秋保 - みる会図書館


検索対象: ガラスのうさぎ
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1. ガラスのうさぎ

すがた い姿と話しぶりを、ニコニコながめ、聞き入っているだけだった。長かった冬が終わり、やっと 春がおとすれて来た感じだった。直夫兄は、 そうしき 「敏子一人で、よくお父さんの葬式だしたな。それと、お父さんのカバンをちゃんと保管してお 兄さんが二人もついている いたことは、ほんとうに上出来だったぞ。もう心配することはない。 ぎしゆっ おやじ んだ。おれは幸い親父さんに、技術を仕込まれている。行雄がお得意さんまわりをやってくれれ おに ば、鬼に金棒だ。そのうち、散りぢりになっている工場の連中も、必すもどって来るだろうし、 もう大丈夫だ。敏子は、家のことをやりながら学校へ行くのだから大変だろうけど、しつかり勉 強するんだぞ」 と言ってくれた。そして兄たちの話し合いの結果、巨夫兄にとっては実の両親である秋保の家に 帰国のあいさつに行くことになった。いやな事もいろいろあったが、わたしが世話になったこと でもあるし、とにかく出かけて行くことにした。 五日目に、巨夫兄は東京にもどって来た。そして急に、 「おれ、悪いけど秋保に帰ることにしたよ。秋保の家で、江井の両親も死んだことだし、事業だ かんたん って、そんなに簡単にできるものじゃない。むしろ、まだ若いんだから、このさい遺産を分けて かなばう あきふ さん 140

2. ガラスのうさぎ

つねお んめい育てた。その子が恒夫兄さんだよ。そして、一年後に生まれたのが行雄兄さんなんだ」 と、話してくれた。いま思うと父は虫が知らせたのか、その時の事情をくわしく話してくれたの である。わたしはびつくりした。一番上の兄が養子だったなんて、ぜんぜん知らなかった。恒夫 けんどう 兄はわたしより六つ年上で長男として大変いばっていたし、剣道がとっても強く、体もがっちり たの していて、とても頼もしかった。父は、 ちが 「おまえの生まれる前の話だし、おまえのお兄さんには違いはない。 巨夫は長男で行雄は次男だ。 今まで通りでいいんだよ」 と、話してくれた。その伯母が、一昨日からのわたしのことを聞いて、 むか うち 「行雄が迎えに来るまで、敏子はうちで預かって上げるよ。わたしの家も焼け出されて、今は仙 あきふむら 台からすうーっと入った名取郡秋保村といって、秋保温泉の近くに住んでいるのだけど : ろいろとわが家も大変なんだが、まあ敏子一人くらい何とかなるだろうよ。そのかわり、敏子の 食費は毎月きちんと送ってくれるね」 と、言ってくれた。さっそく話がきまり、その日の夕方中村駅を立っことになった。兄は、 むか 「伯父さん、伯母さんの言うことをよく聞くんだぞ。三月初めには必す迎えに行くからな。そ からだ 105

3. ガラスのうさぎ

仲よしだった山羊さんー どうか天国に行ってね」 と、つぶやきながら手を合わせた。 あきふ この事件があってからわたしは、もう何がなんでも秋保から脱出しようと決心した。幸い兄か せいり 少しすっ荷物の整理をはじめた。そして、 ら送ってもらったお金もある。みんなのいない昼間、、 仲よしだった千代ちゃんにだけは、わたしの計画を話した。やつばり別れはつらい 「いつの日か、絶対にまた会おうね」と、指切りげんまんして別れた。 そして二月末、いよいよ決行することにした。伯母が出かけた後、 いろいろとお世話になりました。東京に帰らせていただきます。 と置き手紙をのこして、荷物は玄関の横におき、祝子さんのご両親に、 「ちょっと町まで行って来ます。伯母が帰ってくるかもしれないので、鍵をお願いいたします。」 だっしゆっ 敏子

4. ガラスのうさぎ

三月に入ってすぐ、行雄兄は秋保に出かけていった。わたしがだまって出て来たことのおわび と、わたしを預かっていただいたお礼のためだった。兄は、わたしが残して来た荷物の、半分し か持ってこなかった。わたしが勝手をしたのだし、お礼もしなければならないのだから、だまっ わた て、渡された荷物だけを受け取って来たのだという。 あと つねお たいわん ふくいん それから数日たったタ方、ひょっこり巨夫兄が台湾から復員して来た。焼け跡に立てておいた たてふだ れんらくさき 連絡先を書いた立札を見て、わたしたちの住所を知ったのである。 ほんとうにうれしかった。これで生き残った三人が、い っしょに力を合わせて生きて行ける。 しよう、わい しようそく むちゅう 兄たちは夢中になって、お互いの別れてからの消息を話しあい、そして将来の工場再建につい たの て、夜おそくまで語り合っていた。こうなると、女の子のわたしは、ただ二人の兄たちの頼もし 長い冬から春へ あきふ 138

5. ガラスのうさぎ

しんばう れまでは辛抱するんだ。それから学校のことは、よく伯母さんに頼んでおいた。 転校がきまった ら、書類はすぐ送るからな。がんばって勉強するんだよ。東京の家で住めるようになったら、三 月まで待たなくても、すぐ迎えに行くからな」 兄は上り上野行きの列車に、わたしは伯母さんと、下り仙台行の列車に、また別れ別れに住ま わたしはまた一人ばっちにな なくてはならなかった。家が焼け、住む家がないばっかりに : むね ってしまった。ほんとうに兄は、三月にわたしを迎えに来てくれるだろうかと、不安な思いが胸 なみだ ) つばいにひろがった。わたしは走り去って行った上り列車の赤いランプを、涙でにじんだ目で 見つめた。 あきふ わたしは伯母と、仙台より手前の長町という駅で降りた。国鉄の駅を出て、秋保電鉄の乗り場 おじ へと急いだ。最終電車に間に合わなければと、二人でかけ出した。やっと間に合った。伯父は、 この私鉄の会社に勤めているそうだ。 くら まど 電車の窓の外は真っ暗で約一時間以上乗っただろうか、わたしは、伯母さんにうながされて電 車を降りた。降りた人は、わたしたちだけだった。あたりは、しーんとしていて、とても駅など 右側に大きな林があ という感じではなく、細い電柱があって電球が一つほっと、ともっていた。

6. ガラスのうさぎ

と、すいすい足どりも調子よく、手伝ってくれた。千代ちゃんは、すごくたのもしかった。いっ幻 うらやま しょに裏山にたきぎを取りに行っても、軽くわたしの倍は背負い籠に取ってくる。山の中では二 人とも、いつも大きな声で歌をうたう。わたしは父の死以来あまり歌をうたわなかった。あんな たいす わす に大好きな歌だったのに、いまでは歌を忘れたカナリヤになってしまっていた。 おば だけど千代ちゃんと山に入った時は別だ。ラジオで覚えたての「リンゴの歌」が大好きだっ ひみつ た。それは二人だけの小さな秘密だった。またわたしに " あけび。という木の実を教えてくれた のも千代ちゃんだ。つる状の低木で、わたしたちの手のとどく所に、ほっかり口をあけた木の実 うすちゃ あま である。薄茶にすこし紫のまじった外皮の中に、白色の甘い実が入っていた。 甘いものなど口に することのできないころだったので、これを見つけて食べている時は、とてもしあわせだった。 きのこ取りに行って山ですべって、足を痛くしたこともあった。でも兄と別れて、ひとりばっ あきふ ちの秋保の生活の中で、千代ちゃんの友情は、わたしにとって大変な救いであった。 兄から久しぶりに手紙がきた。 「学校の方、どうなっているんだ。早く転校して通学しないと、休学になっちゃうぞ」 といってきた。わたしは伯母にきいた。 むらさき しようていばく

7. ガラスのうさぎ

つか が敏子のやっ、よっほど疲れていたんだね、と寝かせておいたんだよ、もうすぐ十時だよ。さあ さあ起きた、起きた。伯父さんもみんなも、とっくに出かけてしまったよ。今日一日ぐらいはお 客でよいが、明日から敏子も働かなくちゃね」 といわれた。 みそしる ジャガイモのいつばい入ったご飯と、菜っ葉の味噌汁がおいしかった。やっと気持ちが落ち着 えんがわ いたせいか、縁側に足をのばしてすわり、ばんやりしていた。とっても静かだ。人の話し声も聞 こえない。向かい側の長屋にも人が住んでいるのだろうに 午後からすこし家の外に出てみた。この家の建物は、四長屋になっていて、りに和夫さん しゆくこ 夫婦が住み、その隣りに祝子さんの両親が住んでいた。祝子さんの両親も、もとは小学校の先生 / 、、つしゅう 焼け出されて、ここ だったとか。二人ともやさしい人たちだった。やつばり仙台で空襲にあい、 に来たのだそうである。 すぎかわ しゆくしゃ あきふ ここは秋保電鉄の線路工事をする人たちの宿舎だったそうだ。屋根には杉皮がしいてあり、そ ふしぎ の上に所どころ石がおいてある。不思議な家だなあと思いながら向かい側の家を見ると、やつば り同じように石がおいてある。そして、すぐそばが山だ。いや、山の途中に家が建っていたの はん 0 とらゆう 111