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検索対象: るるぶ ポルトガル
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1. るるぶ ポルトガル

1 スポン早わかり 街のすへてか見えてくる ! 大航海時代の栄枯盛衰を彷彿させる面影と、国際都市の薫りを PROFILE 併せもつ首都リスポン。テージョ川の河口に広がるこの港湾都市は ホルトガルの首都 坂が多く、また、大きく 7 つのエリアに分かれている形状から、 な約 51 万人 価約 85k Ⅲ ・フォス宮 3P30B3 観 @ORestauradores 光から徒歩 1 分 案 @Palåcio FOZ, Pr. dOS Restauradores 谷 213-463-314 朝 9 ~ 20 時のなし ・コメルシオ広場 ! P30E3 主要到死総 C Ⅱ ECK ! ・① 15 番 Com ℃ io から徒歩すぐ @P 「 . do Comércio 谷 210-312-810 朝 9 ~ 18 時のなし い ( 、 (las 、 ( ト リスポン北東部に広がる、万博跡地を 利用した複合公園。ショッビングセン ターをはじめ、カジノなどの娯楽施 設、レストラン、ホテルなどが入る。 ネーション・バーク リスポジ / オリ ' 土ンテ駅 ( ン、こションソ、 _ 外 ネーションバーグ 若者のデー トスポットと しても人気 Main spot 市北部 近年に開発されたエリアで、主に住 宅街や近代的なビジネス街になって いる。観光スポットは少なく、美術館や 工ンターティンメント施設が多い。 グルべンキアン美術館 新市街 聞牛ィースター ~ 10 月がシースン ) アルフアマ サン・ジョルジ ェ城を中心に 広がる地区。大 震災の被害を 免れたことで、 迷路のような 路地や急な坂 道など、リスポ ンで最も古い庶民の生活感があ 街並みが残る。ふれる下町工炉 サンジョルジェ城 カテドラル フアド博物館 バイシャ 「低地」という意味で、リス ポン大震災後、都市計画に 基いて再建されたエリア。 バリを手本とした整然と美し い街並みで、観光客向けの ショップやレストランも多い。 ロシオ広場 コメルシオ広場 公 ラ リべ ) ダー大通り アルフアマ ロシ ンタ・アボローニア駅 ラル イス・ド , ソドレ駅 Main S ot 市北部 " マケ , み占ンテイラ高殿 リベルダーデ大通りを中心に 広がるエリア。歴史的なみどこ ろは少ないが、中・高級ホテル を中心に、リスポンでは宿泊施 設が最も豊富に揃うエリア。主要な通りが放射状に 延びるポンバル侯爵広場 ノバル侯爵広場 工めアルド 7 世公園 (MAP/P29D3) 市西部のうち、テージョ 川河口に広がるエリア。 大航海時代に関わる 重要な歴史的みどころ が点在する。東側の川 沿いにはナイトスポット も集中している。 マヌエル様 ジェロニモス修道院 式が美しい べレンの塔 ペレンの塔 発見のモニュメント わかる ! Main S ot しント森林公園 4 月 25 日橋 Main S ot 見のモニュメント ンの塔 バイロ・アルト シア - ド 「高い土地」という意味の名のとおり、高台に ある。昼間は庶民の生活が見られる街並みだ ナ アウグスタ通りの西側から が、カーサ・ド・フアドやバー バイロ・アルトまでのエリ て が多く、夜中心のエリア。 ア。リスポン随一の繁華街 サン・ロケ教会 フ イ で、ブランド店やブティッ ビカの を ク、カフェが集まり、垢抜け ケープルカー 楽 た雰囲気が漂う。 サンタ・ジュスタのエレベーター カレ外通り 主要官庁が並ぶコメルシオ広場 の 街 リスポン大地震で壊滅、 海を渡り世界へ進出した 他民族の侵略により レコンキスタを経て 栄光の大航海時代 ハリを見本にした都市再建 水上交易の要衝に ポルトガルの新し、首都に 紀元前 1000 年頃、海の遊牧民フ 栄華を極めたリスポンの街は、大航海時代の終 8 世紀、ジプラルタル海峡を渡り、イスラム勢力の 1415 年、アフリカのセウタを攻略したポルトガ ェニキア人がイベリア半島に侵入 ムーア人がイベリア半島を征服。これに対し、北 焉や植民地経営の悪化とともに徐々に衰退し ルは、他国に先駆け大航海時代の先陣を切 する。紀元前 2 ~ 1 世紀には古代 部先住民のキリスト教徒によりレコンキスタ ( 国土 ていぐそれを決定付けたのが、 1755 年のリスポ る。工ンリケ航海王子の指揮下、造船や航海 ローマが台頭し、幹線道路の敷設 回復運動 ) が興る。 1143 年にはアフォンソ・エンリ ン大地震。ョーロッパ随一の美しさと讃えられた 術を発展させ、喜望峰やインド航路の発見、プ など都市建設や行政に加え、建築 ケスがポルトガル王国を建国、コインプラに首都を 街並みは、火災や大津波により、壊滅状態とな ラジル到達など数々の金字塔を打ち立てた。 や芸術、言語の面でも影響を受け 設置。レコンキスタは徐々に勢力を強め、南下し る。震災後は、宰相ポンバルにより近代都市化 アジアや南米からの香辛料や金銀、宝石類 た。この時代にキリスト教も伝来。そ ていく。 1249 年、イスラム が進められ、パリを見本に整然とした街が造ら はポルトガルに莫大な富をもた の後も、テージョ川河口という絶好 最後の砦となったファロ れた。それでも、壊滅を免れたアルフアマ地区に らし、 1495 年に即位したマヌエ の立地がゆえに、ゲルマン民族や を陥落、レコンキスタが完 は今なお中世の趣 ル 1 世の時代に最も繁栄する。 西ゴート族などの侵略を受ける 了する ( スペインの完了 が残り、新旧が交錯 その権力と財力を示すマヌエ より約 250 年前 ) 。のち する独特の街とし ル様式の壮麗な建築物が国 1255 年、リスポンは王国 て、世界中の旅行者 内各地に造されていった。 の新首都に制定される。 を魅了している。 大航海時代の象徴、 国土回復完了の象徴、 新市街の中心、リペ 目住新ベレンの塔 カテドラル ルダーデ大通り 古くは書店街と して有名たった Main Spot ・ P37 ・ P35 Main S ot Main S ot 紀元前 1200 年 ~ P36 Main S ot 1415 年 ~ 711 年 ~ 変遷する時代における政治の心、 サン・ジョルジェ城 ・ポルトが

2. るるぶ ポルトガル

・ 0 第ら 0 朝 0 なリ 0 0.0 、 0 第 0 シ 0 こ、 ウな第第 00 な 00 い ・ら朝朝 00 ーず 0 い 0 ′ 0 0 ゞよ 0 ツリ 0 り 0 0 0 当、 : 0 : ー第 00 第 な 0 0 な 0 ・ 0 い′を第朝心 . 第・ 3 0 0 0 ロ叮 - ーロ、 0 朝 0 0 ら . 0 を .0 00.0 物ら、、 0 ロ 靆を当洋 ユみ莓視こ・誕 .- 立立ゞ第 上ーこ第 : ド、・ ・①緑豊かな自然と豪害な邸宅群 が美しく調和② 1000 年以上の 昔から天然水が湧き出るムーア の泉 (MAP/P51B2) 3 シント ラ駅。構内にも観光案内所があ る 0 レププリカ広場を中心と は散策も楽しい シントラ 11 、にハ - 白工 リスポンからØEXCURSION 0 Sintra 3P2 引 夏の避暑地として王侯貴族に愛され、英国詩人バイロンが“工デンの 園”と護えた街。山間に瀟洒な建物カ貯み、箱庭のような美しさだ。 リスポンの北西約 30km 、日帰り観刑也としても人気力皜い。 す文自然と美しく調和した 歴史あるロイヤル・リゾート る化 街歩き M MO ~ 8 世紀頃に築かれたムーア人 王宮中心に点在。ムーア の城が街の起源とされる。 1 147 人の城跡、ペナ宮は中 年にアフォンソ・エンリケスによりポ 心地からは離れている ルトガルに併合されて以降は、王家の レププリカ広場を中心 宮殿や責族らの荘園 ( キンタ quinta) に休患に最適なカフェ が置かれ、文化の中心地としても繁栄 や食堂が点在する した。緑深い山間に豪奢な城館が見え 隠れし調和する文化的景観の美しさか レププリカ広場周辺に みやけ物店が数軒揃う ら、 1995 年、世界遺産に登録された。 ペナ宮からの眺めは必見。 ムーア人の城跡からは 街の全貌を一望できる 園 午前中の眺めが抜群 ントラ駅前からは観光の基点で From リスポン あるレププリカ広場、ムーア人 鉄道 : R で 40 分、 6 ~ 24 時くらいまで。 の城跡、ペナ宮を循環する 434 番のバ 約 20 分おき ス ( 切符は車内で購入。同日内は何戸 観光案内所レププリカ広場 でも乗降可 ) の利用がおすすめ。ます MAP/P51 B 1 @Praqa da RepübIica 23 は午前の眺望が素晴らしい城跡までバ 219-231-157 スで直行し、その後ペナ宮へ。最後に広 の 9 ~ 20 時 ( 10 ~ 5 月は ~ 19 時 ) 場に戻り王宮を見学すると効率的だ。 のなし ーホルトガル ショッピンク 眺望 〇〇 A C 0 S S 6 ムーア人の城跡から望むべナ宮のタ景 6 ムーア人の城跡。街か らは約 3km 離れている・レププリカ広場界隈にはレストランやカ フェ、みやけ物店が集まっている 3 荘園を意味する "QUINTA" の プレート⑨王宮の噴水。散水中庭なと水を使った造りが多い

3. るるぶ ポルトガル

8 世紀初め ~ お世紀中頃 ペドロとイネスの子、ドン・ジョアン ( ジョアン 1 世 ) が カスティーリヤとの国境を決めた アルカニゼス条約締結 ディニス王がリスポン大学設立。 エストレモスなどに城を築く アフォンソ・エンリケス ( アンリ伯の子 ) が る ポルトガル王国建国。コインブラに首都設置 送 を 使 、統新都都 呼本来改遷遷 卑、教化城安 国朝 代台和年年年年 時馬大 8 5 0 4 生邪】 3 4 1 9 LD ( 0 「ーマー 年年 頃 9 0 イスラム教徒のイベリア半島進入、西ゴート王国滅亡 紀 世 前 元 紀 ポルトガルの出来事 日本の出来事 日本とのつながりか深いホルトガルは有史以前からの 歴史的遺産が残るその長い歴史のなかで、 ホルトガルが黄金期を築いた大航海時代の幕開けから ホルトガル王政の終焉までをクローズアップして紹介 世界の価値観を - 新した 大航海時代の先駆け 1274 年・・・蒙古襲来 ( 文永の役 ) 1 281 年・・・蒙古襲来 ( 弘安の役 ) 1192 年・・源頼朝、 鎌倉幕府を開く 1385 、年・ ー 373 年・ 1348. 年 ー 297 ・ 1290. 圧・ ー 288 生・ ー 255. 年・ 1249 生・ ーー 87. 年 1179 生・ 1178 生・ 1143 年・ 世一・ 1064 年 997 ~ 平 878 生・ 868 生・ 0 722 年 718 生・ ~ 5 世紀 一「前紀元前 25 ー世紀・ 紀紀元前ー 000 年頃 バ世紀 ~ 76 世紀中頃 工ンリケ航海王子の 世界進出から大航海時代の黄金期 1415 年、エンリケ航海王子の指揮の . トルデシリャス条約 下、北アフリカの港町セウタ攻略を皮世界航海に進出していた レコンキスタと 切りに大航海時代が幕を開ける。工ンポルトガルとスペインの間 で領土の境界線を取り決 リケ航海王子の死後もジョアン 2 世のめた条約。東経 135 度から ポルトガル建国 指示で航路開拓はさらに活発になり、 西経 46 度までの東側をポ ルトガル勢力圏とした。 711 年、北アフリカからイスラム・アラブ勢力 1488 年のバルトロメウ・ディアスの 中世王国の確立と マヌエル様式・マヌエ のムーア人がイベリア半島に侵入し、約 6 世 喜望峰発見、 1498 年のヴァスコ・ダ・ ル 1 世の時代に発達した建 アヴィス朝の成立 紀にわたる支配が始まる。キリスト教に寛容 ガマのインド航路開拓、 1500 年のカ 築・芸術様式。海草やロー たったことで政治的には安定したが、キリス ブラルのブラジル発見、 1519 年のマ プ、天球儀など、海や船に 1249 年、アフォンソ 3 世が南部の街ファ ト教徒を中心にイスラム勢力に反発するレコ ゼランの世界一周と続いた。交易する・関するモチーフを多用した ロとシルウェスを征服し、ポルトガル全土 装飾が特徴。マヌエル様式 ンキスタが 718 年から始まる。この戦いには を インドやブラジルから香辛料や金銀な と呼ばれるようになったの のレコンキスタを終了させると、生産およ テンプル騎士団なども参加。ポルトガルの基 どの富を得て繁栄を極めた。 は 1 9 世紀に入ってから。 び外国との交易を中心とした経済へ移行 礎を創ったドン・エンリケ ( アンリ伯。のちのポ する。そして、中世ポルトガルはディニス ルトウカレ伯爵 ) はドウロ川以北とテージョ川 工ンリケ航海王子一〃 ( 1394 ~ 1460 年 ) 王の治世期に最盛期を迎える。王権の強 以南を奪回。その息子アフォンソ・エンリケス 尋 ) ポルトガル王ジョアン 1 世の第 5 子としてポルトに生まれる。ポルトガル 化に努め、 1290 年にはコインブラ大学 はさらにレコンキスタを進め、 1143 アルコバサのを の海外進出の先駆者であり最大の功労者。北アフリカのセウタ攻略に の前身となるリスポン大学を創設した。ま 年にポルトガル王国を建国した。 サンタ・マリア 参加し、帰国後はサグレス岬で航海者を育成した。 修道院 ( → P56 ) た、ディニス王の時代には農業も発達し、 レコンキスタ・・キリスト教徒を中心 に、 71 1 ~ 1249 年の長期間にわたりイ 都市と農村部の間でワインやオリーブオ マヌエル 1 世 ヴァスコ・ダ・ガマ ペリア半島を支配してきたイスラム教 イルなどの取引が盛んになる。 勢力を追放するための戦い。日本語で Ma イ I は国土回復運動と呼はれる。 ( 1469 ~ 1521 年 ) ( 1469 年頃 ~ 1524 年 ) テンプル騎士団・・修道生活と騎士 人物列伝 道が一体化した騎士修道会。第一次十「 ディニス王 D ム 1261 ~ 1325 年 ) 字軍遠征のときに創設された。レコンキ スタで活躍し、その功績に対してアフォンソ 1 世から 第 6 代ポルトガル王。王権の強化を積極的に進め、中 土地を譲り受け、堅牢な城塞を築いてその地をトマ 央集権化を推進する目的でローマ法を導入した。ま ールと名付けた。 13 世紀末、フランスの国王フィリッ た、その専門家を育成する学校を 1290 年にリスポン プ 4 世の陰謀によって解散に追し、込まれた。 に創設。これがのちのコインブラ大学となった。 } カブラル マゼラン な人物列伝 み 0 ノん C / ( 1468 年頃 ~ 1520 年 ) ( 1480 年頃 ~ 1521 年 ) アフォンソ・エンリケス ヴァスコ・ダ・ガマのインド遠征を引き継ポルトカル生まれの航海者。ポルトガル / 加 0 〃どお ( 1109 ~ 1185 年 ) いだ航海者。キリスト騎士団のメンバーの東方遠征に数多く参加するが、モロッ ポルトガル王国を建国した初代ポルトガル王。 1 179 年にロー でもあり、マヌエル 1 世の顧問官としてコ遠征でのムーア人との取引が王の不 マ教皇カら正式に王国の承認を得る。権力の基盤を強化する も仕えた。 1500 年、インド遠征の途中で審を買いスペインに亡命。その後、史上 & - ブラシルに漂着したことで知られる。 ため、アルコバサに修道院を建設し、レコンキスタを進めた。 初の世界一周航海を成し遂けた。 ポルトガ ' ル、 丘の頂上に立つ コインブラ大学 ( → P62 ) ロ」 - 三 . 当き・い ' をも攣い - お世紀後半 ~ 74 世紀後半 史上のキーポイント総ざらい 0 … 0 00 9 リスポンの発見の モニュメント ( → P35 )

4. るるぶ ポルトガル

= 8 世紀初め ~ お世紀中頃 ペドロとイネスの子、ドン・ジョアン ( ジョアン 1 世 ) が アルジェバロータの戦いでカスティーリヤを退ける 日イギリスとの攻守同盟条約 日ベストの大流行 カスティーリヤとの国境を決めた アルカニゼス条約締結 ディニス王がリスポン大学設立。 エストレモスなどに城を築く 日ディニス王がオビドスを王妃イサベルの直轄地にする 目サンショ 1 世がブラガンサの城を建設 日ローマ教皇がポルトガル王国を承認 日アルコバサの修道院着工 アフォンソ・エンリケス ( アンリ伯の子 ) が る ポルトガル王国建国。コインブラに首都設置 送 を 使 、統新都都 呼本来改遷遷 弥日伝の京京 ( ) 日アンリ伯がポルトを奪回 卑、教化城安 の廷仏大平平一 ) 目キリスト教がコインブラ入植 国朝 目キリスト教徒がポルト入植 代台和年年年 時馬大 8 5 0 4 0 コバドンガの戦い、アストウリアス王国成立 生邪【 3 4 1 9 頃 9 0 イスラム教徒のイベリア半島進入、西ゴート王国滅亡 ( 0 LO 紀 CV っ 世 前 元 紀 冒ローマ人によるイベリア半島支配 日フェニキア人のイベリア半島侵出 ポルトガルの出来事 日本の出来事 日本とのつながりが深いホルトガルは有史以前からの 歴史的遺産が残るその長い歴史のなかで、 ポルトガルが黄金期を築いた大航海時代の幕開けから ポルトガル王政の終焉までをクローズアップして紹介 世界の価値観を一新した 大航海時代の先駆け 1274 年・・・蒙古襲来 ( 文永の役 ) 1281 年・・・蒙古襲来 ( 弘安の役 ) 1192 年・・・源頼朝、 鎌倉幕府を開く 〃世紀〃世紀 紀元前 75 世紀 ~ 76 世紀中頃 工ンリケ航海王子の 世界進出から大航海時代の黄金期 1415 年、エンリケ航海王子の指揮のトルデシリャス条約 下、北アフリカの港町セウタ攻略を皮、世界航海に進出していた 切りに大航海時代が幕を開ける。工ンポルトガルとスペインの間 で領土の境界線を取り決 リケ航海王子の死後もジョアン 2 世のめた条約。東経 1 35 度から 指示で航路開拓はさらに活発になり、 西経 46 度までの東側をポ ルトガル勢力圏とした。 1488 年のバルトロメウ・ディアスの マヌエル様式・・マヌエ 喜望峰発見、 1498 年のウアスコ・ダ・ ル 1 世の時代に発達した建 ガマのインド航路開拓、 1500 年のカ 築・芸術様式。海草やロー ブラルのブラジル発見、 1519 年のマ プ、天球儀など、海や船に ゼランの世界一周と続いた。交易する関するモチーフを多用した 装飾が特徴。マヌエル様式 インドやブラジルから香辛料や金銀な と呼ばれるようになったの どの富を得て繁栄を極めた。 は 19 世紀に入ってから。 工ンリケ航海王子 1 〃 D 〃 ( 1394 ~ 1460 年 ) ポルトガル王ジョアン 1 世の第 5 子としてポルトに生まれる。ポルトガル の海外進出の先駆者であり最大の功労者。北アフリカのセウタ攻略に 参加し、帰国後はサグレス岬で航海者を育成した。 をマヌエル 1 世 第ヴァスコ・ダ・ガマ M / I “ 0 ゐ G 加 ( 1469 ~ 1521 年 ) ( 1469 年頃 ~ 1524 年 ) カブラル マゼラン ルみ。イん C な / ( 1468 年頃 ~ 1520 年 ) ( 1480 年頃 ~ 1521 年 ) ヴァスコ・ダ・ガマのインド遠征を引き継ポルトガル生まれの航海者。ポルトガル いた航海者。キリスト騎士団のメンバーの東方遠征に数多く参加するが、モロッ でもあり、マヌエル 1 世の顧問官としてコ遠征でのムーア人との取引が王の不 も仕えた。 1500 年、インド遠征の途中で審を買いスペインに亡命。その後、史上 & ブラジルに漂着したことで知られる。 初の世界一周航海を成し遂けた。 丘の頂上に立つ コインブラ大学 ( → P62 ) レコンキスタと ポルトガル建国 711 年、北アフリカからイスラム・アラブ勢力 中世王国の確立と のムーア人がイベリア半島に侵入し、約 6 世 紀にわたる支配が始まる。キリスト教に寛容 アヴィス朝の成立 だったことで政治的には安定したが、キリス 1249 年、アフォンソ 3 世が南部の街ファ ト教徒を中心にイスラム勢力に反発するレコ ンキスタが 718 年から始まる。この戦いには ロとシルヴェスを征服し、ポルトガル全土 のレコンキスタを終了させると、生産およ テンプル騎士団なども参加。ポルトガルの基 び外国との交易を中心とした経済へ移行 礎を創ったドン・エンリケ ( アンリ伯。のちのホ する。そして、中世ポルトガルはディニス ルトウカレ伯爵 ) はドウロ川以北とテージョ川 王の治世期に最盛期を迎える。王権の強 以南を奪回。その息子アフォンソ・エンリケス 化に努め、 1290 年にはコインブラ大学 はさらにレコンキスタを進め、 1143 アルコバサの の前身となるリスポン大学を創設した。ま 年にポルトガル王国を建国した。 サンタ・マリア 修道院 ( → P56 ) た、ディニス王の時代には農業も発達し、 レコンキスタ・キリスト教徒を中心 に、 71 1 ~ 1249 年の長期間にわたりイ 都市と農村部の間でワインやオリーブオ ペリア半島を支配してきたイスラム教 イルなどの取引が盛んになる。 勢力を追放するための戦い。日本語で は国土回復運動と呼ばれる。 テンカレ騎士団・・修道生活と騎士 人物列伝 道が一体化した騎士修道会。第一次十「 ディニス王 D なム 1261 ~ 1325 年 ) 字軍遠征のときに創設された。レコンキ スタで活躍し、その功績に対してアフォンソ 1 世から 第 6 代ポルトガル王。王権の強化を積極的に進め、中 土地を譲り受け、堅牢な城塞を築いてその地をトマ 央集権化を推進する目的でローマ法を導入した。ま ールと名付けた。 1 3 世紀末、フランスの国王フィリッ た、その専門家を育成する学校を 1290 年にリスポン プ 4 世の陰謀によって解散に追し、込まれた。 に創設。これがのちのコインブラ大学となった。 一 % ' 人物列伝 アフォンソ・エンリケス / 郷 0 〃″ィ 5 ( 1109 ~ 1 185 年 ) ポルトガル王国を建国した初代ポルトガル王。 1 179 年にローむ マ教皇カら正式に王国の承認を得る。権力の基盤を強化する ため、アルコバサに修道院を建設し、レコンキスタを進めた。 お世紀後半 ~ 74 世紀後半 0 0 00 9 こ ポルトガル、 リスポンの発見の モニュメント ( → P35 )

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: 赤茶色の屋根が連なる世界道産工リアへ 戸に第、 ー当をトい一 - 園駆ー鄲「第年 1 を , 旅情 A 田 V 乢 ・ラ・ノウア・デ・アから眺めた旧市街。 - - クと製ス教会の塔がひときわ目を引く P@RO 観光 ハイライト カテドラルの修道院内も 美しいアズレーショで られている をイに 「ポルトの歴史地区」として 1996 年に世界遺産に登録されたポルト。 ドウロ川河口の丘陵地に広がる港町で、中世以来、商業都市として 栄えた。今なおその面影が残る壮麗な歴史遺産めぐりを楽しもう。 所要 約 3 時間 30 分 ルート PLAN サン・ペント駅・・ 15 分 ・な徒歩 3 分 カテドラル・・・ 30 分 - な徒歩 13 分 工ンリケ航海王子 広場・・・ 15 分 ・徒歩すく ポルサ宮・・・ 30 分 ・な徒歩 1 分 サン・フランシスコ 教会・・・ 30 分 ・な徒歩 8 分 クレリゴス教会と塔・ ・・ 60 分 リヴラリアをレ Y. デ クレリゴス教会と塔・ 工リア NA Ⅵ 即解 ! 健脚度 ローカル度 グルメ度 カルチャー度 ショップ度 歩き方のコツ 移動範囲は狭いが急な坂道 が多いため、スホット問の移 動時間に余裕をもっておこ う。通りは石畳がほとんどな ので、滑りにくく履き慣れた 靴の用意を忘れすに。 リベル名ーテ広場 クレリゴス通り・・ サン・べント駅 ・ボルサ宮 カテドラル 工ンリケ航海王子 広場、り ・カープ : ド・インファンデ サン・フランシスコ教会 歴史地区の ←街角の床屋さん。ポルト の素朴な日常シーンを探 しながら歩くのが楽しい ↓ドウロ川沿いにはカモメ がいつはい。人間によく慣 ている da Müsica - ・、 5 竓 BOCK ロ コ 旧Ⅱ ・ 200m を第」 11 第 ↑ライトアップさ れた重厚な趣のサ ン・ペント駅。夜遅 くまで人の往来が オ 絶えなし、←街の 中心、リベルダー デ広場で街のスケ ッチに励む可愛い 未来の芸術家たち ポルトガル

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, 0 工物ドは 01 さ第社 い、 9 町、 を : 第に コインプラ セントロ Coimbra P2 引 ホルトガル屈指の名門コインブラ大学を中心とする街。活気あふれる 学生の街としての雰囲気と、中世の建築物カ贓多く残る大学周辺の旧 市街の趣が、歩んできた歴史の多様さを物語っている おすすめルート 所要約 4 時間 ポルタシェン広場から START ! 300 年にわたるイスラム・アラブ 徒歩 20 分 の支配を経たのち、 1 143 年のポ 1 ルトカル建国時にはこの土地に首都が置 ① 徒歩 3 分 かれ、 1255 年までプルゴーニュ王朝の中 2 ① 徒歩 5 分 心地として栄えた。遷都後はコインプラ 大学を中心に学生の街として知られるよ みやけ物店をチェックしながら うになり、現在はリスポン、ポルトに次ぐ フェレイラ・ホルケス通りへ ポルトガル第 3 の都市へと発展を遂げた。 ① 徒歩 1 0 分 コインプラ大学の 時計塔を目印に歩こう / 土 - 歩きの起点は駅から 3 分ほどのサン 街歩き M MO タ・クララ橋の右岸にあるポルタ ジェン広場。そこから北へ真っ直ぐ延び コインプラ大学をはじめ、 モンデーゴ川右岸に集中 るフェレイラ・ポルゲス通りが街の中心 で、大勢の人々で賑わう。みどころが集ま コメルシオ広場やソタ る旧市街は迷路のように路地が入り組ん 通り周辺に店が多い でいるが、迷ったときは丘の頂にあるコ フェレイラ・ホルケス インプラ大学の時計塔を目印に歩こう。 通り沿いに店が並ぶ サンタ・クララ橋から 丘の頂上にある大学 と街の様子を一望 From リスポン ①金泥装飾が施された本棚が美しいコインプラ大学旧校舎の図書館 鉄道 : サンタ・アポローニア駅か コインプラ大学旧校舎への入口「鉄の門」 3 サンタ・クルス修道院内部 らコインプラ B 駅まで所要約 1 時 間 50 分、 1 日 6 本 コインプラ大学 サンタ・クルス修道院 新カテドラル 旧カテドラル バス : セッテ・リオス・バスター Universidade de ( oi 「 0 P63 B2 Mo 引 ei 「 0 de 5 聞 ta Cruz 四 P63A2 No ” P63A3 VeIha OP63B2 ナルから所要約 2 時間 20 分。 1 日 街を象徴するホルトガルの最高学府 壁を飾るアズレージョが見事 細な装飾の数々は見逃せない 旧市街の中腹に佇む教会 21 ~ 30 本 ルカソバの丘に立つポルトガ 31 年にアフォンソ・エンリ 98 年に着工し、完成に約 18 フォンソ・エンリケスにより ケスが創設した修道院。 18 年を費やしたイエズス会の教 ル最古の大学。 1537 年、正式 1 2 世紀中頃に建造。ムーア人 From ポルト 世紀のアズレージョに覆われた内部 会。ターリヤ・ドウラーダ ( 金泥細工 ) こに置かれた。みところは蔵書 の侵略を恐れ要塞としても使われた 鉄道 : カンバニャン駅からコイ 30 万冊以上という旧校舎の図書館 が施された祭壇の飾り壁や天使を飾 堅牢な外観が印象的。内部ではゴシ の壁面や、マヌエル様式の傑作とい ンプラ B 駅まで所要約 1 時間 10 ったノヾイブオルガンが美しい。 と学位授与に使われた「帽子の間」。 われる「静寂の回廊」は必見。 ック様式の祭壇などを見学できる。 ・ポルタジェン広場から徒歩 20 分 @Pa ・ポルタジェン広場から徒歩 5 分 @Pra ・ポルタジェン広場から徒歩 10 分 @Lar 分、 1 日 3 本 ・ポルタジェン広場から徒歩 7 分 @Lar 00 das Escolas 容 239-859-818 8 de MaiO go da Sé NOV go da Sé Velha 容 239-825-273 バス : バターリャ広場近くのバ の 11 月 1 日 ~ ィースター前の金曜 : 9 時 30 分 容 239-822- a 容 239-82 の 10 ~ 18 時 ( 金曜は ~ 16 時 ) 0 なし朝 スターミナルから所要約 1 時間 ~ 17 時。それ以外の期間は 8 時 30 分 ~ 19 941 の 9 ~ 1 2 138 の 8 時 30 なし ( 回廊は毛 1.50 ) 25 分、 1 日 1 1 ~ 12 本 時のなし朝毛 7 時、 14 時 ~ 17 時 分 ~ 12 時、 14 時 グ 3 0 分 ( 日曜は ~ 18 時 30 分 ( 日 教小 / 会さ 6 観光案内所ポルタジェン広場 16 ~ 18 時 ) のな 曜は 9 時 ~ 12 時 。 = のな MAP/P63B1 @Largo da ドの し朝なし ( 宝物 30 分、 17 ~ 19 時 ) ホ間 館は毛 2 . 5 0 ) ・月曜朝なし 面場 Portagem 239-834-038 入に の 9 ~ 20 時 ( 冬期は 9 時 30 分 ~ 18 ルが 1 6 世紀にマヌ 正面の上部はバ ロ面 入あ し 時。土・日曜は 9 時 30 分 ~ 13 時、 14 工ル 1 世により . ーー ロック様式、下部 ロる 改築された′・ た はホ丿外ガル様式 時 30 分 ~ 18 時 ) のなし ポルトガル ー ~ を & 第年ポルトガル新王国の 首都から大学都市へ 約 0 0 旧カテドラル 0 サンタ・グレス修道院 0 ランチ ( ドン・ペドロ ) ショッヒンク 眺望 〇〇 A C 0 S S

7. るるぶ ポルトガル

Lisboa TrafficInformation 坂の多いリスポンでは、短い区間であっても高低差がかなりあるため、 市内を縦横無尽にカバーする公共交通機関を上手に利用して散策しよう。 中心部はトラムやノヾス、市北部やオリエンテ駅方面へは地下鉄が便利た。 ( リスポンへの交通 ) ( 市内交通 ) 駅前や主要広場で待機 タクシーするほか、流しもある。 青線 Linha AzuI, 黄線 Linh 色は大半がクリーム色 a AmareIa 、緑線 Linha Ver で、稀に黒い車体もあ de 、赤線 Linha Vermelho 時頃。ロシオ広場、コメルシオ広場に多 る。料金体系は共通で、メーター制。 くのバスが停車する。乗り場には黄色 メーター番号は 2 種あり、 TI ( 月 ~ 金 ンの国際空港、リスポン空港 Aeropo 4 路線。運行は 6 時 の表示板が立ち、複数の路線が発着す 曜 6 ~ 21 時 ) は基本料金毛 2 、以降は 「 tO de Lisboa(MAP/P29A3)0 街 30 分 ~ 翌 1 時。詳・ る。乗車は前からで切符毛 1 .40 は運転 333.3m ごとに毛 0.15 すっ加算さ の中心部までは約 7km 。到着ロビー 細は•www.me 手から買い、刻印機に通す ( チャージ済 れる。 T2 ( 月 ~ 金曜の 21 時 ~ 翌 6 時お を出たところにノヾスやタクシーの乗 みの℃切符はパネルにタッチ ) 。降車 0 ⅱ sboa. pt を参照。 よび土・日曜、祝日 ) は基本料金毛 2.50 、 り場がある。 時は車内のホタンを押すと、前方に 以降は 2777m ことに毛 0.15 すっ加 切符の種類と料金 料金はゾーン制にな Parar もしくは Stop の表示が点灯する。 算。トランクを利用する場合、荷物 1 っており、「 Coroa 凵 フライトインフォメ 降車は後ろのド 個につき毛 1 .60 、配車してもらう場 と「 CO 「 oa 1 」の 2 つ ーションは アから。 合は毛 0.80 の加算となる。ドアは自 wvvw. ana-ae 「 0 がある。リスホン市 分で開閉して乗り込み、行き先を告 PO 「 tOS. pt 内なら「 Coroa 凵の パス停に設置されて 1 ゾーン分 ( 以下の金 ける。英語がわからない運転手もい いる路線図で確認を 額 ) で OK 。切符 B ⅱ hete は℃チップ式で、最 空港から市内へ るので、ポルトガル語の - 〒 11 - 初の購入時に発券代毛 0.50 が必要。自動券 空港バス・・・リベルダーテ大通りを経由し カリス社による運営。主な メモがあると便利。発車 売機でチャージすれば何度でも利用可能た。 てカイス・ド・ソドレ駅へ行くエアバス トラム 観光ポイントを網羅する。 後はメーターが作動して 片道 Sim es 毛 0.80 、往復 a de VO は a 毛 1. と、セッテ・リオス・バスターミナルを経 EIéctrico 45 、 10 回券 Simples 10 Unidades€7.300 旅行者にとって利用価値の いるか必す確認を。 由する 2 路線がある。運行時間は 7 ~ 23 地下鉄、ノヾス、トラム、ケーブルカー、サンタ・ 時、 20 ~ 30 分間隔。料金毛 3.10 は乗車 高い路線は以下の 3 路線。 ジュスタのエレベーター ( → P36 ) が乗り放題 時に運転手へ直接支払う。チケットは 1 ① 12 番・フィゲイラ広場発着でアルフアマを になる共通 1 日券 Viva Viagem は毛3.700 日券も兼ね、カリス社 Ca ⅲ s 運営の交通 1 周 (PQ. Figueira&Po. Figueira) 旧坂を上るのに便利な 機関 ( 右記 ) が 1 日乗り放題になる。 乗り方 ② 15 番 : フィゲイラ広場からべレン方面へ タクシー・市内中心部まで約 15 分、料金 手段。路線は 3 つあり、 駅を探す・・・入口付近にある は荷物込みで毛 9 ~ 1 0 程度。 (PO. Figueira&Algés く Jardim 〉 ) バイロ・アルトとリペ 「 M 」の文字が目印。 パス・・ロシオ広場など中心部へは 2 ・ 6 ・ ー - ′ルターデ大通りを結ぶ ① 28 番 : バイロ・アルト、バイシャ、アルファ 11 ・ 44 ・ 83 ・ 745 番のバスが通っている。荷 2 切符を買う・・自動券売機か窓 マを縦断 (). Alfåndega&Cemitéri0 Ajuda) グロリア線 ( MAP / P30B2 ~ 3 ) 、バイ 物が少ない人や安く行きたい人に便利。 口を利用。券売機は表示言言ロ、 乗り場はノヾスと同様の黄色の看板が目 チケットの種類、枚数の順に ロ・アルトとリべイラ広場近くを結 リスポンには複数の駅 選択してお金を入れる。初回 印で、 E の付く番号がトラムを示してし、る。 ぷピカ線 (MAP/P30C&D1) 、 列車 以降は、ます力ードを挿入し があり、発着先により 旧型車両の場合は前乗り・後ろ降り。 レスタウラドレスとその東の Trem てから同様の手順を行う。 異なる。ポルトなど北 切符毛 1 .40 は乗車時に運転手から買 アンジョス地区を結ぶラヴラ 3 刻印機にタッチする・・緑の矢 部からの列車と国際列 う ( チャージ済みの℃切符はハネルに 線 (MAP/P30A3) 。切符毛 1.40 印が点灯する改札機を通る。ヤ 車が発着するのがサンタ・アポロー 青いパネルにカードをかざす タッチ ) 。新型車両の場合は、どの扉か は乗車時に運転手から買って とゲートが開く。 ニア駅 Santa ApolÖnia(MAP/P31 乗る ( チャージ済みの℃切符ー らも乗り降り自由で、切符は車両内に 0 乗車・下車する・・・行き D7 ) 。シントラ方面への列車はロシ ある自動券売機で購入 ( 運転手からの はバネルにタッチ ) 。 先は各路線の終着駅名 オ駅 Rossio(MAP/P30B3) 、カスカ 直接購入・両替はで : / ロ ! ユ 1 か表示されている。下 イス方面への列車はカイス・ド・ソド 車後は再びカードをか きない ) 。いすれも刻 ざし改札の外へ。目的 レ駅 Cais do Sodré(MAP/P30E1) 印機を通すこと。 観光の味方 ! の駅に着いたら、出口 に発着する。詳 Saida の表示に進む。 細は www. ・リスポンカード cp. pt を参照。 有効期間内であれば 〇オディヴェラス Odivelas 地下鉄とバス、トラ ニョール・ロウバド Senhor Roubado ム、ケーブルカーが アメイショ工イラ 乗り放題となるうえ、リスポン市内 Ameixoeira ルミアル の美術館や観光スポットに無料もし アマドラ・エステ ー Lumia 「 Amadora Este オリエンテ キンタ・ダス・コンチャス くは割引料金で入場できる、観光に アルフォルネロス 0riente Quinta das Conchas Alfo 「冊 s カボ・ルイヴォ 便利なカード。使用期間別に 3 種類 ンボ・グランデ ポンティーニャテリエイラス CabO RuiVO Telheiras po Grande Pontinha あり、 24 時間毛 17 、 48 時間毛 28.50 、 アルウアラーデ カルニーデ camide リヴァイス valade シダーデ・ 72 時間毛 35 。空港やなどで購入可。 レジオ・ミリタール / ルス 01ivaiS ウニヴェルシタリアローマ COIégiOMiIitar/Luz ルト・ドス・ ンエラス Chelas oma Cidade Univers1tåria ィーニョス 、、ラ・ヴィスタ 工ントレ・カンボス アレエイロ A は 0 dos Moinhos Bela Vista Areeiro Entre Campos ラランジェイラス ライアス OIaias 交通情報はで カンボ・ペケーノ La 「 anjeiras Campo Pequ ラメダ ジャルディン・ズーロジコ Alameda Jardirm ZoolÖgico フォス宮 (MAP/P30B3) プラサ・デ・エスパーニャ アロイオス しダーニャ Praqa de Espanha Saldanha レスタウラドレス広場に面する案内 サン・セバスチャン アンジョス S 目 0 Sebastiäo AnjOS 所。ツアー案内や無料地図の配布の parque バルケ Picoas インテンデンテ マルケス・デ・ポンバル ほか、公式グッスなどを販売している。 lntendente アヴェニーダ Marqués de Pombal 0 マルティン・モニス venida 朝 9 ~ 20 時・なし Martlm Moniz RatO ラト コメルシオ広場 (MAP/P30E3) ロシオ R テレイロ・ド・パソ レスタウラドレ トラムやバスが多く発着する広場に Restauradores Terreirodo Paqo カイス・ド・ソドレ ある案内所。 Cais do バイシャ - シアードサンタ・アボローニア 朝 9 ~ 18 時 0 なし Santa ApoIönia Baixa-Chiado ・ O で扱うタクシーパウチャーなら市内中心部まで、月 ~ 金曜 6 ~ 21 時毛 16.91 。平日の 21 時以降および土・日曜、祝日毛 20.28 。割高で はあるが、ボラれる心配はない リスポンの交通 ときどき検札か行われる 発券代 毛 O. 50 十各料金 運賃は日本と比べて安い ケ - ブルカ - 日 evador イ 0 坂の途中で勝手に下車することはてきない 2 両編成の新型車両 地下鉄路線図 し′ 0 と ゾーン 1 「 oa 1 各駅とも市内中心部に 位置し、アクセス至便を一 複数のターミナルがあ バス り、バス会社や発着先 Autocarro によりターミナルが異 なる。国内各都市とリ スポンを結ぶバスはセッテ・リオス・ バスターミナル Sete-Rios (MAP/P 29A2 ) 、オビドスなどリスポン近郊 へはカンボ・グランデ・バスターミナ ル Campo Grande(MAP/P29A2) 、 長距離ノヾスなど多くの便がオリエン テ・バスターミナル Oriente(MAP/ P29A4 ) に発着 ・経由する。 ゾーン L Coroa L - 青線 Linha ⅵ 黄線 Linha Amarela - 緑線 LinhaVerde - 赤線 Linha Ve 「 melho 第いー第 ターミナルはいすれ も中心部から離れた ところにある ポルトガル

8. るるぶ ポルトガル

Lisboa TrafficInformation 坂の多いリスポンでは、短い区間であっても高低差がかなりあるため、 市内を縦横無尽にカバーする公共交通機関を上手に利用して散策しよう。 中心部はトラムやバス、市北部やオリエンテ駅方面へは地下鉄が便利だ。 ( リスポンへの交通 ) ( 市内交通 ) 駅前や主要広場で待機 タクシーするほか、流しもある。 青線 Linha Azuk 黄線 Linh 色は大半がクリーム色 a AmareIa 、緑線 Linha Ve 「 で、稀に黒い車体もあ de 、赤線 Linha Vermelho 時頃。ロシオ広場、コメルシオ広場に多 る。料金体系は共通で、メーター制。 くのバスが停車する。乗り場には黄色 メーター番号は 2 種あり、 TI ( 月 ~ 金 ンの国際空港、リスポン空港 Ae 「 0P0 4 路線。運行は 6 時 の表示板が立ち、複数の路線が発着す 曜 6 ~ 21 時 ) は基本料金毛 2 、以降は 「 tO de Lisboa(MAP/P29A3)o 街 30 分 ~ 翌 1 時。詳・ る。乗車は前からで切符毛 1 .40 は運転 333.3m ごとに毛 0.15 すっ加算さ の中心部までは約 7km 。到着ロビー 細は•www.me 手から買い、刻印機に通す ( チャージ済 れる。 T2 ( 月 ~ 金曜の 21 時 ~ 翌 6 時お を出たところにバスやタクシーの乗 trdisboa.pt を参照。 みの℃切符はパネルにタッチ ) 。降車 よび土・日曜、祝日 ) は基本料金毛 2.50 、 り場がある。 時は車内のボタンを押すと、前方に 切符の種類と料金 以降は 2777m ごとに毛 0.15 すっ加 料金はゾーン制にな Parar もしくは Stop の表示が点灯する。 算。トランクを利用する場合、荷物 1 っており、「 co 「 oa 凵給 フライトインフォメ 降車は後ろのド 個につき毛 1 60 、配車してもらう場 と「 Coroa 1 」の 2 つ ーションは アから。 合は毛 0.80 の加算となる。ドアは自 ー WWW. ana-ae 「 0 がある。リスポン市 分で開閉して乗り込み、行き先を告 po 「 tOS. pt 内なら「 Co 「 oa 凵の バス停に設置されて 1 ゾーン分 ( 以下の金 ける。英語がわからない運転手もい いる路線図て確認を 額 ) で OK 。切符 B ⅱ hete は℃チップ式で、最 空港から市内へ るので、ポルトガル語の ' 〒 1 ' 初の購入時に発券代毛 0.50 が必要。自動券 空港バス・・・リベルダーデ大通りを経由し カリス社による運営。主な メモがあると便利。発車 売機でチャージすれは何度でも利用可能た。 てカイス・ド・ソドレ駅へ行くエアバス トラム観光ポイントを網羅する。 後はメーターが作動して 片道 Simp s 毛 0.80 、往復 a de VO は a 毛 1. と、セッテ・リオス・バスターミナルを経 日éc ⅲ co いるか必す確認を。第一、 45 、 10 回券 Simples 10 Unidades€7.300 旅行者にとって利用価値の 由する 2 路線がある。運行時間は 7 ~ 23 地下鉄、バス、トラム、ケーブルカー、サンタ・ 時、 20 ~ 30 分間隔。料金毛 3.10 は乗車 高い路線は以下の 3 路線。 ジュスタのエレベーター ( → P36 ) が乗り放題 運賃は日本と比べて安い 時に運転手へ直接支払う。チケットは 1 ① 12 番 . フィゲイラ広場発着でアルフアマを になる共通 1 日券 Viva Viagem は毛3.700 日券も兼ね、カリス社 Ca ⅲ s 運営の交通 1 周 (PO. Figueiræ•Po. Figueira) 旧坂を上るのに便利な 機関 ( 右記 ) が 1 日乗り放題になる。 トブルカ - 乗り方 ② 15 番 . フィゲイラ広場からペレン方面へ 市内中心部まで約 15 分、料金 手段。路線は 3 つあり、 日 e do 「 阯駅を探す・・・入口付近にある は荷物込みで毛 9 ~ 1 0 程度。 ( PO. Figueira&Algés く Jardim 〉 ) バイロ・アルトとリべ 「 M 」の文字が目印。 ロシオ広場など中心部へは 2 ・ 6 ・ 328 番 : バイロ・アルト、バイシャ、アルファ ルターデ大通りを結ぶ 11 ・ 44 ・ 83 ・ 745 番のバスが通っている。荷 2 切符を買う・・自動券売機か窓 マを縦断 ( R Alfåndega&Cemitério Ajuda) グロリア線 ( MAP / P30B2 ~ 3 ) 、バイ 物が少ない人や安く行きたい人に便利。 口を利用。券売機は表示言語、 乗り場はバスと同様の黄色の看板が目 ロ・アルトとリペイラ広場近くを結 チケットの種類、枚数の順に リスポンには複数の駅 選択してお金を入れる。初回 印で、 E の付く番号がトラムを示している。 ぷヒ、カ線 (MAP/P30C&D 1 ) 、 -- ー -- -- -. - ー 7 列車 以降は、ます力ードを挿入し があり、発着先により 旧型車両の場合は前乗り・後ろ降り。 レスタウラドレスとその東の Trem てから同様の手順を行う。 異なる。ポルトなど北 切符毛 1 .40 は乗車時に運転手から買 アンジョス地区を結ぶラヴラ 3 刻印機にタッチする・・緑の矢 部からの列車と国際列 う ( チャージ済みの℃切符はハネルに 線 (MAP/P30A3) 。切符毛 1 40 印が点灯する改札機を通る。 車が発着するのがサンタ・アポロー 青いパネルにカードをかさす タッチ ) 。新型車両の場合は、どの扉か は乗車時に運転手から買って とゲートが開く。 ニア駅 Santa ApolÖnia (MAP/ P31 乗る ( チャージ済みの℃切符ー 3 らも乗り降り自由で、切符は車両内に 0 乗車・下車する・・・行き D7 ) 。シントラ方面への列車はロシ ある自動券売機で購入 ( 運転手からの はパネルにタッチ ) 。 先は各路線の終着駅名 オ駅 Rossio(MAP/P30B3) 、カスカ 直接購入・両替はで , / ロ が表示されている。下 -. -- ー イス方面への列車はカイス・ド・ソド 車後は再びカードをか きない ) 。いすれも刻 ざし改札の外へ。目的 レ駅 Cais dO Sodré(MAP/P30E1) 観光の味方 ! の駅に着いたら、出口 に発着する。詳 Saida の表示に進む。 細は www. ■リスポンカード cp. pt を参照。 有効期間内であれば 〇オディヴェラス iv 地下鉄とバス、トラ セニョール・ロウバド Senhor Roubado ム、ケーブルカーが アメイショ工イラ 乗り放題となるうえ、リスポン市内 Ameixoeira ルミアル の美術館や観光スポットに無料もし アマドラ・エステ Lumiar AmadoraEste オリエンテ キンタ・ダス・コンチャス くは割引料金で入場できる、観光に アルフォルネロス Oriente Quinta das Conchas 州併 n os カボ・ルイヴォ 便利なカード。使用期間別に 3 種類 ンボ・グランデ ンティーニャテリエイラス Telheiras po Grande Pontinha あり、 24 時間毛 17 、 48 時間毛 28.50 、 アルヴァラーデ カルニーデ リヴァイス lvalade シダーデ・ 72 時間毛 35 。空港やなどで購入可。 レジオ・ミリタール / ルス 01ivaiS ウニヴェルシタリアローマ COIégiO Militar/Luz アルト・ドス・ ンエラス Chelas Cidade Universitåria oma モイーニョス 、、ラ・ヴィスタ 工ントレ・カンボス アレエイロ Alto dos Moinh(ß Bela Vista Entre Campos ラランジェイラス ライアス OIaias 交通情報はで カンボ・ペケーノ Laranjeiras Campo Pequ ノラメダ ジャルディン・ズーロジコ Jardirm ZooIögico Alameda フォス宮 (MAP/P30B3) プラサ・デ・エスパー アロイオス レダーニャ Praqa de Espanha Arroios Saldanha レスタウラドレス広場に面する案内 サン・セバスチャン アンジョス Säo Sebastiäo Anjos 所。ツアー案内や無料地図の配布の parque バルケ Picoas インテンデンテ マルケス・デ・ポンバル ほか、公式グッスなどを販売している。 lntendente アヴェニーダ Marqués de Pombal O マルティン・モニス venida 朝 9 ~ 20 時・なし Martim Moniz RatO ラト コメルシオ広場 (MAP/P30E3) ロシオ 日 020 テレイロ・ド・パソ レスタウラドレ トラムやバスが多く発着する広場に Restauradores Terreirodo Paqo カイス・ド・ソドレ ある案内所。 Cais do d 池 バイシャ - シアードサンタ・アポローニア 朝 9 ~ 18 時・なし Santa A4X)lönia Baixa-Chiado ・で扱うタクシーハウチャーなら市内中心部まで、月 ~ 金曜 6 ~ 21 時毛 16.91 。平日の 21 時以降および土・日曜、祝日毛 20.28 。割高で はあるが、ホラれる心配はない 4 リスポンの交通 ときどき検札か行われる 発券代 毛 O. 50 十各料金 タクシー バス・ 4 0 坂の途中で勝手に下車することはできない ゾーン 1 「 1 各駅とも市内中心部に 位置し、アクセス至便を , ー 複数のターミナルがあ バス り、バス会社や発着先 A 猷 oca 0 によりターミナルが異 なる。国内各都市とリ スポンを結ぶバスはセッテ・リオス・ バスターミナル Sete-Rios(MAP/P 29A 2 ) 、オビドスなどリスポン近郊 へはカンホ・グランデ・バスターミナ ル Campo Grande(MAP/P29A2) 、 長距離バスなど多くの便がオリエン テ・バスターミナル Oriente(MAP/ P29A4 ) に発着 ・経由する。 CabO Rui Areeiro ゾーン L Coroa L - 青線 Linha ⅵ 黄線 Linha Amarela - 緑線 LinhaVerde - 赤線 LinhaVermelho ターミナルはいすれ も中心部から離れた ところにある ポルトガル

9. るるぶ ポルトガル

ースポン早わみり一・・ 街のすへてか見えてくる ! 大航海時代の栄枯盛衰を彷彿させる面影と、国際都市の薫りを PROFILE 併せもつ首都リスポン。テージョ川の河口に広がるこの港湾都市は ホルトカルの首都 な約 51 万人 価約 85k Ⅲ ・フォス宮 3P30B3 観 @ORestauradores 案 @PaIåcio FOZ, P 「 . dOS Restau 「 adores 谷 213-463-314 の 9 ~ 20 時のなし ・コメルシオ広場 3P30E3 主到死総 C 乢 CK ! ① 15 番 Com 「 cio から徒歩すぐ @P 「 . do Comércio 谷 210-312-810 朝 9 ~ 18 時のなし Ⅲ、 (las 、 a ( 、 6 リスポン北東部に広がる、万博跡地を 利用した複合公園。ショッビングセン ターをはじめ、カジノなどの娯楽施 設、レストラン、ホテルなどが入る。 リスポジ港 - イオリ土ンテ駅 こション : バークト ネーションバーク 若者のデー トスポットと しても人気 Main Spot 市北部 近年に開発されたエリアで、主に住 宅街や近代的なビジネス街になって いる。観光スポットは少なく、美術館や 工ンターティンメント施設が多い。 グルべンキアン美術館 ・ P41 聞牛塚ィースター ~ 10 月がシースン ) アルフアマ サン・ジョルジ ェ城を中心に 広がる地区。大 震災の被害を 免れたことで、 迷路のような 路地や急な坂 道など、リスポ ンで最も古い庶民の生活感があ 街並みが残る。ふれる下町工炉 サンジョルジェ城 カテドラル フアド博物館 バイシャ 「低地」という意味で、リス ポン大震災後、都市計画に 基いて再建されたエリア。 バリを手本とした整然と美し い街並みで、観光客向けの ショップやレストランも多い。 ロシオ広場 コメルシオ広場 ケゼ , ンテイラ宮設 マ 市 リベルダー大通り アルフアマ ロシオ , ・ン・ツョェ城 ンタ・アボローニア駅 イプルト”→いバイシ ーシド ラル イス・ド , ソドレ駅 ・グラ、デ公 Main S ot da ⅱい司Ⅲ If 、 市北部 モノみン、替公 ~ ィ誓モス修道を・・ - 4 月 25 日橋 見モニュメント 新市街 リベルダーデ大通りを中心に 広がるエリア。歴史的なみどこ ろは少ないが、中・高級ホテル を中心に、リスポンでは宿泊施 設が最も豊富に揃うエリア。主要な通りが放射状に 延びるポンバル侯爵広場 ポンバル侯爵広場 工めアルド 7 世公園 (MAP/P29D3) べレン 市西部のうち、テージョ 川河口に広がるエリア。 大航海時代に関わる 重要な歴史的みどころ が点在する。東側の川 沿いにはナイトスポット も集中している。 マヌエル様 ジェロニモス修道院 式が美しい べレンの塔 ペレンの塔 発見のモニュメント わかる ! Main S ot Main S ot バイロ・アルト シアード 「高い土地」という意味の名のとおり、高台に ある。昼間は庶民の生活が見られる街並みだ ナ アウグスタ通りの西側から が、カーザ・ド・フアドやバー イ バイロ・アルトまでのエリ が多く、夜中心のエリア。 ア。リスポン随一の繁華街 サン・ロケ教会 フ 第イ で、ブランド店やブティッ ビカの を ク、カフェが集まり、垢抜け ケープルカー 楽 た雰囲気が漂う。 サンタ・ジュスタのエレベーター ガレット通り の 主要官庁が並ぶコメルシオ広場 街 他民族の侵略により 海を渡り世界へ進出した レコンキスタを経て リスポン大地震で壊滅 水上交易の要衝に 栄光の大航海時代 ポルトガルの新し、首都に バリを見本にした都市再建 紀元前 1000 年頃、海の遊牧民フ 8 世紀、ジプラルタル海峡を渡り、イスラム勢力の 1415 年、アフリカのセウタを攻略したポルトガ 栄華を極めたリスポンの街は、大航海時代の終 ェニキア人がイベリア半島に侵入 ムーア人がイベリア半島を征服。これに対し、北 ルは、他国に先駆け大航海時代の先陣を切 焉や植民地経営の悪化とともに徐々に衰退し する。紀元前 2 ~ 1 世紀には古代 部先住民のキリスト教徒によりレコンキスタ ( 国土 る。工ンリケ航海王子の指揮下、造船や航海 ていぐそれを決定付けたのが、 1755 年のリスポ ローマが台頭し、幹線道路の敷設 回復運動 ) が興る。 1143 年にはアフォンソ・エンリ 術を発展させ、喜望峰やインド航路の発見、プ ン大地震。ヨーロッパ随一の美しさと讃えられた など都市建設や行政に加え、建築 ケスがポルトガル王国を建国、コインプラに首都を ラジル到達など数々の金字塔を打ち立てた。 街並みは、火災や大津波により、壊滅状態とな や芸術、言語の面でも影響を受け 設置。レコンキスタは徐々に勢力を強め、南下し アジアや南米からの香辛料や金銀、宝石類 る。震災後は、宰相ポンバルにより近代都市化 た。この時代にキリスト教も伝来。そ ていく。 1249 年、イスラム はポルトガルに莫大な富をもた が進められ、パリを見本に整然とした街が造ら の後も、テージョ川河口という絶好 最後の砦となったファロ の立地がゆえに、ゲルマン民族や を陥落、レコンキスタカ院 西ゴート族などの侵略を受ける 了する ( スペインの完了 より約 250 年前 ) 。のち 1255 年、リスポンは王国 の新首都に制定される。 国土回復完了の象徴、 カテドラル 古くは書店街と して有名たった 3 Main S ot 紀元前 1200 年 ~ Mai n SPOt Main S ot ・ P37 Main S ot 1415 年 ~ 蛉 P36 711 年 ~ 1755 年 ~ 変遷する時代における政治の心、 サン・ジョルジェ城 ・ポルトガル

10. るるぶ ポルトガル

ポルトあ 街のすべてが見えてくる ドウロ川の河口の丘陵地に広がるポルト。川を換んで北側に教会や PROFILE 歴史的建造物などみどころが集まっており、南側はポートワインのセ 約 22 万 1800 人 約 41km2 0 ・市庁舎前 3P69B3 観朝サンペント駅から徒歩 IO 分 光 @Rua Clube dOS 案 Fenianos 25 223-393-472 朝 9 ~ 19 時 ( 9 月 22 日 ~ 7 月 20 日は ~ 17 時 30 分 ) のなし ・エンリケ航海王子広場前 3P69D2 朝サン・べント駅から徒歩 10 分 @Rua do lnfante D. Henrique 63 222-060-412 朝 9 ~ 19 時 ( 9 月 22 日 ~ 7 月 20 日は ~ 17 時 30 分 ) のなし ・カテドラル % 9D3 朝サン・べント駅から徒歩 3 分 @Terreiro da Se 223-325-174 朝 9 時 ~ 17 時 30 分 0 土・日曜 主リた総既 Arredor d( 、 Catedral Rua 、 Santa (latartna Praea 市 Liverdade サンタ・カタリーナ通り ショッピングセンターや専門店が 軒を連ねるポルトの目抜き通り。 14 世紀末、旧市街の周囲に市壁 が築かれた際、その外側だったこ の通りに市が集まり発展した。通り は意外とアップダウンかある。 オン市場 リベルダ - デ広場 ポルトの中心となる広場。クレリゴ ス通りから市庁舎まで続く細長い 広場には企業や銀行のオフィス、レ ストラン、カフェなどが面している。 広場中央にはブラジル皇帝たった ペドロ 4 世の像が立つ。 クレ丿ゴス教会と塔 カイス・ダ・リべイラ ドウロ川北側の川岸に沿って建物 が密集して立つ工リア。建物はレス トランやカフェ、バーになっており、 ドウロ川の眺めも楽しめる人気ス ポットた。ドウロ川クルーズの発着 場所もある。 サン・フランシスコ教会 工ンリケ航海王子広場 ボルサ宮、ドンルイス 1 世橋 ヴィラ・ノヴァ・テ・ガイア ドウロ川南側のエリア。ワインの製 造・輸出業者が集まっており、ドウロ 川上流域で生産されたポートワイ ンはここへ運ばれ、熟成されてから 世界各地に輸出される。対岸一帯 に広がる旧市街の眺めが抜群。 ワインセラー オフィスも多いポルトの中心部 Main Spot Main S ot Cais da R 市 ( 、肩 P72 午後になると人通りも 増え賑やかに カラフルな建物が並ぶ Main S ot P73 Ⅶれ Nova 市、 Caia カテドラル周辺 世界遺産「ポルトの歴史地区」の 中心工リア。丘の上に立つカテド ラルからはウイラ・ノヴァ・デ・ガイア や街並みを一望できる。カテドラル 西側は細い路地が多く、特に夜は 人通りが少ないので注意しよう。 カテドラル サン・べント駅 イギリス貴族が愛した 貿易の要所として ポルトガル北部の 冒険者たちを送り出した 栄えたポルトウス・カレ ポートワイン 中心都市に発展 大航海時代 紀元前 3 ~ 紀元 2 世紀頃のローマ時 12 世紀半ば、ポルトガル建国に際し、ポルトは 1996 年に「ポルトの歴史地区」として世界遺 14 世紀半ばからドウロ川上流域で生産されるよ 代、ドウロ川南側、ヴィラ・ノヴァ・デ・ガイ 国の経済を担う重要な商業地であった。 1415 産に登録され、今なお貴重な建造物が残る うになったポートワイン。 17 世紀に入るとポートワイ アはカレ C 引 e と呼ばれていた。この辺り 年にはエンリケ航海王子の指揮の下、ポルトの ンはイギリスの貴族たちから食後酒として人気を 街は旅行者を楽しませてくれる。 2001 年には は古くから貿易の要所で港 Portus とし 造船所で造られた船がポルトから出航。翌年、 集める。そして 1703 年、リスポン駐在のイキリス大 ヨーロッパ文化都市に選ばれ、歴史的な景 て発展し、ポルトウス・カレと呼ばれるよ 北アフリカの港町セウタの攻略によって、 16 世 観を保ちつつ現代建築を取り人れた大規 使ジョン・メシュエンとの間で交わされたメシュエ うになる。 997 年、レコンキスタでイスラム 紀半ばまで続く大航海時代の幕開けとなっ ン条約により、イギリスはポルトガル産ワインの輸 模なリノベーションが進行している。モダニズ 勢力を撃破したアンリ伯は、この地名 た。この輝かしい船出の際、ポルトの人々は食 ム建築家アルヴァロ・シザ・ヴィエイラが手掛け 、入に関して関税の引き下げを実施。これにより にちなんでポルトガルという国名の元 料の肉を船隊にすべて提 たポルト大学建築部や、レム・コールハースが ポートワインのイギリスへの輸出が増大し、 1720 になったポルトゥカレ伯を名乗った。 供し、自分たちは残された 年代以降、急速に生産が拡大していった。 設計した音楽ホール、カーザ・ダ・ムジカなどカ 臓物を食べて飢えを凌いだ その代表として知られている。 ローマ時代 という。伝統料理のポルト風 と総には港として モッ煮込みはこの時代に 栄えたウィ ラ・ノヴァ・デ・ 生まれたものである。 イア 工ンリケ航海王子の像 . 工ンリケ海 / 十レ宮・ ン・ジョルジェ城 三ドン・ルイス 1 世橋 ノ / ドウロ川 Main 90t 蛉 P73 ア ! ア・ 橋を眺めながら川沿いの散策を わかる ! Main Spot 1703 年 ~ 紀元前 3 ~ 1415 年 ~ 1996 年 ~ ノ、・の 樽詰めのワインを運 んたラベロ船 2005 年完成のカー サ・ダ・ムジカ のポルトガル