毎日 - みる会図書館


検索対象: ガラスのうさぎ
29件見つかりました。

1. ガラスのうさぎ

「東京の家が建つまで、東京での生活の見通しがつくまで、敏子を預かって下さい」 と頼むと、おばあちゃんをはじめ皆いっせいに、だまりこんでしまった。やがて、おばあちゃん が言った。 「うちは農家といっても、今では自分の家で食べる分しか畑はやっていない。だけど、おまえた ちの叔母さんで、大きな農家もあるから、そこで預かってもらえるかもしれない。 明日でもさっ そく聞いて見るよ。まあ今日のところは、ゆっくりおやすみ。」 「よろしくお願いします。敏子の食費はちゃんと送金しますから , ー・・・・。」 と、兄は頼んだ。その夜は、とても疲れていたので、早く床につかせてもらった。 よくじっ 翌日、叔母さんの一人が見えた。わたしは大人たちが話しているヘやの隣りのへやにいた。 子 ども心にも、とても心配でたまらなかった。 「両国のお兄さんには、わたしもいろいろ世話になったんだから、ほんとうなら敏子を預からな くてはいけないんだけど、うちも小さい子が多いし、農家でいそがしいから、何といっても東京 生まれの敏子じゃ、とても田舎では生活できないだろうよ。」 という話が聞こえる。 たの つか 102

2. ガラスのうさぎ

られた。加代子さんが小屋の戸をあけ、山羊を外に連れだした。わたしは大もこわい位だったの で、思わす後すさりした。 加代子さんといっしょに線路ぎわの、まだ青い葉のある所を見つけて、そこに山羊をつないだ。 きんぞく くさりの先についた金属の杭を、土の中に差しこんだ。加代子さんは、じようすに左手でくさり きづち を持ち、逃げられないようにして、右手に持っていた木槌でトントコ、トントコ杭を打った。わ たしには、とてもできそうもないと思った。なにしろ山羊がこわいのだから。 「二時間くらいたったら、また場所を変えてやるのよ。食べる草がなくなるからね。だいたい一 ちち 回場所を変えるわけ。そうしたら小屋に入れてやるのだけど。その小屋に入れる前に乳しばりを するのよ。それはまた、あとで教えてあげるわ。とりあえす今日の場所がえを、一人でやってみ るのよ。なんでも勉強、勉強。」 「でもわたし、山羊がとってもこわいんです。とてもできません」 「大丈夫よ。すぐなれるから。かみつかないし、この山羊、おとなしいのよ。」 「けとばしませんか。ほんとうに大丈夫ですか。」 「まあ、ものはためしやって見ることね。つぎは、おへやのおそうじよ」 やぎ 115

3. ガラスのうさぎ

れんらく 母は心臓が弱かったけれど、もし生きていればなんとか連絡できるはす。その連絡がないのだか おさな もうか しかし信子や光子は、まだ幼かったし、あの猛火の中を逃げま ら、あきらめるより仕方がない きおく どううち、ショックで記憶を失ってしまい、自分の名前や住んでいた所がわからなくなっている のではあるまいか 兄と相談して、でやっていた「訪ね人」という時間に申し込んだ。それは、両親、夫婦、 兄弟、親戚、知人、友人の名を放送して探してもらうという番組だった。全国に放送されるので、 もしやという期待を持った。わたしたちは時間の許すかぎり、耳をかたむけて放送されるのを待 った。しかし、よほどたくさんの人びとが申し込んでいるのか、とうとうわたしたち兄妹が申し 込んだ分は放送されなかった。 ばひょう せんさいおうし お墓の前で「戦災横死・ ・」と書かれた墓標をながめていると、また涙がこばれ、 も、つ泣かないと、 「お父さん、お母さん、妺たちょ、ごめんね、意気地がなくて。もう泣かない ちか でも今日からは、ほんとうに泣かないわ。いつまでも、くよくよ 自分に何回も誓ったのに あらひとがみ せずに、前向きに進みます。日本の国も軍国主義から民主主義に変わったの。天皇陛下も現人神 から人間天皇に変わったんだって。わたしにはまだよくわからないけど、これからは、一人一人 さが

4. ガラスのうさぎ

がた 潟の方など、どうなってしまったのか、調べに行くことさえ出来ない。おそらく、工場は他の人 が経営しているであろう。わたしと父が住むはすだった家も、見知らぬ人が住んでいることだろ う。多少あったはすの父の荷物も、今は他人の持ち物になっているのかもしれない。 でも、もう仕方がない この戦争で、もっとひどい目にあった人がたくさんいるのだ。とばし しよくリよう しよう かた い食糧ではあるが、なんとか兄妹ふたりで食べて行ける。たとえ四畳半一間でも、肩よせ合って 住むことができるだけ幸せだとも思った。このさい二人で仲よくがんばって、生きぬいて行くこ とが親孝行だとも思った。行雄兄はサラリーマンとして、わたしは学生として。 ひがんちゅうにち 三月十日のお基参りは、兄の仕事のつごうで行かれなくて、お彼岸の中日 ( 春分の日 ) に行った。 かん力いむリよう もうあれから一年がすぎてしまったのだと思うと、感既無量だった。なんとあわただしい一年で あったことか かんきよう 自分を取りまく激しい環境の変化に、今さらながらよく生きて来たものだと、不思議な感じさ えした。お父さんの死は、わたしがその最後に立ち会い、火葬し、纈骨したのだから、これは認 か′、にん めざるを得ない。 しかし、お母さんと妹たちの死は、兄もわたしも死体を確認していないのだか ら、信じることができない 143

5. ガラスのうさぎ

と頼んで外に出た。約五か月住んでいたこの家と、みんなに、喜びと悲しみの心をこめて、「さ ようなら」と頭を下げた。 しゅんちょう 長町駅までは順調に来た。駅前は人でごった返していた。あっちへぶつかり、こっちへぶつか きつぶ かいさつぐち りして、やっと改札口を見つけた。長い列ができていて、切符を買う人でいつばいだった。しか 福島県の市。現 在のいわき市 し、長距離はもう売り切れで切符は ( ) までしか買えなかった。 ようし、行ける所まで行こう。そして、また買い足して行けばよいと、上りの列車に乗りこん だ。すごいこみようで、しばらくは、列車のトイレの戸の前に立ったままだった。 " 中村 , で、す こし中の方にはいれた。が今度は、何か事故があったらしく、すこしも動かない。だんだん心細 くなってきた。朝ご飯を食べたきり、もう一二時をすこし過ぎたのに、立ち通しでは何も食べるわ ( に。いかない。長町駅前で買ったさつまいものふかしたのを持っていたのだが : そのうちに少し動き出したが、また止まった。ここはいったいどこなんだろう。今日じゅうに 何とか東京に着きたい。だが、夜中に上野駅に着いたらどうしよう。その時は、その時だ。朝一 番の国電が出るまで、上野駅にいればよいのだ。 おこ 兄さんは怒るだろうな。伯母も怒るだろうなあ。こうなって見ると、いろいろと、い配になった たの

6. ガラスのうさぎ

といわれて、両方の肩に天棒をのせた。持ち上がったが、一一、 = 一歩よろよろと歩き出したら、 道ばたにあった大きな石に片方の桶がぶつかり、とたんにひっくりかえってしまった。わたしの ひざから下はびしよびしよ。加代子さんは、 「はい、もう一回水をくみ入れて、やり直し。だんだんなれると、コツもわかってくるものよ」 と一一一一口、つ。 わたしはまた、水をくみ直して、かつぎ始める。またよろよろしてしまう。わたしはそこで一 回、桶を地面においた。そしてまたかついだ。何回もよろよろしながら休んでは歩き、歩いては 休みをくり返しながら、やっと家までたどりついた。 なにしろこの家の人たちは、みんな大きいのだ。一番背の低い祝子さんだって、一メートル六 ゆだん 〇センチ位ある。だから綱が長すぎて、わたしだと桶が地面にすれすれなのだ。ちょっと油断す ると、地面の石に桶があたりばしゃんとひっくりかえってしまう。すこし桶を持ち上げ気味にす かた てんびんばう ると、こんどは肩から天秤棒がはすれてしまう。加代子さんは、 「まあ、今日は三回でいいわ。あとはわたしがするから。でも明日からは、水かめに四回、お 呂に六回だからね。 : ひもが、ちょっと長めだから、あとでなおしておくね。」 つな おけ 118

7. ガラスのうさぎ

と返事をして、伯母の方を見た。伯母は福島から背負って来たリュックサックを降ろし、中から 米だの麦だの、いろいろの包みを出していた。従姉カ ぬく 「お母さん、夕飯まだなんでしよう。すぐ温めるからね。あんたも、早く上がんなさい」 といった。わたしは土間に下駄をぬいだ。 「すみません。ぞうきん貸して下さい。足がとっても汚れているんです。」 ざしき わたしはぞうきんで足をふき、座敷に上がった。そして従姉に案内されて、台所に行き、手と しよう力い 顔をあらった。座敷にもどると伯母が、わたしを紹介した。 つねお 「この子が直夫の妹の敏子。今日、相馬の家に行ったら、行雄と敏子が東京から来ていてね。 ふくいん あ、そうそう、行雄はぶじ復員して来たんだ。内地にいたんだって。巨夫はまだらしい。外地に いるらしいって。それから両国の竹雄夫婦と、この子の妹たちは空襲で死んじゃったんだって。 もちろん家は焼かれてしまい、二人は住む所がなく、家が建つまでの間、敏子を預かってほしい と、相馬の家に来てたというわけ。だけど、みんなが預かれないというので、行雄が困っていた んだよ。それで、まあしばらくの間、家で預かってやるからといって連れてきたのよ。行雄とは しいですね。みんなもそのつもりで、仲よくしてあげて。」 中村の駅で別れたの。お父さん、 そうま 8

8. ガラスのうさぎ

つか が敏子のやっ、よっほど疲れていたんだね、と寝かせておいたんだよ、もうすぐ十時だよ。さあ さあ起きた、起きた。伯父さんもみんなも、とっくに出かけてしまったよ。今日一日ぐらいはお 客でよいが、明日から敏子も働かなくちゃね」 といわれた。 みそしる ジャガイモのいつばい入ったご飯と、菜っ葉の味噌汁がおいしかった。やっと気持ちが落ち着 えんがわ いたせいか、縁側に足をのばしてすわり、ばんやりしていた。とっても静かだ。人の話し声も聞 こえない。向かい側の長屋にも人が住んでいるのだろうに 午後からすこし家の外に出てみた。この家の建物は、四長屋になっていて、りに和夫さん しゆくこ 夫婦が住み、その隣りに祝子さんの両親が住んでいた。祝子さんの両親も、もとは小学校の先生 / 、、つしゅう 焼け出されて、ここ だったとか。二人ともやさしい人たちだった。やつばり仙台で空襲にあい、 に来たのだそうである。 すぎかわ しゆくしゃ あきふ ここは秋保電鉄の線路工事をする人たちの宿舎だったそうだ。屋根には杉皮がしいてあり、そ ふしぎ の上に所どころ石がおいてある。不思議な家だなあと思いながら向かい側の家を見ると、やつば り同じように石がおいてある。そして、すぐそばが山だ。いや、山の途中に家が建っていたの はん 0 とらゆう 111

9. ガラスのうさぎ

「敏子です。よろしくお願いします。」 「これが長男の和夫。仙台の小学校で先生をしているだよ。こっちは、その姦さんの祝子。やっ ばり小学校の先生。次に加代子。夫が戦死して、嫁ぎ先の福島県の原の町の家と、こっちの家と 事 / - し を行ったり来たりしている。その子どもの和子。次が三女の孝子、仙台第二高女の四年生。 たいこんな所かな。敏子も早く、この山の中の生活になれることだね」 しようかい ぞう と、伯父がばそばそした話し方で、みんなを紹介してくれた。その夜は伯母さんといっしょに雑 炊を食べてねた。もう十二時近かった。この三日間の、なんとあわただしく落ち着かなかったこ ねむ とか。今日も重い荷物を背負って、歩きつづけたという感じの一日だった。もうただただ眠りた かった。 朝、目がさめたら、太陽がへやいつばいにさしこんでいた。なんだか、しばらくばんやりと天 くろ 井をながめていた。真っ黒にすすけた天井、柱、山小屋のような家だなあと思いながら起き上が る。ああわたしは昨夜、この家に来たんだ。それにしても、だれもいないようだ。何時ごろなの ふとん かしら。みんなどこに行っちゃったんだろうと、蒲団の上にすわる。そこへ伯母が入ってきた。 ねむ まくらもと 「まあ、よく眠っていたね。枕元を行ったり来たりしても、ちっとも起きないんだもの。みんな すい とっ たかこ てん 110