界全域へと拡散していくなかで、さまざまに経験されてい 私が倦むことなく驚嘆しつづけた科学の成果のびとつは、 そこには、植民地か帝国かを問わない普遍的な問題が貫いて ー ) の開発で 印刷術、なかんずく亜鉛製版術 ( ジンコグラフィ いる。そして、それが最も先鋭的に観察される場として、植あった。なにしろ、これによって人は、何万枚もの写真を 民地を考えることができる。アンダーソンのナショナリズム 一日で複製できるようになったのである。 論の特徴は、この経験をその中核においていることに由来す 風景、偉大なそして重要な人物、新しい機械、アメリカ の摩天楼 : : : 全世界のありとあらゆるものがいまや紙の上 に複写され、居ながらにして眺められるようになったのだ。 四複製時代の生と想像力 すっかり損をしたのは私より前の世代ーー村の小径に刻み 1 ニ重の疎外ーー植民地の経験 つけた自分の足跡の数の多さに満足していた世代である。 プラムディヤ・アナンタ・トウールの『。フル島四部作』は、 この新しい奇蹟を誕生させるために日夜奮闘した個人とグ アンダーソンが『比較の亡霊』のなかで論じるように、ナシ ループに、私はどれほど感謝したことか。五年前まで、私 ョナリズムとはいかなる経験を通じて生じる想像力であるか の生活圏には印刷写真などまだ出まわっていなかった。も について、明晰にしめしている。やや長いが、その冒頭から ちろん当時でも、木版とか石版による印刷はあったが、そ 弓用しよ、つ。 れはものの姿をあるがままに複写できるものではなかった。 ヨーロッパやアメリカからもたらされる情報は、最新の 私が学校で修得し、またそれが実生活のなかで具体的に 発明発見に関するニュースをさかんに伝えていた。その発 結実するのをまのあたりにしてきた学問と知識は、私の人 明発見の強烈な威力は、ワャンの物語に登場する、わが先 格を同胞たちの一般的な傾向とかなり違うものにつくり変祖の神々や勇士たちの超能力に匹敵するものであった。 えていた。それが私のジャワ人としての在り方に背くもの 汽車ーー馬も牛も水牛も使わない乗り物ーーは、わが民 であったかどうか、それは私にもわからないが、好んで私族の眼に触れるようになって、すでに十数年たっていた。 がノートをつけるよ、つになったのも、まさしくヨーロ 汽車を初めて見たときの驚きは、今日でもまだ彼らの心に の学問と知識を身につけたジャワ人としての、私の生活体残っている。なにしろ、プタウィースラバヤ間が三日で走 験のなせるものであった。いつの日か、そのことが役に立破できるのだ。さらに、その時間はわずか一昼夜に短縮さ っときが来るであろう、 いま現在がそうであるように。 れるだろうと予告されていた。わずか一昼夜 ! 家ほどの
んど意味をもたなくなった。べンヤミンは「経験の貧困」で、貧しくしてゆく巨大な力に抵抗する拠点となった。個人は、 戦場から帰還してくる兵士らが押し黙ったままであることを土地、家族、職業といった根源的な結びつきから切り離され、 強調している。あたりにみちているのはショックの連続、同漂流し、この世の生に意味を見出せずにいる。しかし、この 化できない暴力のうずまく世界であり、出来事を経験という 世で何を知り得るのか、何を手にすることができるのかとい う間いか。が、この〈私〉を通して考えないかぎり意味をもた 形で消化することができないことが常態となっている。個人 が経験の積み重ねを通して豊かな人格となってゆくプロセスないという直観は消滅しない。二〇世紀の作家たちが直面し が消滅してしまったのだ。プルトンが『ナジャ』 ( 一九二八年 ) た状況は、この視点からみれば次のように要約できる。世界 で描いているように、一人の青年が街で出会うのは、その意は〈私〉を通してしか経験できない、たとえその〈私〉がどれほ 味もそれが自分に何をもたらすのかもわからない出来事の連ど取るに足らない存在であったとしても。 続である。個人が自己の主観を通して発見してゆく世界は、 夢が、不思議な力強さで、主題化されつづけたのはそのた 限りない謎にみちたものとなり、何かを知っているふりをしめではないだろうか。眠りと夢は、個人を超えるカへの敷居 ようものなら、たちまち嘲笑される危険をおかすことになる。であり、〈私〉の外にあるものに開かれた状態である。この敷 だが、同時にこれは主観効果が隅々にまで浸透した時代で居への認識を深めることができれば、目覚めている限り、平 もある。どれほど卑小なものになったとしても、われわれは坦で、どこまでも変わらないように見える世界が変容する、 自己を通してしか世界を体験することができない。自分自身そのような瞬間を捉えることができるのではないか。その敷 の生を統括し、いろいろな価値を決定するのはこの〈私〉だと居に立ち、目覚めたまま夢みることができるなら、そのとき いうことは、〈私〉の地位が決定的に凋落したことと同じほど実現されるかもしれない意識の広がりは、書くという行為に このよ、つ 確実なことである。個人は無であり、集団こそすべてだ、と強度としての詩を取り戻してくれるかもしれない。 いう考え方が、容易にファシズムに取り込まれてゆく時代にな背景から出てくる試みが、夢の働きを無意識の欲動と結び 学 何あって、どれほどみすばらしいものであっても、個人の特殊つけることによって解釈する精神分析と、接点をもちながら の性にこだわることには大きな意味があった。〈私〉がどれほど も異なる道筋を描くのは当然のことだろう。問題は、理性で ゆがんだ、不完全な存在にすぎないとしても、この〈私〉の身は捉えきれない現象を、一定の理論に還元して理解すること に起こることは確かにひとつの現実であり、それを通してしではなく、「経験の貧困」によって消滅しかかった探究とし か何も始まらない そのような姿勢だけが、言葉と経験をての言葉、日常を超える異質な力との接触を回復することな
うわけでもない。それは滅びの時間であると同時に、何ものる。それらの探究においても、夢の形成作用と覚醒した意識 かが多様な生成をつづけている場所でもある。この時代の作の共存が大きな役割を果たしていることを見ていきたいと思 家たちは自分がまどろみのなかに解体されるのを感じるだけ う。そこではもはや現象としての夢は問題とならない。しか でなく、現像液に浸された印画紙にいくつかの染みが現れるしマロニエの樹の根や、タンジールのバ ーのざわめきを描い ように、何かが形成されつつあるのを見つめてもいる。そのた場面を思い起こせば、二人の作家も彼ら自身の「放心の幾 多様な生成をひとつの人格によって束ねるようとする神話は何学」を追究したことが納得できるのではないだろうか。間 解体されたが、一人の人間のうちにさまざまな記憶、知覚、題は、個人の同一性、記憶の同一性が成立しないような場所 まなざしが形成されること自体を否定することはできない。 で、それでも一人の人間に取り憑いて離れないさまざまな想 このことはヴァレリー プルースト、プルトンにおいては、 念をどうすれば描くことができるのか、ということなのだ。 プルース 一人称〈私〉のそれ以前になかった用法の探究として現れてい 問題をより具体的に考えるために、ヴァレリー る。「物語的同一性」のような個人の生涯の一貫性を問題と ト、プルトンの夢への言及を少し詳しく検討してみたい。三 しない、 つねに統一性探究の途上にあるばらばらな断片的人は、書くという行為への考え方、作品のコンセプト、自 〈私〉という新たな一人称の追求が、それぞれ異なった形でな我・記憶・時間の概念等においてまったく異なっているが、 されている。「私の精神は統一に向かっているのだが、それ眠りと覚醒が交錯する瞬間に、深く持続的な関心を寄せてい は無数の断片からなっている」 (). 137 ) ーーヴァレリ ーのた点は共通している。三人とも、夢と覚醒のあわいに立っこ この一 = ロ葉が示すように、ひとつひとつの断片は明確であってとに、書くという行為の源泉のびとつを認めていた。三人の も全体が真っ暗であり、ひとつの精神の生成と、システムへ夢に対する見方は、フロイトの夢理論と交叉する側面と、離 の統合の否定が同時に起こるような、「物語的同一性」とは反してゆく側面をもっている。三人の夢理解は、フロイトが 異なった〈真正さ〉の探究がなされようになった。 決定的な影響を発揮しはじめる以前の時代を出発点としてい 学 何それ以降の世代、サルトルやバルトにおいては、もはやて、自分なりの夢理論を形成する途上でフロイトと出会った の〈私〉がどうあるかという問題より、世界の側に問題の重心が という事情がある。しかしより根源的な相違は、フロイトが 移行する。サルトル、ヾルトは、〈私〉に強烈な印象を残すイ覚醒時と睡眠下に通底する、無意識の抑圧された欲動の解明 メージとは何なのか、〈私〉がおちいる陶酔状態とは何なのかを目指したのに対し、三者に共通する「放心の幾何学」の探 等、イメージや身体という世界との境界面の探究を行ってい究が、夢を「無意識」ではなく「意識」の問題としてとらえ
ークリは言う。特殊 般観念が存在することを否定するだけである。というのも、一般的に使用されていることになるとバ : ・〕一般観念は抽象によって形成されると常に想定されな観念が特殊なままで一般的に使用されるというわけである。 ークリはさらに三角形の観念を取 ているからである。〔 : : : 〕もしわれわれが自分の言葉に意もう一つ引用しよう。 味を付与し、われわれが考えることのできるものだけを語り上げ、次のように言う。 ろうとするなら、〔言葉に意味として付与される〕観念はそれ 普遍性は、私の理解しうる限りでは、あるものの絶対的、 自体で考えれば特殊であるが、同じ種類の他の特殊な観念 のす。へてを代表し、それらの代わりとされることによって、積極的な本性ないし想念にあるのではなく、それによって 表示され代表される特殊なものたちに対してそれが持っ関 一般的となる。このことを例を挙げて明らかにするため、 幾何学者が線を二等分する方法を論証しようとしていると係にある。その関係によって、物や名前や思念は、それ自 身の本性においては特殊でありながら、普遍的となる。例 せよ。彼は、例えば、一インチの長さの黒い線を引く。こ えば、私が三角形に関する何らかの命題を論証するとき、 の線は、それ自身では特殊な線であるが、それにもかかわ 私は三角形の普遍的観念を見ていると想定される。そのこ らず、それが表していることからすれば一般的である。と とは、あたかも私が正三角形でも不等辺三角形でも二等辺 いうのも、その場合のその線の使用法からすれば、それは、 三角形でもない三角形の観念を形成することができるかの どんな線であれすべての特殊な線を代表しているからであ 論 ように理解す。へきではなく、ただ、私が考察している特殊 式る。そのため、それについて論証されることは、す。へての な三角形は、その種類の如何にかかわらず、どのような直 線について、言い換えれば、線一般について、論証され 説 る ( リ。 線三角形をもすべて等しく〔 : : : 〕代表し、その意味で普遍 念 的であると理解す。へきである。 観 般 ここでバークリは、抽象一般観念の存在を認めず、どの観 ークリは、カントの「捨象する」にあたる言い方を明確 の念も特殊であるとしている。心像論的立場からすれば、観念 にしているわけではないものの、特殊なものが他の特殊なも は基本的に感覚か心像であり、一般的な感覚や心像は存在し ン 力ない。しかし、同じ種類の特殊な観念の一つが代表として扱のを代表するというその考え方は、特殊なものを扱いながら われ、そこから見て取れることがその特殊な一つの観念だけそこから普遍的な結論 ( 認識 ) を見出すことができるとする点 でなく他の特殊な観念にも適用できるとすれば、その観念はで、カントの考え方と方向を同じくしている。
たいていの反応は、まずその質問にたいしてうろたえ、次に大学職員は汚職に手を染め権威主義的である、などなど。こ 頭を長いあいだかき、そしてようやくためらいがちに、イワ のような衰亡の一つの理由は、あまり言われていないことだ ン・ファルスの ) の名をあげる。それほどびどいことではな が、支配階級と彼らに依存する大部分の中間層に共通する反 い ? 私はあらゆる人が偉大な男性や女性になりうるとか、 国民的な態度にある。彼らは、子どもたちをインドネシアに ならなくてはならないとかいうつもりはない。しかし、男女ある高額なインターナショナル・スクールに通わせ、挙げ句 を問わず萎縮した人間にならないという決断はできると、私の果てにはさらに費用のかかる海外の単科大学や総合大学に ↓よ田 5 、つ 0 インドネ 通わせている。このような傾向からいえることは、 シアの大学が実のところ相応の銀行口座やコネをもっていな 羞恥心万歳 「二級」市民のためのものであると、彼らの眼には見えて 国民の生命を本当に蘇らせるためには、特に地域的な いるということである。そうすると、インドネシアの大学が 民族的なではない 自治の方向に向かって、統治のシステ落ち目になったとしても、だれが気にかけるだろうか ? 私 ムを徹底的に見直すことが必要である。また、健全で紳士的は、それなりの地位について、インドネシアの大学が回復す な政治文化の育成が必要であり、それには政治的なサディズ る一〇年間は、修士課程や博士課程のレベルを除いて、イン ムやギャング行為を根絶しなければならない。 さらに、国民 ドネシア人に海外で学ぶのを禁止すると夢想することがある。 的な制度に対する愛、それも真正な愛が必要である。ここで支配階級が子弟をインドネシアの大学に通わせなくてはなら 一つだけ例を出させてもらおう。これは教師である私にとっ ないならば、おそらく状況は改善し始めるであろう。しかし、 ては大事なことだ。インドネシアの大学の質は長きにわたっ もちろん、こんなことは無為な夢にすぎない。 て低下している。そのような劣化が、一九七〇年代末に導人最近出版した本のなかで、半ば冗談で、私は「羞恥心万 されたダウド・「スフのばかげた「大学の正常化」政策まで歳 ! 」というスローガンを前面に出した〔ベネディクト・アン さかのばることは周知のとおりである。これについては、うダーソン『比較の亡霊』作品社、二〇〇五年、五七三頁〕。なぜそ んざりするほど多くの逸話がある。教師は、金もうけになる うなのか ? みずからの国家や政府が罪を犯したことに、ま 仕事や政府のプロジ = クトやコンサルタント業や不動産投資た仲間の市民に対して罪を犯したことに、「恥」を感じるこ やらで忙しすぎて、学生を真剣に教えることはない。学生た とができないようならば、真のナショナリストになることは ちにはカンニング文化がはびこる。図書館はみすばらしく、 できないと考えるからだ。その人は個人的には何も悪いこと
「自分たちの政府」という意識、その所作に対する国民としができるか。本論文は、インドネシアの事例を乗り越えて、 ての責任意識を喚起している。翻。て、私たちは日本国民と読者一人ひとりに問いかけている。 ( 山本信人 ) して、政府の ( してきた ) 所作に対する羞恥心を認識すること ※本稿は、一九九九年三月四日、つまり私が二六〔一一素となることが少なくない。 七〕年ぶりにインドネシアへの人国を許可された直 インドネシアでのわかりやすい例が、ディポヌゴロ王子 後に、ジャカルタでおこなった講演原稿である。 ( 一七八七頃ー一八五五 ) をめぐる状況である。一九五〇年代、 ディポヌゴロは最高の国民的英雄として、あたかもオランダ 私の経験からすると、ナシ「ナリズムは誤解されることが植民地主義の頸木を断ちインドネシアの国民的独立を目指す 多い。そのため、今世紀、今や終わりつつある二〇世紀に地運動を率いたかのように喧伝された。しかし、回顧録での王 来球大に広ま 0 た現象の一例としてインドネシアを用いること子自身の発言をみると、彼は実際にジャワを「征服する」っ とで、ナシ「ナリズムにまつわる共通した二つの誤解についてもりだ 0 たーー・そう「征服する」という一一 = 〔葉で政治的目標を 語 0 ていた。〔当時の彼にと。ては〕「自由」の概念と同じく、 現簡単に触れることから始めよう。一つ目は、ナショナリズム 「インドネシア」という概念は、まったく無縁の異物であっ そはとても古く、「この上なく輝かしい祖先」から継承された た。実際、「インドネシア」という奇妙なギリシアⅡロ ム ' ものだという誤解である。ここからナショナリズムは、私た ズ 風の造語が非常に新しいものであることは周知の事実である。 ちそれぞれの血や肉から「自然に」現れてくるものとなる。 ナ それが広く知られるようになったのはせいぜい八〇年前のこ だが実際のところ、ナショナリズムは比較的新しいもので、 シ 歴史的にはその誕生はわずか二世紀前のことであ 0 た。一七とであ 0 た。この語を名称に掲げた最初の組織は、インドネ ナ シア共産党であった。一九二〇年のことである ( 私の母がすで の七六年にフィラデルフィアで読み上げられた史上初の独立宣 シ に一五歳の娘だ。たころだ ) 〔この部分は、アンダーソンの事実誤認 言では、「祖先」に言及することなく、ましてやアメリカ人 ネ についての記述は皆無であ「た。一九四五年八月一七日におである。正確には、一九二〇年に創設された共産党名は東インド共 イこなわれたスカルノと ( ッタの独立宣言も、本質的に同様で産党であ。た。それをインドネシア共産党に改称したのは、一九二 あ 0 た。対照的に、「この上なく輝かしい祖先」を求める執三年のことであ「た〕。 二つ目の誤解は、「国民」と「国家」が、正確に同一では 着心はばかげた言葉でありながらも、きわめて危険な愚行の
だ、ジャワにジャワ・入がいる」とい、つことにも繋がる。その 、と田 5 ってしまう 。バンヤンの木の長くぶらさがった蔓のも 論理の外にあり、ただ一つ不可能な表現がある。「なんてこ とでは、卑小で、かびのような植物しか育てない元 ) 。 とだ、ジャカルタにジャカルタの人びとがいる」。なぜなら、 何がなされるべきか ? ご存知のように、今日ではインド ネシアにおける「人権」のために効果的に活動する組織や機この「なんてことだ : : : 」という精神が深く刻み込まれてい 関が無数にある。そのなかには、ローカルなものがあり、外るのは、ジャカルタそのものであり、その支配階級であり、 国のものもあり、あるいはその両者の組み合わせからなるもそして彼らと共謀する中間層の人びとだからである。 のもある。これこそがあるべき姿なのである。逆に、私たち報道やインターネットを通じて、私たちは「改革」につい て相当量のことを読み、ときには「革命」についてさえ書か が見かけないものは、普遍的な人間の権利ではなく、インド ネシアの人間の権利のために、同じように働く組織や機関でれているものを目にする。もしこれらのことばが真剣に、公 ある。ここでいうインドネシアの人間の権利とは、共和国の平無私に使われているのであれば結構なことである。しかし くわえて、私は約一〇〇年前に始められた共通のプロジェク 来時代にインドネシアの地に生まれるよう運命づけられ、自発 トが真に復活することを信じて ( そして希望して ) いる。この と的に、情熱的に、平等に、そして恐れることなくインドネシ 現アのナショナリズムという共通のプロジ = クトへ参加する人種の偉大なプロジ = クトは多数の英傑や女傑を生む。ストモ そびとみながもっ権利である。逆にいえば、動物や、悪魔や、博士、ナシール、タン・マラカ、シャフリル、ヤップ・チイ シ・ミス スカルノ、シ ノ ム ' 奴隷や、他のインドネシア人の所有物のように扱われることアム・ヒン、カルティニ、 ( 。 ル・アンワル、スワルシ ョウ・ギョック・テャン、、 リがない権利である。これらの「インドネシアの人間の権利」 ナ ジョョブスピト、スディルマン、ルム、プラムディヤ・アナ とは、インドネシア人自身のみが戦い、実現することができ シ ンタ・トウーレ、、ツタ、マス・マルコ、、シム・アシュア るものなのである。 ナ の 、、ジ・ダハラン ( 幻 ) スディスマン、アルメイン・パネ この闘争が真剣にまたきわめて広範囲で取り組まれないか シぎり、プロジ = クトの未来は暗い。「なんてことだ、アチ = 他にも多くの人びとがこの時代から輩出された。当時と現代 ネ いいながら闘争を始めるなら、簡単にを較。へるとなんと哀しいことだろう。過去一二年間、コーネ にアチェ人がいる」と ン ル大学を訪れたり、学びにきたりするインドネシアの青年に、 「なんてことだ、フロレスにカトリックがいる」、「なんてこ 私は次の簡単な質問をするようにしてきた。「今日のインド とだ、スマランに中国人がいる」、「なんてことだ、カリマン タンにダヤク族がいる」となる。論理的には、「なんてことネシアで、あなたが敬愛し、尊敬する人はだれですか ? 」
いということが、覚醒した意識の基本的な特徴である。 目覚めている人においては、物、思考、感覚の区別が存 夢とはある意味で、自我意識 ( 《身体》の意識 ? ) の代わり 在し、それもほば恒常的に存続する。そして思考それ自体 においても、少なくとも時々は、田 5 考のもっさまざまな価 に現れた事物意識のことである。 値の区別が感じられる。そこから、夢想、幻想、真面目、 しかし、ある種の〈自我〉が必然的に《措定》されるために は、そうした事物に対する意識が存在するだけで十分なの 厳密、重要、気晴らし、現実の仕事、想像上の仕事、無益 な仕事、などといった概念がでてくる。 だから、そのような〈自我〉の存在は自ずから前提されてい それらは覚醒時の調子であるーーそれらの調子は次々に るのだ。ただその自我は、自分を規定する事物の体系の特 現れ、混じりあい、挿人句が人る。しかし調性は知覚され、性をそっくりそのまま、それ以上でも以下でもなく、所有 回復されるのであり、さまざまな可能性はつねに区別され する自我である。 る用意がある。 (), V, 853 「 2Z91 」 ) 夢の等式は、したがって、〈自我〉Ⅱ事物の体系、となる だろう。 「観察するものー観察されるもの」という二重性が可能だ それに対して覚醒時は一種の《不等式》であり、〈自我〉 ということは、さまざまな事象間の分割が可能ということで事物の体系、である。 ( C. VI. 122 〔 2Z93 〕 ) もある。この状況を反転させれば、睡眠下には自我と事物と いう二重性は存在せず、見ている夢を冷静に観察する者が存では、覚醒時において自我と事物の体系が、独立した二つ ⅱ ,. ー冖 ~ トよ 在しないということになる。夢見る人は、状况の進展に深くの項として成立するのはなぜなのだろうか。ヴァレ 係わっていて、当人が予想し、恐れることがただちに視覚的れば、それは覚醒時において「再び見出す」ことが可能だか イメージとして実現され、その視像がそのまま現実として受らである。「覚醒時とは人が対象を再発見する状態である け人れられるような空間にいる。主観と客観が相互に依存し (C,XIV. 326 「 2Z145 」 ) 。これほどありふれた動作はないかもし あい、考えたことが現実として形になり、その形が主観に働れない。〈私〉が〈私〉を変わらないものとして再び見出す、自 きかけるような関係が発展することは、覚醒時の世界では通分を取り囲む環境が変わっていないことを確かめる、自分の 常考えられない。〈私〉が何を考えようと世界は世界としてあ身体が別のものに変容していないことを見出すーーこうした り、〈私〉の考えたこと次第でその世界が変化することなどな「再び見出す」という日常的な動作は一見素朴だが、ヴァレ
うに見なしたがる。しかし眠っているあいだ、意識はどうな いほどの変化に私は無関心でいる。 自分自身の生活のなかに、数限りない死の原型、日々の っているのだろうか。気がつくと何かの夢想にびたっていた 虚無、知りもせず知られもしない、驚くほど多量の空隙、 ということはないだろうか。意識は一様に持続するどころか、 宙吊り状態、間隔を所持していることを私は忘れている。 さまざまな中断をはらみ、その中断のあいだ何が起こってい 自分がいつの日かいなくなり、消し去られ、二度と目を るのかを知ることができない、不揃いで、断続的で、亀裂の とうすれば 覚まさなくなると私は考えることができない。、、 走った表面ではないだろうか。 あらためて考えてみよう。意識とは何か。それは一人の人自分を中断できるのか分からないのに、私は自分をびたす ら中断してばかりいるのだ ( 9 ) 。 間にとってのす。へてであるように見える。世界は意識のおよ ぶ範囲でしか視野に現れないのだから。それがどれほど貧し ヴァレリーはこの中断の時間を、自己の詩学のひとつの柱 平坦なものと感じられたとしても、意識はその視野に現 ところが、あらゆるとしている。放心、愚かさ、奇妙さは、「あらゆる〈詩〉の本 前するものしか捉えることができない。 出来事が、意識に現前しないものの広大で捉えがたい広がり質的要素」 6 XXII, 446 ) とまで言っている。というのも、こ を伝えてくる。眠りはその顕著な例である。眠りによって意こには解きがたい謎があるからだ。日常生活には、数えきれ ないほど空白が差しはさまれているのに、意識はまるで空白 識が中断されているあいだ、いったい何が起こっているのか。 目覚めたときに、どうして中断される前の自己をふたたび見などないかのように振る舞っている。日々の生活だけでなく、 出すことができるのか。そうした一切を意識は知らない。眠幼い頃から現在にいたるひとつの人格が形成される歴史にお いて、意識はあたかも連続した流れを保ちつづけているかの りは比較的長くつづくように見えるが、もっと短い空白、覚 醒時の生活に差しはさまれた意識できない空白がたくさん存ように見える。中断された時間、放心の時間は、この見せか けの連続性のなかでどのような役割を果たしているのだろう 在するかもしれない。だとしても、意識はそんな空白などな 学 何 いかのよ、つに振る舞、つことしかできない。ヴァレリーにとっ ヴァレリーはこの 尸いへの決定的な材料を提供するのが、 のて、意識は自ら捉えることができない空白にみたされた何も 眠りという意識が闇に沈んでゆく状態、さらに目覚めたとき のかである。 に夢として見出される奇妙な記憶だと考えた。「テスト氏と 自分のさまざまな眠り、放心、深く、長く、感じとれなの一夜」 ( 一八九六年 ) の最後に、テスト氏が眠りにおちる情景
についての反省の意識であり、その反省の記録であり、そし 大きさの車輛の長い列が、貨物と人間を満載し、純粋に水 の力だけで牽引されて走る。私は、もしスティーヴンソンて、現在の私たちがそれを読むように、その反省の伝播と共 に会うようなことがあれば、ランの花でつくった花輪を彼有を可能にする。 写真の複製、汽車、電信、電気。語り手である若いジャワ に献呈したであろう。鉄道の線路網が私の島ジャワを切り 裂き、もくもくと吐き出される煙が故郷の空に黒い筋を描の青年が記録する生き生きとした驚きは、技術がもたらすシ ョックの経験を描き出している。しかし、同時にそれは、彼 いて、しだいに色褪せて無のなかに消えてゆく。 世界はいまや距離というものを知らないかの如くであるの島を「切り裂く」ものであり、「故郷の空」に黒い筋を描 が、それを可能ならしめたのは電信である。力はもはや象く煙は、消えていくようにみえながら、その空気をわずかず や犀の専売特許ではなく、彼らは人間のつくった小さなもつだが変えていく。 のーーーナ、 ソト、ネジ、ポルトに取って代わられた。 近代は、学知と技術を通じて、ある限定された社会集団に さらこ、ゝ 力のヨーロツ。 ( では、人はより大きな力、少な集中的に経験される。同時に、その経験は、限定されること なく、あたかも器から液体があふれ出るように、周縁の人び くとも蒸気機関と同じ力をもった、より小さな機械をつく りはじめていた。水蒸気が動力では無論ない。石油で動かとに浸透し、その世界を作り変えていく。このおおきな趨勢 すのだ。そしてさらに、漏れ伝わるところによれば、すでのうちがわに、時差が存在する。ある人びとは、他の人びと よりも早く学知や技術に遭遇する。同胞からよそよそしいも にドイツは、石油どころか電気で動かす乗り物さえつくっ のにつくりかえられていく経験は、その人が生を与えられた たということだった。ああ、神 ( アッラー ) よ。私は、その え電気とは何であるのか、証明する方法さえまだ知らなかっ共同体あるいは家郷からの剥落の経験でもある。 越 たのに ( 。 このような経験は、「二重の疎外」と呼びうる 3 。一方で、 を そこに生まれ住む人びとの共同体・家郷からはなれていく。 体 一口 他方で、希求するものにいまだ到達しない。中間、間にある 共植民地にと「て近代とは、外部から到来する学間であり、 の 技術の圧倒的な力である。学問の習得は、自己の意識を根本ことがネーションの特徴であったように、「二重の疎外」は 像 「・から作り変えてしまう。学問は、自己を、同胞たちに対して、ナショナリズムの核となる経験である。アンダーソンは、新 よそよそしいものにしてしまう。また、学問は、書字による大陸における「クレオール・ナショナリズム」を、最初の、 記録の習慣をもたらす。それは、自己と自己をとりまく世界範例的なナショナリズムとしてとらえる。クレオールの官僚