はなく、あくまでも意識の機能という視点から考えようとしもしそうすれば消え去るであろうものである」 ( C. V. 411 ) 。 た。この素朴な観察は、目覚めているときに夢について考え 3 夢研究の方法 ることができないということを意味しない。考えることはで ヴァレリーは、この共存不可能性そのものから自らの夢研 きるが、同じ強度で「実現することができない」 ( C. IV. 584 ) 。問題は夢の側ではなく、あるがま ことを意味している。目覚めた意識が、自分の意志のカで、究の方法を見出してゆく まの夢の姿を捉えることができない覚醒時の認識の側にある。 夢の奇怪な形成力を解き放っことは難しい。「夢は存在した 後では不可能になるものである」 ( c. X111. 283 ) 。「完全な力強「夢という経験の絶対的な〈他者性〉」は、覚醒時の認識にか さをそなえた夢は、覚醒時には不可能である」 (C,xxv 427 ) 。な。た形に翻訳しようとするかぎり捉えることができない。 目覚めているという意識がある限り、夢の記憶が垣間見せる覚醒した意識が、夢を再現しようとしてその本質をどうして も損なうのであれば、覚醒時の意識そのものの特性を解明し、 ような変転を、現在の出来事として実現することは難しい 夢は、覚醒時の意識がどれほど注意力を凝らしても、再現でそれを反転すれば、夢の特性を垣間見ることができるのでは きない心的活動なのである。というより、覚醒し、注意をむないか。「〈夢の幾何学〉の諸条件あるいは公理とは何である かを明確にしようと試みることは可能だろう。 / もっとも重 けることそのものによって、その本質が破壊されるような心 要か、〈覚醒時〉の諸条件・公理 ( : : : ) を定義することだ 的活動なのだ。 ウアレリー が夢について考えつづけたのは、内在化できなろう」 ( c. Xt726 〔 2 ニ 3 こ ) 。覚醒した意識がどのような条件に この絶対的な〈他者性〉のためにほかならない。覚醒時のしたが「ているのかを分析し、その条件を変形してゆくこと 意識が再現しようとすると、この現象の他者性を取り返しので、ヴァレリーは〈夢の幾何学〉を作りだそうとしたのである。 こうしてヴァレリーは『カイエ』に繰り返し書きつけるこ つかない形で変質させることになる。それは覚醒時の意識と は根源的に異質な心的活動の記憶であり、歪曲された形でしとになるーー「夢研究の大きな魅力は覚醒時の定義である」 学 何か覚醒した意識のうちに取りいれることができない。覚醒時 ( c. VIII. 望 9 「 2 ニ 96 〕 ) 。覚醒時の意識はい「たい何を理解でき ーは夢とい のにおける生活を基準として夢を解釈するかぎり、絶対的な他ないのかという疑問を検討することで、ヴァレリ う「捉えがたい先行者」 6 xx. 497 ) の本質に迫ろうとした。 旗者としての夢、この「名づけることのできないもの」 ( じに到 達することはできない。「夢は明確なものであり得るーーしこの方法の基盤に、夢を意識のひとつの形態とみなすという かし明確にすることはできない 明確にすることはできず、前提があることに注意しよう。夢の不確かさ、消えやすさの
るというこの現象に整合性のある説明をあたえている。フロ の検討に先立って言葉の使い方を観察し、それがどのような 心的操作に対応しているかを考えることがこの作家の基本的イトの理論で鍵になるのは、夢の中に〈夢思想〉と〈夢内容〉と いう二つの水準を設けることである。フロイトによれば、夢 な姿勢である。夢の場合、それが起こっている最中に同時に 観察することができない、夢は不在の現象である、というのがたやすく忘れられるのは、欲望の表現 ( 〈夢思想〉•) を抑圧し が、ヴァレリーにとってこの言葉が意味するものだった。こようとする「抵抗」のためである。人が夢を再現するとき、 こからヴァレ リーは、夢に対する独自の観察を展開することその姿をゆがめてしまうのは、「夢思想が夢検閲のために必 になる。その基盤となるのが、意識のなかにどうして現在のず井受しなければならない加工作用」 ( が働くためだ。目覚 こととして再現できない思い出が生まれるのか、その思い出めた時に夢として意識される内容 ( 〈夢内容〉 ) は、フロイトの に、そもそもどのような価値があるのか、という疑間である。考えによれば、それが産出された時すでに歪曲作用を受けて いて、目覚めてからも受け容れやすい形に加工される ( 「二次 加工」 ) 。目覚めた時に夢として意識される夢の思い出は、夢 夢に関する第一の間題は次の問題である。目覚めたとき、 自分の夢として見出すもの、われわれが自分のうちに見出の顕在内容にすぎず、絶え間ない抑圧、歪曲、忘却の力にさ らされているとフロイトは考えていた。彼にとって重要なこ す思い出は、はたして夢を見ている間にわれわれが感じた り、見たり、等々したものと同じ表象なのだろうか ? わとは、顕在内容の背後で働き、それらの内容を統括している れわれはおよそ検証不可能なあらゆるものについての思い潜在的な夢思想を読み解くことである。断片的でたやすく歪 出をびねくりわまりしているにすぎないのだーーちょうど曲される顕在内容を分析し、そこに〈夢思想〉を加工するどの 突如として視界を横切って消えた鳥が何という種類の鳥でような〈夢の仕事〉が働いているかを明らかにすることで、潜 あったかを知りたいと思うようなものだ。そんなふうにし在的な意味作用を読み解くことができるとフロイトは考えて いた。無意識の欲動は、検閲を受けた、ゆがめられた形でし てあとから見出したものにどれほどの価値があるのか ? 価値不定である。われわれが〈夢〉と呼ぶものは、した か意識にのぼらないという考えをひとたび受け入れれば、夢 がってある現実の表象についてのあり得べき形象というこがたやすく忘れられ、歪曲されるという現象は、その考えに とだ。 (). XI. 80 ー 81 「 2Z122 〕 ) 従って十分に説明できることになる。 それに対してヴァレリーは、「夢が眠りのもとにしか現れ フロイトは、夢の記憶が消えやすく、たやすくゆがめられない」 ( c. XXIII. 663 「 1Z1083 」 ) という現象を、無意識の欲動で
んど意味をもたなくなった。べンヤミンは「経験の貧困」で、貧しくしてゆく巨大な力に抵抗する拠点となった。個人は、 戦場から帰還してくる兵士らが押し黙ったままであることを土地、家族、職業といった根源的な結びつきから切り離され、 強調している。あたりにみちているのはショックの連続、同漂流し、この世の生に意味を見出せずにいる。しかし、この 化できない暴力のうずまく世界であり、出来事を経験という 世で何を知り得るのか、何を手にすることができるのかとい う間いか。が、この〈私〉を通して考えないかぎり意味をもた 形で消化することができないことが常態となっている。個人 が経験の積み重ねを通して豊かな人格となってゆくプロセスないという直観は消滅しない。二〇世紀の作家たちが直面し が消滅してしまったのだ。プルトンが『ナジャ』 ( 一九二八年 ) た状況は、この視点からみれば次のように要約できる。世界 で描いているように、一人の青年が街で出会うのは、その意は〈私〉を通してしか経験できない、たとえその〈私〉がどれほ 味もそれが自分に何をもたらすのかもわからない出来事の連ど取るに足らない存在であったとしても。 続である。個人が自己の主観を通して発見してゆく世界は、 夢が、不思議な力強さで、主題化されつづけたのはそのた 限りない謎にみちたものとなり、何かを知っているふりをしめではないだろうか。眠りと夢は、個人を超えるカへの敷居 ようものなら、たちまち嘲笑される危険をおかすことになる。であり、〈私〉の外にあるものに開かれた状態である。この敷 だが、同時にこれは主観効果が隅々にまで浸透した時代で居への認識を深めることができれば、目覚めている限り、平 もある。どれほど卑小なものになったとしても、われわれは坦で、どこまでも変わらないように見える世界が変容する、 自己を通してしか世界を体験することができない。自分自身そのような瞬間を捉えることができるのではないか。その敷 の生を統括し、いろいろな価値を決定するのはこの〈私〉だと居に立ち、目覚めたまま夢みることができるなら、そのとき いうことは、〈私〉の地位が決定的に凋落したことと同じほど実現されるかもしれない意識の広がりは、書くという行為に このよ、つ 確実なことである。個人は無であり、集団こそすべてだ、と強度としての詩を取り戻してくれるかもしれない。 いう考え方が、容易にファシズムに取り込まれてゆく時代にな背景から出てくる試みが、夢の働きを無意識の欲動と結び 学 何あって、どれほどみすばらしいものであっても、個人の特殊つけることによって解釈する精神分析と、接点をもちながら の性にこだわることには大きな意味があった。〈私〉がどれほど も異なる道筋を描くのは当然のことだろう。問題は、理性で ゆがんだ、不完全な存在にすぎないとしても、この〈私〉の身は捉えきれない現象を、一定の理論に還元して理解すること に起こることは確かにひとつの現実であり、それを通してしではなく、「経験の貧困」によって消滅しかかった探究とし か何も始まらない そのような姿勢だけが、言葉と経験をての言葉、日常を超える異質な力との接触を回復することな
して解釈するものであった。人はもし十分に情報を与えられ、ければならない。 フレーミングに影響されても合理的と認識 十分に合理的であるならば、最適な選択肢を選ぶことができ される場合には、介人の対象にならない。第三に、そのよう るだろう。その選択は本人にとって最大の「福祉 ( 厚生 ) 」基な意思決定は、「悪い」と認識されなければならない。悪い 準を満たすものであろう。むろん現実の人間は、完全情報のものでなければ、いかに非合理的な意思決定でも、介人する もとで選択的合理性を発揮する能力をもたない。けれども政ための政治的根拠を与えない。第四に、その非合理性と悪の 府は、その人が結果としてそれと同等の判断にいたるように、 認識は、ある合理性の基準に照らして、何らかの偏った規則 選択のアーキテクチャーを構成することができるとみなされ性を示していなければならない。 もし一定の規則性をもたな けれま、ヾ ノイアスに対してその都度の対応を迫られることに このような「選択合理性」の想定は、多少の違いはあれ、 なり、政策の一貫性は生まれない。第五に、規則的に生じる バイアスは、「選択アーキテクチャー」を通じて矯正できる さまざまな論者たちに採用されてきた CQizilbash 20 sugden 2008 」。 この理解において、パターナリズムの意味は確定さものでなければならない。ヾ ノイアスは、規律訓練権力や生権 れていない。「選んだであろう選択肢の方向へとその人の意力などによって矯正できるかもしれないが、 リバタリアン 思決定に影響を与える」という表現は、どのような仕方で影。ハターナリズムの介人は、あくまでも主体にとって外在的な 響を与える。へきかについての指針を含んでいない。。、 ノターナ環境制度の変更でなければならない。第六に、アーキテクチ リズムの意味については後に論じるとして、ここでは「リヾ ャーによる介人は、その人にとって「もし合理的に考えれば タリアン」の意味を「選択合理性」として解釈した場合に生選択したであろう選択肢」に向けて方向づけられなければな らない。 じる問題点について考えてみたい。 この立場の正当性は、そのようなアーキテクチャー 選択の合理性を想定する「リバタリアン・ ハターナリズを私たちが実際に考案できるかどうかに依存している。第七 ム」の政策は、どこまで有効なのか。まずこの政策が効果的に、介入する側は、アーキテクチャーの導入によって、いわ な場面が、以下のように限定的である点に注意したい。第一ゆる限定合理性によって特徴づけられる諸個人の自由な意思 に、政府が介入しうる意思決定の対象とは、人々のすべての決定から生じる社会的帰結よりも、善い結果を生み出すこと 意思決定ではなく、フレーミングその他によって影響を受け ができなければならない。政策はつまり、帰結主義的に擁護 る意思決定でなければならない。第二に、そのような意思決されなければならない ( 。 定は、往々にして「非合理的」であると認識されるものでな 以上の七つの条件を満たすような場面は、それほど多くな
そのためのアプローチにも、共通した姿勢が見られる。直はじめる瞬間である。そうした瞬間を描く場面に通底してい 接夢そのものに接近しようとするのではなく、覚醒時の生活るのは、日常を支えている基盤が崩れ、異質な世界との境界 のなかで起こるあらゆる変調に着目し、そこに夢の力がどこ に立たされているという、言ってみれば敷居の感覚であ まで働いているのかを突きとめようとするのである。とりわる ( 4 ) 。その敷居感覚は、夢そのものではない。意識は目覚 け意識が眠りに落ちるとき、あるいは眠りから目覚めかけてめている。ただ、意識を普段支えている土台が失われ、非日 いるときの、半覚半醒のまどろみ。さらには、日常の意識を常との境目に立たされて、通常の道筋をたどることができな 中断し、意識を放心させるさまざまな出来事。語り手が紅茶 くなっている。よく知っているはずの世界を作りかえ、見知 に浸したマドレーヌからあふれだした記憶の意味を考え、べらぬ状況に意識を引きこむ夢の形成力がそこに働いていると ンチの下に隆起しているマロニエの樹の根が不可解なものに何人かの作家が考え、その形成力のたどる筋道を明らかにし 変容するのを見つめ、モロッ コのバ ーのざわめきに進んで身ようとした。ヴァレリ プルースト、プルトンの試みの後 をゆだねている等々の場面を考えれば、夢と覚醒時のあわい では、かならずしも夢という言葉が使われないまま、この探 にただよう放心状態が、ただ不意打ちをくら「て考える力を究が受け継がれてい。た。この意味で、夢は、覚醒時の生活 失った状態ではないことが理解されよう。語り手、あるいはに質的な変化をもたらす力として研究されたのである。 登場人物は、ばう然としながらも何かを必死に考えている。 覚醒したまま見る夢の探究の背景には、「経験の貧困」が 二〇世紀フランスの作家たちは、起こ。ていることの意味が叫ばれた時代がある。この時代、一人の人間が人生の中で豊 つかめないまま、呆気にとられながら世界を見つめる状態に かな経験を積み、完成された人格となってゆく道筋はすでに 注目しながら、そこで何が起こっているのかを明晰に追究し消滅している。一九世紀のレアリスム小説のように、自分の ようとした。そこに覚醒した意識を変質させる、夢の力を認夢を実現したいと願う一人の青年が、自分の生きている社会 めていたのである。 を徐々に発見し、どのようにふるまう。へきかを理解してゆく ヴァレリーは自身の夢研究を「夢の幾何学」 ( 3 ) と呼んだが、 という書き方は、ほぼ不可能となった。この世の出来事を一 それになら。て「放心の幾何学」と呼べるものの系譜を、二通り経験し、社会で成功するために何が必要かを心得ていて、 〇世紀フランス文学においてたどることができる。考察の出その知恵を青年にさずけることができる老人や年長の女性も 発点は、夢そのものではなく、覚醒した意識が中断され、混もはや存在しない。世代ごと、それどころか十年単位で経験 乱し、日常生活をいつもとは違った形で見つめる精神が働きのあり方が変わ。てしまう社会状況の中で、昔の経験はほと
原因を、ヴァレリーは意識の機能の仕方以外に求めていない。 ものの、意識に現れる要素そのものが異なっているわけでは 夢を、睡眠下における意識のあり方と捉えていたのであるない。「外観だけにとどまるなら、夢と覚醒時は見分けがっ 「私は夢を、別の大きさにおけるある種の《意識》であるかない」、なぜなら「覚醒時に現れるあらゆるものは、夢の と考える」 ( c. XVIII. 482 ) 。「私は夢を状態として、意識の存中にも現れることができるのだから」 ( c. IV. 498 ) 。覚醒時の 在の様式として考えてきたーーそこに一種の不完全な様式の意識と睡眠下の意識とは、意識に現れる内容が異なっている より少ない条件下におけるーー意識の形を追い求めながのではなく、意識が視界に現れるものをどのように受けとめ ら」 (). VIII. 522 「 2 ニ 06 〕 ) 。夢は、ヴァレリーにとって無意識るのか、それらのものをどのように結びつけるのか、という の欲動の現れではなく、あくまでも「睡眠下の意識」朝、眠点が異なっているというのである。「夢と覚醒時は、その《結 りという特別な状態に置かれたときの意識の働き方なのであ合関係》によって、固体と液体のように違っている」 ( c. IV. る。 578 「 2Z65 」 ) 。目覚めている時と、眠っている時とでは、「同 同じ心的生活の中に、覚醒時の意識の機能作用と相容れなじ要素が、別の形で結びつく」 ( c. x. 92 「 2Z116 」 ) 。 言い換えれ いような意識の活動形態がある。眠りから覚めなければ明確ば、「夢は、分割してみれば、覚醒時を分割したときに見ら にできず、明確にしようとすればその本質をゆがめてしまう れる要素と見分けのつかない要素に分割することができる。 ような、そんな意識のあり方が、同じ主観の内部そのものに / しかし、それらの要素は同じ役割を演じない」 ( C. IV. 583 「 2Z68 」 ) 。 ある。「睡眠下で自我を解体し、溶解しーー幕間 ( 夢とはこの 幕間に飛びかう観客の評言のようなものだ ) をはさんでーー目覚 こ、つしてヴァレ リーは、夢という意識のあり方が、覚醒し めると再び自我を再構築するという人間という体系の主要なた意識とまったく異質な、何の手がかりもない意識のあり方 特性ほど 私の心を打ったものはない」 (). XXIV. 641 ではないと考えるようになる。一方で、「夢は、覚醒時の断 「 2Z187 」 ) 。一日の流れのなかで、意識は捉えがたい他者の領片となるような断片に分割可能である」 (C,IV し 4 ) 。他方で、 域に踏みこみ、ふたたび日常に戻ってくる これは考えて「覚醒時の世界は、夢の世界、あるいは夢の特性を、不規則 みれば、実に不思議なことではないだろうか。 な形でふくんでいる。それらの特性は言ってみれば中断され、 夢を「睡眠下の意識」と捉えることで、ヴァレリーは意識たがいに相殺されているのだ」 (), IV. 569 「 2Z60 ー 61 」 ) 。夢の胚 のなかの他者に関する重要な視点をすでに得ている。眠りの種は覚醒時にも存在し、いまにも発展しそうな状態にあるの 中の意識の活動は、覚醒時における意識の活動と相容れない その自由な発展はつねに遮られる。「夢の始まりは覚
であった。何を語るときにも、アンダーソンは歴史的な文脈プログラムが刊行を始めた学術誌『インドネシア』の創刊号 に、アンダーソンは「インドネシア政治の言語」と題する論 化を重視していた。本稿では、アンダーソンの東南アジア地 域研究が醸しだす独特の世界の一端を紹介するに留まる。そ文を寄せている。その論文はこのような言葉で始まっている。 のために東南アジア政治にまつわる彼の論稿を中心に紹介し たい ( 9 ) 今日のインドネシア政治における言語といえば、若干意地 悪な眼差しを有する、もの五月蠅いフランス人やアメリカ 語り口 人から注目を集める対象となっている。 ( 中略 ) しかしなが アンダーソンは独特な語り口と切り口から東南アジア地域らどちらの場合にしても、彼らが理解しうる限りの範囲で、 現代インドネシア語のあり方は古の西洋による挑戦を受け 研究を先導してきた。その語り口は、約束事に縛られ専門用 語に守られがちな学術的な表現ではない。アンダーソンは自 る前から存在していた回避や敗北の形式として認識されて いる。どちらからも感じることのできる陰気なコメントは、 身を表現者として意識していた。そのために定型化された学 術的な表現や定型句とは無縁の語り口にこだわった。 他者の不幸を喜ぶという姿勢に根ざしていることは疑う余 彼は自分を表現者として認識し、聴衆と文体を工夫するこ 地もない ) 。 とで、ディシプリンの型にはまり殻に閉じこもっているだけ この論文を書いた一年後、アンダーソンは一九六七年にコ の研究者ではなく、広範で潜在的な読者へ語りかけた。しか ーネル大学で博士学位を取得し、その政治学部に職を得た。 し時には特定の聴衆を想定していたために、難解であるとか 挑発的であるという評価を受けることもあった。その典型例ところが、先の引用からも明白なように、一九五八年からコ ーネル大学院政治学部で教育と訓練を受けていながら、彼は が、彼の代表作として記憶されている『想像の共同体』であ る朝 ) 。英国でのナショナリズムの議論に論争を挑んだ本書アメリカの政治学に染まることはなかった。アンダーソン日 、専門職主義に染まり始めていたアメリカの政治学的な専 は、辛らつな皮肉やウィットに富み、英国仕込みの知識を存 分に披露している。そこにアンダーソンの創造性と革新性が門性とそのムラのための学術論文という形式が制度化される あったⅱ ) 。 前に、彼はコーネル大学で東南アジア地域研究に魅せられ、 アンダーソンの独特な語り口は、初期の学術論文の書きだ政治科学の波が大学に押し寄せる前に就職した、というわけ である。すなわち彼は、既存の学問領域に囚われることのな しにもみてとれる。一九六六年、コーネル大学東南アジア・ 0
受けていた。 第九四二号 ) 。 ( ) 中村元は、原坦山が『起信論』を講じたことを「わが国の (2) 例えば、板橋勇仁『西田哲学の理論と方法』 ( 法政大学出版 精神史、思想史においてその意義をいかに強調しても過ぎるこ 局、一一〇〇四年 ) 第一章「「直接の知識」と哲学的方法論」。 との無いほど、歴史的な大事件であった」という ( 原、前掲書 ( Ⅱ ) 井上哲次郎「認識と実在の関係」 ( 井上哲次郎編『哲学叢 書』第一巻第二集、明治三四年、集文閣、三六二頁、国立国会 ( 片 ) 坦山は当初「印度哲学」ではなく「心性哲学」という名称 図書館デジタルライプラリーによる ) 。 を考えていたという。注目に値する。 ( 肥 ) 『哲学字彙』 ( 井上哲次郎編、有賀長雄増補、名著普及会、 ( 絽 ) 「読了」の前年、明治三五年八月七日の日記にも「起信論」 一九八〇年。初版は明治一四年 ) 。 の文字が独立して登場する。なお同年一〇月二八日には「本日 ( ) 西田を井上哲次郎「現象即実在論」の継承者とする見解に 大拙より久しぶりに面白き手紙来る」とある。大拙が・ジェ ついては、井上克人『西田幾多郎と明治の精神』 ( 関西大学出版 ームズ『宗教経験の諸相』を紹介し、西田もぜび「一読した の系譜」など。 部、二〇一一年 ) 第二部「明治期アカデミー き」と応じているが、『起信論』の話題はない ( 西村恵信編、前 ( ) この文脈における加藤弘之の宗教観・時代認識については、 掲書、九七頁 ) 。 木村清孝「原坦山と「印度哲学」の誕生ーー近代日本仏教史の ( 四 ) 井筒俊彦『意識の形而上学』中央公論社、一九九三年、五 一断面」、『印度学仏教学研究』第四九巻第一一号、平成一三年。 八頁。 ( ) 原坦山については中村元による解説がある ( 原坦山『大乗 ( ) 西田哲学と『起信論』の比較研究は、既に末木剛博にある。 起信論両訳勝義講義』萬昌院功運寺、昭和六三年、「序」 ) 。中 『善の研究』と『起信論』に共有される点は、共に意識一元論、 村によると坦山は神智学のオルコット ( H. S. O 一 cott ) の影響を 論 け円 再円 と円 に円 拡円 る む 想 8 起 こ受とヤ 思間 カ 乗 て の史 大 由チ好 こ障 0-0- 区 - 0 の 援救期想。。動 ら 代礎 サ社を俊たを的慧自 学 ←気保 年基 験姿邦を捌判 一ア 哲 柴て計は 田 ア学 のキ〉と会房第 イ済 本噐和 西 半付西ド場 っ社書 著点 後跡 テ経 ンる 第草 効効 昭科代を スび ロす 年点 策番 子 表アち シ学 最手 フ大 政 著 二ロ けいそう
醒時においては停止される、ちょうど自分の列車が動きだしけるような他者性ではない。それは目覚めているというだけ たと思い込む旅行者が、立ち戻り、あるいは自分の誤りからで気づくことができなくなっているものの、意識にとって親 目覚め、結局動きが別の列車のせいだとわかるように」 (). しい何かである。親しいものなのに知覚できない何かであり、 IV. 519 ) 。要するに、「夢は覚醒時を自分なりのやり方でふく もし意識できれば日常生活の意味を解体する不気味な力が明 んでいる。覚醒時も夢を自分なりのやり方でふくんでいる」らかになるかもしれない。夢と覚醒との「ほとんど相互人格 ( C,IX. 674 ) 。覚醒した意識のなかに、夢に似た状態が現れる的な」関係を意識することで、覚醒時のさなかに夢に似 た空間を構築することが可能となるかもしれない。実際、ヴ ことはまったく不可能というわけではない。 ーはその手がかりを、夢研究の方法を見定めた時にす 毛管の力がいったん無関心な間隔を取らなければ明らかでに得ている。 にならないように、夢のなかに現れる相互作用は、覚醒時 4 覚醒時意識の特性ーー《再び》という機能 においては隠されている。しかし、覚醒時の緊張が弱まる 「夢という現象そのものの本質的な不在」 (). XIII. 791 につれ、初歩的な傾向が際立つようになり、瞬間的な状態、 感じ取れず、中間的で、どこまでも無視できる、非現実的「 2 ニ 42 」 ) から、ヴァレリーは独特の夢研究の方法を編みだし たことを見た。間題は夢そのものではなく、夢を再現できな な状態においてしか存在できなかったものがーーー主要なも のとなり、全体となるのだ。 ( C. IV. 518 ) い覚醒時の意識にある。覚醒時の意識の特性をまず考え、そ れを反転させれば、睡眠下の意識の特性を明らかにできるの リーは考えた。 プルーストやプルトンも、日常の根底で働きつづけているではないか、とヴァレ 夢が不在の現象であるという観察は、夢研究の方法だけで ものの、普段の生活では意識されることがないこの「毛管の なく、実際には覚醒時の特質そのものへの解明の手がかりを 力」以外のものを探究しているようにはみえない。プルトン 学 あたえてくれる。「夢がそうした不在、観察者との非Ⅱ共存 何は、「覚醒時の活動と睡眠時の活動との不断の相互浸透を前 の提とする」ある「毛細組織」について語っている ) 。プル性によって定義される」 6 XIII, 79 →「 2 ニ 42 〕 ) とすれば、覚醒 ーストは眠りに浸された状態から把握するのでなければ、人時は、進行する事態と「観察者」が共存できる空間として定 間の生を描くことはできないと断言している ( 幻 ) 。夢という 義できるだろう。より一般的には、覚醒時の意識はさまざま 経験のもつ「絶対的な〈他者性〉」は、理解をまったくはねつな事象を区別し、その区別を維持しようとする傾向がある。
な手がかりとして考えることができる。なぜならそれは、複すなわち、公定ナショナリズムに対して批判的である。この よ、つなネーションとステート 製技術時代における世界理解の様式という認識論的な問題と の対置は、彼がフィールドとし 対になる、複製技術時代における他者や世界との関係性とい たインドネシアにおけるスカルノとスハルトという一一人の指 う倫理的問題を含んでいるからである。 導者の形象に重ねられるでは、どのようにしてアンダ ーソンはネーションを擁護しているのか。 ニナショナリズムを擁護する論理 アンダーソンは、一九九八年に出版された『比較の亡霊』 選択しえないこと 1 善きネーション① のなかで、「ネーションの善性」を説いている。ネーション アンダーソンは、ナショナリズムを、しばしばはっきりと には、常にある超越的な善性がそなわっている。その善性が 擁護している。これは、『想像の共同体』が、国民国家批判由来してくるのが、未来、過去、現在といった時間である。 やナショナリズム批判に援用されたことからすれば意外とも未だ生まれていないものたち、死者たち、子どもたちといっ 思われることである。だが、それを「ナショナリスト」やた対象は、あらゆる社会的属性を排除された「単色の純粋 「保守的」と批判して、ステレオタイプ化された政治的信条性」において想像される。この「単色の純粋性」という無垢 の問題に矮小化すべきではない。そのような観点からするな さに対して、現在の「自ら」を恥じる結果、倫理性が生じる。 らば、彼はマルクス主義の伝統の中にいることが強調される自己と隔たる存在、他者との距離が、ネーションに〈善性〉を べきであろう。アンダーソンのナショナリズムの擁護は、マもたらす ( じ。 ルクス主義内部での問題意識を背景として、その論理的展開 このような〈善性〉についての議論は、『想像の共同体』の えの末に提出されている。とするならば、その擁護は、彼のナなかで、すでに展開されていた。アンダーソンは、ナショナ 越 ショナリズム論の一部として、改めて考えていかなければな リズムにおける死の問題を、ナショナリズムと宗教的想像力 を との親和性によって説明しようと試みている。ナショナリズ 体らない問題でもある。 ムと宗教の両者は、生の偶然性を理解可能なものにさせる。 共アンダーソンのナショナリズム擁護は、ネーションとステ の トの峻別という論理にそっている ) 。アンダーソンにと宗教は、「存在の日常的宿命性 ( とりわけ、死、喪失、隷従 ) 」 像 0 て、ネーションとは民衆に由来するものであり、支配のた に意味を付与し、そこからの救済を提供する ( IC: 63 ) 。それ めの機構としてのステートの外部に位置する。それゆえに、 は、「病い、不具、悲しみ、老い、死といった人間の苦しみ ステートがネーションを収奪するタイプのナショナリズム、 の圧倒的重荷に対し、想像力に満ちた応答を行なってきた」