司令部 - みる会図書館


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1. 戦車マガジン 1979年10月増刊号

グラードルは了解のサインを送ると , 無線器を大 隊系に切り換えて命令を下す。 「再編成を行なう。編成完了後 , 国道上をプリャン スクへ向けて突進する。べーグマン少尉 , 貴官は先 発して道路前方の状況を偵察せよ」 偵察小隊のべーグマン少尉は , 麾下の装甲偵察車 2 両を率き連れてただちに発進した。 2 両の 4 輪装 甲車は , フルスピードであっという間に視界から消 える。グラードルは戦闘団の再編成にかかったか , 部下達は全員べテランの戦車兵である。てきばきと した指示と行動で , 数分の内に編成完了。全員乗車 して進撃命令を待っ内 , いくばくもなくべーグマン 偵察小隊より無線連絡か入る。 「プリャンスクへ向う国道上に敵影なし」 グラードルの命令一呵 , 戦闘団はただちに発進 , 西方へ向けて旋回すると , 道路上をフルスピードで 突進する。 「連絡 , 歩兵が後続して来ません。少佐殿 / 」 グルシャイまで来た時 , 最後尾の戦車が連絡して 来た 「道路左側の森へ入って停止せよ。ケルバー少尉車 はただちに反転 , 歩兵部隊を見つけ次第大至急追及 させよ。なお , 少尉は連絡将校として歩兵部隊に随 プリャンスクを奪取せよ 伴せよ。以上 / 」 「やってみよう / 歩兵が到着したらただちに発進 へ突っ込むのだ」 後 , デスナ河に架かる橋を急襲により奪取し , 目標 だ。敵の不意を衡いて森の道路を突破する。しかる っているのだが , この際ふたつにひとっしかないの その森の中にもかなり兵力のソ連兵がいる事がわか 突破する以外にあるまい。グラードル。いや , 実は 「それでは , プリャンスク , サレウォ間の森の中を 撃すればすぐに見つかって反撃されるだろう」 軍用車両が続々と到着しているという。道路上を進 同道路周辺にはすでにソ連軍陣地多数があり , 兵員 , 出来ない。偵察班のべーグマン少尉からの報告では , 「カラチェフ , プリャンスク間の大自動車道は利用 司令部のフォン・ポーニン少佐である。 ものではない。西方 , 背後より奇襲するのだ」 れているが , これに前面から当ってはとても抜ける 奪取するのだ。市東部には強固な縦深陣地か確認さ 「グラードル , 今朝の内にプリャンスクを急襲して 部の参謀将校が乗った装甲車が到着した ラードルが発信してからきっかり 30 分後 , 師団司令 戦闘団への命令は師団長副官より出されている。グ アルニム中尉がストロピチェで負傷後送されたため , うまく通信出来ないのだ。 9 月末 , 師団長フォン・ 離で , しかも雑音 , 振動の多い走行中ではなかなか いかに強力な大型無線器でも , 遠距 連絡を取った グラードルは , 停車時間を利用して師団司令部と する。戦車 , 機甲歩兵 , 高射砲と三味一体となって , プリャンスクへ突入する」 「よろしい , グラードル / 幸運を祈る」 フォン・ボーニン少佐の乗った装甲車が去るのと 入れちがいに , 機甲歩兵の装甲兵車 4 両が追及して 来た。これでグラードル戦闘団の兵力は , 3 , 4 号 戦車 6 両 , 2 号戦車 7 両 ( 火焔放射戦車若十を含む ) , Sd. Kfz251 装甲兵車 4 両 ( 機甲歩兵 1 個小隊弱 ) , 88mm 高射砲 2 門となった。ちつは。けな戦闘団だが , 今までもこれでやって来たのだ。全戦力を集結して かかれば , いかなる敵といえども打ち破る自信はあ った すでに部下達は、各自の戦車 , 装甲兵車に分乗し て , 前進命令を今や遅しと待っている。グラードル は指揮戦車の砲塔から , 部下全員に聞える様大声で 「聞け / これからプリャンスクへ向って突進する。 全員一体となって、目標の達成に尽力せよ / 」 対ソ戦開始以来 , 常に師団の尖兵としてともに戦 って来た部下達である。今さら , くどくどとした説 明などいる訳がない。グラードルは , 怒鳴り終ると 操縦手に発進を命した。 砂混りの泥の道を , 戦車隊は西を目指してまっし ぐらに突進する。やがて森の中へ入った。サレウォ ~ セイミスチェスチャ間の , ちょうど森の中央部分 と思われるあたりで宿営中のソ連騎兵部隊を急襲 , 不意を衡かれた敵はあっという間に跌散らされ , 逃 げ遅れた兵は捕虜となる。連れて行く事は出来ない ので , 武装解除して残置。部隊はさらに森の奥へと 進む。先頭は無論グラードルの 4 号戦車。と , 道路 左側に停車中の車両が見えて来た。進む程にその数 は増して来る。ソ連軍車両の縦隊か ? 近すくドイツ 戦車を見て , ソ連兵達が呆然と立ちすくみ , あわて て逃げ出す。前方の林間の空地に , 無線アンテナか 林立している。ソ連軍の大通信部隊である事は疑う 余地もない。 敵司令部を壊減 「全車集中射撃 / 」 グラードルが命する迄もなく , 各戦車よりの榴弾 がソ連軍の中で炸裂する。ドイツ側は少兵力なので 停止しない。行進射撃で次々と目標を撃破して行く。 ソ連軍通信基地のアンテナが吹き飛び , 路傍のトラ ックは , 次々に炎上する。勇敢にも機銃や爆薬で , 肉迫攻撃して来るソ連兵は , 装甲兵車のドイツ歩兵 が受けて立つ。たった 3 分の内に , ソ連軍通信部隊 は壊滅状態となった。敵基地を通り過ぎてホットー 息。一寸停車して部隊の状況を見る。 グラードルの所へ , 歩兵か先刻の基地で拾った紙 片を持って来た。これで見ると , どうやらグラード ル達が襲ったのはソ連軍軍司令官直属の司令部付通 信隊らしかー。た。後に判た事だが , グラードル戦

2. 戦車マガジン 1979年10月増刊号

ドイツ戦車 , 機械化歩兵部隊の戦記 皛野 グラードル戦闘団の プリャンスクの奇襲 凍部戦新・行く = Kfz25 会合を終えて連隊本部へと戻りつつあった。第 17 戦 車師団は第 47 戦車軍団に属し , 名師団長フォン・ア ルニム中将の指揮の下に , 軍団の左翼を進軍しつつ あった。前日の 10 月 4 日 , 師団の先遺部隊がニエル ッサに橋頭堡を築くのに成功し , 師団の全部隊はそ こから前進中である。 キューノ大佐の乗った指揮装甲車は , やがて小さ な堀立小屋の前で止った。小屋の入口には , 連隊戦 闘指揮所を示す小さなプリキの旗が立ててある。中 では戦車大隊長を始め , 本部員達が大佐の帰りを待 っていた「諸君 / 」。 大佐の声に , 指揮内の将兵達が一斉に踵を合せて 敬礼する。 「さらに前進だ。本日午前中の軍団司令部における 会議で , グデーリアン大将閣下自らが決められた。 われわれは , 第 18 戦車師団と共に , 明早朝 , 明るく なると同時に進撃に移る。」 「北へ向うのですか ? 」 少佐の肩章を付けた戦車大隊長がたすねた。第 1 大隊長の , ハンス・グラードルである。 「北へ向うが , 北方への突進は第 18 戦車師団にまか せる。われわれの任務は次の通りだ。グラードル , 君は第 63 機甲歩兵連隊を編合した戦闘団を編成し , アクロヴァ北西部のソ軍対戦車壕を超越して突進 , こは , カラチェフ ~ プリャン 237 高地を占領する。 スク間の自動車道路を制する要地だ。同地の敵を駆 タイフーン作戦発動 1941 年 9 月 26 日 , 独 . 2 個戦車軍によるエキフ大包 囲戦は , キエフ市の陥落をもって終了する。包囲陣 内では , ソ連 7 個軍がほとんど全滅し , ソ軍南西戦 線総団令官プジェンヌイ元帥は航空機により脱出 , 総司令官代理のキルポノス大将は , 幕僚と共に戦死 する。ドイツ軍の捕虜となったソ連兵 66 万 5 千 , ろ 獲戦車 884 両 , ろ獲火砲 3 , 718 門。それまでの勝利と 合せれば , 普通の国の軍隊ならばとっくに全滅し , 国家は占領されてしまったであろう数字だが , ソ連 は途方もなく大きな国であった。この時点でも , ド イツ軍は , ョーロッパロシアの極く一部を手中にし たに過ぎす , ウラルの彼方には , 無尽蔵と思われる 人的資源と戦争用物資が眠っていたのである。 大勝利の連続に有頂天となったヒトラーは , 9 月 26 日 , タイフーン作戦の発動を指令する。ソ連軍の弱 体化に応して , 最終攻撃目標モスクワまで一気に突 進しようというのだ。 9 月 30 日 , グデーリアンの第 2 戦車集団は , 第 24 戦車軍団を先頭にグルーホフを 発進 , 一路北へ向う。第 24 戦車軍団の左翼には , レ メルゼン大将の第 47 戦車軍団が並進する。タイフー ン作戦の開始である。 1941 年 10 月 5 日も暮れかかる頃 , 第 39 戦車連隊長 クルト・キューノ大佐は , 第 17 戦車師団司令部での 9

3. 戦車マガジン 1979年10月増刊号

逐し次第 , 第 63 機甲歩兵連隊第 2 大隊に高地を確保 させ , 君達戦車部隊は , 突進を継続してほしい。そ れからの命令は , 追って進出する師団司令部が状況 に応して出すはすだ」 「対戦車壕の超越ですが , 工兵による渡過地点の工 事と確保が必要ですな」 グラードルが眉をかしげながらいった。彼は , の 10 月 1 日 , 少佐に進役したばかりである。濃いプ ルーの瞳と鋭いかぎ鼻が精悍な印象を与える 38 オの 古参戦車将校。 「通過路はすでに構築中だ。増強された工兵部隊か 2 個所を切り崩して地ならししている」 「大佐殿 , この事は進撃成功の鍵なのです。昨日よ りわれわれが停止しているのも , このいまいましい 対戦車壕のためなのです。幅 6 m , 深さ 5 m の壕は , われわれの戦車だけではどうにもなりません。下車 して渡過点を探したり , 通路の工事を初めたりすれ ば , 待っていた様にソ連狙撃兵が射って来るのです」 「グラードル , 大丈夫だ。心配はいらんよ . 通過路 は , 明朝迄に必す構築される。攻撃開始時間は 0415 時だぞ / 」 グラードル戦闘団出動す 翌 10 月 6 日早朝 , ハンス・グラードルは大隊長車 の砲塔に立って夜の明けるのを待っていた。彼の指 揮専用戦車は , 被弾と消耗のため , とうの昔にスク ラップになり , 今は , 4 号戦車に無線器を増設して 指揮戦車としている。大隊長車の後方には , 部下戦 車が進撃命令を今や遅しと待ちながら並んでいる。 第 1 大隊の戦力も , 続く戦闘ですっかり消耗し , 大 隊とは名ばかり。実質的には 1 個中隊にも満たない。 第 1 大隊の後方には , 戦力増強のため , 臨時に配属 された第 100 戦車大隊の火焔放射戦車若干と , 第 63 機 甲歩兵の装甲兵車数両が並んでいる。 グラードルは双眼鏡を取り出すと , 薄暗がりの中 には、んやりと浮び上った 237 高地の輪郭に焦点を合せ た。プリャンスクへの街道を扼するこの高地は , 独 ソ両軍にとって大事な拠点であった。暗くてほとん ど何も見えないが , 高地上にソ連軍が布陣している のは間違いない。さらに西の方へ進んだどこかには , ソ連軍の総司令部があって , 総司令官イエレメンコ 将軍が , 彼等の後方へ廻り込んだ独軍戦車部隊への 対応措置に頭を悩ましている事であろう。 こプリ ャンスク戦線より 200km も東にあるオリョールは , 3 日前 , 第 24 戦車軍団のエーベルバッハ戦闘団による 奇襲で , あっという間に占領されてしまったのであ やがて夜光時計の針が午前 4 時 15 分を示す。グラ ードルは戦車のキューボラから上半身を乗り出すと , 後方を振り返って丸めた拳を大きく 3 度振った。 進開始である。工ンジン音が轟々と響き渡り , 2 列 に並んだ戦車はキャタピラを軋ませながらガタガタ と動き出した。グラードル車は先頭を行く。前方で 蔽光した壊中電灯の光。工兵の合図だ。日の出が近 すきあたりはうっすらと白んで来た。やがて地面に 引かれた石灰の白い線が目に入る。工兵による通過 地点の案内標示だ。白線に沿ってまっすぐ前進。 「対戦車壕通過後 , ただちに高地へと突撃する / 」 グラードルは無線封止を解き , 送話器に向ってい った。 大隊長車を先頭に , 戦車は次々と壕を渡った。工 兵の工事は流石に完壁で , 対戦車壕の両壁を崩した 通路は , 多数の戦車の通過にもびくともしない。壕 の向う側では , 先に渡って警戒位置に着いていた機 甲歩兵達が , 戦車隊に後続して来た Sd. Kfz251 装甲 兵車へ次々と飛び乗る。 グラードル戦闘団は 2 列縦隊のまままっすぐ高地 へと向う。地面には背の低い藪が点在するが , とて も遮蔽物にはならない。高地のソ連兵はすでにドイ ツ軍戦車に気が付いているはすである。と , 高地上で何 かがパッパッと光った。グラードルは反射的にキュ ーボラに身を沈め , ハッチを閉しる。ちょっと間を 置いて小銃弾がカンカンと砲塔外板を叩いた 「ハッチ閉めェー / 戦闘用意 / 「装瞋完了 , 照準良し / 」 グラードルが部下戦車に命令を下すと同時に , 大 隊長車の砲手が報告して来る。後続する戦車も , タンパタンと一斉にハッチを閉し , 砲塔を旋回させ て敵を探す。鋼鉄の巨人達は , 下生えを押し潰しな がら高地を登り初めた。グラードル車は , すでに斜 面の中程にいる。日が登って来て高地の一帯が朝焼 に赤く染まる。 「散開せよ / イワン共を隠れ場所からいぶり出せ グラードルは命令しなから , キューボラの装甲シ ャッターを僅かに開いて周囲をうかがう。と , キュ ーボラ右側にカンカンカンと連続した命中音。機銃 弾だ。すかさす砲塔を右へ回す。 100m 程先の岩の陰 に青白い機銃の発射火光が見えた。赤い曳光弾が , 光の尾を引きながらまっすぐに戦車砲塔目指して飛 んで来る。大隊の戦車がはとんど全部高地上に有る のを確かめてから , グラードルはソ軍機銃陣地へ戦 車を向けた。ソ連兵も勇敢で , グラードル車が真近 に迫っても機銃射撃を止めない。数秒後 , 戦車は岩 影のマキシム機銃にのしかかった。機銃はあっとい う間にペシャンコになり , 破けたウォータージャケ ットから冷却水が白い湯気を立てる。ソ連兵はくも の子を散らす様に逃げ去って行く。と , 戦車の脇で 砲弾が炸裂した。グラードルは素早く目標を探す。 400m / 11 時 , 射てっ / 」 グラードルの指示に砲手は素早く反応 , 目標を視 認すると間髪を入れすに引金を引いた。カン高い発

4. 戦車マガジン 1979年10月増刊号

tSd Kfz25 し / 3A 型装甲無線車。 Fu ロ無線機とフレームアンテナを持 つ機甲部隊の指揮官用車両。 = ~ 写真は円 40 年 5 月のフランス戦線にお = 姦を蕙 = = ーける第 7 戦車師団司令部通信中隊の同車。なお , この写真の撮影者は 当時同師団の師団長だったロンメル少将自身でありをその点でまこ とに重貴な写真といえよう「 ・橋を破壊されたため , しかに河床を渡る Sd K 子 z2 引 / 3A 型。右側の Sd Kfz223 装甲車は , どうやらスリップして止まってしまったらしい、 = ~ こんな場合 , キャタビラ付き車両は十分にその強味を発揮出来る 右と同じ第 7 戦車師団司令部の車両。 声一

5. 戦車マガジン 1979年10月増刊号

1 ~ 太 弾薬運搬車専用の Sd. Kfz252 後ただちに発進 , 北方へ向って突進する。目標はカ ラチェフ , 以上 / 」 グラードルは , 無線で部下に指示すると , 集合地 点へ戦車を移動させた。グラードル車の信号灯を目 印にして部下戦車が三々五々集まって来る。やがて 発進 , 大隊長車を先頭に高地の斜面を下る。道路上 へ出ると 2 列縦隊になって進む。道路周辺には , あ ちこちにソ連軍陣地があるがほとんど抵抗して来な ドイツ戦車が近すくと , ソ連兵は武器を放り出 して逃げ出す。抵抗して来たのは対戦車砲を有する ごく少数のソ連兵のみ。 7.5cm 榴弾 1 発で粉砕。結局 , 対戦砲 3 門を葬る。 「まるで演習みたいですな。少佐殿」 同乗している大隊副官が , あまりにも一方的な戦 闘状況に感嘆していった。前進を続ける内 , やがて 道路の延長線上に家並が見えて来た。カラチェフの 町だ。同時に無線手より連絡が入る。 「少佐殿 , 師団より命令です / 」 グラードルは , 無線器のスイッチを遠距離用に切 り換えて腕時計を見た。午前 7 時 30 分 , 出発してか らすでに 3 時間以上経っている。 - ヘッドホーンがジ ・・と鳴って , 師団司令部より - の命令が入る。 「国道上の橋は閉鎖完了。貴隊はカラチェフへ向け て突進せよ。同地にて停止 , 再編後国道上を北西に 向って突進 , プリャンスクへ向われたし」 砲音を残して 7.5cm 榴弾が飛ぶ。坂になっているので , 反動のため戦車はズルズルと後退した 「近すぎる / あと 20 / ′」 2 発目は直撃弾。ソ連軍歩兵砲が兵士もろとも吹 き飛ぶ。 機甲歩兵を乗せた装甲兵車が , 機銃を射ちまくり ながら斜面を登って来た。半装軌式のこの車両は戦 車と同し様な機動力を持ち , 装輪車両ではとても走 れない様な不整地や斜面でも , 平気で走破する。そ れに薄いながらも装甲されているので , 小銃 , 機銃 弾等は軽くはね返す。 装甲兵車は戦車と並んで停車した。後部の扉がに いて完全武装した歩兵達が飛び出し , そのままソ連 軍の抵抗拠点めがけて突っ込んで行く。戦車も砲と 機銃で援護にあたる。白兵戦となって一分もしない 内に , 最初のソ連投降兵がたこつばから這い出して 来た。歩兵がすかさす銃を突き付けて武装解除 , 捕 虜の数はどんどん増える。 グラードルは , 高地上の敵の掃討を味方歩兵にま かせた。すでに勝負は着いている。敗残兵に構って いるひまはない。一刻も早く前進せねばならない。 カラチェフ占領 「戦車大隊は高地北側に集合せよ。機甲歩兵第 63 連 隊の第 2 大隊は高地の確保にあたれ。戦車隊は集合

6. 戦車マガジン 1979年10月増刊号

機式 MG34 または 42 2 挺および MG34 または 42 1 挺。 乗員 11 名。機械化歩兵の重機関銃分隊用車両。 ③ ) Sd. Kfz 25 ー / ー Mittlerer Schützenpanzerwagen (Wurfrahmen40) 〔中型装甲兵車ー 40 式ロケット弾発 射器付〕 : ぞくに「歩兵のスツーカ」とよばれた車 両。機銃 2 挺の武装の他 , 車体両側に 28cm ロケッ ト弾 5 発 , 32cm ロケット弾 1 発用の枠型発射器を装 着している。ロケット弾の照準は , 高低が発射器で 方向は車体を回して行なう。射程約 2km 。 1941 年の 対ソ戦より使用。発射器 6 基。乗員 7 名。 ④ Sd. Kfz 25 ー / ー Mittlerer SchUtzenpanzerwagen ()R ) 〔中型装甲兵車ー赤外線探照灯付〕 : 大戦末期に実 用化された赤外線照射器を搭載した車両。同し装置 を付けたパンター戦車部隊に随伴する機甲擲弾兵が 使用した。「ファルケ」の呼名をもつ。武装 , 乗員は 標準型に同し。 ( ① Sd. Kfz 25 ー / 2 Mittlerer Schützenpanzerwagen (Granatwerfer) 〔中型装甲兵車ー迫撃砲搭載〕 : 機械 化歩兵の重装備中隊車両。 8cm 口径の 34 式迫撃砲を 車内に搭載する。砲は取外して車外で使用する事も 出来る。砲弾 66 発搭載。副武装は MG34 または 42 1 挺。乗員 8 名。車重 8.64 屯。 ⑩ ) Sd. Kfz25 1/3Mittlerer Funkpanzerwagen( 中型 装甲無線車 ) : 戦車 , 機械化部隊の指揮 , 通信用車両。 搭載する無線器や , 生製時期の違いにより , つぎの 8 つの型がある。 FuG8, FuG5, FuG4 を搭載 : 戦 車部隊と砲兵 , 師団司令部の連絡用。 1942 年型まで モニター FuG7, FuGl : 地上部隊と空軍の連絡および通信用 42 年型までは FuG8 用のフレームアンテナつき。 FuG8, FuG5 : 師団師令部と戦車部隊の連絡用。 48 年型までは , FuG8 用のフレームアンテナっき。 FuG8, FuG4 : 師団司令部と砲兵部隊の連絡用。 は FuG8 用のフレームアンテナっき。 19 19 線器を搭載した工兵部隊の指揮官用車両。武装 MG34 ( Pi ) 〔中型装甲兵車ーエ兵用〕 : FuG8 および FuG4 無 ⑩ ) Sd. Kfz25 ー /5Mittlerer Schotzenpazerwagen 中止。 挺 , 銃弾 1100 発。 1942 年 , 251 / 9 型の出現により製造 両。 7.5cm 砲弾は 120 発を搭載。固有武装は MG34 1 (IG) : 18 式 7.5mm 軽歩兵砲の牽引および弾薬運搬用車 @) Sd. Kfz25 ー /4Mittlerer Sch0tzenpanzerwagen 弾薬 2010 発。 各型とも , 乗員 7 名 , 武装は MG34 または 42 2 挺。 FuG Tr 15Kzw : 指揮用 FuG Tr 30mm : 指揮用 FuG Tr 80mm : 指揮用 FuG Tr 100mm : 指揮用。 長の巻取式アンテナに変更される。 車両。フレームアンテナっきだが , 後期型では 9m FuG12, FuG11, Kdo FuG : 師団 , 軍団の指揮官用 2 挺 , 銃弾 4800 発。 1943 年に製造中止。同し呼称で FuG8 および FuG5 を搭載した機甲工兵指揮連絡用車 両もある。 ( ⑨ Sd. Kfz25 ー /6Mittlerer Kommandopanzerwagen ( 中型装甲指揮車 ) : FuG11 および FuGTr100mm 無線器 を搭載した指揮官専用車両。 1943 年に製造中止後。 期型では FuG19 および FuG12 無線器を搭載 , ほは、オ ールラウンドの通信能力があった。武装は MG34 1 挺 , 銃弾 1100 発。乗員 8 名。重量 8.5 屯。 ( ⑩ Sd. Kfz25 ー /7Mittlerer Pionierpanzerwagen 〔中型工兵用装甲車〕 : 機甲工兵の専用車両で , 車体 両側に木製のラックを装着し , その中に工作器機 , またその上部に小型の戦車橋を搭載する。武装は M G34 または 42 2 挺 , 銃弾 4800 発の他 , 対戦車銃 PzB 39 1 挺を常備 , 他に地雷なども搭載する。乗員 7 ~ 8 名 , 重量 8.07 屯。なお一部の車両は FuG5 無線器を 搭載して指揮用に使われている。 ⑩ Sd. Kfz25 ー /8Mittlerer Krankenpanzerwagen 〔中型装甲病院車〕 : 機甲部隊の衛生隊用車両。車内 に担架 2 挺を傷病兵ごと収容する他 , 負傷者 4 名の 座るシートを持つ。一部の車両は車体側部に大型の 水タンクを , また本部付車両は FuG5 無線器を装備し ている。後期型では担架の出入を容易にするため後 部扉が改造されている。乗員 3 名 , 武装はなし。 ⑩ Sd. Kfz25 ー /9Mittlerer Schotzenpanzerwagen ( 7.5cm ) 〔中型装甲兵車ー 7.5cm 砲搭載〕 : 兵士たちか らは「シュッンメル」のニックネームで呼ばれた支 援用車両。旧型 4 号戦車の 24 口径 7.5cm 戦車砲を , 砲 架を改造して搭載している。 1942 年 3 月 31 日ビュー シイング社は , 4 号戦車の火力増強にともなって , 不用となった短砲身 7. 5cm 砲を , Sd. Kfz251 に搭載せ よとの命を受け新型 251 の設計を開始 , 同年 6 月には , 早くも 2 両の試作車が完成する。 2 両はただちに東 部戦線へ送られて , 実戦でのテストを受ける。実戦 部隊での好評から , 同月中に生産化が決定し 150 両 の生産命令が出された。 1943 ~ 44 年型の機甲擲弾兵連隊では , 一個大隊に つき 6 両 1 個中隊の本車が , 配備される事になって いる。 7. 5cm 砲は , 改修されて K51 の名称を与えられ ているが , 実質的には KwK37 と同一である。ただし HEAT 弾が開発された事により , 対戦車戦闘能力は , かなり強力であった。 1944 年には砲の搭載方法が変 更され , 車内容積を増加した後期型が出現する。乗 員 3 名 , 重量 8.53 屯。武装は , 7.5cm 砲の他 , MG34 または MG42 2 挺。搭載弾薬は , 砲弾 52 発 , 銃弾 20 10 発。 ⑩ Sd. Kfz25 レー OMittIerer SchUtzpanzerwagen ( 3.7cmPaK ) 〔中型装甲兵車ー 3.7cm 対戦車砲搭載〕 : 機械化歩兵装甲兵車小隊の小隊長用車両。 35 また は 36 式 3.7cm 対戦車砲を搭載する他 , MG34 または MG 42 1 挺 , PzB39 対戦車銃 1 挺も装備する。搭載弾薬 37

7. 戦車マガジン 1979年10月増刊号

「歩兵および戦車兵 10 名 , 右の戦車を奪還せよ」 戦車 1 両に機甲歩兵が跨乗して , ろ獲された戦車 へと向う。不意を衡かれたソ連兵は , 戦車を放り出 して逃げ出した。戦闘団の少い戦力には , 2 両の戦 車はまたとないプレゼントである。この間 , グラー ドルの本隊は橋へ向って突進しつつあった。橋の手 前 2 個所にソ連軍トーチカ。ぶらぶらしていたソ連 兵が , 近付くドイツ戦車にあわてて , トーチカへ飛 び込む。 「射てッ / 」 グラードルは全火器の射撃を命した。戦車砲 , 機 銃 , 歩兵の小銃からピストルまで , 戦闘団の持つあ らゆる火器が火を吹く。ソ連兵はトーチカに入った まま頭を出す事も出来ない。グラードル車は全速で 橋へと乗り入れた 一部の部下戦車と機甲歩兵がト ーチカの敵を制圧している内に , 数両の戦車と装甲 兵車はフルスピードで橋を渡る。木製の踏板が , 重 たい戦車の通過でギシギシと軋む。ソ連軍工兵が橋 に爆薬を仕掛けているとしたら , プランジャーのひ と押しでグラードル達は橋ごと木葉微塵に吹き飛ぶ のである。グラードル達には , 長さ 200 m の橋か数 km もある様に思えた。が , 心配する事はなかった。橋 は爆破されす , 戦車は無事に向う岸までたどり着く 事が出来たのである。グラードルは , ただちに戦闘 団の戦力を 3 分した。 2 隊は橋の両岸にあって橋の 確保にあたる。主力の 1 隊は , さらに前進してプリ ャンスク市内へ突入しようというのだ 橋頭堡を確保せり 闘団は , なんとイエレメンコ将軍の野戦司令部を突 き抜けたのである。イエレメンコ将軍は , グラード ル達の戦車からわすか 50 m 離れたテントの中にいた のだが , このソ連軍元帥は幸運にも , グラードル達 からの弾に当る事もなく , また , 捕虜になる事も免 がれたのであった。もし戦闘団がもう少し多数の兵 力を持っていて , 停車戦闘をしたら , 将軍の命もど うなっていたか判らない 「プリャンスクへ、発進 / 」 戦闘団はふたたび突進を開始した。約 2km 程進ん だ所で , またもソ連軍車両縦隊と相遇。敵は何がな んだか判らぬ内に , ドイツの捕虜になる。有難い事 に , 自動車用燃料の輸送部隊で , 一少尉が指揮して いる。ガソリンはいくらあっても足りない所である 早速武装解除の上 , 戦闘団縦列の後方を続行させる。 やがて木々もまばらになり , 遠方に大きな兵舎ら しき物が見えて来た。森を突破してプリャンスク郊 外へ出たのである。道路上を前進 , 途中でソ連軍の パトロール隊に出会う。ソ連兵は , まさか 歩哨 , んな方向からドイツ軍が現われようとは夢にも思っ ていなかったのであろう。近付く戦車を , ほかんと して眺めている内 , 戦車に後続した装甲兵車の機甲 歩兵に銃を突き付けられ , あっという間に武装解除 される。ソ連軍兵営に近すくと , 兵舎後方の停車場 に貨物列車が一連入っていて , 1 個中隊程のソ連兵 が乗車中なのが見える。 「少佐殿 , 兵舎です / 」 大隊副官が興奮した声で叫んだが , グラードルは 冷静であった 「停車場に構うな。われわれの第 1 目標は橋だ」 見逃すには惜しい獲物だが , 今は構っている暇は ない。一刻も早くデスナ河の橋を確保しなくては。 「大隊長車に続け。全速前進 / 」 道路がアスファルト舗装に変り当ー。 = 、 , -- = 。ーー スピード上る , ガラガラとキャタピラの音を響かせながら , 戦車は 一路 , 新へと向う。おや ? 側道にドイツの 4 号戦 車と 2 号戦車が 1 両づつ止っている。 ~ グラードルは 装甲ジャッターを全開にして目を凝らした 赤い星のマーク。 - ソ連軍がろ獲したドイツ " 車を橋 の警備用に使っているのだ われわれは , プリャンスク西側区域へ向けてさら に突進せねばならぬ。このデスナ河橋頭堡を , 出来 るだけ大きくするのだ」 グラードル車を先頭にふたたび発進。プリャンス ク ~ ロスラウリ間の道路上を進む内 , 左手にまたし てもソ連軍兵営を発見 9 戦車 1 両と装甲兵車 1 両が これに向い , やがて捕虜 100 名余りを道れて戻る。ふ たたび前進。今度はソ軍トラック部隊と相遇 , 戦車 砲弾を 2 発程射ち込むとソ連兵達は手を上げた ト フックにどろ獲。捕虜の数はなんと 400 名にものは、 る。にれは , グラードルにと も予想外の事態で あった。戦車 . を停止して遠距離、信用のア、テナを ◆を

8. 戦車マガジン 1979年10月増刊号

・ $d Kfz25 レい型をベスにして , ーバンター用れ 5g70 口径戦車砲 を搭載した対戦車自走砲。コ 943 年に一両のみ造られた試作車自走砲。 砲を横へ向けて射撃すると反動で車体が横倒しになるといった , ずいふんデタラメな自走砲である 9 會ヒ = 下ラーの命令によづて造られた即製対戦車自走砲のひとつ Sd Kfz 2 引 / 22D 型。搭載する砲は 7.5cmPaK40 で ; 弾丸も 22 発積める。四 44 年に月より終戦までの問に この手の車両としてはかなりの数量が 造られ当実戦にも使用された レしし第ロ

9. 戦車マガジン 1979年10月増刊号

Sd. Kfz250 の開発 新富敏夫 グ NAG, ウェーゼルヒュッテ , ヴュマーグ , ウエグ マン , ドイッチエヴュルケ社などがあたった。以下 , Sd. Kfz250 の母体となった 1 屯牽引車 Sd. Kfz10 の 開発は , 1932 年に開始される。開発にあたったのは ルール・ウェッターのデマーク社で , 当時の軍より の要求は , 3.7cm , 5 cm の対戦車砲 , 7.5cm , 15cm の 軽榴弾砲または , 補給用の 32 式特殊トレーラを牽引 出来る牽引力 1 屯のハーフトラックという事であっ た 最初のプロトタイプは , 1934 年に完成した D11 1 型で , これは BMW315 6 気筒 28 馬力工ンジン , ZF の ギャポックス , ハイドラリックプレーキ , 前輪 , 転 輪ともにトーションバーサスペンションを備える。 転輪数は片側 3 個づつ。車重 4 屯。 1 型は , 諸元を 見てもわかるように , アンダーパワーで , 同年中に 2 型が開発される。 2 型では車重は 2.5 屯に軽減され , 転輪も 1 個増えて片側 4 個となる。 1936 年 3 型が完成。この型ではエンジンは BMW319 6 気筒 42 馬力に換装され , 転輪はさらに増えて片側 5 個となる。この型から 2 名の乗員の他 , 4 人の人 員が乗車出来るスペースが設けられた。重量は 3.5 屯。 同年 3 型を改修した D 4 と呼ばれる試作車が計画さ れたが , これは結局造られすに終る。 1937 年 , D4 を発展させた D 6 が完成。 D 6 は 3.8 直列 6 気筒 83 馬力のマイバッハ NL38TRKM 工ンジ ンを搭載 , ギャポックスもデマーグ / アドラー社製 となって , 性能は飛躍的に向上する。 1939 年 , D6 をさらに改修した D 7 が完成し , これが 1 屯牽引車 Sd. Kfz10 として , 軍の制式採用となる。 D 7 は自重 4 屯 , マイバッハ HL42 6 気筒 100 馬力工ンジンを搭 載 , マイバッハバリオレックス S RG10218H 変速器 との組合による軽快な操縦性と , 65km / h の最高速度 , 160 ~ 300km の航続力を持っ優秀な牽引車であった D 7 の生産は 1939 年より開始されたが , 同時に D 7 のべアシャーシーを利用して , 装甲ボディを架設し この装甲兵車 た小型装甲兵車の開発が開始された は D7p とよばれ自重 5.8 屯 , 2 名の乗員の他 , 4 名の 武装兵を乗せる事が出来る。装甲は車体前部で 10 ~ 14.5mm , 側 , 後部 8mm , 底面 6mm 。車重が増加した ため , 転輪は片側 4 個に減らされている。 S d. Kfz250 と名付けられた本車の生産は , 1941 年 6 月より開始 され同月中に 39 両が完成して軍へ引渡された。以後 生産は継続され 1943 年 10 月までに , 各型合計で 4 , 250 両が造られる。 1943 年 10 月からは , 車体形状を簡素化して生産性 を向上させた新型車体の生産が開始され , これにと もなって旧車体の車両を AIte ( アルテ ) , 新車体の車 40 2 , 378 両が記録されている。生産には , ビューシイン 2378 両が記録 2378 両が記録されている。生産には , 両を Neu ( ノイ ) とよぶようになる。 Neu の生産数は , ビューシインク 各バリエーションごとに解説する Sd. Kfz250 のバリエーション 富士川渡 1 Sd. Kfz250/ ー Leichter Schützenpanzerwagen 〔軽装甲兵車〕 : 250 シリーズのべーシックモデル。半 個分隊 6 名の乗員で , 武装は MG34 または 42 を 2 挺。 銃弾 2010 発。同し 250 / 1 型で , 重機関銃装備の MG34 または MG42 2 挺を搭載した重機分隊用の車両もあ ② ) Sd. Kfz250/2Leichter Fernsprechpanzerwagen 〔軽装甲電話車〕 : 有線電話用のケープル敷設車。乗 員 4 名で , 武装は MG34 1 挺。機甲通信部隊の車両。 ③ Sd. Kfz250/3Leichter Funkpanzerwagen 〔軽 装甲無線車〕 : 大型無線器を搭載した指揮 , 連絡用車 両。搭載無線器の種類により 4 種類の型に区別され I . FuG12 ~ 出力 80 ワットの中波無線器を搭載。ア ンテナは 2 m 長のロッドアンテナ。後期型ではデ ュポールタイプに変更。 Ⅱ . FuG7 ~ 出力 20 ワットの超短波無線器を搭載。空 軍との連絡用で , 通信距離は 50km 以内。 Ⅲ . FuG7 及び FuG8 を搭載。Ⅱ型と同し空軍との連 絡用だか , こちらの方が通信能力が大きく , 指揮 用や , 地上部隊司令部付用として使用された。初 期型は , FuG8 用のフレーム式アンテナを装備 , 後 期型では 8 m 長のデュポールアンテナに変更。 Ⅳ . 各種無線機か , 万能型無線器を搭載した通信連 絡専用車。部隊別の用途に応して搭載する無線機 の種類も異る。 4 車種共に乗員は 4 名 , 武装は MG34 または 42 1 挺のみ。 ( ① Sd. Kfz250/4Leichter Truppenluftschützenpa nzerwagen 〔軽装甲対空兵車〕 : MG34 用の 2 連装対 空機銃架 ZwiIIings Lafette 36 を装備する対空用装 甲車として企画されたが , 威力不足のため , 計画の みで終る。 ⑤ ) Sd. Kfz250/4Leichter Beobachtungspanzerw agen 〔軽装甲観測車〕 : 突撃砲部隊用の装甲観測車 で 1943 年秋から部隊配備された。車内に FuG15 およ び FuG16 無線器と観測用器材を搭載 , 乗員は 4 名で , 武装は MG34 または MG42 1 挺。 ⑥ Sd. Kfz250/5Leichter Beobachtungspanzerw agen 〔軽装甲観測車〕 : FuG4 および FuG8 無線器と , 観測用器材を搭載した砲兵の観測用車両。同し 251 / 5 でも , FuG12 無線器を搭載した後期型もある。 19 44 年になって , 250 / 4 型と区別するため , 名称か Leic- hter Auf Klärungspanzerwagen( 軽装甲偵察車 ) と 変更されている。乗員 4 名 , 武装は MG34 または MG 42 1 挺。初期型車両はフレームアンテナ , 後期型は

10. 戦車マガジン 1979年10月増刊号

のばす。 「師団へ無線連絡 : デスナ河橋梁を奪取。プリャン スク西側地区に橋頭堡を確保せり。師団よりの援軍 を乞う」 グラードルよりの無電をキャッチした師団司令部 は , 予想外の成果に驚きながらもただちに増援部隊 リュープサム大佐の率いる第 63 機 に発進を命じた。 甲歩兵連隊の 2 個機械化歩兵中隊が , 全連でプリヤ ンスクへと向う。 17 時 , グラードル達と同しく森の 中を突破して来たリュープサム大佐の部隊が , グラ ードル戦闘団の位置まで進出して来た 「よくやった , グラードル。たいした戦果だ / 」 大佐は賞賛を惜しまなかった。 「デナス河の橋には , これと並行する仮橋が一本あ ります。すぐに出発して , 爆破される以前に し、つ も手に入れたいのです。大佐殿 / 」 リュープサム大佐は , 麾下の機械化歩兵に橋頭堡 の確保を命すると共に , 部下の一部をグラードル戦 闘団に編入させる。増強を得た戦闘団は U ターンす ると , ふたたび橋へと向った。橋の左岸 , 右手約 800 m に新手のソ連軍高射砲 2 門が現われて射撃して来 たが , 榴弾の一斉射撃で叩き潰す。 18 時を少し過ぎた頃 , 北の方でものすごい爆発か 起った。タ焼の空に太い黒煙がもくもくと立ち登る。 西方の退路を遮断されたと知ったソ連軍が , 集積し てあった燃料 , 弾薬その他の補給物資を爆破したの である。プリャンスク陥落の序曲であった 10 月 7 日朝 , プリャンスクからの脱出を計るソ連 軍がデズナ河の左岸に現われた。例の仮橋を狙って いるのだ。橋の警戒にあたっていたドイツ歩兵との 間でたちまち銃撃戦か始まる。ソ連兵の数は圧倒的 で , ドイツ側は除々に圧迫される。知らせを聞いた グラードル戦闘団が駆け着けた。戦車砲 , 機銃を射 ちまくりながらソ連軍の中へ踊り込む。たちまちの ドイツ戦車を見たソ 内にソ連軍は総崩れとなった 連兵は , 武器を放り出して逃げ去る。どうやら , ソ 連兵はドイツ戦車恐怖症にかかったらしい。 第 63 機甲歩兵連隊第 2 大隊を編合した第 40 機甲歩 兵連隊第 1 大隊が装甲兵車に乗って駆け着け , 残敵 を掃討。そのままデスナ河左岸にいすわって警戒に あたる。やがてソ連軍は , 橋に対して野砲による砲 撃を開始した。橋を奪取出来ないと知って , 今度は これの破壊を企んだのだ。砲撃は除々に激しさを増 し , 照準も正確になって来た。ソ連砲兵は , どうや ら集積した弾薬を全部使っても橋を壊す積りらしい。 グラードル戦闘団はこの敵を粉砕すべく , 午前 10 時 15 分 , 市街西方地区へ向けて発進した。ソ連軍陣地 で頑強に抵抗してきた高射砲 , 対戦車砲各 1 門を撃 破すると , 後は簡単であった。ソ連軍野砲とソ連歩 兵はドイツ戦車が現われると , ほとんど抵抗せすに 降伏した。これで , プリャンスクとデスナ河の橋は 確実にドイツ軍の手中に帰したのである。 プリャンスク占領 独ソ戦開始以来 , 奇襲 , 強襲による勝利は多々あ ったが , グラードル戦闘団のプリャンスク急襲の様 ドイツ軍の巧 な成功例はちょっと他に例を見ない。 妙な用兵と , それにも増して希有の幸運か勝利の原 因であった。戦闘終了後 , グラードル戦闘団のあげ た戦果が明らかになる。ろ獲した兵器だけでも , 戦 車 17 両 ( 44 屯の KV 戦車 4 両と T34 戦車も含む ) , 4 門 の 15.2cm 重野砲を含む砲 14 門 , 対戦車砲 8 門 , トラ ック 100 両 , 航空機 1 機 , 野砲牽引用トラクター 10 台 捕虜の数は 1 , 000 名以上におよんだ。プリャンスク ~ グデーリアン第 2 戦車集団の翼側にあって , イエレ メンコ将軍が難攻不落の要塞に仕立て上げたこの町 は , たった 1 個のちつは。けな戦闘団によって , あえ なくも陥落してしまったのである。 GPU ( 国家秘密 警察 ) による徹底的抵抗戦の指示も , 対戦車用の 10 万本のモロトフカクテル ( 火焔びん ) も , 全く役に ドイツ軍が市の後方から入り込み , 立たなかった デスナ河の橋を奪った事により , ソ連軍の防禦計画 東方より迂回して来た第 13 軍団と合流する。 将軍の第 18 戦車師団は , スヒニチ南西地区において た 10 月 6 日 , 同師団右翼を北進していたネーリング 第 17 戦車師団がプリャンスクの攻撃にかか ど労せすして手中に納めたのであった。 モスクワ前面で , 最も重要な鉄道集結地を , は全て水泡に帰したのである。ドイツ軍はかくして , ソ連 3 はとん が始まっている事など , 彼等は知る由もなかったの でのパレードを夢見ていた。すでに第三帝国の終末 を衡いて 1 歩 1 歩前進するドイツ兵達は , モスクワ ボルシェビキ共の息の根を止められるぞ / 泥の海 であった。モスクワまであと 200km 1 カ月もすれば , からの戦いで疲れ切ってはいたが , 士気だけは旺盛 すべて泥沼と化して , 車両は立往生 , 兵士達も , 夏 る。すでに各戦線では雪が降り , 道路という道路は であった。第 2 段階は , いよいよモスクワ攻略であ 勝利の内に終り , タイフーン作戦第 1 段階は大成功 リャンスクの 2 重包囲戦は , かくしてドイツ軍の大 火砲 5 , 500 門をろ獲または破壊した。ヴィャズマ , プ ドイツ軍はソ連兵 66 万人を捕虜とし , 戦車 1 , 200 台 間続いた 10 月 17 日 , ソ連軍の組織的抵抗は終る。 と突破脱出を計るソ連軍との間での激戦は , 約 10 日 とヴィャズマの 2 個所において , 包囲したドイツ軍 ソ連西戦線の 6 個軍を包囲していた。プリャンスク ルツエウォ , ヴィャズマを結ぶ広大な三角地帯に 師団が , ヴィャズマにおいて握手 , イエリニヤ , ヤ 第 16 戦車軍団第 7 戦車師団と第 46 戦車軍団第 10 戦車 ニエプル ~ モスクワ街道の戦線では , 10 月 7 日 , 独 個軍が包囲されたのである。一方 , さらに北側のド である。 ( おわり )