洩らすと、扉が静かに開かれた。 「翼は生きてるよ」 そこには清水大介が立っていた。 「大介・ : ・ : 来てたのか」 久保田が顔を上げて力なく言った。 「何してたんだ ? 久々じゃね 1 か」 大介は翼との一件以来、部に姿を見せてはいなかった。 「それより、翼が生きてるってどういう意味だよ。どこかで見たのか ? 」 やや興奮気味に問いかける。久保田とは対照的に大介は静かに、 「いや、直感だよ。根拠なんかない。あいつは生きている。俺はそう信じてる」 大介は真剣な眼差しでそう語った。しかし、久保田は大介の前向きな意見を聞きながらも、 やはり信じきることができなかった。 故「でも : ・・ : でもな」 久保田が肩を落としてそう言うと、大介は興奮したように言った。 生 「でも ? でも何だってんだよ ! どうして、翼が今でも生きていると信じない ? 俺たち はそんな見せかけの仲間か ? 違うだろ ! 」
自分のせいで捕まってしまった妹。短い間とはいえ、この町では辛いことが多すぎた。翼は 自分の生まれ育った町へ帰ろうと決めていた。いや、勝手に体が動いていた。翼は茫然とし たまま歩いて新大阪駅へと向かった : ・ 「集合 ! みんな集まれ ! 」 ハンパンと手を叩き久保田は部員を集めた。監督を囲むようにして輪になった部員たちは、 監督の口からどんな言葉が出てくるのか大体の見当はついていた。各々の表情は暗かった。 「今日で : ・・ : 終わりだな」 監督が陸上競技以外のことについて触れるのは珍しいのだが、誰も気にしなかった。 「そうみたいですね」 久保田がため息交じりにそう答える。監督は部員たちを見回して、 「誰か : : : 佐藤とは連絡取れたのか ? 」 その問いに皆は顔を見合わせ、 「いえ : : : それも : 再び久保田が答えると、 「そうか : ・・ : そうとなると :
238 落ち着きを失っている自分に気がついた大介は、少し間を置いて、 「信じよう、最後まで。翼は生きてる。生きてるよ」 大介は自分にも言い聞かせているようだった。 「大介 : : : 」 久保田は言うと、 「そうだな。翼は生きてる。そうに決まってるよ」 「そうだよ ! あいつはそんなャワじゃない。何たってあいつは佐藤翼だぜ ! 」 「よ、よし ! それじゃ、帰って来る翼に負けないように俺たちも早速練習しよう ! 」 久保田がみんなに呼びかけると、一人二人と何とも複雑な表情で立ち上がり、重い足をグ ラウンドに向けた。部室に残った久保田は大介に強く頷くと、グラウンドまで駆けて行った。 一人残された大介は途端に思い詰めた表情へと変わっていた。ロではああ言ったものの、や はり大介は諦めかけていた。心のどこかでは : 翼と愛は病院からの帰り道だった。昨日に比べて翼の顔色も体調もすっかり良くなり、愛 も安心していた。二人はまだあの事実を知らなかった。恐るべきあの事実。 それはビルの壁に設置されている大型のハイビジョンで、大々的に映し出された。アナウ
開会式 一人いなかった。いや、かけられなかったというべきか。表彰状を片手に帰って来る翼に、 どんな言葉をかければいいのか分からなかった。いっしか無言のまま翼を取り囲んでいた。 「どうした ? みんな元気ないぞ」 意外と明るい翼に一同は益々言葉を失った。 「お、おめでとう」 「おう、まあ、楽勝だな」 冗談交じりの口調でその場を和ませた。一瞬笑いが起こったが表情は硬かった。 「それより : : : 大介は ? 」 一応翼は尋ねてみた。すると久保田が、 「いや、今日は来てないなー、連絡もない。 「そ , つか : 「それが、どうかした ? 何かあったの ? 」 久保田は翼の顔を覗き込むようにして聞いてきた。 しや、何でも : そこで言葉を切って俯いた。 「それより翼・ : : 入フ日から : : : 」 どうしたんだろう ? 」
久保田が同情するかのように優しく声をかける。その言葉にも翼は、 「久保田 : : : 」 と答えるだけだった。あまりにも重い空気の中、その後、誰一人として声をかける者はい なかった。そのうちに監督が翼の前にやってきた。監督は翼の肩に手を置いて、 「佐藤、辛かったろう。今まで : : : よく頑張った」 監督も優しく声をかけた。 「監督・ : : ・」 翼の反応は同じだった。 皆、変わり果てた翼を見ているのが辛く耐えきれなかった。この計画のために、あんなに も明るかった人間がここまで変わり果てるなんて。これ以上どんな言葉をかければいいのか、 終誰も分からなかった。その時大介に″最終日〃という言葉が不意に浮かんできた。 の「翼 ! 絶対 ! 絶対逃げ切ってくれ ! 俺たちのためにも絶対に ! みんな : : : 信じてる ス ス それを皮切りに部員たちが翼にエールを送り始めた。 ク 「佐藤 ! 」 「先輩 ! 」
236 一人ひとりの佐藤さんたちへの同情の声が聞こえてくる。その反面、自分は佐藤ではなくて よかったと、内心ではそう思う者も多かった。 そして、翼の通う大学にも情報は伝わっていた。部室では陸上部の面々がテレビの前に座 り込んでいた。聞き飽きるほどニュースで流れている " それ〃に嫌気がさしたのか、久保田 がテレビの電源を乱暴に切った。一瞬にして部屋が静まり返ると、皆が大きくため息を洩ら す。翼からは一度の連絡もないし、誰一人姿を見た者もいない。 〃翼は既に捕まった〃 そう考えてしまうのも仕方がなかった。何しろ残りは五万人なのだから。 久保田はおもむろに口を開いた。 「やつばり・・ : : 翼は」 その先は言えなかった。しかし、否定するものは誰一人おらず、皆それぞれが絶望的であ ると感じていた。すると他の一人が、 「五万人 : : : だもんな : ・ 小さく言うと、皆が同感するように深く頷く。更に他の一人が、 「やつばり無理だったんだな」 既に諦めに変わっていた。その言葉すらも誰一人否定しなかった。再び皆が深いため息を
268 久保田も、 「負けるな ! 翼」 様々な声が飛び交った。そして、監督は翼に向かって深く頷いた。しかし、翼の返事はそ つけなかった。 小さく言って頷くだけだった。それどころか翼は皆の言葉が耳に入っていないかのように、 「俺 : ・ : もう : ・ : ・何かなきや」 ポツリと言うと、皆が言葉をかける間もなく翼は背を向けた。 「お、おい 大介が声をかけても翼はピクリとも反応しなかった。翼はただ茫然と元来た道を戻って行 った。誰も呼び止めることはできなかった。翼があんな状態になってしまったのも全てはヤ ツのせいだ。ャツのせいで翼は : その場にいた全員が王様に対する怒りを顔に表していた。しかし、今は翼を信じるしかな かった。そう思っているうちに、翼の姿は彼らの視界から完全に消えていった : 日も暮れ始め、最後の鬼ごっこの時間も刻一刻と迫っていた。やはりどことなく町中の雰 囲気が違う。報道陣も何やら中継を行っているようだし、町中が騒がしかった。気がつくと
監督はそこで言葉を切って俯いた。監督の弱気な発言に大介が前に出た。 「監督 ! 翼は、翼は絶対に戻って来ますよ ! 監督がそんな弱気になってどうするんです か ! 信じましょ一つ。翼が帰って来ることを」 大介の言葉で監督は情けない顔をしている自分に気づき、 「そ、そうだな、すまん」 と言ったまま黙り込んでしまった。その時、一人の部員が遥か遠くを見据えて、 「お、おい・ : あれ : : : まさか」 その言葉に皆が一斉に視線を向けた。久保田が思わず声を洩らす。 「ウ、ウソだろ ? 」 「あれ・ : ・ : 佐藤先輩か ? 」 終微かな人影のようなものが徐々に近づき、段々人物がはっきりしだした。白のジャージ姿 のの男がフラフラになりながら少しずつ近づいて来る : ス マ「翼だ ! 翼が帰って来た ! 」 確信すると大介は俄然興奮し、翼の所まで全力で駆けて行った。それに続いて部員全員が ク 大介の後を追った。皆、表情が生き生きしてきた。監督も少し遅れて、信じられない思いを 抱えながら駆け寄った。
そう言った後、やはりまずかったかなと、久保田は不安になった。 しかし、意外な言葉が返ってきた。 「え ? あ、ああ、大丈夫、大丈夫 ! 俺が捕まると思うか ? 楽勝だよ楽勝」 それはどう考えても無理に強がっているとしか思えなかった。 皆はロを揃えて哀れむように言った。 「いやー、これからさー、″用事〃があるんだよ。悪いけど今日は俺、帰るわ。じゃ ! 」 右手を軽く上げて、誰にも発言の間を与えないまま、翼はリュックを片手に堂々とした歩 き方で去っていった。その様子に誰も声をかけられず、最後となるかもしれない翼の姿を、 悲しげに見送った。 おび 一方、翼は恐布に怯えた姿をさらすのだけは避けようと、必死に明るい自分を保っていた こら のだが、皆に背を向けてからはとうとう堪えきれなくなった。背中に皆の視線を感じながら、 震える体を必死におさえて会場をあとにした。 〃リアル鬼ごっこ〃まであと六時間 : 残り二時間を切った時、準備は全て整っていた。鬼の数から、待機場所、そして佐藤さん を捕まえるべき最終兵器ならぬアイテム″佐藤探知ゴーグル〃。これは、じいが全力を尽く
「それでは、これより、七日間逃げ切った者を紹介する」 じいはそう言うと兵士たちに合図した。その瞬間、会場中が一気に静まった。会場中の者 が遥か遠くに目を向けて、微かな人影が見えるのを確認した。やがて、両側を兵士に固めら れた、一人の男ーー佐藤翼の姿がハッキリと画面に映った。その瞬間、一斉に華やかな演奏 が奏でられた。アナウンサーはその様子をテレビの前の市民に伝えている。 今、七日間の鬼ごっこを逃げ切った唯一の青年・佐藤翼が、ゆっくりと絨毯の上を 『今ー 歩いて行きます ! 壇上では国王が彼を見守っています ! 』 今の翼を何人の人たちがテレビの向こうで見ているのだろう。大介や久保田、監督たちは どんな思いで翼の姿を見つめているのだろう。翼はばんやりと、そんなことを思っていた。 全国民が見守る中、翼は階段の前でいったん立ち止まった。そして、静かに王様の待っ壇 事上に向かった。ようやく壇上に上がった翼は軽くお辞儀してから顔を上げて、王様と見つめ 合った。 で王様の合図で演奏がやみ、再び会場中が静まると、王様は翼の前に立って言った。 会「おめでとう。君は素晴らしい」 王様は翼に握手を求めた。翼が手を差し出すと、再びフラッシュが焚かれた。 蹶「それでは、約束事を叶えよう。さあ、一つだけ願い事を言うがよい」