はためらった。ばくだって、うしろからきたやつに追い越され、ふりむかれ、帽子を 眺めてあいさつもなしに行かれたら、あんまりいい気持ちじゃないものね。 それに、あいつの記章をのぞくということは、同時に顔を見ることにもなる。顔の すみずみまでばくとそっくりだったらと思うと、なんだかこわい。そんなわけで、別 れることもできず、追いつく勇気もなく、あとを歩きつづけていったのさ。 そのうち、その少年は商店街の道から横にまがった。ばくもあとについてゆく。ま でがる時に、ばくの胸はどきどきした。まがったとたん、わっと驚かされるんじゃない むかと心配だったんだ。あるいは、まがったとたん、道には人かげがなく、その少年は コどこかへ消えちゃってた、なんてのもこわいしね。それでも、ばくはまがった。どう たなったと思う。 もったいをつけちゃったけど、べつにどうってこともなかったのさ。やはり、すこ しむこうを少年は歩いていた。あいつはどこへ行くんだろう。このへんに住んでいる のだろうか。もうすこし先には、小さな公園というか、遊園地というか、そんな場所 がある。ばくも小さかったころは、よくそこで遊んだものだった。その公園のむこう にでも住んでいるのだろうか。 少年は公園に入っていった。この公園には木がうえてあり、池や噴水があり、鉄棒
口に出して言ったってしようがないとわかってはいるが、ばくは言った。さっきま で歩きまわっていた街は、どこへいってしまったんだろう。ばくの家のある街は : ひろびろとした静かなところに、ひとりばっち。さびしくなってきた。こんな心細 いことってない。だれかいないかなあ。だれかがいれば、話すことができる。ここか どこかもわかるはずだ。 また飛びあがって見まわすと、森のはずれに、わらぶき屋根の家が見えた。あそこ でまで行ってみよう。だれかに会えるだろう。 む 学用品を入れてずっと持って歩いたカバン、それと帽子とがなくなっていた。ドア コのそとにおいてきたのかな。それとも、あの少年がばくを投げてころばし、そとへ出 乃る時に持っていってしまったのだろうか。よく思い出せなかったし、どっちにしろ、 ないものはしようがない。ばくは上着もぬぎ、そこにおいた。暑かったし、財布とハ ンケチがあれば、あとはいらないだろう。 それから、ばくは歩きはじめた。畑と畑のあいだに細い道があった。アリだの小さ な昆虫だのがはいまわっている。街のコンクリ 1 トの道とちがって、しっとりとやわ らかく、感じがよかった。 ばくは道をたどって、森のほうへ歩いていった。どこにも人かげはない。畑仕事を
めなければならなかった。べつなものを作るため、せつかく作った竜をこわす時は、 惜しくてならなかった。つぎになにを作りはじめたのか、知りたいだろうね。わたし 自身の像を作りはじめたのだよ。鏡をそばにおき、そこにうつる自分を見ながら彫刻 していった。ゆっくりと作ってゆくつもりだった。若かった時のように、ひとをあっ と言わせようとも思わなくなった。自分で満足できるものであれば、それでいいんだ。 小 ) さくてもいい。 作りあげてここへおいておけば、わたしという人間がここにいたと で いうことが、あとに残せるというわけだろう」 む「そうですよ。ほんとにい ) し考えですね」 の コ「わたしはそれをつづけた。そのあいだにも、いろんな人がそこの道を通りすぎてい プ ったよ。さまざまな言葉をわたしにかけ、むこうへと歩いていったのだよ」 ばくは道を眺めた。あいかわらず人びとが歩いている。ばくはちょっとべつなこと を質問した。 「お仕事をやめて、その道を歩いて行こうと思ったことはなかったのですか」 「そうは思わなかったね。わたしには、ここでやらなければならないことがあった。 つまり、彫刻を完成させるという仕事のことだよ。また、道を歩いてどこかへ行くと いうことは、だれかに会うためだろう。それなら、ここにいて通りがかる人と会うの 180
かえし吹いている。だれが吹いているんだろう。 ばくの心のなかで、それを知りたいという気持ちが大きくなっていった。よし、つ きとめてやるぞ。また、そんなことでもする以外に、いまのばくにはすることがない んだ。 ばくはじっと耳をすませた。そして、音の方角と思われるほうに歩いていった。ビ ルのかどのひとつを曲がってみると、むこうに歩いてゆく少年のうしろ姿が見えた。 で、 ーモニカを吹き、それに合わせて歩いているんだ。 む足音をたてないでそっと追いかければよかったんだが、ばくは「おーい」と声をあ コげてかけだしてしまった。うしろ姿がばくに似ていたんだ。だから、思わず叫んでし まったんだよ。ばくを夢の世界に押しこんだ、もうひとりのばくかと思ってしまって、 さっきの腹立たしさがよみがえったんだ。あいつをつかまえ、文句を言ってやろうと。 追いかけるばくに気がついて、その少年も逃げはじめた。逃がしてなるものかと、 ばくは走りつづけた。きのうはばくがこの街を逃げまわったが、きようは反対にばく が追いかける。鬼ごっこの世界だなと、ばくはちょっと考えた。 足はばくのほうが早かったが、むこうはこの街のようすにくわしい。こみいった道 9 に飛びこんだり、物かげにかくれたりする。そして、ぼくが通りすぎると、べつな方
うから、変なやつがこっちへやってきたんだ。 ばくよりちょっと年下らしい少年。びったりした細いズボンをはき、長めの靴をは き、剣をつっていた。表はねずみ色で裏は赤というマントをはおっている。早くいえ ば、西洋のむかしのお話にでてくる王子さまのスタイルさ。ばくだったら、てれくさ くって、とてもあんなかっこうなんかできやしない。着たとたんに、自分でもおかし くなって笑いだしちゃうだろうな。 でしかし、その少年には似合っていた。ごく自然、着なれているせいなんだろうな。 」お芝居をやるために着てるなんて感じは、ぜんぜんしなかった。そんな少年にであっ の たのも驚きだったが、そのあとからくつついてくるお供のほうが、もっとびつくりだ っこ。ばくは目を丸くし、しばらくはロもきけなかった。 プ お供は三ついた。そのひとつはフクロウなんだ。鳥のフクロウだよ。それがねえ、 ギターをひいているんだ。小さなギター、それをかかえて、フクロウのやっ翼のはじ で器用にひいている。ゆっくりしたきれいなメロディーをかなでていた。フクロウの 目は、昼間はよく見えない。そのせいだろう、フクロウの歩きかたはおばっかなかっ た。よちょち歩きながら、音楽をやってるのだ。 少年のお供は、まだいた。もうひとつは、まっ白なウサギ。ただのウサギじゃない くっ
一つら、ゆうら。むこうからこっちへ、こっちからむこうへ。ゅ一つら、ゆうら。 くりかえし、くりかえし、ゆ一つら、ゆうら : そのうち、少年がばくのほうへちょっと笑いかけた。ばくを見つけたのかどうかは わからないが、そんな気がした。思わず悲鳴をあげるというところなんだろうが、そ の時のばくの気持ちは、なぜかその反対だった。さっきの恐怖もうすれていった。こ ちこちにかたくなっていた、ばくのからだが、なんだか軽くなるような気分。催眠術 でにかけられたみたい。 といっても、それがどんなものなのかは、ばくもよく知らない むんだけど : の プランコのゆれかたは小さくなった。やがて止まり、その少年はおりた。そして、 ン プ歩きだす。どこへ行くんだろう。ばくはまた、そっとあとをつけた。ばくとしては、 あとをつけているつもりだったけど、目に見えない糸で引っぱられているような気も したな。ばくは見うしなわないよう注意していたつもりだったけど、本当はむこうが ばくの目を吸いつけていたのかもしれなかったな。 その少年の背中を見つめながら、ばくは歩きつづけていった。細い道を抜けたり、 広い通りを歩いたり、歩道橋の上を越えたり、地下道をくぐったり、ス 1 ットのなかをひとまわりし、そとへ出て、また道を横切ったりする。 いまどのへんを
りごとを一言うのか聞こえた。 「ちょっと眠ろうかな : それを聞いて、ばくはあわてた。早く戻ってゾウをどこかにかくさなくちゃならな 約束なんだ。ばくはむりに目をあけた。まぶたの裏にうつる眺めが消え、白鳥の 池のそばに戻れた。またピロ王子の夢の国に帰ってきたんだ。 目をあいたばくを見て、そばにいたでぶのオオカミが言った。 で「どうでしたか、むこうの王子さまは」 む「やつばり、りつばな王子さまだったよ」 の ばくはうそをついた。ずっと病気の、寝たきりの子供とはいえないものね。ここの ン ガオオカミたちみんなを、がっかりさせることはない。ばくは言った。 ヒロ王子がもうすぐ起きるぞ。どこが 「それより、ピンクのゾウを早くかくすんだ。。 いいだろう。なんかないかなあ : : : 」 そのうち、すばらしいことを思いついた。この池のなかにかくすんだ。ばくはゾウ ゝ ) つけた。ゾウはゆっくりと歩いて水のなかにはいってゆく。全身が を呼び、そうしし かくれ、鼻の先を少し出したところでとまった。つぎに、ばくは白鳥たちにいいつけ た。あの鼻をかくすように、まわりで泳いでいてくれとね。そう、それでいいんだ。
くことにした。これ以上はわかりつこないんだ。おじいさんは一言う。 「そんなことより、まあ、せつかく来たんだから、ここでゆっくり遊んでいきなさ し」 「うん、ばくもそうしたいよ」 「だいぶ夕方になってきた。そのうち、チョウチンに灯がともるよ。森のそとではホ タルが飛びはじめるよ。すいすいと光が息づきながら流れる。花火もあがるよ」 で「きれいだろうなあ・・・・ : 」 む ばくはおじいさんのそばをはなれ、そのへんを少し歩いた。ゆかたを着て髪にリポ の コンをつけた女の子が、話しかけてきた。 乃「お友だちはいないの : : : 」 「うん、ばく、ひとりばっちさ。あそこにいるのが、おじいさんだけどね。ばくはこ こ、はじめてなんだ」 「じゃあ、鬼ごっこでもしましようよ。あなたが、まず鬼よ。あたしをつかまえてご らんなさい : 女の子は笑いながらかけていった。ここでは、だれもすぐ友だちになれるみたいだ。 そんなふうになっているんだろうな。
140 のかもわからなし ) 。ばくはしやがみこみ、しばらく休んだ。 急にばっと明るくなってくれないかなあ。そして、そこにドアがあって、それをあ けて入ったら、ばくの家だった、なんてことになってくれないかなあ。そうなってく れたら、どんなにいいだろう。 っこうに、そうつごうよくはなってくれなかった。暗いままなんだ。未 知なものを含んだ、どこまで深いのかわからない黒さが、ばくをとりかこんでいる。 で音もしない。耳をすませても聞こえるものは、自分のからだのなかの心臓の音ばかり。 とうにもならないんだ。な むここでいくら待ってみたって、なんにも起りそうにない。、 の んでもしいから、どこかへ行ってみなくちゃあ。でも、どこへ・ ン プ なにか目標がほしいな。暗やみのなかをむやみに歩きまわったって疲れるだけだ。 ばくは立ちあがり、背のびしてみた。そうしたら、遠くのほうにあかりがひとつ、ば つんと見えたんだ。希望の光なんて言葉があるけど、そんなに力強い光じゃないんだ。 いまにも消えてしまいそう。 黄色く弱々しく、 それだって、なんにもないよりは、どんなにいいかわからない。進む方角だけはき まったんだ。そっと歩く。足の下の地面は、短い草がはえているような感じだった。 どんな草なのかは見えないからわからなかったが、枯れた草のように思えたな。花の
「できなかったんだよ。どうにもうまくいかなかったんだね。若くて元気だったし、 体力もあった。しかし、知識がともなわなかったんだよ。そこで、勉強をした。ずい ぶん熱心に勉強をしたよ。これを作りあげるという目的があるので、勉強もつらいこ しい思いっきも出てくる : : : 」 とはなかった。勉強をするにつれ、 「出てきた思いっきは、どうなさったんですか」 「みんなとりいれたよ。理想の世界の彫刻を作るんだから、わたしの気のすむように でしなければならない。ひとつの新しい思いっきは全体に関係してくる。そこで、なに むか思いつくと、ぜんぶ最初からやりなおした。それまで岩の表面に刻みこんだものを、 コみんな削りとって、彫刻しなおしたんだ。しかし、やりなおすのも苦しくはなかった。 乃めんどくさいなどとは考えなかった。人生は長いんだし、元気もあったし、体力だっ てあった」 「そうでしようね」 と、ばくはうなずいた。おじいさんは話しつづける。 「作りなおしは、一回や二回じゃなかったよ。何度も何度もだ。わたしがそれをやっ ているあいだにも、そこの道をいろいろな人が通っていったよ。むこうのほうから歩 いてきて、こっちのほうへ歩いてゆく。ここで足をとめて、わたしのやってることを 175