ぐうはつじこ いますが、なんでもおみとおしで「さとり」と名づけられたはどのものが、偶発事故 むかしばなし にたいして、人間とは、おもわないことまでするものだとおどろくところに、昔話 のおもしろさがそのまま生かされています。 かお むかしばなし てんぐ まじよ 「こんな顔 ? 」も昔話をもとにしたこわい話です。天狗は魔女ではありませんが、 はなし どめ せいか / 、 話の中での生格にはにたところがあります。一度目のおどかしがすんで、はっとした けっていてき どめ しか むかしばなし むかし ところに決定的な二度目のおどかしがくるという仕掛けは昔話そのままです。昔 ばなし かお 話では、ふりむいた顔がのつべらばうだったという話がよくしられています。 ゆくえふめい いわてけんとおのじっ・ 4 むかしは行方不明になると神かくしにあったといったものでした。岩手県遠野で実 かみ はなし 際にあった神かくしの話としてったえられている「サムトの婆」の話がもとになって いるのが「ふしぎなばば」です。ふつうの女の子が、子どものときにさらわれて、山 よめ のものの嫁になり、ふしぎな力をもつようになったとかんがえられていたようです。 はなし けっこんはんたい にゆうすい 「ルサールカ」はロシアの話ですが、結婚を反対された女が入水して死んだために、 よ、つ力い すいちゅう そんざい 水の妖屋となって、人を水中にひきこむこわい存在となっています。人びとにおそ かみ はなし はなし はなし し
解説 剣持弘子 むかしばなし 魔女はヨーロッパの昔話につきものですが、その中でも、こわくてわるい魔女の とうじよう だいひょう かし いえみりよく 代表は「ヘンゼルとグレーテル , に登場する魔女でしよう。でもお菓子の家は魅力 まじよ ようじん 的です。「〈魔女のレストラン〉にご用心」「かざられた石うす」では、山の中で〈魔 かんばん いえ 女のレストラン〉の看板をみつけた子どもたちも、その家をへンゼルとグレーテルが かし いえ みつけたような、お ~ 果子の家かもしれないとおもってしまいます。 8 にほん たびびとやど 3 でも、そこは日本のおそろしくてふしぎな昔話につながる世界でした。旅人が宿 ばん たね ばん 屋にとまると、その晩、ふしぎなおはあさんかいろりに種をまいて、ひと晩でかりい たびびとうま れた米でもちをつきます。そのもちをたべて旅人が馬になる「旅人馬 , という話がそ むかしばなし まじよ の昔話です。このおばあさんは、魔女といってもいいでしようね。 にほんむかしばなし おに まじよ やくわり 日本の昔話では、鬼はばややまんばが、ヨーロッパの魔女とよくにた役割をはた しています。こわくてわるいだけでなく、こわくてもしんせつな鬼ばばややまんばが てき じよ や まじよ こめ むかしばなし た び び と う まじよ せかい はなし まじよ ま
まじよ かな れられる魔女も、いやしがたい悲しみをせおっていることがおおいようです。 まじよ げんじっ せかい むかしばなしせかい ところで、ヨーロッパには昔話の世界だけでなく、現実の世界にも魔女とよはれ みこてき やくそう ものし る人たちがいました。むかしから、人よりも物知りで、薬草につうし、巫女的な力を あくよう まじよ ゞ ) こ ) つほうで、その力を悪用して人をのろうことにつかう もつ、たのもしい魔女力しオし きよ、フ まじよあくま まじよ わるい魔女もいたようです。キリスト教にとって、魔女は悪魔にぞくすることでした むじっ まっき から、あってはならないことでした。しかし、中世の末期、おおくの無実の女まで まじよさいばん まほう が魔法をつかったというかどで魔女裁判にかけられ、火あぶりになったことは、わす れきし じじっ れてはならない歴史の事実です。 った まじよ まじよ 魔女にたいする偏見がなくなってからも、魔女がいたという言い伝えは、話として まじよ まじよ のこっています。「空をとぶ魔女」「せんたくものにひそむ魔女」「十ニ人の魔女」が ぞくしん はなし みんかん それです。これらの話には民間にったえられたさまざまな俗信がみられます。このよ った うな言い伝えをのこすことで、「せんたくものはくらくならないうちにとりこめ」と そと せいかっちえ か、「足あらい水は外にすてろ」といった生活の知恵のようなものもったえてきたの へんけん ちゅうせい はなし まじよ 1 41
ふうとふきはじめた。 するとまもなく、ばあっと、火かもえあがった。 「はれ、もえたろ。大むかしから、これをつかってきたんだ。なんだか しっているかい これは、サルのこしかけだわ」 サルのこしかけだって、ばくはヘんなことをいうおばあさんだとおも った。すると、 「いま、へんなことをいうおばあさんだと、おもっているな」 また、おばあさんは、ばくのおもっていることをいいあてていうのだ ばくはこわくなって、かたがたふるえてきた。そのとき、 1 〇 2
イ人一 ( さい′」 最後の魔女には十一一本もあった。 まじよ 十二人の魔女たちは、むかしのこ うた とはできみような歌をうたいながら、 よ、つも、つ 羊毛をすいたり、糸をつむいだり、 機をおったりしはじめたんだけど、 そのいきおいがものすごい。糸つむ ぎも機おりも、目かまわるようなは やさだ。 おかみさんはおそろしくて、助け まじよ をよばうとしたけど、魔女のしゅも はた まじよ たす 1 22
おに いるのは、ヨーロッパの魔女とおなじです。「鬼ばばのへそそば」の鬼はばも、む根 た じぶん おに のよい女の子をたすけてくれるしんせつな鬼ははです。自分のからだから食べものを はなしあおもりけん ほうじようめカみ だすところをみると、豊穣の女神だったのかもしれません。この話は青森県にった 」士 6 はなし おに わる「鬼のへそ玉」というめすらしい話がもとになっています。 はなこ 「井戸の底のばあさま」のはあさまも、よい子の花子にとっては、やさしくたのもし そんざい こころね いおばあさんですが、心根のわるい竹子や母親にとっては、おそろしい存在です。こ はなしにほん の話はグリムの「ホレおはさん。とそっくりですね。ヨーロッハの話が日本にはいっ にほんはなし てきて、いつのまにか日本の話になったものとおもわれます。 ぼせいてきかみそせん まじょにめんせい こわくもあり、やさしくもあるという魔女の二面性は、母性的な神を祖先にもちな まじよふくざっれきし しやかい がら、社会からはじきだされてきたという魔女の複雑な歴史によるものでしよう。そ にほんおに して、それは日本の鬼ばはややまんばにもつうじることです。 こころ にほんむかしばなし 「さとりのおばあさん」も日本の昔話がもとになっています。心の中をなんでもい はなしげんだいはなし ぶきみ いあててしまう人かいつもそはにいたら、不気味ですね。この話は現代の話になって はなし どそこ まじよ たけ、」 ははおや おに こころね 1 39
ヘンゼルとグレーテルの、おかしの家かもしれない。それなら魔女が いるよね。 「はいってみようか」 ふたりでしつかり手をつないで、はいっていった。げんかんまでけっ こうあるくとこかあって、ドアのまえにたっと、ぎい ーって、ひとりで にあいた。 おそるおそる、中へはいった。 木のテープルと木のいす。 あちこちに花がいつばい。 しんとしている。 いかにもレストランなのに、だれもいない まじよ 8
であらわれ、 「いらっしゃい あたま と、あいさつをして、ペこりと頭をさげました。びつくりして、目を白 くろ 黒させている真弓のまえを、おはあさんはヒョロリヒョロリとあるいて、 わすかにあいたドアのすきまからスッとでていったのです。 ゅめ 「わたし、夢をみてるんしゃないかしら」 まゆみ ばうぜんとしている真弓にむかって、 「おどろかせてごめんね。うちのおばあちゃんは、人をびつくりさせる のが、生きがいなのよ」 、つし、わけ・ユさそ、つにミカかいし まゆみ しろ 9 6
0 け jJ いい、い 「ああ、そうかい。皿をかえしてや るから、さっさと家へおかえり 皿だけもって、竹子は家にかえっ てきた。さあ、おっかさんのおこる こと、おこること。 「なんだい、そんな皿なんぞいらな きもの おび ほ , フせき いよ。着物だの帯だの宝石だの、もら ってこなけりやだめじゃないか " 【」 どそこ おっかさんは、井戸の底へむかっ て皿をたたきつけると、大いそぎで さら さら さら さら 3 5
いえ ターニヤはおそいタ飯をたべおわると、そっと家をぬけだした。空に あか まんまるいお月さまかでていて明るかったので、すこしもこわくなかっ おがわ た。ターニヤは、村はすれをながれている小川へむかってあるきだした。 サーシャかわたしをまっていてくれる。そうおもうと、ひとりでに足が わかもの はやくなった。サーシャはすてきな若者で、そのうえ村でもひょうばん もの のはたらき者だった。あの人のおよめさんになりたい。ターニヤはすっ ルサールカ ゅうはん さいと、つきみこ 斎藤君子 3 8