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1. 思想 2016年 07月号

新刊案内に表示した発売日は小社出庫日です 7-2016 イエスの時 978 ・ 469730439 、 2 四六判・本体 4800 円 大貫隆 古代人イエスのイメージ・ネットワークーー終末と救済 のヴィジョンを時間論として論じたイエス論。 ク聖書を発見する 978 ー 4 ー 097304498 四六判・本体 4200 円 本田哲郎 神は、最も低くされた者、排除された者と共に働く 聖書のテクストから再構成された、独自の「選びの神学」。 978 ー 4 占 973044 一ー 5 本体 6800 円 フ地球的間題の政治学、古代。、装 978 ー 4 ー 09730 6 占四六判・本体 7800 円 付中村研一 波ド 。地球規模の深刻な問題群 国際政治から地球政治へ 978 ー 4 ー 09730442 ー 2 日に対処するための政治学のパラダイムシフト。 村井章介責任編集 本体 6800 円 2 中世 一橋大学経済研究叢書菊 978 ー 4 ー 09730 3 ー 9 高埜利彦責任編集 本体 7000 円 ' 日本の経済発展と所得分布 3 近世 978 ー 4 ー 09730447 ー 7 < 5 判・本体 5200 円 南亮進 978 ー 4 占 9730444 ー 6 戦前期の「戸数割税」の資料を基に日本の所得分布を推 4 本体 6800 円 近代宮地正人鬯 計することで、戦後の急速な経済成長の過程に迫る。 現小林英夫鬯本体。。。。円 オ会的経済セクターの分析 ー民間非営利組織の理論と実践ー 978 ・ 4 占 9730448 ー 4 <LO 判・本体 9200 円 富沢賢治 協同組合、共済組織、 ZOO' ZO-:O などの民間非営利 組織の活動の歴史と現在を経済分析する。 ◎日本史研究の到達点を示すスタンダードな史料集 ( 全 5 巻 ) <LO 判 歴史学研究会編 進展著しい日本史研究の第一線にある研究者により 厳選された基本的な史料集。史料学の成果を反映し た周到な解説に加え、高校・大学における歴史教育 に有用なスタンダードな史料集として使いやすさを 日本史史料 0 2

2. 思想 2016年 07月号

138 が実際に残したものを判断基準とするならば、問いに対し捉えようとした高橋の視角自体の重要性・必要性はむしろ て明確な答えが提示されたとは言いがたい。たとえば、複近年目に見えて明らかになりつつあると考える。たとえば 数のレヴェルがどのように交錯するかという、高橋の視座においては、「国際」レヴェルの統合・連結が危機の からは核心となる。へき論点を見てみよう。この点について、たびごとに緊密になりつつあるが、それと同時に、各国国 高橋は『賠償問題』においては連携政治 ( = nkage politics) の内政治における世論の断片化・遠心化傾向が顕著になりつ 枠組を援用した。しかしその枠組に強いこだわりを持ってつある。これを単純に「統合加速必要論」「崩壊論 いたわけではなく、その後は明示的には採用していない。 のいずれかに解消するのではなく、むしろその並存と相互 あるいは、上述の西欧社会の自己認識への注目からは、 強化自体を理解することが必要なのであり、そのためには、 「外交空間」という魅力的な切り口が提示され、ある種のレヴェルの制度と政治的ダイナミクスと、各国レヴェ コンストラクティヴィズム的アプローチを通じて国際・国ルのそれの動態的結びつきこそが検討対象となるはずであ 内を横断する変化の方向を捉える試みがなされた 2 。しる。そしてこのような一見すると矛盾する変化は、に かしその後、構築主義へと「転換」したわけでもない。 限らず、日本でも生起している現象である。 しかも、彼が遂行しようとしていたプロジェクトを特徴高橋の学問的な伴走者であった中村研一は、追悼文の中 付ける二つの目標は、近年の研究によって共有されているで、丸山真男の言う「意欲を含んだ認識」が、高橋の研究 ようには見えない。国内体制と国際体制の連動とそのメカ においては一貫して「執拗なまでに強調」されているとす る ( 4 ) 。 ニズムについて、歴史研究においてはどちらかといえば一 2 この評価に異を唱えるつもりはないが、そのよう 足飛びにトランスナショナルなものを研究することが流行な実践的変革への意欲という以前に、矛盾する変化をはら しており、国内と国際を平面としては一旦分離しておいて、んだ現状を適切に理解しようとする「意欲」こそが、むし その関係を問うという高橋のような思考法は、やや古い考ろ高橋から現在直接読み取ることのできるものではないか え方とされているようでもある ) 。また「発展」につい と考える。高橋が自らのプロジェクトに答えを出すことが ても、むしろ近年はさまざまな「退行」が議論の俎上に上できなかったのは、モデルの美しさや一貫性よりも、矛盾 がる状態であり、高橋のように、ある種の希望とともにそする現実に迫ろうとしたことの必然であるのかもしれない。 れを展望することは困難になりつつある。 しかし、本稿筆者は、多層的な政治の錯綜とその発展を政治現象は極めて複雑になっている。その一方、マスメ

3. 思想 2016年 07月号

124 高橋は、国民国家の復活である東西ドイツ統一に危惧を懐き、る。石田は国際基督教大学 ( 特に加藤周一 ) 、東京大学の恩師 「再統一」の語を嫌「て、ドイツ問題の解決を織り込んだの薫陶を受けて戦後民主主義の真摯な継承者となり、伊ファ 「新統一」という表現を提唱した朝。アメリカ新自由主義の シズム外交の批判的研究で博士号を取得した。石田の政治信 全世界化としての「グロ ーバル化」は、社民系一一一一〔論人の高橋条は、国際連合改革論や日独伊戦後体制比較論をも生んだが、 が模範と仰いだドイツ「社会国家」をも解体させた。こうし政治活動には深人りせず研究に専念した。石田はまた「世界 た中、高橋進は心身の調子を崩し、活動が困難になってい 政治研究会」を組織し、同輩後輩に報告の場を提供した。石 二〇一〇年三月二日、三五年に及ぶ高橋進の時代は終わ。た。田は高橋歿後の東京大学法学部「国際政治史」講義を非常勤 で担当しているが ( 二〇一二年度は細谷雄一 ) 、歴史叙述は少な 五ディアドコイが歩んだ各々の道 く概念説明的・項目説明的 ( 権力・国家・国民・戦争など ) な内 東京大学法学部での高橋進は多くの門下生を抱えていたが、容であるという。 学部生から高橋の初代助手に採用された月 後継者には恵まれなかた。抜群の業績を上げ、師弟愛で結村は、当時冷戦後の混乱が注目されていた東欧政治に取り組 ばれ、政治的にも信頼できるという典型的な「愛弟子」は、 み、「ユーゴスラヴィア」の形成から解体に至る近現代政治 高橋門下では育たなか。た。高橋進は「篠原シ、ーレ」の連史を研究した。川合賢は、、 ドイツ帝国建設に至るビスマルク 携を前提とし、また坂本義和の平和運動を補佐していたため、外交という古典的課題を追究した。 門下生は「国際政治史」 ( 石田憲、月村太郎、戸澤英典、今野元、 高橋進からドイツ政治史研究を継承したのは、今野元 ( 愛 川合賢、佐藤俊輔 ) だけでなく、「ヨーロッパ政治史」 ( 網谷龍介、知県立大学 ) である。今野は高橋からドイツ史家の矜持を継承 安井宏樹 ) 、「国際政治」 ( 増島建、八谷まち子、木村正俊、李鐘國、 したが、高橋が嫌悪する非西欧的ドイツ志向、東方志向、思 高津洋平、元田結花、山崎望、野間愛子 ) の各科目に分散して い想史志向、法学・歴史学志向であった。今野のヴェー ー研 ーロツ。 ( 政治史」の馬場康雄は、恩師篠原一の「歴究の結論、つまり進歩的言論には民族対立の火種が内在して 史政治学」を共通基盤とし、門下生を欧州各国に配置したが、 いるという「知性主義の逆説」論は、博士論文審査中の高橋 高橋はそこまでの集団主義体制は採らなか 0 た。門下生はを逆上させた。同時に高橋は今野に、ドイツ・ナショナリズ 各々高橋の特定の一面のみを継承していった。 ム理論の紹介をするよう求めていた。今野はサイードの「オ 高橋進から外交史研究を継承したのは、石田憲 ( 大阪市立大 丿エンタリズム」論やハンティントンの「文明の衝突」論を 学、千葉大学 ) 、月村太郎 ( 神戸大学、同志社大学 ) 、 川合賢であ参考に、「知性主義の逆説」による世界史解釈を企て、文明

4. 思想 2016年 07月号

学の理論的な探究を続けた。政治学が歴史と対等に出会うとのものの本格的考察にいたる前に内容が尽きている。したが いう意味で、国際的な歴史政治学と位置付けることができょ って高橋の残した業績は体系的というより多面的、断片的と う。高橋はヴェ ーやヒンツェの古典的な国家の規定を重 いわざるを得ない。 視するが ( 高橋 2008 【 143. 157 ー 16D 、高橋がそこから理論的な だが、高橋の国際政治史理論と座標が重なり、それを補う 探究を進めようとしていたのは、「モダン ・エイジ」の国家海外の研究として、アメリカの歴史家メイアー (CharIes S. の変容ではなかっただろうか。『国際政治史の理論』に収め Maier) の仕事を挙げることができよう。高橋とメイアーの研 られた「国家」論文では、ロッカンに依拠して「中枢」 究テーマはしばしば重なっており、戦間期の相対的安定期の 「周辺」構造からなる近代国家形成を説いたのち、コックス現出とその限界について ( 高橋 1983 Maier 1975 ) 、またドイツ に依拠して「生産の社会関係モー ド」 ( 階級関係 ) と「世界秩民主共和国の崩壊と東西ドイツ統一の政治過程について ( 高 橋 1999 Maier 1997 ) 、両者はそれぞれ本格的な研究書を上梓 序」 ( へゲモニ ー ) による現代国家の変容をとらえようとしてい シャル・プランやホロコース る ( 同書〕 98 ー 154 ) 。「帝国主義」論文では、「もし可能であれしている ( 1 ) 。メイアーはマー ば非公式のコントロールによる貿易で、必要なときには支配 トについての戦後史、あるいは時間やジェンダーのような政 をともなう貿易で」という「非公式の帝国」からさらに、 治の境界領域をめぐる考察など、多様なテーマに次々取り組 「非公式の帝国」がなぜ「公式の帝国」に転化するのかとい んでいるが、近年は国家論や帝国論に重要な業績がみられ う問題に踏み込み、「西欧」国家の中枢のみならず、植民地 る ( 2 ) 。高橋とメイアーの両者が、「国内」「国際」「帝国」の 官僚・兵士などの「出先」、非西欧人との「協力メカニズム」国家の三次元のいずれかを捨象することなく、連関のうちに とらえようとしたことは、単なる対象地域の重なりを超えて の崩壊といった「周辺」からの動因が照射されている ( 同書〕 155 ー 243 ) 。「権力政治」論文では、ウィーン体制期のゲンツ再評価する意味があるのではないだろうか。 学 メイアーは主に初期の業績によって比較政治経済史家とし 治から第一次世界大戦前のトライチ、ケにいたる間にヨーロッ 史パ国家システムの規範としての「勢力均衡」が脱規範化してて高く評価されてきた。篠原一はメイアーの研究を、経済の 歴 ゆき、ついに「戦争は野蛮ではない」とする権力の極端な正メカニズムのみでなく、政治や社会の構造、ポリティカルな の 家統化をもたらしてしま 0 たと論じる ( 同書→ 55 ー→ 97 ) 。ただし市要素を人れて考察したという意味で、歴史政治経済学でなく 民社会それ自体が戦争に向けて組織されたと考察する「権力歴史政治経済学であるとしている ( 篠原 2007 ) 。ドイツ・フラ 政治」論文 ( 原著論文 ( 高橋→ 994b ) ) は、「現代的権力政治」そンス・イタリアの一次資料を駆使して各国史専門家を驚かせ

5. 思想 2016年 07月号

142 〈論文〉 「ドイツ賠償問題の史的展開 ( 一九二〇年ー一九二四年 ) ーー国際紛争及び連繋政治の視角から」 ( 全六回 ) 、『國家學會雑誌』八九 ( 九・一〇 ) 、九〇 ( 一・ 一 l) 、九〇 ( 三・四 ) 、九〇 ( 七・八 ) 、九一 ( 一 ・一 l) 、九一 ( 三・四 ) 、一九七六年九月、一九七七年 ・三・七月、一九七八年一・三月 「権威主義体制の研究ーー —・丿ンスの研究を中心として」、『思想』六三七号、一九七七年七月 「戦後日本の平和論ーー一つの位相の分析」中村研一と共著、『世界』三九一号、一九七八年六月 「日本の軍事化」大西仁、鈴木佑司、中村研一と共著、坂本義和編『暴力と平和』朝日新聞社、一九八二年 「世界軍事秩序論ーー現状と構造」、日本平和学会編集委員会編『平和学ーー理論と課題』早稲田大学出版部、一九八三年 「ドイツ社会民主党とヨーロッパ 一九四五ー一九五七年」、『国際政治』第七七号、一九八四年九月 オーストリ 「大連合体制とデモクラシー アの経験」、篠原一編『連合政治 2 ーーデモクラシーの安定をもとめて』岩波書店、 「政党政治の定着と崩壊」宮崎隆次と共著、坂野潤治・宮地正人編『日本近代史における転換期の研究』山川出版社、一九八 「ドイツ社会民主党と外交政策の「転換」 ( 一九五五ー一九六一年 ) 」、『國家學會雑誌』九九 ( 一・ (l) 、一九八六年二月 「西ドイツ政党政治の「変化」」、国家学会編『国家と市民 2 政治・国際関係』有斐閣、一九八七年 「西欧社会のゆくえ」、馬場伸也編『講座政治学 5 国際関係』三嶺書房、一九八八年 「国家の生成と機能」、宇波弘文編『岩波講座転換期における人間 5 国家とは』岩波書店、一九八九年 「環境問題をめぐる西欧の「新しい政治」」、有馬朗人他『東京大学公開講座環境』東京大学出版会、一九九一年 「西欧のデタント 東方政策試論」、大童一男他編『戦後デモクラシーの変容』岩波書店、一九九一年 「帝国主義の政治学」、大江志乃夫編『岩波講座近代日本と植民地 1 植民地帝国日本』岩波書店、一九九二年 "The lnternationalization of Kanagawa Prefecture. ・・ The 、ミ e ミ ~ ・ 0 ミ ~ ・ミ ~ ミ ~. Eds. M. Weiner and G. D. Hook. Rout- ledge. 1992 「政権党か万年野党か」「日本外交とドイツ外交ーー外交政策の在り方に関する比較」、平島健司と共著、山口定、・ルプレ ヒト編『歴史とアイデンティティ 日本とドイツにとっての一九四五年』思文閣出版、一九九三年 一九八四年 五年

6. 思想 2016年 07月号

ダニレフスキイ、トインビーなど ない。たゞ近代歐洲國際政治社會がいかにして形成せられ、傾倒し、シュペングラー いかにして經營せられ、いかにして、發達し來ったかを、出に学んだ。一九八八年、神川が白寿を目前に死去した頃、彼 來るだけ確實な典據に基いて敍述しゃうと試みたのみであと東京大学法学部との関係は疎遠になっていたが、同学部 る」 2 。神川は一九五〇年、この大著の内容を、の特『研究・教育年報』は、神川の肖像写真を掲載して哀悼の意 別教養講座 ( 全一〇回 ) でも紹介したが、講座が一九四〇年代を示した。ちなみに神川の肖像写真の裏頁には、奇遇にも退 末で終わったのに対し、死後刊行されたその原稿では、一九官する坂本義和の肖像写真があった。 六〇年代の世界まで扱っている。更に一九六六年から一九七神川彦松が「國際政治史」を唱道する中で、神川がそれと 二年にかけて、神川は『神川彦松全集』を刊行した。これら対を為すと考えた「國際政治學」を担当したのが、神川と同 の著作には、神川が敗戦を超えて堅持する歴史観が示されて期の南原繁 ( 一八八九ー一九七四 ) だった。南原は帰国後の一九 もた神月こ ーまヴェルサイユ体制、ワシントン体制の不公平な 一一四年、「國際政治學」 ( 同年設置の「政治學政治學史第二講座」 ) 年性格を強調し、それを打破しようとした日独を弁明し、日本の助教授となった。東京大学法学部の国際政治学は、当初か の人やドイツ人を占領地から追放したソヴィエトの「過激きわら思想研究の色彩が強かったのである。南原はフイヒテ研究 まる民族主義」を非難した。「パクス・アングロ・アメリカ によって民族主義の起源を考察し、またカント研究で永遠平 史 治ーナ」の「巨大な平和の殿堂」など「砂上の楼閣」に過ぎな和論を考察した。但し南原は、早くも一九二五年には「政治 際 「一世の風雲児」ヒトラーは英米と連合してソヴィエト 學史」担当に変更となる ( 尚一九三九年に「政治學政治學史第三 国 を打倒しようという「大志を抱いた」という表現もある。冷講座」 ( 東洋政治思想史 ) が設置され、翌年丸山眞男が助教授に就任 る 戦については、「種族主義」の観点で考察し、その中心的主する ) 。同世代の神川とは交流が続き、戦後に立場が別れて お 体たる米仏中ソの背景には「アングロ・サクソン種族」、「ラ も、南原は友人神川を忘れなかった。南原は『神川彦松全 学テン種族」、「中国種族」、「スラヴ種族」があると診断し集』をこう推薦している。「政治と政治学のコペルニクス的 た。一九五〇年に「公職不適格」認定を解除された神川転回ーー従来の政治学と外交政策論に満足せず、新しく国際 大 は、東京大学名誉教授、明治大学教授になり、日本国際政治政治学の樹立を目ざした研究は世界においても少なく高く評 京 東学会初代理事長、日本国際間題研究所初代所長を歴任した。価されてよい」を。 神川はアメリカの対日圧力を批判し続け、矢部と自主憲法制 定運動に加わった塑。晩年の神川は「文明」論。 こより一層

7. 思想 2016年 07月号

120 人」の若手論客として、自由民主党の万年保守政権に対抗す本国憲法体制大日本帝国憲法体制 / 革新保守 / 市民運動 る言論活動を華々しく展開した。 国家権力 / 普遍的価値「日本の伝統」 / 革新ナショナリ 「ヨーロッパ政治史」を担当した篠原一 ( 一九二五ー二〇一 ズム ( 普遍的価値を追求する独自のナショナリズム ) 過去を向い 五 ) は、戦後民主主義の代表的論者として日本学界で重きをた特殊価値を軸とするナショナリズム / 反共覇権国アメリカ なした。戦後知識人の間ではマルクス主義への共感或いは部対日民主化国アメリカ / 自主平和外交対米従属外交 / ア 分的受容は日常飯事だ。たが、篠原の傾倒は本格的で、「 ジア「開発途上国」「後発先進帝国」日本 / 地域共同体 ルクス、レーニンや東独歴史学に依拠した革命戦術論『ドイ近代国家 ( 主権国家・国民国家 ) / 後発国ソ連西側先発国 ( 軍 ッ革命史序説』を処女作とし ( 西、自由主義Ⅱ資本主義圏へ産官複合体 ) 等。坂本は、権力闘争を運命と見ることを批判し、 の批判的姿勢が顕著であ「た。やがて篠原は、自民党政権打人間融和の可能性を追求した。また国家権力に批判的な坂本 倒の大目標は維持しつつも、「代表制民主主義の危機」を高は、「国際政治」ではなく「世界政治」という語を好み、国 唱して「住民運動」や「革新自治体」による下からの新たな内政治と国内政治との垣根を取るよう訴え、世界システム論 制度形成を促したり、「連合政治」を研究して日本社会党をに傾倒した。丸山の「反・反共主義」を受け継いで、坂本は 中心とする反自民野党共闘の可能性を模索したりするなど、 北朝鮮の研究者などとも努めて交流し、対北朝鮮「封じ込め 武装蜂起以外の手法を検討するようにな。ていく。篠原はま政策」を非難した。坂本は米ソを共に ( その本質においては ) 民 ーロッパ政治史の脱歴史学化を推進し、「歴史政治学」主的勢力だと考え、自由主義、社会主義両陣営の平和共存に なる「理論的」政治史研究を提唱した。篠原の弟子たち、孫期待し続けた。 弟子たちは「篠原シューレ」と呼ばれ、社会党、民主党、民 坂本義和の牧師然とした峻厳な態度には、場の空気を支配 進党の応援団として「生活経済政策研究所」 ( 前「平和経済計する不思議な効果があった ( 坂本義和や藤原帰一の特徴である威 画会議」 ) や言論の場で活動し、今日に至っている。 圧性を、戸澤英典は「瞬間芸」と呼んで好意的に評価する ( 芝 ) 。坂 「国際政治学」を担当した坂本義和 ( 一九二七ー二〇一四 ) も、本は国際政治学を積極的に道義的に解釈し、政治の諸主体に 戦後民主主義の体現者だ「た。坂本は岡義武の下で助手論文価値的評価を行。た。坂本は恩師岡義武の『国際政治史』を ドマンド・ ークの考察 ) を執筆して助教授に採用されたが、称揚する一方、神川彦松の仕事を無視し、名前を挙げること 丸山眞男に深く傾倒し、福田歡一の影響も受けた。坂本は一一すら避けた靄 ) 。坂本はまた同世代、若手の研究者にも呼び 項対立論を駆使して、実践志向の平和研究を提唱した 日掛けて、無数の共同研究会、国際会議を組織し、平和主義者

8. 思想 2016年 07月号

のネットワークを作った ( 週。こうした坂本の行動様式には一九八六年三月 ) 。 権威主義を感じる者も居た。その代表格が京都大学法学部で 高橋進は左派ミリューの出身である。小学校教諭だった父 国際政治学を担当した高坂正堯 ( 一九三四ー九六 ) だろう。坂高橋清は、地元川崎市で助役を経て市長となり、三期一二年 本は、高坂は空襲のなかった京都出身だから、戦争の悲惨さの市政で市民運動との連携を目指した。自由民主党政権を再 が骨身に滲みていないと批判した⑩。「戦後」の感覚を当然生産する「代表制民主主義」に批判的で、住民運動・革新自 の出発点とする坂本に、東京大学法学部系の政治学者が多く 治体支援へと傾斜しつつあった篠原一を、高橋は助手、助教 影響を受け、「坂本先生は現実主義的だ」というのが合言葉授として ( のちには馬場康雄と共に ) 補佐した。高橋は東京大学 仲間か否かの区別に用いる言葉ーーーとなった@。因み法学部の有名教官の一人となり、政界、官界、出版界にも幅 に白黒図式は「知的な怠惰」だという高坂の批判は、坂広い人脈を有するフィクサーとなった。その一方で研究者と 本らを念頭に置いたものだろう。 しての高橋は、多面的で捉えにくい性格を有していた。 年丸山眞男や篠原一、坂本義和らが東京大学法学部の花形教高橋進の原点はドイツ外交史であり、重厚な実証史学であ の授とされ、学生運動の大波も押し寄せる中で、古典的な外交る。日本のドイツ「現代史」研究は理論重視の傾向が強く、 。実直に西独歴史学界を「歴史家ツンフト」と呼んで嫌い、マルクス 廴史研究を追究した横山信の姿は見えなくな。てい 治 フランス近代政治外交史の研究に徹した横山は、坂本のよう 主義の影響を受けていたが、高橋は当時の日本では抜群の史 政 際な言論人としての軽妙さを有して居らず、また政治学の専門料基盤を誇「た。高橋のドイツ外交史研究は、三つの主要作 業績に関しても、丸山や篠原ほどの強い手法的、内容的個性品を生んでいる。第一は『ドイツ賠償問題の史的展開』で、 る けを持たなかった。横山が四〇歳過ぎで早世すると、「外交史」高橋の出世作 ( 助手論文 ) である。高橋は賠償問題を巡る独仏 講義は江口朴郎の愛弟子だった斉藤孝 ( 一九二八ー二〇一一・ 対立が、シュトレーゼマンら共和国維持派の結集と ( ドイツが 学東京大学教養学部助教授、のち学習院大学法学部教授 ) が非常勤で譲歩した ) 独仏和解で大団円を迎える様を描いている ( 。第 二は「ドイツ社会民主党と外交政策の「転換」」で、同党の 担当した。横山の名前を口にする者は誰も居なくな 0 た。 大 統一重視から緊張緩和Ⅱ統一抛棄への転換を論じた石 ) 。第 京 四高橋進による「国際政治史」の「比較政治」化 東 三は『歴史としてのドイツ統一』である ( 西。ドイツ史家で 一九七五年八月、高橋進が助教授に就任したことで、東京あることは、彼の誇りであり続けた。 大学法学部の「外交史」は再び専任担当者を得た ( 教授昇進は だが高橋進は、就職後は寧ろ「政治学」的であろうとする

9. 思想 2016年 07月号

の国際政治史的検証を目指した作品と受けとめられる。こうした理念と歴史の架橋を考察する方向に加えて、 同じ第二世代の故篠原一は、理論を意識した政治史の確立へと向かった。篠原は『ヨーロッパの政治 , ーー歴史 プロー一アル、ウォーラースティンと、 政治学試論』 ( 東京大学出版会、一九八六年 ) でも、たとえばトインビー ったマクロ理論とは異なるミドルレンジの政治史をめぐる理論形成にこだわり続け、第三世代の高橋だけでな く高橋「門下」にも、直接・間接の影響をもたらしたと推察できる。 坂本、篠原が取り組み続けた理念・理論と歴史・実証をめぐる新たな思索は継承されていったが、奇しくも この企画が進行している途上で、第二世代を代表する二人が鬼籍に人ったことは、戦後の政治学を牽引した一 つの潮流に大きな画期をもたらしたと位置づけられる。せんずるに、戦後第一世代から第三世代の高橋進へと 葉連なる、「市民による」政治という理念の中で、政策決定者の営為だけに注目するのとは異なる理論的志向が、 今後どのように展開されていくのかも間われるはずである。無論、こうしたスタンスに対する批判もふくめ、 これらの遺産をどう受けとめていくかについては、各研究者ごとに異なる態度が示されよう。 想 さらに、以上の流れと並行して、政治学と歴史学とを橋渡しする方法論上の課題も浮上する。仮に一国史的 な研究であっても、複数国間の相互作用、比較の文脈から分析は深められるし、国際政治学の分析枠組を利用 すると同時に、地域の固有性に配慮した、幅広い理論構築も期待可能である。また、一見静態的な制度を中心 とする論考が、その構造の歴史的ダイナミズムを探求する契機となる場合も想像できる。それらは、比喩的に いえば、地域間 ( 内 ) の相互関係を論究する横軸と時系列の因果関係を検討する縦軸が織りなす複合的なタベス トリーにも見える。 今回の執筆者に限らず、高橋の指導を受けた研究者は多種多様であり、必ずしも共通の問題認識、理論、実 証方法をもっているわけではない。しかし期せずして、集まった論考は理論的考察、実証的分析を間わず、歴 史を単なる理論の検証事例として限定することなく、個々の独自性とそれぞれのつながりにも着目している。

10. 思想 2016年 07月号

論に接近してきた。 「友愛」運動などとも接触し、ジャーナリズムとの関係構築 高橋進からドイツ現代政治研究を継承したのは、網谷龍介でも高橋の行動様式を引き継いでいる。八谷まち子は、トル ( 神戸大学、明治学院大学、津田塾大学 ) 、安井宏樹 ( 神戸大学 ) でコの加盟間題などを研究している。高津洋平は、フラン ある。網谷の修士論文「「転換」後の社会民主党」は、高橋スを中心とした欧州統合史の研究を志し、一時ポーランドに の先行研究を史料も含めて直接継承するもので、提出後網谷も興味を示したが、同時にフランス左派の研究も行った。野 は高橋の二代目助手となった。網谷の助手論文は、社会民主間愛子もフランスを中心とした欧州統合史の研究を志し、農 党や労働組合による初期連邦共和国のネオ・コーボラティズ業利益団体の変容に関して研究した。佐藤俊輔は「民主主義 ム構想を扱ったが、冒頭部分のみの刊行で終った。これを機の赤字」論から出発し、現在は移民統合問題を研究している。 に実証史学を離れた網谷は、高橋の理論紹介を洗練させ、欧 高橋進から国際政治学を継承したのは、増島建 ( 獨協大学、 ガヴァナンス論、欧州統合論を受容し、国際政治学の整理に神戸大学 ) 、木村正俊 ( 法政大学 ) 、李鐘國 ( 東北亞歴史財團 ) 、元 年際しては細谷『外交』 ( 有斐閣、平成九年 ) に挑戦を試みた。網田結花 ( 北海道大学、学習院大学 ) である。増島はフランス大使 の谷は「政治学」の新手法にも挑戦し、計量政治学による欧州館専門調査員の経験が長く、仏アフリカ政策 ( 開発援助論 ) に 取り組んできた。木村は、中東・アフリカの脱植民地化を研 諸国分析にも乗り出した。安井は自由民主党 ( ) 研究か ら始めたが、その後は「篠原シューレ」の流儀に従い、社会 究し、現代中東政治にも手を伸ばしている。李は欧州緊張緩 際民主党や社会政策の研究に取り組んでいる。 和を論じて博士号を取得し、高橋『歴史としてのドイツ統 高橋進から欧州統合史研究を継承したのは、戸澤英典 ( 大一』を翻訳し曾正は丕。 R 「等望望ヱ』 ( 分断終熄の統一外交 ) ) 、東 け阪大学、東北大学 ) 、八谷まち子 ( 九州大学 ) 、高津洋平 ( 外務省 ) 、 アジア国際政治論に移行した。元田は元来国際公務員志望だ 野間愛子 ( 外務省 ) 、佐藤俊輔 ( 早稲田大学 ) である。戸澤はフッ ったが、高橋に専修コースから三代目助手として採用され、 トワークが軽く語学好きで、エッセン大学に留学後、ブリュ国際開発援助論を整理した助手論文を提出し、実証研究にも 学 ッセルの欧州連合日本政府代表部で専門調査員も経験した。 取り組みつつある。 学 戸澤は高橋と反ドイツ・ナショナリズムの立場を共有し、欧 高橋進から国際政治理論研究を継承したのは、山崎望 ( 駒 京 東州統合に興味を懐いた。そして反ナチズム抵抗運動、欧州交澤大学 ) である。山崎は、国際政治に関する「政治理論」を 通政策の研究を経て、クーデンホーフ・カレルギ及びその日論じ、「帝国」、「民主主義」、「後期近代」、「シチズンシップ」、 本での影響の研究に行き着いた。最近の戸澤は鳩山一族の「熟議」、「公共圏」など、篠原一にも通じる政治概念につい