大泊 - みる会図書館


検索対象: 丸スペシャル No.34 特務艦 (日本海軍艦艇シリーズ)
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1. 丸スペシャル No.34 特務艦 (日本海軍艦艇シリーズ)

大泊は最初、舞鶴を本籍地としたが、竣工直後の大正田年に月には、はやくも 小樽から樺大、沿海州方面に行動を開始した。本艦は主として大 : 奏を基地にし て、千島、カムチャッカ、オホーック海一帯をつねに行動していた。夏季には ときどき横須賀へ帰投して修理や交替を行なったが、それも終えると間もなく 東京を出港する有様で、一年のほとんどは北方水域にあった、。写真は北方作戦 に従事して、サハリン中部のビレオ港で物資陸揚げ作業中の光景である 氷塊にかこまれ行動中の大泊一一本艦は竣工後、最初の行動で艦首の構造か 不十分なことがわかり補強された。写真は補強後のもので、艦首はあたかも 衝角 ( ラム ) が付けられたような外観を呈している。また竣工時の写真と比 較すると、艦首には波除けの大きなフルワークが付けられ、中央の構造物か ら艦尾へプーフテッキを増設して居住区とし、艦橋頂部も全周密閉式とする など、さまざまの改正がほどこされている。本艦は大正Ⅱ年に月に舞雀号から 須賀へ転籍した

2. 丸スペシャル No.34 特務艦 (日本海軍艦艇シリーズ)

マ昭和 23 年月 22 日、長浦港で解体を待つ大泊 ~ 一本艦は戦 時中、大湊警備府付属として宗谷防備隊の担当海面の警備に 当たった。年 4 月から宗谷海峡、樺太東岸を行動して、峭 戒・海上交通保護に従事、時にはソ連船の臨検を行なった 20 年 4 月から大湊方面を行動し、 7 月に横須賀へ回航され、 同地て終戦を迎えた c 戦時中に 25 ミリ機銃 2 梃、ロミリ機銃 6 梃と爆雷数コを増備した。戦後、北方からの復員輸送に使 用の予定であったが、缶の損耗がひどく断念され、長らく撃 留されていたが、 24 年田月から 25 年 3 月にかけて解体された 昭和初期、北方水域を行動中の大泊一 ~ 本艦は北方行 動を任務とするため、平時から備砲を搭載した数少な い特務艦であった。兵装としては 40 口径 8 センチ砲ー 門を艦首に装備していた。機関は直立三段膨脹式、ホ イラーは円缶 5 基、 2 軸、 4 .000 馬力で速力はロ . 5 ノ ット、燃料として石炭 500 トンを積載した。砕氷艦の ため長さがきわめて短く、大い 2 本煙突を持っその外 容は、わが海車でも異彩を放っており、遠方から見る と大型曳船のようにも見えたという

3. 丸スペシャル No.34 特務艦 (日本海軍艦艇シリーズ)

完成そうそうの大正田年に月、神戸を出港して横須賀へむかう大泊 ( おおどまり ) 本艦は大正時代、第一次大戦や シベリヤ出兵などが起こり、北方警備が重視されるようになって、大正 9 年度予算で計画されたもので、わが海軍唯 ーの砕氷艦であった。建造は神戸川崎造船所で行なわれ、大正田年Ⅱ月に竣工したが、初めての砕氷艦なので、その 設計や建造には多くの苦心を要した。基準排水量 2 , 330 トンの小艦ではあるが、厚さ 2 メートルの砕氷能力があった

4. 丸スペシャル No.34 特務艦 (日本海軍艦艇シリーズ)

、 ~ 二 ' 物物トニー算 員は防暑用の相子を被プているダ鳴戸の中部にセンチ高角砲が増設されている 光景で、左手前の艦は重巡鳥海らしい ; 場所は内南洋の艦隊集合地らし甲板上の兵 の横浜沖観艦式をもらて締めぐぐりをつけたい写真は鳴戸が重巡高雄に横付け給油中の 模に実施され、 - ロンドン条約下に多くの新鋭艦を参加させて猛訓練を展開しこ 8 月 25 日 和 8 年の大演習に参加した鳴戸洋の時の演習は炎天下に内南洋方面にがけて大規 のでを右上写真と 0 らべ前檣右舷のヘビー 3 デリック、後部の給油用ポストが増設されている 陸軍第 9 師団などの増派が決定い多くの特務艦が中国方面への輸送任務についたこれもその時のも 呂 ( 当 00 ・籍 0 特務 ) 第、 00 逐隊を上海 0 = 派遣し大。。 , 、 2 月に第 0 - 隊 0 - 成き、。特 0 陸 0 隊、 ~ , を : 第・ 0 ~ ; 」。月に上海事変が発生するなど、大陸方面の情勢が悪化したので、海軍は軽巡大井、、一水上機母艦能登 昭和 7 年、上海へむけ横須賀を出港中の鳴戸 = 毒 , 昭和 6 年 9 月に満州事変が起ごり第つづいて翌 7 。年 ト作戦にも参加 = し、たがヨ 8 年を月力、ラバウルに進出しズ活躍したヨ 9 年工月日、 , ラウル空で被爆しト = ' 大破擱座した 水雷艇や大型内火艇など重量物の搭載に用いられたし本艦も開戦いらいウ - 土キ、蘭印攻略部隊の補給に従事し、ミッドウ耳 ~ リ、ツクが増設されい後甲板に設け。られたシ。土ルタ、デッキの様子も良。くわかる 0 ! ベビすテリッ、クは艦砲用標的 : 、予備の艦載 ~ = 左舷後方睿りら見た鳴戸 = テ昭ネ山 0 年前後の撮影であ - みつかま前部なけでなく、をのキングす。ポスト右舷にもビ→。、、デ

5. 丸スペシャル No.34 特務艦 (日本海軍艦艇シリーズ)

純習特あ匿 敷 島 敷島 ( しきしま ) は明治 33 年一月、戦艦として竣工したが、大正田年 9 月に一等海防艦に類別された。ワシント ン条約により大正貶年 4 月、武装解除のうえ軍艦籍からのぞかれて、練習特務艦籍に移った。写真は練習特務 艦に改装の同艦て、前後の 30 センチ砲をはじめ兵装は姿を消し、舷側の装甲帯がはすされた跡もはっきりわか る。本艦はその後、終戦まで佐世保で練習艦の任務に従事し、のちに推進器を撤去した状態で第留されていた とは誰が予想し得たであろうか この後、 22 年 4 月から佐世保船舶で解体作業に着手され、 23 年一月までの間に姿を消した 島艦行進曲」が生まれたほど、当時としては世界最強の戦艦の一つであったが、 45 年後に自らも日本海軍の終焉を体験しよう 無残な姿をさらす同艦である。舷側の包廊式副砲の跡や艦橋前に設けられたバラックなども視認できる。本艦は完成時に「敷 敷島は大戦中も被害をうけることなく佐世保ですこし終戦を迎えた。写真は幻年末、佐世保えびす湾で第留状態て放置され、

6. 丸スペシャル No.34 特務艦 (日本海軍艦艇シリーズ)

習匿あ艦 浅間 ( あさま ) は日 , 青戦争後の第一期海車拡張計画に基づいて建造された装甲巡洋艦の一隻で、 明治 32 年 3 月、英アームストロング社で竣工した。常備排水量 9 ′ 700 トン、 20 センチ連装砲 2 基、丐センチ砲門、 45 センチ魚雷発射管 5 門、主機直立三段膨脹機械、 2 軸、 .000 馬力、 速カ 2 に 5 ノット。類別上は一等巡洋艦であったが、砲火力が強化され実質上は戦艦に準じた存 在であり、日露戦争では戦艦戦隊に劣らぬ働きを示した。写真は海防艦時代のもの 戌問は明治 38 年田月、横浜沖で行なわれた凱旋観艦式をふくめ 4 回も明治天皇の御召艦をつと めた輝かしい経歴をもっている。第一次大戦中はドイツ東洋艦隊を追って北米方面を行動した が、大正 4 年一月、メキシコで座礁して大損害をうけ帰国した。大正田年 9 月に一等海防艦と なった。明治 43 年いらい長らく候補生の遠航練習艦として活曜したが、昭和田年の遠航を最後 に来島水道付近で座礁、船体に重大な被害を被ったので、以後、海兵団用として呉港内に第留 され、昭和ロ年 7 月に練習特務艦となった。終戦時は六連島に撃留されて宿泊艦になっていた

7. 丸スペシャル No.34 特務艦 (日本海軍艦艇シリーズ)

= = イ発が当時の海軍には連合艦隊随伴用の給糧艦がなてをその必要性が痛感されていたので 3 設計をまら = た、改 = 、 , = 、て建造ざれたものであ = るい海軍の要求はよサ、神戸川崎造船所 = で計画設計が行なわれた結果、純商船式の船体構 プ造を持う 0 総トン数 8 , , 000 にをン弱の大型貨物船なら安を建造も。同造船所に委ねら五 3 大年に年プ月竣工第大 夫正年↓横須賀べ入港中の問宮本艦は竣再後い本籍地である呉べ回航され翌 44 年連合艦隊に編入きれ 写真は連合艦隊付属をミして行動中のもので、船体は普通の商船とおな上黒色に塗装ざれ 3 舷側に平仮名で大ぎぐ第 : 艦名を標記し下。いる、洋のみうに特務艦の舷側に艦名を標記ーし夫のは 0 に : の工 02 年問だはで 3 れ、も連合艦隊 属艦らかきらルていたとわれる、。本艦ば 0 入八艦隊計画の運送桝のち給油艦神威にづで大型繿であ 0 た專 。 2 門と 8 センチ高角砲 2 門が基準兵装であ、らたみを他の運送艦と同様い 0 すれも陸上保管され ! ズ 0 前後に図センチ砲の砲座だけ残されてい。るま機関は直立三段膨脹機械基を缶は . 戸号艦本 試混焼缶 8 缶でこ軸、。 = ヨ 0.000 馬力、速ガ図ノ = ットを出した燃料として石炭 3 , 350 下シ、重第 ・一義由卩 00 をンを積載でき ~ たにの貯糧品は格 : 000 名を三週問 3 やしなテほどの量グあわた , 宮 間

8. 丸スペシャル No.34 特務艦 (日本海軍艦艇シリーズ)

、み気。 昭和 7 年、運用術練習艦として行動中の春日一一第一次大戦中は第 3 艦隊に編入され、シンガホール方面を行 動、のち第一特務艦隊に編入され、作戦従事中の大正 7 年 1 月、バンカ海峡付近で座礁したが、浮揚のうえ帰 国した。大正 9 年、北米メーン州の合衆国加入百年祭がホートランドで施行されたさい、本艦は日本から派遣 されている。大正田年 9 月に一等海防艦となり、大正末から長期問にわたって運用術練習艦として使用された ー等海防艦時代の本艦は、運用術練習艦の任務につき、航海術の実習艦や救 昭和年一月引日の撮影による春日 難、学術調査などに用いられた。またロシア領沿岸、蘭印、揚子江、中支など広く各方面を行動した。大平洋戦争中 は横須賀海兵団の練習艦として定第状態で使用されていたが、昭和ロ年 7 月に特務艦 ( 練習特務艦 ) へ類別された 昭和初年、大阪中突提に接岸中の春日 ( ー等海防艦 ) 明冫台 37 年 2 月、日進と前後して日本に 回航された本艦はさっそく出陣し、 4 月中旬以降、旅順ロ攻撃に参加、その大仰角砲は旅順ロの間 接攻撃に大いに役立ったといわれる。 5 月丐日、初瀬、八島の 2 戦艦が触雷沈没した日に、春日は 旅川頁口外から帰航途上の吉野と衝突し、これを沈めてしまい、日本海軍の災厄の日となった。黄海 、朝日など戦艦部隊とともに戦い、大いに奮戦した戦歴を持っている および日本冫毎 ) 毎戦では三 わ 7

9. 丸スペシャル No.34 特務艦 (日本海軍艦艇シリーズ)

鳴戸 右舷 :. め後方から見た鳴戸 ( なると ) ーーー大正末期の撮影と思わ れ、左手後方に戦艦長門が見える。本艦は大正ロ年田月に横須 賀工廠で竣工したが、〉これが能登呂型、隠戸型をつう最後の 完成艦であり、ごの後しはらく給油艦の新造はなかった。艦尾 に図センチ単装砲ー門が装備されているが、問もなく陸上げさ れ大。当時の基準兵装は図センチ砲 2 門と 8 センチ高角砲 2 門 で、一日華事変とうじはセンチ砲座に 8 センチ高角砲を代用搭 ( 載していた ・。 0 ニの - ・ヤ 1 を、 ~

10. 丸スペシャル No.34 特務艦 (日本海軍艦艇シリーズ)

刀ロ日 8 日木ー 1 白埼 ( 給糧監 ・日立桜島造船所にて竣工。呉鎮籍に編入 ・連合艦隊付属に編入される ・ 3 ・ 2 呉出港。大湊を基地として、千島方面の各地 へ補給に従事 四・ 3 ・幌筵東海岸に触礁。大湊、函館にて修理 大湊出港。千島方面に補給に従事 大湊入港。待機 ・ 4 ・ % 大湊出港。小樽、稚内方面への船団護衛に従 月 5 日、除籍 事し、大湊で終戦を迎えた。 2 ◆荒埼 ( 給糧艦 ) 昭和・ 5 ・四日立桜島造船所にて竣工。舞鎮籍に編入 ・四連合艦隊付属に編入される 艦長梅原忠衛大尉着任 ・ 7 ・ 8 佐伯出港。ラバウル方面へ糧食補給 りおん丸を護衛し、スラバヤへ回航 8 1 ・ 2 ラバウル入港。敵機の攻撃をうけ損傷 8 . 1 . スラバヤ入港、入渠修理。月 4 日、出渠 8 . ワな . -4 スラバヤ出港。ラバウル間を二往復し補給に 従事 ・スラバヤ出港。パラオ、ダバオ方面へ補給 ・スラバヤ出港。リンが、タウイタウィ方面で 機動部隊への糧食補給に従事 ・ 8 シンガポール入港。修理 ) ンが、プル シンガポール出港。サイゴン、 ネイ方面に行動 ・ 2 ・ 1 スラバヤ西方で触雷により航行不能となる リ島へ二回輸送に従 スパラヤにて修理後、バ 事、スラバヤにて終戦を迎える ・ 2 ・ 5 除籍 ◆鞍埼 ( 給糧艦 ) ・北樺太石油会社よりおは丸を購入、特務艦鞍 埼と改名、舞鎮籍、連合艦隊付属に編入 艦長小島武雄大尉着任 四・ 5 ・舞鶴工廠に入渠。 8 月末まで改装工事 ・ 7 ・ 1 南西方面艦隊付属に編入される ・ 8 ・艦長根本音松大尉着任 ・ 9 ・ 3 舞鶴出港、船団護衛。日、高雄入港 ・ 9 ・ % 高雄出港。間月 5 日、マニラ入港 ・ 9 ・ 0 . マニラ出港。日、遭難者二〇 0 名救助 0 . ′ 0 1 ワ】 高雄入港。Ⅱ月 3 日、高雄出港 昭一和四・ -0 19 19 19 19 -4 ◆ ◆ ◆ 昭一和 - 四 . Ⅱ . 0 マニラ入港。貶日、マニラ出港 昭和・ 3 ・四函館入港、入渠修理。日、函館出港。以後、 四・Ⅱ・ルソン島西方にて雷撃をうけ沈没 主として大泊を基地とし、ソ連船の訊問を行 オま、つ 間除籍 . 6 . 艦長岡恒夫大佐着任 ◆宗谷 ( 運送艦 ) ◆ 8 ワ ・ 5 艦長千葉次雄大佐着任 8 大湊入港。船体機関修理 昭和・ 6 ・ 4 地領丸 ( 旧名 ) を改造し宗谷として竣工。横鎮 ・ 2 ・ % 艦長千知波長次大佐着任 籍に編入 四・ 3 ・ 8 大湊出港。日、大泊入港。宗谷海峡防備 ・ 9 ・横鎮付属に編入される ・ 4 ・ 4 函館入港、入渠修理。日、函館出港 艦長久保田智中佐着任 ・ 4 ・加大湊入港。日、大湊出港。大泊、稚内方面 ・貶・四横須賀出港。 1 月 9 日、トラック入港 トラック出港。四日、横須賀入港。入渠修理 を行動 ・ 6 ・ 4 大湊入港、修理。 % 日、大湊出港。大泊方面 ・加第 4 艦隊付属に編入される ・横須賀出港。日、トラック入港 を行動 トラック出港。ポナベ経由で 3 月 8 日、ラバ 大湊入港、修理。貶月貶日、大湊出港。大泊、 ウル入港。プーゲンビル島攻略作戦に参加 稚内方面を行動 ・ 5 ・ 8 ラバウル出港。モレスビー作戦に参加 加・ 4 ・大湊入港、修理。 5 月 9 日、大湊出港。大泊、 サイバン出港。ミッドウェー作戦に参加 稚内方面を行動 カビエン入港。同方面の測量に従事 ・ 7 ・加横須賀入港。そのまま終戦を迎える ・ 9 ・除籍 ・ 8 ・横須賀入港。浦賀にて修理に従事 ・ 9 ・横須賀出港。日、ラバウル入港 筑紫 ( 劃量艦 ) ・ 9 ・第 8 艦隊付属測量艦となる ー . 0 ・ 4 ラバウル出港。 5 日、プイン入港。同方面の昭和・貶・貯 三菱横浜造船所にて竣工。横鎮籍に編入 測量に従事 ・貶・第 3 艦隊付属に編入される 艦長山高松次郎大佐着任 ・ 6 ・横須賀入港、入渠修理。測量器材の補給 ・ 7 ・四横須賀出港。四日、トラック入 ・貶・横須賀出港。年 1 月 1 日、ダバオ入港 ・ 8 ・ 5 トラック出港。Ⅱ日、ラバウル入港。同方面 ・ 1 ・ 9 ダバオ出港。メナド攻略作戦支援 の測量に従事 ンカ泊地発。ケンダリー攻略作戦支援 マカッサル出港。 ー島攻略作戦支援 ・ 2 ・ 1 連合艦隊付属に編入される ・ 3 ・ 2 第 2 南遣艦隊付属に編入され、スラバヤ、ダ トラックにて機動部隊の攻撃をうけ座礁 ハン方面の測量に従事 離礁に成功。 3 月日、トラック出港 ・ 4 ・ 7 横須賀入港、入渠修理。日、出渠。以後、 シンガポール入港、修理。 9 月 7 日、出渠 横須賀方面にて待機 ・ 9 ・第 4 艦隊付属に編入され、ギルバ 艦長志和彪大佐着任 ト方面の測量に従事 四艦長上田泰彦大佐着任 1 艦長山内正規中佐着任 ・横須賀出港。 3 月 2 日、室蘭入港 ・ 3 ・横須賀入港。 4 月幻日、横浜にて入渠修理 加・ 3 ・ 5 室蘭出港、石炭輸送に従事。幻日、川崎入港。 ・ 5 ・第 8 艦隊付属に編入され、 % 日、横須賀出港 その後も室蘭 5 横須賀間の石炭輸送に従事、 ・ 6 ・ 6 ラバウル入港。同方面の船団護衛、測量に従事 8 1 1 1 終戦を横須賀で迎える。 9 月 5 日、除籍 ・ 4 カビエン港にて磁気機雷にふれて沈没 5 除籍 大泊 ( 砕氷艦 ) 勝カ ( 測量艦 ) ・ 7 神戸川崎重工にて竣工。横鎮籍に編入 艦長今村章彦大佐着任 昭和・ 7 ・敷設艦より特務艦勝力となる。呉鎮籍に編入 大湊警備府付属に編入される ・ 7 ・第 1 南遣艦隊付属に編入される 艦長千葉次大佐 ( 1 月日より ) ・ 5 宗谷海峡防備に従事。大泊ー稚内間を往復 昭大 和正 16 16 15 10 12 11 11 11 19 19 19 19 ◆ ◆ 、 . 1 . 0 1 00 20 20 17 17 ◆ ◆ ◆ ◆