( 戦いの斧 ) 作戦 央の戦車はⅣ号戦車の F2 型のようである。 平原を , 歩兵部隊が黙々と前進してゆく。中 戦車部隊が展開するとめどもなく広い砂漠の 鈴木のりひさ 1941 年 5 月 18 日 , この時点では両軍共に ルファヤ峠を除いて , スタートに逆戻りしてい る状態といってよかった。 ヘルフ機動部隊 ヘルフ機動部隊の奇襲作戦で , 5 月上旬 , ノ、 ルファヤ峠がドイツ軍のものになり , 中旬には また , イギリス軍の手中に落ちる。そんなくり 返しの戦闘が , ハルファヤ峠で行われていた ノ、ルファヤ峠は , それだけの価値が十分にある 重要拠点なのである。 もっとくわしくいえば , サルームからエジプ トまで , 東南方に標高 180m ぐらいの断崖 ( だん がい ) が続き , これを通り抜けることが可能な のは , サルーム峠とハルファヤ峠の二つしかな ハルファヤ峠からは , この二つの い。しかも , 通路のいすれもがはっきり監視できるのである。 当然 , イギリス軍がエジプトからの攻勢にで ドイツ軍にとっても , る場合の補給路となり , その補給路を断っことは最重要ポイントとなっ てくる。 5 月 26 日 , ロンメルから「ハルファヤ峠を奪 取せよ」の命令がヘルフ機動部隊に出された。 クラーマー中佐の第 8 機甲連隊が , 救援のため に配属されている。 翌 27 日 , 攻撃が開始された。北からはクラー マーの第 8 機甲連隊が , 第 104 狙撃兵連隊第 1 大隊は徒歩で正面から , さらに陽動作戦として , 43
彩った軍用機たち 伸 空軍は奮戦したといえるだろう。 対 1 以上と多く優勢だったのだから , イギリス 源三 がって連合軍に宣戦し , 地中海の戦いはいよい もっとも , イタリア空軍の方が機数の上では 4 ア空軍とイギリス空軍の旧式機たちであった。 地中海の戦いの初期に登場したのは , イタリ イタリア空軍 機の代表的なものを挙げてみよう。 イツ , イタリア枢軸空軍と , 連合国空軍の軍用 った 。北アフリカと地中海の戦場で活躍したド 権を失うものは , アフリカの戦いを失う者であ 定的に重要な補給路だった。地中海の制空・海 地中海は北アフリカで戦う両軍にとって , 決 の独裁者ムソリーニは , よその幕を開けた。 ドイツとの協定にした まず , イタリア空軍だが , イタリアが参戦し たとき空軍は , ちょうど空軍用機材の近代化計 画を始めたばかりのところで , 戦争はこの意味 で , 空軍にとって早く始まりすぎたといえる。 戦闘機の主力は複葉単座のフィアット CR42 であつな。 CR42 は , 戦闘機の様式が複葉単座か ら全金属製単葉単座へと移行する直前の機体で , イギリス空軍のグロスター・グラディエーター やソ連の I ー 15 などに対応する戦闘機だった。北 アフ屮カ , 地中海方面の戦場では , 初期には最 も使用機数が多く , グラディエーターと格闘戦 を行った。中期以降は戦闘爆撃機として , 対地 85
ル・アクス イギリス軍機甲部隊は , ハバタ地区から前進 を開始し , サルーム西方約 l()km のカブツツオに 攻撃をしかけてきた。カブツツオのドイツ拠点 守備隊およびヘルフ機動部隊は , いすれも大き な被害をうけ , 北方に圧迫されてきた。それか らの数日間 , 両軍はそれぞれの思惑から , 消極 的な戦法をとっている。 ドイツ軍は第 15 戦車師団の到着を待っことに よる戦力増強。一方 , イギリス軍も全く同し目 ハルファヤ峠の守備隊を残して , 全部 的から , 隊を後退させた。 そのころ , マチルダ戦車 180 両と , イギリス の誇る快速戦車 100 両を積んだ特殊輸送船団が 地中海を進行中だったのである。 況 情 1941 年 5 月 15 日の早朝 , イギリス軍はサルー ム付近のドイツ軍に攻撃を開始している。トプ ルク戦線の攻防は , そのまま約 120 はなれた サルーム , ハルファヤに移動しはしめていた。 ドイツ・アフリカ軍団をトプルクまで追い戻し , トプルク要塞 ( ようさい ) をカラメ手から攻めて , 包囲陣を解く作戦である。 バトル・アクス ( 戦いの斧くおの > ) 作戦と命 名したチャーチルの腹づもりは , まさに戦いの 斧をもって , ドイツ軍に大打撃を与えようとす るところにあった。守勢にあまんしていたイギ リス軍の , 大反撃作戦といえる。 42
を 第 進撃して来るイギリス軍の Mk. Ⅱ歩兵戦車「マチルダ」 決戦 / ハルファヤ峠 6 月 15 日の午前 4 時をまわったころ , リリ からいっせいに弾丸が吐き出された。命中 / 発射音が空気をひきさき , 陣地の砲という砲 「撃て′」 的はマークⅡ戦車である。 彼の指示であった。 っていた 「ひきよせるだけ , ひきよせろ」が 砂しんがみえる。バッハ隊長は 88mm 砲の横に立 工ンジン音が大きくなり , 双眼鏡内に黒点と は , 70 度以上にもなるはすである。 度 ( 摂氏 ) となり , 太陽に焼かれた戦車の鉄板 あたりは昼間である。気温は , まもなく 41 ~ 2 るいか , 暗いかであり , その中間はない。 アフリカの昼と夜は , 電燈の点滅のように明 りがたい音である。 ことから解放された彼等にとっては , むしろあ に , 戦車のエンジン音がとびこんできた。待つ マルレンを聞いているハルファヤ峠守備隊の耳 こではイタリア軍の戦いもみごとだった。 クケースがもぎとられた。 88mm 砲の威力である。 マークⅡの下腹がむき出され , 鋼鉄製のクラン の群れ。 場を攻めこんでくる。やがて太陽が沈み , 戦い 11 旅団 , イギリス第 22 近衛旅団がまっ平らな戦 イギリス歩兵の突撃がはしまった。インド第 ついて撃っている。 パルディ自身も砲にしがみ 兵隊がねらわれた。 はハルファヤ峠に降りそそぎ , 特にパルディ砲 太陽は地平線にまもなく沈む。しかし , 砲火 補給基地として手中におさめたいのである。 ントを奪い , 海岸道路を制圧し , サルーム港を イギリス軍も執ようだった。この最重要ポイ ものだったようだ と呼んだのは , シャレにしても実感のこもった ハルファヤ峠をへル・ファイア ( 地獄の炎 ) 峠 のかもしれなかった。これ以後 , イギリス兵が 包み込む 88mm 砲。それは , まさに地獄の光景な 車や進撃するイギリスの歩兵を , 火炎と砂煙で ドイツ軍陣地の前で燃えあがるイギリスの戦 Ⅱなのである。 は , まともにねらってはビクともしないマーク マークⅡの腹ばかりをねらっていた。 2()mm 砲で がらも沈着に行動するパルディ少佐の指揮下で , パルディ砲兵隊は , イギリス軍の砲火をあびな
杉浦 康 るのだろうか ? 残るものは陣地戦であり , そ れは地雷と鉄条網の戦いである。 アラメイン戦線 アラメインの戦線は , 地中海とカッターラ低 地の中間にある。カッターラ低地は地盤か軟弱 で , 大きな車両部隊の通過は不可能である。そ の点では , 北アフリカにおいて , 南側から包囲 攻撃を行えない陣地の数少ないーっである。 通常 , イギリス軍の攻撃定石として , ます , 正面攻撃をして兵力を釘 ( くぎ ) づけにし , その 間に南側から包囲攻撃を加える , というのがあ るが , これはますむすかしい。したがって , イ ギリス軍としては , どうしても正面から攻撃し て , 突破口をつくらなければならない。 一方 , ドイツ軍としてはこの攻撃さえ食い止 めれば , その間に主力機甲部隊をイギリス軍の 正面に向けて戦うことができる。イギリス軍は かくれ場のない所から攻撃するのに , ドイツ軍 は陣地内から砲撃ができる。それには , 陣地周 辺を強化する必要があった。 地雷のふちかざり アラメイン陣地の構築は , やがて必すくる戦 いの地獄模様をいろどる , 地雷のふちかざりを 主な仕事としていた。地雷の敷設である。 防衛計画のあらましはこうである。各部隊を 陣地に配置し , イギリス軍の攻撃を受けた場合 , 27
の斧作戦の第 1 日目が終わった。 この日 , 午後からタ方にかけてイギリス軍は バルジア南方を攻撃して カブツツオを包旧し , いる。 2 0 8 基地 6 月 16 日の太陽が昇ると , 前日からの戦いが ハルファヤ峠での戦車 またもやくり返された。 戦 , 歩兵戦 , そして , イギリス軍はバルジアの ロンメル第 15 機甲師団を攻撃している。 この日 , イギリスの中央戦線突破は成功した かにみえた。カブツツオとムサイトは陥落し , イギリス第 7 機甲師団はドイツ第 15 機甲師団に 迫り , ドイツ軍はそれを阻止できなかった。 第 1 段階の作戦がほは、うまくいったところで , 問題点は二つにしは、られてくる。ーっはハルフ ァャ峠を奪回すること , もうーっは砂漠の迂 ( う ) 回作戦を成功させることである。迂回作戦が成 功すれば , ドイツ軍の第 15 機甲師団 , 第 5 軽機 甲師団の背後をついて , これを徹底的に痛めつ けることができる。 このポイントは , 迂回の際に絶対通過しなけ ればならないサルーム戦線の , 最南端にある 208 Sd. Kfz. 7 8 トン・ハーフ・トラックに牽引される , と呼ばれるドイツ軍基地を占領することにある。 かし , これも基地 30()m 手前の機銃弾幕でストッ アラブ人基地を基点としたこの小さな砂漠の プがかけられてしまう。戦場には 28 台の戦車の オアシスは , イタリア歩兵 , 工兵 , それにドイ ツの 1 中隊が作りあげたものであり , 指揮官は 残がいがくすぶっていた ドイツ軍に幸いしたことがある。本部との連 パウレヴィッツ中尉で , 第 1 オアシス中隊 , 機 絡がとれ , 飲料水 , 食糧 , それに弾薬が補充さ 関銃 1 個分隊 , それにツィーマー中尉の 88mm 高 れたことである。もし , この通信連絡がとれな 射砲 1 個中隊で全部である。前日 , この基地と かったとしたら , 88mm 砲の徹甲弾も残り少なく 第 15 オートバイ大隊との電話連絡が絶え , 孤立 なった基地に , 明日はなかったはすである。 した状態になっていた。 翌 16 日 , オアシス中隊は十分な弾薬と食料を 16 日早朝 , イギリス第 7 機甲旅団が接近して 背中に , イギリス軍の攻撃を待った。が , 攻撃 きた。急速に明るさをましてきた砂漠の中を , はなかった。 すさましい砂じんをあげてやってくる。 ノヾウレ ヴィッツは 88mm 砲へかけより , そこで 30 台の戦 戦いの斧の終わり 車を双眼鏡で確認している。 ハルファヤ峠も 208 基地も , 最後まで守り抜 ひきよせるだけひきよせて 88mm 砲が火を吹い かれ , イギリス軍の手中に落ちなかった。戦い た。マークⅡの最大のにが手 88mm 砲の前に 11 の斧作戦は失敗したのであった。 台が早くもその餌食 ( えしき ) となった。戦況不 ハルファヤ峠のパルディ砲兵隊は , 弾が残り 利とみたイギリス軍は , 戦車をひっこめ , しば 少なくなると , 古いイタリアの砲弾をみがき , らくは砲撃戦が続いたのであった。 油を塗って使用し , イギリス軍を寄せつけなか 午後 , 第 2 回目の戦車攻撃が始まった。第 7 った 機甲旅団あげての攻撃だったが , またもや 17 台 「 6 月 17 日 , すべてがますくなってきた。そし のマークⅡがやられ , 押しもどされている。 て , わが攻撃は失敗に終わった」 勇猛なイギリス歩兵の突撃が開始された。し 第 . を嶐当戔を 46
第を第愛を言 : ドを安ををドなをッ 第い第、・い 威力を発揮したドイツの 88mm 高射砲。問に見えるのは , 英軍から捕獲したカナダ製 FGT 野砲牽引車。 チャーチルはそういっている。 らいともいうべき一大戦車戦は , ドイツ軍の勝 6 月 17 日の戦況をもう少し追ってみよう。 利となったのである。 ド イツ第 5 軽師団は午前 6 時ごろ , シジ・スレイ この戦いの勝利は , 二つの重要なポイントを マン付近に進出した。同じく , 第 15 戦車師団は 死守した兵士たちの勇気を第一にあげるべきだ イギリスの援護部隊を奇襲している。 ろう。しかし , わすれてならないのは兵器のカ この時点でドイツ軍は , イギリス軍の無線を である。特に 88mm 砲の威力が , どれほどドイツ 軍の危機を救い , 同時に , イギリス軍を痛めっ 傍受し , 彼等が重大な危機に陥ったと報告し合 い , イギリス第 7 機甲師団長が , 北アフリカ砂 けたかを。防御に立った側が , 強固な要塞も持 漠のイギリス軍最高司令官に , 師団司令部に来 たすに勝利をおさめるには , 強力な火器がどれ ほど重要かを知る一つのケースといえるだろう。 るよう要請しているのを知っていた 最後に , 双方の戦果について , 戦争を知る上 午前 9 時 , ドイツ第 5 軽師団 , 第 15 戦車師団 この戦闘でド で興味ある数字をあげてみよう。 がハルファヤ峠へ進撃し , イギリス軍を包囲網 イツ側は , イギリス戦車破壊を 220 以上といい , に包みこむ作戦に出た。 ハルファヤ峠に着いた わが方の損害戦車 25 両といっている。実際には のが午後 4 時 , 部隊は北方へ並列で前進したが , イギリス側では , ドイツ これはますい作戦で , 包囲どころか , かえって 87 両である。さらに 戦車 100 両近くを撃破していると発表している イギリス軍の残存兵力を逃がしてやる結果とな が , 実際には使用不能 12 両 , 中破 50 両であった。 り , イギリス軍は大打撃をうけすに東方へ撤退 損害の見積りは , 双方がどうしても過大に見 している。 がちである。それを意識的に行ったのが , いわ カブツツオのイギリス軍は , 集積資材に火を ゆる大本営発表であるが , これは , そうではな はなち , 燃料欠乏のため動けなくなった車両を く , テンボの早い戦闘における常に起こる双方 そのまま砂漠の中に置きざりにして徹退して行 の損害過大評価である。 った。 72 時間の戦闘が終わり , 砂漠始まってい 第年新気ををいド朝、朝ト当喞秘、笋。外ら物物 4 、 47
0 イギリス空軍のプリストル・ポーフォート双発爆撃機。・爆撃機の傑作の一つで , 地中海でも活躍した。 かったが , アメリカ製の援英機マーチン・メリ イタリアは 6 月から 9 月までの 4 か月間に ーランド双発爆撃機を偵察機に現地改装し , イ 実に 35 万トン余りの船舶を失い , イタリアの外 タリア空軍と海軍の動きを写真に撮りまくっオ 相チアノは , 9 月 25 日 , 「イタリア海軍は甚大な また , ホーカー・ハリケーン戦闘機から機銃を 損失は続けられない , いっそのこと , キレナイ すべてとり外し , カメラを搭 ( とう ) 載して短距 力とトリポリタニアからは撤退した方が良い」 離の写真偵察機に転用した。 と日記に書いたはどであった。 こうして , イタリア本土の港湾と地中海を航 もちろんドイツ空軍は , マルタ島とこの島を 行中のイタリア , ドイツの船舶の動きを「いっ 基地とするイキリス空軍に全力をあげて襲いか どの船が , 何を積み , 何を降ろしたか」克明に 1941 年 12 月から , 猛烈な戦いがマルタを 己録する活動を行ったのである。 めぐって行われるのである。 その結果 , 写真偵察によって敵の船舶が北ア スピットファイアの活躍 フリカに向かって出航するや , イギリス空軍は 即座にプリストル・プレニムやプリストル・ポ ヾトル・オプ・プリテン ( 英国の戦い ) で , イギリスをドイツ空軍から守ったスピットファ ーフォート , マーチン・メリーランドなどの双 発爆撃機群をマルタ島やその他の基地から飛び イア戦闘機は北アフリカでも活躍したが , マル タ島を中心に地中海 , 北アフリカの戦いを有利 立たせ , 輸送船団を沈めてしまう方法をとった にしたのも , また , スピットファイア写真偵察 のであった。 その年の 2 月 , 北アフリカに着いたロンメル 機だった。 イギリス本土を基地とする戦略偵察部隊には , と彼のドイツ・アフリカ軍団は , 1941 年の 9 月 全木製 , 高性能のデ・ハビランド・モスキート までに , 武器 , 弾薬などの装備や補給品の半分 を海上輸送中に失っている。 偵察機が配備され始めていたが , 1942 年春の地 一三ロ 77
このように陣地に設置すれば 北アフリカで誰ひとり知らぬ者のない 88mm 高射砲の砲撃。姿勢の高い 88mm 砲も , カムフラージュは完全だ。砂漠ではかげろうの作用で , 地上ー m 程のものは田 0m と離れないうちに全く見えな くなってしまうのである。 ス戦車のエンジンがうなりはしめた 第 5 機甲連隊が南南東に配備された。 一方 , ハルファヤ峠では , ドイツの工兵が陣 正面から徒歩攻撃を加えた第 104 狙撃兵連隊 地の補給に汗をながしていた。塹壕 ( ざんごう ) は , 当初の指揮官を失い , 中隊長のウイルヘル やタコつは、を堀る作業以外に , 88mm 砲のすえ付 ム・バッハ大尉がその後任になっていた。通称 けという大仕事があった。 ドイツェ兵は , これ 「牧師」 , 実のところ , 彼は本物の牧師だったの には特に念を入れている。 である。自分でできないことは人に要求せす , 砂漠 ( さばく ) 特有のかげろう現象で , 地上か 命令もしないこの軍人を , すっと後になってか ら 1 m 位まではほとんど見えないが , それより らイギリスの新聞では、、ハルファヤ峠の英雄 ' ' 高くなると , 逆に実物より大きく見える。これ と呼んでいる。 を利用して , 88mm 砲の台座は穴を堀って作られ , 正面で立ち向かうイギリス軍は , 彼等の誇る 砲身が 1 m 以内の高さにあるようにする。偽装 精鋭ゴールド・ストリーム第 3 大隊だったが , 装備である。 この古風な第 104 狙撃兵連隊の銃剣をかざした ハルファヤ峠の守備隊長バノハ大尉に , その 突撃にとまどいながらも , しばらくは持ちこた 前日の 14 日夕刻 , 野戦電話がかかってきていた えたが・ 峠はふたたびドイツ軍の手にかえり , 来たる のであった。 「様子がおかしい , 敵の攻撃がある。今夜か明 べき時のための強化が始まった。チャーチルの 早朝だ」 いう「戦いの斧」が振りおろされるまでには , イギリス軍の攻撃は , 海岸沿いの平地と高原 まだ 3 週間ばかりあった。 の両方から , 広い正面にわたり攻撃してきた。 バトル・アクス・ D ティ 午前 11 時には , ドイツ軍も応戦準備を完了して 1941 年 6 月 15 日午前 4 時きっかりに いる。 イギリ 44
敵によって , 味方によって , 降りそそがれる 爆弾の雨。砂漠の戦いには制空権が絶対に必 要だった。そこでは空からねらわれたが最後 , 地上の部隊が身を隠すようなものは何ひとつ 当物第、物幇を物や 第嶹ト物 な卩・物ドな ないのである。 イギリス空軍の戦闘機に撃墜されたユンカー ス Ju87 シュッーカ急降下爆撃機の残骸と , 確 認のためにやってきた英軍のダイムラー カウトカー。フランス電撃戦で華々しい活躍 を見せたシュッーカも , 北アフリカでは低速 のため , 損害がふえるばかりだった。