出かけ - みる会図書館


検索対象: ガラスのうさぎ
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1. ガラスのうさぎ

と毎日放課後、彼女らの友情あふれるシゴキが始まった。終わるとみんな、 「おなかすいたあ。」 ちょうど帰り道にあるシバ子の家に、みんなでドャドャ押しかける。シバ子のお母さんは、 つもニコニコして、 「あらあら、また来たの、腹ペコ女学生さん。」 ちそう むか と、心よく迎えてくれて、蒸しバンだの、さつまいものふかしたのをご馳走してくれた。 よせん いよいよ予選の日が来た。わたしは四人の応援団に守られて、へと出かけた。新橋駅を しんちゅっぐん 出ると改札口付近に、若い進駐軍の兵隊がたくさんいるのに、ますびつくりした。みんなで固く 手をにぎり合い、あんまり兵隊の方を見ないように歩いた。 「ヘイ、おじようさん ! 」 「ヘイ、カモンー などと口々に叫んでいる。わたしたちは学校でも家でも進駐軍の兵隊に声をかけられたら、決し てニコニコしてはいけないと教えられていたので、みなうっ向きかげんでモクモクと歩いた。 人の兵隊がツカッカとそばに寄ってきて、リナ子にチョコレートを差し出した。わたしたちはび かた 165

2. ガラスのうさぎ

と、また片こと英語で言って、手をふり、ゆうゆうと帰って来た。 きたく 家に帰ったら兄が帰宅していて、 「こんな夜、どこへ出かけていたんだ」 と叱られた。わたしは、メモリアルホールに出かけて行って勉強してきたことを話すと、兄は、 おこ カ 真っ赤になって怒った。 よ かもの 「縣鹿者 ! もしどこかへ連れて行かれたら、どうするんだ。こわくなかったのか。」 と、どなられた。 「だって明日試験なのに、停電になってしまうは、ろうそくはなしでしよ。向かい側があんまり 明るいんで、しやくだから勉強させてもらいに行っただけよ。そんなにいけなかったかしら。最 初は・もおこっていたようだったけど、事情を話したら入れてくれたわ。結構わたしの英語 通じたわよ」 こま 「まったく、おまえは向こう見すなところがあって困る。だけど、もう絶対に行ってはいけない ぞ。明日はかならすろうそくを買ってくるからな。あんまり心配させるなよ」 159

3. ガラスのうさぎ

仲よしだった山羊さんー どうか天国に行ってね」 と、つぶやきながら手を合わせた。 あきふ この事件があってからわたしは、もう何がなんでも秋保から脱出しようと決心した。幸い兄か せいり 少しすっ荷物の整理をはじめた。そして、 ら送ってもらったお金もある。みんなのいない昼間、、 仲よしだった千代ちゃんにだけは、わたしの計画を話した。やつばり別れはつらい 「いつの日か、絶対にまた会おうね」と、指切りげんまんして別れた。 そして二月末、いよいよ決行することにした。伯母が出かけた後、 いろいろとお世話になりました。東京に帰らせていただきます。 と置き手紙をのこして、荷物は玄関の横におき、祝子さんのご両親に、 「ちょっと町まで行って来ます。伯母が帰ってくるかもしれないので、鍵をお願いいたします。」 だっしゆっ 敏子

4. ガラスのうさぎ

「こわくて出来ないんだけど。」 「だめじゃない。だいたい、やろうという気がないからよ。なれるためにも、早くやっていらっ しゃい。」 わたしはしかたなく、また山羊の所にもどった。 「山羊さん、あばれないでね。わたしとってもあんたがこわいのよ、でもがんばって、移動させ るから、 いうこときいてね。お願い」 と、祈るような気持ちで、そっと近づき、思いきって杭をぬいた。山羊は、待っていましたとば かりに走りだした。わたしは、山羊に引っぱられてかけだした。ぐんぐんと、それはすごいカ だ。止まれ、止まれ、とさけびながら、やっとの思いで次の場所にを打っことができた。 家にもどって加代子さんに、山羊を移動させたことを報告した。 「やれはできるじゃないの。次は水くみね」 と言って、れいの天棒に、から桶を二つさげて出かける。井戸から水をくみ上げて、二つの椨 うつ にタタ一 9 。 「さあ、かついでごらん」 117

5. ガラスのうさぎ

おきがない。困った。そしてわたしは、決心して出かけることにした。目ざすは、夜おそくまで 電気がこうこうとついているメモリアルホールへー 教科書を右手にかかえてホールの入口に立った。とたんに、赤い顔の背の高い兵隊につかまっ てしまった。 「帰れ、帰れー と言っているらしい。わたしは勇気をふるって、片ことの英語で頼んだ。 「わたしは本が読みたい。だけど、わたしの家は停電だ。大変困っている」 ちんもく と言って、反対側の家々を指さした。どの家もみな真っ暗である。しばらく沈黙がつづいた。 わんしよう そこへもう一人、・という腕章をつけた、がっちりした兵隊が来た。二人で何やら話してい た。そして、 「よろしい」 しゆえいしつ と言って、入口にある守衛室に入れてくれた。わたしはそこの受け付用の机といすで、二時間く らい勉強させてもらった。 「ありがとう、さようなら」 こま かた たの 158

6. ガラスのうさぎ

た。わたしにこれといった話もしないまま眠ってしまった父を、ゆすり起こすわけにもいかす、 わたしはひとり海辺に出かけて行った。 三月といっても、海の風はまだまだ冷たかった。不安な思いが、わたしの胸いつばいにひろが ってくる。 「お母さあーん、信ちゃあーん、光ちゃあーんー せま と、思いきり呼んでみた。なんともいえない不安と、さびしさが、わたしの心に迫ってくる。 わたしはその気持ちを振りはらうため、大きな声で歌ってみた。 お母さま、松葉ばたんが咲きました。 いつも、やさしいお母さま たく いちー *. 、さん やつばりだめ。心細さが増すばかり。わたしは一目散に西山さん宅に帰った。 夕食で、やっと父は起きてきた。食後、ようやく少しすっ空襲の日のようすを話しはじめた。 「東京は、まるつきり焼野原になっちゃった。その上、死体の山だらけ、それはみんなむごい死 ねむ

7. ガラスのうさぎ

三月に入ってすぐ、行雄兄は秋保に出かけていった。わたしがだまって出て来たことのおわび と、わたしを預かっていただいたお礼のためだった。兄は、わたしが残して来た荷物の、半分し か持ってこなかった。わたしが勝手をしたのだし、お礼もしなければならないのだから、だまっ わた て、渡された荷物だけを受け取って来たのだという。 あと つねお たいわん ふくいん それから数日たったタ方、ひょっこり巨夫兄が台湾から復員して来た。焼け跡に立てておいた たてふだ れんらくさき 連絡先を書いた立札を見て、わたしたちの住所を知ったのである。 ほんとうにうれしかった。これで生き残った三人が、い っしょに力を合わせて生きて行ける。 しよう、わい しようそく むちゅう 兄たちは夢中になって、お互いの別れてからの消息を話しあい、そして将来の工場再建につい たの て、夜おそくまで語り合っていた。こうなると、女の子のわたしは、ただ二人の兄たちの頼もし 長い冬から春へ あきふ 138

8. ガラスのうさぎ

かさを感じた。 翌日から、いろいろの仕事がわたしを待っていた。ますみんなが出かけるとせんたくだ。加代 子さんについて、昨日行った井戸へせんたく物を持っていく。伯父や伯母や、孝子さんや、自分 の分を大きな籠に入れ、片手にはたらいを持って。 加代子さんは、和子ちゃんと自分のを手ぎわよくせんたくして、 「全部終わったら、すぐもどってくるのよ。し場を教えるからね。」 にのみや よめ といって、帰っていった。二宮にいた時は、お嫁さんがやってくれたし、東京に帰って来てから、 初めて自分の物をせんたくするようになったばかりなので、まごっいてしまった。やっと終わっ てもどると、加代子さんに、 「すいぶんゆっくりだね。もっと一生けんめい、早くやらないと日が暮れちゃうよ」 と言われた。それからせんたく物を急いで干して、やれひと息と思ったら、 「敏子ちゃん、こんどは山羊の世話のしかた教えるからね」 うらぐち と、呼ばれた。裏口の方にとんで行くと、なるほど、小屋の中に山羊がいた。わたしはそのころ、 一メートル四〇センチ位しかなく、その上、やせつほっちだったので、山羊がとても大きく感じ か ) ) たかこ 114

9. ガラスのうさぎ

・・、上 ( がや せざき 八月十五日、ラジオのニュースは、また昨夜から今朝にかけて秋田、伊勢崎、桐生、熊谷各市 が空襲されたことを報じた。そして本日正午に、天皇陛下の重大放送があるから、全国民つつし んでこの放送を聞くようにと、くり返し言った。八月十五日は旧暦のお盆に当たるので、叔父さ んたちはなくなった家族の新盆をするため、神奈川の実家に帰ることに予定していた。なかなか おく きっ来 手に入らない切符も昨日朝、並んでやっと買えたし、きっとまた、国民は一億一心となって、こ こくた、ん の国難を切り抜けようとの放送だろうということで出かけた。三日間ほど泊まるので、わたしも っしょこ一丁っこ。 ーレ′ィー十 / あしがらかみぐん 午後、神奈川県足柄上郡中井村という所につき、家に着いたが、しーんとして、だれもいない。 しばらく待っていると、この家の人たちがしょんばりとして、一人二人と帰ってきた。村長さん 兄が帰ってきた なら きルうれき ばん 強、りゅう

10. ガラスのうさぎ

とっしょ を待っていましたが、突如急降下してきたの機銃掃射で、目の前でお父さんを殺さ れてしまうのです。ひとり残された十二歳の少女は、泣いているゆとりもなく、血まみ れの遺体を知りあいの家に運び、火葬のための薪を集め、お骨にすることになります。 ざんこく 戦争のあまりの残酷さに目のくらむ思いがしますが、しかし、その不幸にもめげす、 涙をふりはらいながらテキパキと動く少女のけなけさ。私がいたく胸をゆすぶられたの は、そこなのです。 けなけさというなら、敏子さんが特攻隊のお兄さんに会いに、 たった一人で東京から 大阪まで出かけていくところにも、死んだお父さんの田舎へ引きとられていった先のき びしい生活ぶりにも、それがいじらしいほどよくにじみ出ています。しかし、なんとい っても、お父さんの死は、 いたいけな少女を絶望の底にうちのめしました。 同じカヤの中で遺体とならんで寝ながら、「いやだ、いやだ、わたしも死んじゃおう」 と、夜中にカヤを抜けだして、まっくらな海辺をさまよった敏子さんは、「わたしが死 んだら、お父さん、お母さん、信ちゃん、光ちゃんのお墓まいりはだれがするのか。わ たしは生きなければ、がんばらなけれは : : : 」と、ふるい立つのです。 きしゅうそうしゃ 172