ついに蔵さんは、かえってきませんでした。いさましく日露戦争の花とちったのです。 つばきこ しみず しかし、海蔵さんのしのこした仕事は、いまでも生きています。椿の木かげに清水はいま もこんこんとわき、道につかれた人びとは、のどをうるおしてげんきをとりもどし、また 道をすすんでいくのであります。 かいぞう にちろせんそう 178
いりぐち ごんはこう思いながら、そっとものおきのほうへまわって、その入口に、くりをおいて かえりました。 ひょうじゅううち つぎの日も、そのつぎの日も、ごんは、くりをひろっては、兵十の家へもってきてやり ました。そのつぎの日には、 くりばかりでなく、まったけも二、三本もっていきました。 四 月のいい晩でした。ごんは、ぶらぶらあそびにでかけました。中山さまのお城のしたを ごえ とおってすこしいくと、ほそい道のむこうから、だれかくるようです。話し声がきこえま す。チンチロリン、チンチロリンとまつむしがないています。 ごんは、道のかたがわにかくれて、じっとしていました。話し声はだんだんちかくなり ひやく かすけ ました。それは、兵十と、加助というお百しようでした。 「そうそう、なあ加助」 ばん なかやま しろ
ちょう りすけ つばきわかぎ 山のなかの道のかたわらに、椿の若木がありました。牛ひきの利助さんは、それに牛を つなぎました。 じんり強一 かいぞう 人力ひきの海蔵さんも、椿の根もとへ人力車をおきました。人力車は牛ではないから、 つないでおかなくってもよかったのです。 そこで、利助さんと海蔵さんは、水をのみに山のなかにはいってゆきました。道から一 しみず 町ばかり山にわけいったところに、清くてつめたい清水がいつもわいていたのであります。 ふたりはかわりばんこに、泉のふちの、しだやぜんまいのうえに両手をつき、腹ばいに なり、つめたい水のにおいをかぎながら、鹿のように水をのみました。腹のなかが、ごま ご・ほいうほどのみました。 山のなかでは、もう春ぜみがないていました。 じんりきしゃ しか はら
わたろう ばんまっちやや しかし、それなら和太郎さんは、かえり道を一本松と茶屋のまえにとってはならなかっ やきば たのです。すこしまわり道だけれど、焼場のほうのさびしい道をいけばよかったのです。 だが、和太郎さんは、なアに、きようはだいじようぶだ、と思いました。「おれにだって わきまえというものがあるさ」とひとりごとをいいました。そして一本松と茶屋のまえを とおりかかりました。 酒のみの考えは、酒のちかくへくると、よくかわるものであります。和太郎さんも、茶 けっしん 屋のまえまでくると、じぶんの石のようにかたかった決心が、とうふのようにもろくくず れていくのをお・ほえました。 じつは、和太郎さんも、牛に酒のおりをなめさせているとき、じぶんも、のどから手の あたま でるほどのみたかったのをおさえていたのでした。その欲望が、茶屋のまえできゅうに頭 をもちあげてきました。 「ま、ちょっといっぷくするくらい いいだろう」 まっ と和太郎さんは、たづなを松のふといみきにまきつけながら、 さけ よくばう いいました。牛はいつもの
すると西のほうの学校のうら道を、牛車が一台やってきました。もう仕事にいくのか と、みんなは・ほんやりした目で見ていました。 ちゅうざいしょ 牛車が駐在所のまえをとおるとき、のっていた男が、 あさ 「おい、おまえら、朝はやいのう。きようは道ぶしんでもするかえ」 といいました。 わたろう 見たことのある男だと思って、みんながよく見ると、それが和太郎さんだったのです。 「なんだやい。おれたちア、おまえをさがして夜じゅう、山んなかを歩いておっただそイ」 かめぎく と亀菊さんがいいました。 「ほうかイ。そいつアごくろうだったのオ」 といって、和太郎さんは牛車からおりもせずに、家のほうへいってしまいました。 なんのことか ! と村人たちはあいたロがふさがりませんでした。こんなことなら、大 さわぎして山のなかをさがしまわるなど、しなくてもよかったのです。 これは、和太郎さんをみんなで、しかりつけてやらねばならないと、年より連中はいし むらびと ぎゅうしゃ うち し ) 」と れんちゅう
でんとう けれど、おもてのかんばんのうえには、たいてい小さな電燈がともっていましたので、 きつねの子は、それを見ながら、ぼうし屋をさがしていきました。自転車のかんばんや、 めがねのかんばんや、そのほかいろんなかんばんが、あるものは、あたらしいペンキでか かれ、あるものは、ふるいかべのようにはけていましたが、町にはじめてでてきた子ぎつ ねには、それらのものが、いったいなんであるかわからないのでした。 とうとうぼうし屋が見つかりました。おかあさんが道みちよくおしえてくれた、黒い大 きなシルク ( ットのぼうしのかんばんが、青い電燈にてらされてかかっていました。 子ぎつねはおしえられたとおり、トントンと戸をたたきました。 「こんばんは」 ンチメートルー ~ すると、なかではなにかことこと音がしていましたが、やがて、戸が一寸 ( 約 どゴロリとあいて、光のおびが道の白い雪のうえに長くのびました。 お 子ぎつねはその光がまばゆかったので、めんくらって、まちがったほうの手を、 かあさまがだしちゃいけないといってよくきかせたほうの手を、すきまからさしこんでし じてんしゃ すん
す。なにしろ、酒のみは、へいきで人にせわをさせるものです。 わたろう 和太郎さんは、およしばあさんにせわをさせるばかりではありません。これから牛のお よみち せわになるのです。一「三町 ( 一町は灌〇 ) も歩くと、和太郎さんは、「夜道はこうもとおいも のか」と考えはじめるのです。そしてたづなを牛の角にひっかけておいて、じぶんは車の うえにはいあがります。 こうすれば、もう夜道がどんなにとおくても和太郎さんにはかまわないわけです。ただ、 ねむっているあいだに、車からころげおちないように、荷をしばりつけるつなを輪にして、 じぶんのあごにひっかけておくことをわすれては、いけないのです。 目がさめると、和太郎さんはじぶんの家の庭にきています。牛がちゃんと道を知ってい うち て、家へもどってきてくれるのです。 こんなことはたびたびありました。い っぺんも牛は、道をまちがえて、和太郎さんを海 のほうへつれていったり、知らない村のほうへひいていったことはなかったのです。 だから和太郎さんにとって、この牛はこんなよ・ほよ・ほのみす・ほらしい牛ではありました ちょう うちにわ つの
みそべや もきようもようすを見にきたが、あんなところにはちの巣をかけられては、味噌部屋へ味 噌をとりにゆくときにあぶなくてしようがないということを話しました。 りすけ つばき 海蔵さんは、水をのみにいっているあいだに、利助さんの牛が椿の葉を食ってしまった ことを話して、 いいだろにのオ 「あそこの道ばたに井戸があったら、 ししました。 「そりや、道ばたにあったら、みんながたすかるー いって、おかあさんは、あの道のあつい日ざかりにとおる人びとをかそえあげました。 はんだ ひきやくや 大野の町から車をひいてくる油売り、半田の町から大野の町へとおる飛脚屋、村から半田 とみ にばしゃ の町へでかけていく羅宇屋の富さん、そのほかたくさんの荷馬車ひき、牛車ひき、人力ひ へんろ き、遍路さん、こじき、学校生徒などをかそえあげました。これらの人ののどが、ちょう どしんたのむねあたりで、かわかぬわけにはいきません。 「だで、道のわきに井戸があったら、どんなにかみんながたすかる」 おおの かいぞう
ど、つじよ、つ ・ほくはおじいさんの心を思いやって、ふかく同情せずにはいられなかった。 まつお じようかい それから・ほくたちの常会がはじまった。すると、まっさきに松男君が、 ていあん 「・ほくに一つ、あたらしし提案がある」 といった。みんなはなんだろうかと思った。 「それは、今のおじいさんを町までつれていって、ごんごろ鐘にあわしてあげることだ」 みんなはだまってしまった。なるほどそれは、だれもがむねのなかで思っていたことだ。 しいことにはちがいない。しかしみんなは、きのう、町までいってきたばかりであった。 またきようも、おなじ道をとおっておなしところにいってくるというのは、おもしろいこ とではない。 しかし、 「さんせい」 もんじろう と、紋次郎君がしばらくしていった。 「ぼくもさんせし がね 143
「ああ、あれがもうなきだしたな。あれをきくとあっくなるて」 がさ と、蔵さんが、まんじゅう笠をかむりながらいいました。 しみず 「これからまたこの清水を、ゆききのたンびにのませてもらうことだて」 りすけ と、利助さんは、水をのんであせがでたので、手ぬぐいでふきふきいいました。 「もうちと、道にちかいとええがのオ」 と海蔵さんがいいました。 「まったくだて」 と、利助さんがこたえました。ここの水をのんだあとでは、だれでも、そんなことをあい さつのようにいいあうのがつねでした。 つばき ふたりが椿のところへもどってくると、そこに自転車をとめて、ひとりの男の人がたっ ていました。そのころは自転車が日本にはいってきたばかりのじぶんで、自転車をもって だんなしゅう いる人は、 いなかでは旦那衆にきまっていました。 「だれだろう」 かいぞう じてんしゃ 151