℃ 「いや、なんどおまえがたのみにきても、わしは井戸をほらせん。しやっくりがもうあと 一日つづくと、わしが死ぬそうだが、死んでもそいつはゆるさぬ」 A 」、。かんここ 冫ししました。 かいぞう 海蔵さんは、こんな死にかかった人とあらそってもしかたがないと思って、しやっくり ちゃ にきくおまじないは、茶わんにはしを一本のせておいて、ひといきに水をのんでしまうこ とだとおしえてやりました。 ろうじん 門をでようとすると、老人のむすこさんが、海蔵さんのあとをおってきて、 「うちのおやじは、がんこでしようがないのですよ。そのうち、わたしの代になりますか ら、そしたらわたしが、あなたの井戸をほることをしようちしてあげましよう」 といいました。 海蔵さんはよろこびました。あのようすでは、もうあの老人は、あと二、三日で死ぬに ちがいない。そうすれば、あのむすこがあとをついで、井戸をほらせてくれる、これはう まいと思いました。 171
と、おかあさんは話をむすびました。 ど 三十円くらいで、その井戸がほれるということを、海蔵さんが話しました。 びんぼうにん りすけ 「うちのような貧乏人にや、三十円といやたいした金で目がまうが、利助さんとこのよう なりきん な成金にとっちゃ、三十円ばかりはなんでもあるまい」 と、おかあさんはいいました。海蔵さんは、せんだって利助さんが、山林でたいそうなお 金をもうけたそうなときいたことを思いたしました。 ひと風呂あびてから、海蔵さんは牛車ひきの利助さんの家へでかけました。 にざもん うしろ山で、ほオほオとふくろうがないていて、がけのうえの仁左ヱ門さんの家では、 念仏講があるのか、しようじにあかりがさし、木魚の音が、がけのしたの道までこ・ほれて いました。もう夜でありました。い ってみると、働き者の利助さんは、また牛小屋のなか のくらやみで、ごそごそとなにかしていました。 「えらいせいがでるのオ と、海蔵さんがいいました。 ねんぶつこう ふろ もくぎよ かいぞう さんりん 159
みん なったのさ」 こく ・ほくは小さかったときには、ごんごろ鐘をずいぶん大きいものと思っていた。しかし国 やく げんざい 民六年にもうじきなろうという現在では、それほど大きいとは思わない。直径が約七十セ なら しゅうい ンチだから周囲は 70cmX3.14 Ⅱ 219.8cm というわけだ。おとうさんが奈良で見てきた鐘と いうのは、直径が二メートルぐらいあったそうだから、そんなのにくらべれば、ごんごろ あかばう 鐘は鐘の赤ん坊にすぎない。 あまでら しかし・ほくたち村のものにとっては、いつまでもわすれられない鐘だ。な。せなら、尼寺 しゅろう の庭の鐘楼のしたは、村の子どものたまりばだからだ。・ほくたちが学校にあがらないじぶ んは、毎日そこであそんだのだ。学校にあがってからでも、学校がひけたあとでは、たい ゅうがたあんじゅ ていそこにあつまるのだ。夕方、庵主さんが、もう鐘をついてもいいとおっしやるのをまっ すぎ しゅもく ていて、・ほくらは撞木をうばいあってついたのだ。またごんごろ鐘は、・ほくたちの杉の実 でつ。ほうや、草の実でつ。ほうのたまをどれだけうけて、そのたびに、かすかなすんだ音で、 ・ほくたちの耳をたのしませてくれたかしれない。 まいにち がね ちょっけい 127
ひょうじゅう た。兵十のかげぼうしをふみふみいきました。 かすけ お城のまえまできたとき、加助がいいたしました。 「さっきの話は、きっと、そりゃあ、神さまのしわざだそ 「えっ ? 」 と、兵十はびつくりして、加助の顔を見ました。 とうも、それや、人間しゃない、神さまだ、神 「おれは、あれからずっと考えていたが、。 さまが、おまえがたったひとりになったのをあわれに思わっしやって、いろんなものをめ ぐんでくださるんだよ」 「そうかなあ」 「そうだとも。だから、まい日、神さまにおれいをいう力ししょ 「うん」 ごんは、へえ、こいつはつまらないなと思いました。おれが、くりやまったけをもって いってやるのに、そのおれにはおれいをいわないで、神さまにおれいをいうんじやア、お しろ にち かお かみ
「これで弟子たちにじまんができるて。きさまたちがばかづらさげて、村のなかを歩いて いるあいだに、わしはもう牛の子を一びき盗んだ、といって そしてまた、くッくッくッとわらいました。あんまりわらったので、こんどはなみだが でてきました。 「ああ、おかしい。あんまりわらったんで、なみだがでてきやがった」 ところが、そのなみだが、ながれてながれてとまらないのでありました。 「いや、はや、これはどうしたことだい、わしがなみだをながすなんて、これじゃ、まる でないてるのとおなじじゃないかー ぬすびと かしらはうれし そうです。ほんとうに、盗人のかしらはないていたのであります。 かったのです。じぶんはいままで、人からつめたい目でばかり見られてきました。じぶん がとおると、人びとはそらへんなやつがきたといわんばかりに、まどをしめたり、すだれ こえ をおろしたりしました。じぶんが声をかけると、わらいながら話しあっていた人たちも、 しごと きゅうに仕事のことを思いだしたようにむこうをむいてしまうのでありました。池の面に ぬす おも
の葉は、目こ いたいくらい光を反射するのだ。 じつにすばらしい花が日本にはあるものだ。いっかおとうさんが、日本ほど自然の美に めぐまれている国はないとおっしやったが、ほんとうにそうだと思う。 じようかい そうじがおわって、いよいよ第二十回常会をひらこうとしていると、きこりのような男 あまでらけいだい の人が、顔の長い、耳の大きいじいさんをうば車にのせて、尼寺の境内にはいってきた。 ふかたに けんのう きけばそのじいさんは深谷の人で、ごんごろ鐘がこんど献納されるときいて、おわかれ にきたのだそうだ。うば車をおしてきたのは、じいさんのむすこさんだった。 深谷というのは・ほくたちの村から、三キロほど南の山のなかにある小さな谷で、・ほくた ちは秋きのこをとりにいって、のどがかわくと、水をもらいにたちよるから、よく知って でんとう いるが、家が四けんあるきりだ。電燈がないので、今でも夜はランプをともすのだ。その きんじよ べんじよ こがい 近所には今でもきつねやたぬきがいるそうで、冬の夜など、人が便所にゆくため戸外にで はしら るときには、戸をあけるまえに、まず丸太をうちあわせたり、柱を竹でたたいたりして、 戸口にきているきつねやたぬきをおうのだそうだ。 かお はんしゃ まるた がね 141
すると西のほうの学校のうら道を、牛車が一台やってきました。もう仕事にいくのか と、みんなは・ほんやりした目で見ていました。 ちゅうざいしょ 牛車が駐在所のまえをとおるとき、のっていた男が、 あさ 「おい、おまえら、朝はやいのう。きようは道ぶしんでもするかえ」 といいました。 わたろう 見たことのある男だと思って、みんながよく見ると、それが和太郎さんだったのです。 「なんだやい。おれたちア、おまえをさがして夜じゅう、山んなかを歩いておっただそイ」 かめぎく と亀菊さんがいいました。 「ほうかイ。そいつアごくろうだったのオ」 といって、和太郎さんは牛車からおりもせずに、家のほうへいってしまいました。 なんのことか ! と村人たちはあいたロがふさがりませんでした。こんなことなら、大 さわぎして山のなかをさがしまわるなど、しなくてもよかったのです。 これは、和太郎さんをみんなで、しかりつけてやらねばならないと、年より連中はいし むらびと ぎゅうしゃ うち し ) 」と れんちゅう
わたろう けれど和太郎さんはまけていないで、こういうのでした。 「世のなかはりくつどおりにやいかねえよ。いろいろふしぎなことがあるもんさ」 わすけくん さて、この天からさずかった子どもの和助君は、それからだんだん大きくなり、小学校 きゅうちょう どうきゅう ではわたしと同級で、和助君はいつも級長、わたしはいつもびりのほうでしたが、小学校 うしか がすむと和助君は和太郎さんのあとをついで、りつばな牛飼いになりました。そして、大 おうしよう とうあせんそう 東亜戦争がはじまるとまもなく応召して、いまではジャワ島、あるいはセレベス島に働し オしふんおじいさんになりましたが、まだげんき ていることと思います。和太郎さんは、・こ : さくねん です。おかあさんとよ・ほよ・ほ牛は一昨年なくなりました。
ぞう おとながおとなにしかりとばされるというのは、なさけないことだろうと、人力ひきの海 りすけ 蔵さんは、利助さんの気持をくんでやりました。 しみす 「もうちっと、あの清水が道にちかいとええだがのオ と、とうとう海蔵さんがいいました。 「まったくだてー と、利助さんがこたえました。 海蔵さんが人力ひきのたまり場へくると、井戸ほりの新五郎さんがいました。人力ひき だがしゃ のたまり場といっても、村の街道にそった駄菓子屋のことでありました。そこで井戸ほり こえ あぶらがし の新五郎さんは、油菓子をかじりながら、つまらぬ話を大きな声でしていました。井戸の どしん そこから、外にいる人にむかって話をするために、井戸新さんの声が大きくなってしまっ かいどう しんごろう じんりき 155
こうして・ほくたちは、村でたたひとつのごんごろ鐘をおくっていった。 三月二十三日 みなみみちはん じようかい ひるまえ、南道班子ども常会をするために尼寺へいった。 け - い」い いつも常会をひらくまえに、境内をみんなでそうしすることになっているのだが、きょ どう うは・ほくはひとつ、みんなの気のつかないところをしてやろうと、お堂のうらへまわって、 おちば しいことをしたと思った。 ゃぶとお堂のあいだのしめった落葉をはいた。うらへまわって、 しろつばき それは、ぼくのすきな白椿がさいているのを見つけたからだ。 なんというよい花だろう。白い花べんがふかぶかとかさなりあい、花べんのかげがべっ の花べんにうつって、ちょっとクリーム色に見える。神さまも、この花をつつむには、特 じよう・と、つ しゅんこう 別上等のすんだやわらかな春光をつかっていらっしやるとしか思えない。そのうえ、また めいこう この木の葉がすばらしい。一まい一まい名工がのみでほってつけたような、厚いかたい感 のうりよくしよく じで、黒と見えるほどの濃緑色は、エナメルをぬったようにつややかで、日のあたるほう こ か あまでら がね あっ 140