砲兵 - みる会図書館


検索対象: 戦車マガジン 1979年10月増刊号
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1. 戦車マガジン 1979年10月増刊号

( 朝 Sd. Kfz25 し 4Mittlerer Schallauswertepanzer wagen 〔中型装甲音響測距車〕 : 13 型と同様に , 音響 による測距装置を搭載した砲兵用車両。 1943 年に製 造中止。 18 Sd. Kfz25 ー / ー 5Mittlerer Lichtauswertepanzer wagen 〔中型装甲内光測距車〕 : これも 13 , 14 型と同 様目的で開発された砲兵用車両。砲の発射火光 , 炸 裂光などから , 敵砲兵の所在 , 位置などを探知しよ うというもの。 1943 年に製造中止。 19 Sd. Kfz25 1/16Mittlerer Flammpanzerwagen 〔中型火焔放射装甲車〕 : 1943 年 1 月より部隊配備さ れた機甲工兵用車両。 14mm 径の火焔放射器 2 基と機 銃 2 挺が武装である。放射用燃料は , 車室内に増設 されたタンク 3 個に , 合計 700 が搭載される。放射 器の射程は , 無風状態で約 35m 2 秒間づつ 80 回の 連続放射が可能であった。初期型の車両では 14mm 放 射器の他 , 携帯式の 7mm 口径 42 式放射器 1 器も搭載 は , 砲弾 168 発 , 機銃弾 1100 発 , 対戦車銃弾 40 発で , 乗員は 5 名。 3.7cm 砲の装着方法と防盾形状には , 数 種のバリエーションがある 14 Sd. Kfz25 ー / 凵 Mittlerer Fernsprechpanzerwa gen 〔中型装甲電話車〕 : 電話器およひ架線設備を備 えた通信用車両。野戦電話用のケープル敷設器は , 6 型と 10 型の 2 種があり , 車両も 2 種類が造られた 1942 年 8 月より実戦部隊に配備されている。 15 Sd. Kfz25 ー / ー 2Mittlerer Messtrupp und Ger ätpanzerwagen 〔中型装甲測距資材車〕 : 砲兵用の測 距装置を装備する観測車の一種。乗員 6 名で ,FuG8 無線器も搭載 , フレーム式アンテナをもつ。 1943 年 に製造中止。 0 ⑥ Sd. Kfz25 ー / ー 3Mittlerer SchaII aufnahmepanz erwagen 〔中型装甲聴音車〕 : 大型の集音器により敵 砲兵の所在 , 兵力等を探知する目的で造られた砲兵 用の車両。 1943 年に製造中止。 0 0

2. 戦車マガジン 1979年10月増刊号

ドイツの半装軌装甲兵員輸送車 を突破出来る装甲兵員輸送車が要求されていた この装甲兵員輸送車は , 小火器弾および砲弾の破 片等に対する軽装甲 , 戦車と同程度の不整地通過能 力を持ち , 1 個分隊程度の兵員が乗車出来るという 仕様のものだったが , 無論当時のドイツにはそのよ うな車両は皆無で , 機械化歩兵たちの輸送手段は , トラックに頼る以外なかった。 装甲兵員輸送車 ( 以下装甲兵車と略す ) の早急な開 発と生産化に迫られたドイツ兵器局は , 窮余の一策 として , 当時砲兵用の牽引車として生産化されてい たハーフトラックを , 装甲兵車のべースとして使用 する事を思いつく。 この砲兵用のハーフトラックといつのは , 第一次 2 om 戦車砲に改修された Sd. Kfz250 / 9 ( 1 ) 前説 石川正俊 1935 年 3 月 , 新生ナチスドイツはヴェルサイユ条 約を一方的に破棄して , 再軍備への道を歩き始めた。 同年 10 月 , ルツッ , グデーリアンなど , 軍機械化推 進論者たちの努力により , 国防軍内に 3 個の戦車師 団が誕生した。当時 , 戦車師団の装備する戦車は微 ~ 力な 1 号戦車のみであったが , すでに , 新しい 2 号 , 3 号 , 4 号の各型式の戦車が開発の途上にあって , やがては , それら新型戦車が師団戦車部隊の中核と なる予定であった。一方 , 同じ戦車師団内の機械化 歩兵の装備については , 戦車部隊に随伴して , 敵中 ンき 第 1 簡訂 5

3. 戦車マガジン 1979年10月増刊号

機式 MG34 または 42 2 挺および MG34 または 42 1 挺。 乗員 11 名。機械化歩兵の重機関銃分隊用車両。 ③ ) Sd. Kfz 25 ー / ー Mittlerer Schützenpanzerwagen (Wurfrahmen40) 〔中型装甲兵車ー 40 式ロケット弾発 射器付〕 : ぞくに「歩兵のスツーカ」とよばれた車 両。機銃 2 挺の武装の他 , 車体両側に 28cm ロケッ ト弾 5 発 , 32cm ロケット弾 1 発用の枠型発射器を装 着している。ロケット弾の照準は , 高低が発射器で 方向は車体を回して行なう。射程約 2km 。 1941 年の 対ソ戦より使用。発射器 6 基。乗員 7 名。 ④ Sd. Kfz 25 ー / ー Mittlerer SchUtzenpanzerwagen ()R ) 〔中型装甲兵車ー赤外線探照灯付〕 : 大戦末期に実 用化された赤外線照射器を搭載した車両。同し装置 を付けたパンター戦車部隊に随伴する機甲擲弾兵が 使用した。「ファルケ」の呼名をもつ。武装 , 乗員は 標準型に同し。 ( ① Sd. Kfz 25 ー / 2 Mittlerer Schützenpanzerwagen (Granatwerfer) 〔中型装甲兵車ー迫撃砲搭載〕 : 機械 化歩兵の重装備中隊車両。 8cm 口径の 34 式迫撃砲を 車内に搭載する。砲は取外して車外で使用する事も 出来る。砲弾 66 発搭載。副武装は MG34 または 42 1 挺。乗員 8 名。車重 8.64 屯。 ⑩ ) Sd. Kfz25 1/3Mittlerer Funkpanzerwagen( 中型 装甲無線車 ) : 戦車 , 機械化部隊の指揮 , 通信用車両。 搭載する無線器や , 生製時期の違いにより , つぎの 8 つの型がある。 FuG8, FuG5, FuG4 を搭載 : 戦 車部隊と砲兵 , 師団司令部の連絡用。 1942 年型まで モニター FuG7, FuGl : 地上部隊と空軍の連絡および通信用 42 年型までは FuG8 用のフレームアンテナつき。 FuG8, FuG5 : 師団師令部と戦車部隊の連絡用。 48 年型までは , FuG8 用のフレームアンテナっき。 FuG8, FuG4 : 師団司令部と砲兵部隊の連絡用。 は FuG8 用のフレームアンテナっき。 19 19 線器を搭載した工兵部隊の指揮官用車両。武装 MG34 ( Pi ) 〔中型装甲兵車ーエ兵用〕 : FuG8 および FuG4 無 ⑩ ) Sd. Kfz25 ー /5Mittlerer Schotzenpazerwagen 中止。 挺 , 銃弾 1100 発。 1942 年 , 251 / 9 型の出現により製造 両。 7.5cm 砲弾は 120 発を搭載。固有武装は MG34 1 (IG) : 18 式 7.5mm 軽歩兵砲の牽引および弾薬運搬用車 @) Sd. Kfz25 ー /4Mittlerer Sch0tzenpanzerwagen 弾薬 2010 発。 各型とも , 乗員 7 名 , 武装は MG34 または 42 2 挺。 FuG Tr 15Kzw : 指揮用 FuG Tr 30mm : 指揮用 FuG Tr 80mm : 指揮用 FuG Tr 100mm : 指揮用。 長の巻取式アンテナに変更される。 車両。フレームアンテナっきだが , 後期型では 9m FuG12, FuG11, Kdo FuG : 師団 , 軍団の指揮官用 2 挺 , 銃弾 4800 発。 1943 年に製造中止。同し呼称で FuG8 および FuG5 を搭載した機甲工兵指揮連絡用車 両もある。 ( ⑨ Sd. Kfz25 ー /6Mittlerer Kommandopanzerwagen ( 中型装甲指揮車 ) : FuG11 および FuGTr100mm 無線器 を搭載した指揮官専用車両。 1943 年に製造中止後。 期型では FuG19 および FuG12 無線器を搭載 , ほは、オ ールラウンドの通信能力があった。武装は MG34 1 挺 , 銃弾 1100 発。乗員 8 名。重量 8.5 屯。 ( ⑩ Sd. Kfz25 ー /7Mittlerer Pionierpanzerwagen 〔中型工兵用装甲車〕 : 機甲工兵の専用車両で , 車体 両側に木製のラックを装着し , その中に工作器機 , またその上部に小型の戦車橋を搭載する。武装は M G34 または 42 2 挺 , 銃弾 4800 発の他 , 対戦車銃 PzB 39 1 挺を常備 , 他に地雷なども搭載する。乗員 7 ~ 8 名 , 重量 8.07 屯。なお一部の車両は FuG5 無線器を 搭載して指揮用に使われている。 ⑩ Sd. Kfz25 ー /8Mittlerer Krankenpanzerwagen 〔中型装甲病院車〕 : 機甲部隊の衛生隊用車両。車内 に担架 2 挺を傷病兵ごと収容する他 , 負傷者 4 名の 座るシートを持つ。一部の車両は車体側部に大型の 水タンクを , また本部付車両は FuG5 無線器を装備し ている。後期型では担架の出入を容易にするため後 部扉が改造されている。乗員 3 名 , 武装はなし。 ⑩ Sd. Kfz25 ー /9Mittlerer Schotzenpanzerwagen ( 7.5cm ) 〔中型装甲兵車ー 7.5cm 砲搭載〕 : 兵士たちか らは「シュッンメル」のニックネームで呼ばれた支 援用車両。旧型 4 号戦車の 24 口径 7.5cm 戦車砲を , 砲 架を改造して搭載している。 1942 年 3 月 31 日ビュー シイング社は , 4 号戦車の火力増強にともなって , 不用となった短砲身 7. 5cm 砲を , Sd. Kfz251 に搭載せ よとの命を受け新型 251 の設計を開始 , 同年 6 月には , 早くも 2 両の試作車が完成する。 2 両はただちに東 部戦線へ送られて , 実戦でのテストを受ける。実戦 部隊での好評から , 同月中に生産化が決定し 150 両 の生産命令が出された。 1943 ~ 44 年型の機甲擲弾兵連隊では , 一個大隊に つき 6 両 1 個中隊の本車が , 配備される事になって いる。 7. 5cm 砲は , 改修されて K51 の名称を与えられ ているが , 実質的には KwK37 と同一である。ただし HEAT 弾が開発された事により , 対戦車戦闘能力は , かなり強力であった。 1944 年には砲の搭載方法が変 更され , 車内容積を増加した後期型が出現する。乗 員 3 名 , 重量 8.53 屯。武装は , 7.5cm 砲の他 , MG34 または MG42 2 挺。搭載弾薬は , 砲弾 52 発 , 銃弾 20 10 発。 ⑩ Sd. Kfz25 レー OMittIerer SchUtzpanzerwagen ( 3.7cmPaK ) 〔中型装甲兵車ー 3.7cm 対戦車砲搭載〕 : 機械化歩兵装甲兵車小隊の小隊長用車両。 35 また は 36 式 3.7cm 対戦車砲を搭載する他 , MG34 または MG 42 1 挺 , PzB39 対戦車銃 1 挺も装備する。搭載弾薬 37

4. 戦車マガジン 1979年10月増刊号

逐し次第 , 第 63 機甲歩兵連隊第 2 大隊に高地を確保 させ , 君達戦車部隊は , 突進を継続してほしい。そ れからの命令は , 追って進出する師団司令部が状況 に応して出すはすだ」 「対戦車壕の超越ですが , 工兵による渡過地点の工 事と確保が必要ですな」 グラードルが眉をかしげながらいった。彼は , の 10 月 1 日 , 少佐に進役したばかりである。濃いプ ルーの瞳と鋭いかぎ鼻が精悍な印象を与える 38 オの 古参戦車将校。 「通過路はすでに構築中だ。増強された工兵部隊か 2 個所を切り崩して地ならししている」 「大佐殿 , この事は進撃成功の鍵なのです。昨日よ りわれわれが停止しているのも , このいまいましい 対戦車壕のためなのです。幅 6 m , 深さ 5 m の壕は , われわれの戦車だけではどうにもなりません。下車 して渡過点を探したり , 通路の工事を初めたりすれ ば , 待っていた様にソ連狙撃兵が射って来るのです」 「グラードル , 大丈夫だ。心配はいらんよ . 通過路 は , 明朝迄に必す構築される。攻撃開始時間は 0415 時だぞ / 」 グラードル戦闘団出動す 翌 10 月 6 日早朝 , ハンス・グラードルは大隊長車 の砲塔に立って夜の明けるのを待っていた。彼の指 揮専用戦車は , 被弾と消耗のため , とうの昔にスク ラップになり , 今は , 4 号戦車に無線器を増設して 指揮戦車としている。大隊長車の後方には , 部下戦 車が進撃命令を今や遅しと待ちながら並んでいる。 第 1 大隊の戦力も , 続く戦闘ですっかり消耗し , 大 隊とは名ばかり。実質的には 1 個中隊にも満たない。 第 1 大隊の後方には , 戦力増強のため , 臨時に配属 された第 100 戦車大隊の火焔放射戦車若干と , 第 63 機 甲歩兵の装甲兵車数両が並んでいる。 グラードルは双眼鏡を取り出すと , 薄暗がりの中 には、んやりと浮び上った 237 高地の輪郭に焦点を合せ た。プリャンスクへの街道を扼するこの高地は , 独 ソ両軍にとって大事な拠点であった。暗くてほとん ど何も見えないが , 高地上にソ連軍が布陣している のは間違いない。さらに西の方へ進んだどこかには , ソ連軍の総司令部があって , 総司令官イエレメンコ 将軍が , 彼等の後方へ廻り込んだ独軍戦車部隊への 対応措置に頭を悩ましている事であろう。 こプリ ャンスク戦線より 200km も東にあるオリョールは , 3 日前 , 第 24 戦車軍団のエーベルバッハ戦闘団による 奇襲で , あっという間に占領されてしまったのであ やがて夜光時計の針が午前 4 時 15 分を示す。グラ ードルは戦車のキューボラから上半身を乗り出すと , 後方を振り返って丸めた拳を大きく 3 度振った。 進開始である。工ンジン音が轟々と響き渡り , 2 列 に並んだ戦車はキャタピラを軋ませながらガタガタ と動き出した。グラードル車は先頭を行く。前方で 蔽光した壊中電灯の光。工兵の合図だ。日の出が近 すきあたりはうっすらと白んで来た。やがて地面に 引かれた石灰の白い線が目に入る。工兵による通過 地点の案内標示だ。白線に沿ってまっすぐ前進。 「対戦車壕通過後 , ただちに高地へと突撃する / 」 グラードルは無線封止を解き , 送話器に向ってい った。 大隊長車を先頭に , 戦車は次々と壕を渡った。工 兵の工事は流石に完壁で , 対戦車壕の両壁を崩した 通路は , 多数の戦車の通過にもびくともしない。壕 の向う側では , 先に渡って警戒位置に着いていた機 甲歩兵達が , 戦車隊に後続して来た Sd. Kfz251 装甲 兵車へ次々と飛び乗る。 グラードル戦闘団は 2 列縦隊のまままっすぐ高地 へと向う。地面には背の低い藪が点在するが , とて も遮蔽物にはならない。高地のソ連兵はすでにドイ ツ軍戦車に気が付いているはすである。と , 高地上で何 かがパッパッと光った。グラードルは反射的にキュ ーボラに身を沈め , ハッチを閉しる。ちょっと間を 置いて小銃弾がカンカンと砲塔外板を叩いた 「ハッチ閉めェー / 戦闘用意 / 「装瞋完了 , 照準良し / 」 グラードルが部下戦車に命令を下すと同時に , 大 隊長車の砲手が報告して来る。後続する戦車も , タンパタンと一斉にハッチを閉し , 砲塔を旋回させ て敵を探す。鋼鉄の巨人達は , 下生えを押し潰しな がら高地を登り初めた。グラードル車は , すでに斜 面の中程にいる。日が登って来て高地の一帯が朝焼 に赤く染まる。 「散開せよ / イワン共を隠れ場所からいぶり出せ グラードルは命令しなから , キューボラの装甲シ ャッターを僅かに開いて周囲をうかがう。と , キュ ーボラ右側にカンカンカンと連続した命中音。機銃 弾だ。すかさす砲塔を右へ回す。 100m 程先の岩の陰 に青白い機銃の発射火光が見えた。赤い曳光弾が , 光の尾を引きながらまっすぐに戦車砲塔目指して飛 んで来る。大隊の戦車がはとんど全部高地上に有る のを確かめてから , グラードルはソ軍機銃陣地へ戦 車を向けた。ソ連兵も勇敢で , グラードル車が真近 に迫っても機銃射撃を止めない。数秒後 , 戦車は岩 影のマキシム機銃にのしかかった。機銃はあっとい う間にペシャンコになり , 破けたウォータージャケ ットから冷却水が白い湯気を立てる。ソ連兵はくも の子を散らす様に逃げ去って行く。と , 戦車の脇で 砲弾が炸裂した。グラードルは素早く目標を探す。 400m / 11 時 , 射てっ / 」 グラードルの指示に砲手は素早く反応 , 目標を視 認すると間髪を入れすに引金を引いた。カン高い発

5. 戦車マガジン 1979年10月増刊号

のばす。 「師団へ無線連絡 : デスナ河橋梁を奪取。プリャン スク西側地区に橋頭堡を確保せり。師団よりの援軍 を乞う」 グラードルよりの無電をキャッチした師団司令部 は , 予想外の成果に驚きながらもただちに増援部隊 リュープサム大佐の率いる第 63 機 に発進を命じた。 甲歩兵連隊の 2 個機械化歩兵中隊が , 全連でプリヤ ンスクへと向う。 17 時 , グラードル達と同しく森の 中を突破して来たリュープサム大佐の部隊が , グラ ードル戦闘団の位置まで進出して来た 「よくやった , グラードル。たいした戦果だ / 」 大佐は賞賛を惜しまなかった。 「デナス河の橋には , これと並行する仮橋が一本あ ります。すぐに出発して , 爆破される以前に し、つ も手に入れたいのです。大佐殿 / 」 リュープサム大佐は , 麾下の機械化歩兵に橋頭堡 の確保を命すると共に , 部下の一部をグラードル戦 闘団に編入させる。増強を得た戦闘団は U ターンす ると , ふたたび橋へと向った。橋の左岸 , 右手約 800 m に新手のソ連軍高射砲 2 門が現われて射撃して来 たが , 榴弾の一斉射撃で叩き潰す。 18 時を少し過ぎた頃 , 北の方でものすごい爆発か 起った。タ焼の空に太い黒煙がもくもくと立ち登る。 西方の退路を遮断されたと知ったソ連軍が , 集積し てあった燃料 , 弾薬その他の補給物資を爆破したの である。プリャンスク陥落の序曲であった 10 月 7 日朝 , プリャンスクからの脱出を計るソ連 軍がデズナ河の左岸に現われた。例の仮橋を狙って いるのだ。橋の警戒にあたっていたドイツ歩兵との 間でたちまち銃撃戦か始まる。ソ連兵の数は圧倒的 で , ドイツ側は除々に圧迫される。知らせを聞いた グラードル戦闘団が駆け着けた。戦車砲 , 機銃を射 ちまくりながらソ連軍の中へ踊り込む。たちまちの ドイツ戦車を見たソ 内にソ連軍は総崩れとなった 連兵は , 武器を放り出して逃げ去る。どうやら , ソ 連兵はドイツ戦車恐怖症にかかったらしい。 第 63 機甲歩兵連隊第 2 大隊を編合した第 40 機甲歩 兵連隊第 1 大隊が装甲兵車に乗って駆け着け , 残敵 を掃討。そのままデスナ河左岸にいすわって警戒に あたる。やがてソ連軍は , 橋に対して野砲による砲 撃を開始した。橋を奪取出来ないと知って , 今度は これの破壊を企んだのだ。砲撃は除々に激しさを増 し , 照準も正確になって来た。ソ連砲兵は , どうや ら集積した弾薬を全部使っても橋を壊す積りらしい。 グラードル戦闘団はこの敵を粉砕すべく , 午前 10 時 15 分 , 市街西方地区へ向けて発進した。ソ連軍陣地 で頑強に抵抗してきた高射砲 , 対戦車砲各 1 門を撃 破すると , 後は簡単であった。ソ連軍野砲とソ連歩 兵はドイツ戦車が現われると , ほとんど抵抗せすに 降伏した。これで , プリャンスクとデスナ河の橋は 確実にドイツ軍の手中に帰したのである。 プリャンスク占領 独ソ戦開始以来 , 奇襲 , 強襲による勝利は多々あ ったが , グラードル戦闘団のプリャンスク急襲の様 ドイツ軍の巧 な成功例はちょっと他に例を見ない。 妙な用兵と , それにも増して希有の幸運か勝利の原 因であった。戦闘終了後 , グラードル戦闘団のあげ た戦果が明らかになる。ろ獲した兵器だけでも , 戦 車 17 両 ( 44 屯の KV 戦車 4 両と T34 戦車も含む ) , 4 門 の 15.2cm 重野砲を含む砲 14 門 , 対戦車砲 8 門 , トラ ック 100 両 , 航空機 1 機 , 野砲牽引用トラクター 10 台 捕虜の数は 1 , 000 名以上におよんだ。プリャンスク ~ グデーリアン第 2 戦車集団の翼側にあって , イエレ メンコ将軍が難攻不落の要塞に仕立て上げたこの町 は , たった 1 個のちつは。けな戦闘団によって , あえ なくも陥落してしまったのである。 GPU ( 国家秘密 警察 ) による徹底的抵抗戦の指示も , 対戦車用の 10 万本のモロトフカクテル ( 火焔びん ) も , 全く役に ドイツ軍が市の後方から入り込み , 立たなかった デスナ河の橋を奪った事により , ソ連軍の防禦計画 東方より迂回して来た第 13 軍団と合流する。 将軍の第 18 戦車師団は , スヒニチ南西地区において た 10 月 6 日 , 同師団右翼を北進していたネーリング 第 17 戦車師団がプリャンスクの攻撃にかか ど労せすして手中に納めたのであった。 モスクワ前面で , 最も重要な鉄道集結地を , は全て水泡に帰したのである。ドイツ軍はかくして , ソ連 3 はとん が始まっている事など , 彼等は知る由もなかったの でのパレードを夢見ていた。すでに第三帝国の終末 を衡いて 1 歩 1 歩前進するドイツ兵達は , モスクワ ボルシェビキ共の息の根を止められるぞ / 泥の海 であった。モスクワまであと 200km 1 カ月もすれば , からの戦いで疲れ切ってはいたが , 士気だけは旺盛 すべて泥沼と化して , 車両は立往生 , 兵士達も , 夏 る。すでに各戦線では雪が降り , 道路という道路は であった。第 2 段階は , いよいよモスクワ攻略であ 勝利の内に終り , タイフーン作戦第 1 段階は大成功 リャンスクの 2 重包囲戦は , かくしてドイツ軍の大 火砲 5 , 500 門をろ獲または破壊した。ヴィャズマ , プ ドイツ軍はソ連兵 66 万人を捕虜とし , 戦車 1 , 200 台 間続いた 10 月 17 日 , ソ連軍の組織的抵抗は終る。 と突破脱出を計るソ連軍との間での激戦は , 約 10 日 とヴィャズマの 2 個所において , 包囲したドイツ軍 ソ連西戦線の 6 個軍を包囲していた。プリャンスク ルツエウォ , ヴィャズマを結ぶ広大な三角地帯に 師団が , ヴィャズマにおいて握手 , イエリニヤ , ヤ 第 16 戦車軍団第 7 戦車師団と第 46 戦車軍団第 10 戦車 ニエプル ~ モスクワ街道の戦線では , 10 月 7 日 , 独 個軍が包囲されたのである。一方 , さらに北側のド である。 ( おわり )

6. 戦車マガジン 1979年10月増刊号

グラードルは了解のサインを送ると , 無線器を大 隊系に切り換えて命令を下す。 「再編成を行なう。編成完了後 , 国道上をプリャン スクへ向けて突進する。べーグマン少尉 , 貴官は先 発して道路前方の状況を偵察せよ」 偵察小隊のべーグマン少尉は , 麾下の装甲偵察車 2 両を率き連れてただちに発進した。 2 両の 4 輪装 甲車は , フルスピードであっという間に視界から消 える。グラードルは戦闘団の再編成にかかったか , 部下達は全員べテランの戦車兵である。てきばきと した指示と行動で , 数分の内に編成完了。全員乗車 して進撃命令を待っ内 , いくばくもなくべーグマン 偵察小隊より無線連絡か入る。 「プリャンスクへ向う国道上に敵影なし」 グラードルの命令一呵 , 戦闘団はただちに発進 , 西方へ向けて旋回すると , 道路上をフルスピードで 突進する。 「連絡 , 歩兵が後続して来ません。少佐殿 / 」 グルシャイまで来た時 , 最後尾の戦車が連絡して 来た 「道路左側の森へ入って停止せよ。ケルバー少尉車 はただちに反転 , 歩兵部隊を見つけ次第大至急追及 させよ。なお , 少尉は連絡将校として歩兵部隊に随 プリャンスクを奪取せよ 伴せよ。以上 / 」 「やってみよう / 歩兵が到着したらただちに発進 へ突っ込むのだ」 後 , デスナ河に架かる橋を急襲により奪取し , 目標 だ。敵の不意を衡いて森の道路を突破する。しかる っているのだが , この際ふたつにひとっしかないの その森の中にもかなり兵力のソ連兵がいる事がわか 突破する以外にあるまい。グラードル。いや , 実は 「それでは , プリャンスク , サレウォ間の森の中を 撃すればすぐに見つかって反撃されるだろう」 軍用車両が続々と到着しているという。道路上を進 同道路周辺にはすでにソ連軍陣地多数があり , 兵員 , 出来ない。偵察班のべーグマン少尉からの報告では , 「カラチェフ , プリャンスク間の大自動車道は利用 司令部のフォン・ポーニン少佐である。 ものではない。西方 , 背後より奇襲するのだ」 れているが , これに前面から当ってはとても抜ける 奪取するのだ。市東部には強固な縦深陣地か確認さ 「グラードル , 今朝の内にプリャンスクを急襲して 部の参謀将校が乗った装甲車が到着した ラードルが発信してからきっかり 30 分後 , 師団司令 戦闘団への命令は師団長副官より出されている。グ アルニム中尉がストロピチェで負傷後送されたため , うまく通信出来ないのだ。 9 月末 , 師団長フォン・ 離で , しかも雑音 , 振動の多い走行中ではなかなか いかに強力な大型無線器でも , 遠距 連絡を取った グラードルは , 停車時間を利用して師団司令部と する。戦車 , 機甲歩兵 , 高射砲と三味一体となって , プリャンスクへ突入する」 「よろしい , グラードル / 幸運を祈る」 フォン・ボーニン少佐の乗った装甲車が去るのと 入れちがいに , 機甲歩兵の装甲兵車 4 両が追及して 来た。これでグラードル戦闘団の兵力は , 3 , 4 号 戦車 6 両 , 2 号戦車 7 両 ( 火焔放射戦車若十を含む ) , Sd. Kfz251 装甲兵車 4 両 ( 機甲歩兵 1 個小隊弱 ) , 88mm 高射砲 2 門となった。ちつは。けな戦闘団だが , 今までもこれでやって来たのだ。全戦力を集結して かかれば , いかなる敵といえども打ち破る自信はあ った すでに部下達は、各自の戦車 , 装甲兵車に分乗し て , 前進命令を今や遅しと待っている。グラードル は指揮戦車の砲塔から , 部下全員に聞える様大声で 「聞け / これからプリャンスクへ向って突進する。 全員一体となって、目標の達成に尽力せよ / 」 対ソ戦開始以来 , 常に師団の尖兵としてともに戦 って来た部下達である。今さら , くどくどとした説 明などいる訳がない。グラードルは , 怒鳴り終ると 操縦手に発進を命した。 砂混りの泥の道を , 戦車隊は西を目指してまっし ぐらに突進する。やがて森の中へ入った。サレウォ ~ セイミスチェスチャ間の , ちょうど森の中央部分 と思われるあたりで宿営中のソ連騎兵部隊を急襲 , 不意を衡かれた敵はあっという間に跌散らされ , 逃 げ遅れた兵は捕虜となる。連れて行く事は出来ない ので , 武装解除して残置。部隊はさらに森の奥へと 進む。先頭は無論グラードルの 4 号戦車。と , 道路 左側に停車中の車両が見えて来た。進む程にその数 は増して来る。ソ連軍車両の縦隊か ? 近すくドイツ 戦車を見て , ソ連兵達が呆然と立ちすくみ , あわて て逃げ出す。前方の林間の空地に , 無線アンテナか 林立している。ソ連軍の大通信部隊である事は疑う 余地もない。 敵司令部を壊減 「全車集中射撃 / 」 グラードルが命する迄もなく , 各戦車よりの榴弾 がソ連軍の中で炸裂する。ドイツ側は少兵力なので 停止しない。行進射撃で次々と目標を撃破して行く。 ソ連軍通信基地のアンテナが吹き飛び , 路傍のトラ ックは , 次々に炎上する。勇敢にも機銃や爆薬で , 肉迫攻撃して来るソ連兵は , 装甲兵車のドイツ歩兵 が受けて立つ。たった 3 分の内に , ソ連軍通信部隊 は壊滅状態となった。敵基地を通り過ぎてホットー 息。一寸停車して部隊の状況を見る。 グラードルの所へ , 歩兵か先刻の基地で拾った紙 片を持って来た。これで見ると , どうやらグラード ル達が襲ったのはソ連軍軍司令官直属の司令部付通 信隊らしかー。た。後に判た事だが , グラードル戦

7. 戦車マガジン 1979年10月増刊号

イを 一 tSd K 250. / にの内部。装着されだカニ眼鏡からもわかるよ、うに 250 / 5 型などと同じ砲兵の観測用車両よただし , = = 。に型では測距能力 に重点がおかれている中央のバンドル状のものは測距儀マウンい ィ - のロック装置。、無線機は F リ 8 ーにを搭載可。、、 ・ 250 系列の数種の弾薬運搬車中では最初に造られた型。突撃砲 ( プ . 。 5 。 短 ) 専用の弾薬運搬車で , 車体上部も密閉されている。標準型 250 よ勺を …。、も装甲を強化したため重量増加対策として : 車体後部はそぎ落と , たような形状にならているま牽引しているのも弾薬車であるよを

8. 戦車マガジン 1979年10月増刊号

第のを令な : 、 - をンすツ暑物ツ第 •Sd K 貶 253 。。これやは突撃疱兵用に開発された車両。 = 、標準 。 = = = 、 250 よサも装甲は強化され , 車体上面も装甲されているの突撃砲と行 動を共にする観測 , 指揮用車両たが : : = 後には機甲砲兵部隊でも使用 されたよ総生産数は 285 両。 ・装甲ボデネの設計変更によりい生産性の向上資材の節約防御 力の強化を計った新車体 s Kfz250 。円 43 年末より終戦までの間に約 ー = マ , 400 両以上が造られた言前期型 250 に比べて約 400kg ほ軽くなづ いるが性能諸元は、、である 23

9. 戦車マガジン 1979年10月増刊号

250 / 3 型は車内に大型無線機 を搭載する無線機の相違により I ~ Ⅳまでの 4 つの型があるが 写真は出力 80W の Fu に無線機を 積んだ 3 の I 型。右側壁内側は K 98 小銃、信号弾入 , 信号拳銃 250 / 3 型をベースに砲兵用 の観測器機を装備した軽装甲 観測車 250 / 2 型。機銃の左側 にあるのが観測用のカニ眼鏡 SF14Zo Sd Kfz250 / 6 型は突撃砲用の 弾薬運搬専用車。写真は長砲身 7.5cm 砲用の弾丸 60 発を搭載する B 型。 A 型は短砲身 7.5cm 砲用の砲 弾 70 発を搭載可。

10. 戦車マガジン 1979年10月増刊号

44 年中期より部隊配備された。乗員は 6 名。 @ Sd. Kfz25 ー / ー 9MittIerer Fernsprechbetriebspa nzerwagen 〔中型装甲電話中継車〕 : 野戦電話の中継 設備を備えた機甲通信隊用の車両。 251 / 11 などとペ アで使用された。 ⑩ Sd. Kfz25 1/20Mittlerer Schützenpanzerwagen (lnfrarot Scheinwerfer) 〔中型装甲兵車ー赤外線照 射器搭載〕 : 251 / 1 ファルケと同目的に使用された車 こちらの方は , 大型の探照灯も搭載する。 両だが , FuG5 無線機を搭載した本車に指揮官が乗り , 同し赤 外線ノクトビジョンを装着したパンター戦車 5 両と 一組で行動する。パンターのノクトビジョンの可視 範囲は半径 400m だが , 本車の搭載する 60cm 赤外線探 照灯と 1221 型観測用テレスコープの組合せによる可 視範囲は , 半径 1 , 500m もある。探照灯は穏顕式で , 未使用時には車内へ格納される。ウーホー ( ふくろ う ) の呼名をもつ本車は , 1944 年 8 月の命令では , 600 両が生産されるはすであったが , 実際には , 終戦 迄に 60 両が造られたのみであった。乗員は 4 名。 @Sd. Kfz25 レ 2 ー MIttIerer Schützenpanzerwagen (Drilling MG15 (S) 〔中型装甲兵車ー 3 連装 MG151 搭載 ) : 1944 年 8 月から生産開始された強力な対空用 車両。航空機用の 15 / 20mm 機関砲 MG151 を 3 連装とし た全周旋回式の砲架を , 車室中央に固定している。 砲弾は 2 , 000 発が搭載され , 各銃にはベルト給弾式で , 砲の操作員は 1 名で良い。発射速度は , 1 分間 700 発。 戦争末期の機甲擲弾兵部隊の対空用車両として , 連 合軍ャーボを相手に活躍した ($)Sd.Kfz25 1/22Mittlerer Schützenpanzerwagen ( 7.5cm PAK4 の〔中型装甲兵車ー 7. 5Cm40 式対戦車 砲搭載〕 : 例によって , ヒトラーの個人的なチョイス により 1944 年 11 月から生産化された車両。車輪を外 した 7.5Cm40 式対戦車砲を , そのまま搭載している。 砲の作動範囲は上下が十 22 ~ ー 3 度 , 左右か 20 度と 18 度で , 砲弾は 22 発搭載される。 1945 年型の戦車師団 編成では , 戦車駆逐大隊に 9 両 , 機甲偵察大隊に 3 両 , 機甲擲弾兵連隊に 6 両 1 個小隊の本車が配属さ れる事になっていた $Sd. Kfz25 ー /23Mittlerer Schützenpanzerwagen (2cmKwK) 〔中型装甲兵車ー 2 cm 戦車砲搭載〕 :Sd. Kfz250 / 9 後期型や , Sd. Kfz234 / 1 に搭載されたのと 砲塔の 38 式 2 cm 戦車砲と MG42 が武装で , 搭載弾薬は , 砲弾 100 発 , 銃弾 2 , 010 発。他に通信用の FuG12 無線 機も搭載する。 1944 年 11 月末よりごく少数が生産さ れた。 公式のバリエーションは , これだけだが他に , 70 口径 7.5cm 砲を搭載した試作車や , 各種の弾薬運搬用 車両なども造られた していた。重量 8.62 屯 , 乗員は 5 名。 ⑩ Sd. Kfz25 レヨ 7Mittlerer Schützenpanzerwagen (2cm) 〔中型装甲兵車ー 2cm 砲搭載〕 : 2cm 軽高射砲 F LAK38 を搭載した対空用車両。試作型も含めて , 数 種のタイプがあるが , C 型をベースに車室両サイド の装甲板を開閉式とした空軍地上部隊用の車両か , 最もポピュラーである。砲は FLAK38 が , 台座ごと そのまま搭載されている。副武装は MG34 または MG 42 2 挺。搭載弾薬は , 砲リ鄲発 , 機銃発。乗員 4 ~ 6 名。実戦部隊への配備は 1943 年夏頃から。なお , 末期の 251 / 17 は , D 型車体に遠隔操作式小砲塔 , 2 cmKwK ( 戦車砲 ) ~ ただし砲身のみ長砲身の FLAK 用 を使用 ~ を装備したユニークな車両である。 の ) Sd. Kfz25 し月 8Mittlerer Beobachtungspanzer wagen 〔中型装甲観測車〕 : 砲兵用の観測器材を装備 した車両で , 強力な FuG12 無線機を搭載している。 同目的で造られた Sd. Kfz250 / 5 型の代替車両で , 19 Sd. Kfz250 月 39