101 図 1 共同行為における自己実現の段階モデル 来場者の行動変化根源的共同性場の共同性自覚的共同性 関係性のはぐくむ場所 目的的共同性 段階的発展 共同性の 生存・安心・ 愛 / 所属感・ 承認・ 自己実現 . : 利用者としてくつろぐ ・居場所として訪れる 自己実現の 段階的発展 に生じ , さまざまな施設や組織と柔軟に連携した 公益的な活動となっている点である。活動を通じ てさらにつながりが広がり , 地域コミュニティの なかにきめ細やかな信頼関係が形成されるという 動的な動きにつながっている。 つながりと活動の創出メカニズム こうして , 「芝の家」からは , 多様なつながり と活動が生まれているのであるが , 特定のプログ ラムがあるわけでもなく , 活動支援に力を入れて いるわけでもないにもかかわらず , こうした動き が活発に起こるのはなぜだろうか。これを分析す るために我々が考案したモデルが , 「共同行為に おける自己実現の段階モデル」 ( 図 1 ) である ( 坂倉ら , 2013 ) 。 このモデルは , 来場者の行動を , 「利用者とし てくつろぐ」状態から , 次第に「居場所として訪 れる」 , 「スタッフの役割を担う」 , 「地域活動をは じめる」といった形で段階的に発展する過程とし て捉え , それを促進する要因を , 他の来場者との 信頼関係の構築による共同性の深まりと , 他者と の関係を通じた自己実現意欲の高まりの二つの要 素から説明しようとする枠組みである。 「芝の家」で活発に活動している来場者は , 特 定の行動的な来場者のみではなく , その担い手は 学生からシニア層までまちまちである。また , 初 : スタッフの役割を担う ・地域活動をはじめる かった。 の三つの段階の進展が鍵となっていることがわ に来場者が主体的に活動に取り組むためには , 次 化の過程をまとめたのが , 図 2 である。最終的 「芝の家」で活動する人に共通してみられる変 意識や行動を変化させていく来場者 る。 なコミュニティにも応用可能な知見だと考えられ が高まるにつれて自発的な活動が活発になるよう はなく , 講座やサークルなど , 参加者の帰属意識 かってきた。おそらく , 他の地域の居場所だけで ころ , 意識や行動の変化の細かなありようがわ このモデルに基づいたインタビューを行ったと うに観察される。 的な要因が絡み合った結果としての変化であるよ の気づきなどを通じた内的動機づけといった複合 他者との出会いや信頼関係の構築 , 自分らしさへ ーの目的であるというよりは , さまざまな形での は地域課題の解決や個人的関心の充足といった単 対価や尊敬の獲得といった外的動機づけ , あるい こうした行動を促す要因は , に見える。さらに から運営の手伝いや独自の活動を始めているよう く , 徐々に「芝の家」に馴染んでいき , ある時期 めての訪問時から直ちに活動を始めることはな
「場所としての図書館」再考 51 ◆特集◆場所としての図書館 「場所とぼの図書館」再考 根本彰 しはじめに 筆者の手元に大判の図書館写真集が 2 冊ある 1 ) 。 そのなかの『世界でもっとも美しい図書館』 ( The 財 0 4 〃ん耀 s ル催 / のを 見てみよう ( 写真 1 参照 ) 。アメリカ議会図書館 館長ビリントンの序文のあとに , オーストリア国 立図書館から始まってロシア国立図書館まで 23 館の写真が掲載される。これらを設置者別にみる と , 国が 6 , 教会・修道院 5 , 大学 3 , それ以外 の個人・財団 9 となっている ( 表 1 参照 ) 。 ここには私たち日本の図書館関係者が知ってい る図書館とは別に拡がった世界がある 2 ) 。アメリ 力やロシアのような新興国のものを別とすれば , 写真 1 写真集「世界でもっとも美しい図書館』の表紙 基本的に近代以前につくられた図書館の美しさ , れて発展したところといえる。表 1 で図書館名 豪華さが表現されている。それらの図書館の設置 者は前近代的世界の政治的・宗教的権力者であっ の右にアスタリスクが付けられているところはそ うした図書館である。 たり , 王侯貴族であったりした。たとえばオース 逆にいえば , 23 館の図書館のうちそれ以外の トリア国立図書館は設置者が国となっているが , 半数は , 過去の豪華な建築 , そこに納められてい 実際にはハプスプルク家の宮廷図書館だったとこ る貴重な資料群 , そして何よりもそれが使われて ろであり , 20 世紀になって国立図書館に組み込 いたときの雰囲気をそのまま残しているものであ まれて一般に公開されるようになっている。 る。これらは , 一種の文化遺産であり , 多くの場 先ほどの本の表紙にはこの図書館の内部を写し 合観光の対象にもなっている。 た写真が使われている 3 ) 。ロシアやチェコの国立 日本の図書館の発展は基本的に明治以降であ 図書館もそういうところである。これらは前近代 り , その際に欧米を参考にしたとはいっても第二 図書館の存在に新しい図書館の機能が付け加えら 次大戦前の発展は政治的 , 軍事的 , 産業的な国家 づくりが最優先であって , 文化や学術に対して積 ねもとあきら : 東京大学 極的に進めていく考え方は限定的にしか存在しな キーワード : 場所としての図書館 , 図書館建築 , コミュニティ
地域に公開された児童図書室を大学キャンパスにつくって 25 年 91 ◆特集◆場所としての図書館 地域に公開された児童図書室を 大学キャン、スにつくって 25 年 ・時代とともに変わりゆく図書館の意味を考える 佐々木宏子 分析しようとするものが多く , それには飽き足ら 開設当初の目標 なかった。もっと個々の子どもに密着した乳幼児 の心理と乳幼児文学に橋を架ける学際的な研究が したかったのである。そのためには , 絵本 ( 本 ) 現職教員の再教育を目的とする大学院修士課程 と子どもが出会う条件を , できる限り現実の具体 と学部教員養成課程をもつ新構想の鳴門教育大学 は , 1984 年に第 1 期の大学院生を受け入れた。 的な文脈の中で捉える環境を創出することが必要 そのころ , 私は地域に開かれた児童図書室をキャ であった。 わが国の子ども文化の歴史 , 家族の変容 , 子ど ンパス内に開設することに奔走していた。 発端は , 初代学長予定者である前田嘉明氏から も観の変化 , 教育のあり方などの諸要因をすべて 網羅する中で , 絵本や文学などが子どもたちにど 新設の大学へのお誘いをうけたとき「地域に開 かれた児童図書室を開設することカ : できるなら のような影響を与えるものなのかを , 系統的かっ 複合的に捉えたかったからである。 ば」という条件で , 赴任することを決意していた からである。 ■児童図書室の理念は何かと問われ なぜ , それほどまでに子ども ( 市民 ) に門戸の 開かれた児童図書室に執着したのだろうか。ーっ それでも教授会で承認を得るためには「設立の は , 私自身の専門領域が「児童文化論」 ( 現代で 理念」を書かねばならず , 文部省 ( 現・文部科学 省 ) へは趣意書や目的も明確にしなければならな は「子ども文化論」が一般的 ) であり , とくに子 い。しかし , それは行動目標や達成目標のような どもの発達と絵本の関係に注目していたからであ 具体的なものではないはすであるし , 読書を狭い る。それまでのわが国における乳幼児・児童心理 意味での教育活動に回収することにも強い抵抗感 学の中心的テーマは , 自我や知的な発達が中心に なっていて , 波多野完治氏や乾孝氏などの数人の があった。 例外的な心理学者を除き , 文学と子どもの関わり もし , わかりやすく単純な目的を明示するなら ば , 利用者はそれを達成するためのコマとなり , についての研究は継続的な流れとはなっていな 本を読むという行為がもつ想像力と自由はどこか かったからである。 伝統的な心理学研究の手法は統計学や恣意的な でいびつなものにねじ曲げられてしまうだろう。 理念とは , いわば柔軟に流動する実態そのものを 調査項目で横断的に子どもを無個性な集団として 防御する外皮である。理念という外皮は , 内在す る多層性をもち流動する実態によってこそ生きて ささき ひろこ : 鳴門教育大学名誉教授 くるだろう。 キーワード : 大学の児童図書室 , 図書館と地域連携 , 読書の発 開室して数年後 , ある雑誌から児童図書室につ 達段階 , 絵本データベース , 遊びと読書
54 現代の図書館 VOL51 N02 ( 2013 ) 書館」論は 1990 年代以降 , 電子図書館論が急速 に広まり , また実態として電子図書館的な機能や サービスが開始されてきたことに対するアンチ テーゼとして現れたものである。その考え方によ れば , 図書館はもともと物理的な実体としての書 物その他の資料を収集保存し , 書誌的に組織化 し , その場所で閲覧・貸出しのような提供サービ スを行うことで成り立っていたが , その資料がデ ジタル化されてデータベースサーバで管理され , インターネットを通じて遠隔でアクセス可能にな ることによって便利になることが期待された。 すべての資料がデジタル化されれば物理的な図 書館は不要になるかもしれないという議論も現れ るようになった。古くは , ランカスターの『ペー パーレス情報システム』から始まり , 近年ではそ れは単なる議論ではなく , 科学技術分野を中心に 実在するようになっている 9 ) 。電子図書館とは , 電子ジャーナルと電子図書 , 電子的なレファレン スデータベースと契約し , これを提供するサーバ を管理することで成立する。たとえば , 東京大学 分子細胞生物学研究所は 2005 年に図書室を廃止 しているが , 全学的な電子ジャーナルの購入シス テムには加入しているから , その意味では電子図 書館サービスは提供しているといってよい。 この状態が当たり前のものになっていくと , 従 来の図書館は消えるか役割を変えるかする必要が あるように受け取られがちであるが , むしろ図書 館本来の役割を再度確認して , その物理的な場所 でサービスを行うことそのものに意味があるとい う主張がある。先ほどみたように , 欧米において 図書館は抽象的な「場」である前に何よりも「場 所」である。豪華絢爛な建物と室内装飾を施さ れ , そこに製本し直された革表紙の書物が整然と 並ぶありさまは図書館の原風景をつくっている。 啓蒙主義と市民革命の時代を経て , これらは富や 権力の装いをはぎ取られて一般市民を志向せざる をえなくなった。 先ほどのヨーロッパの図書館群はそのなかでも 原風景を保持している数少ない例であるが , アメ リカ合衆国の三つの図書館はやや性格を異にす る。近代しかもたないこの国では , 図書館は最初 から市民のものであるが , ヨーロッパの伝統を継 写真 2 議会図書館ジェファーソン館閲覧室 承して , 図書館をつくるときにきらびやかさや豪 華さのような要素を意図的に組み込んでいる。た とえば , ニューヨークの五番街の中心に建ってい るニューヨーク公共図書館 ( シュワルツマン館 ) は , 19 世紀から 20 世紀にかけてのニューヨーク の経済活力を支援する知的な砦としてつくられた 面が強く , その豪華な施設と豊富な資料を惜しげ もなく市民に公開する方法をとった 10 ) 。 19 世紀末に首都ワシントンに完成した連邦議 会図書館の現閲覧室 11 ) は , 写真 2 のようにヨー ロッパの宮廷図書館の意匠を意識したっくりに なっている。 しかしながら異なるのは , ここの内装が哲学 , 芸術 , 歴史 , 産業 , 宗教 , 科学 , 法 , 文学の知の 8 分野を象徴することばが 8 本の柱の上部に刻み 込まれ , その間の天窓の下に , 対応する代表的人 物が 2 名ずっ彫像として置かれていることであ る。西欧の古代から近代に至る代表的な人物であ り , たとえば , プラトン ( 哲学 ) , ミケランジェ ロ ( 芸術 ) , ヘロドトス ( 歴史 ) , フルトン ( 産 業 ) , モーゼ ( 宗教 ) , ニュートン ( 科学 ) , ソロ ン ( 法 ) , ホメロス ( 文学 ) といった人々である。 アメリカが西欧の歴史と文化的伝統を継承しな がら , これをさらに徹底的に啓蒙主義あるいは理 性主義思想のもとに純粋培養してこの図書館をつ くったことがわかる。図書館が知識を表象する 「場所」であることをこれほどはっきりと示すと ころもない。
「場所としての図書館」再考 53 者である 8 ) 。「第三の場 ( 所 ) 」はこの社会関係資 な物理的イメージをともなう用語を強調するのは 本を形成する際に重要な役割を果たすことなる。 そこからきている。かって書いた「場所としての 久野が「場」という表現にこだわるのは , 背景 図書館」についての論考は基本的に文献レビュー にあるこうした社会学的な議論に引き寄せられる であったこともあり , 十分に議論を展開すること からだろう。学校自体が近代的な装置であり , そ ができなかった 4 ) 。以下 , 前稿を踏まえて「場所 のなかの「施設」として位置づけられている学校 としての図書館」の考え方をもう一度具体的に提 図書館は機能主義的に観察したほうがよい存在と 示してみたい。その際に扱うのは , 日本における とらえられている。日本のこれまでのほとんどの 図書館建築の事情とそれに対する議論である。 学校図書館論は , 現在の法や制度のもとで職員や 2 「場」と「場所」 教員の学校組織における位置づけと専門性を扱 い , 子どもたちの読書や資料を使った調べ学習と いった要素をどのように展開するかを論じてき さてこの間 , 日本でこの種の議論を提示したの は久野和子の「『第三の場』としての学校図書館」 た。図書館が物理的存在である以上に , 心理的・ 社会的な装置である場合 , それに対して日本語で であった 5 ) 。この論文は , 主としてブッシュマン は「場」という言葉を使ったほうがふさわしいと とレッキー編による『場所としての図書館 : 歴史 , コミュニティ , 文化』の訳書によりながら , 学校 も考えられる 先取りした議論になるが , 筆者がもし「場所と 図書館をこの概念に位置づける作業を行った 6 ) 。 しての学校図書館」を検討しようとするなら , 学 その際に図書館情報学で用いられる "library as 校の建物のなかで図書館がどこに置かれているの place" 論と社会学者オールデンバーグの "the か , それが時代によってどのように変遷したか , third place" 論とをつなぎあわせて , 学校図書館 また , 広さ , 資料数などの物質的装置としての図 を「第三の場」であるとしている。 書館がどうなっているかなどに着目する。これ レイ・オールデンバーグによれば , 都市生活に は , 制度や人的サービスの要素からひとまず切り おける市民にとって第一の場が家庭であり , 第二 離して , 学ぶ場所としての図書館が学校のなかに の場が職場であるのに対し , 第三の場とはお気に どのように位置づけられているのかを確認する作 入りの場所 , たまり場 , インフォーマルで公的な 業である。 集まりの場ということになる。ドイツのビアガー たとえば , 戦前の旧制中学から戦後しばらくの デン , イギリスのパプ , フランスのカフェ , アメ あいだまで地域の「名門」公立高校では校舎から リカ開拓時代の居酒屋などがその古典的な存在で 独立して図書館が建てられる傾向があった。これ あるが , それだけでなく , 人々が気軽に集まり議 は , 日本独特の読書人育成のための図書館であ 論し合ったりすることで草の根民主主義を支える 結節点としての場所がここになるという 7 ) 。ここ り , 教科学習とは独立にあるいはそれを発展させ て教養書や文学書を読むことがよしとされたこと し , まだ翻訳書が出ていないこともあり , この言 を反映している。ただその意味での教養主義が失 葉を「第三の場所」と訳すか「第三の場」と訳す われた 1970 年代以降 , 勉強部屋としての機能が かすら社会学者によってそれぞれで , 必ずしも固 前面に出ることになることも少なくなかったし , まっていない。「サードプレイス」とカタカナで 建て替えられたあとは校舎の一隅に吸収された例 表現される場合もあるようだ。 も多かった。こうした考察が「場所としての学校 その後 , 社会学で社会関係資本 (social capital) 図書館」論では可能である。 と呼ばれる理論が台頭してきて , 所属する集団や 地域を基盤にして人と人とが相互に関係を結ぶこ 3 「場所としての図書館」論の背景 とによる社会関係の力や結東カのようなものを指 してこの概念で呼ぶことがある。『孤独なボウリ 筆者が前稿で述べたように , 「場所としての図 ング』の著者ロバート・パトナムが代表的な研究 0 一三
102 ( 1 ) 現代の図書館 VOL51 N02 ( 2013 ) 図 2 活動にいたるまでの段階的過程 1 ) 初来場から 居場所へ 生存 / 安全 愛 / 所属感 自己実現 根源的共同性場の共同性自覚的共同性目的的共同性 心地よさ , 期待など , 何らかの価値を見つける。 来場者 再び訪れ , 足を運ぶようになる。 スタッフとして働く喜 びを感じる一方 , 自分 の役割や他者との関係 についての葛藤や悩み が生じる。 2 ) 居場所を通じた 自分らしさの探求 顔見知りができ , 自分の 居場所と感じられるよう になる。 他者との関係が広がり , 深 まる。関係規範の変化自 分の問題意識ややりたいこ との模索。 3 ) 自分らしい 活動の発見 スタッフになる。 自分の役割に自 覚的になる。 自分らしさの発揮。 他者との関係のなかで , 自分らしさに対する理解 が深まり , 自己肯定感を 得る。 地域のネットワーク が広がる。 初来場から居場所へ ます大切なのは , 初めて来場したときの体験で ある。初来場時に , その場にいる安心感を感じら れたり , 自分の関心が満たされる期待感を持てた りすることが , 再度来場するきっかけとなる。何 度も足を運ぶようになるにつれて所属感を感じら れる居場所となり , インフォーマルなつながりが 増加する。 ( 2 ) 居場所を通じた自分らしさの探求 続いて , インフォーマルなつながりのなかで , 自分らしさや他者との関係への気づきが次第に深 まっていく。多くの場合 , 半年程度かけて自分の やりたいことが明確になっていく。自分らしさの 承認と , 役割の形成が生じ , 運営手伝いやイベン ト企画などの試行が行われる。場への愛着が次第 に役割を担いたいという欲求につながっているこ とがわかる。 ( 3 ) 自分らしい活動の発見 自分らしさへの気づきと信頼できるつながりが 仲間との出会いがきっかけ となって , 新しい活動をは じめる。 イティになる。 との歓びを感じ , 活動が自分のアイデンテ 自分らしさを発揮しながら他者と関わるこ 家」で過ごし , 十分に自己に向き合い , 信頼関係 る準備が整うためには , ある程度の期間「芝の しかし第二に , 来場者が主体的に活動に踏み切 る相乗効果であるといえる。 生まれる原動力は , 来場者同士の関係性から生じ 的的ではない日常の「芝の家」から次々に活動が を持って一歩踏み出す契機となっている。特に目 会いや他の来場者による巻き込みや紹介が , 勇気 との関わりである。関心をともにする仲間との出 来場者の活動を促進する要因は , 第一に , 他者 変化をもたらす 自己実現欲求と共同性の深化が 行動の契機になっている。 いく。他の来場者の巻き込みや活動からの刺激が り , 活動が自分自身のアイデンティティになって とのフォーマルなつながりも形成されるようにな が多い。活動に踏み切ることで , 近隣施設や組織 る。直接的な契機は , 他者との関わりであること 十分に形成されると , 新しい活動への意欲が生じ
104 現代の図書館 Vol. 51 N02 ( 2013 ) 図 4 協働プラットフォームの設計要件 参加者の内部変化のマネジメント 計 の 割 役 加主 加主 グループ 、グループ 加主 コミュニケーション・パターンの設計 インセンティブ設計 信頼形成メカニズムの設計 プラットフォーム構築の担い手 形成と自発的な活動が継続し , 発展するための培 新たな場づくりに向けて 養器のような働きを , 地域コミュニティに果たし ていると考えられる。また , 自発的な活動を創出 協働プラットフォーム設計 する地域の居場所は , 地域活動に関心のある目的 というアプローチ 意識の高い人だけではなく , 幅広い人が地域のさ 地域の居場所の本質を生み出すのは , 機能の設 まざまな活動へ参入する機会を提供できる仕組み 計ではなく , 人々の自発的な関わりによって生じ もある。 る場所性である。しかし , では , 私たちはこうし 生き甲斐を感じながら自己実現に向かうこと , た場が偶然生まれるのを待つほかないのだろう 他者とのつながりのなかで自分を確かめ新たな行 動を起こしていくこと , 地域で活動することでさ 地域の居場所をつくる本質的な要因は , 来場者 らに生き甲斐を実感し , つながりを増加させてい の偶発的な出会いや成長であるがゆえに , それら くこと。こうした循環を通じて地域が活性化して を自在にコントロールすることは難しい。しか いくような暮らし方は , きわめて人間らしい生き し , そうした関係性ができるだけ生まれやすい環 方だといってよいだろう。そのためには , 他者と 境を整えるための設計は可能なはずだ。筆者は , の関わりあいをゆるす開かれた場が物理的に存在 「協働プラットフォーム」という概念で , 地域の することが非常に重要である。こうした場と人の 居場所が成立するための設計要件を研究している 関わりを , 地域社会のなかにどうビルトインして が , 最後にその展望に触れてまとめとしたい。 いくことができるか。これが , 現代的な居場所づ 協働プラットフォームとは , まず人が集まり , くりの課題とだといってよいだろう。 そこで互いに関わり合うことで , 想像もしていな かったような新たな価値が立ち上がる仕組みであ こうしたプラットフォームを る ( 国領ら , 201D 。 設計するための変数としては , コ、 ミュニケーショ ン・パターンの設計 , 役割の設計 , インセンティ
58 現代の図書館 Vol. 51 N02 ( 2013 ) 写真 6 成蹊大学図書館のプラネット できるだろうが , 他方 , メディアを総合的に扱う れが空間設計や建築材質 , 施設配置といった点で という本来的な試みに対して , 柔軟に対応するこ 以前よりも自由でかっ独自の方向性が打ち出され とが容易ではないことを読み取ることもできるか ている。 もしれない。 5 まとめ その後 , 図書館建築という観点からみたときに 興味深い例がいくつも現れている。著名な建築家 が関わった例として表 2 に掲げた例がある。 以上 , おおざっぱにいって図書館建築が資料提 れらはそれぞれの特徴がきわだち , 従来の機能主 供や学習の場としての図書館機能をそのまま表現 義的な図書館とは一部あるいは全部において対照 する器でしかなかった時代から , 機能をベースに 的なものを主張している。たとえば , 国際子ども して知識 , 教養 , 伝統 , 情報ネットワーク , マル 図書館は旧帝国図書館のルネサンス様式の建物を チメディア , 相互交流 , 協同性 , コミュニテイデ 生かしながら , 使いやすい機能性を追求してい ザインなどの価値を建築家の視点で独自に展開す る。国際教養大学図書館は 24 時間開館で知られ るような方向への視点の移動が見られる。これは ているが , 徹底した木造づくりのワンフロア図書 日本の図書館が少なくとも 1960 年代以降の発展 館によって居心地のよさを表現する。これに対し としても , 50 年の歳月がもたらす文化的な成熟 て , 成蹊大学図書館は「空中力プセル」と呼ばれ を意味するものだろう。図書館が単に資料を収蔵 る討論スペースがいくつも空中に浮かぶようなっ し閲覧させる無機的な場ではなく , それが置かれ くりとなっている。表 2 に挙げた図書館の一部 た場所 , 外観 , 建築素材 , 内部空間 , 書架配置な は写真で示した ( 写真 5 ~ 7 ) 。 どが建築家の意匠によって組み合わされて何か新 他方 , 図書館建築で知られている建築家の作品 しい価値を表現することができるようになってい に , 伊万里市民図書館 ( 1995 , 寺田芳朗 ) , 岐阜県 るのである。 図書館 ( 1995 , 岡田新一 ) , 奈良県立図書情報館 最近話題になっている武雄市図書館は , その意 味で官と民のそれぞれのよさを含めて知識情報空 ( 2005 , 日本設計・桝谷設計 ) , 結城市民情報セン 間をつくろうという新しい提案である 24 ) 。日本 ター ( 2006 , 三上清一 , 益子一彦 ) といったものが ある。これらは日本の図書館建築の伝統にのっ では歴史的に書店が地域の知識空間をつくる場所 とった機能的な側面を基調にしながらも , それぞ であった例が少なくない。その意味で現代におい
ニング・コモンズの整備 , レファレンス 等 ) 」を選択した大学は , 539 大学であり , 全体 の約 7 割にのばる。アクテイプ・ラーニング・ス ペースの整備は緒に就いたばかりであることが推 ( ラー 察される。 3 ~ ラーニング・コモンズと学生の学習 景をよく見かける。これらは , 飲食しながら学習 が一人で , あるいはグループで集って学習する光 ある。学食やラウンジ , 談話スペースでは , 学生 学術的関心を共有する学生がともに学べる空間で 認められた学生に限定されているが , ある特定の 空間の一つである。ゼミ室や研究室 , 実験室は , る。授業のない空き教室は , もっとも身近な学習 また , 学習する場は , 実は学内外に多く存在す 整いつつある。 末があれば , いつでもどこでも学習できる環境は やタブレット PC, スマートフォンなどの携帯端 学内には無線 LAN が張り巡らされ , ノート PC るオンライン学習サービスが注目を集めている。 Courses) と呼ばれる , だれもが無料で利用でき 関が提供する MOOCs (Massive Open OnIine 整いつつある。さらにアメリカでは , 高等教育機 た e ラーニング・システムによる教材提供環境も LMS (Learning Management System) といっ され , CMS (Content Management System) や ことができる。学術コンテンツそのものも電子化 書やインターネットがあれば , その場ですませる 学生にとって , かんたんな調べものは , 電子辞 更を求めている。 社会の進展は , 大学図書館のありかたに大きな変 としてきたのである。しかしながら , 最近の情報 的 , 効果的に探索 , 利用できる図書館を学習の場 た。学生は , 学習に不可欠のコンテンツが効率 究に必要なコンテンツを収集し , 利用に供してき 構成する学部・学科 , 研究科で行われる教育・研 で大学図書館は , 大学の付属機関として , 大学を ことは , だれもが認めるところであろう。これま 大学において , 図書館が学生の学習場所である 3.1 なせ大学図書館に設置するのか 場としての大学図書館 85 できる最適な場所でもある。コンピュータ教室 は , レポートの執筆には欠かせない場所である し , 自習室は一人静かに学習するのにうってつけ の場所といえる。ひとたび学外に出れば , カフェ ごく当たり前のこととして行われてきたが , これ スなど ) の提供は , 図書館の基本的機能として , クション ) と⑤人的資源 ( レファレンス・サービ 学習に必要な資源 , すなわち④情報資源 ( コレ で , 気軽に立ち寄れる居場所が図書館である。 ンパスに滞在する学生にとって , もっとも身近 の , いつでも長時間にわたって利用できる。キャ 間的制約 , 座席数という物理的制約はあるもの にでも開かれた場所でもある。開館時間という時 員 , 場合によっては地域の人に至るまで , ③だれ また , 図書館は , 大学に所属する学生や教職 させることにつながる。 コモンズの設置は , 学生の学習環境をさらに拡充 かった空間やサービスをも提供するラーニング・ 動が行われる場所である。伝統的な図書館にはな のもとで , そのスタイルを問われすに , 多様な活 一方 , 図書館は , 学習・研究というーっの目的 そぐわないことが多い。 用するのが一般的であり , グループでの学習には あろう。コンピュータ教室や自習室は , 一人で利 は , 昼食時に長時間利用することはほば不可能で 学生は別の場所に移動しなくてはならない。学食 る。たとえば , 教室はいったん授業が始まれば , は , 場合によっては中断や中止を余儀なくされ ため , その場所に認められた目的に沿わない活動 複数の目的のために用意された場所である。その は , 一部をのぞいて , 学習とは異なる一つないし 二つがある。先に列挙したさまざまな学習空間 および②多様な学習環境が用意されていることの まず , ①図書館は利用目的が明確であること , 点を指摘しておきたい。 ーこでは , 次の五つの を設置するのであろうか。 では , なぜ大学図書館にラーニング・コモンズ の一つにすぎないのである。 間の一つであろう。大学図書館は , 学習する場所 ちろん , 自宅はもっとも落ち着いて学習できる空 学生の居場所になっていることも少なくない。も やファミリー・レストラン , ファストフード店が
94 現代の図書館 V 矼 51 No.2 ( 2013 ) に位置づけられたのは , 2001 年の 12 月であっ しよう」という一言で大きく前に進んだ。 た。その中でもとくに「わらべうた講習会」 ( と 児童図書室は静かに読書するところという既成 くしまお話しを語る会・中洋子代表 ) は , 多大の人 概念を大きく打ち破り , 「本のある遊び場」へと 気を得ていた。この機会は学生たちにも子ども理 脱皮していった。あれから 10 年たつが , その間 解や家族についての認識を深める場となり , 逆に にも子どもと図書館をめぐる環境は大きく変化し 学生たちがさまざまな企画をもって地域に進出す ている。とくに近年 , さまざまなメディアが開発 るための方法論を学ぶ機会ともなったように思 される中で子どもと図書館との関係は , 基本的な う。妊娠中から図書室に通っていた人が , 出産後 ところで大きく変化しているように思えてならな 2 週間で赤ちゃんを連れてくることもあった。 い。このことはもう少し後で触れてみたい。 「来ちゃったわよー」と明るい声で図書室に入っ この 25 年間の社会的・政治的変化は , 現代の てきて , 赤ちゃんのお披露目をする。玄関のコロ 子ども図書館の理念とどのように結びついている ニアル風の柱には一緒に来た大型のドーベルマン のだろうか。児童図書室の歴史を眺めただけでも が , 綱で繋がれ静かに座って待っていた。 浮かび上がってきたことがいくつかある。 児童図書室の隣には , もと図書館長の部屋が 大学の中の児童図書室が発見した あったが , 法人化の際 , 独立の館長が廃止された ことを契機に , 本館の職員の配慮により児童図書 子どもと本について提言 室専用の書架兼集会室になった。そこは授乳室に なることもあり , おしめを交換するためのベビー こからは , 大学の地域に開放された児童図書 べッドも用意されている。時には赤ちゃんが静か 室が積み重ねてきた経験をもとに , これからの子 に眠っていることもあり , その間 , お母さんは自 ども図書館のあり方についていくっかの提言をし 由にお喋りを楽しむことができる。 てみたい。 ■オルタナテイプな遊び・教育の場 ( 5 ) 地域と関連団体との連携の日常化 としての子ども図書館 大学を地域に開くことは , ただ一方的に大学で 構築された知の構築物やシステムを市民に提供す 子どもたち , とくに就学前の子どもたちにとっ るのではなく , 地域のさまざまな活動やそこで育 て最も大切なことは , 個人的もしくは協同的な遊 まれた成果を広く大学の教育に取り入れることで びをすることだ。それは , 保育者個人の指導力だ もある。ちなみに開設以来 20 年の間に , 訪れた けでは到底達成されるものではない。そのために ボランティア団体は 11 もあり , それは徳島県下 は伝統的に遊び込まれた優れた遊び環境が保存さ に散らばっており , 現在でもそれは継続されてい れ , 準備されなければならない。 る。この連携は , 森下雅子児童図書室コーディ 私たちはそれら質の高い遊び環境のなかでも , ネーターの人脈に負うことが大きい。 とりわけ子どもたちの遊びを強く刺激するものを 「遊誘財」と名付け , それらの財がいかに子ども ( 6 ) 横山課長の決断 たちの協同性や集中力 , 有能さを育むかを研究・ 児童図書室のさまざまな規則や要項は , 本館の 検証してきた 4 ) 。 事務職員の多大な協力により開設前に次々に策定 前章で「図書館は遊びの場として脱皮していっ されていった。中でも「児童図書室利用要項」の た」と述べたが , それはいわゆる一般的な「遊 策定は開室直前の 1987 年に作成されたが , 2004 び」の意味ではない。児童図書室は , 開室日には 年に国立大学が法人化される際 , かなりの手直し 3 時間のあいだ開いている。常識的に考えても中 が行われることになった。中でも利用要項の中の 学生ならともかく , 幼い子どもたちがその時間を 本とだけ向き合うことは不可能である。さっさと 「室内では静粛を保つこと」いう文言は , 当時の 本館の横山敏秋図書課長が「もうこれは除きま 30 分くらいで本を選んで帰る親子もいるが , 2