大会では全国優勝を成し遂げ、陸上界で佐藤翼の名を知らぬ者はいないほどになっていた。 大学も有名私立大学に推薦で進学した。現在大学三年生になった翼はいまだ自分の実力に 満足することなく、日々努力する生活が続いていた。陸上と出合ってからというもの、翼の 人生が大きく変わったことは間違いなかった。そして″リアル鬼ごっこ〃を目の当たりにし て、翼の人生はまたも大きく変化していく : 「翼 ! 翼 ! 」 遠くの方から呼ばれていることに気づき、トップスピードから徐々に落とし、ランニング 状態で足を止めた。 「翼 ! 大変だ ! 」 「ん ? あれは : その声の主は慌てた様子で片手に新聞のような物を持って、全速力で走って来る。 「大介・・・・ : どうしたんだ ? 」 独り言を言って、その大介が自分の所までたどり着くのをただじっと見据えた。ようやく 翼の目の前にきた大介は、膝に手をつきぜ 1 ぜーと息を切らしていた。時折、せき込んでい る。落ち着くまで翼は待っていた。 大介は一年の頃からの専属トレ 1 ナ 1 で、いわば翼のパートナー的存在だ。性格がおっち
よこちょいで直ぐに慌てるタイプなので、翼はまたも大介がちょっとしたことで騒いでいる のだと、この時はまだ半分相手にしていなかった。こんなことは日常茶飯事だ。翼は腰に手 を置いて少し笑みを浮かべていた。 「大丈夫か ? 」 せき込んでいる大介の背中をさすりながら言った。いまだ膝に手をついている大介は、片 手を上げて翼に大丈夫と示した。しばらくすると、ようやく落ち着いたのか上半身を起こし て微笑んだ。 「大丈夫だ、ありがとう」 大介は、既に本題を忘れている様子だ。 「おい、それより、どうした ? そんなに荒てて ? 」 大したことではないと思っていたが、念のため聞いておきたかった。大介は真顔に戻ると、 俄然興奮状態になり新聞を翼に手渡した。 日 月「これだー この号外を読んでみろ ! 」 四語尾が妙に震えていた。 十 「一体何なんだよ」 そう言って新聞を受け取り、大介の顔を不思議そうに片眉を上げて見つめた後、新聞に目
238 落ち着きを失っている自分に気がついた大介は、少し間を置いて、 「信じよう、最後まで。翼は生きてる。生きてるよ」 大介は自分にも言い聞かせているようだった。 「大介 : : : 」 久保田は言うと、 「そうだな。翼は生きてる。そうに決まってるよ」 「そうだよ ! あいつはそんなャワじゃない。何たってあいつは佐藤翼だぜ ! 」 「よ、よし ! それじゃ、帰って来る翼に負けないように俺たちも早速練習しよう ! 」 久保田がみんなに呼びかけると、一人二人と何とも複雑な表情で立ち上がり、重い足をグ ラウンドに向けた。部室に残った久保田は大介に強く頷くと、グラウンドまで駆けて行った。 一人残された大介は途端に思い詰めた表情へと変わっていた。ロではああ言ったものの、や はり大介は諦めかけていた。心のどこかでは : 翼と愛は病院からの帰り道だった。昨日に比べて翼の顔色も体調もすっかり良くなり、愛 も安心していた。二人はまだあの事実を知らなかった。恐るべきあの事実。 それはビルの壁に設置されている大型のハイビジョンで、大々的に映し出された。アナウ
洩らすと、扉が静かに開かれた。 「翼は生きてるよ」 そこには清水大介が立っていた。 「大介・ : ・ : 来てたのか」 久保田が顔を上げて力なく言った。 「何してたんだ ? 久々じゃね 1 か」 大介は翼との一件以来、部に姿を見せてはいなかった。 「それより、翼が生きてるってどういう意味だよ。どこかで見たのか ? 」 やや興奮気味に問いかける。久保田とは対照的に大介は静かに、 「いや、直感だよ。根拠なんかない。あいつは生きている。俺はそう信じてる」 大介は真剣な眼差しでそう語った。しかし、久保田は大介の前向きな意見を聞きながらも、 やはり信じきることができなかった。 故「でも : ・・ : でもな」 久保田が肩を落としてそう言うと、大介は興奮したように言った。 生 「でも ? でも何だってんだよ ! どうして、翼が今でも生きていると信じない ? 俺たち はそんな見せかけの仲間か ? 違うだろ ! 」
「でも : : : 今の状態で走りに集中するのは無理だよ」 大介は心から翼を心配しているのだ。 「無理じゃねーよ」 途端に、大介の表情は厳しくなった。 「無理だ ! そんな気持ちのまま勝てるわけないだろ ! 」 トラック中に大介の叫びが響き渡る。 「走るのは俺だ ! お前は黙って陰で見ていればいいんだよ ! 」 ひど 言ってしまってから、あまりにも酷いセリフだったことに気づいた。 「わ、悪い、言いすぎた : 大介は俯いて肩をすくめ、ひどく落ち込んだ様子で、 「そうだよな、俺は必要ない。お前にとって必要ない人間だ」 それは少しの感情もこもっていない言い方だった。その言葉を最後に大介は後ろを向くと、 日 肩を落としてトボトボと翼の前から去って行った。 四「大介 ! おい、待てよ ! 」 十 謝ろうと引き留めたが、大介は決して振り向きはしなかった。そんな大介の後ろ姿を見な がら翼は唇を噛み締めていた。
地元に戻った翼は無意識のうちに大学のグラウンドを歩いていた。やはりこの場所が恋し かったのかもしれない。周りを見渡すと、全てが懐かしく感じられた。八日前までは自分も ここで走っていたというのに : ふと気がつくと、前の方から叫び声が聞こえてくる。ゆっくり視線を向けると、大勢の部 員たちが自分に向かって全力で走って来る。一瞬、鬼と錯覚しそうになったが、そうではな かった。見守っているうちに、翼はみんなに囲まれていた。何だ ? どうしたんだろう : : : みんな : : : 。大介や他の部員たちは興奮して、息を弾ませている。しかし、翼の顔を見た時、 誰もが我が目を疑った。八日ぶりに再会した翼は、髪が乱れ、身なりも汚れている。何の表 情もなく、目は濁っていた。そんな変わり果てた翼に彼らは言葉を失った。これは翼じゃな 生き生きとした佐藤翼が今は消えてしまっていた。これが " リアル鬼ごっこ。なのか。 大介は怒りを必死に抑え、そっと翼に声をかけた。 「翼 : : : おかえり」 大介の目がやや潤んでいた。 「大介 : : : 」 その様子に哀れみを感じた大介は目を伏せた。 「翼 : : : 長かったな」
「さあ、立て ! 」 別の兵士が翼を立ち上がらせる。 翼は兵士に言われるがままに外へ出ると、そこには見たこともない派手な車が止まってい 「これに乗るんだ ! さあ ! 」 兵士が後ろのドアを開けて促した。翼が車内に乗り込もうとした時、後ろで大きな叫び声 か聞こえた。 「お 1 いー 翼 ! 翼 ! 」 それを聞いた翼は一旦動きを止めて、振り向いた。 「み、みんな : 向こうから大勢の部員たちが走りながら手を振り、翼の元へとやって来た。多少息を切ら せながら大介が安心した笑みを浮かべ、 「つ、翼 : : : さっき、ニュース見たよ。驚いた。まさか、その一人が翼だったなんて : : : 」 大介は興奮したように話した。 そんな大介とは対照的に翼は冷静だった。 「一人 : : : そうか :
監督はそこで言葉を切って俯いた。監督の弱気な発言に大介が前に出た。 「監督 ! 翼は、翼は絶対に戻って来ますよ ! 監督がそんな弱気になってどうするんです か ! 信じましょ一つ。翼が帰って来ることを」 大介の言葉で監督は情けない顔をしている自分に気づき、 「そ、そうだな、すまん」 と言ったまま黙り込んでしまった。その時、一人の部員が遥か遠くを見据えて、 「お、おい・ : あれ : : : まさか」 その言葉に皆が一斉に視線を向けた。久保田が思わず声を洩らす。 「ウ、ウソだろ ? 」 「あれ・ : ・ : 佐藤先輩か ? 」 終微かな人影のようなものが徐々に近づき、段々人物がはっきりしだした。白のジャージ姿 のの男がフラフラになりながら少しずつ近づいて来る : ス マ「翼だ ! 翼が帰って来た ! 」 確信すると大介は俄然興奮し、翼の所まで全力で駆けて行った。それに続いて部員全員が ク 大介の後を追った。皆、表情が生き生きしてきた。監督も少し遅れて、信じられない思いを 抱えながら駆け寄った。
料「明日は : : どうするんだ ? 」 その言葉にちょっと苛ついた翼は、 「あ ? 知るかよー・」 と言って大介から視線を外した。 しや、違うよ : : : 明日 : : : 大会だろ ? 」 明日は地元・横浜で地区大会が行われる予定だった。ごく小さな大会だったが、もちろん 翼も百メートル走への出場が決まっている。しかし、今や短距離走では自分が一番早いこと も、そんな試合のことも、そして、走る喜びすら翼は忘れていた。下手すれば自分の命が危 ないという時に試合のことを考えられるわけがなかった。大介が言ってくれなければ思い出 しもしなかったに違いない 「そうか : ・・ : そうだったな」 ポツリと呟いた時、風がヒュ 1 ッと吹いた。今の翼の心境と同じような風であった。バサ バサと髪が乱れる。大介は髪を直して、 「明日走るのは : : : 無理だよ。欠場した方が : : : 」 翼はその言葉をさえぎって、強い口調で言った。 「ふざけるな。そんなことできるかよ」
迫っている : 日も暮れ始めた午後四時頃、テレビで″開会式〃など見る気もなく、午前の予選を勝ち抜 いてきた翼は決勝の準備をしていた。昨晩は色々なことが頭の中で交錯し、ほとんど熟睡で きなかった。こんな時に眠れるはずもないが、翼にとってこのような小さな大会では優勝す るのが当たり前で、翼は大会よりも昨日の大介のことが気になっていた。 大介は朝から会場に姿を見せてはいなかった。出走を控え、準備体操をしながらも目では 大介を捜していた。何より昨日のことを謝りたかったのだ。いっしか自分の名前がコールさ れていたが、耳に入らなかった。だが、体だけは指示どおりにスタ 1 ト位置につく。その行 動とはまったく別の思いばかりが頭に浮かんでしまい、集中できなかった。 ハン〃というスタ 1 トの音でハッと我に返った翼は一瞬出遅れたが、王国一の早さを誇る プライドにかけても負けるわサこまゝゝ 。冫冫し力なかった。アッという間に先頭に立ち、記録は出な かったものの余裕の表情を見せながらゴールした。ただこれが全国区の大会だったなら勝っ ことはできなかっただろう。しかし優勝は優勝だ。表彰式に移り一番高い表彰台に立った翼 は大介の姿を捜した。協会の会長から表彰状を受け取る際にも目をキョロキョロさせていた が、大介を見つけることはできなかった。 表彰式を終えた後、監督や部の仲間たちは今夜のことを思ってか、翼に声をかける者は誰