政治学 - みる会図書館


検索対象: 思想 2016年 07月号
180件見つかりました。

1. 思想 2016年 07月号

144 本号の執筆者 石田憲 ( いしだけん ) 一九五九年生。東京大学大学院法学木宮正史 ( きみやただし ) 一九六〇年生。高麗大学大学院博 政治学研究科博士課程単位取得退学 ( 博士 ) 。千葉大学。国 士課程修了 ( 博士 ) 。東京大学。地域研究 ( 朝鮮半島 ) 。 際政治史。 『国際政治のなかの韓国現代史』 ( 山川出版社 ) 、『韓国』 ( 筑摩 書房 ) 『日独伊三国同盟の起源』 ( 講談社 ) 、『敗戦から憲法へ』 ( 岩波 書店 ) 木村正俊 ( きむらまさとし ) 一九六一年生。東京大学大学院法 川有美 ( おがわありよし ) 一九六四年生。東京大学大学院法 学政治学研究科博士課程単位取得退学。法政大学。中東政 学政治学研究科博士課程単位取得退学。立教大学。ヨーロ 治、国際政治学。 ノバ政治論、比較政治学。 「国際革命としての。ハレスチナ革命」 ( 『年報政治学』二〇〇九 『ポスト代表制の比較政治』 ( 編著、早稲田大学出版部 ) 、『市民 年第二号 ) 、「解放とテロリズム」 ( 日本比較政治学会編『テロは 社会民主主義への挑戦』 ( 共編著、日本経済評論社 ) 政治をいかに変えたか』早稲田大学出版部 ) 小林誠 ( こばやしまこと ) 一九六〇年生。東京大学大学院法 今野元 ( こんのはじめ ) 一九七三年生。東京大学大学院法 学政治学研究科博士課程単位取得退学。お茶の水女子大学。 学政治学研究科博士課程修了 ( 博士 ) 。愛知県立大学。政治学。 国際関係論。 『教皇ベネディクトウス一六世』 ( 東京大学出版会 ) 、『マック ーバル文化学』 ( 共編著、法律文化社 ) 、『統合と分離の ス・ヴェ ー』 ( 東京大学出版会 ) 国際政治経済学』 ( 共編著、ナカニシャ出版 ) 増島建 ( ますじまけん ) 一九五九年生。東京大学大学院法網谷龍介 ( あみやりようすけ ) 一九六八年生。東京大学大学院 法学政治学研究科修士課程修了。津田塾大学。ヨーロノ 学政治学研究科博士課程退学。神戸大学。国際政治論。 政治論、比較政治学。 EU-Japan Relations ( The Sage ミミ bo E ミ 0 F ミ ~ ロ ノバのデモクラシー』 ( 共編、ナカニシャ出版 ) 、「『転 Po 新 0. Sage) 二 Good Governance' and the Development As- 換』後のドイツ社会民主党 ( 一九六一ー一九六六年 ) 」 ( 『国家学 sistance Committee (). BØås et al. eds.. G 、 ob ミ ~ st ~ ・ミ、ジ 会雑誌』第一〇七巻三・四号 ) and ミミミ e ミ . RoutIedge) 小 『グロ

2. 思想 2016年 07月号

ジム・ジョ ジと一アイヴィッ。 ト・キャンベルは、「異論」 に流れ込ませることで、実際の議論に分け人る知的な貢献を の批判的国際政治学が多様で豊かな内容を持っていると主張なすことができる。この課題を図式的に示すと以下の二つに する論文の中でではあるが、これらが国際政治学で長く支配分けられる。 的であった実証主義・経験主義的な理論傾向やリアリズムの 立場からは否定的に見られていて、一般的には批判されたり * 領域的な国際政治のトラック ( ネオリアリスト総合で囲い込 まれた狭義の国際関係 ) 拒絶されたりしていることを認めている ( George and camp ・ bell, 1990 ) 。 * 脱領域的な国際政治のトラック ( 「異論」の政治的考察に関 わる広義の国際関係 ) 「異論者」には、ディシプリンを定義する権力を振りかざ す公理を破る戦略が必要である。政治以外の原理 ( たとえば経 済や文化 ) に注目して国際関係や現代世界を分析することの意 かってリアリストは国家間関係の分析に専念し、リべラル 義は ( たとえば経済学や文化研究では個々に ) 否定できないが、こ はこれを広げて非国家アクターも視野に人れようとして世界 こでは政治学の一分野として国際関係・世界政治を論じるこ政治やトランスナショナリズムといった標語を掲げた。しか とをまず前提とするために、「国家を取り巻く政治」というしネオリアリスト総合への合流過程でリべラリズムは国家中 領域をまず措定しよう。これは、あらかじめの特権的措定だ 心主義にすり寄ってしまったと指摘される。先に述。へたよう ろうか。視野を狭め、問題を見損なってしまうだろうか。必に、ネオリアリスト総合の下での議論が「似通ったパラメー ずしもそうではない。ネオリアリスト総合という国際政治学ター間の論争」だと言われるのはこのためである (Baldwin ed.. 1993 ) 。 定の知的 ( ゲモニー外部からの ( 彼らにと。ては聞く耳を持たない、 設持っ必要がない ) 微弱な非難として退けられないように、対話 ここで除外されがちなのは、国家という領域的な政治のト のアゴーンに人り込む戦略である。また、後述するように、 ラックと、脱領域的なトラックとの輻輳の政治理論を追究す の 学国家間の政治領域の捉え方を領域の権力と脱領域権力の錯綜るという課題である。前者がもつばら国際政治学の対象とさ 攻と見ることで、現代的な問題を射程に人れることができるかれたからだ。後者の言う脱領域的なトラックの成立といって 国らだ。国際政治学の内破を起こすために、起点を「国家を取も、グロー リゼーションの効果を強調する立場からときお り巻く政治」に置いたとき、「異論」の国際政治学が美学やり 主張されるように、それは領域国家の権力と無関係に自律 文学を用いたとしてもそれを国家についての政治学的な思考的に形成されるものではない。後述するように、脱領域的権

3. 思想 2016年 07月号

とい、つことになる。 力は国家の領域的権力との連関の上に成立しているのだから、 異論の国際政治学の一角をなすグラムシアニズムの意義を 脱領域的な政治権力を研究対象に加えても、右に述。へたネオ リアリスト総合に対峙するための戦略的な措定点である「国ここで考えるならば、こうした二層の国際関係を「政治」の 問題として提起していることにある。政治領域の相対的な自 家を取り巻く政治領域」というアゴーンから外れるわけでは ない。国際経済学や国際社会学が国家権力の作動と離れた文律性が前提である。アントニオ・グラムシが国家装置と社会 脈で非政治的な領域を対象としていることとは、設定が異なを包摂した広義の国家概念を提示し、それがコックスやギル ーバルなへゲモニー概念に用いられたことを思い出そ る。ネオリアリスト総合において有力な構造主義的傾向のあのグロ う。ネオリアリスト総合においては国家間関係としての政治 る国際政治理論はしばしば歴史変化を軽視しがちであり、こ が主題化されるが、それはそのほかのアクターが取り結ぶ諸 れに対し・・・ウォーカーは歴史の重要性を確認した 上で、理論の解釈・実践・具体化を存在論的な問い直しから関係は政治的でなく、したがって重要でないと考えられてい 進めることを主張している (walker. 1989 ) 。本論の主張もこるからである。しかし注目す。へきなのは、政治的ではないと れと同じ方向にある。言うまでもなく、今日のグロ ーバリゼ規定されてきた領域において意味深い政治権力の発動が見ら れるということだ。そしてそれが可視化されにくいことだ。 ーションの進展は、国境を越えた接触を著しく増進させてい るので、ここで論じたような研究課題を可視化している。以政治の一定分野を政治的でないと規定するいわばメタ権力が ローセン、ハ ーグは、・帝 働いているのである。ジャスティン・ 上を国際政治学らしい別の言い方で表現すると、 国の運営に関し、国家システムの管理に関わる公的な政治領 グロ リゼーションに伴い、政治と経済の再編が進行域と、剰余の搾取と伝達を担う私的な政治的領域とを抽出し 非政治的領域とされてきた ( 一見経済的・文化的な ) 領域で政た。その後者が一般に言われる市民社会のことであり、非政 治的と規定された経済という領域のことであるという ( 2008 ) 。 治権力が発動 つまり、グロ ーバル / トランスナショナルな脱領域的権力彼のように主権が資本主義に特有な政治的支配の形態だと見 なすことにはあまり与できないし、市民社会概念にも冷淡す の形成 ぎるとは感じるが、非政治的と見なされてきた領域の政治こ ネオリアリスト総合の国際政治 ( 政府間関係 ) だけではない そが、現代国際政治を見通すために踏み込むべき領域にほか 新しい政治領域の形成 ならないことを読み取ることができるだろう。

4. 思想 2016年 07月号

網谷龍介 高橋進の、結果として最後となった著書は、『国際政治実際にはこの語は、何らかの形でディシプリンの境界を 史の理論』という論文集である。一見するとこれはごく平「越える」ものとして構想されてきた ( 2 ) 。 ジ その一つは、歴史学と社会科学の境界である。国際政治 凡なタイトルである。国際政治と歴史、そして理論という プ ( のいずれも内容が容易に想起できるものであ学の誕生において、歴史研究がその母体の一つであり、な 三つのコト。 り、その組み合わせが示す内容も自明であるかのように見おかっその後も歴史学の間に交流があることが望ましいと える。しかし、本書は、その標題をある意味で裏切る内容されてきた。国際政治史はまさにその交流の場となる ( 3 ) 。 このことを、アメリカにおける代表的なヨーロッパ国際関 治を含んでいる。本稿はこの「奇妙な」論文集を切り口に、 際高橋における国際政治史が「国際政治の歴史」という字義係史家であるトラクテンバーグ ( M 。 Trachtenbe 「 g) は、次 国 通りの内容をこえた、野心的なプロジ = クトであったことのように述べて、アメリカ国際政治学と国際関係史の関心 の共有と、相互の交流可能性を強調する。 考を簡単に示すものである ( 1 ) 。 著 1 国際「システム」の歴史としての国際政治史 名 国際関係論の理論家たちは、究極的には我々と同じよう な種類の問題に関心を持っており、もし我々「国際関係史 国際政治史とはどのような学間なのか。字義通りに捉え 家〕の目標が、我々自身の学問分野を知的により首尾一 れば「国際政治」という対象の「歴史」であろう。だが、 名著再考 「国際政治史」というプロジェクト 高橋進『国際政治史の理論』の射程

5. 思想 2016年 07月号

今野元 年 一祚川彦松による「国際政治史」の原構想 序「国際政治史」とは何だったのか ? 百 の 高橋進 ( 一九四九ー一一〇一〇 ) が東京大学法学部で授業を担当東京大学法学部の政治学は、嘗ての文學部政治學及理財學 治した科目は「国際政治史」であ 0 た。この科目は、一世紀前科で米人アーネスト・フランシスコ・フ = ノロサ ( 一八五三ー 際に神川彦松 ( 一八八九ー一九八八 ) が発案し、後世に受け継がれ一九〇八 ) が、ヘーゲルに傾倒した「政治學」講義をしたのに たものである。「国際政治史」という授業は、今日多くの大始まる。やがて担当者は独人力ール・ラートゲン ( 一八五五ー る 学で行われている ( 1 ) 。 一九二一 ) に交代し、場も東京帝國大學法科大學政治學科に移 お だがこの「国際政治史」は、手法が一定しないため、研究った。一八九三年に講座制度が始まると、「政治學及政治史 物分野として確立したとは言い難く、大学「改革」の時代には講座」が設置された。一九〇〇年にそれが「政治學講座」と 風前の燈火とな。ている。本論では、どうして「国際政治「政治史講座」とに分割され、一九〇一年から帰国直後の小 大 史」が安定しなかったのかを知るために、この科目の起源と野塚喜平次 ( 一八七〇ー一九四四 ) が「政治學」講義を専任で担 京 東な「た東京大学法学部を例に取り、過去百年間の変遷を回顧当した。「政治史」講義は当初坪井九馬三 ( 一八五九ー一九三 野塚の最初 六〕東京帝國大學文科大學敎授 ) が行っていたが、小 いしてみたいと考えている。 の聴講生の一人である吉野作造 ( 一八七八ー一九三一一 I) が、一九 東京大学法学部における「国際政治史」の百年 神川彦松・横山信・高橋進・ディアドコイ

6. 思想 2016年 07月号

流の一つの重要な窓口が開かれている。ケネス・ウォルツ 2 内政と外交の連動をいかに描くか (Kenneth N. waltz) の問題提起によって、分析レヴェル ( な このように、通常の意味での国際政治史を想定するなら いしイメージ ) の問題が国際政治学において強く意識される ようになったことはよく知られているが、そこで強調されば、『国際政治史の理論』とは、何らかの形で国際システ ムの変遷を理論化したもの、ないしは国際システムの歴史 た国際システムの自律性と説明能力こそが、神川の言が一小 すように、一国史的視点を脱しようとした国際政治史にお分析を行うための切り口、であると想定するのが穏当なと けるシステム志向と重なり合っているからである。細谷雄ころであろう。 ところが、本書はこれとはまったく違う内容を持ってい 一は日本における国際政治史研究を「史料実証主義的な研 ゑ本書の全五章はいずれも、高橋が新しい研究動向を日 究」の発展という観点から概観しているが、その中でも、 本の学界・論壇に伝えようとしたものであるとともに、そ 「この時代「岡義武『国際政治史』〕以降の国際政治史研究は、 の作業を通じて自らの分析用具を案出するための予備作業 国際政治学の理論的な関心を反映する傾向が強まってい ク としての性格を持っているといえる。まず第一章はリンス く」 ( 9 ) と、両者の重なりが指摘されている。 工 その一例として、イリノイ大学で長くヨーロッパ史を講 (Juan J. L 一 nz ) の議論を中核にすえた権威主義体制論であり、 ロ プ じていたシュローダー (paul w. schroeder) を挙げることが第二章はドイツの議論を下敷きにした開発独裁 (Entwick- できよう。アメリカにおける代表的な国際政治史家である lungsdiktatur) 論が、スペイン、イラン、韓国を事例としな がら論じられる。これに続き第三章では、コックス (Rob- 彼の著作、特に『ヨーロツ。ハ政治の転換、一七六三ー一八 er ( w. cox ) の議論を軸に、よりマクロな国家の発展段階が 冶四八』 (paul W. Schroeder. The T き、 0 、きミ E に、 e 際 p 。ミ釁こ、 63 ー 7848. Oxf0 「 d: Oxf0 「 d University p 「 ess, 一 994 ) な論じられ、第四章では一七ー一八世紀の古典的な権力政治 国 どは、国際政治学者にも多く引用されている。それは何よ論が扱われる。そして最後に帝国主義論が政治学的な視角 から再構成され、紹介される。 考りもこの本が、リアリスト的な国際政治システムのイメー 著 つまり、通常の意味での国際政治史が扱われているのは ジを意識し、それを検証することを念頭に歴史記述が行わ 名 れているからであろう。実際、この本の骨子ともいえる部第四章のみなのである。多少定義を拡大しても、第五章ま 分は、政治学のトップ学術誌の一つであるミミミでが一般的に想定する意味での国際政治に関わるものであ り、そのほかの三つの章はやや予想を裏切る内容となって 誌に論文として掲載されている朝。

7. 思想 2016年 07月号

140 ( 8 ) 神川彦松「外交史学から国際政治史学へ」、『政経論叢』 第五号、一九六六年、六頁。 ( 9 ) 細谷雄一「国際政治史の系譜学ー・・・戦後日本の歩みを中 、いに」、前掲『歴史の中の国際政治』二四頁。 ) Paul W. Schroeder. "The 19th Century lnternational System: Changes in the Structure," VT 「ミミ PoIitics, VoI. 39. NO. 1. pp. 1 ー 26. 高橋進『ドイツ賠償問題の史的展開ーー国際紛争および 連繋政治の視角から』岩波書店、一九八三年、三六三頁。 ( 肥 ) 斉藤孝『戦間期国際政治史』岩波書店、一九七八年、五頁。 ( ) 高橋進「国際政治の歴史」、『国際政治学人門』 ( 法学セミ ナー増刊 ) 、日本評論社、一九八八年、一二六 ー一三五頁。 (ä) 岡義武『国際政治史』岩波書店、一九五五年 ( 岩波現代 文庫、二〇〇九年 ) 。 ( 新 ) 坂本義和「解説」、『岡義武著作集』第七巻、岩波書店、 一九九三年、二九七頁。 ( 炻 ) 高橋の「多層性」へのこだわりは、川嶋周一の優れた著 書への書評において、「多層」か「多次元」かという、瑣末 に見える問題への執拗さは言及にも見て取れる。この書評で は、「この時代のヨーロ " ハの国際政治の構造をどのように 分析するのか、それには国際政治学や比較政治学の成果を援 用することも一つの方法であろう。さらにもう一つ国内政治 との関係を組み込む必要があるであろう」などと、高橋自身 の関心事が率直に表明されている。高橋進「戦後ヨーロツ。ハ 外交研究の地平ーー川嶋周一著『独仏関係と戦後ヨーロツ。ハ 国際秩序』を読んで」、『創文』第四九九号、一〇ー一三頁。 ) Peter A. Hall, "The Dilemmas of Contemporary social Science ・・ . b ミミ d ミ 2. V 三 . 34. No. 3.2007. pp. 125 ー 126. ( ) 篠原一『ヨーロソ パの政治ーー歴史政治学試論』東京大 学出版会、一九八六年。なおこの点については、網谷龍介 「比較政治研究における「歴史」の変容」、『同時代史研究』 第六号、二〇一三年、二七ー三五頁、を参照されたい。 ) 高橋進「冷戦の崩壊ーーヨーロッヾ、 ノ」『平和研究』第一 六号、一九九一年、九頁。 この点については、本書第四章に続く事例分析を参照さ れたい。高橋進「一九一四年七月危機ーー「現代権力政治」 論序説」、坂本義和編『世界政治の構造変動 1 世界秩序』 岩波書店、一九九四年、一〇九ー一八一頁。なおこれとは異 なる転換点の認識として、藤原帰一「主権国家と国民国家 「アメリカの平和」への視点」、『岩波講座社会科学の 方法 >< 』岩波書店、一九九四年、四三ー八〇頁、を参照。 1 ) 高橋進「西欧社会のゆくえ」、馬場伸也編『国際関係』 ( 講座政治学 > ) 三嶺書房、一九八八年、四九ー九一頁。 ( ) 高橋進「ドイツ外交の現在ーー外交空間試論」、鴨武彦 編『。ハワー ・ポリティクスの変容 リアリズムとの葛藤』 ( 講座世紀間の世界政治 5 ) 日本評論社、一九九四年。 ヾレ・ヒス、「リ . ー ) 但し田中孝彦はグロー の「部分性」を 指摘する。田中孝彦「国際関係研究における歴史・ーーその課 題、および理論との対話」、山本武彦編『国際関係論のニュー フロンティア』成文堂、二〇一〇年、一八ー五一頁、を参照。 ( 幻 ) 中村研一「追悼高橋進・元副会長」、『日本平和学会ニ ューズレター』第一九巻第一号、三頁。 ) 高橋進『解体する現代権力政治』朝日新聞社、一九九四 年、三一九頁。

8. 思想 2016年 07月号

122 ようになる。この「政治学」という語は、「篠原シ、ーレ」究に依拠した理論紹介ではあ。ても、高橋自身が十分掘り下 の合一言葉として用いられていたが、外部に対して定義が説明げた研究とは言えない。権威主義体制や開発独裁などとして されることはなか「た朝。高橋にと。ての「国際政治史」想定されたスペイン、イラン、韓国は、高橋自身の専門知識 とは、「政治学」を交えた現代史分析を意味していた。高橋の及ばない地域であ「た。同僚の塩川伸明は、ソヴィエト民 は、東京大学法学部で「国際政治史」と正式に題する授業を族間題研究での蓄積を踏まえて、理論的考察『民族とネイシ 初めて行った。何故「外交史」から「国際政治史」に変わっ ョン』を執筆したが、高橋の『国際政治史の理論』は、彼の たのかは不明である。高橋は自分の「国際政治史」を構築す実証研究とは遊離していた ( 霻。理論を紹介するにしても、 る際に、神川も岡も大して意識しなか。た。神川追悼の論文網谷龍介の綿密な論考などと比較すると、その完成度は十分 集に、高橋は当時の後継者として挨拶を寄せたが、高橋の神とは言えない。高橋は「現代権力政治」 ( イデオロギーに立脚す 川への態度は冷淡だ。た。高橋は神川の好んだ大国外交史のる政治体制同士の存亡を賭けた戦い・国際政治に於ける軍事の突 手法を時代遅れと一蹴し、フィッシャー論争などを挙げて、 出 ) が「崩壊」した ( 国際政治の脱イデオロギー化・軍縮 ) という 外交史研究に於ける内政優位の潮流を説いた。内政重視の外楽観的な見通しを示したが、二〇〇一年以降の動乱の時代に 交史は、高橋が『ドイツ賠償問題の史的展開』で提唱した は、もはや適合しなくなった ( 。蓋し高橋の「国際政治史」 「連繋政治」論にも表れていた ( を。高橋が国際法学者と対話は、最後まで試論的なものに留ま。たと言える ( 四。 したという形跡もない。 高橋進の「国際政治史」講義は、彼のその時々の理論研究 神川彦松が「民族主義」「帝国主義」「文明」の概念に取りの成果を中間報告する場となり、体系的なものにはなり得な 組んだのに対し、高橋進は「権威主義体制」「開発独裁」「国か。た。このため高橋が何らかの「国際政治史」の教科書を 家」「権力政治」「帝国主義」の理論を紹介した。二人の理論 書くこともなかった。立、禪川、岡、江口、横山が講義の中 研究には大きな違いがある。神川の場合、論じた概念は全て 心課題とした近現代欧州国際政治の概説史には、高橋は余り 国際政治の概念であり、神川が同時並行で行「ていた近代外興味がなか「たらしい。彼の講義は、「政治学」への拘りか 交史研究或いは時事分析と相乗関係にあ「たが、高橋の論じらか、理論的考察の羅列になり、連続した歴史叙述にはなら た概念は「比較政治」理論、つまり内政に関するものが大半なかった模様である訂 ) 。 である。しかも「権威主義体制」「開発独裁」「帝国主義」の 高橋進は比較政治理論と並び、平和研究の理論も輸人しょ 議論は、ファン・リンスやヴォルフガング・モムゼンらの研 うとした。横田 ( のち猪ロ ) 邦子とのディーター ・ゼングハ

9. 思想 2016年 07月号

23 国家の歴史政治学 神山英紀 2015. 「社会学的新制度主義かゲーム理論かーー Da ・ vid Strang による脱植民地化の研究を例に」、『帝京社会学』 28 】 51 ー 64. 酒井啓子 2015. 「域内政治のイスラーム化を生んだものは何 ーヾル・コモンズ〔シリーズ日本の安全 か」、遠藤乾編『グロ 保障 8 〕』岩波書店。 佐藤成基 2006. 「国家の檻ーーマイケル・マンの国家論に関す る若干の考察」、『社会志林』 53 (2): 19 ー 40. 篠田英朗 2012. 『「国家主権」という思想ーー国際立憲主義へ の軌跡』勁草書房。 篠原一 2007. 『歴史政治学とデモクラシー』岩波書店。 芝崎厚士 2015. 「国際関係研究の将来ーーー国際関係の研究から グロ ーバル関係の研究へ」、『年報政治学』 2015 ー I: 138 ー 169. ミット、カール 2007. 「レヴィアタン , ーーその意義と挫折」、 長尾龍一編『カール・シュ、、 ト著作集Ⅱーーー一九三六ー一九 七〇』慈学社出版。 鈴木一人 2006. 「グロ ーヾル化時代における政治的正統性 欧州統合を例にとって」、『年報政治学』 2006 ー II: 150 ー 177. 高橋進 1983. 『ドイツ賠償問題の史的展開、ー、国際紛争および 連繋政治の視角から』岩波書店。 1991. 「西欧のデタント 東方政策試論」、大童一男・山口 定・馬場康雄・高橋進編『戦後デモクラシーの変容』岩波書店。 1994a. 『解体する現代権力政治』朝日新聞社。 1994b. 「一九一四年七月危機ーー「現代権力政治」論序説」、 坂本義和編『世界政治の構造変動 1 ーー世界秩序』岩波書店。 1999. 『歴史としてのドイツ統一ーー指導者たちはどう動い たか』岩波書店。 , ーー 2008. 『国際政治史の理論』岩波現代文庫。 高橋進・石田徹編 2016. 『「再国民化」に揺らぐヨー 新たなナショナリズムの隆盛と移民排斥のゆくえ』法律文 化社。 前田幸男 2015. 「帝国主義」、押村高編『政治概念の歴史的展 開』第七巻、晃洋書房。 三谷太一郎 1988. 『二つの戦後ーー権力と知識人』筑摩書房。 八十田博人 1993. 「スビネッリの欧州同盟構想」、『日本学 会年報』 1993 ( 13Y 1 ー 24. 本稿は科研費 ( JP26285035. JP25285037 ) の助成を受けた 研究の成果の一部である。

10. 思想 2016年 07月号

ダニレフスキイ、トインビーなど ない。たゞ近代歐洲國際政治社會がいかにして形成せられ、傾倒し、シュペングラー いかにして經營せられ、いかにして、發達し來ったかを、出に学んだ。一九八八年、神川が白寿を目前に死去した頃、彼 來るだけ確實な典據に基いて敍述しゃうと試みたのみであと東京大学法学部との関係は疎遠になっていたが、同学部 る」 2 。神川は一九五〇年、この大著の内容を、の特『研究・教育年報』は、神川の肖像写真を掲載して哀悼の意 別教養講座 ( 全一〇回 ) でも紹介したが、講座が一九四〇年代を示した。ちなみに神川の肖像写真の裏頁には、奇遇にも退 末で終わったのに対し、死後刊行されたその原稿では、一九官する坂本義和の肖像写真があった。 六〇年代の世界まで扱っている。更に一九六六年から一九七神川彦松が「國際政治史」を唱道する中で、神川がそれと 二年にかけて、神川は『神川彦松全集』を刊行した。これら対を為すと考えた「國際政治學」を担当したのが、神川と同 の著作には、神川が敗戦を超えて堅持する歴史観が示されて期の南原繁 ( 一八八九ー一九七四 ) だった。南原は帰国後の一九 もた神月こ ーまヴェルサイユ体制、ワシントン体制の不公平な 一一四年、「國際政治學」 ( 同年設置の「政治學政治學史第二講座」 ) 年性格を強調し、それを打破しようとした日独を弁明し、日本の助教授となった。東京大学法学部の国際政治学は、当初か の人やドイツ人を占領地から追放したソヴィエトの「過激きわら思想研究の色彩が強かったのである。南原はフイヒテ研究 まる民族主義」を非難した。「パクス・アングロ・アメリカ によって民族主義の起源を考察し、またカント研究で永遠平 史 治ーナ」の「巨大な平和の殿堂」など「砂上の楼閣」に過ぎな和論を考察した。但し南原は、早くも一九二五年には「政治 際 「一世の風雲児」ヒトラーは英米と連合してソヴィエト 學史」担当に変更となる ( 尚一九三九年に「政治學政治學史第三 国 を打倒しようという「大志を抱いた」という表現もある。冷講座」 ( 東洋政治思想史 ) が設置され、翌年丸山眞男が助教授に就任 る 戦については、「種族主義」の観点で考察し、その中心的主する ) 。同世代の神川とは交流が続き、戦後に立場が別れて お 体たる米仏中ソの背景には「アングロ・サクソン種族」、「ラ も、南原は友人神川を忘れなかった。南原は『神川彦松全 学テン種族」、「中国種族」、「スラヴ種族」があると診断し集』をこう推薦している。「政治と政治学のコペルニクス的 た。一九五〇年に「公職不適格」認定を解除された神川転回ーー従来の政治学と外交政策論に満足せず、新しく国際 大 は、東京大学名誉教授、明治大学教授になり、日本国際政治政治学の樹立を目ざした研究は世界においても少なく高く評 京 東学会初代理事長、日本国際間題研究所初代所長を歴任した。価されてよい」を。 神川はアメリカの対日圧力を批判し続け、矢部と自主憲法制 定運動に加わった塑。晩年の神川は「文明」論。 こより一層