人びと - みる会図書館


検索対象: ごんぎつね
36件見つかりました。

1. ごんぎつね

人びとがみな心のよい人びとだったので、地蔵さんが盗人からすくってくれたのです。そ うならば、また、村というものは、心のよい人びとがすまねばならぬということにもなる のであります。 じぞう ぬすびと 122

2. ごんぎつね

びと 四 かいしん こうして五人の盗人は、改心したのでしたが、そのもとになったあの子どもはいったい なん だれだったのでしよう。花のき村の人びとは、村を盗人の難からすくってくれた、その子 どもをさがしてみたのですが、けつきよくわからなくて、ついには、こういうことにきま じぞう りました、 それは、土橋のたもとにむかしからある小さい地蔵さんだろう。わらじを はいていたというのがしようこである。なぜなら、どういうわけか、この地蔵さんには村 人たちがよくわらじをあけるので、ちょうどその日もあたらしい小さいわらじが地蔵さん の足もとにあげられてあったのである。 というのでした。 地蔵さんがわらじをはいて歩いたというのはふしぎなことですが、世のなかにはこれく らいのふしぎはあってもよいと思われます。それに、これはもうむかしのことなのですか ら、どうだって、 いいわけです。でも、これがもしほんとうだったとすれば、花のき村の ぬすびと どばし むら 121

3. ごんぎつね

ついに蔵さんは、かえってきませんでした。いさましく日露戦争の花とちったのです。 つばきこ しみず しかし、海蔵さんのしのこした仕事は、いまでも生きています。椿の木かげに清水はいま もこんこんとわき、道につかれた人びとは、のどをうるおしてげんきをとりもどし、また 道をすすんでいくのであります。 かいぞう にちろせんそう 178

4. ごんぎつね

わたろう と和太郎さんはいいましたが、もうどうしようもありませんでした。おりは地面にこ・ほれ、 く・ほんだところにたまって、いっそうぶんぶんとよいにおいをさせました。 ひやく においをかいで、酒ずきの百しようや、年よりがあつまってきました。村のはずれにす ちょう んでいる、おトキばあさんまでやってきたところを見ると、おりのにおいは五町もながれ ていったにちがいありません。 みんながあつまってきたとき、和太郎さんは、車のまわりをうろうろしていました。 ぎゅうしゃ 「こりや、おれの罪じゃない。おりというやつは、ゆすられるとふえるもんだ。牛車でご ようき とごとゆすられてくるうちに、ふえたんだ。それに、このぬくとい陽気だから、よけいふ えたんだ」 だんな と和太郎さんは、旦那にするいいわけを、村の人びとにむかっていいました。 「そうだ、そうだ」 と人びとはあいづちをうちながら、道にたまった、たくさんのおりをながめて、のどをな らしました。 さけ じめん

5. ごんぎつね

つばき 旅の人や、町へゆく人は、しんたのむねのしたの椿の木に、さいせん箱のようなものが つるされてあるのを見ました。それにはふだがついていて、こうかいてありました。 「ここに井戸をほって旅の人にのんでもらおうと思います。こころざしのある方は、一銭 りん きしゃ でも五厘でも喜捨してくださいー かいぞう これは海蔵さんのしわざでありました。それがしようこに、それから五、六日のち、海 蔵さんは、椿の木にむかいあったがけのうえに腹ばいになって、えにしだのしたから首っ たまだけだし、人びとの喜捨のしようを見ていました。 はんだ やがて半田の町のほうからおばあさんがひとり、うば車をおしてきました。花を売って かえるところでしよう。おばあさんは箱に目をとめて、しばらくふだをながめていました。 だめだ、じぶんのカでしなけりや、と。 たび はこ はら かた せん

6. ごんぎつね

と、また海蔵さんがいいました。 「その三十円をどうしておれがたすのか工。おれだけがその水をのむなら話がわかるが、 ほかのもんもみんなのむ井戸に、どうしておれが金をだすのか、そこがおれにはよくのみ こめんがのオ」 りすけ と、やがて利助さんはいいました。 とうしても利助 海蔵さんは、人びとのためだということを、いろいろと説きましたが、。 さんには「のみこめーませんでした。しまいには利助さんは、もうこんな話はいやだとい 、つよ一つに、 「おかか、めしのしたくしろよ。おれ、腹がへっとるで」 と、家のなかへむかってどなりました。 海蔵さんはこしをあげました。利助さんが、夜おそくまでせっせと働くのは、じぶんだ けのためだということがよくわかったのです。 よみち こりや、ひとにたよっていちゃ ひとりで夜道を歩きながら、海蔵さんは思いました。 かいぞう はら 162

7. ごんぎつね

どというものは、あまり時間のせいかくな動物ではないから、ともいうのでした。 しばた わたろう しいはるので、芝田さん けれど和太郎さんのおかあさんは、じぶんの考えをいつまでも、 こんま もとうとう、根負けがしてしまって、 「よし、それではそうさくすることにしよう」 しいました。 おうえん せいねんだんちゅうざいじゅんさ じけん いつも事件がおこったときには、村の青年団が駐在巡査の応援をすることになっていま したので、芝田さんは青年団の人びとにあつまってもらいました。まもなく青年団員は制 服をきてゲートルをまいて、ぼうきれをもってよってきました。青年団員ばかりでなく、 ほかのおとなや、こしのまがりかかったおじいさんまでやってきました。 じつは、このような、夜なかに、人が消えたというような事件は、この村にはもうなん にしやま 十年もなかったのでした。このまえ、青年団が芝田さんの応援をしたのは、西山のふもと ごや のわら小屋に草やきの火がうつったときのことで、事件はたいそうかんたんでした。しか とうしてそうさくを し、こんどの事件は、これはなかなかむすかしいのです。いっこ、、。 ふく

8. ごんぎつね

もてのかまどで火をたいています。大きななべのなかでは、なにかぐずぐずにえていまし そうしき 「ああ、葬式だ」と、ごんは思いました。 「兵十の家のだれが死んだんだろう」 ろくじぞう おひるがすぎると、ごんは、村の墓地へいって、六地蔵さんのかげにかくれていました。 てんき しろ しいお天気で、遠くむこうにはお城のやねがわらがひかっています。墓地には、ひがん花 きれ が、赤い布のようにさきつづいていました。と、村のほうから、カーン、カーンと鐘がなっ てきました。葬式のでるあいずです。 そうれつ やがて、白いきものをきた葬列のものたちがやってくるのが、ちらちら見えはじめまし た。話し声もちかくなりました。葬列は墓地へはいってきました。人びとがとおったあと には、ひがん花が、ふみおられていました。 ごんはのびあがって見ました。兵十が、白いかみしもをつけて、位牌をささげています。 げんき いつもは、赤いさつまいもみたいな元気のいい顔が、きようはなんだかしおれていました。 ひょうじゅううち ごえ かお かね

9. ごんぎつね

はじめたらいいでしよう。 とみてつ すると、富鉄さんという、大きい鼻のおじいさんが、いいことを思いだしてくれました。 もんあきな さかだに あぶらがし それはいまから四十年くらいまえ、村の一文商いやが、坂谷まで油菓子の仕入れにいっ じけん たかえり、ろっかん山のきつねにばかされて、まいごになったという事件でありました。 いずみ そのとき、村の人びとは、かねやたいこをならして、山や谷をさがして歩き、ついに、泉 だに 谷の泉のなかで、ももひきを頭にかむって、がつがっふるえながら、「これはええ湯じゃ、 もんあきな ええかげんじゃ」といっている一文商いやを見つけだすことができたのでありました。富 せつめい 鉄じいさんはこの話をよく知っていて、こまかく説明しましたが、それもそのはずで、き つねにばかされたのはじぶんのことだったのです。 とみてつ 富鉄さんの話をきいてみれば、きつねにばかされるということも、ありそうに思えまし た。ろっかん山では、 いまでもよく、きつねのちらりと走りすぎるのが見られますし、村 こえ のなかでだって、さむい冬の夜ふけには、むじなの声がきけるのですから。また、たとい きつねやむじなにばかされないにしても、よっている人間というものは、ばかされている あたま はな

10. ごんぎつね

由な意見がいえなくなっただけでなく、小説や詩なども、戦争を讃美した内容のもの以 外は、発表がだんだんむずかしくなっていきました。 そういう時代に、南吉は戦争に力をかすような作品はほとんど書かず、自分の心にだ け忠実な作品を書きつづけました。「ひろったラッパ」という童話は、昭和十年の作品で とうと すが、戦争が人びとの生活をめちやめちゃにしてしまうありさまを書き、平和の尊さを うったえています。南吉の童話が、人間の喜びや悲しみを深くとらえていることは、さ きに書いたとおりですが、この本におさめた作品から、南吉の作品の特色を見ていきま 1 ) よ一つ - 0 ひょうじゅう 「ごんぎつねーは、ごんがいたずらの罪のつぐないに、兵十に一生けんめいつくしても わかってもらえず、死ぬまぎわになって、やっと兵十とのあいたに心がかよう話です。 悲しい話なのに、ごんのしぐさや、ものの感じかたにはどこかこつけい味 ( ューモア ) が ひあい ただよっています。こういうューモアとペイソス ( 悲哀 ) が一つにとけあっているのは、 南吉の文学の特色の一つです。 「てぶくろを買いに」では、きつねの親子の愛情が、やさしく美しくえがかれています。 さんび 182