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検索対象: 世界の傑作機 メッサーシュミットMe262
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1. 世界の傑作機 メッサーシュミットMe262

かかれているため不詳。なお , ナン 迷彩ではないだろ うか。スワスチカ パーは会社での製造番号を示してい る。翼上面がスプリンターでなく , は白ふちのついた 普通形式のもので 1 色であることが変わっている。 第 3 図 A-1a JG. 54 の指揮官ノ ある。これも 1945 ポトニー少佐の乗機。上面プラック 年春の塗装。 グリーンとダークグリーンのスプリ 第 8 図 A-2a ンター迷彩。下面ライトプルー , 胴 /UI 実験部隊で 側は L M グレーと下面のライトプ 使用した機体。 ルーがまざりあって , その上からダ れもグリーン系の 第 9 図 A- 1 b ークグリーンのインクスポット迷彩 塗装であるが , 上 お .7 のマーク がしてある。垂直尾翼のシリアルナ と側面はプラック ンパーは 110400 と黒でかかれてい グリーンとダーク る。スワスチカは白ふちつき。 グリーンのスプリ 第 4 図 A-1b Ⅲ . / JG. 7 所属機。 ちっきの一般的なものである。 ンター迷彩。しかし , このスプリン 塗装は第 3 図に示したものと同系。 なお , この機体の主翼下面の十字 ター迷彩は 2 色の境目が非常にばか 胴体後部の帯は黄と赤で , なかに白 は , 黒い線だけのもの ( 胴体の十字 されている点に注意したい。 を黒くしたもの ) である。 1945 年初 で 1 とかかれている。ンリアルナン なお , 胴体後部の塗装が変わって パーは黒で 500071 , スワスチカは黒 頭の塗装。 いる。十字のマークのあたりから , 第 10 図 A-1a 機首に 50 ミリ機関 1 色のもの。 グーツと下面のライトプルーがのし 第 5 図 A-1a 3. /JG. 7 所属機。 砲を装備した機体 , 主翼上面はプラ あがってきて , 十字の一部を消し , これもグリーン系だが , R L M グレ ックグリーンとダークグリーンのス 水平尾翼の上までのびている。スワ ーの上のダークグリーンのほかしが プリンター , 胴体の背中はダークグ スチカは , 白色のものがかかれてい 大きい点と , 側面にライトプルーが リーン , 側面はライトグレー地にダ る。ンリアルナンパーは見えない。 見えない点が他機の塗装と変わって ークグレーのインクスポット迷彩で 1944 年秋の塗装である。ところで , いる。胴体の帯は黄 , スワスチカは この機体は機首の機銃が 1 門である 胴体後部はダークグリーンの部分が 白ふちつき , ンリアルナンパーは黒 少なくなっているのがおもしろい。 点に注意。 で 112385 , 1945 年 2 月の塗装。 第 9 図 A-1b 7. /JG. 7 所属機。 下面はライトプルー。ンリアルナン 第 6 図 A-2a I. /KG. 51 所属 グレー系の塗装の一例。翼上面はプ パーは不詳。スワスチカは黒。 機。上記第 3 図と同じようなパター 第 1 1 図 B-1a/U1 10. /NJG. 11 ラックグリーンとダークグリーンの ンだが , 機首と垂直尾翼の先端が白 所属機 (N は夜間を示す ) 。全面 スプリンター迷彩だが , 胴体は下面 く塗られている。そして , 垂直尾翼 のライトプルーがずっと上までのび ライトグレーで , その上にダークグ レーのばかし迷彩 , 翼上面も同様。 の方はその白のためにスワスチカの てきており , その上にダークグレー ー - 部が消えている点がおもしろい。 のインクスポット 第 10 図 A-1a 胴体の十字をはさんで比較的小さく 状 , というより普 黒で 9K H とかかれているのも変わ 通にばか っている。ンリアルナンパーは , 11 したよう 1625 で黒。スワスチカは黒 1 色のも な迷彩。 の。なお , 機首の白ぬりの後方に黒 第 1 1 図 B- 1 a/lJ 1 工ンジンナセル い細線がはいっている点に注意した の側面がばかしで い。 1945 年春の胴装である。 なく , くっきりと 第 7 図 A-2a 第 6 図に示した 塗り分けられてい 機体と同じ隊の所属機だが , こちら る点がほかの機体 第 1 2 図 B - 1 a/lJ 1 はダークグリーンの“ミラーウェ にくらべて変わっ プ " 迷彩になっている。この機体の ている。ンリアル 上面の資料がないので断言はできな ナンパーはなく , スワスチカは白ふ いけれども , おそらくスプリンター . 物ン等曻第一 第 7 図 A-2a 第 8 図 A-2a KG. 51 のマーク 49

2. 世界の傑作機 メッサーシュミットMe262

Me262 の塗装とマーキング 小鷹和美 リーンのもの , また , 全面黒のもの このライトプルーは比較的暗いとい 標準塗装 うか濃いというか , アズールプルー も見られる。 昼間型グリーン系塗装が主体 , 複座夜間型上・側面はライトグ 的な感じのものもあったと聞く。 要するに主翼 , 水平尾翼上面はダー スプリンター迷彩のパターンにつ レーで , その上にダークグレーのイ いては , はじめ規格があったようだ クグリーンとプラックグリーンのス ンクスポット状の迷彩 ( 翼も ) 。下面 プリンター ( 折線分割 ) 迷彩。 が , 各部隊で塗装する際 , 意識的に もライトグレーのもの , あるいはラ 胴側面は RLM グレー ( ドイツ空軍 機体によって異なったパターンにし イトプルー , なかには黒の機体もあ 省指定のグレー REICHS LUFT- たというのが真相のようであるが , ったようだ。 FAHRT MINISTRIUM GRAU) ご参考までにその一例を図示してお このほか胴体は前にかいたものと の地色にダークグリーンの吹きつけ 同じで , 翼がダークグレーとライト 迷彩。この吹きつけ迷彩はインクス グリーン系塗装のほか , 翼は上記 グレーのスプリンター迷彩。下面と ポット的なものや連続曲線状の , い の迷彩で , 胴体側面がライトグレー 工ンジンナセルの側面が黒という機 あるいはライトプルー , ほかにダー 体もあったという。 わゆるメロメロ迷彩のものがある。 下面はライトプルーで , 胴側での境 本機の出現は大戦も未期のころで クグレーのインクスポット状の迷彩 あり , 色彩的には Bf109 などにくら 界は , ばかしになっている。なお , のもの , あるいは下面以外ダークグ スプリンター迷彩の一例 国籍マークの位置 0 0 国籍マーク 赤白黒明るい青 青白明るい青 ( 左側 ) OG. 7 ( 右側 ) KG. 引 OG. 54 OG. 7 47

3. 世界の傑作機 メッサーシュミットMe262

第 3 図 A- 1 a お .54 のマーク 第 1 図 A- 1 a 第 2 図 A- 1 b 1941 年末ころからアフリカや地中海 飼体後部の帯これについては , あったようである。 色に塗ったり , 白帯をかいたものも うだ。なかにはその先だけを明るい 爆弾鉄色的なものが多かったよ うだ。 ホイールと同色のものが多かったよ リーン , 脚柱もオレオの部分以外は 車輪ホイールは黒 , プラックグ クグレーもあったようだ。 LM グレーが一般的 , なかにはダー 座席脚孔内 , 脚カバー内側は R 細部の塗装について ずあったとも考えられるのである。 のほかにも例外的な塗装が少なから が , 何しろドイツ機のことゆえ , こ べると比較的変化に乏しいといえる お .7 のマーク 第 4 図 A- 1 b 第 6 図 A-2a JG. 7 のマーク 第 5 図 A- 1 a 48 / に 沿岸 , あるいは南 ロシア方面の作戦 に従事した機体は 白帯 , 英仏海峡方 面 , 北・中ロンア , スカンジナビアそ してドイツ本土防 衛にあたった部隊 は黄色の帯 , 1944 年はじめにはドイ ツ本土防衛の任に ついた戦闘機 , 戦 闘爆撃機部隊は赤 と白の帯をつけて D 一般的なスワスチカ。 のもの。主翼下面につけられた。 に黒ふちがつく要するに普通の形式 C 白ふちのき黒十字。一番外側 けたようだ。 がグレー系の場合は B のマークをつ 翼上面と胴体につけられたが , 機体 B 黒ふちだけのもの。ともに主 A 白ふちだけのもの。 ものが使用された。 本機には図示したような数種類の 国籍マークについて 参考までに記しておく次第である。 るので迷うことも事実だが , 一応ご 組み合わせたものなどもあったりす このほかの色 , たとえば赤と黄を ろいろの説があるようだ。 いたとのことであるが , これにはい 0 の 白ふちのな い黒いもの。 F 全体が白い もの。このほかグ レーのもあったよ うだ。これらは垂 直尾翼につくのは いうまでもない。 主翼上面の鉄十一 字の位置は , 機軸 に対して直角のも のと傾斜している ものの二通りがあ った。 ( 図参照 ) 部隊のマークについては , JG. 7, JG54, KG. 51 を図示しておこう。 〔注〕 JG. =Jagdgeschwader ( 戦闘隊を 表わす ) 。 KG. = Kampfgeschwader( 爆撃隊 を表わす ) 。 塗装例 各機体の所属部隊の名称だが , た とえば JG. 7 の場合 , その Geschwa- der を何と表現したらもっとも適当 なのか迷ってしまう。適訳でない場 合には , その国でのニュアンスと違 ってしまうことになるからだ。 そこで , ここでは原文のままをか くことにした。しかし , 一応ご参考 までに当時のドイツ空軍の編成を示 しておこう。 Kette=3A/C (aircrafts) StaffeI=3Ketten = 9A/C Gruppe = 3S ねⅡ el = 27A/C Geschwader=3Gruppen=106A/C つぎに表示の見方についてかいて おく。 ① 5. / JG. 7 とある場合は・・・ 5. Staffel/JG. 7 となる。 ②Ⅲ . / JG. 7 の場合は・・・ Ⅲ . /Gruppe/JG. 7 となるとのこと である。 第 1 図 A-Ia ハンス工ッケハー ド少佐の乗機。下面のライトプルー 以外はすべて黒。文字はまったくな く , 何かすごみのある塗装。スワス チカは白。なお , この機体は翼下面 に , 左右各 12 発の R4M ロケットを 装備している。 1945 年 4 月というか ら戦いも末期の塗装である。 第 2 図 A-1b 上面ダークグリー ン , 下面ライトプルー , 側面は下面 のライトプルーが上まで伸び , その 上にダークグリーンのほかし , 垂直 尾翼もライトプル一地にダークグリ ーンのばかし , 機首のナンパーは黄 で , スワスチカは白ふちつき , シリ アルナンパーは記入されているが , ちょうどダークグリーンのところに

4. 世界の傑作機 メッサーシュミットMe262

第 13 図のガーランド機のスプリンター迷彩 ( 右・翼のノヾターンは不詳 ) .41 , こ - 町 まーーに 第 1 3 図 A-1a? ミッキーのマーク 第 14 図 A - 1 a 赤 第 14 図のチェコ ガーランド機の 空軍機のマーク マーク ( 白と黒 ) 機首のナンパーは赤で , 白ふちつき プリンター迷彩。スワスチカはふち のが , このことを裏付けているとい 胴体の十字がダークグレーであるこ なしの黒。翼下面は黒線わくだけの えよう。 とに注意。スワスチカは黒。その上 十字。機体記号は細い黒ふちつきの いささかひねくれた考え方かも知 に地色のグレーが細い線でところど 白である。 れないが , その塗装の時点を示して ころ見えるのがおもしろい。ンリア 第 14 図 A-1a 戦後 , チェコス いるということは , その裏をかえせ ルナンパーは 110635 で色は黒 , 機首 ロパキア空軍の気体動力学研究所が ば「それ以外の時期についてはわか の機銃は 1 門で , 銃口から突きでて スピード研究機として使用した機体 らない」ということにつながってい いる点に注意したい。主翼上面の十 くだろう。 の塗装。全面ライトグレー。機首の 字は白でなく , 黒線のものである。 事実 , ドイツ空軍は水で洗い落せ 電光型矢印は赤 ( 青という説もある ) 第 12 図 B-1a/U1 おそらく第 で , 主翼上・下面につく国籍マーク る水性塗料を使い , 時期によって塗 11 図に示した機体と同じ隊の所属機 装をいとも簡単に変えていたことは は左右とも赤の部分が内側になる。 だろう。全面ライトプルーで , その ご存知のとおりである。だから , き 垂直尾翼では青が機首の方を向く。 上にダークグレーのばかし迷彩。背 のうはスプリンターだった機体が , なお , マークは青のふちどりがして 中はダークグレー。 12 という数字が きようはインクスポットになってい ある ( 図参照 ) 。胴体の記号は黒。 赤で白ふちつき , 十字のマークは胴 ることがあっても , おかしくはない 紙面の関係もあり , 塗装例は以上 体が黒線のもので , 主翼下面は白と のだ。あまり神経をとがらせず「そ にとどめておこう。 なっている。スワスチカも黒。シリ の時点」の塗装を眺めればよいので ところで , ドイツ機の塗装につい アルナンパーは 111980 で , 色は黒。 はないかと思う。 ては「決定的」なものがないといっ 第 11 図と同じ塗装のときもあった。 各部隊のマークにしても , パター ても過言ではないだろう。一例が第 なお , 本機はイギリス空軍が捕獲し ンは同じでも色が違ったりしている 12 図に示したものである。「下面が てテストしたものだという。 資料もあるが , それだってどちらが 黒いものもある」といういい方をす 第 13 図 A-1a? ガーランド機の 正しいとはいえないと思う。一見 , ると , 何かおかしな印象をもたれる 塗装といわれるもの。胴体はライト すべてを規格どおりに運ばなければ かも知れないが , そういうことがあ プルーの地にダークグレーのはん 気のすまないのがドイツ式という感 っても不思議ではないのである。資 があるが , 実はその逆がドイツ空軍 点 , 背中はダークグレー。翼はダー 料をみても「何年何月」の塗装であ 部隊だったのだろう。 ると断わっているものも少なくない クグリーンとプラックグリーンのス 世界の傑作機 N 。 .17 昭和 55 年 8 月 1 日印刷 昭和 55 年 8 月 10 日発行 特集メッサーシュミット Me262 編集人宮本勲 発行人今井今朝春 く写真解説〉 Me262 の誕生から終えんまで・・ ・・・田原国雄 1 1 発行所株式会社文林堂 東京都新宿区歌舞伎町 2 - 3 -16 第 3 幸新ビル 3F 高野俊夫 Me262 り技術的解剖 柴田文治 17 〒 160 電話 03 ( 208 ) 5222 Me262 各型の諸元性能 杉山正男 相波光輝 16 営業所 東京都千代田区神田神保町 1 ・ 55 Me262 の実戦記録 ( 1 ) 小田誠イ 3 〒 101 電話 03 ( 291 ) 9337 Me262 の実戦記録②・・・ ・・・井田明 45 ◎株式会社文林堂 1980 年 本誌掲載の写真 , 図面 , 記事 定価 400 円 Me262 の塗装とマーキング 」鷹和美 4 ア の無断転載を禁します。 50

5. 世界の傑作機 メッサーシュミットMe262

た。その 1 号機は 1945 年 2 月 27 日に 初飛行したが , 高度 13 , 000m まで 4 分半で上昇することができたとい 次の Me262C-2b は , BM 、 V718 液 体ロケットを BMW003A ターボジェ ットのうしろに取付けた BMW003R を , 主翼下面に 1 基ずっ懸架した。 戦後アメリカでテスト飛行中の Me262A-1a これは , 外見では双発であったが実 際には“ 4 発”で , ロケットを吹かす これなどは , 20 ~ 30 年後になって Me262D は機首に SG500 “ャークト ことによって 600kg ずつ推力がふえ 戦術戦闘機として使っても立派に通 ファウスト”という 50mm 自動砲 12 用する機体で , 当時のドイツのジェ 門をたばにしたものを , 前上方に向 た。 ット機設計技術が , いかに進歩して 武装と機体は C-1a とはほとんど けて固定していた。敵爆撃機の下面 同じで , ふたつのエンジンを縦に並 いたかを示す例のひとつである。 に入って , " 編隊飛行”になった瞬間 設計といえば , ほかにもインター べただけに空気低抗も少なく , 実用 に発射すると , 弾丸は無反動式に上 ツエプター ( 迎撃機 ) 工およびⅢと 化すれば大変な性能が期待できた。 へ向けて挑び出し , 12 発で 12 機撃墜 いう改造型の計画もあった。インタ も夢ではなかっした。しかし , 実機 おそらく高空では , 一挙に音速に迫 ーツエプター I は , Me262A の尾端 は完成しなかった。 るスピードを出したであろうし , 上 に HWKRII/212 ロケットエンジン Me262E は 5cm の R4M ロケット 昇力なども , 当時のジェット機の水 を収め , その燃料 ( T 物質 ) を 395Z 弾で武装した怪物であった。機首に 準さえ遙かに抜いていたであろう。 の増槽に入れて胴体下面に懸架する 24 発 , 主翼下面に 12 発ずっ , 合計 48 しかし , このエンジンは , 構想が ことになっていた。 発をコンテナに入れて持っことにな 進みすぎていて , 機構が追い付かな また , インターツエプターⅢはタ っていた。この考えは 10 年後に , ア かった。工ンジンの運転は , 燃料の ーポジェットを外して . 上記のロケ メリカのロッキード F-94C で実用 供給をパイロットが慎重に機敏に処 ットエンジンを翼下に懸架したロケ 化された。 置しなければならなかったが , これ ット機で , 有名な Me163 ロケット戦 Me262E のひとっとして , 機首に だけでも空中戦ができなくなるので 闘機を大型化したような構想であっ 50mm の MK114 機関砲を長く突き出 はないかと思われるほどであった。 た。これならば , 滞空時間の不足や したもの , つまり“空飛ぶ高射砲” それに故障も多く , 調子もむらで , ェンジン故障の危険に悩まされてい ともいうべきものも考えられた。し べンチテストの最終段階で遂にエン た Me163 の欠点をなくすことができ かし , Me262A-1a を改造して 3 機 ジンが爆発してしまった。それでも 連合軍爆撃機にさらに痛撃を加える が試作された結果 , 不採用となった。 Me262C-2b は , 戦争が終わるまで ことができたはずであるが , 大戦末 に 1 回だけ飛行するところにこぎつ 机上プランに終わった 期のドイツの実情では実用機を揃え けていた。 その他の型 ることは不可能だったようである。 C-2b の不調を見越して Me262C メッサーンユミット社の計画では -3 は , ワルター・ロケット 1 基を また , 完成していれば別の名称と さらに操縦席をずっと機首寄りに移 胴体下に懸架し , 必要に応じて投下 なっていたであろうが , 胴体や部品 をできるだけ共用化した夜間戦闘機 動した型も検討されていた。 できるように考えられていた。そし の計画があった。これは 45 度の後退 アオクレーラー ( 偵察機 ) 工 a は , て , そのための燃料は機首下面近く 角を持つ高速機で , 高度 6 , 0 圓 m で この新しいアレンジの胴体の尾部 に懸架して , パイプでロケットに送 時速 1 , 000km は出せるというもの。 に , RB75 / 30 カメラを下方向けに取 られるようになっていた。つまり , HeS011 ターポジェットを 1 基ずつ 付けたもので , 高々度からの戦術偵 普通の Me262A を改造しても容易に 翼の付根のなかに収めていた。 察に活躍することを狙っていた。 実用化できるように考えられていた このインターツエプターの計画を このことは , 戦後になってアメリ もので , なかなか卓越したアイデア さらに発展させたものにシュネルポ 力のノースアメリカン社の技師たち といえる。 ムバー ( 攻撃機 ) があった。これは , に注目され , 同社がその後に F ー 86 メッサーンユミットはまた , なん 胴体下面を膨らまして爆弾倉を新設 セイバー戦闘機を開発するのに大き とかして敵爆撃機の全滅を計ろうと し , BT700 爆弾などの大型爆弾を積 な参考になったといわれる。 武装の強化にも懸命にとり組んだ。 15

6. 世界の傑作機 メッサーシュミットMe262

メッサーンユミット社が , これを Bf 109 戦闘機に採用して充分に経験 ずみのもので , プロペラ式戦闘機と 戦うためにも非常に有効であった。 そして , 着陸のときは後縁のフラッ プを連動した。このフラップは隙間 下げ式で , 油圧で希望の位置にセッ トできた。 胴体はおむすび形の断面をもっ特 異な形態である。ことにジェット機 というと , 従来のプロペラ機とは全 く別の技術が必要と考えられた時代 に , このような思いきった方法をと ったのは注目される。 その理由は明らかでないが , ひと つにはパイロットの視界を良くする ためであったことは間違いない。ま た , 胴体下面を平らにすることによ って , 主以外にここからも揚力が 発生し , 性能が向上していることも 確かである。 胴体には , 機首に強力な武装 , 中 央部に燃料を沢山積まなければなら なかっただろうから , 断面積はどう しても大きくなる。それでいて高速 機であるから , 機首と機尾は , スマ ートに仕上げなければ空気抵抗がふ えて困る。そんなことを考え合わせ て , メッサーンユミットの技術者た ちがまとめ上げたのが , このおむす び形の偏平な胴体のようである。 垂直尾翼は , おむすび形の先の尖 った特徴ある形で , 水平尾翼を取付 けている部分から下は , 尾部と一体 に組立てられている。 水平尾翼は , 昇降舵とは別に , 水 平安定板の角度を飛行中に調整でき た。これは , 直接には昇降舵だけで は機体の幅広い速度域に対応するの に力不足なので , 苦心のすえに採用 されたものであるが , 計らずも 10 年 後のジェット戦闘機が , 当りまえの ように採用したフライング・テール の先駆となった。 ユモ 004 工ンジン 工ンジンは , ユンカース・ユモ 004 ターポジェットが主翼の下に 1 基ずっ懸架されていた。この懸架方 式は , 同じドイツのハインケル 280 やイギリスのミーティアとも同じゃ り方で , 双発ジェット戦闘機の標準 的なもののひとつである。 工ンジンの点検や整備がやり易い のは当然だし , 別のエンジンを付け ることにも大きな問題がない。ま た , 設計のときも空気力学上の複雑 な問題をかかえなくてもすむ。 ただ , 片発飛行のときは同じ双発 でも , 胴体のなかやまわりに取付け たものよりトリムの修正がむずかし いし , 空気抵抗がすこし大きくなる 欠点はあったが , なにしろ , 当時の Me262 の相手は , 時速 600 km そこ そこのプロペラ付き戦闘機たちであ る。難かしい問題に取組んで時間を 費すより , 安全で確実な方法で早く 実用化を計ったメッサーンユミット のやり方は , 正しかったようであ る。 ただ , ュモ 004 ターポジェット は , なにしろ世界最初の実用ターポ ジェットだったためもあり , 燃料を 沢山食ったし , コンプレッサーやタ ービンのプレードがとんだりする事 故は年中だった。それに , オーパー ホールまでの運転時間は短くて整備 に手間がかかったし , 運転も , ェン ジンが過熱や過回転しないようにす るには , パイロットが相当注意しな ければならなかった。 コンプレッサーは 8 段で , これで 空気を大気圧の 8 倍まで圧縮し , そ のうしろの 6 個の燃焼室で燃料を噴 射していた。タービンは 1 段で , 今 日から見れば極めて初歩的なエンジ ンであるが , イギリスやアメリカが コンプレッサーを遠心式のものにし たのに対して , ドイツではこのユン カースも BMW も揃って軸流式のも のを採用していた。遠心式のほうが 作るのは難かしくないが , 軸流式の ほうが前面々積を小さくできるので 高速機に適している。 武装 武装は , 30mm のラインメタル・ ポルジーク製 MK. 108 機関砲 4 門が 中心である。 この 30mm 機関砲は , すでにドイ ツがプロペラ付き戦闘機でも , 一部 で実用化していた強力なもので , 弾 丸の装填は電気真空式 , 発射は電気 式。上の 2 門は弾丸を 100 発 , 下の 2 門は 80 発ずっ持ち , 500 ャード ( 約 450 m) 先で 1 点を結ぶように 調整されていた。機関砲の点検・整 備とマガジンの交換は , 上部のヒン ジ付きパネルを上へ開いてできた。 薬きようの放出孔が機首下面の両側 に 2 個ずつ開いていた。 この 30mm 機関砲の威力は大した もので , ジャイロを使った E Z 42 自 動照準器と組合わせて使うと一撃で 敵の重爆撃機を紛砕することができ た。なにしろ , 連合軍の火器は 12.7 mm がほとんどである。イギリス機 が一部で 20mm 機関砲を使っていた が , これとて 30mm と比べると , 射 程も破壊力も段違いである。だか ら , いちど目標を捕えた Me262 は , 敵の射程圏外から高速で正確な弾丸 を発射できた。これは空気銃とライ フル銃ぐらいのカの差があった。 これに加えて威力を発揮したのは R4M というロケット弾である。主 濃の下に 12 個ずっ , たばねて懸架で き , 標準のレビ照準器で狙いを定 め , 800m 離れて発射すると , 敵の 大型爆撃機を易々と撃墜できた。こ れを用いたのは主に第 7 戦闘大隊と 第 44 戦闘中隊である。その他の部隊 はこれを用いようにも , 生産工場の RM 工場は , 月産 25 , 000 発を作りな がらも連合軍の執拗な警戒のため , 部隊配備になった Me 262 に取付け て飛ばすことが非常に困難になって いたのである。 そのほか , 爆撃機として用いるも のは , 機首下面の両側に爆弾を 2 発 懸架できた。

7. 世界の傑作機 メッサーシュミットMe262

! 鄒ー第 ワロースアップ Me262 0 ⑦ : 0 ⑥ 2 ④ 、 ) 1 、・ノ、ーノ、ノ ⑨ ☆右主脚 / 主脚窒☆ 0 ①主脚ドア , ②工ンジン・ナセル , ③主脚引込み作勤筒 , ④主申 ( ( 840X3 開 ). ◎ラジオ・アンテナ . ⑥主脚室 , ⑦主桁 , ⑧主脚内イ則ドア , ⑨フラッフ。 本機のスタビライサーは胴体尾に取付けられておリ , 亜直尾翼と尾部はポルトで結合されている。 ① く尾部 / 尾翼構造〉 く尾部 / 尾翼構造〉 垂直安定板 ートリ乙タブ 0 ラター く前脚構造〉 30mMK .108 機関砲 くガン・カメラ装備図〉 Me262 の固定武装は機首に装備した 30 Mk. 108 機関砲 4 門 , Mk. 108 は前ち 500Yd のに 射線が集中するよう調定されており , 機首・先 端部には機関砲トリカ、・一と連動するガン・カ メラを収容している。照準器はリフレクタ式 の Revi 16 B で , ・部の機体は後にジャイロス コヒ。ック・サイトに変史された。なお爆撃 装搭載用として胴体下面 2 ヵ所に容量 1 , 000 の爆弾架があり 550 爆弾 2 発もしくは 1 , 0 0 わ弾 1 発を搭載できる。 乗員を保護する装甲板は 16 厚のものをパ イロットの月リ・後に配している。 リンワ・シュート ガン・カメラ 32

8. 世界の傑作機 メッサーシュミットMe262

108 機関砲 4 門に加えて , ンユレー 呼ばれる夜間迎撃の戦法で , 迎撃機 を懸架できるようにした写真偵察機 ゲ・ムージク洋という斜上方向けに はサーチライト部隊と無線連絡をと である。 遠隔操作式の MK108 機関砲 4 門を りながら敵機の後上方へ接近し , サ 複座の B シリーズ 風防のうしろのほうに付けていた。 ーチライトが照らし出す敵影 ( この レーダーや無線機は B-1a/U1 と とき敵はライトの光で目がくらんで Me262B ンリーズは複座型だっ ほとんど同じだったが , FuG350ZC 接近する迎撃機には気が付かない ) た。複座型はふたつの用途に分けら “ナクソス”無線機を追加していた。 を狙い撃ちするものである。 れ , ひとつは練習機 , もうひとつは しかし , 時すでに遅かった。連合 ほかのプロペラ戦闘機もこの戦法 夜間戦闘機で , まず練習機が実際上 軍は周囲からドイツをしめ上げ , 迎 を用いたが , Me262 は高速にものを の必要から作られた。 撃型 Me262 の活躍にもかかわらず , いわせて , 非常に大きな戦果を挙げ これは , ジェット機がプロペラ機 圧倒的な数の差のまえには , いかに たのであった。 に比べて操縦がしやすいというので Me262 が優秀でも駄目であった。 Me262 を夜間戦闘機とする計画は パイロットたちのあいだに , あたか Me262B-2a の原型は 1945 年 2 月に そのまえからあった。単座の Me262 も Me262 は事前の訓練がなくても , なって完成し , 飛行テストにまでこ の 1 機に , SN-2 、リヒテンンユタ 容易にプロペラ機から移行できると ぎ付けたがそれで終わりであった。 イン、レーダーを機首に付けたもの いう誤った考えが広まったのに対す また , センチメートル波を用いる がテストされ , レーダー付きの本格 る処置でもあった。 進歩したレーダー ( 今日のレーダー 的夜間戦闘機を作る自信はあった。 これが Me262B ー la で , 座席を増 と同じで , イギリスはすでにこれを そこで , まず Me262B-1a/U1 とい 設したため胴体燃料タンクの容量が 実用化ずみだった ) を , 太くした機 う夜間戦闘機が , Me262B-1a 練習 減ったのを補なう目的で , 250Z 増槽 首のレドームのなかに収めた型は , 機を改造して作られた。 2 個か 500Z 増槽 1 個を胴体下面に懸 計画のみに終わっている。これが完 機首には FuG218 レーダーのほか , 架できるようにしていた。武装は 30 成していれば , 戦後数年たって出て 必要な無線機類が装備された。その mm の MK108 機関砲 4 門のままで , きたイギリスのミーティア N. F. 5 と 改造 1 号機は墜落してパイロットは 必要とあれば何時でも戦闘機として 同級の性能を持っていただけに , さ 死んだが , 残る 2 機でテストが続行 使えるようになっていた。これは 15 そかし大活躍したことだろうと惜し された。テストには滞空時間を長く 機作られた。 まれる。それにつけても , 実用化ま するため、ダイヒゼルシュレッペ これとは別に , 単座機の 1 機を操 でに無駄に失われた日々を , 関係者 と呼ばれる補助タンクを曳航するこ 縦したワルター大尉は , 1945 年 2 月 は無念の涙で思い浮かべていたであ とも含まれていた。 にベルリン空襲に飛来したイギリス ろう。 さらに B ー la / UI が追加して作ら のモスキート爆撃機を , サーチライ 性能向上型と武装強化型 れることになっていたが , 戦争が終 トの協力を得て迎撃し , 大戦果をあ げた。これは、ウイデル・ザウ、と わるまでには完成しなかった。 ドイツの敗勢が刻一刻と迫ってき Me262B -2 と た 1944 年秋になると , ヒットラーも いうのは計画だけ ゲーリングも , 航空省も空軍も , メ だったが , 2 座と ッサーンユミット戦闘機に救いの望 3 座のふたつの型 みをかけはじめた。 繃 が考えられてい そこで生産には全力が挙げられ , た。 パイロットや器材の整備がいそがれ Me262B-2a は るいっぽう , メッサーシュミットは 本格的に夜間戦闘 さらに性能を向上した Me262C ンリ 機として作られた ーズの緊急開発に入った。 黜 もので , 胴体を主 翼のまえとうしろ これはロケット・プースターを付 で延長して 30cm けた型で , その最初の型の Me262C 長くしていた。 -la は , ワルター H rK109 ー 509A のため , 燃料容量 液体ロケットモーターを尾端に新設 し , その燃料は T 物質と C 物質を別 は 973Z も増加し , 別にして胴体内のタンクに入れてい 火器も機首の MK ( 上 ) Me262A ー 1 戦闘機を改造した Me262A ー 2 戦闘爆撃機。 ( 中 ) Me262 I a 爆撃機 , 機首が改造され胴体前部下面に爆弾を シュネノレポム′く一 懸吊する。図は空雷をつけたところ。 ( 下 ) Me262 ンユネルポムパーⅡ。 la を改造した型で . 体を太くして前方下部に爆弾倉を設けた。 ・ : ヨ諸癧市潯癧 :

9. 世界の傑作機 メッサーシュミットMe262

△前ページと同じ , 写真偵察型の Me262A ー / U3 を改 造した A ーを後方から見たもの。特徴あるオムスビ型 の胴体 , 工ンジンの懸吊部分やフラップなどの構造が よくわかる。 ▽戦後 , フランスが保有していた Me262A ーの一機。 消したドイツのマークの上に胴体だけフランスの国籍マ ークが塗られツ 7 ″という番号が新しく描かれている。 フラップをいつばい下げ , 方向舵も昇降舵も動いている。 25

10. 世界の傑作機 メッサーシュミットMe262

Me262 の誕生から終えんまで 田原国雄 メッサーンユミット Me262 の名 は , 世界の航空史のうえに不滅であ る。 それは , 世界最初の実用ジェット 機として登場したばかりか , 絶望的 と思えた大戦末期のドイツの航空機 における優位を , 一時的ではあるが 取戻した。もし , あと 1 年早く出現 していたら ( その可能性は充分あっ た ) , 第 2 次大戦の勝敗もところを変 えていたかもしれなかったと , 連合 国を驚かしたのである。 構想は第 2 次大戦前に Me262 が活躍しはじめたのは , 第 2 次大戦末期の 1944 年秋からであっ たが , その構想は意外と早い。 1938 年秋といえば , まだヨーロッ パに大戦が開始されていないときで あったが , ドイツではすでにハイン ケル社が独自にターポジェット機を 開発し実用化のめどが付いていた。 これは極秘にされ , ドイツ航空省 はメッサーシュミット社に対して , ユンカースと BMW の両社で開発さ れていた“計画 1065 ”という軸流タ ーポジェットを装備する機体の設計 を依頼した。 このころ , メッサーシュミット社 は Bf109 戦闘機の量産を急ピッチで すすめ , ドイツ最大の航空機メーカ ーにのし上っていたが , 航空省の信 頼の厚いメッサーシュミット社は , 技術で先行していたハインケル社を 差しおいて , 新型実用機の開発を命 じられたのだった。 1939 年 6 月には設計案がまとまり 40 年 3 月 1 日には航空省のモックア ップ審査が終了した。 ここで 3 機の試作機が発注になっ た。装備が指定されたエンジンは , BMW P. 3302 ターポジェットで , これがのちに BM 、 V109 ー 003A とし て世界を驚がくさせる存在になる。 このエンジンは ,. 計画での推力は 680kg を出し , 1940 年夏には試作品 が機体に装備できる予定であった が , ペンチテストの結果はわずかに 258kg の推力しか出ず , 新型戦闘 機の動力としては不充分と判定され た。 いっぽう , ユンカースのほうは , ュモ 109 ー 004 ターポジェットの開発 が遅れていて , 1940 年 11 月にならな ければ試運転もできない有様であっ た。これは , 大戦に勝っためには , ターポジェット機などという , 海の ものとも山のものともっかないエン ジンを使わなくても , ピストンエン ジンで充分だと判断したため , 開発 に力を振り向けなかったという事情 もあった。 しかし , 困ったのはメッサーンユ ミットである。機体は 1941 年 4 月に 完成したが , 取付けるエンジンはな く , 航空省も空軍も冷淡な態度であ った。しかし , メッサーシュミット の設計チームは , 屈せずに仕事をす すめ , 1 号機にはピストンエンジン を付けてまず飛ばし , 機体の開発だ けでも先行させることにした。 1 号機 ( Me262 V 1 ) は 1941 年 4 月 4 日 , 機首に , ユンカース・ユモ 210G という 700HP の液冷のピスト ンエンジンを 1 基積んで , アウグス プルグエ場で初飛行に成功した。 700HP のエンジンでは誠に馬力不 足だったが , なにはともあれ実機の 低速や離着陸の性能試験はこれで進 行した。この状態で 6 回の飛行が行 なわれたが , そのときの記録が , い までは全く残っていないのは残念で ある。 Me262V 1 の飛行成功に刺激され た航空省は , 7 月 26 日には 5 機の原 型を追加発注したが , これは当時の 発注レベルからみると非常に低い。 優先順位の高いものは , 数十機の試 作機が連続して発注されていたから である。 1941 年 11 月中旬に入って , やっと 待望のエンジンが到着した。 BMW 109 ー 003 の初期型 2 基で , 推力は 450 kg だった。これは Me262V 1 の翼下 に 1 基ずっ取付けられたが , 安全の ためユモ 210G 工ンジンはそのまま 機首に残されていた。 ターポジェットとピストンの , 両 工ンジンを付けた 3 発の珍型機は , 11 月 25 日に初飛行するべく滑走路に 出て全力運転をしたところ , 工ンジ ンが破壊してしまった。タービンの プレードが遠心力に耐え切れずにふ っ飛んでしまったのである。代わり にユモ 109 ー 004 タージェットが送 られて来たのは , それから 8 カ月も あとのことだった。 このエンジンはすでに Me110 戦闘 機の胴体下面に懸架されて飛行試験 ずみであり , 推力は 838kg も出た。 Me262 V3 ( 3 号機 ) に取付けられ て飛行が行なわれたのは 1942 年 7 月 18 日で , これこそ Me262 が , ジェッ トの力だけで飛んだ記念すべき日だ った。 ( 日本最初のジェット機「橋 花」が飛んだのは , それからほば 3 年後の 1945 年 8 月である ) 冷淡だった航空省 普通ならこれで緊急開発が開始さ れてよいところであったが , 航空省・ はまだ冷淡であった。これがドイツ・ の命とりになるとは知らずに・・・ 1 Ⅱ