連合軍 - みる会図書館


検索対象: グラフィックアクション 第1号
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1. グラフィックアクション 第1号

ク会戦 クノレス 元帥 A ・ワシレフスキー 画を作成した。 この作戦を実施するために狭い戦場 , すなわ ち冬の戦闘で形成された「クルスク突出部」が 選ばれた。ヒトラー軍司令部の意見によると , このクルスク突出部に配置されているソ連軍を 包囲し , せん滅するための好条件が熟したのだ という。 敵 ( ドイツ ) は 1943 年の春から , ツイタデレ ドイツ軍がスターリングラード戦において敗 北の後 , ドイツの軍事・政治情勢は悪化した。 しかし , ナチス・ドイツはまだ強力な軍事力を 持っていた ヒトラー軍司令部は戦争の流れを自分の側に 有利に替え , ファシストプロックの崩壊を防ぎ , 失った戦略的主導権を取りかえすために「ツィ タデレ ( 城堡 ) 」と呼ばれた最大の攻撃作戦の計 60

2. グラフィックアクション 第1号

見渡すかぎりの平原で , ドイツ軍 20mm 対空機関砲は空をにらみ , ソ連機の攻撃に備える。この対空車両は Sd. Kfz. 田型い軽牽引車の車体に , 360 度旋回銃架に搭載した 20mm 低空射撃用対空機関砲 30 型を装備したものである。 車体後部の側板は水平に開いて広くとり , そこには機関砲弾の弾薬箱がのせられている。 砲を引いてさあ前進だ。ロシアの大平原ははるか彼方に広がる第 24 戦車師団第一騎兵隊所属の野戦砲の雄姿。 右フェンダー上にそのマークが描かれている。ドイツ軍 105mm F 印 8 型野戦榴弾砲を牽引するのは Sd. Kfz. 凵型 3 トン軽牽引車 ・・考ま当第を 34

3. グラフィックアクション 第1号

大きな爆弾搭載量 , すばらしい急降下速度と頑丈な機体で , 東部戦線のドイツ軍地上部隊 本機が急降下にはいると , 当時のドイツ戦闘機はほとんど追いつけなかった。円 44 年には ドイツに対する , ソ連の空からの反攻の原動力となった名機といえよう。 そのほかソ連機は , ドイツ機が前線にくる途 るために , ゲーリングはまだ第 2 戦線のなかっ 中を待ち受けて打撃を加えた。 とくに激烈な空 た西部 ドイツ , フランス , オランダーーー - 力、 戦が行なわれたのは , ドイツ空軍のクルスク鉄 ら飛行部隊を移入し , また , レニングラード付 道拠点の爆撃の際である。敵爆撃機はときたま 近や東部戦線の他の地域からも , 航空兵力を引 クルスクに突入して , わが方に損害を与えたが , き抜いてこなければならなかった。こうしてや その代償は非常に高くついた っと , 第 6 , 第 4 航空軍の保有機数は 2 , 000 機 たとえば 6 月 2 日の昼間と夜間爆撃の際 , ド に達した。 イツ空軍はソ連戦闘機のねばり強い攻撃と , 適 オリョール , プリャンスク , ハリコフ , ポル 確な対空地上砲火によって 145 機を失っている。 タワの飛行場には , 7 月はじめ , ドイツ空軍の ドイツ空軍はクルスクの近郊だけでなく , 優秀な空軍部隊が集結した。 ドイツ軍司令部の 独戦線の他の地区でも重大な損害をこうむった。 もくろみによると , これらの航空部隊は戦車師 夏季攻勢準備中 , ドイツ空軍は息つく間もな 団とともに , 夏季攻勢の主役を演ずる予定であ かった。損害は苦労のあげくやっと補充された。 った クルスク突出部の攻撃に参加する航空集団を作 ソ連最高司令部は , 空陸で鉄壁の守りをかた 73

4. グラフィックアクション 第1号

△クルスク突出部の戦闘で , 活躍す るソ連軍通信兵。 プロホロフカ地区に横たわる残がい。手 前は T ー 34 / 76 戦車のキャタピラー

5. グラフィックアクション 第1号

ゲル重戦車 , パンテル中戦車をふくむ 2 , 700 両の 戦車 , 兵員 90 万名を集結させ , 機甲軍団の指揮 は , フランスでの電撃作戦で勇名をはせたハイ ンツ・グーデリアン大将にゆだねられ , 空から この地上部隊を強力に支援する航空部隊の作戦 は , アルベルト・ケッセルリンク大将か彼自身 , 双発の偵察攻撃機フォッケ・ウルフ FW189 の繰 縦桿を握って指揮に当たった。 戦いの序曲 Hs129B のパイロット , プロイス少尉が基地を 発進する何時間もまえの午前 2 時すぎ , 前線で はソ連砲兵部隊の重砲約 500 門と , ロケット砲の いっせい砲撃が始まっていた。ソ連火砲の射弾 は , 砲撃準備中のドイツ砲兵陣地に落下した。 情報は事前にソ連側に洩れていたし , ドイツ軍 の砲撃開始の時間も , 捕虜にしたドイツ兵から 聞き出していたソ連軍の先制パンチである。 一時的に混乱したドイツ軍もすぐに立ち直り , ソ連軍の頭上に砲火のお返しを浴びせかけた。 ドイツ空軍の Ju87D シュッーカ , Ju88 など爆撃 機約 300 機も , ソ連砲兵陣地の上に爆弾の雨を降 らせ , 戦場は炎と爆煙におおわれた。 この日のためにドイツ空軍が集めた作戦可能 の第一線機は , 第 1 航空軍の 1 , 83 幾。その内訳 は地上攻撃を主任務とした第 1 , 第 2 , 第 77 急 降下爆撃航空団 (St. G) の合計 9 個連隊 , 地上 支援航空団 ( Sch. G) の Fw190 2 個連隊にヘン シェル Hs 129 B の 1 連隊 , それに加えて , 戦車攻 撃を主な任務とするプロイス少尉の所属する 4 個飛行中隊の H S129 B が , プルーノ・マイヤー 大尉 ( のちに少佐 ) に率いられて参加していた。 これら攻撃集団の掩護に当たるのは , 第 3 , 第 52 戦闘航空団所属の Bf 109 G の 6 個連隊と , 虎の子的存在だった JG51 と 54 ( 第 51 および第 54 戦闘航空団 ) の Fw190A0 さらに爆撃航空団は 第 1 , 第 3 , および第 51 爆撃航空団のユンカー ス Ju88 5 個連隊 , それにいささか旧式となって はいたが , KG4, 27 , 53 , および 54 の爆撃航空 団から引き抜かれた 1 固連隊が供出された。 このほかに , 第 1 長距離護衛戦闘航空団 (ZG 1 ) から Bf110G ー 2 を装備した戦車攻撃飛行中隊 と , ようやく作戦可能の段階にはいったユンカ ース Ju87G ー 1 ( 37mmFlak18 カノン 2 門を主翼下 にぶらさげて、、タンク・クラッカー ' ' と異名を とった ) の 2 個飛行中隊が , ワイス中佐の指揮 ドイツ空軍のユンカース」 u87 シ、ツーカ のもと , 第 1 , 第 2 急降下爆撃航空団から参加 する , という堂堂たる陣容であった。 ディーター・ゲアハルト中尉は , 乗機 Bf109G のキヤノピー越しに戦場上空を見まわした。敵 機はまだその機影をあらわさない。 「よし , 幸先いいぞ。もっとも , 出て来ても 叩き落とすだけのことだ」 彼はエンジンの回転計 , 燃料残量をチェック する。燃料は充分だ。彼の眼下を高度差 1 , 000m で Ju87D の大群がいなごのように見える。ダイ ムラー・べンツ DB 605A 工ンジンは快調に回っ ている。高度約 5 , 000 皿もうすぐ敵陣地上空だ。 シュッーカがつぎからつぎへと急降下して行く。

6. グラフィックアクション 第1号

ヤコプレフ Yak ー 9 戦闘機はソ連空軍の第 2 次大戦での主力戦闘機として活躍した。名設計者 A ・ヤコプレフの設 計したヤク系列戦闘機は , ヤクから始まり , ヤクー 3 , ヤクー 7 そしてヤクー 9 まで用途別の性能の向上をはかり , ロシアの上空から , ドイツ空軍機を駆逐していった。ヤクー 9 はスターリングラード戦で大量に出現。クルスク 戦でも , 12 ー 2 , Pe-2 を援護してドイツ空軍機とわたり合った。とくに中・低高度での・性能にすぐれていた。 タンにかかっているのをプロイス少尉は知らな は燃料の欠乏だった。もともと補給線は他国領 かった 内深く伸び切っている。それに空軍決戦の激し ヤクー 3 の 2 黼包 1 門 , 12.7m 充 2 挺がいっせ さは , 当初ドイツ軍指導部の将軍たちが考えて いに火を吹いた。射弾はます左のエンジン・カ いたような甘い判断を越えたものになり , ソ連 ウリングを吹きとばした。工ンジンから発火 , 空軍の力が質・量ともにドイツ空軍を越えはし 次の瞬間防弾ガ、ラスに集中 , キヤノピーは枠を めると , 燃料の欠乏はがぜん急を告げた。 残して飛散した。プロイス少尉は背あての防弾 ドイツ軍飛行場を空襲するソ連機は , その数 鋼板のおかげで直撃されなかったものの , コク を増してきた。昼間はヤクー 9D 戦闘機が , Pe-2, ピット内を跳ねまわった銃弾のために , 数カ所 I ト 2 を援護し , あるいは少数機で飛行場を掃射 して行った。夜間はまた , 旧式の U ー 2 複葉機ま に重傷を負った。 次に攻撃位置を占めた別のヤクー 3 の集中砲火 でが小型爆弾で飛行場を襲撃し , 在地機や燃料 は , 再び左ェンジン付近の主翼に命中 , 大口径 タンクを炎上させ , 兵員を多数死傷させた。 ソ 弾の度重なる打撃に , さしも頑丈な主翼構造も 連空軍には燃料の心配はなかった。 粉砕され , 上方に折れ曲り , 切れて後方に飛び このため , ただでさえ不足がちの航空機を , 去った。すでに多量の出血で意識を失いかけた あちこちの増援・救援に分散して派遣するはめ 少尉は , そのまま機体と共に落下し , ロシアの になったのと重なり , この方面での制空権はし 大地に激突 , 機体は地中に深くめり込み , 彼は だいにソ連空軍の手中に収められ , また , それ によって地上戦闘は , ソ連軍の優勢がいよいよ 戦死した。 明らかになっていった 燃料が足りない / ドイツ軍は大きな犠牲を払って , せつかく獲 得した陣地から退却をするはめになった。 , 激烈な空中戦闘が続き , 可動機数が減る一方 して 7 月 23 日 , ついにヒトラーは、、ツイタデレ のドイツ空軍を悩ませるもうーっの問題 , それ 54

7. グラフィックアクション 第1号

△ドイツ軍 Sd . Kfz. 2 引型重装甲 8 輪 駆動車の砲塔ハッチを開いて身をの り出す戦車隊の軍曹 , ヘッドホーン をかけている。ボタンホールには 2 級鉄十字章の略綬を着用している。 Sd. Kfz. 2 引型重装甲車は 5 田 , 8 輪駆動で , その旋回砲塔には 55 口径 20mm 機関砲 30 型を装備していた。そ して戦車師団の機械化偵察隊で , 威 カ偵察などに活躍した。 ドイツ軍 Sd. Kfz. 2 引型重装甲車の内 部 , ヘッドホーンをかけ戦闘記録を つける乗員 この重装甲車は 8 輪駆 動 , 出力 5 甲のエンジンで , 最高速 度は 85km / h , 300km の行動距離を持 っていた。旋回砲塔には 20 mm 機関砲 30 型を搭載し , 威力偵察などに多用 された。乗員は 4 名。

8. グラフィックアクション 第1号

.. 第気おのノ をいい クルスクの戦いで , 破壊された 0 重加農砲 ? のそばのドイツ兵。 マ西部方面へ移動するソ連軍。手前にドイツの 37mm 対戦車砲が見える。

9. グラフィックアクション 第1号

整列したドイツ軍 3 号 / 4 号自走砲 " フンメル " 3 両と , 後方は 3 号突撃砲。 " フンメル " は 3 号戦車と 4 号戦 車の部品を多用した車体に , 30 口径 Omm 榴弾砲田月型を搭載した自走砲で , それの最大射程は一万 3.300m で あった。 3 号突撃砲は , 3 号戦車の車体に長砲身 43 口径 75mm 戦車砲 40 型を装備して , 装甲を施した装甲自走砲で , 旋回砲塔を持たない不利はあったが , 車体に比べて大型の砲が積め , 製作も簡単で , その姿勢も低いなど有利 な点も多かった。 ドイツ軍 3 号突撃砲の一撃により , ソ連の T ー 34 戦車は黒煙を吹き擱座した。 3 号突撃砲の主砲 43 口径 75mm 砲の 砲口には , 2 重作動式砲ロ制退器が見られる。防楯の後ろの機銃は MG42 型で , 補助装甲スカートの内側に , 予 備の転輪が見える。

10. グラフィックアクション 第1号

△ソ連第 65 軍の幹部。左から G ・グリシコ大佐 , H ・ガニエフ大佐 , p ・バトフ中将 , N ・ラテッキ ー少将。 < 機関銃を握るヤコプ・セルゲービッチ・ア スタホフ中尉。この人は , アレクサンドル・ ネフスキー勲章を受けている。 69