考え - みる会図書館


検索対象: 心を育てる偉人のお話 1(野口英世、ナイチンゲール、ファーブル他)
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1. 心を育てる偉人のお話 1(野口英世、ナイチンゲール、ファーブル他)

みやこ や 戦争がおこり、焼けてしまいました : はなし でも、このお話はむかしからのいい伝えで、ほんとうにあったできごとか どうか、わからないといいます。 ( いまも、どこかにその都があったら、どんなにすてきだろう ) よ えゅび まだ小さくてよく字の読めないシュリ ーマンは、本のなかの絵を指さして しいました。 「ねえ、お父さん。トロイアの都って、とてもおもしろいところだね。この 都、どこにあったの」 ばなし 「そんなの、つくり話だよ」 お父さんが、しし 、ました。 「だって、ここにちゃんとお城がでているよ」 えか カ 「それはね、絵描きさんが頭のなかでかってに考えて描いたのさ。 せんそう みやこ あたま しろ みやこ った 0 かんが 2 1 2

2. 心を育てる偉人のお話 1(野口英世、ナイチンゲール、ファーブル他)

せたらよいのか。ロダンは、考えに考えました。 「そうだ。バルザックが、いつも身につけているねまきを着せればよい しごと ルザックは、いつも仕事をするときは、ねまきを着ていたというしゃないか」 ロダンは、さっそくねまきを着せてみました。ひももむすばすに、ねまき かお をからだにまといつけているすがたは、よそいきの顔でもない、ありのまま おも のバルザックそのものに思えました。 「よし、これでいい」 おも ちょうこく ロダンは、石こうでつくった彫刻を銅でつくりかえ、やっと思いどおりの ちょうこく 彫刻ができあがりました。 ちょうこく てんらんかい バルザックの彫刻を、さっそく展覧会にだしました。ロダンがバルザック ちょうこ ~ 、 てんらんかい の彫刻をつくったというので、展覧会には、おおぜいの人がかけつけました。 ところが、それを見た人たちは、 かんが カんが

3. 心を育てる偉人のお話 1(野口英世、ナイチンゲール、ファーブル他)

しばさぶろう 、熊本のお医者さんの学校へはいりました。学校には、 柴三郎はしかたなく びよういん 病院もできました。 しゃ ( ふん、だれが医者なんかになるもんか ) くる びようき おも しばさぶろう そう思っていた柴三郎でしたが、病気で苦しんでいる人たちを見ているう かんが ちに、だんだん考えが変わってきました。 びようき ぐんじんま ( この人たちの病気をなおすことだって、軍人に負けないくらいりつばな仕 ごと 事かもしれない ) おも と、思うようになりました。 けんびきよう にんげん しばさぶろう ある日柴三郎は、顕微鏡で、人間の皮ふを見てみました。それは、まるで おも にんげん 機械のように入り組んでいて、とても人間のものとは思えません。 「なんて、ふしぎだ」 かんしん と、感心していると、先生がいいました。 き力し ~ 、ま↑も A 」 しゃ ひ し 9

4. 心を育てる偉人のお話 1(野口英世、ナイチンゲール、ファーブル他)

あったら、子どもたちはどんなによろこぶだろう。いや子どもたちばかりで じゅう 本を読みたくても買えない人たちが、自由に本を読むことができた じぶん ら、自分ひとりでだって、いろんなことを勉強できるはすだ ) としよかん おも そう思って、町の人たちのためにせっせと図書館をつくったのです。 まち じぶん このカーネギーの考えをきいて、あちこちの町から「自分のところへも図 てがみ しよかん 書館をつくってほしいという手紙がたくさんおくられてきました。その手 がみせいり 紙を整理するのに、わざわざ人をやとわなくてはならないほどでした。 カーネギーは、その手紙をひとつひとっていねいに読みました。なかには、 まち としよかん 図書館をつくる場所も決まっていないのに、お金をくれという町の人もいま リ」りよく じぶん した。自分たちは、なんにも努力しないで、とにかくお金だけもらおうとい うのです。 カーネギ ] は、そんな町の人たちがきらいでした。ただでお金をもらい まち ばしょ かんが てがみ まち べんきよう かね かね かね

5. 心を育てる偉人のお話 1(野口英世、ナイチンゲール、ファーブル他)

しのようにくわやシャベルを使っていては、いっ あな ほ までたっても大きな穴を掘ることができません。 あなほ でもダイナマイトならいちどに穴を掘ったり、岩 をくだいたりすることができます。ダイナマイト のおかげで、ダムをつくったり、山のなかをとお りぬけるトンネルがたくさんできました。 はつめい おおがねも ダイナマイトを発明して大金持ちになったノー お ベルでしたが、 しあわせだと思ったことはいちど もありませんでした。 山で働く人たちのためにつくったダイナマイト にんげんころ が戦争に使われ、たくさんの人間を殺すことにな ったからです。 やまはたら せんそうつか つか アルフレッド・ベルナルド・ノーベル ( 1833 年 ~ 1896 かがくぎじ物つしゃ 年 ) スウェーデンの化学技術者、企業家。 17 歳のと おうべい き欧米に留学し、帰国後、ニトログリセリンの研究 うんばんかのう かんせい から、運搬可能なダイナマイトを完成させる。莫大 りえきえ せんそう な利益を得るが、戦争に利用されることに心を傷め ゆいごん ぜんがく たノーベルの遺言により、遺産のほば全額を基金と して、世界の科学の進歩と平和のためのノーベル賞 せつりつ が設立された。 きぎようか さ けんいう ばくだい ききん りゅうがく いさん 138

6. 心を育てる偉人のお話 1(野口英世、ナイチンゲール、ファーブル他)

P 0 p ー 0 「 P 0 c k e t あぶらう 2 7 斎藤道三おかしな油売り さけの 8 平賀源内お酒を飲んだ天神さま せっしゅう 9 雪舟涙で描いたネズミの絵 さかいだかきえもんかきみ 2 酒井田柿右衛門柿の実の色のおさら たいよう ゴッホすばらしい太陽四 8 ・知恵を働かす 8 ふくざわゆきち 福沢諭吉ふみつけたお守り札 ロダンねまきを着たバルザック との たけだしんげんおおみず 武田信玄大水をふせいだ殿さま 2 さいとうどうさん ひらがげんない なみだ はたら てんじん まもふだ え 1

7. 心を育てる偉人のお話 1(野口英世、ナイチンゲール、ファーブル他)

しごと ろのない女の人が、しかたなくやる仕事だったのです。 しごと 「はやく、そんないやらしい仕事をやめなさい」 お父さんがいっても、ナイチンゲールは、 かんごし しごと びようき しいえ、看護師さんはたいせつな仕事です。病気の人のお世話をする仕事 が、どうしていやらしいのですか」 かんごし といって、いよいよ看護師さんの仕事にうちこむのでした。ナイチンゲ】ル かねも びようき は、お金持ちでも貧しい人でも区別しないで、いっしようけんめい、病気の びようき せわ したぎ じぶん 人の世話をしました。病気の人のよごれた下着やシ】ツを、自分の家に持っ かえ せんたく て帰ってまで洗濯をしてあげました。 かみ 「ナイチンゲールさまは、まるで神さまのような人だ」 げんき 「ナイチンゲールさまを見ているだけでも元気がでてくる」 びようぎ かんしゃ 病気の人たちゃケガをした人たちは、みんな心からナイチンゲ】ルに感謝 ます しごと いえも しごと 122

8. 心を育てる偉人のお話 1(野口英世、ナイチンゲール、ファーブル他)

ふね 「どうして船が水にうかぶのかな」 かんが 考えれば考えるほど、ふしぎです。 ふね ある日、エジソンは船の人にきいてみました。 ふね 「ねえ、おじさん、どうして船は水にうかぶの ふね 「どうしてって、水にうかぶから船というんだよ」 ふね 「それしや、水にうかばなかったら、船じゃない の ? おじさんはうかぶ ? 」 およ 「泳けばうかぶよ」 「泳がなかったら ? 」 「しすんでしまうよ」 「どうしてしずむの ? 」 ふね エジソンがつぎつぎときくので、船の人はヘん かんが お よ トーマス・アルバ・エジソン ( 1847 年 ~ 1931 年 ) ちしき はつめいか アメリカの発明家。独学で電気の知識を学び、 10 代 かいりようでん あゆ こうはん の後半から発明家の道を歩む。その発明と改良は電 えいしゃぎ ぶん わぎちくおんきむせん 話機、蓄音機、無線電信、映写機、電車など広い分 とっきょ けんいじよう 野にわたり、約 50 年で 1300 件以上の特許を得たとい しようぎ : うせいさん はくねつでんき物う われる。発明した白熱電球を商業生産するとともに、 ふきう でんとうがいしやけいえい 電灯会社を経営して電気を普及させた。エジソンの 発明は実用を強く意識して生みだされている。 どくがくでんき ニ一口 190

9. 心を育てる偉人のお話 1(野口英世、ナイチンゲール、ファーブル他)

だ れ も が よ 。白 ろ ん 水キら で 貝ゕ う よ な た 国を食く の で す 衛 の つ く 焼ゃ 物の は ゕ 有 名し に な り 右ぇ青め 色い 門の工くと 焼ゃ夫な お に な た 宣き ー・ざ 衛 ん は し よ う け ん せ ん で し が す は き で は で 本 日 て き で で ーこ 国くた の そ よ み た い に や 色 の 美く し っ ぼ は っ く っ て い ま お 茶々で わ ん や お さ か で 中た 国・ や 韓 の 焼ゃ き 物第う は の て く き と の そ も 使ア に 事じ ありた ま し た き 物て もき な ま めし た き白 し ど の 国右 の の に 負ま け オよ ざや さかいだかきえもん 酒井田柿右衛門 ( 1596 年 ~ 1666 年 ) 有田の陶工。 74 ようぎよう かいりよう 博物館所蔵 ) 写真は柿右衛門様式の「色絵三果文皿』 ( 東京国立 しきえさんかもんざら 品はヨーロッパにも輸出され、大きな影響を与えた。 ゆし物つ えいきよう した。日本の窯業を発展させただけでなく、その作 はってん 磁の改良につとめた。その後赤絵の焼きつけに成功 田に移り、古唐津風の陶器を作っていたが、染付白 こからっふう とうぎ そめつけはく 日本における赤絵の創始者。父とともに肥前より有 あかえそうししゃ ひぜん

10. 心を育てる偉人のお話 1(野口英世、ナイチンゲール、ファーブル他)

ものおぎごや まるで物置小屋のようなものです。家族は、お父 さんとお母さんのほかに、姉さんとリンカーンの 四人。たった四人でもいっしようけんめい働かな くては、ごはんを食べることもできません。 だからお父さんもお母さんも、朝はやくから夜 くろ おそくまでまっ黒になって働きました。リンカ】 ンも七歳になると、もうお父さんやお母さんとい はたけ っしょに畑へいき、仕事のお手伝いをしました。 じぶん それでも食べる物といったら、自分の家の畑でと れるジャガイモとトウモロコシぐらいで、パンを カ 買うお金もありません。 夜になってもローソクがなく、いろりにまきを よる さい かね こ もの こ しごと はたら ねえ てつだ あさ かそく はたら よる アブラハム・リンカーン ( 1809 年 ~ 1865 年 ) アメ だいとうりよう し物うまず のうみん リカの第 16 代大統領。ケンタッキー州の貧しい農民 どくがくべんごし かいんぎいん の子に生まれるが、独学で弁護士になり、下院議員 よくねんなんぼくせんそう を経て 1860 年、大統領となる。その翌年、南北戦争 どれいかいほうせんげん お みちび が起こるが、奴隷解放を宣言して北軍を勝利に導く。 しゅうけつご ぼうかんあんさっ ふたた 戦争終結後、再び大統領に選ばれるが暴漢に暗殺さ がついうこく れた。奴隷の解放を行い、アメリカ合衆国を一つの みんしゅしゅぎたいけん 国家として団結させ、アメリカ民主主義を体現した。 197