ま は MG34 機関銃で攻撃態勢のドイツ空挺隊マシンガン・チーム。壊れた風車がオランダである事を示している。 す無傷であった。地上では , 要塞南部にある兵 舎をかねた建物に守備隊がたてこもり , 猛烈な 機銃火を放っている。 さらに命令が飛び , 近くに残っているトーチ カからの砲弾が , ひとにぎりのグラニート隊を ねらって撃ち出され始めた。ジョトランは自分 の地下壕の頭上を砲撃するよう命じたのだった ト隊第 8 班の班長ウンガ、一軍曹がや られた。部下は制圧したトーチカのなかに逃げ こむ。いまや部隊すべてが浮き足だっているの だった。 70 名にも満たない部隊が必死に防戦す る。危険だ。敵は 10 倍以上の兵力を有している のである。 第 第 ある。 しかし , 彼らは見捨てられなかった。第 2 急 降下爆撃航空団と第 2 教育航空団第 2 ( 襲撃 ) 大 隊の爆撃 , 襲撃機隊が救援に駆けつけてきた。 けたたましいサイレン音をひびかせて Ju87 「シ ュッーカ」が急降下に移り , ベルギー軍の砲兵 陣地が一瞬揺らいで白い煙につつまれる。 この力強い味方の援護を得てグラニート隊は , ふたたび爆破作業にとりかかった。地下通路を 分断し , コンクリート外壁を爆破するのだ。そ して , 部隊は果敢に働いた。 エバン・エマール要塞陥落 アルディンガー高射砲大隊と空軍機の支援に よって確保した橋頭保は , すべてもちこたえた。 翌朝午前 7 時 , 最後まで孤立していたエバン・ ート隊も , 陸軍の先遣部隊で エマーノレのグラ ある第 4 機甲師団第 151 歩兵連隊のミコシュ中 佐率いる第 51 工兵大隊と合流し , 正午に至って , 残りのトーチカ群に対する攻撃が開始された。 そして , ついに午後 1 時 15 分 , 白旗がふられ , ジョトラン少佐とその部下のベルギー軍守備隊 約 1 , 20() 名が , ドイツ軍の前に降伏した。 鉄壁の要寒エバ たひとにぎりの部隊によって , ン・エマールはわすか一日・あまりで陥落したの である。 救援来たる そうしたさなかの午前 8 時 30 分ごろ , 銃砲火 の飛び交うなかをグライダーが 1 機突っ込んで きて着陸した。部隊が捜し求めていた指揮官ビ チヒ中尉のグライダーであった。 ビチヒは早速部隊を掌握したが , 事態は依然 として緊迫していた。アルべール運河では爆破 されてしまったカンネの橋梁を除き , 他の 2 橋 梁は確保に成功して橋頭保を築いていたが , そ れらの上也 . 点とエノヾン・エマールのグラー ート隊 がこもるトーーチカに対して , ベルキ、一軍の猛烈 な砲火が , 絶え間なく降りそそがれていたので 29
ををう第こ 石田仁 薬がとりつけられて , 敵の侵入が起きた場合即 座に爆破のスイッチが押される準備がなされ , 運河一帯の守備部隊であるべルギー第 7 歩兵師 団の監視哨 ( しよう ) も強化されて , 24 時間監 ベルギー軍防衛線 視が続けられていた。そして , さらにそれを背 後から援護するのがエバン・エマール要寒であ 1940 年初頭 , 予期されるドイツ軍の侵攻に対 った してベルギー軍の総司令部である大本営は , オ エバン・エマール要塞は , 1930 年代になって ランダ国境に近いアルべール運河でドイツ軍部 からアルべール運河と共に作られた近代的な要 隊の渡河を阻止し , エバン・エマール要塞の砲 要塞システムの北の端に位置 火をもって敵を運河の対岸地点でたたいて , 救 塞で , リエージュ し , その機銃火はカンネの橋梁を含めたアルべ 援に出動する予定の英仏連合軍主力部隊の到着 ール運河一帯をその射程内に置いていて , 砲火 まで , 敵を首都プリュッセルへ寄せつけない , はさらに遠方を制圧することが可能だった。 という防衛構想をたてていた。 要寒は 2 辺だけが長い 5 角形をしていて , 南 アルべール運河にかかる橋梁群にはすべて爆 ルギー国内アルべール運河の橋梁群と , ベルギ ーが世界に誇る国境の近代的大要塞エバン・エ マールの制圧であったのだから。 25
< 2 脚架にのせた M G 42 機関銃を構える降下猟兵。 M G 42 は , M G 34 多目的機銃に代わって円 43 年から 空挺部隊に支給された機関銃で , 口径 7 . 92mm , 発射 速度は毎分 200 発以上にも達し , 現在も西ドイツ陸 軍が G ー機関銃として装備するほどの傑作機関銃で あった。
M G 34 機関銃を肩にした降下猟 兵。 MG34 の 2 脚架や冷却機構 , ヘルメット・ベルト , 両胸と両 ひざに付けられた大型ポケット , 手袋 , それにべノレトのノヾックノレ などがよくわかる。
降下を ' 挺部隊用 0 衣服 , ~ メ、 , ト , 靴な どは陸軍や親衛隊のものとは全く異なり : ' そ の任務のはげしさを考慮して機能的にデサイ ンされたものであった。そして , 兵器などの 装備もつねに他の部隊より優先されていた
ベル岱に ( がは兮み 、 4 を・はト 携 ' てる 、 0 は 弾
ユノカナス」 u52 3 発輸送機から大空へ散開 したパラシュートの群れふまるでタンポポの タネのようだがに降下猟兵のゆぐととろ常に 、 ~ 待ちうけるのはに高射砲弾が炸烈し機銃カ 0 多 火を火ぐ最前線の地獄なのである。 = =
銃剣を つけた K 8K 騎銃を肩に行進する 空挺部隊 0 。優な志願兵・ = よ。て編成 された降下猟連隊 , ドイ、 , 空軍中、、も , 最も精強な部隊 して矢ロられていた
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ドイツ空挺師団の兵士。 パラシュート部隊用の スチーノレ・ヘ丿レメット は改良型のツ / ヾの矩い もので , 側面に , 飛ん でいる鷺をテサインし た言己章をつけている。 マ円 43 年 9 月貶日 , オ ットー・スコノレツェ ー SS 大尉指揮のもと , イタリアのアベニン山 脈中にあるグラン・サ ッソに捕われの身とな っていた統領べニト ムソリーニの救出作戦 が敢行された。写真は 救出されたムソリー を乗せ , フイゼラー シュトルヒ連絡機が救 出隊員の見送りを受け て , 山腹より出発せん とするところである。