一日二十四時間のうちの一時間。その一時間のうちに自分の命が狙われたら人間はどんな 心境に陥るのであろうか : 西暦三〇〇〇年。人口約一億人、医療技術や科学技術、そして、機械技術までがかってな いほど発達し、他の国に比べると全ての面でトップクラスであるこの王国で、″佐藤〃とい う姓を持った人口はついに五百万人を突破した。二十人に一人が″佐藤〃というこの時代。 運悪くその時代に生まれた一人の少年″佐藤翼 % まさか、名字が〃佐藤〃であるために命 が狙われようとは、考えもしなかった : グ今をさかのばること、十四年前。あの時の記憶は今でも鮮明に覚えている : ロ当時七歳だった翼の生活は真っ暗だった。父親である輝彦が母親の益美に対して暴力を振 プ るう日々。それを目の前で見せつけられプルプルと震えていた翼と四歳になる妹の愛。時に 7 はその二人にさえ、輝彦は暴力をふるっていたのだ。最低の父親である。毎日のように酒を プロローグ ねら
「あの時、本当は止めるべきだった。自分の命を犠牲にしてでも王を止めなければならなか ったのだ。あの時、何も言わなかったために王国中の佐藤姓は : : : 全滅する。全て私のせい なのだ」 「王子 : : : 自分を責めてはなりませぬ」 王子はその言葉にも表情を変えずに俯いたまま、ただ一一一一口、 「すまぬ : : : 」 と言ってじいに背を向けて歩いて行った。 じいはその後ろ姿をやるせない表情で見守っていた。 最後の鬼ごっこも既に四分の三が終わろうとしていた。いまだに辛うじて生き延びている 翼は鬼をどうにか引き離すと、壁に寄りかかり、必死に息を整えていた。もう、この日だけ で何人の鬼たちに追いかけられただろうか。翼の体力は既に限界に達していた。心臓は今に も張り裂けそうだった。逃げ出したかった。こんな世の中から翼は自分だけでも逃げ出した っ一」 0 カオ グッタリしたまま荒い息を整えていると、鬼が二人現れたのを翼の目がとらえた。まだ鬼 たちは翼の存在に気づいていない。途端に翼はロに手を当て、必死に息を殺した。死にそう
らない。 一つだけ言えるのは、目立った場所に移動するのは極めて危険だということだ。か といって目立たない場所で見つかれば、それだけ逃げる範囲が狭まる。これだけは自分の運 に任せるしかない。時計を見た。もう三十秒もすれば、初日のサイレンが鳴らされる。 「と一つと一フ・ : ・ : 始まるのか」 ため息交じりに呟いて、ジャージのポケットから財布を取り出し、愛との写真を抜き出し て眺めた。これも翼にとっては勝負なのだ。今世紀最大の、命をかけた大勝負に立ち向かお うとしているのだ。 とうとうこの時がやって来た。十、九、八 : : : 翼は心の中でカウントダウンを始めていた。 それはあたかも新世紀が始まる秒読みのようだった。五、四、三、 〃みなさん ! 新世紀到来です。こんな素晴らしい日に出会えた私たちは何て幸せなのでし よ , っカー・〃 動 こ 頭にその言葉が、耳には派手な行進曲が聞こえた翼は、一人満足感に浸っていた。 ごしかし、そんな翼の華々しい妄想は、大きなサイレンの音で打ち砕かれた。″ういーん〃 鬼 と息が続かないくらいの長さで、甲子園の試合開始の合図に似ていた。体に振動が伝わるく らいのけたたましいサイレンが町中、いや、王国中全てに鳴り響いているのであろう。一気
最後の望みであった実の弟ですらも : ・ 王様は険しい表情のまま、 「もう一度聞く。私の考えを実行するに当たって意見のある者はこの中にいるか ? 」 何度聞いても結果は同じだった。皆一言も発しないのはおろか、王様と目を合わそうとす る者さえいなかった。誰もが同じように王様から目をそらしていたのだ。そして最後に王様 は一一一口った。 「我が弟よ。異存はないな ? 」 王子は一度顔を上げ、 渋々そう言うと再び俯いてしまった。 これで誰一人自分に逆らう者がいないと判断した王様は、 「よし、それでよいのだ。この王国は私の思うように動いているのだ」 王様は後ろを向き、満足感に浸っていた。そして、背中を向けたまま、 「じい ! 」 と強い口調で言った。 王国存亡の危機を迎えて無気力に陥っていたじいは、その声でピンと体を張った。
大介は一瞬戸惑ったが、 「ま、まあ、とにかく、これかららしいな、閉会式」 と一一 = ロうと翼は . 軽く頷いた。 「ああ : ・・ : みたいたな・ 喋り方も無気力なままだった。 「ま、まあ、とにかくた , ・明日からはまた走っていこ一つー・ 大介は無理に明るさを装ったが、翼は虚ろな目のままだった。 「ああ・ : ・ : そうだな」 この言葉を最後に一人の兵士が言った。 「さあ、そろそろ時間だ ! 早く乗れ ! 」 寂しげに言うと最後に翼は一瞬だけ大介を見つめた。そして、翼が車に乗り込み、走り去 でって行く様子を部員たちは黙って見送っていた。一方の翼は一度も振り向かず、胸元に手を 会当てると、鋭い目つきで前を見据えていた。こうして、翼を乗せた車は閉会式が行われる宮 殿へと走って行った。
そう言った途端、父は翼から目をそらした。 「そ、それ、どういうことだよー・」 体の状態も忘れ、翼は父の体を大きく揺らしてそう叫んだ。 母の死を告げた父は苦しそうな呼吸をしてはいるが、先ほどに比べると随分と落ち着いて いる。そして、翼に全てを語った。 「十四年前 : : : 益美と愛は俺たちの前から姿を消した。縁が切れたとはいえ、肉親だ。愛は 元気か ? 生活はできているのか ? お前は知らなかっただろうが、必要最低限の連絡は取 っていたんだ。そんな日々が一ヶ月も続いたある日の夜だった。携帯に電話が入った」 「もしもし、はゝ、はい、そうですが。え ? 益美が ? どういうことですか ? 事故 ? 事故って : : : ま、益美の容態は ? 益美は、益美は大丈夫なのですか ? 」 輝彦はうつろな表情で電話を切った。時刻は夜の十時半。既に翼は自分の部屋で寝息を立 てている。翼に全てを話すべきだろうか : しかし、悩むまでもなく、答えは出ていた。 ヾゝ ) ゝ 0 ゝ やはり、翼には言わない方力しし しや、言えなかった。年齢が年齢である。もう少し翼が 大人になっていれば話は別だが、今の翼にはとても言えなかった。その後、なかなかタイミ ングが掴めず、話を切り出せなかったのだ。そして、十四年の月日が経った。
「眺「けろー・」 これが洋の最後の言葉だった。洋と鬼の遥か後方で新たな警戒音が発せられた。恐怖を引 き起こすはずの音が、この時だけは洋との別れを告げる音に聞こえた。鬼は翼に全力で向か って来る。洋の死は決して無駄にはしない , 翼は唇を噛み締め、涙を拭いてから、走り出 した。 「あ一りかと一つ。あ一りかと , っ : : : 洋」 その言葉しか出て来なかった。そして、全力で駆け抜けた。 「あああああああ ! 」 泣きじゃくりながら狂ったように走り続けた。撃たれた洋の姿が頭にこびりついて離れな 。思い出せば思い出すほど、翼の足は速さを増した。翼は後ろを振り返りもせず、ひたす ら町中を逃げ続けた。しばらく走り続けた翼の耳に、この日の終わりを告げる合図が届いた。 劇それでも翼は足を止めることなく、走り続けた。走って走って走りまくって、極限に達する 逃まで走り続けて、それでも走って、死にそうになるまで走り続けた。それでもまだ走り続け 驂た翼は何かにつまずいて、勢いよく地面に転がった。手のひらをすりむいたせいか、血がに じんできた。翼は静かに体を起こして、杲然と座り込んだ。
184 声がうわずる。翼の怯えた様子に、洋はゆっくり鬼の方を振り向いた。その瞬間、 と銃声が響いた。更にもう一発。そして最後の一発で洋の呻き声が聞こえた。体が回転し、 翼と洋は向き合った。 ″お前も佐藤なんだ : : : 俺は佐藤洋。よろしくな ! 〃 〃ほれ、お前もやってみろよー ″おいやるぞ。よく見ておけよ〃 ″逃げろ ! 逃げるぞー 〃はつはつは ! お前足速いな〃 ″お前に出会えてほんまに良かったわ〃 「翼 ! 逃げろ ! 」 最後の力を振り絞って洋が叫ぶ声を聞き、翼は現実に引き戻された。洋に視線を戻すと、 ちまみ 血塗れになりながらも、翼に向かって来ようとしている鬼の足にしがみついている。もう一 人の鬼はまだ倒れている。鬼がどんなにもがいても洋は足を離そうとはしなかった。翼は涙 を浮かべながら、 言葉を失っていた翼の口からその言葉だけが洩れた。
アナウンサ 1 は興奮した口調でカメラに向かって言った。 ついに最後の鬼ごっこが王国中で始まろうとしていた。 習慣づいてしまったのか、気がつくと翼は自宅から外に出ようとしていた。しかし、今の 翼〔には、 ″絶対逃げ切ってやろう〃 などという闘志は一つもわいてこなかった。ただ、何となく : 。今はそんな感じであっ た。時間も気にならないし、心臓が早まるわけでもない。ただ、思い出すのは初日の鬼ごっ こが始まる時のことだった。あの時、こうして同じように外に出て一週間後の自分を思い描 終いていた。逃げ切ってやる ! 絶対に逃げ切ってみせる ! と。 の実際、今こうして生き延びている自分がいる。しかし、あの時の自分はどこへ消え去って マしまったのだろう。そう心では思うものの、特に危機感はなかった。 翼が無気力に夜空を見上げたその時だった。スピーカーからいつものアナウンスが聞こえ ク てきた。 蹴『王国中の残り少ない佐藤さん、準備はよろしいですか ? 間もなく、最後の鬼ごっこが開
「翼君 : : : 落ち込む気持ちも分からなくはないが、君にはまだまだ残された使命があるはず だ。この馬鹿げた鬼ごっこから一週間逃げ切る他に、君には妹を守る義務がある。何として も、妹の愛ちゃんを助けて、佐藤の死を決して無駄にしないでくれ」 この人の言うとおりだ。落ち込んでいても何も始まらない。しつかりしろ ! と自分に強 く言い聞かせた。そして、森田の瞳の奥を見つめながら強く頷いた。森田も頷いた。そして、 最後に、 「負けるなよ ! 」 とだけ言い残し居間を後にした。 いろんな意味が込められているのであろう森田の最後の一言で、より一層、翼の闘志が燃 え上がった。何としても、何としても愛を助け出し、二人だけでも逃げ切るんだ ! 翼は森 田と出会えたことに感謝した。 真翼は座布団から腰を上げ、居間を出た。 目そろそろ通夜も終わりを告げようとしている。弔問客を見送りながら、頭の中で、父が最 四後に残してくれた愛の唯一の手掛かりを何度も何度も繰り返していた。大阪までの切符は既 に手に入れてある。そして : : : 淀川区新北野という場所のどこかに愛がいるはずだ。父の言 とにか / 、、そこに夂が っていた情報が正しければの話だが、今はそれしか手掛かりがない。