よいん て、あざやかに一つごオん、とついた。そしてふたりは耳をすましてきいていたが、余韻 がわあんわあんと波のようにくりかえしながら消えていったばかりで、・せんそくもちのた んのような音は・せん・せんしなかった。そこで・ほくたちは、この鐘の健康状態はすこぶるよ しんだん ろしい、と診断したのだった。 もんじろう みかわ また紋次郎君とこのおばあさんの話によると、この鐘を鋳た人が、三河の国のごんごろ うという鐘師だったので、そうよばれるようになったんだそうだ。鐘のどこかに、その鐘 きのすけ 師の名がほりつけてあるそうな、とばあさんはいった。これは木之助じいさんの話よりよ ほどほんとうらしい しん しかし。ほくは、大学にいっている・ほくのにいさんの話が、いちばん信じられるのだ。に しさんはこういっこ。 「それはきっと、ごんごんなるので、はじめにたれかがごんごん鐘といったのさ。ごんご ん鐘ごんごん鐘といっているうちに、だれかがいいちがえて、ごんごろ鐘といっちまった んだ。するとごんごろ鐘のほうがごんごん鐘よりごろがいいので、とうとうごんごろ鐘に かねし かねけんこうじようたい 、がね 126
ようにおとなしくしていました。 ちゃみせ わたろう そして和太郎さんは、茶店に、手をこすりながら、はいっていきました。 いつものとおりでした。もうちょっと、もうちょっと、といっているうちに、時間はす とっくり ぎていきました。徳利のかずもふえていきました。 ちやや 茶屋のおよしばあさんが、いろいろ和太郎さんのせわをやいて、松からたづなをといて おだわら くれたり、小田原ちょうちんに火をともしてくれたのも、いつものとおりでした。 ただ、牛が、地べたのうえにねそべっていたことだけが、いつもとちがっていました。 およしばあさんは、そうとは知らなかったので、もうすこしで、牛につまずくところでし た。和太郎さんは、 「坊よ、おきろ」 しいました。 牛は、ふううッと、ふとい長い鼻息でこたえただけで、おきようとしませんでした。 「坊よ、腹でもいてえか。おきろ」 はら はないき
「こりや、お経たな」 といった。それからまた、 「安永なんとかかいてある・せ。こりや安永年間にできたもんだ」 といった。すると、どもりの勘太じいさんが、 、つ けな。お、お、 「そ、そうだ。う、う、おれのおやじが、う、う、生まれたとしにできた、・ あんえい おやじは安永の、う、う、うまれだ」 っこ 0 レ J 、かみつ ~ 、よ一つにいナ もんじろう 紋次郎君とこのばあさんが、 かねし 「三河のごんごろという鐘師がつくったとかいてねえかン」 ときいた。 すけくろう 「そんなことはかいてねえ、助九郎という名がかいてある」 よしひこ と、吉彦さんがこたえると、ばあさんはなにかぶつくさいってひっこんだ。 わたろう ぎゅうしゃ あんじゅ かねくよう 和太郎さんが牛車をひいてきたとき、きゅうに庵主さんが、鐘供養をしたいといしオ あんえい みかわ きよう かんた 133
わたろう といって、和太郎さんは、たづなをぐいッとひつばりました。 まえ 牛はのろのろと、ものうげに体を動かして、まずしりのほうをおこしました。前あしは 二つにおって地についたままでしばらくいて、大きし鼻息をたてつづけにするのでした。 「あら、いやだよ、この牛は。かじゃのふいごのように、ふうふう、 いうんだものーと、 およしばあさんはいいました。「まるで、よいどれみたいだよ そのことばで、和太郎さんは、ようやく、牛もたくさんのんたことを思いだしました。 そこでおかしくなって、げらげらわらっていいました。「それにちげえねえ」 やっとのことで牛が前あしもたてると、和太郎さんはいよいよ家にむかって出発しまし いつも茶屋のおよしばあさんは、和太郎さんが出発してから、かなり長いあいだ、和太郎 さんの車の輪が、なわて道翁のうえにたてる、からからという音を、きいたものでし た。それが、その日は、じききこえなくなってしまいました。へんだとは思いましたが、ま り・よ、つほ、つ うしか あさんは、あまり気にもとめませんでした。なにしろ、牛飼いと牛の両方がよっぱらって ち 、みち はないき しゆっぱっ
るうちに、人間の考えはよくかわってしまうものです。もうちょっと、もうちょっと、と 思って一時間くらいじきすごしてしまいます。するとちょうど日ぐれになりますから、 「ま、こうなりや月がでるまでまっていよう。くらい道をかえるよりましだから」と、ま たすわりなおしてしまいます。 のはら なはな いねなえ ほんとうに、そのうち月がでます。野原は菜の花のさいているじぶんにしろ、稲の苗の うわったじぶんにしろ、月がでれば、あかるくてうつくしいものです。しかし月がでても わたろう でなくても、もう和太郎さんにはどうでもいいことです。 というのは、和太郎さんは、そのころまでにひどくよっぱらってしまうので、目などはっ きりあけてはいられないからです。 まっ それがしようこに、和太郎さんは、牛と松の木のくべつがっかないのです。ですから、 松の木にまきつけたつなをさがすつもりで、牛の腹をいつまでもなでまわしたりします。 ちやや しかたがないので、茶屋のおよしばあさんが、たづなをといてやります。そのうえおよ おだわら ぎゅうしゃ しばあさんは、小田原ちょうちんに火をともして、牛車の台のうしろにつるしてやりま はら
っ長さ大 りあ石 之真 し助け ツ ト フヤ文庫 ~ 、ち 0 引 手島悠介 かぎばあさんの魔法のかぎ <*ä以下続刊 032 わたなべめぐみ よわむしおばけ 033
じようねんぼう おばあさんはふろをたいていました。ちょうちんだけかりるのも、へんなので、常念坊 「おい、おばあさん、だんごは、もうないかな」 とききました。 「たった五くしのこっていますが」 つつんでおくれ」 「それてしし 「はいはい」 と、おばあさんは、たんごを竹の皮につつみます。 しようかん 「すまないが、わしにちょうちんをかしておくれんか。あした正観にもってこさせるでな」 「とても、やぶれちょうちんでござんすよ」 「いいとも」 ふる おばあさんは、だんごをわたすと、うえへあがって、古ちょうちんのほこりをふきふき じようねんばう もってきました。常念坊はちょうちんにあかりをつけると、あたりを見て、 よ、 、、 0 かわ
じようねんばう と常念坊は思いました。 かまわずどんどんいきましたが、ふと考えると、うしろからくるのは、さっきの犬では なくて、ばあさんがいった、あのきつねがつけてきたのではなかろうか。こう思うと、じ ぶんのうしろには、ずるいきつねの目が、やみのなかに、らんらんとひかっているような 気がします。気の小さい常念坊は、。 ふるツと、身ぶるいをしました。 でも、うしろをふりむくのもこわいので、ぶきみななりに、ぐんぐん歩きました。なん おんな だかうしろでは、きつねがいつのまにか女にばけていて、いまにも、きやッといってとび ついてきそうな気がします。 常念坊は、そのきつねのことをわすれようわすれようとするように、ちょうちんのあか りばかりを見つめて歩きました。
「あれは町の灯なんだよ」 その町の灯を見たとき、かあさんぎつねは、あるとき町へお友だちとでかけていって、 とんだめにあったことを思いだしました。およしなさいっていうのもきかないで、お友だ ひやく ちのきつねが、ある家のあひるをぬすもうとしたので、お百しように見つかって、さんざ おいまくられて、いのちからがらにげたことでした。 「かあちゃん、なにしてんの。はやくいこうよ」 とうしても と、子どものきつねがおなかのしたからいうのでしたが、かあさんぎつねは、。 足がすすまないのでした。そこで、しかたがないので、坊やだけをひとりで町までいかせ ることになりました。 「坊や、おててをかたほうおだし」 と、おかあさんぎつねがいいました。その手を、かあさんぎつねはしばらくにぎっている にんげん あいだに、かわいい人間の子どもの手にしてしまいました。坊やのきつねは、その手をひ ろげたりにぎったり、つねってみたり、かいでみたりしました。 とも
「おらアしらねえ」 「おいらも、しらねえ」 といいました。 じようねん′」ばう 常念御坊は村をではずれました。左右は麦畑のひくい丘で、人っ子ひとりおりません。 うしろを見ると、犬がまだついてきています。 「しツ」といって、にらみつけましたが、にげようともしません。足をあけておうと、二、 三尺 (8 駅三 ) ひきさがって、じっと顔を見ています。 「ちょツ、きみのわるいやつだな」 常念御坊は、舌うちをして歩きだしました。あたりはだんだんにくらくなってきました。 うしろには犬がのそのそっいてきているのが見なくもわかっています。 とうげ すっかり夜になってから、峠のしたの茶店のところまできました。まっくらい峠を、足 さぐりでこすのはあぶないので、茶店のばあさんに、ちょうちんをかりていこうと思いま した。 じゃく した かお ちゃみせ むぎばたけ おか