木宮正史 研究を除くと、冷戦史研究において朝鮮半島冷戦史研究に向 はじめに けられる注目度は低い ( 1 ) 。朝鮮半島がグロ ーバル冷戦の 察 考二〇一六年一月六日「北朝鮮四回目の核実験、しかも水爆「周辺 ( 0 。「ぎ h 。「 y ) 」に位置づけられてきたからであるが、朝 論実験」という = 、ースが全世界を駆け巡「た。この背景には、鮮半島は「周辺」であるだけでなく「前哨 ( 。 u ( pos ( ) 」でもあ る戦後の冷戦体制に起因して韓国 ( 大韓民国 ) と北朝鮮 ( 朝鮮民主る ( 2 ) 。だからこそ、朝鮮半島冷戦が冷戦の「最後の遺物」 関主義人民共和国 ) という「二つの国家」に朝鮮半島が分断されとして残存し、北朝鮮の核ミサイル開発に起因した核危機が 物た「分断体制」が、「冷戦の終焉」にもかかわらず持続する持続しているのである。 島 という現実が存在する。朝鮮半島冷戦が、その原因を提供し朝鮮半島を取り巻く東アジア冷戦は、一九六〇年代にベト 鮮たグロ ーバル冷戦の終焉にもかかわらず、なぜ持続するのか。ナム戦争の激化によ。て緊張が高ま。たが、七〇年代初頭に 朝 また、この分断体制はどのようにして克服されることになる は、米中和解、日中国交正常化などで、大きな構造変容を経 代 年のか。本稿は、こうした朝鮮半島冷戦について考察する。 ることで、その時点で終焉したと言っても過言ではない。米 中和解や日中国交正常化に関する研究が数多くあるにもかか 1 なぜ、一九七〇年代の朝鮮半島冷戦か わらず、それとの関連で朝鮮半島冷戦を論じたものはそれほ 冷戦が「熱戦化」した朝鮮戦争 ( 一九五〇ー五三年 ) に関するど多くはない。朝鮮半島冷戦史を、冷戦史研究に「正当に」 一九七〇年代朝鮮半島冷戦に関する試論的考察 ーバル戦のデタント化と韓国外交 グロ
グロ トランスナショナルなネットワークの移り身の早さに驚愕す ーバルな脱領域的新エリートがこれまでの民主主義に よる制度的規制を受けていないということは、国際政治学がるが、それらがネオリべラリズムのような単一の志向性を必 「非政治的」な領域の問題だとしてそれに目を閉ざしがちでずしも持ったものでないことにも注意すべきだろう。他方で バリセーションやオルター・グロ あったことの裏返しである。第一に新エリートは多くの場合、反グロー かなり意図的に国家の政治制度の外部で政治権力を行使するといった象徴の下に結集する市民社会組織の足元のもたっき、 ようになっており、第二に国家の外部でトランスナショナル危うさ、のろさに考え及ぶと、世界が抱える閉塞に暗澹とせ ざるをえない。 に連結することで、国家単位の民主主義の政治規制に与から ない脱領域的な権力を蓄積しつつある。ニコラ・サルコジ元第二に指摘したいのは、領域性と非領域性の整合的な連結 と対立や軋轢が共存していることである。一方が他方を促進 仏大統領、バラク・オバマ米国大統領、アンゲラ・メルケル つまり、 独首相などが、巨額所得者に対する規制の必要性に言及したしたり、抑制したりする一般的傾向は見られない。 ートのネットワークは、この ーバルな新エー トの制度外への逃避を物語ってい右に述べたグロ ことは、そうした新エー る。また、オキュ。、イ・ウォールストリート 二つの国際政治のトラックの間の対立と調和の双方の結びつ 運動が、メガ、ハ ンクの経営者が保護される一方で「九九 % 」の人々が切り捨きによって形成されているということである。すでに述べた ように、脱領域的な新エリートのネットワークは、国家権力 てられているという、米国に広がった社会的不満を体現した ことは、これらの制度外権力のあり方がかなり広範に認知さと接合したり分離したりを選択しながら形成されている。地 ーヴェイ ( 287 三 287b ) は、イラ れるようになりながらも、十分に捕捉されず、社会のゆがみ理学者であるデヴィッド・ をもたらしていることを象徴している。実証されていることク戦争を例に、赤裸々な軍事介人という強権をもってしてま で言えば、世界銀行の統計からたやすくわかることだが、世で米国が世界にネオリべラリズムによる蓄積体制を拡大する 界的規模と各国内規模の両方で所得の格差は現在、歴史上か様子を活写した。それまでの国家は解体され、石油資源を含 む国内市場は保護を解かれて世界市場に開放され、労働関係 ってないほど拡大している。 デヴィッド・ロスコフは、国内基盤だけでなく国際的な基は自由化された。ここで注目したいのは、ネオリべラリズム トの様子をルポルタージュしているが原理的に国境を越える資本の論理に基づくため、国境なき 盤も持たない新エリ ーバル資本主義からもたらされたイデオロギーや政策だ ( 2009 ) 。ビルダバーグ会議、三極委員会、世界経済フォーラグロ と見られがちだが、むしろ領域を持つ国家装置を強力な支え ムといった、かなりの速度でたえず浮遊しているかのような
どを対象とするが、朝鮮半島それ自体は取り上げられていない。 また、言及されるのは朝鮮戦争に関する部分だけである。 ( 2 ) 冷戦における「前哨」については、以下の研究を参照され たい。 Stephen Hugh Lee. 9 、 os 、 s E ミ、 e. ・ Korea, ミミ・ ミミミミ、 0 を、 ~ s the Co ミミ、、」 s 7949 ー 7954. luiverpool, luiverpool University press. 1999 藤原帰一「アジ ア冷戦の国際政治構造 , ーー中心・前哨・周辺」、東京大学社会 科学研究所編『現代日本社会第 7 巻国際化』東京大学出版 会、一九九二年。 ( 3 ) 代表的な見方として以下の文献を参照されたい。 Jussi Hanhimäki. "lronies and Turning POints 【 Détente in Perspec- tives ・・ . in Odd Arne Westad. ミ ~ 0 、 Co ミ VT 、 . 」 4p- トきミ s , 7 ミ e き、ミミ ~ ・ミミ 0 London. Frank Cass Publishers. 2000. ( 4 ) 一九七〇年代の戦体制に関する、こうした解釈について は、 Barbara Zanchetta. The T ミ、ミミ Q 、」ミ e ミ・ 、 e ミミ、 0 e 、ぎ、 79 ざ s (Cambridge, Cambridge Uni- versity press. 2014 ) を参照されたい。 ( 5 ) 一九七〇年代朝鮮半島冷戦に関する代表的研究としては、 本稿で取り上げられた以外にも、以下のものがある。まず、古 典的な研究としては、玉城素『朝鮮半島の政治力学』論創社、 一九八一年。米中デタントに抵抗する形で南北朝鮮が南北対話 をしながら自体制の独裁的性格をより一層強めるための「共 謀」を行ったという興味深い仮説を提示する。高一『北朝鮮外 交と東北アジア一九七〇ー一九七三』信山社、二〇一〇年。 主として韓国の外交史料に依拠しながら同時期の北朝鮮外交を ュソンヒ 分析したものである。劉仙姫『朴正煕の対日・対米外交ーー冷 戦変容期韓国の政策、一九六八ー一九七三年』ミネルヴァ書房、 二〇一二年。同時期の韓国外交の自立的性格に注目するが、結 チェギョンウオン 果として現状維持を指向したという結論を導出する。崔慶原 『冷戦期日韓安全保障関係の形成』慶應義塾大学出版会、二〇 一四年。七〇年代デタント期において日韓の安全保障関係が緊 キムジヒョン 密になったことを実証したものである。金志炯『は匸一斗け 斗」刻 ( デタントと南北関係 ) 』 ( ソニン ) 、二〇〇八年。こ れは、一九七〇年代初頭の南北対話を内部資料に基づいて詳細 に分析したものである。 ( 6 ) 米中和解の背景には中ソ対立があり、その意味では米ソを 中心とするグロ ーバル冷戦と米中を中心とする東アジア冷戦と の間にも緊張関係があったわけだが、本稿では、朝鮮半島冷戦 に焦点を当て、それと東アジア冷戦、グロ ーバル冷戦との関係 を論じるので、グロ ーバル冷戦と朝鮮半島冷戦との関係として 問題を設定する。 ( 7 ) 朝鮮半島戦に関するこうした見方に関しては、拙稿「朝 鮮半島冷戦の展開ーーグロ ー。ハル冷戦との『乖離』、同盟内政 治との連携」、『アジア研究』第五二巻二号、二〇〇六年、一六 ー二五頁、を参照されたい。 ( 8 ) 李東俊『未完の平和ーー米中和解と朝鮮問題の変容一九 六九ー一九七五年』法政大学出版局、二〇一〇年。 ( 9 ) 同書、三三八頁。 ( 川 ) 同書、四頁。 ( Ⅱ ) 同書、三三三頁。 ( 肥 ) 同書、四六四頁。 ( ) 洪錫律『日正司丕司〕ヱ。刻旦』」を斗」刻斗 王 ( 分断のヒステリー 〕公開文書で見る米中関係と朝鮮半
が、今のところ、また当面は、そうではなさそうだ。 維持しているという偽装が弱いために、一部では国家主権が むしろ世界的配置を考えた場合、福祉国家の解体やネオリ極めて強く行使され、一部ではあまりにたやすく国家主権が べラル国家への変容を指摘できるのは、西側先進諸国ではな喪失するといった分裂が顕著に見られるということだろう。 く、アジア諸国のような発展途上国ではないだろうか。そのまたネオリべラル国家の構築が強い傾向として見られる地域 理由は、第一に福祉国家構築の経験が少なく、福祉国家解体として、社会主義をショック療法で粉砕した東中ヨーロッパ に伴う国家装置の再編の負担が小さいこと、第二に社会の基諸国を含めることができるだろう。福祉国家の形成の経験は 盤が脆弱なので、ネオリべラリズムの浸透があからさまであアジア諸国以上にはあったとしても、社会主義を採用したこ とへのグロ り、社会の側の抵抗も弱いし、ネオリべラリズムの側の自制 ーバル資本主義からの事実上の制裁が行われたの もないことである。とりわけ、グロ ーバル資本主義との接合である。 を目立って強めているアジア地域にこの傾向が強いと言える なおハーヴェイ ( 2007a ) は、ネオリべラル国家が実はネオ ' 刀ノ ーヴェイの指摘するように、外部からの軍事介人によ リべラリズムの原理と大きく食い違って発展していることを って既存の国家が破壊され、ネオリべラル国家とネオリべラ指摘している。強固な私的所有、法の支配、自由市場や自由 ル社会の移植が強制的に行われたイラクなどの例も無視でき貿易、個人の自由といったものがネオリべラリズムの原理だ ない。後で取り上げる「懲罰的ネオリべラリズム」においてとされるが、国家の制度が多様であるために一律のパターン は、世界銀行のグッド・ガヴァナンス論や e 0 のパネルに のネオリべラル国家への変節を進めることができず、ネオリ 見られるように、多かれ少なかれ、ネオリべラリズムの原理べラリズムの原理との食い違いが生まれるし、それはネオリ が公的ドクトリンとして外部から途上国に強制されることがべラリズムの危うさを示しているという。何がネオリべラリ 珍しくない。 ズムかとい、つ珊争 ) がここから始まるが、この亠珊点はここでは アイフア・オングによれば、アジア諸国では国家主権が帯深追いせず、ネオリべラル国家がネオリべラリズムの原理と 状に分離されて他の権力とグロ ーヾルに接合している。だが食い違いを持っているとしても、そうしたいびつなネオリべ また他方で、エスニシテイや現地文化による動員が進んでおラル国家の群生は途上国に見られるということを確認したい。 、市場性が十分に貫徹しない、あるいは積極的に市場原理メキシコ、 マレーシア、インドネシア、中国などにおける社 を歪めたネオリべラリズムが見られる ( 20 こ ) 。領域的な国際会政策の惨憺たるありさまは、福祉国家の蓄積なきネオリべ 政治と脱領域的な国際政治の連関という点では、国家主権をラル国家の形成の恐ろしさを物語っている。他方でこれら途
とい、つことになる。 力は国家の領域的権力との連関の上に成立しているのだから、 異論の国際政治学の一角をなすグラムシアニズムの意義を 脱領域的な政治権力を研究対象に加えても、右に述。へたネオ リアリスト総合に対峙するための戦略的な措定点である「国ここで考えるならば、こうした二層の国際関係を「政治」の 問題として提起していることにある。政治領域の相対的な自 家を取り巻く政治領域」というアゴーンから外れるわけでは ない。国際経済学や国際社会学が国家権力の作動と離れた文律性が前提である。アントニオ・グラムシが国家装置と社会 脈で非政治的な領域を対象としていることとは、設定が異なを包摂した広義の国家概念を提示し、それがコックスやギル ーバルなへゲモニー概念に用いられたことを思い出そ る。ネオリアリスト総合において有力な構造主義的傾向のあのグロ う。ネオリアリスト総合においては国家間関係としての政治 る国際政治理論はしばしば歴史変化を軽視しがちであり、こ が主題化されるが、それはそのほかのアクターが取り結ぶ諸 れに対し・・・ウォーカーは歴史の重要性を確認した 上で、理論の解釈・実践・具体化を存在論的な問い直しから関係は政治的でなく、したがって重要でないと考えられてい 進めることを主張している (walker. 1989 ) 。本論の主張もこるからである。しかし注目す。へきなのは、政治的ではないと れと同じ方向にある。言うまでもなく、今日のグロ ーバリゼ規定されてきた領域において意味深い政治権力の発動が見ら れるということだ。そしてそれが可視化されにくいことだ。 ーションの進展は、国境を越えた接触を著しく増進させてい るので、ここで論じたような研究課題を可視化している。以政治の一定分野を政治的でないと規定するいわばメタ権力が ローセン、ハ ーグは、・帝 働いているのである。ジャスティン・ 上を国際政治学らしい別の言い方で表現すると、 国の運営に関し、国家システムの管理に関わる公的な政治領 グロ リゼーションに伴い、政治と経済の再編が進行域と、剰余の搾取と伝達を担う私的な政治的領域とを抽出し 非政治的領域とされてきた ( 一見経済的・文化的な ) 領域で政た。その後者が一般に言われる市民社会のことであり、非政 治的と規定された経済という領域のことであるという ( 2008 ) 。 治権力が発動 つまり、グロ ーバル / トランスナショナルな脱領域的権力彼のように主権が資本主義に特有な政治的支配の形態だと見 なすことにはあまり与できないし、市民社会概念にも冷淡す の形成 ぎるとは感じるが、非政治的と見なされてきた領域の政治こ ネオリアリスト総合の国際政治 ( 政府間関係 ) だけではない そが、現代国際政治を見通すために踏み込むべき領域にほか 新しい政治領域の形成 ならないことを読み取ることができるだろう。
国際的正統性と国内的正統性の齟齬が露呈し、市民社会の活 性化とともに裏の世界 ( covertw 。 r 一 d ) が拡大している。 *eo ヾレ、、 ( 世界貿易機関 ) やグロー シャスティス運動、インター ネット・ガバナンス、地域主義ナショナリズム、「保護する 責任」にもとづく介人、グロ ーバルな市民権といった現象は、 領域性と正統性の多層化と交錯をもたらしている (Bernstein and Coleman ed. 200 Cox 2002 ) 。 このように断片化していく 正統性は、もはや静的なものではなく動的なたえざる正統化 と呼ぶべきかもしれない。 これを図のように表すことができ よ、つ 共同体的 この図の上では、国際金融は非国家的・普遍的、イスラー ス、エクスタインの世代以後、体系的な正統性の理論を構築ム主義は非国家的・共同体的な正統化を主張していると位置 してこなかった。正統性の研究はむしろ個々の制度や民主主づけられよう。フランス革命モデルの国家的・普遍的・民主 義全般に対する「信頼」の計測に還元されてい。たといえる的な正統化は、今日の共同体防衛的な民主性を主張する右翼 ヾレ . 、ン (Dogan 1992 ) 。その後、グロ ーヾル化や欧州統合の進展にとポピュリズムや非国家的な民主性を主張するグロー もない、「人力の正統性」と「出力の正統性」、代表制民主主ャスティス運動の正統化とは大きく異なるであろう ( 高橋・石 義と司法や超国家制度の正統性の不一致をとらえる議論も現田編 20 。 れた (Scharpf 1999 Majone 200 望 川 2003 鈴木 200P 遠藤 2013 ) 。 ただし、このような断片化する正統化を記述するだけでは、 また、今日主張される正統性は、特定の文化・道徳価値から正統性の政治学として十分ではない。メイアーの描いたレ 無縁であるとする普遍主義と、特定の価値の共同体を前提とヴァイアサン却の発展とは、いわば「自己正統性化国家」へ する共同体主義との対立をはらむ ( coo を r2009 ) 。 の途であったといえよう。しかしそのような「自己正統化国 冷戦後、自由主義的な「正しいメンバ ーシップ」の範囲が家」は、領域性の変容と内部・外部から発せられる断片的な 拡大され、「人権」の正統性がグロ ーバルに主張されること正統化の圧力によってゆらいでいる。その中で、正統性をめ となった。しかしそれは普遍的な原理の全面化とは程遠く、 ぐる争いは国際、国内を問わずあらゆる政治の前面に浮上し 非国家的 非民主的 普遍的 民主的 国家的 図正統化の諸次元
朝鮮の反対を無視してまで、韓国との関係を可視的に改善すの関係を改善するよりも北朝鮮との伝統的な関係を維持する る方向にまで突き進むことはなかった。 ことの方が自国にとって有利だという認識を持っただけのこ とであり、それ以前とは質的に異なった判断に基づくもので おわりに あった。七〇年代における韓国の対中ソ外交とそれへの中ソ 一九七〇年代に人って陣営を跨ぐ形で展開された韓国外交の対応に関する分析は、韓国と中ソとの外交が、狭義のイデ くリアリズム外 は、九〇年韓ソ国交正常化、九二年中韓国交正常化という形オロギー外交から、国益の合理的計算に基づ で実現することになる。これは一義的には九〇年を前後する交へと変容しつつあったことを示すものである。八〇年代の グロ ーバル冷戦の終焉によるインパクトが大きいことはもち 北方外交は、七〇年代には既に準備されていたのである。 ろんであるが、グロ ーバルな冷戦の終焉を超えてそれ以後も そうした観点から、七〇年代の朝鮮半島冷戦は次のように 南北分断が持続したことを考慮すると、こうした帰結がこの再解釈され得る。一九七〇年代の韓国外交には、一方で「二 時点でもたらされたのは、韓国が対中ソ外交の実績を蓄積しつのコリア」政策に現れるように現状維持指向が強かった。 てきたことも重要な要因である。七〇年代の韓国の対中ソ外もちろん、それ以前、南北朝鮮とも唯一の正統性を競い合っ 交を阻害した条件である中ソ対立が後景に退くだけでなく、 ていたことからすると、「二つのコリア」政策は大きな政策 韓国が北朝鮮を経済的に逆転し、さらに八〇年代以降も持続転換ではあったが、少なくとも、「二つのコリア」という現 的な経済発展を達成し、世界経済において一定のプレゼンス状を認めるという意味では現状維持政策であった。 を確保したことは、中ソ両国にとって韓国との関係の重要性しかし、それを明確に打ち出した六・二三宣一言は、従来、 を再認識させることになる。 陣営内に閉じられていた外交を、陣営を跨いで新たに展開す 冷戦期には、ソ連は自らの占領下で北朝鮮を建国させたと ることを明確にしたものでもあった。しかも、それ以後、維 いう「製造物責任」を負うために、中国にとっては地政学的新体制の終焉と第五共和国の成立という国内体制の大きな変 に「唇歯の関係」にあり朝鮮戦争を共に戦った「血盟」とし化にもかかわらず持続的に展開された。朝鮮半島冷戦が内在 て、同陣営の北朝鮮を支援するのが自明であった。しかし、 化する中で、南北朝鮮は体制競争、外交競争を展開し、そう 次第に、南北朝鮮とどのような関係を構築するのが自国の国した競争で優位を占めることを目標とした。そのためには、 益にとって有利なのかを計算するように変化したのである。 相互に陣営を跨いだ外交を指向した。しかも、相手に陣営を 七〇年代は、中ソともに、そうした計算に基づいて、韓国と跨がせないようにしながら、自分だけが陣営を跨ぐことを優
ったり (c 7 などのサミットや国際機関と協働したり、人的に政府 坂本義和によれば、冷戦の終焉は西側国家の勝利というよ 、市場と、市民社会を基礎にした民主主義という体制の勝公人と重なったりするなど ) 、また他方で国家から退出したり、 利と捉えることができる。したがって、冷戦が終わるととも国家と対立したりする ( 賃金の上昇した投資先を去って他国に資 に、市場と市民社会が西側国家からの自立を求めるようにな本を移動したり、タックス・ヘイヴンに法人登記を移したり、法の り、西側国家は脱力化が始まった。「冷戦の逆説」である ( 坂網の目をかいくぐって私的軍事会社を世界展開したりするなど ) 。 本、 2015. 104 ー 122 ) 。 この西側国家の脱力化に伴い、非政治的ネオリアリスト総合に安住する限り、国家と国家の関係を政 とされてきた別の領域で新たな脱領域的なアクターが権力を治領域として限定し、それ以外の領域を重視しないために、 振るうようになったのである。それが今日のパズワードとな これら既存の政治制度から外れたーーむしろ自覚的に外れよ うとする場合が多いーー政治権力の作動については関心が喚 バリゼーションの一つの姿である。坂本の言う 「冷戦の逆説」は、国家間関係に留まらない国際関係の追究起されないし、分析に必要な視点や方法も準備しにくい ラツンユま、ゝ クリストファ 力なり前のことだが、民主 という知的課題の浮上の文脈を浮き上がらせている。 トの出現を描いた。新しく登場 主義の規制を受けないエリ 5 現代国家の変容と脱領域的エリートの台頭 したエリート層は自らが立っ地域社会や国家にあまり愛着も ネオリべラル国家の世界的配置 忠誠心もなく、これらへの公共心を喪失しがちとなり、特殊 以上に論じた理論的な考察を踏まえて、領域的権力と脱領な利害感覚を持ち、その結果、民主主義を脅かすことになり 域的権力の交錯という観点から現代の国際政治を分析する手かねない ( 1997 ) 。かってホセ・オルテガⅡイⅡガセットが無 順を示そう。 責任で無能な大衆の台頭を危険視して、「精神的な貴族」の 定 設第一に指摘す。へきなのは、考察対象を、これまで見落とさ復活を唱えたことがあ。たが 0995 ) 、新エリートはそうした れがちであった脱領域的な政治エリートの形成に設定するこ貴族性を突き抜けて、従来の倫理観とはかけ離れたイデオロ の 学とである。グロ ーバルな脱領域的新エリ ートは、外見的にはギーを備え、社会的な規制も責務も持たない存在になりつつ ーバル資本の経営ある。諸国家の政治制度は、ときに逆転はあるとしても、長 先進諸国の政治指導者や高級官僚、グロ 国者・所有者、や世界銀行などの強力な国際機関の官僚期的トレンドとして民主主義の拡大と深化に向けての進歩の といった者たちの公式・非公式な流動するネットワークとし方向にあるが、彼らはその民主主義による規制の制度的な外 て存在する。このネットワークは、諸国家と緊密な連携を取部にある。
鮮半島冷戦に対する米中の共同介人を帰結させることになる。映されたという意味において「埋め込まれた平和」であっ た」 ( リと言及するように、これが安定的な秩序では必ずしも さらに南北朝鮮もそれに抵抗するというよりも、それを受け 人れたうえで、ゼロサム的な正統性競争を止揚して、事実上ないことを含意する。にもかかわらず、七〇年代半ばにある ヾル冷 一定の到達を示した朝鮮半島袵戦の定着過程をグロー 両者の共存を受け人れるようになる。このように、グロ ル冷戦と朝鮮半島冷戦とを矛盾のないように相互調整させる戦のデタント化と整合性的に説明することに力点を置いたた め、グローバル冷戦の変容に「抵抗」する朝鮮半島冷戦のカ 政治力学が働くという解釈を提示する。 第二に、駐韓米軍の追加削減問題をめぐる米韓の葛藤に注学を相対的に軽視することになっている。 目しつつも、駐韓米軍を「中朝連合戦力に対する抑止力とし 洪錫律『分断のヒステリー』三〇一ニ年 ) ( リ ての位置づけ」から「朝鮮半島と東北アジアにおける安定化 「朝鮮半島分断の内在化」 ( リ ならびに現状維持要因」へと機能転換を果たすことに、朝鮮 半島冷戦の当事国が実質的に合意することによって、陣営内洪錫律は一九六〇年代以降の韓国現代史を一次史料に基づ いて研究してきた、韓国における第一人者である。本書は、 政治が陣営間の対立緩和と調和する形で決着されたことを重 視するⅱ ) 。換言すれば、米韓の陣営内政治の展開が、グロ七〇年代の後半も分析対象とし、米中和解が朝鮮半島冷戦に ーバル冷戦と朝鮮半島冷戦の調和を促進する媒介的な役割を何をもたらしたのか、もしくはもたらさなかったのかを解明 することに主眼を置く。朝鮮半島の分断状況は「過度な興奮、 果たした点に注目する。 第三に、陣営を跨ぐ政治については、「北朝鮮の対米接近」憤怒、恐慌状態を恒常的に助長する傾向にあり、ヒステリー が挫折したことをェビソードとして論じるが、韓国の対共産反応を呼び起こす」という現状認識に基づき、「朝鮮半島に 圏外交については、ほとんど言及されない。米中が対立から醸成された独特な力関係を冷静、総体的に認識し、朝鮮半島 和解へと舵を切るのに対応して「分断構造が再制度化」されの住民の生活をいろいろな次元で恣意的に阻害する分断体制 を制御し、その克服の方向を探る」信 ) と、分断克服という間 たので、分断構造を跨ぐような動きを強調する必要はなかっ 題意識を明確にする。そして、そうした批判されるべき現状 たからであろうか。 本書は、「一九七〇年代半ばの分断構造の再制度化を、朝に至らしめた政治的選択を、別の選択の可能性を念頭に置い て批判的に再検討する。 鮮戦争の戦後処理が放置されたという意味で「未完の平和」 ーバル冷戦と朝鮮半島冷戦との関係に関して、 でしかなく、分断の現状維持を望んだ米中の意図が色濃く反第一に、グロ ホンソグュル
先目標として設定するようになった。短期的には北朝鮮とのれたのだが、大学一年生であった筆者がそれに参加したので 競争はより一層激化することになるが、その結果、優劣が明ある。この授業で比較政治学という学間分野に触れ、その面 確になることによって、競争に実質的な決着がっき、朝鮮半白さに惹かれた。さらにその後、『世界』一九八〇年二月号 島冷戦を朝鮮半島内部から克服する好機が生まれることになに掲載された「開発独裁と政治体系危機ーー、スペイン、イラ る。このようにして、一九七〇年代における陣営を跨ぐ韓国ン、韓国の場合」 ( 後に『国際政治の理論』岩波現代文庫、二〇〇 八年に所収 ) を読んで、より一層比較政治学という学間分野に 外交に焦点を当てることによって、「グロ ーバル戦のデタ 関心を持つようになった。その意味で、筆者にとっては大学 ント化にもかかわらず朝鮮半島冷戦は「強化」された」とい ーバル冷戦の変容が朝鮮半島人学後、初めて比較政治学の手ほどきを受けた学恩がある。 う先行研究とは異なる、「グロ 一九七伝統的な外交史、国際政治史という分野の研究者でありなが における陣営を跨ぐ外交の機会を切り開く」という、 らも、国際政治学の理論、平和研究だけではなく比較政治学 〇年代朝鮮半島冷戦に関する、もう一つ別の解釈を提示する ヾレヒスト・リ , にも関心を持ち、今で言えばいち早くグロ ことが可能となる。 という知的関心を持った研究者と言えるのではないか。朝鮮 察 考追記 半島の地域研究に取り組みながらも、常に、それをグロー の問題として考えるという現在の筆者の関心は、 論最後に、筆者にとっての高橋進先生の学恩を記したい。高ルヒストリー る橋進先生はドイツ外交を中心とするヨーロッパ国際政治史の高橋進先生の学恩に負うところが大きい 関研究者であり、朝鮮半島の地域研究者である筆者は、学恩を ( 1 ) 現時点における袵戦史研究の集大成とも言えるのが 物受けた「弟子」の中でも最も距離が遠いと言えるかも知れな 冷 MeIvyn P. Leffler, Odd Arne Westad, eds.. The Cambridge これは、高橋進先生が、なかなか芽の出なかった筆者に 島 半 旁 ( 00 the CO ミ蕁、 3 ミ e Set (Cambridge, Cam- 対する研究指導を、定年退官した坂本義和先生から引き継い 鮮 bridge UniversitY press. 20m ) である。収録された全七二本の 朝でくださ 0 たことによる。しかし、筆者と高橋進先生との出 論文のうち、朝鮮半島冷戦それ自体を取り上げているのは、ス 年会いは、それよりもずっと前、一九七八年に遡る。先生が駒 チュエク (William Stueck) の the Korean War という論文一本 場の東京大学教養学部で比較政治学原典講読として、 Samu- だけである。また、 Robert J. McMahon, ed.. The Co ミ Wa 、 el P. Huntington. 、 0 = 斗ミ 0 、 de 、 Ch を S 冐 s. 、 T 「ミミ (Oxford. Oxford University Press. 2013 ) で も、中東、中南米、東南アジア、南アジア、中国、アフリカな (New Haven. YaIe University press. こ 68 ) を読むゼミを開講さ