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検索対象: 戦車マガジン 1979年10月増刊号
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1. 戦車マガジン 1979年10月増刊号

ハッりナンハー 部些少のものもありますので一ご希望の方は早目にこ注文下さい。 ☆戦車マガジンのバッワナンハーはすべて在庫してありますガ , 残 78 年 1 月創刊号特集・レオバルト 2 折込図面 / レオバルト 2AVc 記事 / 写真レオバルト 2 と 2AV , ペールを脱いだ T - 72 , レオバルト戦車を操縦する , 虎はかく戦えり / , マザー戦車の誕生 , 関東軍の装甲列 車 , 戦車ア・ラ・カルト , 戦車の武装 特集・ M60 主力戦車 78 年 2 月号 折込図面 / M60A 旧 E 。記事 / 写真 M60A ーと M60A3 , M60 一家大集合 , ドイツ 5 号戦車バンター , 戦車初陣の ころ , 戦車の武装② , 知られざる日本の兵器② , 連合軍 の比島への前進 78 年 3 月号特集・ T - 62 主力戦車 折込図面 / T - 62 。記事 / 写真ソ連の現用主力戦車 T - 62 , T - 62 レポート , G 」 . の足 M 3 ハーフトラック , 戦車の武 装③ , 戦車ア・ラ・カルト③ , 知られざる日本の兵器③ , マレーの占領。 特集・レオバルト 1 78 年 4 月号 折込図面 / レオバルト 2 。記事 / 写真レオバルト戦 車にみる西独の戦車思想 , 西独の国防体制からみたレオ パルト , NATO の成立とその現況 , 連載ドイツの戦車① モンティーズ・キャリア 78 年 5 月号特集・ 74 式戦車 折込図面 / 74 式戦車。記事 / 写真 74 式戦車その誇り高 き生い立ち , ある外国人戦車研究家のみた 74 式戦車 , 富 士学校 74 式戦車見学記 , M4 シャーマン対 T - 34 , 史上初の 戦車戦 , 戦車ア・ラ・カルト④ 78 年 6 月号特集・ T ー 72 主力戦車 折込図面 / T - 72 主力戦車。記事 / 写真赤車の最新鋭戦 車 T - 72 , 隠れた戦力 / 戦車回収車 , 米韓合同演習 " チー ム・スビリット ' 78 " , T- 62 レポート③ , 九七式中戦車 , 連 載ドイツの戦車③ , モンティーズ・キャリア③。 特集・ミサイル戦車 78 年 7 月号 析込図面 / XM803 試作戦車。記事 / 写真ミサイルか砲 弾か ? , x M ーアメリカの次期主力戦車 , シャーマン・フ ァイアフライ , 戦場の裏方たち「バープ」ってなに ド イツ機甲部隊奮戦記 , 知られざる日本の兵器⑦ 特集・ STRV103B( S 戦車 ) 78 年 8 月号 折込図面 / ST 日Ⅵ 03B 。記事 / 写真ワンマン・コント ロール戦車への挑戦 , スウェーデンの戦闘車両 , ライフ ル砲か滑腔砲か ? , ティーガー前へ / 物騒なモグラを 叩け , 知られざる日本の兵器⑧ 特集・ 75 式自走 155mm 榴弾砲 78 年 9 月号 折込図面 / 75 式自走 5mm 榴弾砲。記事 / 写真 / 75 式自走 5mm 榴弾砲 , 英陸軍兵器展示会を見る , 英国伝統の重戦 車チャーチル , 戦車ア・ラ・カルト⑤ , 火を吹くワニ戦 車 , ドイツ機甲部隊奮戦記③ 特集・チーフテン 78 年 10 月号 折込図面 / チーフテン Mk. 5 / 5 ( p ) 。記事 / 写真英国戦 車思想の結品チーフテン , ゴラン高原を見る , レーサの 話 , 異色のカナダ戦車日 AM , ドイツ軍戦車隊物語 , 知ら れざる日本の兵器番外編 78 年 11 月号特集・ 60 式自走 106mm 無反動砲 折込図面 / 60 式自走 106mm 無反動砲 C 型。記事 / 写真 60 式自走田 6mm 無反動砲の開発 , 中国の機甲部隊 , ソ連 軍戦車スナップ集 , 連載ドイツの戦車⑧ pzkpfw 38t , 北 アフリカのグラント戦車 78 年 12 月号特集・ AMX30 主力戦車 折込図面 / AMX30 。記事 / 写真、 AMX30 の全貌 , AMX30 の後継は ? , AMX30 操縦体験記 , NATO 防衛強化に対す る米国の軍事努力 , 連載ドイツの戦車⑨戦車兵戦闘服 , 歩兵戦車バレンタイン。 79 年 1 月号特集・ 61 式戦車 折込図面 / 引式戦車。記事 / 写真試製中特車誕生記 , 引式戦車のバリエーション , 米国による在韓米軍の撤退 構想 , レーザの話 , ドイツ突撃砲戦車写真集 , ゲルハル ト・フィシャー少佐の戦記① , M7 自走田 5mm 榴弾砲 79 年 2 月号特集・ M41 ウォーカープルドッグ 折込図面 / M A に記事 / 写真 M 軽戦車ウォーカー プルドッグ , 米国の緊急投入部隊計画の概要 , 各種試験 を開始した XM I, イスラエルのメルカノヾ , 連載ドイツの 戦車⑩ 4 号戦車 , 知られざる日本の兵器⑩。 79 年 3 月号特集・ 75 式自走多連装ロケット弾発射機 折込図面 / 75 式自走連装ロケット弾発射機。記事 / 写真 鉄の集中豪雨多連装ロケット弾発射機 , 精密誘導兵器 (PGM) について , 本土決戦の秘密兵器三式中戦車 , 第 243 突撃砲旅団戦記 , 英軍最後の巡航戦車コメット。 79 年 4 月号特集・永世中立国スイスのカ戦車 折込図面 / pz. 引主力戦車。記事 / 写真スイスの主力戦 車たち , ソ連地上軍の編成について , 日本陸軍最後の切 札四式中戦車 , 戦車履帯形式の統計的考察円 ~ 円 78 , ルドウイヒ・ナイグル曹長の戦記 , 戦車の図書館 79 年 5 月号特集・ T 54 / 55 主力戦車 折込図面 / T - 55B 主力戦車。記事 / 写真 T - 54 / 55 戦車 の栄光と蹉跌 , 幻の自衛隊兵器①試製 56 式自走砲 , 精密 誘導兵器 (PGM) について③ , 九四式軽装甲車 , 連載ド イツの戦車⑩ 4 号戦車 G 型 , ウォーゲームの話 79 年 6 月号特集・スコーヒ。オン軽戦車 折込図面 / T - 34 / 85 中戦車。記事 / 写真 76mm 砲で武装 したスポーッカースコービオン , チョ / ヾム奮闘記 , 栄 光の T - 34 / 85 , 試製 56 式特殊運搬車 , 新年度米国防報告 の概要 , マックス・キュルツェ少佐の戦記 79 年 7 月号特集・陸上自衛隊 60 式装甲車 折込図面 / 60 式装甲車。記事 / 写真 60 式装甲車系列車 の開発 , ソ連車の砲兵ドクトリン , 米陸軍の HIMAG/H STV 計画 , 連載ドイツの戦車⑩ 4 号戦車」型 , 九五式軽戦 車 , 知られざる日本の兵器⑩試製イテ塔 79 年 8 月号特集・陸上自衛隊 73 式装甲車 折込図面 / 73 式装甲車。記事 / 写真陸上自衛隊の新鋭 APC73 式装甲車 , 縁の下の働き者世界の軍用輸送車両 , NATO 防空兵器の現況 , 泥ねい地作業車乙型 SA 車 , 第 667 突撃砲旅団の戦記。 戦車マガジンのパックナンパーをご希望の方は一最寄りの書店にご注文いただくか , 直接下記あて注文品名 , 部数を明記のうえ , 現金書留か定額小為替にてご注文下さいの定価は各 1 冊 530 円 , 送料は無料です。 〒ー田東京都千代田区神田神保町ト 55 03-29 ト 9337 株文林堂戦車マカジン・バックナンバー係

2. 戦車マガジン 1979年10月増刊号

Sd. Kfz251 諸元表 機関 : 型式〔マイバッハ HL42TUK 日 M 直列 6 気筒水 令ガソリンエンジン〕 出力い 00 甲 / 2800 「 pm 〕 排気量〔 4 ロ c 〕 変速機 . 型式〔ハノマークシューフ 02 ト 32785 U50 , 副変速機付前進 4 段後進 2 段〕 車体寸法 : 全長〔 5 , 800 ~ 5 , 980 〕単位 全幅〔 2 , 田 0 〕 全高〔し 750 〕 接地長〔し 800 〕 軸距前〔し 650 〕 軸距後〔し 600 〕 地上高〔 320 〕 履帯幅〔 280 〕 〔 7.25-20 または円 0 ヨ 8 〕 タイヤ 車重 : 自重〔 9. の 単位屯 全備い 0.5 〕 性能 . 最高速カ 〔 52.5km / h 〕 航続距離 , 路上〔 300km 〕 路外い 50km 〕 回転半径〔Ⅱ .0m 〕 徒渉水深〔 500mm 〕 超壕能力 〔 2 , 000mm 〕 装甲 . 前面 , A ~ C 型い 4.5 〕 い 5 〕 側面 後面 Sd. Kfz250 諸元表 岡崎弘介 機関 . 型式〔マイバッハ HL42T 日 KM 直列 6 気筒水冷 式ガソリンエンジン〕 出力い 00 甲 / 2800 「 pm 〕 排気量〔刀 cc 〕 変速機 . 型式〔マイバッハバリオレックス VG 田幻 28 H, 前進 7 段後進 3 段〕 車体寸法 : 全長〔 4560 〕単位 全幅い 945 〕 全高い 660 〕 接地長〔田 20 〕 軸距前い 630 〕 軸距後い 580 〕 地上高〔 285 〕 履帯幅〔 240 〕 タイヤ〔 600-20 〕 車重 : 自重〔 5.8 〕単位屯 全備〔 6.6 〕 性能 : 最高速カ〔 65km / h 〕 航続距離 , 路上〔 320km 〕 路外〔 200km 〕 回転半径〔 9.0m 〕 徒渉水深〔 700mm 〕 超壕能力〔し 900mm 〕 装甲 : 前面 , 旧型い 4.5mm 〕 新型い 5mm 〕 側面 〔 8mm 〕 後面 〔 8mm 〕 ドイツ半装軌装甲兵車 目次 解説・富岡吉勝 世界の戦闘車両 N 。 . 2 白黒写真 . monnchro Photo 半装軌装甲兵車ロ絵・ 軽装甲兵車 ( Sd. Kfz250) ・・ Sd. Kfz2 引 ) ・・ 兵員用装甲車内部い NTE 印 O 日 OF 中型装甲車 ( Sd. Kfz251) ・ 図面 . drawings ・・・大山幸夫 ( 25 ) カラー図・・ ・・・清水薫 ( 24 ) 白黒図・・ ・・・佐野忝志 ( 9 ) ドイツ戦車 , 機械化歩兵部隊の戦記・・・ ・・・石川正俊い 5 ) ドイツの半装軌装甲兵車前説・・ ・・・大田文雄い 6 ) Sd. Kfz2 引の開発・ ・・・西川茂い 6 ) Sd. Kfz251 のノヾリエーション・ ・・新富敏夫 ( 圓 ) Sd. Kfz250 の開発・ 富士川渡 ( 40 ) Sd. Kfz250 の / ヾリエーション・ ・・・岡崎弘介 ( 42 ) Sd. Kfz250 ~ 2 引諸元表・ 《表紙 . cover 》 ・・・大山幸夫 Sd. Kfz250 / 3 G 日曰 F ・・ 《資料提供》本誌への資料提供に対して感謝いたします。 広田厚司。富岡吉勝 《資料製作》広田厚司 発行所株戦車マガジン 〒ー田千代田区神田神保町一一 53 ( 中山ビル ) 電話東京 ( 03 ) 233 ー 4593 発売所株文林堂 〒刪千代田区神田神保町一 ー 55 印刷所株日本アド ・・ ( 30 ) 《記事 . Story 》 10 月増刊号 ( 第 2 巻第 13 号 ) 昭和 54 年 9 月 25 日印刷昭和 54 年 10 月 5 日発行 ◎ 1979 〔禁無断転載〕定価 380 円送料 36 円編集・発行人 戸田万之助

3. 戦車マガジン 1979年10月増刊号

大戦時の使用実績により , 1930 年初めより , すでに 開発生産が開始されていたもので , 大きな牽引力と 不整地通過能力を持ち , そのうえ速度は全装軌の車 両より早く , 総合的に高い機動力を持つ優秀な車両 であった。牽引力の違いによって , 1 , 3 , 5 , 8 , 12 , 18 屯の各車種があり , 1935 年当時には , 18 屯車 および 1 屯車を除く各型が , すでに開発または , 生 産の途上にあって , 実用化も進みつつあり , 装甲兵 車のべースとするには , 持って来いの車両であった 装甲兵車の開発は , 1936 年より開始される。 1 個 分隊が乗車出来る中型装甲兵車と , 小型ながら機動 力の高い軽装甲兵車の 2 種類が計画され , 前者は , 3 屯牽引車 , 後者は 1 屯牽引車を各々へースとする 事が決る。前者が , 後の Sd. Kfz251, 後者が Sd. Kfz 250 である。以下 , 先に実用化され Sd. Kfz251 から解 説していく。 (2)Sd. Kfz 251 の開発大田文雄 Sd. Kfz251 の母体となった 3 屯牽引車 Sd. Kfz11 の 開発は , 後にポルグヴァルト社と改名するプレーメ ンのバンサロイドゴリアテ社において , 1934 年に開 始され , パイロットモデルの HL K は , 同年末に 完成する。 HL KL2 は , 3 ~ 5 の直列 6 気筒 70 馬 カエンジンを車体前部に搭載した , 自重 6 屯の車両 で操縦席後部に弾薬庫 , その後に兵員乗車用の荷室 を持っ , 極くオーソドックスなレイアウトをもって 1935 年になって前部ボディをリファインした HL KL3 が造られ , 更に 1936 年改良型の HLKL4 を経 て , 最終試作型 HLKL5 が完成する。 HLKL5 は , 動力関係は HLKL2 ~ 4 と同様だが , キャタピラ部の転輪数が増加し , 走行安定性や , 不整 地通過能力が向上している。 HLKL5 は 3 屯牽引車 Sd. Kfz11 として軍の制式採用となり , 1937 ~ 38 にか りて 505 両が生産されてい 10.5cmFH18 軽野戦榴弾砲 の牽引用 , 10cm ロケット弾の運搬用などに使用され た 1937 年 HL KL5 は , さらに改良されて HL KL6 とな る。この時点で兵器局は , 中型装甲兵車用のべアシ ャーシーとして HLKL6 が最適との決論に達し , HL KL6 を母体として装甲兵車の開発が始まる。装甲車 型べアシャーシーの開発 , 生産はハノーバーのハノ マーグ社が担当し , 装甲ボディの製作には , ビュー シインズ NAG 社があたった。 装甲車用べアシャーシーは HLKL6p と呼ばれ , 4.17 直列 6 気筒 100 馬力のマイバッハ HL42TUKRM ェ ンジンと , 副変速機付前進 4 段後退 1 段の変速器を 持つ。通常の操行は , 前輪のみで行なわれるが , あ る角度以上ステアリングを切り込むと , 自動的に履 帯部の差動装置が作動するという高度な操行機構を 備えている。装甲ボディは前面 10 ~ 14.5 , 側 , 後面 8 , 底面 6 mm の装甲板よりなり , ボルトによりべア いた シャーシーに固定される。車重は 7.8 屯 , 乗員 2 名の他 , 完全武装の兵士 10 名が乗車出来る。基本武装として は 2 挺の MG34 ( 後期型では MG42 ) が , 車体上面の機 銃マウントに装着される。最高速力は 53km / h , 航続 距離は 300km Sd. Kfz251 の生産は , 1939 年 6 月より開始された が , 最初の生産型 A 型から最終生産型 D 型まで , 生 産時期によって 4 つの型式がある。 A, B 型は基本 的には同一形状だが , A 型につけられていた戦闘室 両側面の各 2 個のクラッペは , B 型では廃止され , 1940 年末より生産された C 型では , 主に車体前部の 形状がリファインされ , 防弾性 , 生産性共に向上 , さらに 1943 年 9 月より生産された D 型では , 一層の 簡素化が計られ生産性は一段と良くなる。 ABC 型の生産数は , 1939 年 6 月から 1943 年 9 月迄 の間に約 4 , 650 両。 D 型の生産数は , 1943 年 9 月より 終戦迄の間に 10 , 602 両が記録されている。なお D 型 では前面装甲厚が , 僅かながら増加したため車重は 8 屯に増加 , 戦闘室後部の形状も簡素化されて後方 へ突出したため , 全長か A ~ C 型の 5.80 m から 5.98 m へと増長している ? Sd. Kfz251 は , 機械化歩兵にとっては , 必需品と もいえる車両であったが , その数量は常に不足気味 で , 通常 3 個大隊編成の機甲擲弾兵連隊において , 1 個大隊のみが本車を装備するにとどまり , 全大隊 には行き渡らなかった。この状態は終戦まで続いた ようだが , この事は , 裏を返していえば , 本車がい かに有用であったかを如実に物語るものである。 特にその機動力は同しハーフトラックでも , 米軍 の M 3 シリーズなどに比べて数段勝っており , 装甲 防御も , 傾斜面を多用した車体形状により , この手 の車両中では一番優秀であった。これは , 戦後もチ ェコ陸軍が本車を改修して OT810 型装甲兵車として , 長く使用していた事からも証明される。 本車の欠点を , 強いて上げれば複雑な操行装置に よる生産性 , 整備性の悪さ , 生産コストの高さなど があるが , 実戦部隊における使用実績を考えれば , この手の車両としては一番成功した物といって良か ろう。現在世界各国の陸軍が開発しつつある MICV を , 30 数年以前に実用化したのが , Sd. Kfz251 シリ ーズの装甲車であるといっても , 言い過ぎではなか ろう。本車は Sd. Kfz250 などに比べて車内スペース が広かった事もあって , 20 種以上におよぶバリエー ションが存在した。以下型式番号順に解説して行く。 Sd. Kfz 251 のバリエーション 西川茂 ① ) Sd. Kfz 25 ー / ー Mittlerer Schutzenpanzerwagen ( 中型装甲兵車 ) : 最もべーシックなモデル。機械化 歩兵用の装甲兵車。基本武装は , MG34 または 42 2 挺。 銃弾 2010 発。乗員 12 名。 ② Sd. KfZ25し日 : 上記と同型。ただし武装は , 重

4. 戦車マガジン 1979年10月増刊号

Sd K 稔 25 し勹 C 型の右側面。足まわりが 3 屯ハーフトラックと同じなのが良く , やかる。裝甲板の接合に , リペッ トを用いているのが珍しいが , おそらく c 型初期のタイプなのであろう。 引かさ名 るもすだ すとはあ 一「射はカと 発率壊力 を中破一 , 〔弾命のツ ト弾ス ーツ = 別一トく ケ o ッ歩た ロ幻ケ 0 引ロくて ←灯くまさ 會同じく 2 引幻 C 型の左側面。前 べージの B 型側面写真と比較す ると両者の違いがひと目でわ かる。

5. 戦車マガジン 1979年10月増刊号

第のを令な : 、 - をンすツ暑物ツ第 •Sd K 貶 253 。。これやは突撃疱兵用に開発された車両。 = 、標準 。 = = = 、 250 よサも装甲は強化され , 車体上面も装甲されているの突撃砲と行 動を共にする観測 , 指揮用車両たが : : = 後には機甲砲兵部隊でも使用 されたよ総生産数は 285 両。 ・装甲ボデネの設計変更によりい生産性の向上資材の節約防御 力の強化を計った新車体 s Kfz250 。円 43 年末より終戦までの間に約 ー = マ , 400 両以上が造られた言前期型 250 に比べて約 400kg ほ軽くなづ いるが性能諸元は、、である 23

6. 戦車マガジン 1979年10月増刊号

會 24 径 7.5m 戦車砲を搭載した機甲歩兵の支援用車両 SdK 25 レ 9C 型。本車の部隊配備は円 42 年 6 月より始められたが , ーこの写真も同 年夏の南部ロシアにおける撮影である。第戦車師団第 103 機甲歩 兵連隊の所属車両。 ↓ノルマンディー戦で米軍にろ獲された Sd Kfz2 引 / 9D 。前面装甲板 のマークは第 2 戦車師団の半装軌装甲車偵察第 5 中隊を示す矼この 当時成型炸薬彈の出現によりに本車の 7.5m 砲を持づてしてもかなり一 の対戦車威力を発揮する事が出来た。 レ / た臆イ

7. 戦車マガジン 1979年10月増刊号

グラードルは了解のサインを送ると , 無線器を大 隊系に切り換えて命令を下す。 「再編成を行なう。編成完了後 , 国道上をプリャン スクへ向けて突進する。べーグマン少尉 , 貴官は先 発して道路前方の状況を偵察せよ」 偵察小隊のべーグマン少尉は , 麾下の装甲偵察車 2 両を率き連れてただちに発進した。 2 両の 4 輪装 甲車は , フルスピードであっという間に視界から消 える。グラードルは戦闘団の再編成にかかったか , 部下達は全員べテランの戦車兵である。てきばきと した指示と行動で , 数分の内に編成完了。全員乗車 して進撃命令を待っ内 , いくばくもなくべーグマン 偵察小隊より無線連絡か入る。 「プリャンスクへ向う国道上に敵影なし」 グラードルの命令一呵 , 戦闘団はただちに発進 , 西方へ向けて旋回すると , 道路上をフルスピードで 突進する。 「連絡 , 歩兵が後続して来ません。少佐殿 / 」 グルシャイまで来た時 , 最後尾の戦車が連絡して 来た 「道路左側の森へ入って停止せよ。ケルバー少尉車 はただちに反転 , 歩兵部隊を見つけ次第大至急追及 させよ。なお , 少尉は連絡将校として歩兵部隊に随 プリャンスクを奪取せよ 伴せよ。以上 / 」 「やってみよう / 歩兵が到着したらただちに発進 へ突っ込むのだ」 後 , デスナ河に架かる橋を急襲により奪取し , 目標 だ。敵の不意を衡いて森の道路を突破する。しかる っているのだが , この際ふたつにひとっしかないの その森の中にもかなり兵力のソ連兵がいる事がわか 突破する以外にあるまい。グラードル。いや , 実は 「それでは , プリャンスク , サレウォ間の森の中を 撃すればすぐに見つかって反撃されるだろう」 軍用車両が続々と到着しているという。道路上を進 同道路周辺にはすでにソ連軍陣地多数があり , 兵員 , 出来ない。偵察班のべーグマン少尉からの報告では , 「カラチェフ , プリャンスク間の大自動車道は利用 司令部のフォン・ポーニン少佐である。 ものではない。西方 , 背後より奇襲するのだ」 れているが , これに前面から当ってはとても抜ける 奪取するのだ。市東部には強固な縦深陣地か確認さ 「グラードル , 今朝の内にプリャンスクを急襲して 部の参謀将校が乗った装甲車が到着した ラードルが発信してからきっかり 30 分後 , 師団司令 戦闘団への命令は師団長副官より出されている。グ アルニム中尉がストロピチェで負傷後送されたため , うまく通信出来ないのだ。 9 月末 , 師団長フォン・ 離で , しかも雑音 , 振動の多い走行中ではなかなか いかに強力な大型無線器でも , 遠距 連絡を取った グラードルは , 停車時間を利用して師団司令部と する。戦車 , 機甲歩兵 , 高射砲と三味一体となって , プリャンスクへ突入する」 「よろしい , グラードル / 幸運を祈る」 フォン・ボーニン少佐の乗った装甲車が去るのと 入れちがいに , 機甲歩兵の装甲兵車 4 両が追及して 来た。これでグラードル戦闘団の兵力は , 3 , 4 号 戦車 6 両 , 2 号戦車 7 両 ( 火焔放射戦車若十を含む ) , Sd. Kfz251 装甲兵車 4 両 ( 機甲歩兵 1 個小隊弱 ) , 88mm 高射砲 2 門となった。ちつは。けな戦闘団だが , 今までもこれでやって来たのだ。全戦力を集結して かかれば , いかなる敵といえども打ち破る自信はあ った すでに部下達は、各自の戦車 , 装甲兵車に分乗し て , 前進命令を今や遅しと待っている。グラードル は指揮戦車の砲塔から , 部下全員に聞える様大声で 「聞け / これからプリャンスクへ向って突進する。 全員一体となって、目標の達成に尽力せよ / 」 対ソ戦開始以来 , 常に師団の尖兵としてともに戦 って来た部下達である。今さら , くどくどとした説 明などいる訳がない。グラードルは , 怒鳴り終ると 操縦手に発進を命した。 砂混りの泥の道を , 戦車隊は西を目指してまっし ぐらに突進する。やがて森の中へ入った。サレウォ ~ セイミスチェスチャ間の , ちょうど森の中央部分 と思われるあたりで宿営中のソ連騎兵部隊を急襲 , 不意を衡かれた敵はあっという間に跌散らされ , 逃 げ遅れた兵は捕虜となる。連れて行く事は出来ない ので , 武装解除して残置。部隊はさらに森の奥へと 進む。先頭は無論グラードルの 4 号戦車。と , 道路 左側に停車中の車両が見えて来た。進む程にその数 は増して来る。ソ連軍車両の縦隊か ? 近すくドイツ 戦車を見て , ソ連兵達が呆然と立ちすくみ , あわて て逃げ出す。前方の林間の空地に , 無線アンテナか 林立している。ソ連軍の大通信部隊である事は疑う 余地もない。 敵司令部を壊減 「全車集中射撃 / 」 グラードルが命する迄もなく , 各戦車よりの榴弾 がソ連軍の中で炸裂する。ドイツ側は少兵力なので 停止しない。行進射撃で次々と目標を撃破して行く。 ソ連軍通信基地のアンテナが吹き飛び , 路傍のトラ ックは , 次々に炎上する。勇敢にも機銃や爆薬で , 肉迫攻撃して来るソ連兵は , 装甲兵車のドイツ歩兵 が受けて立つ。たった 3 分の内に , ソ連軍通信部隊 は壊滅状態となった。敵基地を通り過ぎてホットー 息。一寸停車して部隊の状況を見る。 グラードルの所へ , 歩兵か先刻の基地で拾った紙 片を持って来た。これで見ると , どうやらグラード ル達が襲ったのはソ連軍軍司令官直属の司令部付通 信隊らしかー。た。後に判た事だが , グラードル戦

8. 戦車マガジン 1979年10月増刊号

のばす。 「師団へ無線連絡 : デスナ河橋梁を奪取。プリャン スク西側地区に橋頭堡を確保せり。師団よりの援軍 を乞う」 グラードルよりの無電をキャッチした師団司令部 は , 予想外の成果に驚きながらもただちに増援部隊 リュープサム大佐の率いる第 63 機 に発進を命じた。 甲歩兵連隊の 2 個機械化歩兵中隊が , 全連でプリヤ ンスクへと向う。 17 時 , グラードル達と同しく森の 中を突破して来たリュープサム大佐の部隊が , グラ ードル戦闘団の位置まで進出して来た 「よくやった , グラードル。たいした戦果だ / 」 大佐は賞賛を惜しまなかった。 「デナス河の橋には , これと並行する仮橋が一本あ ります。すぐに出発して , 爆破される以前に し、つ も手に入れたいのです。大佐殿 / 」 リュープサム大佐は , 麾下の機械化歩兵に橋頭堡 の確保を命すると共に , 部下の一部をグラードル戦 闘団に編入させる。増強を得た戦闘団は U ターンす ると , ふたたび橋へと向った。橋の左岸 , 右手約 800 m に新手のソ連軍高射砲 2 門が現われて射撃して来 たが , 榴弾の一斉射撃で叩き潰す。 18 時を少し過ぎた頃 , 北の方でものすごい爆発か 起った。タ焼の空に太い黒煙がもくもくと立ち登る。 西方の退路を遮断されたと知ったソ連軍が , 集積し てあった燃料 , 弾薬その他の補給物資を爆破したの である。プリャンスク陥落の序曲であった 10 月 7 日朝 , プリャンスクからの脱出を計るソ連 軍がデズナ河の左岸に現われた。例の仮橋を狙って いるのだ。橋の警戒にあたっていたドイツ歩兵との 間でたちまち銃撃戦か始まる。ソ連兵の数は圧倒的 で , ドイツ側は除々に圧迫される。知らせを聞いた グラードル戦闘団が駆け着けた。戦車砲 , 機銃を射 ちまくりながらソ連軍の中へ踊り込む。たちまちの ドイツ戦車を見たソ 内にソ連軍は総崩れとなった 連兵は , 武器を放り出して逃げ去る。どうやら , ソ 連兵はドイツ戦車恐怖症にかかったらしい。 第 63 機甲歩兵連隊第 2 大隊を編合した第 40 機甲歩 兵連隊第 1 大隊が装甲兵車に乗って駆け着け , 残敵 を掃討。そのままデスナ河左岸にいすわって警戒に あたる。やがてソ連軍は , 橋に対して野砲による砲 撃を開始した。橋を奪取出来ないと知って , 今度は これの破壊を企んだのだ。砲撃は除々に激しさを増 し , 照準も正確になって来た。ソ連砲兵は , どうや ら集積した弾薬を全部使っても橋を壊す積りらしい。 グラードル戦闘団はこの敵を粉砕すべく , 午前 10 時 15 分 , 市街西方地区へ向けて発進した。ソ連軍陣地 で頑強に抵抗してきた高射砲 , 対戦車砲各 1 門を撃 破すると , 後は簡単であった。ソ連軍野砲とソ連歩 兵はドイツ戦車が現われると , ほとんど抵抗せすに 降伏した。これで , プリャンスクとデスナ河の橋は 確実にドイツ軍の手中に帰したのである。 プリャンスク占領 独ソ戦開始以来 , 奇襲 , 強襲による勝利は多々あ ったが , グラードル戦闘団のプリャンスク急襲の様 ドイツ軍の巧 な成功例はちょっと他に例を見ない。 妙な用兵と , それにも増して希有の幸運か勝利の原 因であった。戦闘終了後 , グラードル戦闘団のあげ た戦果が明らかになる。ろ獲した兵器だけでも , 戦 車 17 両 ( 44 屯の KV 戦車 4 両と T34 戦車も含む ) , 4 門 の 15.2cm 重野砲を含む砲 14 門 , 対戦車砲 8 門 , トラ ック 100 両 , 航空機 1 機 , 野砲牽引用トラクター 10 台 捕虜の数は 1 , 000 名以上におよんだ。プリャンスク ~ グデーリアン第 2 戦車集団の翼側にあって , イエレ メンコ将軍が難攻不落の要塞に仕立て上げたこの町 は , たった 1 個のちつは。けな戦闘団によって , あえ なくも陥落してしまったのである。 GPU ( 国家秘密 警察 ) による徹底的抵抗戦の指示も , 対戦車用の 10 万本のモロトフカクテル ( 火焔びん ) も , 全く役に ドイツ軍が市の後方から入り込み , 立たなかった デスナ河の橋を奪った事により , ソ連軍の防禦計画 東方より迂回して来た第 13 軍団と合流する。 将軍の第 18 戦車師団は , スヒニチ南西地区において た 10 月 6 日 , 同師団右翼を北進していたネーリング 第 17 戦車師団がプリャンスクの攻撃にかか ど労せすして手中に納めたのであった。 モスクワ前面で , 最も重要な鉄道集結地を , は全て水泡に帰したのである。ドイツ軍はかくして , ソ連 3 はとん が始まっている事など , 彼等は知る由もなかったの でのパレードを夢見ていた。すでに第三帝国の終末 を衡いて 1 歩 1 歩前進するドイツ兵達は , モスクワ ボルシェビキ共の息の根を止められるぞ / 泥の海 であった。モスクワまであと 200km 1 カ月もすれば , からの戦いで疲れ切ってはいたが , 士気だけは旺盛 すべて泥沼と化して , 車両は立往生 , 兵士達も , 夏 る。すでに各戦線では雪が降り , 道路という道路は であった。第 2 段階は , いよいよモスクワ攻略であ 勝利の内に終り , タイフーン作戦第 1 段階は大成功 リャンスクの 2 重包囲戦は , かくしてドイツ軍の大 火砲 5 , 500 門をろ獲または破壊した。ヴィャズマ , プ ドイツ軍はソ連兵 66 万人を捕虜とし , 戦車 1 , 200 台 間続いた 10 月 17 日 , ソ連軍の組織的抵抗は終る。 と突破脱出を計るソ連軍との間での激戦は , 約 10 日 とヴィャズマの 2 個所において , 包囲したドイツ軍 ソ連西戦線の 6 個軍を包囲していた。プリャンスク ルツエウォ , ヴィャズマを結ぶ広大な三角地帯に 師団が , ヴィャズマにおいて握手 , イエリニヤ , ヤ 第 16 戦車軍団第 7 戦車師団と第 46 戦車軍団第 10 戦車 ニエプル ~ モスクワ街道の戦線では , 10 月 7 日 , 独 個軍が包囲されたのである。一方 , さらに北側のド である。 ( おわり )

9. 戦車マガジン 1979年10月増刊号

2 m 長のデュポールアンテナを装備。 ( の Sd. Kfz250/6Leichter Munitionspanzerwagen Ausf A 〔軽装甲弾薬車 A 型〕 : 24 口径 7.5cm 砲搭載突 撃砲 ( A ~ E 型 ) 専用の弾薬運搬車。同目的で開発さ れた Sd. Kfz252 は 1941 年 9 月で製造中止となり , 本 車がその後継車となる。車内に 7.5cm 砲弾 70 発を格納 する他 , 弾薬トレーラーも牽引する。 FuG16 無線器 搭載。重量 5.95 屯 , 乗員 2 名。武装は MG34 1 挺で 銃弾 1100 発を搭載。 ⑩ ) Sd. Kfz250/6Leichter Munitionspanzerwagen Ausf B 〔軽装甲弾薬車 B 型〕 : 43 または 48 口径 7.5cm 砲搭載突撃砲 ( F, G 型 ) 用の弾薬運搬車。弾丸搭載 量は 60 発。重量 6.9 屯 , 他は 250 / 6A 型に同し。 ⑨ Sd. Kfz250/7Leichter Schutzenpanzerwage n (schwerer Granatwerfer) 〔軽装甲兵車一重迫撃砲搭 載〕 : 8cm 迫撃砲 GrW34 を車室内に搭載した支援用 車両。 S d. Kfz250 により編成された軽機甲偵察中隊 では , 第 4 小隊が本車を装備する。弾薬搭載量は 42 発 , 他に MG34 または MG42 1 挺の副武装。 ( ⑩ Sd. Kfz250/7Leichter Schützenpanzerwagen (Munitionstfbhzeng) 〔軽装甲兵車一弾薬車〕 : 上記 の迫撃砲車小隊の小隊長用車両で , 66 発の迫撃砲弾 を搭載する。武装は MG34 または MG42 2 挺。無線器 を増設している車両が多い。乗員 4 名 , 機銃弾 2 , 010 発搭載。 ⑩ Sd. Kfz250/8Leichter Schützenpanzerwagen ( 7.5cm ) 〔軽装甲兵車 -7.5cm 砲 ) : 24 口径 7. 5cm 砲を 搭載した 250 / 7 型の後継車。 1943 年春頃から部隊配 備された初期型は , 37 式戦車砲 KwK37 を , 1944 年 10 月から造られた新車体使用の後期型では 51 式加農 K 51 ( 砲は同し 24 口径 7. 5cm 砲だが , 戦車砲型とは砲架 が異る ) を搭載している。搭載弾薬は , 車体が小型 のため 20 発と少ない。副武装は MG34 または MG42 1 挺。 (@ Sd. Kfz250/9Leichter Schutzenpanzerwagen ( 2cm ) 〔軽装甲兵車ー 2cm 砲〕 : 東部戦線の戦訓によ り Sd. Kfz222 シリーズの装輪装甲車に替る偵察用車 両として開発された。 1942 年 3 月 , 試作型 30 両の注 文が軍より出され , 同年中に 3 両の試作車が東部戦 線へ送られて実戦での使用テストを受ける。決果は 良好で , 1943 年 5 月より量産化された。初期型では , S d. Kfz222 型用の砲塔をそっくりそのまま搭載して いたが , 後期型では , 新らしい 38 式砲架を備えた 6 面体の砲塔に改修される。武装は , 2cm)iii 車砲 KwK 30 ~ 38 1 門と MG34 または MG42 1 挺。砲弾 100 発。 重量 6.02 屯 , 乗員 3 名。後期型は , FuG12 無線器も 搭載。 1944 年以降の機甲偵察部隊の主力装備のひと つ。 13 Sd. Kfz250/ ー OLeichter Schützenpanzerwagen ( 3.7cmPaK ) 〔軽装甲兵車ー 3.7cm 対戦車砲〕 : 軽装甲 兵車中隊の小隊長用車両。 3.7cm 対戦車砲 PaK35 また は 36 を搭載する。砲は , 車輪部分を外した以外標準 型 PaK と同型。防盾を外して姿勢を低くした車両も ある。副武装は MG34 1 挺。砲弾 216 発 , 銃弾 1 , 100 発 を搭載。乗員 4 名。 ⑩ Sd. Kfz250/ 凵 Leichter Schützenpanzerwagen (Schwerer Panzerbüchse (1) 〔軽装甲兵車ー 41 式重 対戦車銃〕 : 250 / 10 型の後継車両で , 3.7cm 砲に代り , 小口径ながら大貫徹力を持つ 2.8cm 重対戦車銃を搭載 している。この銃は , 3.7cm 砲と異り , 着脱式になっ ていて , 別に車両後部に積んだ空挺用軽石架と組合 せて下車戦闘も可能である。 1942 年夏頃、ら実戦部 隊に配備。重量 5.33 屯 , 乗員 4 ~ 6 名。副武装は MG34 または MG42 1 挺。搭載弾薬は対戦車銃弾 168 発 , 機銃弾 1 , 100 発。 ⑩ Sd. Kfz250 卩 2 凵 echter Messtruppanzerwagen 〔軽装甲測距車〕 : 測距 , 観測用器材を搭載した機甲 砲兵用車両。初期型は FuG8 , 後期型は FuG12 無線器 を装備。武装は MG34 または MG42 1 挺。乗員 3 ~ 5 名。 ⑩制式化された 250 シリーズは , 12 型迄だが , この他 , 2cmKwK または円 ak を搭載した型がある ( 写真頁参 照 ) 。公式名称は付けられていないが , 新 , 旧型車体 ともに , かなりの数量が造られたらしい。 250 / 9 または 10 型の代替車両かも知れない。また , 現在 , ユーゴ スラビア , ベオグラードの博物館に展示されている 後期型 250 は , ボディを延長して 5cmPaK38 を搭載し ているが , これも独軍の公式記録にはない車両であ る。この他 , 250 の後部装甲ボディを取外したトラッ クも , かなりの数量が使用されている。 ( ⑦ Sd. Kfz252 Leichter Gepanzerter Muntionskr aftwagen 〔軽装甲弾薬運搬車〕 : 短砲身型突撃砲専 用の 7.5cm 砲弾運搬車。標準型 250 より装甲厚を増加 したため , 重量対策として , 装甲ボディ後部を , 斜 めに削ぎ落した様な形状になっている。重量 5.73 屯 , 乗員 2 名で , 武装は MG34 1 挺。 FuG15 または FuG 16 型無線器を搭載。 1940 年 6 月より 1941 年 9 月迄の , 413 両を製造。 ( ⑩ Sd. Kfz253 Leichter Gepanzerter Beobachtu ngskraftwagen 〔軽装甲観測車〕 : 突撃砲部隊用の装 甲観測車。突撃砲と行動を共にするため , 標準型 250 よりも装甲厚は増加され , 車体上面も装甲されてい る。観測器材の他 FuG15 または FuG16 無線器を搭載。 武装は MG34 1 挺のみ。 1940 年 3 月より 1941 年 6 月 迄に 285 両が造られた