深夜の濃い闇の中で、ばつんと立った街灯が頼りない光を周囲に投げかけている。 そとば そんなもの、ないほうがかえってよかったかもしれない。街灯の光が照らすのは、卒塔婆、 みかげ 線香立て、御影石の墓標ーー きたやま あんない 墓地だ。地方都市・安内市の北に位置する、その名も北山に広がった市営霊園であった。 人工的な明かりは街灯のものだけではなかった。その他に、ゆらゆらと不安定に揺れる懐中 電灯の光ふたつ。 こんな時刻に墓参りでもあるまい。メンバーも男女入り混じっての五名で、全員が高校生ぐ らいの年齢だった。女の子はきゃあきゃあと騒ぎ、男の子も妙にはしゃいでいる。状況的に見 て、彼らの目的はひとっしかあるまい。 きもだめ 肝試しだ。 「着いたぜえ、北山霊園」 メンバーのひとりが懐中電灯をぐるぐる回しながら、陽気な声をあげた。 第一章〈敵〉ど書いて〈敵〉ど読む とも
柊一はそう自分自身に言い聞かせた。御霊部の存在を知らない美也がいる以上、鈴は使えな いし、後日、またひとりでここへ来て改めて調査しなくてはならないだろう。二度手間だが仕 方ない。 北山霊園の中に入ると、街灯の間隔は急に遠くなり、闇の濃さも格段に深まった。早紀子た そとば ちが持参した懐中電灯のスイッチを入れるが、照らし出されるのは墓石に卒塔婆。夜中にじっ なが と眺めたくはないものばかりだ。 「陰気な場所よね」 つぶやく早紀子を萌が慰める。 「まあまあ。しようがないわよ。陽気な墓場って、なかなかないんだから」 あまり慰めにはなっていない。早紀子は何か言い返そうとして、やめる。 ふたりのやり取りをはたで見ていた柊一は、しみじみ思った。 の ( おそらく、この中で自分といちばん近い考えの持ち主が彼女だろうな : : : ) を自分といちばん近い考えーー別名、まとも。 夜 萌はそのおっとりとした外見も影響してか、いまひとつ、何を考えているのか把握しづら 狩い。美也にいたっては接点を探しようもなかった。 聖早紀子は気を取り直して、墓地の奥を指差した。 「ここまっすぐ行くと仏像があるのよ。青白い人魂に出くわした場所って、そこのことだと思 なぐさ はあく
響きがある。 「わくわくするなあ」 柊一や萌の前ではいやがっていたくせに、早紀子はそんな台詞まで洩らしていた。もしも萌 がいまの友人の様子を目撃したら、 「やつばり、『いやよいやよも好きのうち』って真実だったのね : : : 」 と、目尻を波打たせて微笑んだだろう。 着替え終わった早紀子はどたばたと足音高く階下に降りた。 「お母さん、懐中電灯、どこ」 たた 居間で洗濯物を畳んでいた母親が振り返りもせず、「押し入れの中」と答える。さっそく、 早紀子は押し入れに頭を突っこみ、懐中電灯を引っぱり出す。 たた じゅず 次に仏間に行って、数珠をこっそり借りた。これは念のための、祟られ防止だ。 の ひらめ 他に用意するものはないかと考えていた彼女の脳裏にふと、閃いた。夏の夜といえば、花火 ばち をである。肝試しとはなんの関係もないし、墓場で花火をするのは罰当たりな行為だが、騒いで 夜 怖さを紛らわせたい気持ちもあった。 狩「ちょっと、花火買いに行ってくるね」 聖 花火なら近くのコンビニで売っていたはず。早紀子は財布だけ握って外に走り出た。 今日も天気はすこぶるよく、気温はあがる一方。ちょっと歩けば、もう汗がにじんでくる。
『入らずの森』に比べれば、北山霊園はそれほど有名なスポットではない。墓地入り口にタ 方、白っぱい人影が立っているとか、タクシーが北山霊園に女の人を運んだら、いつのまにか 彼女は後部座席から消えていたとか、よくある話がばつばっ伝わっている程度だ。 それでも、ここに肝試しに来た連中はそれなりに盛りあがっていた。 「まずはふたりずつ、奥まで行って帰ってくる ! でかい仏像があるから、いちばん手はその 足もとにこのペットボトルを置いてくること。次に行くや、つはそれと何かを交換してくるこ と。じゃ、じゃんけんで組み合わせ、決めようぜ」 こういうとき、言い出しつべが貧乏クジを引くのはよくあること。この場合も結果的にそう なり、懐中電灯を振り回していた彼がたったひとりでトップバッターを務めることになった。 「くそっ ! 」 声を張りあげつつ、不幸な彼は墓地の奥へと進んでいった。懐中電灯の光が揺れながら、、墓 石の間を移動していく。仲間たちはその光に向かって無責任な声援を投げかけた。 「がんばれよーっ ! 」 「ズルしてくるなよー ! 」 「後ろに気をつけてねー」 「幽霊に逢ったらョロシク ! 」 みんな、げらげら笑っている。送り出きれる側にとっては最悪な気分だ。女の子と組みにな
れなかったおかげで、お楽しみもない。ただただ怖いばかり。 できるだけ早く目的の場所に行って、さっさと役目を終わらせるに限る。そう思った彼は、 仲間たちから見えない程度に離れたなと判断するや、勢いよく走り出した。 広い霊園ではあるが、道に迷うことはない。ペットボトルを置く場所として指定した仏像へ は、きれいに整備された歩道をまっすぐ行けばいいのだ。真っ暗な横道や乱立する卒塔婆群に 目をくれてはいけない。ただひたすら走るべし。 右手に懐中電灯、左手にペッドボトルを握りしめ、彼は真剣に走った ~ たとえ何かが見えた としても、絶対に立ち止まるまいと心に誓って。 幸い、白い人影やタクシー待ちの女に出くわすこともなく、彼は無事に仏像の前にたどり着 すっと立った観音像が懐中電灯の光に浮かびあがる。明るい陽の光のもとだったら何も感じ の うなかっただろう半眼の顔が、夜だとなぜか無気味に見える。彼は目をそむけ、仏像と視線を合 をわせないようにしてペットボトルを台座の上に置いた。 そして、すぐさま方向を変え、もと来た道を引き返そうとしたのにー」・彼は突然、悲鳴をあ しりもち げて尻餅をついた。 足もとを青つばく光る何かがさっと走り抜けていったからだ。 「出た ! 」
殺で敵を仕留めていく。 そんなこ . とより 柊一はちゃんと虫除けスプレーをしてきたので、それほどの被害はない。、 とが も、見落とし聞き漏らしのないよう、周辺への神経を尖らせている。 そして、美也はずっと黙っていた。蚊を追ったりもしてない。虫除け対策をしてきたのかと びやくだん 柊一は思ったが、彼女から薬品系のにおいはしない。香ってくるのは白檀系のものだ。それ もきっすぎず、ごく自然にほんのりと香る。 不思議な印象を与える相手だった。とびきりの美人なのに、喜怒哀楽をほとんど表さない。 何事にも興味を示さないクールなタイプかと思いきや、なぜか肝試しなんぞについてくる。 怖いもの見たさからなのか。それともこの三人では危険すぎると判断し、保護者役を買って 出たのか。そんなお節介には見えないのだが。 ばさっ ぶらぶら歩いているうちに、仏像の前にたどりついた。一メートルあるかないかの菩薩像 の だ。灰色がかった石で刻れてあり、比較的新しいもののように見受けられる。 這 を これ自体には何も怪しいところはない。斜め下から懐中電灯の光を受けて、不気味な顔に見 夜 えるが、もともとの造作は一・般的なものだ 3 狩「ごのあたりで人魂が出たって言ったつけ」 柊一は懐中電灯の光をゆっくりと一巡させ、周囲を照らしてみた。真新しいびかびかの墓石 が光を反射させる。・一瞬、これかとも疑ったが、反射光は青白くないし、もちろん地を這い回
懐中電灯の光はそこまで届いていない。人影を照らすのは、サソリたちが発す 街灯は遠い。 くら る燐光のみ。こんな冥い光だけでどうしてこんなにはっきりとーーー彼女の姿は見えるのか。 セミロングの黒髪が、青みがかった光沢を帯びている。白い肌は陶磁器のような、作り物め しんえん いた硬い印象を与える。瞳は、底の知れぬ深淵。グロテスクなサソリたちを前にしても、眉ひ とっ動かさず、ゆっくりと歩いてくる。 美也だ。しかし、昼間とは雰囲気が違う。 もともと彼女は近寄りがたい空気をまとっていたが、いまはその比ではない。まるで内側か ら冷たい火を放っているようなーーさわると恐ろしいことになりそうな、そんな感じがするの えいしようも 彼女の歩みが止まった。両腕が頭上へ静かにあげられる。唇から、最初の詠唱が洩れいで のる。 、つ 這 を神よ願わくば テフィラティ わが祈りに耳を傾けたまえ 狩 その声を耳にした途端、柊一は総毛だった。 不思議な旋律。聞き慣れない発音。唯「、彼が知っていた単語は『エロヒーム』。神を表す ェロヒ アズイ ナ
柊一は首を傾げながら、北山霊園に向かっていた。彼の後ろからそろそろとついてくるのは 女の子三人「早紀子と萌と小城美也だ。 美也は自宅に戻らなかったそうで、セーラー服のまま。早紀子と萌は動きやすい格好に着替 えてきている。ふたりとも懐中電灯を持参。やる気まんまんだ。 そもそも彼には、肝試しなどといったお子さまの遊び、参加するつもりはさらさらなかっ こ。 - 彼はこの場所に、たったひとりで、調査のために来たかった。だが、彼女ら三人があっと いう間に待ち合わせ時間や場所を設定してしまい、断るに断れなくなったのだ。 しろうと かんこう すつばかすこともできた。しかし、彼女たち素人三人だけで肝試しを強引に敢行し、不測の 事態でも起こったりしたら非常に困る。寝覚めが悪い。結局、遠くで案じるよりも、近くで監 視していたほうがまだマシだと判断したのである。 ほそう 北山霊園へと続く道はきれいに舗装されて、街灯も完備されてあり、予想以上に整った感じ がした。、心霊的な何かを感じることもない。途中、早紀子と萌が霊園に伝わる怪談をいくつか を紹介してくれたが、どれもこれも創作っぱい 夜 たとえば霊感の強い誠志郎なら、むこうからうじゃうじゃ寄づてくるということもあるかも 狩しれない。だが「そういうのは、柊一にいわせれば馬鹿もいいところの馬鹿正直にいちいち応 蟶 . 対しているから、どうしようもないものまで拾うのであって、プロなら自己管理をしつかりし ろと思うのだ。、 かし
出たか、と瞬時に身体が緊張する。同時に、柊一ははとんど無意識に懐から鈴を取り出し ていた。 ひも 指先になじむ組み紐の感触。彼は投げ縄のようにそれを使う。 りん、と軽やかな音が響いて、鈴が飛ぶ。素早く墓石の後ろへ逃げこもうとしたそれに、赤 い組み紐がからみつく。すべてはほんの瞬間の出来事だった。 「どうした」 驚いた誠志郎が懐中電灯の光を柊一に向けた。 「馬鹿 ! まぶしいだろうが ! 」 怒鳴られた誠志郎は、すぐさま光の向きを変えた。照らし出されたのは、赤い組み紐にがん じがらめにされた白い生物だった。 のそれ自体は発光などしていないし、色彩も違う。紐にからめとられつつも、なんとか逃げよ ' , つうとばたっかせている短い手足は計四本サソリのような八本脚ではないし、大きなハサミも を持っていない。 そうぐう それは、かって柊一がこの街の地下で遭遇した白いサンショウウォだった。 霊「これって : 聖 早紀子が絶句する。その続きを、代わりに柊一が言った。 「地下から這い出てきたんだ」 ふところ
「プラックライトをあてると蛍光色に光るの。全部のサソリがそうなるかどうかは知らないけ れど」 へえっと声をあげ、早紀子と萌は感心したが、柊一は異議を唱えた。 「ちょっと待てよ。昨日の懐中電灯はプラックライトなんかじゃなかったぞ」 「そうね。やつばり普通のサソリとは違うってことかしら ? 」 そう言うと、もうサソリへの興味を失ったかのように舞いの練習に入った。 「きみ : : : 」 「気にしないで」 とことん、ゴーイング・マイウェイな相手のようだ。 舞いといっても神社での巫女舞い。それほど激しい動きがあるわけではない。鈴を振りなが ら、拝殿の中を歩いているだけである。 だが、 " 美也がやるとそれだけでは終わらない。白いシャツにプラックのジーンズというラフ をな格好でも、背筋を伸ばして優美に足を運ぶだけで、神事らしい厳かさが漂ってくるのだ。 夜 これでちゃんと巫女装束を着せて舞わせれば、それこそ息を呑むほど美しい空間が出現する 狩だろう。ひなびた神社は彼女という舞い手を得たことにより、本当の意味で神聖な場所となる 聖に違いない。桜田家がわざわざ彼女を指名したのもうなずけるというものだ。 萌も同じように感じたのか、うっとりとつぶやく おごそ