戦後 - みる会図書館


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1. UP 2016年8月号

こ 読 は、その観点からの検証が求められているというべきであろ 読 「戦後文学」といっても、この語はいまや危機に瀕していよそうした矢先、二〇〇九年から、文芸雑誌『群像』で連載が う。いや、「戦後文学」のみならず、「戦後」に生み出され、始まった座談会「戦後文学を読む」三〇一二年まで、全一〇回 ) 「戦後」を主導した「戦後思想」も同様の状態である。そのこが、あらたな語り下ろしを加え、 ( 単行本化を飛び越え ) 一挙に とを示すように、「戦後文学」は手にしたり、読むこと自体が文庫化された ( 講談社、二〇一六年 ) 。この座談会の軸になって編 難しくなっている。また、昨二〇一五年には「戦後七〇年」が いるのは、作家・奥泉光である。奥泉光といえば、一九五六年集 云々されたが、「戦後文学」や「戦後思想」の検証とは無縁の生まれ。戦争小説「石の来歴」を書くとともに、「戦争 x 文学」 ところで、話題が創られていた。「戦後」がなかなか過ぎ去ろという、戦争文学の集成の企画に編集委員として参画してい うとしないなか、「戦後」の内実を創りだしてきた「戦後思想」る。他方、「文芸漫談」と名づけ、 ( 作家のいとうせいこうと ) 内泉 や「戦後文学」は打ち捨てられたままとなっている。 外の文学作品を一冊ずつ読み解く試みをしている。幅広い教養 だが、これらのことは「戦後文学」や「戦後思想」の価値がと、現状への緊張感を持っ作家・奥泉が、「戦後文学」を真正 なくなったということを意味しない。逆に、「戦後」が歴史化面から論ずる試みを企てた。 される前夜の〈いま〉、あらためて「戦後文学」や「戦後思想」奥泉は、 ( 本書の高橋源一郎との冒頭の対談で ) 「ばくらの世代 奥泉光・群像編集部編『戦後文学を読む』、 あるいは、いま「戦後文学」を読むこと 〔書評〕 成田龍一

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は、戦後文学はある意味では同時代でした」と述べている。高い月」 ) が、「戦後第二世代」の中村文則、島本理生と奥泉との 橋源一郎は、さらに「彼らとは、ある意味で地続きだった」とあいだで論じられる。とりあげられた作家は、そのほか、武田 いうが、この感覚を有するものを「戦後第一世代ーとすると泰淳 ( 「蝮のすえ」「わが子キリスト」 ) 、椎名麟三 ( 「深夜の酒宴」 読 き、現在では、あきらかにそれとは絶縁した「戦後第二世代」「重き流れのなかに」 ) 、梅崎春生 ( 「桜島」「幻花」 ) 、大岡昇平 ( 「野火」「武蔵野夫人」 ) 、石原吉郎 ( 「ペシミストの勇気について」 か登場してきている。 これはアジア・太平洋戦争との距離でもあり、父母が戦争経「棒をのんだ話」 ) 、藤枝静男 ( 「田紳有楽」「悲しいだけ」 ) 、小島信戦 験者であるか ( 第一世代 ) 、祖父母がそれに当たるか ( 第二世夫 ( 「アメリカン・スクール」「月光」 ) 、そして大江健一二郎 ( 「芽む しり仔撃ち」 ) である。おおむね、戦後文学史のなかでの重要な 代 ) の差異となって現われてきている。こうした状況のもと、 「戦後文学」があらためて検討されることとなったのである。 作家、そして正典をなす作品が取り上げられるが、その選書 は、奥泉ー高橋の対談中でなされている。 、ほほ同世代の私自身の売 ふたりは、丁々発止とやりあうが 本書は、序章「なぜ今「戦後文学」か」、終章「「戦後文学」書経験とも重なりあうような作家ー作品が挙げられる。このと と現在、の二つの対談がおかれ、そのあいだに座談会がはさまき「 ( 戦後文学をー註 ) 現代文学のフロントとして読む」と高橋後 れる構成となっている。座談会では、戦後派作家の作品を二編は述べ、さらに「重苦しい観念性があって極端に生まじめなん 取り上げ、奥泉とふたりのゲストによって「合評」がなされだけど、生まじめ過ぎて笑えるところがある」ともいう。 る。序章と終章は、高橋源一郎 ( 一九五一年生 ) と島田雅彦奥泉は、 ( 「戦後文学」は ) 「日本語で書かれた小説のなかで、 ( 一九六一年生 ) という、奥泉と同世代「戦後第一世代」の作家いまなお最も批評性が高い」ことを、あらためて「戦後文学」 が対談相手をつとめ、あいだの「合評」 ( 座談会 ) には、奥泉を読む理由とする。「いわゆる日本的な言語空間」に対して批光 より年下の若い作家たちが参加している。一九七〇年代から八評的であり、「戦後文学」は「意志的。「方法的に」そこにきり奥 こもうとしたと評価するのである。他方、高橋は、密室での議 〇年代生まれの小説家であり、ゲスト二人のうちひとりは、た いかい女性が招かれている。 論を描く作品ー埴谷雄高『死霊』を、インタ ! 不ットや「ひき 読みあう対象は作家が前面に出され、たとえば、第一章はこもりと同じとみなすなど、その類似性から「戦後文学」に 「野間宏を読む」とされ、野間の二作品 ( 「暗い絵」「顔の中の赤接近する。こうした高橋は、読み方の推移ーー・「当時の読み 二二ロ スロ

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著である。 かって、評論家の江藤淳は「いわゆるク戦後文学乙とは占 領下という「「苦しみ」の時代に咲き誇った徒花」に過ぎない ( 『もう一つの戦後史』一九七八年 ) と冷笑した。しかし、このと きには「戦後文学」の存在感をみなが感じており、そのゆえの ーしまや 江藤の苛立ちであった。だが、冒頭に述べたようこ、ゝ 「戦後文学」の存在自体が希薄化している。本書は、こうした なかでの作家たちの「戦後文学」へのコミットであった。 こうした試みが、戦後思想史をはじめ、戦後映画史、戦後マ ンガ史などへも応用ー展開され、それぞれのジャンルでなされ登 で るということを、私は夢想する。この営みこそが、「戦後」の 本 検証であり、戦後作品の批判的継承であり、「戦後」の歴史化行 の実践のひとっへと、なりゆこうと思うからである。 画 * さきの町田康も、「芽むしり仔撃ち」の「閉塞感」が「今現在のじ わじわ嫌な感じ」につながり、「今、ここに至っている時代の始ま一気 りのところにある小説」と述べている。「戦後文学」のリアリティ の を「戦後」の時代性と重ね合わせ、あらためて「戦後文学」への回 路を示そうとしている。 * * 高橋源一郎は、奥泉が ( 「戦後文学」の ) 「香りのようなもの」を 「継承」していると評している。 ( なりた・りゅういち日本近現代史・歴史学 ) 東大教師が 新人生にすすめる本 2009 ー 2015 東京大学出版会『 UP 』編集部一一一 [ 編 ] 2009 ~ 2015 年の『 UP 』 4 月号に掲載された好評アンケー ト 7 年分を収録。東京大学のスタッフが、新入生にいま読 んでほしい本を熱く語る。さらに哲学から生物学まで、 12 名の各分野の第一線の執筆者が、それぞれの学問の 戦後の軌跡を解説。 ISBN 978-4-13-003333-6 B6 判 / 270 頁 / 本体 1 , 800 円十税 51 [ 書評 ] 130 奥泉光・群像編集部編「戦後文学を読む』、あるいは、いま「戦後文学」を読むこと 東大教師が 新人生にサすめる ご ( ) KGU = )F, 一 9 - 20 一い

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だと強く一言う必要があるとも思った」とも述べ、「エネルギー さらに、今回の「戦後文学」の合評で、自らの読みが変わっ AJ を投下して読む価値がある」とした。 てきたことも、奥泉はいう。合評前し ( こよ、大岡昇平「野火」 占領期にかかれ「未来が閉ざされる感覚が非常に強く出てい む を、「戦場の悲劇を描いた小説」というコードで読んでいたが、 読 を る」作品を、「高度成長の余波の時代」に読み、「共感しにくいそのコードから「解放。されて読むなか、「全然違う世界」が ところ」があったが、 今回は「そのときとは全然違う読み方に見えてくるとした。「戦後」という時代性に即して読むのでは学 なっていて、むしろ共感して読める感じがあった」と振り返っなく、「戦後」後の〈いま〉の読み方を自覚したと述べる。換 戦 ている。 言すれば、コードの自覚化、すなわち「戦後」の歴史化に直面ま 「彼ら ( 戦後派作家たちー註 ) が置かれた状况は現在と同じ」したということであろう。さきに記したように、原作 (<) に とことばを継ぐが、奥泉は〈いま〉を「先の見えない時代ー対し、「戦後第二世代」 (o) はコードを外しており、それを奥 る あ 「先の見えなさがリアルに感じられる時代」といい、 その厳し泉 (n) が媒介するなか、自らの読みも変わってきたというこ む さをいう。そして「戦後文学」の世界 ( 「先がなくて、ひたすらととなる。 読 耐えていくしかない人間のあり方」 ) こそが、「まさにいまの小 いまひとつ、本書は「 ( 第一次 ) ( 第二次 ) 戦後派」「第一二の新を 説」だとした。背後し ( こよ、奥泉が戦時期 ( 「谷間の二〇年間」 ) 人ー「内向の世代。「団塊の世代」などと、世代の特徴によって文 にこだわり、この時期をなかったことにしようという現状描かれてきた「戦後文学史ーか、こうして作品が読みかえされ戦 ( 「歴史解釈のイデオロギー」 ) に違和感をもっことがある。 るなか、どのように書き換えられるかとい、つ試みともなってい 部 集 「戦後文学」を〈いま〉読むことについて、奥泉は別の説明る。いや、文学史という営みがはたして有効性を有するのか 像 もしている。すなわち、横光利一ー谷崎潤一郎ー太宰治ー三島そうした議論を誘発する営みでもあった。 群 由紀夫とモダニズム作家へと意識がむかい、「モダニズムを中 光 泉 、いに据え」小説を考え、その系譜に自分の位置をつなげてき こうして奥泉の「戦後文学」に対する執着、また同時に、 た。しかし、あらためて「トゲのように」「戦後文学」が刺さ「戦後文学」がないがしろにされる〈いま〉に対する危機意識 っていることを繰り返すのである。とともに、「戦後文学」のが伝わってくる。「戦後」の知的な営みが、いともかんたんに、 「後裔、たることは「意識しないとつながってはいけない、と投げ捨てられてしまっている現状への危惧であり、「戦後文学」 も付け加えた。 という「知」の財産を活用しよう、という問題意識が奥泉に顕

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しまったものではない」とうける。「二一世紀になって、リア A 」 このこ リティーを持っ戦後文学作品は果たして何なのか」 こ む とが、奥泉の問題意識となる。 読 を 奥泉に主導される「合評」には、二つのタイプがある。第一 学 のタイプは、原作 (<) に対し、 ( 奥泉 ) 「戦後第一世代」 (n) 文 と、 ( ゲストたち ) 「戦後第二世代」 (0) との差異が際立つもの後 である。このばあい、 (0) ははじめて「戦後文学」に接する ことがしばしばである。野間宏の作品を読む回で、島本理生 ( 一九八三年生 ) は、 る あ 方ーか、いまは変わるということに自覚的であり、そのゆえに 「戦後文学」を読もうとする。差異を有しつつ、しかし歴史資 む 今回、野間宏作品を初めて読んでみたんですが、すんなり 読 を 料としてではなく、ともに「いまそこにあるもの」 ( 奥泉 ) と 読めるようなところと、もたっくところが両方ありまし 学 して、「戦後文学」を読むことを図っている。 た。でも、全体的にはおもしろかったです。 文 後 戦 と述べている。「戦後文学」に対し、 (m) のような思い入れ編 奥泉光と高橋源一郎のふたりは、大西巨人『神聖喜劇』と村 ( 思い込み ) を持たず、突き放して接している。いまひとりの集 像 上龍『コインロッカー・べイビーズ』が刊行された一九八〇年ゲスト、中村文則 ( 一九七七年生 ) も、野間のもつ「自己への 群 を ( 「戦後文学の」 ) 「交代」の時期と考えている。妥当な認識で執着」を指摘し、自らの世代では当然のことが、「この時代だ 光 泉 あろう。高橋は、高度資本主義時代に入り、「戦後」自体が終と、これが罪悪感」をもっとされている点が「すごい新鮮」と 奥 0 わり「違う社会」に入っていったことと、「戦後文学」が「次いう の文学に移行」したこととを同時のこととし、「戦後文学」が 他方、大江健三郎の作品の「合評」は、 (n) のメンバー同 「世界を触知する能力」をこの時期に「失効ーしたとする。し士でなされ、「芽むしり仔撃ち」は「すごく久しぶりに読んだ書 かし、その指摘を、奥泉は「戦後文学の可能性がすべて消えて気がする」 ( 町田康、一九六二年生 ) 、「 ( 大江の作品中でもー註 ) 朝鹿接橋野江む を高堀城 立 0 を形曺 光生 松 悟規映彦月 能町未雅深信康 講談社文芸文 文庫判・ 434 頁・税込 2160 円 装丁 : 菊地信義 講談社文芸文庫・ 2016 年

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ーーー・イラストから読む教科書 ショートスカート登場 寺田寅彦 学問の図像とか ち 出典 : 文部省 TLet's Learn EngIishJ ( 教育図書株式会社、 1947 年 ) 第二次世界大戦が終わった戦後日本で、英語の教科書は大きく変化しま した。一九四七年に新制中学校が発足するにあたり、文部省著作・発行 ( 実際の執筆者は宍戸良平、木名瀬信也、中村道子 ) の fLet ・ s Learn English 』ができましたが、同年に公布・施行された教育基本法が定める 「教育上の男女の共学」にふさわしく、この教科書の表紙では男女が仲良 く肩を並べて歩いていることが指摘されています。戦中に作られた教科書 『英語』では男女がみだりに慣れ親しむ姿はみられませんでしたから、当 時の学生は新時代の到来を実感したことでしよう。 この表紙で目をひくのはそれだけではありません。ます気づくことは少 女のスカートが明らかにひざ上丈、いや、もっと短くて、ミニとはいわな いまでも間違いなくショートだということです。足元をよくみると靴にヒ ールがついています。戦中、女性はもんべをはいていましたから、ショー トスカートが中学校一年生の教科書に登場するというのは鮮烈な印象を残 したことでしよう。彼女に話しかける隣の少年は、開襟シャツを上着の襟 の上に重ねるラフな着こなしです。男女の共学や教育の機会均等という新 しい教育方針以上のメッセージをここから読み取ることができそうです。 教科書の他のイラストから、この少年は主人公トムの友人であるポプか ネッドと察せられます。ネッドならば彼は十三歳なので、教科書を手に取 る中学生一年生と同じ年齢の若者が友達の女の子 ( トムの妹のメアリーで しようか ) と自由におしゃれや会話を楽しんでいることになります。新し い英語教科書の表紙は、新制中学校の学生に向けて自由という新しい価値 ( てらだ・とらひこ比較文化 ) 観を示していたのです。

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しかし、この時代は、その漠然とした感情の傍らに非常に 特別な作品の一つだということを、改めて確認」した ( 野崎 A 」 はっきりとした正義の感覚がある。つまり、「何者かに成 歓、一九五九年生 ) と、ゲストは既読で、今回再読し座談会に む ろう」というのはただのエゴイズムではないかという問い 参加している。ここでは、大江の文体を評し、構成のうまさを 読 を に、彼はさらされているわけですよね。 エンターティンメントであることが指摘されるなど、互 学 文 いの読みを競い合う議論が続く。第二のタイプとすることがで 後 医」よ、つ と注釈を加えている。「戦後文学」を座談会形式で ( もっといえ 亠工 第二のタイプでは、さらに日本の近代小説の「描写の抒情ば、読書会のようにして ) 読むアイデアが成功している個所であ 性」と「芽むしり仔撃ち」の描写が、共同体を補助線に論じらろう。いまのような時代は、啓蒙的な形式である「講義」よ る れ、大江健三郎の歴史にたいする向きあい方が指摘され、「弟、り、こうした「座談会」の方が、多重・多様な読みが導き出さ あ れ効果的であることが、ここにうかかえる。解釈がさまざまあ を軸とする読みをめぐる議論がなされる。そして、さらには、 む 読 大江作品から「自分が影響を受けていること」 ( 奥泉 ) 、「気がりうるということが、目の前に提示される形式として「座談」 を 学 つくと、僕もパンク時代の歌詞にあるんですよ、これは元は大が機能している。 文 加えて、本書では、若い世代と語りあうとともに、取り上げ 後 江さんだという一一一一口葉が」 ( 町田 ) と表白された。 戦 こうした二類型があるとき、第一のタイプにおいて特徴的なる作品の発表時に出された先行世代の合評 (<) を、あわせて 部 のは、原作 (<) に対し、「戦後第二世代」 (0) は、「戦後第紹介し検討する工夫がなされている。すなわち、 (<) (m) 集 一世代 (n) を媒介せずに、直接に原作に論及することであ (0) との三世代の討議が繰り広げられる試みとなっている。 像 * 島田雅彦 ( 一九六一年生 ) も、若手作家にとっては「初めての読書群 る。この (o) ↓ (<) に対し、奥泉 (n) は、 (0) の読み 体験でしよう」と述べている。 光 (m) のラインに、 (0) を接続する役 を重視しつつ、 (<) 泉 奥 回りを引き受けている。その様相を同じく、野間宏の回から挙 げれば、「何者かになりたい」ということをめぐる議論で、島 評 本がそれを「思春期や青年期の感情」と一般化して解釈したと奥泉光は、合評後に行われた島田雅彦との語り下ろしの対談 書 で、「戦後文学」を「ぜひ残したいと強く思った」と、あらた き、奥泉は めて語る。「僕の世代の作家や批評家が、これは残すべきなの 0

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がちょうど三千円だった、ということも一つの仮説だ。「三千十月のほうは、新聞記者をしながら古今内外の新聞研究に余 円ーの出元が東の両親であれ、山川であれ、または仮に東が自念がなかった小野が、記者と二足の草鞋で東京帝大文学部社会学 国 ら稼いだものであっても、山川の了解なくして、東から永井に学科の大学院に入ったので、あいさつに訪れたのだろう。 帝 新聞資金として渡されることはなかった。そういう意味では広後者の「見舞にあらず」は、日記によれば前日の十一月二十京 の く「山川家のマネーーであることには間違いはない。 七日山川総長は「道にてころび微少の負傷すーとあり、これが 年 翌二十八日「予が負傷の事過大に報知新聞により報道せられる 日記に登場する、もう一人の重要人物 為め」この日山川のもとには多くの見舞客が現れ、見舞の品が る 日記を見ながら、山川健次郎と『帝大新聞』のことを考えて届いていたのである。 見 いたときに、もう一人の重要人物の存在に気がついた。私がこ これだけでは詳細が不明なので小野秀雄の自伝『新聞研究五 の名前を発見したのも偶然だった。一九一九 ( 大正八 ) 年秋の十年』 ( 毎日新聞社、一九七一年 ) を繙くと、記者としての取材 日記に二度フルネームで登場していて、最初は「同名異人に始まった、小野秀雄記者と山川健次郎総長との相当深い関係健 山 か卩」と思ったくらいだった。それぐらい山川とは一見縁の薄がうかがえる。同書に出てくる話題だけでも次のようになる。 そうな人物だ。 戦後一九四九 ( 昭和二十四 ) 年に新設された東大新聞研究所①青山胤通医学部教授の後任人事について山川総長を取材し の 金 の、初代所長・教授に就任する「日本新聞学会初代会長」Ⅱ て、スクープ記事にした。 資 野秀雄、である。小野はこの当時まだ三十四歳。『東京日日新②東京帝大の学制改革、総長公選といった大ニュースを記事悧 にして特ダネとした。 聞』の気鋭の記者である。 ③理化学研究所、伝染病研究所の取材で、山川総長発案の食究 の 十月十八日小野秀雄氏大学院に入学したる趣にて来室。 用蛙の移植の記事化。 聞 ( 前後略 ) ④「森戸事件」で取材中、森戸辰男本人が現れて山川総長と新 大 帝 十一月廿八日日々の小野秀雄氏 ( 見舞にあらず ) 来学辞職をめぐるやり取りがあった。 種々話あり。 ( 前後略 ) 初 などである。この他にも学生のストや、「軽井沢夏期大学」、吉 1 三ロ

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学問の図像とかたち・イラストから読む教科書ショートスカート癶場寺田寅彦 〔法の森から。ー〈 A 〔 0 帚「ざョ ~ = 0 「。「。。 ~ 。→〔。 w 〉〕 1 ( 新連載 ) レソ . ーの一一 0 一は法律かワ・長谷部恭男 相対論をめぐる誤解酒井邦嘉 アナロジーの非対称性から考える意図とハターン科学と文化をつなぐ思索春日直樹 英米法の航海『英米民事訴訟法』に込めた思い溜箭将之 〔「イスラーム問題」の構築と移民社会ー・ニ〇一五年パリ危機からその後〈〕 1 ( 新連載 ) 統ムロ A 」除の一間一宮島喬 リ - こ - 7 a- 目トに : 〔行政責任を考える〕 3 「居住の権利」を奪う政策の貧困新藤宗幸ー - - ーー。。。。、・・、懿 〔初期「帝大新聞」の研究ー「創刊資金の謎」〕 5 『山川健次郎日記』に見る、九九年の東京帝国大学清水あっし 〔書評〕奥泉光・群像編集部編『戦後文学を読む』、あるいは、いま「戦後文学」を読むこと成田龍一 〔日本美術史不案内物の味」カ佐藤康宏 すゞしろ日記第回山口晃 執筆者紹介 学術出版 第四五巻第八号 ( 通巻五ニ六号 ) ニ 0 一六年八月五日発行 ( 毎月五日発行 ) 定価 ( 本体価格一 00 円十税 ) ( 一年分一 0 〇 0 円送料・税共 ) ・京大学出版会 ・ Numbe 「 526 、 August2016 館 書 0 図Ⅷ 9 立

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系では実に三四 % にも達している ( フランスの平均は一八 % ) 。 かった」と語り、「アラブ風の名前と肌の色ーがその理由だと では学歴要件を満たせば、相応した職、地位に就けるかとい 思うと付け加える ( 宮島『ヨーロッパ移民問題の原点』明石書間 の 除 、つと、そ、つではない。、 しまや著名な経済学者、トマ・ピケティ店 ) 。 がこんなク実験結果を紹介している。ある研究者が試みに、 人種差別禁止法が布かれるフランスだが、アラブ・アフリカ 合 企業の求人六千余件に対し、さまざまな氏名、経歴の応募者の系の若者たちはこうした差別を免れていない。人類学者エマ一一統 ( 架空の ) 履歴書を作成し、送ってみたところ、イスラーム風ュエル・トッドの近著『シャルリとは誰か ? 』 ( 堀茂樹訳、文春 へ 後 の氏名であると、採用面接の呼び出しが来るのは五 % 以下 ( 他新書 ) では、、 しくつかの頷ける指摘に出会った。テロ実行者と の の氏名では二〇 % ) だったミ辷ミミ e. こ .14 、、 3 20 】 6 ) 。失業・半されるクアシ兄弟ほかの者たちは「まぎれもなくフランス人でそ 失業をかこっ移民に多いのだが、少なくとも一部はそうした民あり、フランス社会の輩出した人物であること」、政治リーダか 族差別の結果と見ざるをえない これについてはすでに多くの ーたちの無策のため、排除され、低収入、失業のなかに見捨て跪 と。テロリストは 移民青年の訴えの声が集められ、私もそれらを紹介してきた。 られた状態にあることを忘れてはならない、 年 五 一例を引くと、エレクトロニクスの上級技術者免状をもっチュ外から闖入したエイリアンなどではなく、フランス社会が輩出 ニジア人 *-äは、「 ( 求人情報をみて ) 手紙と履歴書をずいぶん送したものであることを直視せよ、ということなのだ。 った。 ) しくつか返事はあったが、面接の呼び出しはついに来な 熱心でアクティヴな信者であることが、過激派や— (f) の誘い の ぐ・と先 8 とアな化史は物 3 ある反戦ベトナム帰還兵の回想 ・・エアハート著 / 白井洋子訳 ( 刀水歴史全書 ) 四六上製四六 0 頁 \ 三、五 0 〇 2015 年刊 たラ・でのたツ生 9 詩人で元米国海兵隊員が、ベトナム戦争の従軍体験と、帰還後に反戦平和を訴える闘士となるま いト略け民えャた頁 書 でを綴った自伝的回想。「あたかも小説のごとき臨場感に満ちた一冊。まだなる概念も普 アあス侵だ住変ニき 8 の一るて先くヾて 3 及しておらず帰還兵の処遇もいい加減だったニクソン政権期の混沌が伝わってくる ( 書評から ) 」 ー者オよしがきノえ こと達大す伝製 。日本人と戦争歴史としての体験 大濱徹也著 ( 刀水歴史全書 ) 四六上製ニ八 0 頁¥ニ、四 00 2002 年刊・ 2 刷 オ川史戮人神て 幕末以来、日本は一〇年ごとの戦争で大国への道をひた走った。戦争はアジア解放の正義の戦い 藤歴殺白精し のはずであった。やがて敗戦。「聖戦」は虐殺となった。日本にとって、戦争は何であったのか ? 新刊 戦争を繰り返さないために 戦争を知る 刀水書房 千代田区西神田 2-4-1 ( 価格は税抜 ) Tel. 03-3261-6190 Fax. 3261-2234 引 [ 「イスラーム問題」の構築と移民社会一一