- 日本の灌水艦ー - 東 ー東スペシャルⅣ 043 ☆伊号潜水艦☆・・・ ・・ 5 ~ 15 「機雷潜 / 潜高大 / 潜補 / 丁型」写真説明・・・・・瀬名堯彦・・・・・ 5 ~ 15 潜水艦が装備した舵・・・・・咼橋治夫・ ・・ 8 ~ 9 図で見る「潜水艦 / 水中特攻兵器」変遷史・・・・・東清ニ ・・ 16 ~ 26 ☆呂号潜水艦☆・・・ ・・・ 27 ~ 38 「海中Ⅵ型 / 中型 / 小型 / L Ⅲ型」写真説明・・・・・瀬名堯彦・・・・・・ 27 ~ 33 潜水艦がレーダーから逃れる法・・・ ・局橋治夫・ ・・・ 28 「 L Ⅳ型 / 海中Ⅳ型 / 特中型」写真説明・・・・・・瀬名堯彦・・・・・ 34 ~ 38 「伊号、呂号潜水艦」行動年表・・・・・伊達久・・・・・・ 39 ~ 44 「伊号、呂号、冫号」一覧表・・・・伊達久・・・ ・・ 45 ☆波号潜水艦☆・・・ ・・・ 46 ~ 49 「潜高小 / 潜輸小」写真説明・・・・・瀬名堯彦・・・・・・ 46 ~ 49 「外国からの譲渡艦 / 引号艦」写真説明・・・・瀬名堯彦・・・・・・ 50 ~ 51 ☆水中特攻兵器☆ 52 ~ 65 「甲標的 / 蛟龍 / 海龍 / 回天」写真説明・・・・・・瀬名堯彦・・ ・・ 52 ~ 63 「運貨筒 / 震海 / U 金物」写真説明・・・・・・瀬名堯彦・・・・・ 64 ~ 65 ・・・「◎艇」写真説明・・・・・・瀬名堯彦・・ ☆陸軍輸送潜水艇☆・・・ ・・ 66 ~ 68 機械室断面 発令所断面 波 2 田型潜水艦断面図 上構 上構 重油タンク 酸素 高圧気筒 重油タンク 潜望鏡 潜望鏡操作台 重油タンク 海水ポンプ 重油タンク 烹炊室 空気圧縮機 主機械 中舵 潜望鏡上下電動機 バラストキ ーフレ 、マダガスカル作戦時、海底匍状および防材乗越用 バラストキ ーーノレ ハワイ作戦当時、防潜網突破用 0 0 0 ・ 0 0 0
艦船模型の製作と研究シリーズ 上噬第 3 巻戦艦《大和》クラス ☆ 8 月下旬発刊☆定価 5600 円 ( 〒 , 。。 ) 第一巻「妙高クラス」第ニ巻「長門・陸奥」の好評 に続くシリーズ第三巻として「大和クラス」を発表。 「大和」の全貌を写真 , 図面 , イラストであますとこ ろなく解明 , 30 年の研究成果を田 0 分の一模型に再現「大 和」の全てが写真で判ります。乞ご期待 / ′ 未発表写真も含め , 艦船研究家 , 模型愛好家の必読の 書となります。 艦艇模型の製作と研究シリ 本格的スケールモデルの工作ガイ ド。船体から艤装品にいたるまでの すべてを多数の図面とイラストで紹 介、建造から終焉に至る変遷を詳し く解説。艦船ファン必携 / 企・ i ・扁集イくニ美彳本莫型出月反音 5 発イテ戸万本朱式会・ネ土出月反卞劦同ネ土 重巡洋艦妙高》クラス 戦艦《長門・陸奥》 Y4 , 800 ( 〒 300 ) 2 Y5 , 200 ( 〒 30 の 第ニ巻 第一巻 ーズ 200 分の 1 艦艇精密図面 全て公式図に基き , 十分なリサーチを加えた模型用図面。模型製作 , 艦 艇研究に欠くことのできない基本資料です。 パンフレットを ご請求下さい。 500 分の 1 日本海軍艦艇図面集 = = 上記 200 分の一図面を正確に 500 分の一に縮小 , WL モテル製作 , 各艦の 比較研究に絶好。新図発表のたびに追加できるようになっています。 い 5 艦 , 枚セット ) Y 4 , 000 ( 〒 300 ) 日本海軍艦艇模型保存会 不ニ美術模型出版部 〒川東京都豊島区池袋 3 の巧 58 の一豊徳ビル T E L 03 ( 9 引 ) 58 引
甲標的の最初の実戦参加は開戦へき頭の真珠湾攻撃であった。伊 22 潜以下 5 隻の丙型潜水が後甲板に一基すっ搭載するよう 改造され、甲標的も航続力を伸ばすため気蓄器を増載、網切器、発射管、推進器、保護棧、自爆薬などを装備した。岩佐直 , 台 大尉指揮する甲標的 5 隻から成る特別攻撃隊は、年に月 7 日、真珠湾頭で母艦を発進して港内へ向かい「襲撃成功」の無電 を発したまま全艇帰しなかった。写真はその一隻、酒巻艇 ( 艇長酒巻少尉 ) でジャイロ故障でオアフ海岸に擱座したもの 第 , 考をご している。写真は南方戦線で米軍に引き揚げられた甲標的であるが、ヌルポポ基地にあったものかと思われる が甲標的を積載してルンガ泊地に攻撃を実施し、ロ月 7 日からに月ロ日まで 8 回行なわれ、輸送船 2 隻を撃破 した母艦千代田はショートランドに進出し、一ヌルポポにその基地を設置した。 , こから伊、 20 、 24 潜の 3 隻 甲標的はソロモン水域にも送られて、ガダルカナル島をめぐる攻防戦に使用された。ロ年田月、甲標的を搭載
〔呂 57 ~ 59 〕 写真は昭和 2 年の撮影で、とうじ第 6 潜水隊に編入されていた。大戦中は練習艦として使用された と大差はなかったが、発射管の口径を 45 センチから 53 センチに引き上げて、艦首に 4 門装備していた。 月、三菱神戸で竣工し、当時は第 46 君水艦と呼ばれていた。基準排水量 889 トンと艦型的には前の L 型 国産化したのが L 型であり、 L Ⅲ型は L Ⅱ型につぐその改良型である。その第一艦呂 57 潜は大正Ⅱ年 7 第一次大戦末に、英ヴィッカース社から当時もっとも実用的で好評だった L 型潜水艦の図面を購入し、 ロ 5 9 呂 59 冫替 ( 初名第 57 冫替水艦 ) は大正に年 3 月に完成した L Ⅲ型最後の艦である。本型は L ー型や L Ⅱ型では前甲板に装備していた短 8 センチ高角砲を艦橋前に移し、旋回砲座に改めた点が 特長の一つであった。写真で艦橋上に見えるのがそれで、 D 型砲架と称し、最大仰角 80 度、 最大射程 5.200 メートルで、両舷へ 60 度旋回できた。本艦も実戦には参加せす、もつはら訓練 に使用され、終戦時に潜水学校に繋留されていた。幻年 5 月、伊予灘で海没処分に付された 僣望鏡、信号檣など主要装備はすべて撤去されている。 20 年田月、清水付近で米軍により海没処分された 戦に参加することなく、本艦は第 4 予備艦の状態で横須賀に繋留されたまま終戦を迎えた。写真では砲や こうしてこの 3 隻は一度も実 に使用されており、ロ年 3 月に横須賀へ移ったが、任務は変わらなかった。 あいだ横須賀防備隊に所属していた。昭和年に月、開戦の頃は本型も老朽化して呉鎮守府部隊で訓練用 く終戦後、横須賀長浦に繋留された呂 58 潜ーーー呂 58 潜など L Ⅲ型潜水艦 3 隻は第 6 潜水隊を編成し、永い 32
記録写真集選 * 光人ネ土の写真集 / 東京都千代田区九段北ト 9 ーⅡ谷 03 ( 265 月 864 全 25 巻 四六倍判・上製・布装 ビ ーノレカ / ヾーイ寸 ロ世界の軍・軍用機・戦車の写算を特集して 大好評を博している記録写真集シグーズ結ア 米日日日零 世ド英英米 ハロ 国本本本 界イ国国国 のののの戦 のツののの : き戦偵爆戦 軍軍爆戦爆 用用撃闘撃ー 。闘察撃闘 機機機機機 機機機機 25 囮衂瓸国回瓸 11 日米英米日日日日日日日日日日日 本国国国本本本本本本本本本本本 のののの小駆ののののののののの 戦空戦戦艦逐重戦小潜駆軽重空戦 車母艦艦艇艦巡艦艦水逐巡巡母艦 続続続続艇艦艦 各巻 15 〇〇円書店にこ注文を * 新規重版分から定価が変わりますので、旧定価版在庫中にお買い求め下さい。なお、在庫切れの場合もこざいますのでご了承下さい。 発行者高城肇 編集者加藤辰雄 発行所株式会社潮書房〒田 2 東京都千代田区九段北一丁目 9 番Ⅱ号 電話 * 東京 ( 03 ) 265 ー 86 引 ~ 5 振替 * 東京 2 ー 5396 昭和 55 年 9 月田日印刷・昭和 55 年 9 月巧日発行 定価 450 円 福井静夫・古川明・朝長溶・上農達生・吉田一・浜口凱雄・佐藤嘉三・菱谷清・塩見文作・横井忠俊 阿部安雄・石橋孝夫・瀬名堯彦・伊達久・高橋治夫・オーストラリア大使館・・・・・・〔順不同・敬称略〕 ・本誌は右の方々の御協力をえました THEMARU SPE ( 応 c 無断転写、転用を禁じます * 乱丁・落丁のものはお取り替え致します 次号は〔重巡利根型軽巡香取型〕の予定です 丸スペシャル第 43 号
艇の第一次実戦部隊として、円年 5 月末にマニラ派遣隊が編成され、 青木少佐以下 300 名の隊員が母船ー 隻とゆ ~ 3 号艇に分乗して内地を 出撃した。マニラに入港したのは 7 月であったが、 IO 月に米軍がレイテ に上陸したため整備の上、物資を積 載してオルモックへと向かった。う ち 2 隻は IO 月 27 日、ぶじ目的地へ到 着して精米 600 箱、救急食 50 箱、 ッテリー 300 箱などを陸揚げした。 このときゅ ) 2 号艇は田月 26 日、一米海 軍に撃没されたが、浅海のため引き 揚げられた。写真は 20 年 2 月一日、 リンガ工ン湾上に浮揚した同艇 L S D ドック内に収容されたの 2 号艇ーーー一本艇は米本国へ運ばれて展 示され、戦時国債の募集に利用され たといわれる。 20 年一月にの艇の一 部は下田へ前進し、 3 月から八丈島、 大島、新島方面への輸送を開始し、 20 年 7 月には長崎県ロ之津から徳ノ 島への輸送にも成功した。終戦時に は釜山への連絡のため三島から山口 県萩や仙崎ふきんに進出準備中であ った。終戦時までに約 40 隻の艇が 完成し、他の 30 隻が建造中であった。 4 隻が戦没した他は、いすれも戦後 に解体または海没処分された 〔写真説明 / 瀬名堯彦〕 08
伊 352 潜は田年自月に呉工廠で起工され、円年 4 月に進水したが、艤装中の 20 年 6 月 22 日に空襲をうけ : 工 程 90 パーセントの状態で沈没した。本艦型は伊 400 潜型につぐ大型潜水艦で、基準排水量 2 , 650 トン、潜航 時は 4 , 290 トンに達した。外殼内に 500 リットルの軽質油タンクがあり、内殼への漏洩を防ぐため、の中 間にメインタンクを設けたよ艦橋は電探防止型どし : 艦首に発射管 4 門のほか 8 センチ迫撃砲連装 2 基、。 25 。ーミ ) リ機銃 3 連装ー基、連装 2 基を装備したふ写真は戦後、。ー引き揚げられ、呉のドック内へ収容された同艦 終戦時、伊 352 潜は呉工廠本部前、水深メートルの所に全没状態になっていたが、内殼および外殼タンクへそのまま 圧縮空気を送り込んで浮揚させ、入渠のうえ解体に着手した。 = 写真は解体作業もすすみ船体中央部の対圧船殼を残すだ けの状態を示している。本艦型はガソリン搭載のため三重船体方式をとったがこ万一の漏洩を考慮してその管系はすべ て内殼外と、軽質油タンクの頂部に防御板を設けた本艦は昭和 23 年一月 27 日から 3 月引日にかけて解体された 73
外国からの譲渡艦 〔伊 501 ~ 506 、呂 500 ~ 501 〕 下写真と同じときのもので、ペナンを出港 しようとする呂 500 潜ーー , ーー艦橋構造物側面 にはすでに日本艦名と日の丸が描かれてい る。同艦は年に月に完成したⅨ C 型の一 の 艦で、基準排水量し 7 トン、発射管 6 門 と IO. 5 センチ砲ー門、 20 ミリ機銃 2 門を装 備していた。回航後、調査研究され、量産 型潜水艦の設計と建造、電気熔接法などの 面で得るところが大いにあり、その成果は 潜高大、潜高小の建造にも利用された。本 艦は戦後の幻年 4 月 30 日、舞鶴港外で海没 処分された。なおドイツから譲渡の第 2 艦 の呂 5 田潜 ( 旧 U に 24 ) は回航途上、円年 5 月ロ日、大西洋で米護衛駆逐艦 F . M . ロビンソンに撃沈された くドイツ海軍との技術交換は大戦前から実 施されていたが、戦時中もさまざまな形で 続けられた。日本海軍は通商破壊戦を積極 化することを条件に、独海軍からもっとも 成功したと見られる中型潜水艦 2 隻を譲り うけることになった。その第一艦 U 5 Ⅱは 「さつき一号」と仮称されて絽年 8 月、呉 に到着、 9 月日に艦籍に入り呂 500 潜と 命名された。写真は慴年 7 月 24 日、マレー 半島ペナン基地に寄港した同艦が、整備を 終えて出港作業中の光景である
物み響 , をし 物、 呂引潜は開戦時、予備艦であったが、ロ年 2 月、呉鎮守府部隊にい 7 月に横須賀鎮守府部隊に編入され、 8 月に本土東方洋上 に国籍不明の水偵発見によりぐ米機動部隊来攻にそなえ犬吠崎沖で配備についたこともあったふ給年 7 月 0 ふたたび呉鎮部隊 にもどり、円年一月からふたたび予備艦となり↓ 20 年 5 月に除籍され、終戦時は佐世保にあった。 ~ 写真は戦後の 20 年 9 月 25 日、 ~ 佐世保港で撮影されたもので、にセンチ砲なはすてに撤去されている 6 、幻年 4 月 5 日、向後崎西方で海没処分された 水上航走中の呂 3 し替一一本艦は最初、。第 70 潜水艦として大正田年 9 月に起工され、大正に年 8 月幻日、一 - 淡路島仮屋沖で冫替航公 ー試実施中、浮上のさい低圧排水中にハッチを開いたところ 0 艦は急に沈没し 88 名の殉職者を出す大事故となったふ低庄排水用 第のタンクプロワの誤操作によるものと見られるが、艦は引き揚げ後廃棄され、改めて口年に月に代艦が起工され、昭和 2 年 5 月 に竣工した これが呂引潜であり 0 同艦はニ度建造されたらとになる。右写真に写づていたのが最初の第 70 冫替水艦と思われる 2 け 物 ロ 5 ー
呂 58 冫替は大正Ⅱ年Ⅱ月に第 47 冫替水艦として完成し、第 6 , 替水隊に編入された。前型とくらべ炭酸ガス方式の 令却機による電池冷却を実施し、艦首に K チュープと呼ばれた水中聴音機を初めて装備するなど、いくつか の改良がほどこされていた。この写真で艦首ちかくに見える丸く張り出したものが K 式水中聴音機で、原型 は米国から輸入され、性能的には不満足なものであった。本艦は大正ロ年Ⅱ月に呂 58 潜と改名された