なる真如が、おのずから動いて ( 自らの在り方を否定して現象の 中に下り ) 、個々の存在者として顕現する。しかし多として顕 現しつつも、真如は「一」に留まる。真如が現象の内に消滅 することはない。超越的一に留まっている。しかも「一」な る真如が分解して多様な存在者になるのではなく、「一」が 論文「実在に就いて」ーー「統一的或者」と「自発自展 「一」のまま個々の存在者になっている。個々の存在者がそ れぞれ「一」の全体的な顕現なのである元 ) 。 論文「実在に就いて」は、以下のような論理構造を持つ。 西田が『善の研究』において論じた「純粋経験」もまた第一に「統一的或者」。西田は個々の実在の根柢に「統一 「一なるものの自発自展」として展開する。あるいは、純粋的或者」があるという。「先ず凡ての実在の背後には統一的 経験の展開として個々の意識現象が成り立つ。したがって、 或る者の働き居ることを認めねばならぬ」 ( 一巻、五五頁、『善 す。へての意識現象の根柢に純粋経験がある ( 内在する ) 、にもの研究』岩波文庫版 ( 以下「文」と略 ) 、九一頁 ) 。 かかわらず、純粋経験は ( 超越性を保ち ) 他の意識現象から区 「背後に働く」というメタファーは、「根底に潜んでいる」 別され、特別な位置に置かれることになる。 とも「個々の実在をつなぐ媒介者」とも言い換えられながら、 むろんこうした要約では粗すぎる。正確には「統一的或何度も登場する。しかし実は、そもそも個々の実在が、統一 者」が「自発自展」するのであり、「純粋経験」の用語も整的或者の自己展開した姿であると明かされる。「統一的或者」 理が必要である。そこで今度は西田の議論に立ち人って見るという「一」が様々な存在者「多」として顕現している。そ 仔ことにする。西田を明治の哲学界に知らしめることとな 0 たの事態を存在者の側からみる時、まず、「すべての実在の背 乗初の本格的論文「実在に就いて」 ( 『哲学雑誌』第二四二号、明治後には統一的或者が働く」と語られるのである。 * 『起信論』で言えば「如来蔵」の間題に対応する。「現象的存 『四〇 ( 一九〇七 ) 年、西田三七歳 ) 。後の『善の研究』「第二編」 在次元において働く真実在それ自体」の問題である ( 本稿 ) 。 学である。 哲 田 * 論文「実在に就いて」の用語法における「実在」は、厄介なこ 西 第二に「統一的或者」の自己展開。すべての物は対立によ とに、多くの場合「現象即実在論」の「現象」に対応する。 って成立する。しかしその対立する物は、他から来るのでは 「個々の実在」「すべての実在」などは、個々の存在者、即ち、 現象界における「多」である。他方、「現象即実在論」におけ なく、「自家の中より生ずる」。「統一的或者」に備わる「内 る「実在」は、「真実在」「統一的或者」などと言い換えられる が、一定しない。西田は、現象界の「多」の外に実体としての 「実在」を設定することなく、現象界の「多」をそのまま「実 在」と見ようとする。
108 個々の存在者に内在しつつ、しかし真如としての超越性を保同時に超越的なものへと「翻る」。 ち続ける。 「超越的なものは、現象へと自らを展開しつつも、それ自 四逆から言えば、真如の超越性は、現象から離れて成り立身は現象に非ず ( 即非 ) という仕方でどこまでも超越的なもの つわけではない。現象の内なる超越性である。同様に「現象に」留まり、「自己覆蔵的なものになる」 ( 同、三〇四頁 ) 。動 即実在論」の実在も、現象に内在しつつ、しかし実在としてかずに留まるのでもなく、外に流れ出てしまうのでもない。 の超越性を保ち続ける。 「自己自身へと遡源的に翻る」と説明されるしかない「覆蔵 このように『起信論』における「真如」は自ら変化し、リ 男 ( 自己蔵身 ) 」という在り方である。 * 西田は論文「場所的論理と宗教的世界観」の中で、こうした の在り方へと変容しながら ( 自己顕現しながら ) 、他方では、そ 「蔵身」の在り方を、「絶対無に対する」とも、「自己が自己矛 れ自身に留まり、その超越性を維持している。こうした相矛 盾的に自己自身に対する」とも、「無が無自身に対して立つ」 盾する双面性を、井上克人は「顕現」と「覆蔵」という一対 とも言い換えることになる ( 一〇巻、三一五、三一六頁 ) 。後に の術語で呼ぶ。真如は、覆蔵態と顕現態という「存在論的に 詳しく見る ( 本稿国 ) 。 は背反する両面をもっ」というのである ( 井上克人『〈時〉と 〈鏡〉』一〇八頁、他 ) ( 幻 ) 。 興味深いのは「覆蔵」である。この用語は「自己蔵身」と さて、そのように理解してみれば、「現象即実在」の「即」 も言い換えられ、真如は「超越的に自己自身のうちに蔵身しは、単なる同一や合致ではありえない。むしろこの「即」に つつ、同時に、自ら顕現せしめたすべての存在者の中に内在は「卩ト 尺丿 ( 同一に非ず ) 」の意味が含まれている。より正確に する」という形で用いられる ( 同、二三四頁 ) 。あるいは、真は「即非」であり同時に「即」であるという、それ自身の内 如は「現象へと自らを展開しつつも、それ自身はその超越性に矛盾を孕んだ「即非的自己同一」。「即」という一文字は、 を維持すべく、自己自身へと遡源的に翻る、つまり自己蔵身〈実在が現象へと自らを展開しつつも、それ自身はその超越 する」 ( 同、二三五ー二三六頁 ) 。 性を維持すべく、自己自身へと遡源的に翻る〉という「実在」 つまり、真如が自らに留まり続けるとは「遡源的に翻る」の特殊な在り方を言い当てていたことになる。 ことである。動き出さずに留まるのではない。現象として もう一点、重要なのは、『起信論』における真如の「自発 ( 個々の存在者へと ) 自らを顕わす、ということは、超越的な在自展」である。真如は、おのずから、自らを現象へと展開す り方を自ら否定して現象の中に「下る」、 にもかかわらず、る。外からの影響によって現象に変化するのではない。「一」
そらく彼らのいう実在は『大乗起信論』の「真如」の観念に『起信論』であった。したがって、もし坦山がテクストに もっとも近いであろう」 ( 小坂『明治哲学の研究』まえがき ) ( 幻 ) 。 『起信論』を選ぶことがなく、あるいは別の人物が担当して いたら明治期哲学は異なる展開を見せた可能性があるという 明治期の「実在」概念は「仏教的な実在観」を基礎にして おり、『起信論』の「真如」の観念に近いというのである。意味において、「偶然」と一一 = ロえないこともないのだが、しか さらに井上哲次郎の「一如的実在」も「真如」に近いという。し結果から見た時、やはり『起信論』がその時代の課題に応 「一般に日本的観念論の原型を井上の現象即実在論に、さらえる魅力を備えていたと考えた方が事態に即している。 西洋哲学と対峙しうる体系を備えた東洋の思想。西洋とは に遡っては『大乗起信論』にもとめることができるのではな かろうか」 ( 同、三六六頁 ) 2 。むろん先に見た原坦山「仏書異なる論理構造。そうした期待を抱いた明治の若い世代の眼 講義」の系譜のことであるのだが、興味深いのは、小坂がそに、『起信論』は ( 鈴木大拙の言葉で言えば ) re 一一 g 一 0 も h ま soph 一 c れを人脈の話とせずに、明治期哲学と仏教思想との関連とし discourse をもって見事に応えたことになる。むろん歴史的 て考察を深めている点である。明治の知識人は幕末以来、儒に「古典」として評価が高く、また ( 例えば『教行信証』のよ 教的伝統を媒介して西洋哲学を受容してきた。ところが西洋 うな ) 個別「宗派」の経典ではなかったことも重要なのだろ うが、それ以上に「哲学としての仏教思想」という点が若い 哲学の紹介や解説では満足せず「いわば自前の哲学を形成し ようとする段階に達したとき、彼らが依拠したのはもはや儒世代の心に響いた。 教思想ではなく、仏教思想であった」 ( 同、三六九頁 ) 。儒教は 『起信論』の詳細は後に見ることにして、今は『起信論』 の「真如」と明治期哲学の「実在」の関係のみ確認しておく 実践的な思想である反面「論理的・内省的な思考に欠ける」。 儲それに対して「仏教思想は瞑想的であ。て深遠な形而上学的ことにする。 乗思考に長じている」。そこで明治の思想家たちは、独自の哲一「現象即実在論」は実在を現象の只中に見る。『起信論』 大 学を構築しようとする段になって「仏教に目を転ずるようにの真如も現象の外ではない。個々の存在者の根柢に伏在する。 あるいは、個々の存在者がそのまま真如の姿である。 学な 0 た」というのである ( 同、まえがき ) 。 ではなぜ『起信論』であったのか。 ( 先に見たように ) 大学 二実は、真如が自己顕現することによって、個々の存在者 田 西アカデミズムの中に「仏教思想」を組み人れる案が浮上した となっている。個々の存在者は真如の顕れた姿である。 時、加藤弘之は仏教を哲学として論じることのできる人材を三しかし真如が現象の内に解消してしまうわけではない。 求め、その期待を背負った原坦山がテクストに選んだのが個々の存在者として顕われても、真如は真如であり続ける。
106 るが、しかし「本体」が「仮現」から離れて存在するわけでして、二つの論点に焦点を絞ることにする元 ) 。 * 『一般者の自覚的体系』 ( 一九三〇年、全集第四巻 ) 、『無の自覚 はない。「本体」は「仮現」として存在する。しかし区別が 的限定』 ( 一九三二年、全集第五巻 ) の体系を、『起信論』の構造 なくなるのではない。そうした関係 ( 双面性・非一非異 ) を「絶 と重ね合わせ、例えば「判断的一般者」から出発してそれを包 対即相対」の「即」の一文字で写しとろうとしたことになる。 括するより大きな一般者へと昇りゆく階梯を「不覚から覚へ」 そう考えると、個々人の「自我 ( 相対 ) 」と「本体 ( 絶対 ) 」 と向かうプロセスと重ね、逆に、「絶対無の自覚的限定」を との関係も変化する。「自我」が「本体」に帰するというの 「不覚の形成プロセス ( 三細六麁 ) 」と重ねて検討する作業は、 は、「自我」が消え去ることではない。むしろこの「此世」 極めて困難が予想されるとしても、比較思想研究としては、 の現象界 ( 差別相 ) のまま存在しつつ、本体 ( 無差別相 ) に帰する。 つの課題である。 現世の営みから離れてしまうのではなく、現世の営みの中に ありながら、神に帰する。あるいは、神に帰するという仕方 なお、本章との関連で「現象即実在論」を先に検討し ( 第 で、現世の営みを生きることになる。 二章 ) 、その後『起信論』の論点を洗い出し ( 第三章 ) 、最後に こうして、この貴重な断片は ( これから見てゆくことになる ) 「絶対即相対」の論点を検討する ( 第四章 ) 。 『起信論』の要点を先取りする仕方で間題を提示している。 第ニ章明治期哲学と論文「実在に就いて」 注目したいのは、西田が『起信論』に重ね合わせた二つの論 『起信疆』との関係 点、「現象即実在」と「絶対即相対」である。以下、まず 明治期哲学ーー「現象即実在論」の系譜 「現象即実在論」を西田の最初期の論文「実在に就いて」に おいて確認し『起信論』との重なりを見る。続いて、「絶対 近年、明治期哲学の根柢に『起信論』を認める研究は珍し 即相対」の問題を論文「場所的論理と宗教的世界観」におい くない。その主流は「現象即実在論」でありその系譜は『大 て確認する。「絶対的一」である「真如」と「相対的多」で乗起信論』に遡るというのである。例えば、 / 坂国継はこう ある「現象界」との関係が、「絶対即相対」の「即」の出来指摘する。「明治期の形而上学は、 ( 中略 ) 現象即実在論とい 事として、解きほぐされることになる。 う共通した性格をもっている。それは仏教的な実在観を基礎 むろん、西田哲学と『起信論』との比較思想研究のために にしたもので、現象と実在とを区別せず、両者を表裏一体と は、更に多様な論点が必要になるのだが、小論は、あくまで考える点、また実在を何ら実体的なものとは見做さないで一 この貴重な「断片」に残された西田自身の言葉を手がかりと種の根源的な活動ないし作用と考える点で共通している。お
102 ReaIity を「実体、真如」と説明し ( 「実体」と「真如」を等置弘之である。加藤は、仏教を宗教としてではなく、哲学とし て論じる人材を望んでいた 0 。 し ) 、わざわざ『起信論』を参照せよとも明記している。 「 Reality: 実体、真如、按 ( 参照せよ ) 、起信論、当知一切法原坦山 ( 一八一九ー一八九一 l) は最初儒学を学び、二一歳を過 ぎて曹洞宗で出家する。しかし一貫して合理的思考に徹し、 不可説、不可念、故名為真如」 ( リ。 実在は「説く」ことも「念ずる」こともできない。「実在」一時期は西洋医学を学ぶなど、当時の宗門に対しては批判的 は「現象」から区別される。では「実在」は認識不可能なのな立場に立っていた。加藤は、当時僧籍を失い「一介の易 かといえば、井上は実在を現象の只中に見る。現象の外に超者」となっていた坦山を「和漢文学科の講師」として招聘し、 ところが『起信論』に基づく井上は、週二回『大乗起信論』の講義を担当させた信 ) 。 越的存在を想定しない。 「実在」が超越性を保持するという。「現象」の只中に「実坦山は、加藤の期待に応え、仏教の根柢をなす哲学的構造を、 在」は顕れる、にもかかわらず、両者は一体ではなく「実西洋哲学と比較する仕方で説いた。学生たちは、西洋哲学とは 異なる仏教思想特有の論理に目を開かれ、西洋哲学の概念を 在」の超越性は保持される。 第二章で見るように、明冶期哲学はこうした「実在即現もって東洋の独自性を浮き彫りにする課題を自覚した。 むろんそれは仏教に限らない。西洋を「普遍」として受け 象」の論理を共有していた。近年の研究は西田哲学もその系 譜の中に位置づけ、あるいは、『起信論』における「真如」人れ、その「普遍」から承認を得ることによってしか「自 の論理が西田哲学の一貫したテーマであったともいうのであ立」を獲得しえない「近代日本」の一事例にすぎないのだが、 しかし明治開国から一二年、帝国大学アカデミズムの中で では、井上に『起信論』を教えたのは誰か。それが原坦山「仏書」が講義され、若き学生たちを鼓舞し、そこから明治 である。井上より三六歳年長の坦山は、明治一二 ( 一八七九 ) の形而上学が展開したことは注目に値する。 年一一月から東京大学 ( 帝国大学へと改名する以前の「旧」東京原坦山に学んだ学生には、井上哲次郎のほか、井上円了、 大学 ) 文学部の選択科目として「仏書講義」を担当した ( 現在清沢満之、三宅雪嶺など。その流れが後に「現象即実在論」 と呼ばれる。明治期の形而上学に共通する「現象即実在論」 の東京大学「印度哲学講座」の淵源となる科目である ) 。 は坦山の「仏書講義」 ( 「印度哲学」 ( リ ) を源流とし、『大乗起信 東京大学創立から一一年後、学科再編に際して、西洋哲学に 対峙する東洋哲学の必要が叫ばれた際、この坦山に白羽の矢論』を土台とした。 を立てたのは、当時「 ( 旧 ) 東京大学法文理三学部綜理」加藤
136 場合も同じで、直観がどのようになっていれば当該純粋知性「実在性」の図式は、時間の中に何らかの感覚が現れるこ 概念がそれに適用できるかを、図式が定める。カントは言う。 とである。時間の中に感覚が現れるなら、「実在する」とし てよい とい、つことである。 アプリオリな純粋概念は、カテゴ リーにおける知性の機能 このことを押さえておけば、「実体」の図式が「時間にお のほか、感性 ( とりわけ内的感官 ) のアプリオリな形式的条件ける実在的なものの持続性」朝とされることも理解できるで を含まなければならない。それは、カテゴリ ーがそのもとあろう。つまり、時間の中に感覚が現れるだけでなく、それ でのみ何らかの対象に適用可能な普遍的条件を含む。われが持続するということである。この条件が満たされるものは、 われは、知性概念の使用がそれへと制限される、感性のこ「実体」として扱われていいということである。 の形式的かっ純粋な条件を、この知性概念の図式と呼び、 「原因」の図式は、なんらかの実在的なもの ( つまり感覚的 知性によるこの図式の使用の仕方を、純粋知性の図式機能に現れるもの ) が現れれば常に他の実在的なものが継起すると と - 呼ぼ、つと思、つ ( 芻 ) うことである ( 「常に」というのは、「規則に従って」ということ である ) 。そのようなことがあれば、先に現れる実在的なも すでに「演繹」において、認識獲得における、多様なもの のは「原因」として扱う。へきである、というのである。 をとりまとめて一つにすること ( 多様なものの総合的統一 ) の必 「相互性 ( 相互的原因性 ) 」の図式は、先ほどの「実体」の図 要性と、時間経過の中で各瞬間の多様なものを総合し一つに式を踏まえて、ある実体のあり方ともう一つの実体のあり方 するための、カテゴリ ーの、規則としての必須の役割が、確が、なんらかの普遍的な規則に従って同時に存在することと 認されている。そのため、カテゴー ーの適用条件としての図される。 式は、すべて、時間のあり方に関わる。つまり、あらゆる直 このように、カントは同じ心に属する二つの能力でありな 観が時間の中にあることから、この図式はすべて、時間経過がらその働きがま「たく異なる「感性」と「知性」について、 の中でかくかくのことがあれば、しかじかのカテゴリー ( 純知性がもともと持 0 ている「ものの見方」としての純粋知性 粋知性概念 ) を適用してよいとするものとなる朝 ) 。 概念がどのようにして直観 ( 現象 ) に適用できるかを、「図式」 今、「実在性」、「実体」、「原因」、「相互性 ( 相互的原因性 ) 」という第三のものを想像力が準備するという仕方で説明しょ というカテゴリーを例とするなら、それぞれの図式は次のよ うとしたのである。 、つになる。
1 10 * 『起信論』で言えば、「忽然念起」の間題である。なぜ清浄な 真如の中に「念 ( 染心 ) 」が生じるのか、あるいは、「念」を内 発的に生じさせる清浄とはどういう在り方なのか。『善の研究』 は「対立」と「統一」として解き明かそうとする。 実在は一に統一せられて居ると共に対立を含んで居らね ばならぬ。ここに一の実在があれば必ずこれに対する他の 実在がある。而してかくこの二つの物が互いに相対立する には、この二つの物が独立の実在ではなくして、統一せら れたるものでなければならぬ、即ち一の実在の分化発展で なければならぬ。而してこの両者が統一せられて一の実在 として現れた時には、更に一の対立が生ぜねばならぬ。し 第三、す。へての意識現象の背後に宇宙の根源的な力が働い かしこの時この両者の背後に、また一の統一が働いて居ら ている。ここでは「不変的或者」という言葉が使われる ( 西 ねばならぬ。かくして無限の統一に進むのである。 ( 一巻、 田の用語法において「不変的」と「普遍的」は同義である ) 。 六三頁、文一〇三頁 ) 「精神の根柢には常に不変的或者がある。この者が日々そ の発展を大きくするのである。時間の経過とはこの発展に伴 一、実在は対立を含む、必ず対立する他の実在がある。二、 う統一的中心点が変じてゆくのである、この中心点がいつで二つの物がそれぞれ独立に実在している限り、相対立するこ も「今」である」 ( 一巻、六一頁、文九九頁 ) の ) 。 とはできない。三、対立の成り立っ場が必要である。この時 この「不変的或者」は「唯一の統一カ」とも「唯一の実期の西田は両者が「統一せられたるもの」という。四、二つ 在」とも言い換えられる。宇宙万象の根柢には「唯一の統一の物の「統一」を「一の実在の分化発展」と言い換える。五、 力」があり、万物は「同一の実在」の発現したものである。 しかし二つの物が「統一せられて一の実在として現れた」時 では「この唯一の実在」からどのように「種々の差別的対には、また更に、一の対立が生じる。六、 この場合も、両者 立」が生じてくるのか。 の背後に、また一の統一が働いている。かくして無限の統一 面的性質」の「必然の結果」として個々の存在者が成り立っ ( 一巻、五八頁、文九五頁 ) 。なお、この時期の用語「真実在」 や「統一的或者」は一定しない。しかし ( 既に多くの指摘があ る通り ) 重要なのは、この統一的或者が実体ではなく、 の活動力 ( 作用 ) であり、自己展開するという点である。 * 『起信論』は「対立」とは言わず「不空」、あるいは「差別の 相」という。例えば、「心真如」は「一切の差別の相」から離 れている ( 空である ) 、にもかかわらず、自己分節する ( 不空で ある ) 。心真如それ自身の内側に既に「差別の相」が潜在し、 〈自己顕現への志向性〉が含まれているということである ( 本稿
になる。 に進む。 こうして西田は、最終的に、現象界における「多」を根源 その意味では『起信論』は「現象即実在論」に近い、とい 的統一カの多様な発現として説明した。一方で、個々に独立 うより、「現象即実在論」が『起信論』に依拠していたとい した現象的「多」の対立と統一を語りつつ、他方では、根源 うことである。それに対して、論文「実在に就いて」はその 的「一」の自己展開を語ったということである。「個々の意構図を ( 空間的な「自己分節」ではなく ) 時間軸における「対立 識現象から出立して、それらの相互の対立と統一をとおしてと統一」の自発自展として論じ直した。まさに『起信論』に すべての事象を説明しようとする多元論的な見方と、反対に よって示された「一大真理」を、ヘーゲル弁証法という「今 統一的或者 ( 根源的統一カ ) から出立して、その分化・発展の日の学理」をもって説くことを試みたのである。 諸相としてすべての事象を説明していこうとする一元論的見 純粋経験と思惟ーー思惟は純粋経験を把握できるか 方が併在」している ( 小坂前掲書、一九一頁、強調は引用者 ) ( 。 このように、論文「実在に就いて」は、「一 ( 統一的或者 ) 」 ところで、『善の研究』「序」は、「純粋経験を唯一の実在 の自発自展を語っているのだが、しかしまだ「一」の「双面としてすべてを説明して見たい」と語っていた。ところが他 性 ( 非一非異 ) 」は前面に出てこない。〈超越的な「一」が現象方で西田は「何ごとにせよ我々に直接の事実であるものは説 的な「多」へと自ら展開しつつも、それ自身は超越的なもの明できぬ」とも考えていた。 に留まる〉という「超越即内在」の論理は、直接的には語ら 「直接の事実」である「純粋経験」は説明できない、 れない。その代わり、すべての対立がその根柢に統一を持つかかわらず、その説明できぬ純粋経験を唯一の実在としてす 儲という構造が語られる。対立は統一を前提にし、その統一はべてを説明する。ではこの「唯一の実在として」とはどうい うことなのか。 乗その手前の対立を前提にする。その仕方で根源に遡。てゆき 「統一的或者」に至ると同時に、逆にそこからこの「統一的 ここで重要なのは、純粋経験が〈反省以前の主客未分〉だけ を指すわけではないという点である。むろん純粋経験は、 学或者」の分化・発展が語られたことになる。 あるいは、当時の西田の立場から言えば、「現象即実在論」〈反省以前の主客未分〉を指すのだが、それだけではない。反 田 西 が「超越即内在 ( 非一非異 ) 」を ( 共時的に ) 強調したのに対して、省の背後にも働く。反省以前の主客未分とは区別された〈反 むしろ実在の「自発自展」を ( 通時的に ) 強調してみせること省 ( 主と客の分離 ) 〉の背後にも、純粋経験は働いている。「反 によって、「現象即実在論」を新たに読み直そうとしたこと省的意識の背後にも統一があって、反省的意識は之に由って
なり ( 一六巻、二一六頁、「断片」二一 ) 。 万象を生ずるのは欲望である」。この「欲望の本は自我であ る」。そこで仏教はこの「我」を滅することを目指す。しか インド思想以来小乗仏教までは「此世は仮現」という厭世し以上は「主として小乗仏教の大綱」である。それに対して、 観であったが、大乗仏教における「涅槃」は「無」ではなく 大乗仏教に至ると理解が変化する。 「有」である。「涅槃」は、「此世」から離脱した所にあるの 大乗仏教に至ると真如なる絶対の考が一歩進んで深遠と ではなく、むしろ「此世」が涅槃となる。「活動的」な涅槃 なる。絶対は相対を離れた絶対ではない。本体はこの仮現の となる。そして、その直後に突然「現象即実在論」という一一 = ロ 現象界を離れて別に存するのではない。絶対即相対となる。 葉が登場する。 かく考ふる様になると自我と本体との関係も異なりてく る。自己が本体に帰すると云ふのは清浄寂滅に帰するので 大乗仏教は現象即実在論なり。具体的一元論なり。真如 はなくて、之の差別の現象界のままにて無差別の本体に帰 と生減とは水と波の如くに同一なり。差別即無差別、無差 しうるのである。 ( 一六巻、二三七頁、「断片」二六 ) 別即差別にして、三法印は遂に一実相印に帰す ( 一六巻、二 一六頁、「断片」二一 ) 。 ここで西田は、大乗仏教では「真如なる絶対」の理解が深 ここで西田は「大乗仏教」を「現象即実在論」と断定してまると言い、「絶対即相対」の問題と重ねている。真の「絶 いる。そしてその喩えとして、『起信論』に有名な「水と波」対」は「相対を離れた絶対」ではない。そして「本体」と 儲の比喩を挙げる。ということは、『起信論』と「現象即実在「現象」の対比と重ね、本体は仮現の現象界を離れて別に存 乗論」を重ねて理解したということであり、先に見た明治期哲するのではないと言い換える。後に見るように、後期西田の 大 学の構図である。「現象即実在論」の土台が『起信論』にあ論文「場所的論理と宗教的世界観」は「神」と「人」との関 係を論じながら、「絶対と相対」に関する濃密な議論を展開 学ることを ( 当然 ) 西田も承知していたのである。 さて、もう一つの断章 ( 断片一一六 ) においても、同じ趣旨がする ( 本稿下 ) 。ところがこの断片においては『起信論』の 田 西 より詳細に語り直されている。 「真如」の問題として「絶対即相対」を語り、「本体 ( 絶対 ) 」 が「仮現の現象界 ( 相対 ) 」から離れて独立して存在するわけ 仏教は「此の仮現の世を去りて清浄なる本体に帰する」こ ではないという。「本体 ( 実在 ) 」と「仮現 ( 現象 ) 」は区別され とを教える。「元来清浄寂滅なる真如の本体が汚され種々の
112 思惟 ) 」を離れた絶対ではない。しかし相対の中に消えるわけ 成立する」 ( 一巻、一四八頁、文二四五頁 ) 。あるいはこうも言う。 ではなく、やはり絶対として留まる。そうした「超越即内在」 「われわれの意識の根底にはいかなる場合にも純粋経験の統 の論理が『善の研究』の時期にはまだ前面には出てこない。 一があって、我々はこの外に跳出することはできぬ」 ( 同 ) 。 つまり純粋経験は初めから一貫して働いており、その働き 思惟は純粋経験の自発自展の一過程にすぎない。思惟も判 が反省によって妨げられることなく現れると「純粋経験」と なる。それに対して、反省が加わると判断や思惟になり、純断も、純粋経験が自発的に展開し ( 分化することによって ) 成立 した、純粋経験の一過程なのである。 粋経験は背後に潜む。 では、 ( 純粋経験の一過程にすぎない ) 思惟や判断によって、 言い換えれば、「純粋経験」という用語が二重になってい なぜ ( す、へての過程を含んだ活動全体である ) 純粋経験を把握する るということである。純粋経験は常に働き続けているのだが、 それがそのまま妨げられずに「顕在的」に働く ( 現前する仕方ことが可能なのか。純粋経験それ自身は、思惟以前 ( 思惟を超 で働く ) 場合には「純粋経験」と呼ばれ、他方、判断や思惟えたもの ) である。逆に、思惟や判断は、純粋経験の統一作用 の根底には ( 背後には ) 、純粋経験が「潜在的」な仕方で働き ( 例えば、主客未分 ) が破られた不統一 ( 例えば、主と客との分離 ) 続けている。〈反省以前〉における顕在的な純粋経験と、〈反である。では、なぜそうした思惟によって実在全体を把握す ることが可能なのか。 省〉の背後に働く潜在的な統一作用としての純粋経験。 あるいは、むしろ純粋経験は、 ( 常に ) 潜勢的な統一作用と板橋勇仁はこう間い直す。「唯一実在の体系における一過 して働いており、 ( 例外的に ) 直接的な純粋経験の場合のみ顕程ないし一部分でしかない思惟が、いかなる仕方でこの実在 体系全体を客観的に論理化することができるであろうか」。 在的に働くということである。 こうした文脈を理解して初めて、以下のような ( 一見唐突にそしてこう答える。「実在が実在として自らを分化発展する 聞こえる ) 命題も納得される。「純粋経験は直に思惟である」そのままにそれを思惟するかぎりで、客観性を獲得する」 ( 板 ( 一巻、二二頁、文三七頁 ) 。あるいは、「思惟と経験とは同一橋『西田哲学の理論と方法』三三頁、傍点は引用者 ) ( 四 ) 。 であって、その間に相対的の差異を見ることはできるが絶対実在が自らを分化する。その分化を「そのまま」思惟する。 〈実在が実在として現れる〉出来事を「そのまま」思惟し、事 的区別はないと思ふ」 ( 一巻、二三頁、文四〇頁 ) 。 * 『起信論』は「非一非異 ( 一に非ず異に非ず ) 」という。先の実が自らを顕わすこととそれを思惟することが直接に一つと なる。後年の西田の言葉で言えば、「物となって見、物とな 「断片」と重ねてみれは、「絶対 ( 純粋経験 ) 」は「相対 ( 判断・