北アフリカ - みる会図書館


検索対象: グラフィックアクション 第28号
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1. グラフィックアクション 第28号

モケイのペ ソ連軍の重戦車 KV ーⅡ 型戦車。大きな箱型の 砲塔が奇妙なスタイル を作る KV ーⅡは , 火力 支援戦車として設計さ れた重戦車て , 主砲に 152mm 榴弾砲を搭載し , 前面 110mm , 側面て 75mm 厚の重装甲を採用して いる。プラモデルはタ ミヤから , 1 / 35 スケー ルのミリタリ チュア・シリーズて発 売になっている。 独・ソ戦を勝利に導い たと言われるソ連軍の T ー 34 / 76 戦車 1943 年型。 第二次大戦中に 4 万台 近くが生産され , クリ スチー・スタイルから 発展した走行装置 , 傾 斜装甲の採用による避 弾効果の増大など , ス ピード , 火力 , 防御カ の優れた戦車てあった。 プラモデルは 1 / 35 スケ ールて , タミヤから発 冗されている。 第を嚶第第物第 # クラフィック・第ニ次大戦・アクションバックナンバー を第” 25 ーー第部隊 〇第 1 号史上最大のクルスク戦 ロ第 2 号北アフリカのロンメル」 〇第 3 号モスクワ侵攻台風作戦 ロ第 22 号激闘 / 東部戦線の情景 ロ第 21 号ナ彳麺ライン川突破作戦 ロ第 20 号砂漢の狐クロンメ ) い ドイツの電撃作戦ーバリ陥落 ドイツ軍 / イタリアで敗走 △第 17 号ヒトラーと第 3 帝国の興亡下 ドイツ・ V ロケットと秘密兵器 第 1 5 号ナチス・ドイツ海軍の最期 △第 14 号ヒトラーと第 3 帝国の興亡上 〇第 13 号壮烈 / ベルリン攻防戦 〇第 12 号ヒトラーとスターリングラード」 〇第 11 号ノルマンジー上陸作戦 x 第 10 号大西洋の IJ ポート作戦 〇第 9 号北アフリカに連合国軍 〇第 8 号最後の決闘バルジ作戦 〇第 7 号モンテカッシノの戦い」 〇第 5 号モントゴメリーの登場 〇第 4 号バトル・オプ・ブリテン」 ロ第 16 号 O ロ第 19 号 ロ第 18 号 第 26 号栄光のドイツ機甲軍団 ロ第 25 号激戦 / アフリカ戦線の情景 ロ第 24 号寄襲 / ドイツ空挺部隊 ロ第 23 号戦うナチス武装親衛隊 ☆各 B 5 判定価〇印 430 円 x 印 * 送料は 1 冊 160 円 , 2 ~ 3 冊 28 円 , ロ 株式会社文林堂 100 4 ~ 5 冊 240 円 , 6 ~ 7 冊 280 円。ロ第 27 号「史上最大の作戦 / ルジーの情景」 500 円△印 550 円ロ印 450 円

2. グラフィックアクション 第28号

第二次世界大戦のヨーロッパ戦線のドラマを、豊富な写真と読物でド キュメンタリーに誌上に再現したグラフィック・アクション誌です。 GRAPHIC AC ON 0 ド WARLD WAR 物第ヤ ~ 。 - 戦 ~ を第 , 物に宿ー′に物い ロ第 19 号「ドイツの電撃作戦ーパリ陥落」 第 20 号「 " 砂漠の狐 " ロンメル」 ロ第 21 号「ナチ最後ライン川突破作戦」 ロ第 22 号「激闘 / 東部戦線の情景」 ロ第 23 号「戦うナチス武装親衛隊」 ロ第 24 号「奇襲 / ドイツ空挺部隊」 ロ第 25 号「激戦 / アフリカ戦線の情景」 ロ第 26 号「栄光のドイツ機甲軍団」 ロ第 27 号「史上最大の作戦ノルマン冖景」 1 9 BIitzkrieg 20 Rommel 2 1 Rhein Operations 22 War in the East 23 Waffen-SS 24 German airborne troops 25 African Desert Front 26 Panzerkorps 27 BattIe for Normandy x 第 1 0 号「大西洋の u ポート作戦」 第 1 号「史上最大のクルスク戦」 第 2 号「北アフリカのロンメル」 〇第 1 1 号「ノルマンジー上陸作戦」 第 3 号「モスクワ侵攻台風作戦」 〇第 1 2 号「ヒトラーとスターリングラード」 第 4 号「パトル・オプ・プリテン」 第 1 3 号「壮烈 / ベルリン攻防戦」 第 5 号「モントゴメリーの登場」 △第 14 号「ヒトラーと第 3 帝国の興亡 ( 上 ) 」 第 6 号「レニングラード攻防戦」 〇第 15 号「ナチス・ドイツ海軍の最期」 第 7 号「モンテカッシノの戦い」 ロ第 16 号「ドイツ・ V ロケットと秘密兵器」 第 8 号「最後の決闘パルジ作戦」 △第 17 号「ヒトラーと第 3 帝国の興亡 ( 下 ) 」 第 9 号「北アフリカに連合国軍」 ロ第 1 8 号「ドイツ軍 / イタリアで敗走」 1 0 U-boat Operations 1 Battle of Kursk 1 1 D-day 2 Rommel of North Africa 1 2 Hitler & StaIingrad 3 Operation Typhoon 1 3 Battle of Berlin 4 Battle of Britain 1 4 Hitler & his Third Reich, I 5 Montgomery Of Africa 1 5 Last Day 0f Kriegsmarine 6 BattIe of Leningrad 1 6 V Weapons 7 Battle of Monte Cassino 1 7 Hitler & his Third Reich, Ⅱ 8 BattIe of the bulge, Belgium 18 Nazi Failure in ltaly 9 IKE in Africa 〇ロ〇〇〇〇〇〇〇 ☆各册 B5 判、一総 104 ~ 124 頁 ( カラー 2 ~ 4 頁、・モノクロ写真多数 * 定価〇印 430 円ロ印 450 円 x 印 500 円△印 550 円。送料は 1 冊 0 円 2 ~ 3 冊 200 円 4 ~ 5 冊 240 円 6 ~ 7 冊 280 円となります * 株式会社、文林堂

3. グラフィックアクション 第28号

、当半を 川上しげる 4 発ヤをゞド 1 0 いうかたちでイギリス空軍に軍配があがった。 大戦開始以来 , ドイツ空軍が初めて味わった敗 ドイツ空軍の作戦準備 北であった。 ドイツ空軍は , 1940 年夏から本格的に始まっ このバトル・オプ・プリテンの終わりごろか たバトル・オプ・プリテン ( イギリスの戦い ) に ら , すでにドイツ空軍はソ連侵攻作戦の準備に 取り組み始めていた。各方面から実戦部隊が引 大兵力を集中して , イギリス空軍をイギリス本 き抜かれ , そのうちのあるものは東部方面に移 土上空から一掃することをめざして作戦中であ 駐し , ある部隊はいったんドイツ本国に帰って , った。その他 , 北ヨーロッパはスカンジナビア 兵員の休養 , 機材の更新をしたのち , 割り当て 諸国から , 南は南フランス , さらに北アフリカ , 東はバルカン諸国 , ギリシャまで , 空軍兵力は られた攻撃予定地区へと移って行った。 「バルバロッサ作戦」のためにドイツ空軍は , 展開していた。 いったいどれ位の空軍兵力を割いたのだろう。 イギリス空軍の奮戦と , ドイツ空軍首脳部 , もっとも , わかり易い機数でいえば次の通りに とくにゲーリング元帥の過った指導で , バトル・ オプ・プリテンはドイツ空軍の昼間強襲中止と なる。 のだろう。 89

4. グラフィックアクション 第28号

騎士十字章を付けたドイツ山岳部隊の司令官。山岳師団の象徴であるエーデルワイス・バッジを付けた山岳帽 をかぶっている。山岳猟兵のほかスキー猟兵などもその所属で , コーカサスの山岳地帯でも活躍している。 雪や氷河 , クレバスなどに閉ざされた高峰を進 っている。地下はまさしく石油 , 鉱物資源の宝 庫と言えたが , 地上のほうも殼物や綿花 , 果実 んだ。 類の豊富な , ロシア唯一の楽園の観がある。 挫折して撤退 7 月末から 8 月初旬にかけて , A 軍集団の各 しかしながら , 9 月上句にはドイツ軍の攻撃 部隊は数百にわたるコーカサス大草原の各所 は行きづまっている。山中での , 機甲部隊の活 を快調に進撃していた。といっても , めらめら 躍が期待できないのに加えて , 補給活動がまま と陽炎 ( かげろう ) の立ちのばる猛暑の草原は , ならなかったのがその原因といえよう。 乾燥しているので砂ほこりがひどく , 将兵の苦 痛は砂漠 ( ばく ) のそれと大差なかった。行く先 なにしろ戦場が広がり過ぎていた。コーカサ 先では , イスラム教徒である住民たちが , ドイ ス以外にも , スターリングラードではパウルス ツ軍を解放者として歓迎した。 が市街突入を図っていたし , 北アフリカでは , ソビエト軍部隊としても抵抗はしたけれど , ロンメルがエル・アラメインで局面の打開を考 えていて , どの戦線でも深刻な補充と補給の欠 ドイツ軍の巧みな機動戦を相手ではやはりたち うちできないので , 突破を防ぐためには撤退す 乏を訴えていた。最も重要な瞬間にあるという るよりなかった。そこで , 戦いはその舞台がコ のにヒトラーと最高司令部は , それらのどれひ ーカサス山脈の山岳地帯に移った。 とつにも満足な戦力を与えず , 結局のところみ な挫 ( ざ ) 折してしまっている。 山の中に逃げ込んだ敵を制圧して , トルコ , コーカサスの場合は , 幸いにスターリングラ ベルシャ方面への峠道を手に入れるため , キュ ードやチュニジアのように壊滅という悲劇に見 プラー将軍のドイツ第 49 山岳兵軍団が派遣され , 舞われることなく撤退できたが , それにしても , 8 月下句には山脈に展開される戦闘が今やたけ なわとなっていた。峠道という峠道を , 敵を退 ヒトラーは何も手に入れることができなかった 事に変わりなく , 作戦失敗のそしりをまぬがれ けながら前進する友軍部隊を眼下に見ながら , ることはできないだろう。 山岳兵たちはザイルとピッケルを携えて , 万年 73

5. グラフィックアクション 第28号

みを第ら 第 6 軍 ド イ ツ は : 第 : を - 第 , 物 0 を 集団の最北翼に位置した第 6 軍は , 5 月 12 日の , スターリングラードへ 敵将ティモシェンコ率いる総勢 79 個師団という ドリッヒ・パウルス。 1910 年に旧ドイ 猛攻をよくもちこたえただけでなく , クライス フリ ッ陸軍に入隊し , 第一次大戦終結のあとは陸軍 ト機甲集団などと共にこれを逆に包囲して大戦 再建運動に早くから参画し , 以後は参謀畑を歩 果をあげ , ドン川流域でソビエト軍を一挙にせ き続けて , 40 年 9 月 3 日には , 陸軍総司令部の ん滅するため , 東へ東へと進撃した。 第 1 課参謀次長にまでなった男である。 しかし , ティモシェンコの主力部隊の急速な 職務には非常に忠実で人一倍に力を尽くすが , 後退は計画されたもので , 「プラウ作戦」の目標 決断力に欠けるところがある , と評された。そ のひとつであるスターリングラード西方におい んなパウルスに第 6 軍司令官の任官命令が下っ てのソビエト軍包囲陣の達成のためには , ドイ ツ軍部隊の前途に , 大きな不安と危険が予想さ た。ときに 1941 年 12 月 30 日のことである。 翌 1942 年 , 春から夏にかけてのパウルスの働 れた。 きはめざましいものだった。この年度の攻撃主 これに対してヒトラーは , 7 月 13 日 , 「スター 力とされたフォン・ポック元帥のドイツ南方軍 リングラードを強行占領してポルガ川で敵の背 76

6. グラフィックアクション 第28号

す当角 、第を、第 ドイツ北方軍集団に所属してレニングラードへ進撃した , 第田軍の司令官であったエルンスト・ブッシュ上級 大将。副官と幕僚を連れて前線を視察しているところだろう た。サプスクを占領されたソ連軍は激しく攻撃 も , そのためなのである。 してきたが , 第 1 機甲師団はクリューが一戦隊 ヘーブナーは , マンシュタイン機甲軍団を北 でこれを守り抜いた。 7 月 15 日のことである。 に呼び寄せて攻撃に移ろうとしたが , 北方軍集 ヘーブナーの決断は効を奏したのである。ル 団司令部もまた , 最高司令部にこの作戦を押し ガ下流地域は制圧され , レニングラードへ 115km 通すことができなかった。 の地点に , 最終攻撃基地ができあがったのだ。 レニングラードを目前にしての , ドイツ軍悔 恨の 3 週間が過ぎ , 8 月 8 日の午前 9 時 , 攻撃 が再開された。目標はレニングラード・キンギ 今 , ドイツ北方軍集団はレニングラードを目 セップ・ナルワの鉄道線路南部である。そして , この戦闘が終了次第。全兵力でレニングラード 月リにしている。しかし , こでも , スモレンス クまでを迅雷のごとく奪取した中央軍集団が , を攻撃する , , のである。 いたずらに待たされたと同しものが待っていた 貴重な 3 週間が過ぎたソ連軍の防衛態勢は , ドイツ国防軍最高司令部は , ヘーブナーをルが 3 週間前とは全く比較にならなかった。第 1 日 橋頭保に 3 週間も待たせることになる。 目の攻撃でドイツ軍は手痛い被害を被った。悪 ヒトラーも最高司令部も , 右翼重点作戦に ことにマンシュタインが , 第 16 軍の危機を助 けるために出動を命ぜられ , 戦列をはなれて行 だわっていたのである。つまり , レニングラー ドを南東から大迂 ( う ) 回して攻撃しろというの くことになる。 この後 , 戦史の上でレニングラードの攻撃開 である。しかし , この右翼重点作戦では , 森林 , 沼沢が多くて , 戦車をフルに活かした機動力が 始と記されているのは , 1941 年 9 月 8 日。この 発揮できない。ヘーブナーが左翼から攻めたの 時点より約 1 か月遅くのことである。

7. グラフィックアクション 第28号

ヘーブナーは考えた。右翼に重点を置き , ノ る。戦車の敵 , 湿地である。 ラインハルトはソ連軍を背後から攻めようと , プゴロド方面に進出するか , それともルガ下流 で左旋回を行い , 敵の弱点を突き , ナルワ , キ クリューガー , ヴュストホーフェン隊を向かわ ンギセップ , クラスノグワルジェイスク鉄道に せたが , そこもまた , 右へ行っても左へ行って 平行して , 西からレニングラードを攻めるか ? も , 走行不能の湿地帯であることを知らされる だけだった。破竹の進撃も , こでしばらくス 結局 , 彼は後者をえらんだ。第 1 , 第 6 機甲 トップをかけられることになった。 師団は攻撃の途中で北転し , ルがへの道で歩兵 マンシュタイン軍団に対するソ連軍の抵抗の 師団と交替すると , 北進を始めた第 36 機械化 こでの防衛態勢がやっとわかった。 強さから , 歩兵師団と共に , 悪路への挑 ( ちょう ) 戦が開始 ソ連軍は , レニングラードとイリメニ湖西端の シムスク防備のため , ャムペルクからルガ川に された。 道は泥 ( どろ ) 沼となり , その泥沼街道に延々 沿って , ルガまでを要塞化したのである。 と連なる泥の帯の進軍である。工兵がダムを作 レニングラードへの道 りながら泥沼を通りやすくし , その側面を機械 化歩兵師団がオートバイに乗ったりしながら , ルガー帯を強固な要塞と化したソ連軍だった 突然現れるソ連兵の攻撃にそなえていた。文字 が , ドイツ第 4 機甲集団の偵察は , その弱点を 通り泥まみれの行軍をしつつ第 6 機甲師団は , ルガ上流には兵力が少な 発見したようだった。 第 4 狙撃兵連隊の援護をしながらポレチェを占 いのである。前述したように道路状態が悪いの 領した。 で , ペイプス湖東岸には大兵力を配置していた 第 1 機甲師団もルガ川東岸で橋頭保を奪取し が , そこにはわすかしか配置しなかったのだ。 ぬかるみに苦労するドイツのⅣ号戦車 FI 型。装甲強化によって重量が 22.3 トンに増加したため , キャタピラー が幅 40cm のものになった。接地圧は E 型と同じ 0 . 79k9 /cm2 で , 重量当りの馬力が . 4t / 甲となっている。 4

8. グラフィックアクション 第28号

4 「タイフーン作戦」の発令で , モスクワをめざすドイツ機甲部隊。チェコのスコダ製 43.4 口径 4.7cm 砲を搭載した I 号対戦車自走砲 ( 右 ) と , Sd. Kfz. 2 引に 45 口径の 3. 7cm 対戦車砲 Pak35 / 36 を載せた Sd. Kfz. 2 引 / 田である。 目的は南方軍集団とのドッキングであり , 目標 キエフ陥落 はキエフの攻撃である。 南方軍集団が大激戦を展開しながら獲得した モスクワ前面を固守していたジューコフが , ウマーニ地区によって , キエフ包囲戦のキーポ このドイツ軍の変化に気が付いている。ソ連大 イントが一つできあがった。しかも , 中央軍集 本営は , プリャンスク地区に兵力を集結し始め , 団とのドッキング態勢も , これでほば整うこと キエフに第 37 軍を残して , すべての部隊で防衛 になる。 を固めた。ジューコフは , ドイツ軍はキエフと 南下したグーデリアン機甲師団はロムヌイと 南西方面軍の背後に向かって戦力の移動を行っ プリルーキを奪い , ロフウィ ツアに迫った。 ていると考えたのである。 1941 年 9 月 14 日 , クライストの第 1 , グーデリ プリャンスク地区方面軍司令官にはイエレメ アンの第 2 機甲集団が合流し , キエフ攻略戦の この時点でのイエレメン ンコ中将が着任した。 終幕も間近になった。 コには , ドイツ軍の作戦変更など全く考えに入 9 月 17 日 , 死守を叫び続けてきたスターリン っていなかった。彼らはあくまでモスクワ進攻 も , ソ連南西戦区兵団司令官プジョンヌイ元帥 作戦上の包囲作戦であろう , という考えだった。 の撤退申し出を了解し , 9 月 19 日には , ソ連の もちろんのこと , プリャンスクから大迂 ( う ) 戦史上最大の損害を被ったといわれるキエフ戦 回してモスクワへ進攻するなど , ドイツ側では の幕が閉しられた。 北を攻撃すると思い 考えていない。まもなく , この日 , ヒトラーは暗号作戦名「タイフーン」 込んでいたドイツ軍が南を攻めて来たことから , を発令している。モスクワ攻略作戦である。 イエレメンコもこのことを認識することになる。 0

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ところが同じ日 , 一方でヒトラーは , コーカサ らの主力は第 1 機甲軍で , こちらの第 3 機甲軍 スへの作戦を開始するようにも命してしまった。 団は , 7 月 22 日にロストフをめぐる戦闘に突入 兵力分散に強硬に反対したポック元帥はすぐ し , 23 日から 24 日にかけては全市ですさましい さま解任されて , 南方軍集団はリスト元帥の A 市街戦となった。突撃班が編成されて 1 歩 1 歩 軍集団とバイスク大将の B 軍集団に 2 分割され と拠点をつぶし , 砲兵隊が危険と思われる箇所 た。ヒトラーは , 7 月 3 日にはクリミア半島が に砲弾を撃ち込んで , 25 日にロストフは占領さ 制圧されたし , ソビエトはまいっているに違い れた。 ないと思ったらしい。 だが , この楽観は後にな コーカサスでの戦い って , スターリングラードの悲劇をもたらすこ ちょうど同し 7 月 25 日 , A 軍集団司令部のも とになる。 こうして A 軍集団は「プラウ作戦」 とに , ヒトラーのロ述による総統指令第 45 号が ともかく , 届いている。「ドン川南岸の敵兵力と黒海艦隊の の第 2 の目標 コーカサスへと向かった。そ の前に立ちはだかるのは , 要寒 ( さい ) と化した 活動を粉砕して , コーカサスを征服せよ」とい うこの作戦任務は , 山岳兵部隊のシンポルをと ロストフであった。周辺にはひと冬の間に地雷 が敷設され , 対戦車用の壕 ( ごう ) が掘られ , そ って「エーデルワイス」と名付けられた。 して、、スペインの騎士 , , と呼ばれる , 鉄道レー ヨーロッパとアジアの接点であるコーカサス ルを組み合わせた障害物が多数置かれて , ドイ は , ェルプールズ山 ( 標高 5 , 633 m ) を主峰に ツ軍を待ちかまえていた。 3 , 000 ~ 5 , 000m 級の山なみが連なる世界有数の ドイツ第 17 軍は 7 月 19 日に戦線を突破 , 先頭 コーカサス山脈を背骨として , その北側である の第 57 軍団が西からロストフに進撃した。北か 前コーカサスには , 非常に乾燥した草原が広が 前途に洋々と広がる大草原に , わだちを刻みながら進撃するドイツ軍のⅢ号戦車 M あるいは N 型の機甲部隊。

10. グラフィックアクション 第28号

指令によれば「北方軍集団と中央軍集団は防衛 にとどめて温存し , 南方軍集団をもって , ます , ドン川以西の突出部敵戦力を包囲 , 壊滅させ , 敗走する敵をポルが川 , スターリングラード地 区で一挙に打ちのめす。次いで南方軍集団は , コーカサスをめざして殻物と石油資源を押え , ソビエト軍の生命線を断っ」ものとされていた こではすべ ヒトラーは前年の戦術方針を , て戦争経済ということにすり替えてしまってい る。 南方軍集団は 1 月以来 , フォン・ポック元帥 がその指揮をとっていたが , ポックはこの計画 にそって , まず , ハリコフ南地区に圧力をかけ ているティモシェンコのソビエト軍部隊に対し て , 攻撃作戦を立案している。行動開始予定は 5 月 18 日であった。 けれども一足早く , 5 月 12 日にティモシェン コのソビエト軍が先手をとって討って出た。 リコフ北地区からソビエト第 28 軍の 21 個師団を 投入 , 南からは第 6 軍および第 57 軍の 58 個師団 を投入して , ドイツ第 6 軍の撃破を図った。大 津波のごとく押し寄せる戦車群によって , 戦線 はいたるところで西へ突破されたのであった。 ポック元帥は反撃のため , 南方に待機してい たクライスト機甲集団に出撃を命じ , クライス ト将軍はその主力である第 1 機甲軍および第 17 軍を率いて , 5 月 17 日 , イジュム戦線のソビエ ト軍側面に奇襲をかけた。その後はドイツ軍得 意の機動包囲戦が展開され , 5 月末までに , テ ィモシェンコのソビエト軍は 29 個師団以上を失 い , 捕虜 23 万 9 , 000 人 , 戦車 1 , 200 台 , 砲 2 , 000 門 がドイツ軍の手に落ちている。 A 軍集団コーカサスへ いの言葉をかけるフォン・ルントシュテット元帥。 ヒトラーの復讐は 2 人の更迭にとどまらなかった。 張維肖尊 6 月 28 日 , ドイツ軍は予定どおり夏期大攻勢 を開始した。バイスク集団に属するホト将軍の 第 4 機甲軍が先鋒 ( ばう ) で , パウルスの第 6 軍 とシュべッペンプルクの第 40 機甲軍団は , 6 月 30 日に加わった。ポロネシをめぐっての攻防戦 が起こり , ティモシェンコのソビエト軍は , 今 度は慎重に時間をかせぎながら , 包囲されない よう主力を巧みに後退させた。 それは「プラウ作戦」の当初の目標を台無し にすることであったから , ヒトラーは 7 月 13 日 に「スターリングラードめがけて急進撃し , ド ン川に防衛線を築かせるな」と命じたのである。