機式 MG34 または 42 2 挺および MG34 または 42 1 挺。 乗員 11 名。機械化歩兵の重機関銃分隊用車両。 ③ ) Sd. Kfz 25 ー / ー Mittlerer Schützenpanzerwagen (Wurfrahmen40) 〔中型装甲兵車ー 40 式ロケット弾発 射器付〕 : ぞくに「歩兵のスツーカ」とよばれた車 両。機銃 2 挺の武装の他 , 車体両側に 28cm ロケッ ト弾 5 発 , 32cm ロケット弾 1 発用の枠型発射器を装 着している。ロケット弾の照準は , 高低が発射器で 方向は車体を回して行なう。射程約 2km 。 1941 年の 対ソ戦より使用。発射器 6 基。乗員 7 名。 ④ Sd. Kfz 25 ー / ー Mittlerer SchUtzenpanzerwagen ()R ) 〔中型装甲兵車ー赤外線探照灯付〕 : 大戦末期に実 用化された赤外線照射器を搭載した車両。同し装置 を付けたパンター戦車部隊に随伴する機甲擲弾兵が 使用した。「ファルケ」の呼名をもつ。武装 , 乗員は 標準型に同し。 ( ① Sd. Kfz 25 ー / 2 Mittlerer Schützenpanzerwagen (Granatwerfer) 〔中型装甲兵車ー迫撃砲搭載〕 : 機械 化歩兵の重装備中隊車両。 8cm 口径の 34 式迫撃砲を 車内に搭載する。砲は取外して車外で使用する事も 出来る。砲弾 66 発搭載。副武装は MG34 または 42 1 挺。乗員 8 名。車重 8.64 屯。 ⑩ ) Sd. Kfz25 1/3Mittlerer Funkpanzerwagen( 中型 装甲無線車 ) : 戦車 , 機械化部隊の指揮 , 通信用車両。 搭載する無線器や , 生製時期の違いにより , つぎの 8 つの型がある。 FuG8, FuG5, FuG4 を搭載 : 戦 車部隊と砲兵 , 師団司令部の連絡用。 1942 年型まで モニター FuG7, FuGl : 地上部隊と空軍の連絡および通信用 42 年型までは FuG8 用のフレームアンテナつき。 FuG8, FuG5 : 師団師令部と戦車部隊の連絡用。 48 年型までは , FuG8 用のフレームアンテナっき。 FuG8, FuG4 : 師団司令部と砲兵部隊の連絡用。 は FuG8 用のフレームアンテナっき。 19 19 線器を搭載した工兵部隊の指揮官用車両。武装 MG34 ( Pi ) 〔中型装甲兵車ーエ兵用〕 : FuG8 および FuG4 無 ⑩ ) Sd. Kfz25 ー /5Mittlerer Schotzenpazerwagen 中止。 挺 , 銃弾 1100 発。 1942 年 , 251 / 9 型の出現により製造 両。 7.5cm 砲弾は 120 発を搭載。固有武装は MG34 1 (IG) : 18 式 7.5mm 軽歩兵砲の牽引および弾薬運搬用車 @) Sd. Kfz25 ー /4Mittlerer Sch0tzenpanzerwagen 弾薬 2010 発。 各型とも , 乗員 7 名 , 武装は MG34 または 42 2 挺。 FuG Tr 15Kzw : 指揮用 FuG Tr 30mm : 指揮用 FuG Tr 80mm : 指揮用 FuG Tr 100mm : 指揮用。 長の巻取式アンテナに変更される。 車両。フレームアンテナっきだが , 後期型では 9m FuG12, FuG11, Kdo FuG : 師団 , 軍団の指揮官用 2 挺 , 銃弾 4800 発。 1943 年に製造中止。同し呼称で FuG8 および FuG5 を搭載した機甲工兵指揮連絡用車 両もある。 ( ⑨ Sd. Kfz25 ー /6Mittlerer Kommandopanzerwagen ( 中型装甲指揮車 ) : FuG11 および FuGTr100mm 無線器 を搭載した指揮官専用車両。 1943 年に製造中止後。 期型では FuG19 および FuG12 無線器を搭載 , ほは、オ ールラウンドの通信能力があった。武装は MG34 1 挺 , 銃弾 1100 発。乗員 8 名。重量 8.5 屯。 ( ⑩ Sd. Kfz25 ー /7Mittlerer Pionierpanzerwagen 〔中型工兵用装甲車〕 : 機甲工兵の専用車両で , 車体 両側に木製のラックを装着し , その中に工作器機 , またその上部に小型の戦車橋を搭載する。武装は M G34 または 42 2 挺 , 銃弾 4800 発の他 , 対戦車銃 PzB 39 1 挺を常備 , 他に地雷なども搭載する。乗員 7 ~ 8 名 , 重量 8.07 屯。なお一部の車両は FuG5 無線器を 搭載して指揮用に使われている。 ⑩ Sd. Kfz25 ー /8Mittlerer Krankenpanzerwagen 〔中型装甲病院車〕 : 機甲部隊の衛生隊用車両。車内 に担架 2 挺を傷病兵ごと収容する他 , 負傷者 4 名の 座るシートを持つ。一部の車両は車体側部に大型の 水タンクを , また本部付車両は FuG5 無線器を装備し ている。後期型では担架の出入を容易にするため後 部扉が改造されている。乗員 3 名 , 武装はなし。 ⑩ Sd. Kfz25 ー /9Mittlerer Schotzenpanzerwagen ( 7.5cm ) 〔中型装甲兵車ー 7.5cm 砲搭載〕 : 兵士たちか らは「シュッンメル」のニックネームで呼ばれた支 援用車両。旧型 4 号戦車の 24 口径 7.5cm 戦車砲を , 砲 架を改造して搭載している。 1942 年 3 月 31 日ビュー シイング社は , 4 号戦車の火力増強にともなって , 不用となった短砲身 7. 5cm 砲を , Sd. Kfz251 に搭載せ よとの命を受け新型 251 の設計を開始 , 同年 6 月には , 早くも 2 両の試作車が完成する。 2 両はただちに東 部戦線へ送られて , 実戦でのテストを受ける。実戦 部隊での好評から , 同月中に生産化が決定し 150 両 の生産命令が出された。 1943 ~ 44 年型の機甲擲弾兵連隊では , 一個大隊に つき 6 両 1 個中隊の本車が , 配備される事になって いる。 7. 5cm 砲は , 改修されて K51 の名称を与えられ ているが , 実質的には KwK37 と同一である。ただし HEAT 弾が開発された事により , 対戦車戦闘能力は , かなり強力であった。 1944 年には砲の搭載方法が変 更され , 車内容積を増加した後期型が出現する。乗 員 3 名 , 重量 8.53 屯。武装は , 7.5cm 砲の他 , MG34 または MG42 2 挺。搭載弾薬は , 砲弾 52 発 , 銃弾 20 10 発。 ⑩ Sd. Kfz25 レー OMittIerer SchUtzpanzerwagen ( 3.7cmPaK ) 〔中型装甲兵車ー 3.7cm 対戦車砲搭載〕 : 機械化歩兵装甲兵車小隊の小隊長用車両。 35 また は 36 式 3.7cm 対戦車砲を搭載する他 , MG34 または MG 42 1 挺 , PzB39 対戦車銃 1 挺も装備する。搭載弾薬 37
ドイツの半装軌装甲兵員輸送車 を突破出来る装甲兵員輸送車が要求されていた この装甲兵員輸送車は , 小火器弾および砲弾の破 片等に対する軽装甲 , 戦車と同程度の不整地通過能 力を持ち , 1 個分隊程度の兵員が乗車出来るという 仕様のものだったが , 無論当時のドイツにはそのよ うな車両は皆無で , 機械化歩兵たちの輸送手段は , トラックに頼る以外なかった。 装甲兵員輸送車 ( 以下装甲兵車と略す ) の早急な開 発と生産化に迫られたドイツ兵器局は , 窮余の一策 として , 当時砲兵用の牽引車として生産化されてい たハーフトラックを , 装甲兵車のべースとして使用 する事を思いつく。 この砲兵用のハーフトラックといつのは , 第一次 2 om 戦車砲に改修された Sd. Kfz250 / 9 ( 1 ) 前説 石川正俊 1935 年 3 月 , 新生ナチスドイツはヴェルサイユ条 約を一方的に破棄して , 再軍備への道を歩き始めた。 同年 10 月 , ルツッ , グデーリアンなど , 軍機械化推 進論者たちの努力により , 国防軍内に 3 個の戦車師 団が誕生した。当時 , 戦車師団の装備する戦車は微 ~ 力な 1 号戦車のみであったが , すでに , 新しい 2 号 , 3 号 , 4 号の各型式の戦車が開発の途上にあって , やがては , それら新型戦車が師団戦車部隊の中核と なる予定であった。一方 , 同じ戦車師団内の機械化 歩兵の装備については , 戦車部隊に随伴して , 敵中 ンき 第 1 簡訂 5
軽壮甲兵車 250 型 會 250 シリーーズの半装軌車は機械化歩兵部隊の偵察用として開発され ー ' " た装輪式の偵察装甲車に比べて速度は遅いカゾ不整地通過能力が 大きいのが特長であるを写真の車両は一番べシックなモデル 250 / 円 42 年夏の南部ロシアにおけ名 GD 機械化歩兵師団 , オートパイ兵 大隊の Sd K 稔 250 / に右の 28 号車は少隊長車い写真中央ッ兵士の陰に 、ちょわとえのは 250 3
會実戦場における 250 / ロのスナッ = プよ発砲直後らしく硝煙が漂って ~ ~ 、る車体後部扉のマナクからもわかるように引 GD 機械化歩兵師団 、 - 機甲偵察大隊第 ? 中隊の車両ょヨ 942 年夏の南部ロンアにおける撮影。 ックスが失われ一ステーのみが残っている霪ーを が小隊長でテその右は砲手と装境手。右 7 ェンダ上のラゲッジボ SPz 日羽の防貭が 2 重式なのがわかる。左の双眼鏡を持っているの 姦・右と同一車両を長焦点レンズによゆ捕えた迫力満点のスナップ
1 ~ 太 弾薬運搬車専用の Sd. Kfz252 後ただちに発進 , 北方へ向って突進する。目標はカ ラチェフ , 以上 / 」 グラードルは , 無線で部下に指示すると , 集合地 点へ戦車を移動させた。グラードル車の信号灯を目 印にして部下戦車が三々五々集まって来る。やがて 発進 , 大隊長車を先頭に高地の斜面を下る。道路上 へ出ると 2 列縦隊になって進む。道路周辺には , あ ちこちにソ連軍陣地があるがほとんど抵抗して来な ドイツ戦車が近すくと , ソ連兵は武器を放り出 して逃げ出す。抵抗して来たのは対戦車砲を有する ごく少数のソ連兵のみ。 7.5cm 榴弾 1 発で粉砕。結局 , 対戦砲 3 門を葬る。 「まるで演習みたいですな。少佐殿」 同乗している大隊副官が , あまりにも一方的な戦 闘状況に感嘆していった。前進を続ける内 , やがて 道路の延長線上に家並が見えて来た。カラチェフの 町だ。同時に無線手より連絡が入る。 「少佐殿 , 師団より命令です / 」 グラードルは , 無線器のスイッチを遠距離用に切 り換えて腕時計を見た。午前 7 時 30 分 , 出発してか らすでに 3 時間以上経っている。 - ヘッドホーンがジ ・・と鳴って , 師団司令部より - の命令が入る。 「国道上の橋は閉鎖完了。貴隊はカラチェフへ向け て突進せよ。同地にて停止 , 再編後国道上を北西に 向って突進 , プリャンスクへ向われたし」 砲音を残して 7.5cm 榴弾が飛ぶ。坂になっているので , 反動のため戦車はズルズルと後退した 「近すぎる / あと 20 / ′」 2 発目は直撃弾。ソ連軍歩兵砲が兵士もろとも吹 き飛ぶ。 機甲歩兵を乗せた装甲兵車が , 機銃を射ちまくり ながら斜面を登って来た。半装軌式のこの車両は戦 車と同し様な機動力を持ち , 装輪車両ではとても走 れない様な不整地や斜面でも , 平気で走破する。そ れに薄いながらも装甲されているので , 小銃 , 機銃 弾等は軽くはね返す。 装甲兵車は戦車と並んで停車した。後部の扉がに いて完全武装した歩兵達が飛び出し , そのままソ連 軍の抵抗拠点めがけて突っ込んで行く。戦車も砲と 機銃で援護にあたる。白兵戦となって一分もしない 内に , 最初のソ連投降兵がたこつばから這い出して 来た。歩兵がすかさす銃を突き付けて武装解除 , 捕 虜の数はどんどん増える。 グラードルは , 高地上の敵の掃討を味方歩兵にま かせた。すでに勝負は着いている。敗残兵に構って いるひまはない。一刻も早く前進せねばならない。 カラチェフ占領 「戦車大隊は高地北側に集合せよ。機甲歩兵第 63 連 隊の第 2 大隊は高地の確保にあたれ。戦車隊は集合
のばす。 「師団へ無線連絡 : デスナ河橋梁を奪取。プリャン スク西側地区に橋頭堡を確保せり。師団よりの援軍 を乞う」 グラードルよりの無電をキャッチした師団司令部 は , 予想外の成果に驚きながらもただちに増援部隊 リュープサム大佐の率いる第 63 機 に発進を命じた。 甲歩兵連隊の 2 個機械化歩兵中隊が , 全連でプリヤ ンスクへと向う。 17 時 , グラードル達と同しく森の 中を突破して来たリュープサム大佐の部隊が , グラ ードル戦闘団の位置まで進出して来た 「よくやった , グラードル。たいした戦果だ / 」 大佐は賞賛を惜しまなかった。 「デナス河の橋には , これと並行する仮橋が一本あ ります。すぐに出発して , 爆破される以前に し、つ も手に入れたいのです。大佐殿 / 」 リュープサム大佐は , 麾下の機械化歩兵に橋頭堡 の確保を命すると共に , 部下の一部をグラードル戦 闘団に編入させる。増強を得た戦闘団は U ターンす ると , ふたたび橋へと向った。橋の左岸 , 右手約 800 m に新手のソ連軍高射砲 2 門が現われて射撃して来 たが , 榴弾の一斉射撃で叩き潰す。 18 時を少し過ぎた頃 , 北の方でものすごい爆発か 起った。タ焼の空に太い黒煙がもくもくと立ち登る。 西方の退路を遮断されたと知ったソ連軍が , 集積し てあった燃料 , 弾薬その他の補給物資を爆破したの である。プリャンスク陥落の序曲であった 10 月 7 日朝 , プリャンスクからの脱出を計るソ連 軍がデズナ河の左岸に現われた。例の仮橋を狙って いるのだ。橋の警戒にあたっていたドイツ歩兵との 間でたちまち銃撃戦か始まる。ソ連兵の数は圧倒的 で , ドイツ側は除々に圧迫される。知らせを聞いた グラードル戦闘団が駆け着けた。戦車砲 , 機銃を射 ちまくりながらソ連軍の中へ踊り込む。たちまちの ドイツ戦車を見たソ 内にソ連軍は総崩れとなった 連兵は , 武器を放り出して逃げ去る。どうやら , ソ 連兵はドイツ戦車恐怖症にかかったらしい。 第 63 機甲歩兵連隊第 2 大隊を編合した第 40 機甲歩 兵連隊第 1 大隊が装甲兵車に乗って駆け着け , 残敵 を掃討。そのままデスナ河左岸にいすわって警戒に あたる。やがてソ連軍は , 橋に対して野砲による砲 撃を開始した。橋を奪取出来ないと知って , 今度は これの破壊を企んだのだ。砲撃は除々に激しさを増 し , 照準も正確になって来た。ソ連砲兵は , どうや ら集積した弾薬を全部使っても橋を壊す積りらしい。 グラードル戦闘団はこの敵を粉砕すべく , 午前 10 時 15 分 , 市街西方地区へ向けて発進した。ソ連軍陣地 で頑強に抵抗してきた高射砲 , 対戦車砲各 1 門を撃 破すると , 後は簡単であった。ソ連軍野砲とソ連歩 兵はドイツ戦車が現われると , ほとんど抵抗せすに 降伏した。これで , プリャンスクとデスナ河の橋は 確実にドイツ軍の手中に帰したのである。 プリャンスク占領 独ソ戦開始以来 , 奇襲 , 強襲による勝利は多々あ ったが , グラードル戦闘団のプリャンスク急襲の様 ドイツ軍の巧 な成功例はちょっと他に例を見ない。 妙な用兵と , それにも増して希有の幸運か勝利の原 因であった。戦闘終了後 , グラードル戦闘団のあげ た戦果が明らかになる。ろ獲した兵器だけでも , 戦 車 17 両 ( 44 屯の KV 戦車 4 両と T34 戦車も含む ) , 4 門 の 15.2cm 重野砲を含む砲 14 門 , 対戦車砲 8 門 , トラ ック 100 両 , 航空機 1 機 , 野砲牽引用トラクター 10 台 捕虜の数は 1 , 000 名以上におよんだ。プリャンスク ~ グデーリアン第 2 戦車集団の翼側にあって , イエレ メンコ将軍が難攻不落の要塞に仕立て上げたこの町 は , たった 1 個のちつは。けな戦闘団によって , あえ なくも陥落してしまったのである。 GPU ( 国家秘密 警察 ) による徹底的抵抗戦の指示も , 対戦車用の 10 万本のモロトフカクテル ( 火焔びん ) も , 全く役に ドイツ軍が市の後方から入り込み , 立たなかった デスナ河の橋を奪った事により , ソ連軍の防禦計画 東方より迂回して来た第 13 軍団と合流する。 将軍の第 18 戦車師団は , スヒニチ南西地区において た 10 月 6 日 , 同師団右翼を北進していたネーリング 第 17 戦車師団がプリャンスクの攻撃にかか ど労せすして手中に納めたのであった。 モスクワ前面で , 最も重要な鉄道集結地を , は全て水泡に帰したのである。ドイツ軍はかくして , ソ連 3 はとん が始まっている事など , 彼等は知る由もなかったの でのパレードを夢見ていた。すでに第三帝国の終末 を衡いて 1 歩 1 歩前進するドイツ兵達は , モスクワ ボルシェビキ共の息の根を止められるぞ / 泥の海 であった。モスクワまであと 200km 1 カ月もすれば , からの戦いで疲れ切ってはいたが , 士気だけは旺盛 すべて泥沼と化して , 車両は立往生 , 兵士達も , 夏 る。すでに各戦線では雪が降り , 道路という道路は であった。第 2 段階は , いよいよモスクワ攻略であ 勝利の内に終り , タイフーン作戦第 1 段階は大成功 リャンスクの 2 重包囲戦は , かくしてドイツ軍の大 火砲 5 , 500 門をろ獲または破壊した。ヴィャズマ , プ ドイツ軍はソ連兵 66 万人を捕虜とし , 戦車 1 , 200 台 間続いた 10 月 17 日 , ソ連軍の組織的抵抗は終る。 と突破脱出を計るソ連軍との間での激戦は , 約 10 日 とヴィャズマの 2 個所において , 包囲したドイツ軍 ソ連西戦線の 6 個軍を包囲していた。プリャンスク ルツエウォ , ヴィャズマを結ぶ広大な三角地帯に 師団が , ヴィャズマにおいて握手 , イエリニヤ , ヤ 第 16 戦車軍団第 7 戦車師団と第 46 戦車軍団第 10 戦車 ニエプル ~ モスクワ街道の戦線では , 10 月 7 日 , 独 個軍が包囲されたのである。一方 , さらに北側のド である。 ( おわり )
大戦時の使用実績により , 1930 年初めより , すでに 開発生産が開始されていたもので , 大きな牽引力と 不整地通過能力を持ち , そのうえ速度は全装軌の車 両より早く , 総合的に高い機動力を持つ優秀な車両 であった。牽引力の違いによって , 1 , 3 , 5 , 8 , 12 , 18 屯の各車種があり , 1935 年当時には , 18 屯車 および 1 屯車を除く各型が , すでに開発または , 生 産の途上にあって , 実用化も進みつつあり , 装甲兵 車のべースとするには , 持って来いの車両であった 装甲兵車の開発は , 1936 年より開始される。 1 個 分隊が乗車出来る中型装甲兵車と , 小型ながら機動 力の高い軽装甲兵車の 2 種類が計画され , 前者は , 3 屯牽引車 , 後者は 1 屯牽引車を各々へースとする 事が決る。前者が , 後の Sd. Kfz251, 後者が Sd. Kfz 250 である。以下 , 先に実用化され Sd. Kfz251 から解 説していく。 (2)Sd. Kfz 251 の開発大田文雄 Sd. Kfz251 の母体となった 3 屯牽引車 Sd. Kfz11 の 開発は , 後にポルグヴァルト社と改名するプレーメ ンのバンサロイドゴリアテ社において , 1934 年に開 始され , パイロットモデルの HL K は , 同年末に 完成する。 HL KL2 は , 3 ~ 5 の直列 6 気筒 70 馬 カエンジンを車体前部に搭載した , 自重 6 屯の車両 で操縦席後部に弾薬庫 , その後に兵員乗車用の荷室 を持っ , 極くオーソドックスなレイアウトをもって 1935 年になって前部ボディをリファインした HL KL3 が造られ , 更に 1936 年改良型の HLKL4 を経 て , 最終試作型 HLKL5 が完成する。 HLKL5 は , 動力関係は HLKL2 ~ 4 と同様だが , キャタピラ部の転輪数が増加し , 走行安定性や , 不整 地通過能力が向上している。 HLKL5 は 3 屯牽引車 Sd. Kfz11 として軍の制式採用となり , 1937 ~ 38 にか りて 505 両が生産されてい 10.5cmFH18 軽野戦榴弾砲 の牽引用 , 10cm ロケット弾の運搬用などに使用され た 1937 年 HL KL5 は , さらに改良されて HL KL6 とな る。この時点で兵器局は , 中型装甲兵車用のべアシ ャーシーとして HLKL6 が最適との決論に達し , HL KL6 を母体として装甲兵車の開発が始まる。装甲車 型べアシャーシーの開発 , 生産はハノーバーのハノ マーグ社が担当し , 装甲ボディの製作には , ビュー シインズ NAG 社があたった。 装甲車用べアシャーシーは HLKL6p と呼ばれ , 4.17 直列 6 気筒 100 馬力のマイバッハ HL42TUKRM ェ ンジンと , 副変速機付前進 4 段後退 1 段の変速器を 持つ。通常の操行は , 前輪のみで行なわれるが , あ る角度以上ステアリングを切り込むと , 自動的に履 帯部の差動装置が作動するという高度な操行機構を 備えている。装甲ボディは前面 10 ~ 14.5 , 側 , 後面 8 , 底面 6 mm の装甲板よりなり , ボルトによりべア いた シャーシーに固定される。車重は 7.8 屯 , 乗員 2 名の他 , 完全武装の兵士 10 名が乗車出来る。基本武装として は 2 挺の MG34 ( 後期型では MG42 ) が , 車体上面の機 銃マウントに装着される。最高速力は 53km / h , 航続 距離は 300km Sd. Kfz251 の生産は , 1939 年 6 月より開始された が , 最初の生産型 A 型から最終生産型 D 型まで , 生 産時期によって 4 つの型式がある。 A, B 型は基本 的には同一形状だが , A 型につけられていた戦闘室 両側面の各 2 個のクラッペは , B 型では廃止され , 1940 年末より生産された C 型では , 主に車体前部の 形状がリファインされ , 防弾性 , 生産性共に向上 , さらに 1943 年 9 月より生産された D 型では , 一層の 簡素化が計られ生産性は一段と良くなる。 ABC 型の生産数は , 1939 年 6 月から 1943 年 9 月迄 の間に約 4 , 650 両。 D 型の生産数は , 1943 年 9 月より 終戦迄の間に 10 , 602 両が記録されている。なお D 型 では前面装甲厚が , 僅かながら増加したため車重は 8 屯に増加 , 戦闘室後部の形状も簡素化されて後方 へ突出したため , 全長か A ~ C 型の 5.80 m から 5.98 m へと増長している ? Sd. Kfz251 は , 機械化歩兵にとっては , 必需品と もいえる車両であったが , その数量は常に不足気味 で , 通常 3 個大隊編成の機甲擲弾兵連隊において , 1 個大隊のみが本車を装備するにとどまり , 全大隊 には行き渡らなかった。この状態は終戦まで続いた ようだが , この事は , 裏を返していえば , 本車がい かに有用であったかを如実に物語るものである。 特にその機動力は同しハーフトラックでも , 米軍 の M 3 シリーズなどに比べて数段勝っており , 装甲 防御も , 傾斜面を多用した車体形状により , この手 の車両中では一番優秀であった。これは , 戦後もチ ェコ陸軍が本車を改修して OT810 型装甲兵車として , 長く使用していた事からも証明される。 本車の欠点を , 強いて上げれば複雑な操行装置に よる生産性 , 整備性の悪さ , 生産コストの高さなど があるが , 実戦部隊における使用実績を考えれば , この手の車両としては一番成功した物といって良か ろう。現在世界各国の陸軍が開発しつつある MICV を , 30 数年以前に実用化したのが , Sd. Kfz251 シリ ーズの装甲車であるといっても , 言い過ぎではなか ろう。本車は Sd. Kfz250 などに比べて車内スペース が広かった事もあって , 20 種以上におよぶバリエー ションが存在した。以下型式番号順に解説して行く。 Sd. Kfz 251 のバリエーション 西川茂 ① ) Sd. Kfz 25 ー / ー Mittlerer Schutzenpanzerwagen ( 中型装甲兵車 ) : 最もべーシックなモデル。機械化 歩兵用の装甲兵車。基本武装は , MG34 または 42 2 挺。 銃弾 2010 発。乗員 12 名。 ② Sd. KfZ25し日 : 上記と同型。ただし武装は , 重
ドイツ戦車 , 機械化歩兵部隊の戦記 皛野 グラードル戦闘団の プリャンスクの奇襲 凍部戦新・行く = Kfz25 会合を終えて連隊本部へと戻りつつあった。第 17 戦 車師団は第 47 戦車軍団に属し , 名師団長フォン・ア ルニム中将の指揮の下に , 軍団の左翼を進軍しつつ あった。前日の 10 月 4 日 , 師団の先遺部隊がニエル ッサに橋頭堡を築くのに成功し , 師団の全部隊はそ こから前進中である。 キューノ大佐の乗った指揮装甲車は , やがて小さ な堀立小屋の前で止った。小屋の入口には , 連隊戦 闘指揮所を示す小さなプリキの旗が立ててある。中 では戦車大隊長を始め , 本部員達が大佐の帰りを待 っていた「諸君 / 」。 大佐の声に , 指揮内の将兵達が一斉に踵を合せて 敬礼する。 「さらに前進だ。本日午前中の軍団司令部における 会議で , グデーリアン大将閣下自らが決められた。 われわれは , 第 18 戦車師団と共に , 明早朝 , 明るく なると同時に進撃に移る。」 「北へ向うのですか ? 」 少佐の肩章を付けた戦車大隊長がたすねた。第 1 大隊長の , ハンス・グラードルである。 「北へ向うが , 北方への突進は第 18 戦車師団にまか せる。われわれの任務は次の通りだ。グラードル , 君は第 63 機甲歩兵連隊を編合した戦闘団を編成し , アクロヴァ北西部のソ軍対戦車壕を超越して突進 , こは , カラチェフ ~ プリャン 237 高地を占領する。 スク間の自動車道路を制する要地だ。同地の敵を駆 タイフーン作戦発動 1941 年 9 月 26 日 , 独 . 2 個戦車軍によるエキフ大包 囲戦は , キエフ市の陥落をもって終了する。包囲陣 内では , ソ連 7 個軍がほとんど全滅し , ソ軍南西戦 線総団令官プジェンヌイ元帥は航空機により脱出 , 総司令官代理のキルポノス大将は , 幕僚と共に戦死 する。ドイツ軍の捕虜となったソ連兵 66 万 5 千 , ろ 獲戦車 884 両 , ろ獲火砲 3 , 718 門。それまでの勝利と 合せれば , 普通の国の軍隊ならばとっくに全滅し , 国家は占領されてしまったであろう数字だが , ソ連 は途方もなく大きな国であった。この時点でも , ド イツ軍は , ョーロッパロシアの極く一部を手中にし たに過ぎす , ウラルの彼方には , 無尽蔵と思われる 人的資源と戦争用物資が眠っていたのである。 大勝利の連続に有頂天となったヒトラーは , 9 月 26 日 , タイフーン作戦の発動を指令する。ソ連軍の弱 体化に応して , 最終攻撃目標モスクワまで一気に突 進しようというのだ。 9 月 30 日 , グデーリアンの第 2 戦車集団は , 第 24 戦車軍団を先頭にグルーホフを 発進 , 一路北へ向う。第 24 戦車軍団の左翼には , レ メルゼン大将の第 47 戦車軍団が並進する。タイフー ン作戦の開始である。 1941 年 10 月 5 日も暮れかかる頃 , 第 39 戦車連隊長 クルト・キューノ大佐は , 第 17 戦車師団司令部での 9
グラードルは了解のサインを送ると , 無線器を大 隊系に切り換えて命令を下す。 「再編成を行なう。編成完了後 , 国道上をプリャン スクへ向けて突進する。べーグマン少尉 , 貴官は先 発して道路前方の状況を偵察せよ」 偵察小隊のべーグマン少尉は , 麾下の装甲偵察車 2 両を率き連れてただちに発進した。 2 両の 4 輪装 甲車は , フルスピードであっという間に視界から消 える。グラードルは戦闘団の再編成にかかったか , 部下達は全員べテランの戦車兵である。てきばきと した指示と行動で , 数分の内に編成完了。全員乗車 して進撃命令を待っ内 , いくばくもなくべーグマン 偵察小隊より無線連絡か入る。 「プリャンスクへ向う国道上に敵影なし」 グラードルの命令一呵 , 戦闘団はただちに発進 , 西方へ向けて旋回すると , 道路上をフルスピードで 突進する。 「連絡 , 歩兵が後続して来ません。少佐殿 / 」 グルシャイまで来た時 , 最後尾の戦車が連絡して 来た 「道路左側の森へ入って停止せよ。ケルバー少尉車 はただちに反転 , 歩兵部隊を見つけ次第大至急追及 させよ。なお , 少尉は連絡将校として歩兵部隊に随 プリャンスクを奪取せよ 伴せよ。以上 / 」 「やってみよう / 歩兵が到着したらただちに発進 へ突っ込むのだ」 後 , デスナ河に架かる橋を急襲により奪取し , 目標 だ。敵の不意を衡いて森の道路を突破する。しかる っているのだが , この際ふたつにひとっしかないの その森の中にもかなり兵力のソ連兵がいる事がわか 突破する以外にあるまい。グラードル。いや , 実は 「それでは , プリャンスク , サレウォ間の森の中を 撃すればすぐに見つかって反撃されるだろう」 軍用車両が続々と到着しているという。道路上を進 同道路周辺にはすでにソ連軍陣地多数があり , 兵員 , 出来ない。偵察班のべーグマン少尉からの報告では , 「カラチェフ , プリャンスク間の大自動車道は利用 司令部のフォン・ポーニン少佐である。 ものではない。西方 , 背後より奇襲するのだ」 れているが , これに前面から当ってはとても抜ける 奪取するのだ。市東部には強固な縦深陣地か確認さ 「グラードル , 今朝の内にプリャンスクを急襲して 部の参謀将校が乗った装甲車が到着した ラードルが発信してからきっかり 30 分後 , 師団司令 戦闘団への命令は師団長副官より出されている。グ アルニム中尉がストロピチェで負傷後送されたため , うまく通信出来ないのだ。 9 月末 , 師団長フォン・ 離で , しかも雑音 , 振動の多い走行中ではなかなか いかに強力な大型無線器でも , 遠距 連絡を取った グラードルは , 停車時間を利用して師団司令部と する。戦車 , 機甲歩兵 , 高射砲と三味一体となって , プリャンスクへ突入する」 「よろしい , グラードル / 幸運を祈る」 フォン・ボーニン少佐の乗った装甲車が去るのと 入れちがいに , 機甲歩兵の装甲兵車 4 両が追及して 来た。これでグラードル戦闘団の兵力は , 3 , 4 号 戦車 6 両 , 2 号戦車 7 両 ( 火焔放射戦車若十を含む ) , Sd. Kfz251 装甲兵車 4 両 ( 機甲歩兵 1 個小隊弱 ) , 88mm 高射砲 2 門となった。ちつは。けな戦闘団だが , 今までもこれでやって来たのだ。全戦力を集結して かかれば , いかなる敵といえども打ち破る自信はあ った すでに部下達は、各自の戦車 , 装甲兵車に分乗し て , 前進命令を今や遅しと待っている。グラードル は指揮戦車の砲塔から , 部下全員に聞える様大声で 「聞け / これからプリャンスクへ向って突進する。 全員一体となって、目標の達成に尽力せよ / 」 対ソ戦開始以来 , 常に師団の尖兵としてともに戦 って来た部下達である。今さら , くどくどとした説 明などいる訳がない。グラードルは , 怒鳴り終ると 操縦手に発進を命した。 砂混りの泥の道を , 戦車隊は西を目指してまっし ぐらに突進する。やがて森の中へ入った。サレウォ ~ セイミスチェスチャ間の , ちょうど森の中央部分 と思われるあたりで宿営中のソ連騎兵部隊を急襲 , 不意を衡かれた敵はあっという間に跌散らされ , 逃 げ遅れた兵は捕虜となる。連れて行く事は出来ない ので , 武装解除して残置。部隊はさらに森の奥へと 進む。先頭は無論グラードルの 4 号戦車。と , 道路 左側に停車中の車両が見えて来た。進む程にその数 は増して来る。ソ連軍車両の縦隊か ? 近すくドイツ 戦車を見て , ソ連兵達が呆然と立ちすくみ , あわて て逃げ出す。前方の林間の空地に , 無線アンテナか 林立している。ソ連軍の大通信部隊である事は疑う 余地もない。 敵司令部を壊減 「全車集中射撃 / 」 グラードルが命する迄もなく , 各戦車よりの榴弾 がソ連軍の中で炸裂する。ドイツ側は少兵力なので 停止しない。行進射撃で次々と目標を撃破して行く。 ソ連軍通信基地のアンテナが吹き飛び , 路傍のトラ ックは , 次々に炎上する。勇敢にも機銃や爆薬で , 肉迫攻撃して来るソ連兵は , 装甲兵車のドイツ歩兵 が受けて立つ。たった 3 分の内に , ソ連軍通信部隊 は壊滅状態となった。敵基地を通り過ぎてホットー 息。一寸停車して部隊の状況を見る。 グラードルの所へ , 歩兵か先刻の基地で拾った紙 片を持って来た。これで見ると , どうやらグラード ル達が襲ったのはソ連軍軍司令官直属の司令部付通 信隊らしかー。た。後に判た事だが , グラードル戦
「歩兵および戦車兵 10 名 , 右の戦車を奪還せよ」 戦車 1 両に機甲歩兵が跨乗して , ろ獲された戦車 へと向う。不意を衡かれたソ連兵は , 戦車を放り出 して逃げ出した。戦闘団の少い戦力には , 2 両の戦 車はまたとないプレゼントである。この間 , グラー ドルの本隊は橋へ向って突進しつつあった。橋の手 前 2 個所にソ連軍トーチカ。ぶらぶらしていたソ連 兵が , 近付くドイツ戦車にあわてて , トーチカへ飛 び込む。 「射てッ / 」 グラードルは全火器の射撃を命した。戦車砲 , 機 銃 , 歩兵の小銃からピストルまで , 戦闘団の持つあ らゆる火器が火を吹く。ソ連兵はトーチカに入った まま頭を出す事も出来ない。グラードル車は全速で 橋へと乗り入れた 一部の部下戦車と機甲歩兵がト ーチカの敵を制圧している内に , 数両の戦車と装甲 兵車はフルスピードで橋を渡る。木製の踏板が , 重 たい戦車の通過でギシギシと軋む。ソ連軍工兵が橋 に爆薬を仕掛けているとしたら , プランジャーのひ と押しでグラードル達は橋ごと木葉微塵に吹き飛ぶ のである。グラードル達には , 長さ 200 m の橋か数 km もある様に思えた。が , 心配する事はなかった。橋 は爆破されす , 戦車は無事に向う岸までたどり着く 事が出来たのである。グラードルは , ただちに戦闘 団の戦力を 3 分した。 2 隊は橋の両岸にあって橋の 確保にあたる。主力の 1 隊は , さらに前進してプリ ャンスク市内へ突入しようというのだ 橋頭堡を確保せり 闘団は , なんとイエレメンコ将軍の野戦司令部を突 き抜けたのである。イエレメンコ将軍は , グラード ル達の戦車からわすか 50 m 離れたテントの中にいた のだが , このソ連軍元帥は幸運にも , グラードル達 からの弾に当る事もなく , また , 捕虜になる事も免 がれたのであった。もし戦闘団がもう少し多数の兵 力を持っていて , 停車戦闘をしたら , 将軍の命もど うなっていたか判らない 「プリャンスクへ、発進 / 」 戦闘団はふたたび突進を開始した。約 2km 程進ん だ所で , またもソ連軍車両縦隊と相遇。敵は何がな んだか判らぬ内に , ドイツの捕虜になる。有難い事 に , 自動車用燃料の輸送部隊で , 一少尉が指揮して いる。ガソリンはいくらあっても足りない所である 早速武装解除の上 , 戦闘団縦列の後方を続行させる。 やがて木々もまばらになり , 遠方に大きな兵舎ら しき物が見えて来た。森を突破してプリャンスク郊 外へ出たのである。道路上を前進 , 途中でソ連軍の パトロール隊に出会う。ソ連兵は , まさか 歩哨 , んな方向からドイツ軍が現われようとは夢にも思っ ていなかったのであろう。近付く戦車を , ほかんと して眺めている内 , 戦車に後続した装甲兵車の機甲 歩兵に銃を突き付けられ , あっという間に武装解除 される。ソ連軍兵営に近すくと , 兵舎後方の停車場 に貨物列車が一連入っていて , 1 個中隊程のソ連兵 が乗車中なのが見える。 「少佐殿 , 兵舎です / 」 大隊副官が興奮した声で叫んだが , グラードルは 冷静であった 「停車場に構うな。われわれの第 1 目標は橋だ」 見逃すには惜しい獲物だが , 今は構っている暇は ない。一刻も早くデスナ河の橋を確保しなくては。 「大隊長車に続け。全速前進 / 」 道路がアスファルト舗装に変り当ー。 = 、 , -- = 。ーー スピード上る , ガラガラとキャタピラの音を響かせながら , 戦車は 一路 , 新へと向う。おや ? 側道にドイツの 4 号戦 車と 2 号戦車が 1 両づつ止っている。 ~ グラードルは 装甲ジャッターを全開にして目を凝らした 赤い星のマーク。 - ソ連軍がろ獲したドイツ " 車を橋 の警備用に使っているのだ われわれは , プリャンスク西側区域へ向けてさら に突進せねばならぬ。このデスナ河橋頭堡を , 出来 るだけ大きくするのだ」 グラードル車を先頭にふたたび発進。プリャンス ク ~ ロスラウリ間の道路上を進む内 , 左手にまたし てもソ連軍兵営を発見 9 戦車 1 両と装甲兵車 1 両が これに向い , やがて捕虜 100 名余りを道れて戻る。ふ たたび前進。今度はソ軍トラック部隊と相遇 , 戦車 砲弾を 2 発程射ち込むとソ連兵達は手を上げた ト フックにどろ獲。捕虜の数はなんと 400 名にものは、 る。にれは , グラードルにと も予想外の事態で あった。戦車 . を停止して遠距離、信用のア、テナを ◆を