父 - みる会図書館


検索対象: ガラスのうさぎ
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1. ガラスのうさぎ

かわい 男の子二人のあとに生まれた女の子というので、父はとてもわたしを可愛がってくれた。父が ばんしやく 晩酌する時、いつもわたしは父の大きなひざの中にいた。だから工場で働いていた工員さんたち ま、 おやじ よめ 「敏子ちゃんは、なんていったってお父さん子だから、嫁に行くときは、親父さん大変だろうなあ。」 ああ、これからどうしようかと考え と、からかった。そんなわたしから父をうはうなんて ( えだ ると、また、あらたに涙がこばれてくる。 うすあか しばらくして気がつくと、あたりが薄明るくなっていた。わたしはいつの間にか、父の遺体の あとしまっ まくらもと ねむ 枕元で泣きながら眠ってしまったのだ。昼間の空襲から、その後始末と、夢中で飛び回っていた ため、わたしはほんとうにくたびれはてていた。ふっと父を見ると、ただ眠っているだけのよう さつかく な錯覚を感じ、 「お父さんー と、呼んでみた。ああやつばり昨日の出来事は、夢ではなかったのだ。父は死んでしまったの ・死い ~ こ ) お父さん、わたし一人を残して、なんで死んじゃったの。敏子も死にたい。 だが、その後からまた、いや、わたしは泣いてなんかいられないんだ。しつかりしなくては ゅめ

2. ガラスのうさぎ

七月に入り、やっと父から手紙がきた。 七月十五日、午前十時東京駅に着くように。着いたら、そのホームから動かないこと。 父より くれぐれも注意してくること。 あんび そんな時期だけに、東京にいる父の安否が心配だった。でも父は、あの大空襲の中でさえ生き のびることができたのだから、絶対に大丈夫。しかし、そう思ってはいても離れて住んでいるだ しようそく けに、心配でならなかった。兄たちの消息のわからない現在、わたしにとってたよれる人は父だ さい力い けだ。早く会いたいと、父との再会の日を指折り数えて待った。 わたしには、五か月ぶりの上京だった。列車が横浜、川崎と東京に近づくほど、焼け野原は広 すご おそ 。品川あたりなどは、まるきりの焼け野原。今さらながら空襲の凄さ、恐ろしさを、 がっていった まざまざと目に見せつけられた。こうしてやっと東京駅に着いた。ホームに降り立っと、右も左 ざん力い も前も後ろも見わたすかぎり、コンクリートの建物の残骸があっちこっちにあるだけで、上野の 山の方まで見えた。上野がこんなに近く見えるなんてーーーばうぜんとして立っていると、父が、

3. ガラスのうさぎ

しつかり守っているんだね。」 わた ふくろ と言って、白い布を細長く袋のようにぬったものを渡してくれた。この袋に実印を入れて、体に いんかん 巻きつけておきなさい、ということだった。わたしは父のカバンの中から三つの印鑑を出し、教 えられた通り袋の中に入れて体に結びつけた。カバンの中にはたくさんの書類も入っていた。今 わたしは、これがどんな書類かわからないけれど、きっと大事なものにちがいないと思った。い つかお兄さんが帰るまで、しつかり持っていなくてはと思った。 ふとん かや 同じ蚊帳の中に蒲団を二つ敷き、一つに父の遺体、もう一つのにわたしが眠ることになった。 わたしは父の遺体の顔にかぶせられている白い布を、そっと取ってみた。今はもの言わぬ人とな ほうたい った父の頭に巻かれた包帯の右のこめかみの辺に、赤黒く血がにじんでいる。父の死顔を見てい : 、カた むね かな しカ ると、悲しみと怒りが胸にどっとこみ上げてきた。何事もなかったら今ごろは、父と新潟に向か う夜行列車に乗っていたはすだ。だのに、こんなことになるなんて、だれが想像できただろう。 兄たちの居場所も、生死もわからないというのに、なぜわたしばかりこのような辛い思いをしな ければならないのだろう。神様、仏様って、ほんとうにこの世にいるのだろうか。ひどい、ひど わたしから父をうばうなんて。いやだ、いやだ、わたしも死んじゃおう。そう思ったら、悲 ぬの からだ ねむ

4. ガラスのうさぎ

の父は、身長が一七五、六センチほどあり、体重は八十五キロ位ある大男だ。そしてみのよか った父が、その時はまるで別人のように、ふあーと、立っているという感じだった。 「お父さん、何かあったの ? 東京の家焼けちゃったの ? 」 と、矢つぎ早にたずねた。しかし父はそれに答えす、 「母さんと信子や光子は来たかね」 と、ばそっと言った。 「お母さんたちいないの ? どうしたの、どうかしたの ? 「見つからないんだ。ひょっとして、先に二宮に来ているかと思ってー・・ーー。」 「来てないわ。ねえ、お父さん、何があったの。ねえ、聞かせて」 なみだ もうわたしは涙声である。そばから先生が、 「お父さんが色々とあなたにお話がおありのようだから、今日はもう帰っていいわよ」 と、おっしやったので、わたしは父といっしょに西山さんの家に帰った。しかし、母たちは来て はいなかった。 父はそれからお呂に入り、食事をいただき、夜まで、まるで死んだ人のように眠ってしまっ

5. ガラスのうさぎ

「あそこが火葬場だよ。もうすぐだ。」 ゅび えんとっ と指さす方を見ると、高い煙突が右手の方に見えた。火葬場は、なんとなくしーんとしていて、 うすきみ 気のせいか薄気味悪い感じだった。 カカりい′ル 火葬場の係員に書類を見せて父を火葬してほしいと頼んだ。係の人と、おじさんとで父の遺体 を荷車からおろして、寝台のような台の上に乗せた。もうわたしは、何が何だかわからなくなっ てきた。ただ頭と顔だけが、カッカッとして、何かしなければならないと思っても、何をしたら よいのかわからない。係の人は、父の遺体に巻いてあった毛布を取り、シーツだけにした。 「お別れですよ」 なみだ と、ひとこと言った。わたしは思わす、父の遺体に抱きついた。涙があとからあとから出てきて、 どうしようもなかった。おじさんか、 「おそくなるからね。」 と言って、わたしを抱き起こした。鉄のとびらが開かれ、中の台に向かって係の人は、 「ほらっ ! 」 ほのお と、まるで物を投け入れるように遺体を入れた。真っ赤な炎がめらめらと、台の上にはい上がっ

6. ガラスのうさぎ

手続きをするため、一人であっちへ行き、こっちへ行きするのだから、とても大変だった。その 間にも、友だちの家に別れのあいさつに行き、五日間があっという間にたってしまった。 ひるごろ 父は八月四日の昼頃やってきた。さすがに手続きが全部終わっていたのにはびつくりし、よく やったと、ほめてくれた。これなら明日二宮を立っことができる。明朝は荷物を駅に出すだけだ。 ぜん その夜は、なかなか寝つかれなかった。母と妹たちの消息は依然として不明だったが、七月のお ばんかりトっしき 盆に仮の葬式もしたので、父もわたしも半分あきらめの気持ちになっていた。 「お父さん、新潟にはいつごろまでいるの。東京の焼け跡には、いつごろ家が建てられるように なるの」 「そうだなあ、戦争が終わるまで、だめだろう。でも苦しいのは、もう少しの辛抱だよ。日本は 必す勝つにきまっているんだから」 八月五日、朝からまた暑い日だった。父は朝のうち、二宮駅に小荷物を出しに行ってきた。十 一時すこし前に西山さんの家族や近所の人、見送りにきてくれた友だちに別れを告げ、父とわた しは二宮駅に向かった。駅までは約二十五分かかる。

7. ガラスのうさぎ

しんせき でも兄は、他人に預けるよりは、親戚にと考えていたようだった。 かな そして三日目、夜行列車で帰ることにきめた。この打ちのめされたような悲しみの心は、理屈 ではないのだ。何はともあれ、この土地を早く離れたかった。 昼すぎ、ひょっこり仙台に住んでいる伯母が見えた。この伯母は、わたしの父の一番上の姉 せいば で、わたしたち兄妺の一番上の兄の生母である。もっとも、このことをわたしが知ったのは、父 が死ぬ前の晩、父に聞いて初めてわかったことである。 わたしが女学校に入学するとき学校に提出した戸籍にかんする書類に、長男が養子で、次男が 長男と記入されているのを見つけ、約五か月の間、すっと疑問に思っていたので、父に聞いたの 「それは、その通りなんだよ。お父さんとお母さんが結婚して八年間、子どもが生まれなかっ あとと 事業の方も順調にいき、大勢の人を使う身になったが、子どもがいない。跡取りがいないと さび いうことは、とても寂しいことなんだ。そんな時、仙台の家で四番目の子が生まれる所だったの で、あちらはもう男の子もいることだし、もし、その生まれた子が男の子だったら、養子にもら えないかと頼んだんた。幸い男の子が生まれたので、赤ちゃんの時もらって、お母さんが一生け たの さいわ りくっ

8. ガラスのうさぎ

の弾丸だと思うと、床にたたきつけてやりたい気持ちがした。 この弾丸が、この弾丸がお父さんを殺したんだ。 ) そう思うと床にふみつけてやりたい位、 くやしさがこみ上げてきた。でもわたしは、それをプラウスのポケットにしまいこんだ。父を殺 しようこひん した何よりの証拠品として残しておきたいし、また死んでお骨になってまで機関銃の弾丸といっ しょでは、父もさぞ痛かろうと思って わす かんしよく わたしは絶対に忘れない。 この弾丸の感触を。もし米軍が上陸してきたら、きっと、かたきを 取ってやる、と目に見えない敵に向かって、歯をくいしばった。 いこっ むね 月。かかえて、また東海道の 帰りは荷車の真ん中にすわり、新聞紙に包んだ父の遺骨を大切に匈こ 松並木道を帰ってきた。 国府津まで来ると、右側の海をタ日が真っにそめて沈んでいくところだった。なんだか昨日 からの出来事が夢のようでならなかった。あの、人一倍元気だった父が、今このわたしの両手の 中にいる。わたしはほんとうにひとりばっちになってしまった。戦争って、人と人との殺しあい ではないか。でもわたしは、だれも殺してはいない。やつばり戦争なんかはじめるのがいけない のだ。だれがはじめたのか ゅめ なか ゆか

9. ガラスのうさぎ

ュックは重く、手には二つの荷物。でも、もう夢中だった。もし父がけがをしていたらどうしょ うと、心配でたまらない だいこんらん 小さな医院は、大混乱していた。わたしは大きな声で、 「江井はいませんか。お父さん、お父さんはいませんか」 と、くり返し呼びかけたが、なんの返事もなかった。わたしはまた駅にかけもどった。不安が胸 つばいにひろがってくる。ああ、どうしよう、どうしよう : といた 力いさつぐち 改札ロの方から駅員さんが戸板に人をのせ、上からむしろをかぶせて運んでくるのが見えた。 わたしは、この人も死んだのかしらと思いながら、むしろからぶらさがっている足を見た。あっ、 むらゆう その靴、と思うと、もう夢中でむしろをめくった。 「お父さん、お父さん、どうしたの。」 と、父の肩をゆすった。でも父の大きな体は、びくっとも動かない。右のこめかみの所から、血 ) 。父は死んじゃったのか がどくどく流れている。青黒い顔をして、目はあいたまま返事をしなし しら、そんなはすはない。わたし一人のこして死ぬわけがない。わたしは下くちびるを痛いほど かんだ。そうしていないと、声を出して泣き出してしまいそうなのだ。でも目は、もういうこと くっ かた からだ むちゅう むね

10. ガラスのうさぎ

しせんとしてわからなかった。でも父もわたしも、 た、と喜んでくれた。しかし母たちの消息は ~ 母たちが死んだとは思いたくなかった。どこかに必す生きている。大けがをして、とんでもない 遠い所の病院にいるとか、だれかに助けられて、その人といっしょだと信じたかった。 たくさん くうしゅう くる きおく 父は、あの空襲のひどさで、気が狂ってしまった人や、記慮をなくしてしまった人も沢山いる と つか と言った。そして、また一晩だけ泊まって東京に帰っていった。その後ろ姿は、とても疲れてい いちもくさん 力。今日こそはと毎 わたしは毎日、学校の授業が終わると一目散にかけて西山さんの家に帰っこ 日、母や妹を待った。 三月二十五日、わたしは二宮町国民学校を卒業した。三月三十一日、明日の入学式に間にあう ようにと父が、女学生用の服を持って来てくれた。父の知り合いの娘さんのおふるだと言ったが、 えり こんうわぎ 下はもちろんもんべである。チビのわたし 紺の上着で、衿には真白なへちまえりがついていた。 には少しぶかぶかだったが、とてもうれしくて、 「お父さん、ありがとう。どおつ、わたしに似合う ? 0 むすめ