歩兵 - みる会図書館


検索対象: 戦車マガジン 1979年10月増刊号
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1. 戦車マガジン 1979年10月増刊号

「歩兵および戦車兵 10 名 , 右の戦車を奪還せよ」 戦車 1 両に機甲歩兵が跨乗して , ろ獲された戦車 へと向う。不意を衡かれたソ連兵は , 戦車を放り出 して逃げ出した。戦闘団の少い戦力には , 2 両の戦 車はまたとないプレゼントである。この間 , グラー ドルの本隊は橋へ向って突進しつつあった。橋の手 前 2 個所にソ連軍トーチカ。ぶらぶらしていたソ連 兵が , 近付くドイツ戦車にあわてて , トーチカへ飛 び込む。 「射てッ / 」 グラードルは全火器の射撃を命した。戦車砲 , 機 銃 , 歩兵の小銃からピストルまで , 戦闘団の持つあ らゆる火器が火を吹く。ソ連兵はトーチカに入った まま頭を出す事も出来ない。グラードル車は全速で 橋へと乗り入れた 一部の部下戦車と機甲歩兵がト ーチカの敵を制圧している内に , 数両の戦車と装甲 兵車はフルスピードで橋を渡る。木製の踏板が , 重 たい戦車の通過でギシギシと軋む。ソ連軍工兵が橋 に爆薬を仕掛けているとしたら , プランジャーのひ と押しでグラードル達は橋ごと木葉微塵に吹き飛ぶ のである。グラードル達には , 長さ 200 m の橋か数 km もある様に思えた。が , 心配する事はなかった。橋 は爆破されす , 戦車は無事に向う岸までたどり着く 事が出来たのである。グラードルは , ただちに戦闘 団の戦力を 3 分した。 2 隊は橋の両岸にあって橋の 確保にあたる。主力の 1 隊は , さらに前進してプリ ャンスク市内へ突入しようというのだ 橋頭堡を確保せり 闘団は , なんとイエレメンコ将軍の野戦司令部を突 き抜けたのである。イエレメンコ将軍は , グラード ル達の戦車からわすか 50 m 離れたテントの中にいた のだが , このソ連軍元帥は幸運にも , グラードル達 からの弾に当る事もなく , また , 捕虜になる事も免 がれたのであった。もし戦闘団がもう少し多数の兵 力を持っていて , 停車戦闘をしたら , 将軍の命もど うなっていたか判らない 「プリャンスクへ、発進 / 」 戦闘団はふたたび突進を開始した。約 2km 程進ん だ所で , またもソ連軍車両縦隊と相遇。敵は何がな んだか判らぬ内に , ドイツの捕虜になる。有難い事 に , 自動車用燃料の輸送部隊で , 一少尉が指揮して いる。ガソリンはいくらあっても足りない所である 早速武装解除の上 , 戦闘団縦列の後方を続行させる。 やがて木々もまばらになり , 遠方に大きな兵舎ら しき物が見えて来た。森を突破してプリャンスク郊 外へ出たのである。道路上を前進 , 途中でソ連軍の パトロール隊に出会う。ソ連兵は , まさか 歩哨 , んな方向からドイツ軍が現われようとは夢にも思っ ていなかったのであろう。近付く戦車を , ほかんと して眺めている内 , 戦車に後続した装甲兵車の機甲 歩兵に銃を突き付けられ , あっという間に武装解除 される。ソ連軍兵営に近すくと , 兵舎後方の停車場 に貨物列車が一連入っていて , 1 個中隊程のソ連兵 が乗車中なのが見える。 「少佐殿 , 兵舎です / 」 大隊副官が興奮した声で叫んだが , グラードルは 冷静であった 「停車場に構うな。われわれの第 1 目標は橋だ」 見逃すには惜しい獲物だが , 今は構っている暇は ない。一刻も早くデスナ河の橋を確保しなくては。 「大隊長車に続け。全速前進 / 」 道路がアスファルト舗装に変り当ー。 = 、 , -- = 。ーー スピード上る , ガラガラとキャタピラの音を響かせながら , 戦車は 一路 , 新へと向う。おや ? 側道にドイツの 4 号戦 車と 2 号戦車が 1 両づつ止っている。 ~ グラードルは 装甲ジャッターを全開にして目を凝らした 赤い星のマーク。 - ソ連軍がろ獲したドイツ " 車を橋 の警備用に使っているのだ われわれは , プリャンスク西側区域へ向けてさら に突進せねばならぬ。このデスナ河橋頭堡を , 出来 るだけ大きくするのだ」 グラードル車を先頭にふたたび発進。プリャンス ク ~ ロスラウリ間の道路上を進む内 , 左手にまたし てもソ連軍兵営を発見 9 戦車 1 両と装甲兵車 1 両が これに向い , やがて捕虜 100 名余りを道れて戻る。ふ たたび前進。今度はソ軍トラック部隊と相遇 , 戦車 砲弾を 2 発程射ち込むとソ連兵達は手を上げた ト フックにどろ獲。捕虜の数はなんと 400 名にものは、 る。にれは , グラードルにと も予想外の事態で あった。戦車 . を停止して遠距離、信用のア、テナを ◆を

2. 戦車マガジン 1979年10月増刊号

ドイツの半装軌装甲兵員輸送車 を突破出来る装甲兵員輸送車が要求されていた この装甲兵員輸送車は , 小火器弾および砲弾の破 片等に対する軽装甲 , 戦車と同程度の不整地通過能 力を持ち , 1 個分隊程度の兵員が乗車出来るという 仕様のものだったが , 無論当時のドイツにはそのよ うな車両は皆無で , 機械化歩兵たちの輸送手段は , トラックに頼る以外なかった。 装甲兵員輸送車 ( 以下装甲兵車と略す ) の早急な開 発と生産化に迫られたドイツ兵器局は , 窮余の一策 として , 当時砲兵用の牽引車として生産化されてい たハーフトラックを , 装甲兵車のべースとして使用 する事を思いつく。 この砲兵用のハーフトラックといつのは , 第一次 2 om 戦車砲に改修された Sd. Kfz250 / 9 ( 1 ) 前説 石川正俊 1935 年 3 月 , 新生ナチスドイツはヴェルサイユ条 約を一方的に破棄して , 再軍備への道を歩き始めた。 同年 10 月 , ルツッ , グデーリアンなど , 軍機械化推 進論者たちの努力により , 国防軍内に 3 個の戦車師 団が誕生した。当時 , 戦車師団の装備する戦車は微 ~ 力な 1 号戦車のみであったが , すでに , 新しい 2 号 , 3 号 , 4 号の各型式の戦車が開発の途上にあって , やがては , それら新型戦車が師団戦車部隊の中核と なる予定であった。一方 , 同じ戦車師団内の機械化 歩兵の装備については , 戦車部隊に随伴して , 敵中 ンき 第 1 簡訂 5

3. 戦車マガジン 1979年10月増刊号

グラードルは了解のサインを送ると , 無線器を大 隊系に切り換えて命令を下す。 「再編成を行なう。編成完了後 , 国道上をプリャン スクへ向けて突進する。べーグマン少尉 , 貴官は先 発して道路前方の状況を偵察せよ」 偵察小隊のべーグマン少尉は , 麾下の装甲偵察車 2 両を率き連れてただちに発進した。 2 両の 4 輪装 甲車は , フルスピードであっという間に視界から消 える。グラードルは戦闘団の再編成にかかったか , 部下達は全員べテランの戦車兵である。てきばきと した指示と行動で , 数分の内に編成完了。全員乗車 して進撃命令を待っ内 , いくばくもなくべーグマン 偵察小隊より無線連絡か入る。 「プリャンスクへ向う国道上に敵影なし」 グラードルの命令一呵 , 戦闘団はただちに発進 , 西方へ向けて旋回すると , 道路上をフルスピードで 突進する。 「連絡 , 歩兵が後続して来ません。少佐殿 / 」 グルシャイまで来た時 , 最後尾の戦車が連絡して 来た 「道路左側の森へ入って停止せよ。ケルバー少尉車 はただちに反転 , 歩兵部隊を見つけ次第大至急追及 させよ。なお , 少尉は連絡将校として歩兵部隊に随 プリャンスクを奪取せよ 伴せよ。以上 / 」 「やってみよう / 歩兵が到着したらただちに発進 へ突っ込むのだ」 後 , デスナ河に架かる橋を急襲により奪取し , 目標 だ。敵の不意を衡いて森の道路を突破する。しかる っているのだが , この際ふたつにひとっしかないの その森の中にもかなり兵力のソ連兵がいる事がわか 突破する以外にあるまい。グラードル。いや , 実は 「それでは , プリャンスク , サレウォ間の森の中を 撃すればすぐに見つかって反撃されるだろう」 軍用車両が続々と到着しているという。道路上を進 同道路周辺にはすでにソ連軍陣地多数があり , 兵員 , 出来ない。偵察班のべーグマン少尉からの報告では , 「カラチェフ , プリャンスク間の大自動車道は利用 司令部のフォン・ポーニン少佐である。 ものではない。西方 , 背後より奇襲するのだ」 れているが , これに前面から当ってはとても抜ける 奪取するのだ。市東部には強固な縦深陣地か確認さ 「グラードル , 今朝の内にプリャンスクを急襲して 部の参謀将校が乗った装甲車が到着した ラードルが発信してからきっかり 30 分後 , 師団司令 戦闘団への命令は師団長副官より出されている。グ アルニム中尉がストロピチェで負傷後送されたため , うまく通信出来ないのだ。 9 月末 , 師団長フォン・ 離で , しかも雑音 , 振動の多い走行中ではなかなか いかに強力な大型無線器でも , 遠距 連絡を取った グラードルは , 停車時間を利用して師団司令部と する。戦車 , 機甲歩兵 , 高射砲と三味一体となって , プリャンスクへ突入する」 「よろしい , グラードル / 幸運を祈る」 フォン・ボーニン少佐の乗った装甲車が去るのと 入れちがいに , 機甲歩兵の装甲兵車 4 両が追及して 来た。これでグラードル戦闘団の兵力は , 3 , 4 号 戦車 6 両 , 2 号戦車 7 両 ( 火焔放射戦車若十を含む ) , Sd. Kfz251 装甲兵車 4 両 ( 機甲歩兵 1 個小隊弱 ) , 88mm 高射砲 2 門となった。ちつは。けな戦闘団だが , 今までもこれでやって来たのだ。全戦力を集結して かかれば , いかなる敵といえども打ち破る自信はあ った すでに部下達は、各自の戦車 , 装甲兵車に分乗し て , 前進命令を今や遅しと待っている。グラードル は指揮戦車の砲塔から , 部下全員に聞える様大声で 「聞け / これからプリャンスクへ向って突進する。 全員一体となって、目標の達成に尽力せよ / 」 対ソ戦開始以来 , 常に師団の尖兵としてともに戦 って来た部下達である。今さら , くどくどとした説 明などいる訳がない。グラードルは , 怒鳴り終ると 操縦手に発進を命した。 砂混りの泥の道を , 戦車隊は西を目指してまっし ぐらに突進する。やがて森の中へ入った。サレウォ ~ セイミスチェスチャ間の , ちょうど森の中央部分 と思われるあたりで宿営中のソ連騎兵部隊を急襲 , 不意を衡かれた敵はあっという間に跌散らされ , 逃 げ遅れた兵は捕虜となる。連れて行く事は出来ない ので , 武装解除して残置。部隊はさらに森の奥へと 進む。先頭は無論グラードルの 4 号戦車。と , 道路 左側に停車中の車両が見えて来た。進む程にその数 は増して来る。ソ連軍車両の縦隊か ? 近すくドイツ 戦車を見て , ソ連兵達が呆然と立ちすくみ , あわて て逃げ出す。前方の林間の空地に , 無線アンテナか 林立している。ソ連軍の大通信部隊である事は疑う 余地もない。 敵司令部を壊減 「全車集中射撃 / 」 グラードルが命する迄もなく , 各戦車よりの榴弾 がソ連軍の中で炸裂する。ドイツ側は少兵力なので 停止しない。行進射撃で次々と目標を撃破して行く。 ソ連軍通信基地のアンテナが吹き飛び , 路傍のトラ ックは , 次々に炎上する。勇敢にも機銃や爆薬で , 肉迫攻撃して来るソ連兵は , 装甲兵車のドイツ歩兵 が受けて立つ。たった 3 分の内に , ソ連軍通信部隊 は壊滅状態となった。敵基地を通り過ぎてホットー 息。一寸停車して部隊の状況を見る。 グラードルの所へ , 歩兵か先刻の基地で拾った紙 片を持って来た。これで見ると , どうやらグラード ル達が襲ったのはソ連軍軍司令官直属の司令部付通 信隊らしかー。た。後に判た事だが , グラードル戦

4. 戦車マガジン 1979年10月増刊号

機式 MG34 または 42 2 挺および MG34 または 42 1 挺。 乗員 11 名。機械化歩兵の重機関銃分隊用車両。 ③ ) Sd. Kfz 25 ー / ー Mittlerer Schützenpanzerwagen (Wurfrahmen40) 〔中型装甲兵車ー 40 式ロケット弾発 射器付〕 : ぞくに「歩兵のスツーカ」とよばれた車 両。機銃 2 挺の武装の他 , 車体両側に 28cm ロケッ ト弾 5 発 , 32cm ロケット弾 1 発用の枠型発射器を装 着している。ロケット弾の照準は , 高低が発射器で 方向は車体を回して行なう。射程約 2km 。 1941 年の 対ソ戦より使用。発射器 6 基。乗員 7 名。 ④ Sd. Kfz 25 ー / ー Mittlerer SchUtzenpanzerwagen ()R ) 〔中型装甲兵車ー赤外線探照灯付〕 : 大戦末期に実 用化された赤外線照射器を搭載した車両。同し装置 を付けたパンター戦車部隊に随伴する機甲擲弾兵が 使用した。「ファルケ」の呼名をもつ。武装 , 乗員は 標準型に同し。 ( ① Sd. Kfz 25 ー / 2 Mittlerer Schützenpanzerwagen (Granatwerfer) 〔中型装甲兵車ー迫撃砲搭載〕 : 機械 化歩兵の重装備中隊車両。 8cm 口径の 34 式迫撃砲を 車内に搭載する。砲は取外して車外で使用する事も 出来る。砲弾 66 発搭載。副武装は MG34 または 42 1 挺。乗員 8 名。車重 8.64 屯。 ⑩ ) Sd. Kfz25 1/3Mittlerer Funkpanzerwagen( 中型 装甲無線車 ) : 戦車 , 機械化部隊の指揮 , 通信用車両。 搭載する無線器や , 生製時期の違いにより , つぎの 8 つの型がある。 FuG8, FuG5, FuG4 を搭載 : 戦 車部隊と砲兵 , 師団司令部の連絡用。 1942 年型まで モニター FuG7, FuGl : 地上部隊と空軍の連絡および通信用 42 年型までは FuG8 用のフレームアンテナつき。 FuG8, FuG5 : 師団師令部と戦車部隊の連絡用。 48 年型までは , FuG8 用のフレームアンテナっき。 FuG8, FuG4 : 師団司令部と砲兵部隊の連絡用。 は FuG8 用のフレームアンテナっき。 19 19 線器を搭載した工兵部隊の指揮官用車両。武装 MG34 ( Pi ) 〔中型装甲兵車ーエ兵用〕 : FuG8 および FuG4 無 ⑩ ) Sd. Kfz25 ー /5Mittlerer Schotzenpazerwagen 中止。 挺 , 銃弾 1100 発。 1942 年 , 251 / 9 型の出現により製造 両。 7.5cm 砲弾は 120 発を搭載。固有武装は MG34 1 (IG) : 18 式 7.5mm 軽歩兵砲の牽引および弾薬運搬用車 @) Sd. Kfz25 ー /4Mittlerer Sch0tzenpanzerwagen 弾薬 2010 発。 各型とも , 乗員 7 名 , 武装は MG34 または 42 2 挺。 FuG Tr 15Kzw : 指揮用 FuG Tr 30mm : 指揮用 FuG Tr 80mm : 指揮用 FuG Tr 100mm : 指揮用。 長の巻取式アンテナに変更される。 車両。フレームアンテナっきだが , 後期型では 9m FuG12, FuG11, Kdo FuG : 師団 , 軍団の指揮官用 2 挺 , 銃弾 4800 発。 1943 年に製造中止。同し呼称で FuG8 および FuG5 を搭載した機甲工兵指揮連絡用車 両もある。 ( ⑨ Sd. Kfz25 ー /6Mittlerer Kommandopanzerwagen ( 中型装甲指揮車 ) : FuG11 および FuGTr100mm 無線器 を搭載した指揮官専用車両。 1943 年に製造中止後。 期型では FuG19 および FuG12 無線器を搭載 , ほは、オ ールラウンドの通信能力があった。武装は MG34 1 挺 , 銃弾 1100 発。乗員 8 名。重量 8.5 屯。 ( ⑩ Sd. Kfz25 ー /7Mittlerer Pionierpanzerwagen 〔中型工兵用装甲車〕 : 機甲工兵の専用車両で , 車体 両側に木製のラックを装着し , その中に工作器機 , またその上部に小型の戦車橋を搭載する。武装は M G34 または 42 2 挺 , 銃弾 4800 発の他 , 対戦車銃 PzB 39 1 挺を常備 , 他に地雷なども搭載する。乗員 7 ~ 8 名 , 重量 8.07 屯。なお一部の車両は FuG5 無線器を 搭載して指揮用に使われている。 ⑩ Sd. Kfz25 ー /8Mittlerer Krankenpanzerwagen 〔中型装甲病院車〕 : 機甲部隊の衛生隊用車両。車内 に担架 2 挺を傷病兵ごと収容する他 , 負傷者 4 名の 座るシートを持つ。一部の車両は車体側部に大型の 水タンクを , また本部付車両は FuG5 無線器を装備し ている。後期型では担架の出入を容易にするため後 部扉が改造されている。乗員 3 名 , 武装はなし。 ⑩ Sd. Kfz25 ー /9Mittlerer Schotzenpanzerwagen ( 7.5cm ) 〔中型装甲兵車ー 7.5cm 砲搭載〕 : 兵士たちか らは「シュッンメル」のニックネームで呼ばれた支 援用車両。旧型 4 号戦車の 24 口径 7.5cm 戦車砲を , 砲 架を改造して搭載している。 1942 年 3 月 31 日ビュー シイング社は , 4 号戦車の火力増強にともなって , 不用となった短砲身 7. 5cm 砲を , Sd. Kfz251 に搭載せ よとの命を受け新型 251 の設計を開始 , 同年 6 月には , 早くも 2 両の試作車が完成する。 2 両はただちに東 部戦線へ送られて , 実戦でのテストを受ける。実戦 部隊での好評から , 同月中に生産化が決定し 150 両 の生産命令が出された。 1943 ~ 44 年型の機甲擲弾兵連隊では , 一個大隊に つき 6 両 1 個中隊の本車が , 配備される事になって いる。 7. 5cm 砲は , 改修されて K51 の名称を与えられ ているが , 実質的には KwK37 と同一である。ただし HEAT 弾が開発された事により , 対戦車戦闘能力は , かなり強力であった。 1944 年には砲の搭載方法が変 更され , 車内容積を増加した後期型が出現する。乗 員 3 名 , 重量 8.53 屯。武装は , 7.5cm 砲の他 , MG34 または MG42 2 挺。搭載弾薬は , 砲弾 52 発 , 銃弾 20 10 発。 ⑩ Sd. Kfz25 レー OMittIerer SchUtzpanzerwagen ( 3.7cmPaK ) 〔中型装甲兵車ー 3.7cm 対戦車砲搭載〕 : 機械化歩兵装甲兵車小隊の小隊長用車両。 35 また は 36 式 3.7cm 対戦車砲を搭載する他 , MG34 または MG 42 1 挺 , PzB39 対戦車銃 1 挺も装備する。搭載弾薬 37

5. 戦車マガジン 1979年10月増刊号

気′ : 朝に朝 ーを、“、い気まー、れい 會円 42 年夏の南部ロシアにおける光景 砲撃の黒煙を彼方に見ながら , 戦闘体形 で待機する機甲歩兵部隊。遠方の車両は Sd. Kfz251/lC, 右は田 C 型。戸 aK36 の防 盾が背の低い 2 重式に改装されているの に注意。第図戦車師団の機甲歩兵と思わ れる。 ィッ / ー 小休止中の機甲歩兵たち , 牛乳用の缶 で水を運んで来て水筒に移しかえている ところ。後方は Sd Kfz2 引 / 田 C 型だか , 37mm 砲には防盾か付けられていない。お そらく戦闘による破損で , 取りはずして しまったのであろう

6. 戦車マガジン 1979年10月増刊号

1 ~ 太 弾薬運搬車専用の Sd. Kfz252 後ただちに発進 , 北方へ向って突進する。目標はカ ラチェフ , 以上 / 」 グラードルは , 無線で部下に指示すると , 集合地 点へ戦車を移動させた。グラードル車の信号灯を目 印にして部下戦車が三々五々集まって来る。やがて 発進 , 大隊長車を先頭に高地の斜面を下る。道路上 へ出ると 2 列縦隊になって進む。道路周辺には , あ ちこちにソ連軍陣地があるがほとんど抵抗して来な ドイツ戦車が近すくと , ソ連兵は武器を放り出 して逃げ出す。抵抗して来たのは対戦車砲を有する ごく少数のソ連兵のみ。 7.5cm 榴弾 1 発で粉砕。結局 , 対戦砲 3 門を葬る。 「まるで演習みたいですな。少佐殿」 同乗している大隊副官が , あまりにも一方的な戦 闘状況に感嘆していった。前進を続ける内 , やがて 道路の延長線上に家並が見えて来た。カラチェフの 町だ。同時に無線手より連絡が入る。 「少佐殿 , 師団より命令です / 」 グラードルは , 無線器のスイッチを遠距離用に切 り換えて腕時計を見た。午前 7 時 30 分 , 出発してか らすでに 3 時間以上経っている。 - ヘッドホーンがジ ・・と鳴って , 師団司令部より - の命令が入る。 「国道上の橋は閉鎖完了。貴隊はカラチェフへ向け て突進せよ。同地にて停止 , 再編後国道上を北西に 向って突進 , プリャンスクへ向われたし」 砲音を残して 7.5cm 榴弾が飛ぶ。坂になっているので , 反動のため戦車はズルズルと後退した 「近すぎる / あと 20 / ′」 2 発目は直撃弾。ソ連軍歩兵砲が兵士もろとも吹 き飛ぶ。 機甲歩兵を乗せた装甲兵車が , 機銃を射ちまくり ながら斜面を登って来た。半装軌式のこの車両は戦 車と同し様な機動力を持ち , 装輪車両ではとても走 れない様な不整地や斜面でも , 平気で走破する。そ れに薄いながらも装甲されているので , 小銃 , 機銃 弾等は軽くはね返す。 装甲兵車は戦車と並んで停車した。後部の扉がに いて完全武装した歩兵達が飛び出し , そのままソ連 軍の抵抗拠点めがけて突っ込んで行く。戦車も砲と 機銃で援護にあたる。白兵戦となって一分もしない 内に , 最初のソ連投降兵がたこつばから這い出して 来た。歩兵がすかさす銃を突き付けて武装解除 , 捕 虜の数はどんどん増える。 グラードルは , 高地上の敵の掃討を味方歩兵にま かせた。すでに勝負は着いている。敗残兵に構って いるひまはない。一刻も早く前進せねばならない。 カラチェフ占領 「戦車大隊は高地北側に集合せよ。機甲歩兵第 63 連 隊の第 2 大隊は高地の確保にあたれ。戦車隊は集合

7. 戦車マガジン 1979年10月増刊号

軽壮甲兵車 250 型 會 250 シリーーズの半装軌車は機械化歩兵部隊の偵察用として開発され ー ' " た装輪式の偵察装甲車に比べて速度は遅いカゾ不整地通過能力が 大きいのが特長であるを写真の車両は一番べシックなモデル 250 / 円 42 年夏の南部ロシアにおけ名 GD 機械化歩兵師団 , オートパイ兵 大隊の Sd K 稔 250 / に右の 28 号車は少隊長車い写真中央ッ兵士の陰に 、ちょわとえのは 250 3

8. 戦車マガジン 1979年10月増刊号

ドイツ戦車 , 機械化歩兵部隊の戦記 皛野 グラードル戦闘団の プリャンスクの奇襲 凍部戦新・行く = Kfz25 会合を終えて連隊本部へと戻りつつあった。第 17 戦 車師団は第 47 戦車軍団に属し , 名師団長フォン・ア ルニム中将の指揮の下に , 軍団の左翼を進軍しつつ あった。前日の 10 月 4 日 , 師団の先遺部隊がニエル ッサに橋頭堡を築くのに成功し , 師団の全部隊はそ こから前進中である。 キューノ大佐の乗った指揮装甲車は , やがて小さ な堀立小屋の前で止った。小屋の入口には , 連隊戦 闘指揮所を示す小さなプリキの旗が立ててある。中 では戦車大隊長を始め , 本部員達が大佐の帰りを待 っていた「諸君 / 」。 大佐の声に , 指揮内の将兵達が一斉に踵を合せて 敬礼する。 「さらに前進だ。本日午前中の軍団司令部における 会議で , グデーリアン大将閣下自らが決められた。 われわれは , 第 18 戦車師団と共に , 明早朝 , 明るく なると同時に進撃に移る。」 「北へ向うのですか ? 」 少佐の肩章を付けた戦車大隊長がたすねた。第 1 大隊長の , ハンス・グラードルである。 「北へ向うが , 北方への突進は第 18 戦車師団にまか せる。われわれの任務は次の通りだ。グラードル , 君は第 63 機甲歩兵連隊を編合した戦闘団を編成し , アクロヴァ北西部のソ軍対戦車壕を超越して突進 , こは , カラチェフ ~ プリャン 237 高地を占領する。 スク間の自動車道路を制する要地だ。同地の敵を駆 タイフーン作戦発動 1941 年 9 月 26 日 , 独 . 2 個戦車軍によるエキフ大包 囲戦は , キエフ市の陥落をもって終了する。包囲陣 内では , ソ連 7 個軍がほとんど全滅し , ソ軍南西戦 線総団令官プジェンヌイ元帥は航空機により脱出 , 総司令官代理のキルポノス大将は , 幕僚と共に戦死 する。ドイツ軍の捕虜となったソ連兵 66 万 5 千 , ろ 獲戦車 884 両 , ろ獲火砲 3 , 718 門。それまでの勝利と 合せれば , 普通の国の軍隊ならばとっくに全滅し , 国家は占領されてしまったであろう数字だが , ソ連 は途方もなく大きな国であった。この時点でも , ド イツ軍は , ョーロッパロシアの極く一部を手中にし たに過ぎす , ウラルの彼方には , 無尽蔵と思われる 人的資源と戦争用物資が眠っていたのである。 大勝利の連続に有頂天となったヒトラーは , 9 月 26 日 , タイフーン作戦の発動を指令する。ソ連軍の弱 体化に応して , 最終攻撃目標モスクワまで一気に突 進しようというのだ。 9 月 30 日 , グデーリアンの第 2 戦車集団は , 第 24 戦車軍団を先頭にグルーホフを 発進 , 一路北へ向う。第 24 戦車軍団の左翼には , レ メルゼン大将の第 47 戦車軍団が並進する。タイフー ン作戦の開始である。 1941 年 10 月 5 日も暮れかかる頃 , 第 39 戦車連隊長 クルト・キューノ大佐は , 第 17 戦車師団司令部での 9

9. 戦車マガジン 1979年10月増刊号

逐し次第 , 第 63 機甲歩兵連隊第 2 大隊に高地を確保 させ , 君達戦車部隊は , 突進を継続してほしい。そ れからの命令は , 追って進出する師団司令部が状況 に応して出すはすだ」 「対戦車壕の超越ですが , 工兵による渡過地点の工 事と確保が必要ですな」 グラードルが眉をかしげながらいった。彼は , の 10 月 1 日 , 少佐に進役したばかりである。濃いプ ルーの瞳と鋭いかぎ鼻が精悍な印象を与える 38 オの 古参戦車将校。 「通過路はすでに構築中だ。増強された工兵部隊か 2 個所を切り崩して地ならししている」 「大佐殿 , この事は進撃成功の鍵なのです。昨日よ りわれわれが停止しているのも , このいまいましい 対戦車壕のためなのです。幅 6 m , 深さ 5 m の壕は , われわれの戦車だけではどうにもなりません。下車 して渡過点を探したり , 通路の工事を初めたりすれ ば , 待っていた様にソ連狙撃兵が射って来るのです」 「グラードル , 大丈夫だ。心配はいらんよ . 通過路 は , 明朝迄に必す構築される。攻撃開始時間は 0415 時だぞ / 」 グラードル戦闘団出動す 翌 10 月 6 日早朝 , ハンス・グラードルは大隊長車 の砲塔に立って夜の明けるのを待っていた。彼の指 揮専用戦車は , 被弾と消耗のため , とうの昔にスク ラップになり , 今は , 4 号戦車に無線器を増設して 指揮戦車としている。大隊長車の後方には , 部下戦 車が進撃命令を今や遅しと待ちながら並んでいる。 第 1 大隊の戦力も , 続く戦闘ですっかり消耗し , 大 隊とは名ばかり。実質的には 1 個中隊にも満たない。 第 1 大隊の後方には , 戦力増強のため , 臨時に配属 された第 100 戦車大隊の火焔放射戦車若干と , 第 63 機 甲歩兵の装甲兵車数両が並んでいる。 グラードルは双眼鏡を取り出すと , 薄暗がりの中 には、んやりと浮び上った 237 高地の輪郭に焦点を合せ た。プリャンスクへの街道を扼するこの高地は , 独 ソ両軍にとって大事な拠点であった。暗くてほとん ど何も見えないが , 高地上にソ連軍が布陣している のは間違いない。さらに西の方へ進んだどこかには , ソ連軍の総司令部があって , 総司令官イエレメンコ 将軍が , 彼等の後方へ廻り込んだ独軍戦車部隊への 対応措置に頭を悩ましている事であろう。 こプリ ャンスク戦線より 200km も東にあるオリョールは , 3 日前 , 第 24 戦車軍団のエーベルバッハ戦闘団による 奇襲で , あっという間に占領されてしまったのであ やがて夜光時計の針が午前 4 時 15 分を示す。グラ ードルは戦車のキューボラから上半身を乗り出すと , 後方を振り返って丸めた拳を大きく 3 度振った。 進開始である。工ンジン音が轟々と響き渡り , 2 列 に並んだ戦車はキャタピラを軋ませながらガタガタ と動き出した。グラードル車は先頭を行く。前方で 蔽光した壊中電灯の光。工兵の合図だ。日の出が近 すきあたりはうっすらと白んで来た。やがて地面に 引かれた石灰の白い線が目に入る。工兵による通過 地点の案内標示だ。白線に沿ってまっすぐ前進。 「対戦車壕通過後 , ただちに高地へと突撃する / 」 グラードルは無線封止を解き , 送話器に向ってい った。 大隊長車を先頭に , 戦車は次々と壕を渡った。工 兵の工事は流石に完壁で , 対戦車壕の両壁を崩した 通路は , 多数の戦車の通過にもびくともしない。壕 の向う側では , 先に渡って警戒位置に着いていた機 甲歩兵達が , 戦車隊に後続して来た Sd. Kfz251 装甲 兵車へ次々と飛び乗る。 グラードル戦闘団は 2 列縦隊のまままっすぐ高地 へと向う。地面には背の低い藪が点在するが , とて も遮蔽物にはならない。高地のソ連兵はすでにドイ ツ軍戦車に気が付いているはすである。と , 高地上で何 かがパッパッと光った。グラードルは反射的にキュ ーボラに身を沈め , ハッチを閉しる。ちょっと間を 置いて小銃弾がカンカンと砲塔外板を叩いた 「ハッチ閉めェー / 戦闘用意 / 「装瞋完了 , 照準良し / 」 グラードルが部下戦車に命令を下すと同時に , 大 隊長車の砲手が報告して来る。後続する戦車も , タンパタンと一斉にハッチを閉し , 砲塔を旋回させ て敵を探す。鋼鉄の巨人達は , 下生えを押し潰しな がら高地を登り初めた。グラードル車は , すでに斜 面の中程にいる。日が登って来て高地の一帯が朝焼 に赤く染まる。 「散開せよ / イワン共を隠れ場所からいぶり出せ グラードルは命令しなから , キューボラの装甲シ ャッターを僅かに開いて周囲をうかがう。と , キュ ーボラ右側にカンカンカンと連続した命中音。機銃 弾だ。すかさす砲塔を右へ回す。 100m 程先の岩の陰 に青白い機銃の発射火光が見えた。赤い曳光弾が , 光の尾を引きながらまっすぐに戦車砲塔目指して飛 んで来る。大隊の戦車がはとんど全部高地上に有る のを確かめてから , グラードルはソ軍機銃陣地へ戦 車を向けた。ソ連兵も勇敢で , グラードル車が真近 に迫っても機銃射撃を止めない。数秒後 , 戦車は岩 影のマキシム機銃にのしかかった。機銃はあっとい う間にペシャンコになり , 破けたウォータージャケ ットから冷却水が白い湯気を立てる。ソ連兵はくも の子を散らす様に逃げ去って行く。と , 戦車の脇で 砲弾が炸裂した。グラードルは素早く目標を探す。 400m / 11 時 , 射てっ / 」 グラードルの指示に砲手は素早く反応 , 目標を視 認すると間髪を入れすに引金を引いた。カン高い発

10. 戦車マガジン 1979年10月増刊号

會車室上に 3.75 対戦車砲 PAK36 を搭載した機甲歩兵の小隊長用車両 Sd Kfz251/100 写真は A 型をベスとした車両でに独軍マニュアル よりの転載。 PAK36 は車輪部分を取りはずした以外 , オリジナルの 砲と全く同じである。 日型べスの 25 レ IO 型だ小 , 砲取付け部の構造が標準型と若千異な っている訂実戦部隊で改造した車両かも知れないは 942 年夏にアフ 、 . ーリカ戦線で英軍にろ獲されたものでに操縦手側部の装甲板数発 ー。の 37 ⅡⅧ級砲弾によ貫通されている