力が働くように、松村は自らを鍛えていったというこ強い開き直りは強い否定の反作用からしか生まれてこない となのです。極限的な病床生活と、虫のような小さなもの 態度でしよう。とすれば、結核療養所を退所してからも、 を、集中力を絶やさずに観察し続けて意識を凝集させてゆ今度は健康上のことでなく芸術上の否定の言葉が、松村ら 、療養俳人ならではの態度とが相乗して、松村をそうい しさを保っために不可欠になってきます。おまえは駄目 う人に作りあげたのです。鴨長明の方丈のように、松村に だ。まったく駄目だ。松村が池内友次郎と伊福部昭を生涯 とっては療養所のべッドが大いなる世界だったのです。そ の師と仰いだのは、この二人が松村を否定する言葉を幾ら こから見えるもの、そこで聞こえるもの、感じられるもの でも吐いてくれる桁外れに強靱な精神の持ち主だったから で、宇宙を想像し続けていたのです。 に違いありません。池内と伊福部のふたりの人格に共通す だから、松村は健康を回復して遠くに旅のできるように るのは猛烈なわがままさです。 なっても、本物を幾らでもちよくせつに感じられるように あとはここに二つのことを思い出せばよいのです。遠藤 なっても、白黒の写りの悪い小さな写真を手放せない音楽周作の『沈黙』は、ロドリゴ神父が、憧れの人であった 家になった。そう考えられるのではないでしようか。よく フェレイラ神父こと転びバテレンの沢野庵に、おのれの 見えないものだから見たい。そこからイマジネーションが信仰や行動を全否定されることで、大いなる安らぎを得る はばた / 、。 物語であるということ。ドラマの最後の場面で重要な役割 しかもそこには権威ある者による否定が必要なのです。 を果たすのは、大舞台のオペラや演劇で扱うには普通に考 もう長く生きられないだろう。無理せず・ヘッドでずっと寝えるとおよそ不向きな小さな踏み絵であること。 ているのがよいだろう。動くべきではないだろう。そう 結局、歌劇『沈黙』は松村の自画像に他ならないでしょ やって医師たちに生の可能性を否定され押し込められる。 う。作曲家はキリスト教を巡る歴史物語に興味があったの そうされると松村には音楽への強い未練が発動する。否定では恐らくありません。芸術家とは自分のことにしか興味 されれば自殺したくなる人も居るのですが、松村は動けな がないものであり、自分の姿を上手に作品に遺せれば、そ い中、絶望の中でしか、生や音楽への執着を強められない れが代表作ということになるのです。 人でした。そのシチュエーションがあってこそ、松村らし い想像力は育って開花していった。動けなければ動かずに 自殺しようと思ふこの世にきりぎりす旱夫 凝視すればよい。そこからなんでも想像すればよい。この ( 以下次号 )