1 / 40 scale 0 ' 朝 8 輪重装甲偵察車 2 cm 砲 ()d Kfz 234 / 1 ) 8 輪重装甲偵察車 5 cm 砲 ()d Kfz 234 / 2 ) プーマ 8 輪重装甲偵察車 7 .5cm ()d Kfz 234 / 3 ) 30
ィのべアシャーシーはライフチッヒのビュッシイン グエ場 , 空冷丁ィーゼルエンジンはネッセルドルフ のタトラ社が , 各々担当し , 1941 年 6 月には , 早く も 2 両の試作車が完成して軍に引渡された テストの結果 , 本車の最大特長ともいうべきタト ラ 103 型 14.8- / V 型 12 気筒空冷ディーゼルエンジン にトラブルが多発し , 結局 , 1942 年に入って , やっ と所定の 210 馬力を出すノイズと振動の少ないエンジ ンが完成する。モノコックボディは , 装甲厚が車体 前面 30mm , 側面 8mm, 後面 10mm , 上面 6mm, 下面 5 mm と SdKfz231 最後期型にはは、等しい。サスペンショ ンは GS 型シャーシーと同し 1 / 2 リーフスフリングに よる全輪独立懸架だが , 車重の増加にともないスプ リングの強度 , 形状 , およびタイヤサイズとも G S 型 よりひとまわり大きくなる。 走行様式はむろん全輪駆動全輪操行で , 変速機は ZF 製 6 段前後進同速式。最高速力は 80 ~ 90km / h , 航続距離は初期型で路上 600km , 後期型で 900km とさ すがに大きい。登坂カ 30 度 , 超壕能力 1 .35m , 超堤 能力 50cm , 徒渉水深 1.2m 車の主砲と同じ 39 式戦車砲で , 1944 年当時にはすで 砲付きの完全掩蔽砲塔を搭載する。 5 ⅷ砲は 3 号戦 トン軽戦車レオパルド用に造られた 60 口径 5 車 能力 . を重視して設計された車両で , 試作に終った 16 Puma ( プーマ ~ アメリカ豹 ) と呼ばれる。対戦車戦闘 1943 年 9 月より生産された 234 シリーズの原型で , pähwagen ( 5 (m) SdKfz 234 / 2 2 重装甲偵察車 ( 5cm 砲搭載 ) Schwe 「 er Panzers 中隊が , 本車 19 両により編成されている。 編成では , 機甲偵察中隊 D タイフと呼ばれる装甲車 だに 200 両が生産された。 1944 年の機甲偵察大隊標準 全備重量 11 . 5t 。 1944 年 6 月から 45 年 1 月までのあい 面の装甲厚は 30mm , 側後面は 8mm である。乗員 4 名 , 搭載弾薬は 2 cm 砲弾 480 発 , 機銃弾 2400 発。砲塔前 使用可能となっている。 で , 弾倉は軽高射砲 FLak30 ~ 38 式と同じ 20 発入りか 備する。 2cm 砲は 70 度の仰角により対空射撃が可能 ントップ砲塔に , 38 式 2 車砲と MG 42 1 挺を装 ションである。 6 角形のメッシュガード付きオーフ 1 型という呼称だが , 実際には 2 番目のバリエー spahwagen SdKfz 234 / 1 1 重装甲偵察車 (2cm 砲搭載 )Schwerer Panzer た。以下各型別に解説して行く。 団の機甲偵察大隊 ) に配備され , 終戦まで使用され での 4 種類がある 1944 年から実戦部隊 ( 主に戦車師 234 と名付けられ , 武装の違いにより 1 から 4 型ま このボディ / シャーシーを使用した装甲車は S dKfz に第 2 線級の対戦車兵器だったが , 装甲偵察車の備 砲としては強力なものといえよう。 砲塔の装甲厚は前面 30 , 側 , 後面 10 , 上面 10mm で , 鋳造防盾は 40 ~ 100mm の厚さがあった。副武装として , 砲と同軸に MG42 1 挺を装備するほか , 砲塔両側に 各 3 基づつの 90mm 発煙弾発射機か付けられている。 弾薬搭載量は砲弾 55 発 , 機銃弾 1 , 050 発。なお , 2 型 および 1 型は , a 型無線機のほか , Fu12 型無線機も搭 載可能で , 全車指揮 , 通信用車として使用できるよ うになっていた。全備重量 11 . 7t , 乗員 4 名。 1944 年 型編成では , A タイプと呼ばれる装甲車中隊か 25 両 の本車を持って編成されている。 1943 年 9 月より 44 年 9 月までのあいだに 101 両の生産が記録されている。 ③ 8 輪重装甲偵察車 ( 7.5cm 砲 ) . schwerer pan zerspahwagen(7.5cm Kurz) SdKfz 234 / 3 1 型および 2 型ではソ連戦車に対して威力不足だ ったため , 機甲偵察部隊装甲車中隊の対戦車用とし て , ヒトラー直じきの指令により開発された車両で ある。搭載された砲は例の 24 口径 7.5cm 戦車砲の改良 型で , 51 式戦車砲と呼ばれみ。 SdKfz 233 と同様 , 車 体上面を開放し , 4 周を低いシールドで囲んで , 前 面中央に砲を装備している、。 搭載弾薬は砲弾 50 発 , MG34 または MG42 ( 砲と同 軸装備 ) 用機銃弾 1950 発。対戦車戦闘のさいは ,AP 弾ではなく , HEAT 弾を使用したようである。乗員 4 名 , 全備重量 10t 。無線機は a 型のみ。 19 年 6 月 から 11 月のあいだに 88 両が生産された。 前記の D タ イプ装甲偵察中隊には , 6 両 1 個小隊の本車が支援 用として組み入れられている。 ④重装甲偵察車 ( 7.5Cm40 式対戦車砲 ) : schwerer Panzerspahwagen(7.5cm Pak4 の SdKfz 234 / 4 3 型と同しオーフントッフの車体に 7. 5Cm40 式 46 ロ 径対戦車砲をそのまま搭載した本格的対戦車用装甲 車。 3 型では対戦車威力十分でないという実戦部隊 からの報告により , またまたヒトラー直しきの命令 により造られた車両である。 40 式 7. 5cm 対戦車砲は , 1 , 000m 以上の距離から T34 を撃破できる強力な火砲 だったが , 234 型のシャーシーには少々オー ノヾーーロ ドで , 発砲の反動などのため , あまり命中率は良く なかったようである。それでも実戦部隊からの要求 もあって , 1944 年 11 月から 45 年 5 月の終戦までに 89 両が造られている。 なお , 234 シリーズの生産台数を 2300 両とした文献 か見られるが , これは生産目標の数字であって , 実 際の生産数は前記のように各型合計でも 478 ~ 500 両 程度である。
第 10 歩兵師団 ( 第 10 機甲擲弾兵師団 ) 偵察大隊に見る編成および装甲車装備の変遷 新富敏夫 第田機械化歩兵師団第田 ( 機械化 ) 偵察大隊円 40 ~ 円 43 第田歩兵師団第田偵察大隊円 39 ~ 円 40 大隊本部一一一一本部通信小隊 ( 機銃 x 2 ) 大隊本部 機銃 x 9 第一中隊 ( 乗馬 ) 重機 x 2 機銃 x 9 第 2 中隊 ( 自転車 ) 重機 x 2 迫撃砲 x 3 中隊本部 (SdKfz222, 223 ) 第一小隊 SdKfz222 SdKfz223 第 3 中隊 ( Sd Kfz 22 1) 第 2 小隊 ( 第回、隊に同じ ) 第 3 小隊 ( キューベルワーゲン機銃 X3 ) 第 2 中隊 ( オートバイ兵中隊 ) 〔機銃 x 田 , 重機 x 2 , 迫撃砲 x 3 〕 歩兵砲小隊〔 7.5c 耐蚤歩兵砲 x 2 〕 対戦車砲小隊〔 3.7cm 対戦車砲 x 3 , 機銃 x 冂 第 3 中隊 工兵小隊〔機銃 x 3 〕 い 943 年 4 月 ~ 円 45 年 5 月 ) 〔 SdKfz 234 / l) 歩兵砲小隊 ( 7.5c 蚤歩兵砲 x 2 ) 通信小隊 対戦車砲小隊 ( 3.7cm 対戦車砲 x 3 ) 第田機甲擲弾兵師団第Ⅱ 0 機甲偵察大隊 大隊本部〔機銃 x 3 〕 第 4 中隊 ( 乗車 , 牽引 ) 第一中隊ー一本部小隊 整備小隊 第 4 小隊 ( 第 2 中隊に同じ ) 第 3 小隊 ( 第 2 中隊に同じ ) 隊 第 第一小隊 (SdKfz231, 232 ) 第 3 中隊 ( 同 同上 第 4 中隊 ( 上 ) 〔 同 同上 歩兵砲小隊〔 7 5crT 軽歩兵砲 x 2 〕 対戦車銃小隊〔 2.8cm 対戦車銃 x 3 , 機銃 x 3 〕 対戦車砲小隊〔 5 cm 又は 7.5cm 対戦車砲 x 3 , 機銃 >< 3 〕 工兵小隊〔機銃 >< 4 〕 補給小隊〔軽トラック , 機銃 x 3 〕 第 5 中隊 ( 乗車 , 牽引 ) 44
で , 対小口径弾 , 対弾片防御用にすぎない。 乗員は車長 , 操縦手の 2 名。全備重量 4t , 最高速 カ 90km/h,' 航続距離 320km , 登坂カ 22 度 , 徒渉水深 60cm 本車は Kfz13 などに比べれば , 機動力 , 不整地 通過能力も大きく , 装甲も本格的で , 装甲自動車と しては一応立派な形態をそなえているが , 無線設備 の欠除という装甲偵察用車両としての大きな欠陥を 持っていた。このため , つぎの型式の SdKfz 222 型 が量産され , 部隊配備が整った 1940 年 5 月をもって , 本車の生産は打ち切られる。総生産台数は 339 両。 ホーーランド , 対西方戦役の頃はともかくとして , 1941 年に対ソ戦が始まり , 敵側の装甲車両数が増大 するにおよんで , 機銃 1 挺のみの武装の本車では , ーのため , 1941 偵察任務も満足に行なえなくなる。 , 年には , 機銃のはかに PzB39 対戦車銃を搭載した車 両 , さらに砲塔前部を切り取って 2 / 2. 8cm 対戦車砲 PzB41 ( 減口径徹甲弾 ~ ゲルリッヒ弾を使用する ) を 搭載した車両なども造られた。なお , 1936 年頃造ら れた初期型 SdKfz221 のうちごく少数が , 将介石の中 国国民政府軍に買却されたが , そのうちの 1 両は , 戦闘により撃破後 , ろ獲されて日本へ運ばれたこと はあまり知られていない事実である。 S dKfz221 のシ ーは 810001 ~ 810800 。 ャーシーナンノヾ ② 2cm 砲搭載軽装甲偵察車・ l-eichterpanze rspähwagen(2cm)SdKfz 222 SdKfz221 に代り , 戦車師団 , 機械化師団の偵察部 隊軽装備中隊用主力装備車両として開発されたドイ ッ陸軍の代表的 4 輪装甲自動車。 1938 年より部携配 備され , 1945 年の終戦時まで使用された 222 型が 221 型と大きく異なるのは , 武装の強化および無線機の 搭載の 2 点である。すなわち , オープントップの砲 塔は大型化して , これに 30 式 2cm 戦車砲およひ MG34 1 挺か装備される。 2cm 砲は 2 号戦車などに搭載され たのと同じ型式で , 榴弾 , 徹甲弾ともに発射可能で ある。 これが 砲弾は 10 発入りのマガジンにおさめられ , 18 個搭載される。機銃弾搭載量は 1 , 050 発。 1940 年 4 月から生産された 222 後期型には , より発射速度の高 軽偵察 4 輪装甲車 Sd Kfz 222 い 2Cm38 式戦車砲か、搭載され , 弾薬搭載量も 220 発に 増加する。また , この 2cm 砲用砲架は , 最初から対 空用として使えるように , 87 度までの仰角がかけら れる構造になっていたが , 38 式 2 cm 砲の搭載にとも なって , 砲の俯仰装置か改修され , 対空射撃能力も 向上する。 装甲は車体前面 14.5mm , 側 , 後面 , 砲塔などが 8 mm, 上面 6 mm, 底面 5 mm と , 221 型よりわすかながら 強化された。なお , 写真頁に見られるように , 後期 型ではラジェターグリルに装甲カバーが標準装備と なったほか , クラッペ類も圧延鋼板から鋳造品へと 換装される。また戦訓により車体前面に増加装甲板 を取り付けた車両も見うけられるが , 最後期型では , 車体前面装甲は 30mm , 砲塔は全周 10mm と各々強化さ れ , 操縦手前部のクラッペも 1 個のみとなる。 無線機は車両間の会話や 6 ~ 7km 程度の通信能力 のある a 型が搭載され , これにともなって乗員も無 線手が増えて 3 名となる。装備の増加により全備重 量は 4. 8t と 221 型より重くなったが , 航続距離 300km , 最高速度 85km / h 以外の機動性能は 221 型と同しであ る。なお , この性能諸元は 1935 ~ 38 年に生産された A 型シャーシーベースの SdKfz222 初期型のもので , 1938 ~ 43 年に造られた B 型シャーシー使用の後期型 では , 航続距離 350km , 最高速カ 90km と向上している。 本車の生産は 1943 年初め頃まで続けられ , 総生産 台数は 989 両 , シャーシーナンバーは 810001 ~ 8101001 , 8101001 ~ 8101424 , 8110001 ~ 8111000 の 3 通りであ る。本車を初めとして , EG I シャーシーベースの 4 輪駆動装甲自動車は , 道路網の発達したヨーロッパ や平担な地形の北アフリカの戦場では , 戦争全期間 を通して使用された半面 , 雪と泥ねいにより使用期 間の制限されるソ連戦線では , SdKfz 250 系列のハー フトラックや軽戦車類 , 8 輪重装甲車などにその任 務をゆすることが多かったようである。
大戦初期に使用した , 軽装甲偵察無線車 Sd Kfz 223 。 装甲車 15 両より成る。装甲車の内訳は , S dKfz 231 ( 6 または 8 輪 ) 3 両 , SdKfz 232 ( 6 または 8 輪 ) 3 両 , SdKfz222 4 両 , SdKfz223 および 221 8 両。第 2 中隊は , 第 1 中隊と同様。 第 3 中隊 ; オートバイおよびサイドカーー 60 両 , 小 県兵員用車キューベルワーゲン 6 両 , 武装は機銃 9 挺 , 重機関銃 2 挺 , 迫撃砲 3 門。 第 4 中隊 ; 軽歩兵砲 ( 7. 5cm ) 2 門 , 対戦車砲 ( 5 ) cm ) 3 門 , 機銃 1 挺および工兵小隊 1 個 ( 機銃 3 挺 ) で , すべて車両 ( トラックまたは中型兵員用車 ) に より牽引されている。補給中隊は , 中型トラック 8 両 , 機銃 5 挺。 このほか , この大隊独自の装備として , 架橋資材 を持った乗車工兵 1 個小隊が , 編成内に取り入れら れている。 3 個中隊編成の機械化歩兵師団の機甲偵察大隊の 装備内容はどうであろうか。モデルとして第 10 機械 化歩兵師団第 10 機甲偵察大隊を見てみよう。 大隊本部 ; 中型兵員用車および 1 個通信小隊 ( Kfz 15 , Kfz17, 機銃 2 挺 ) 。 第 1 中隊 ; 砲装備装甲車 10 両 (SdKfz222), 機銃 装備装甲車 5 両 (SdKfz221, 223 第 2 中隊 ; オートバイ , サイドカーーおよびキュー ベルワゲン ( 車両数不明 ) , 機銃 18 挺 , 重機関銃 2 挺 , 迫撃砲 3 門 ) 。 第 3 中隊 ; 軽歩兵砲 2 門 ( 7. 5cm ) , 対戦車小隊 ( 3. 7cm 対戦車砲 3 門 , 機銃 1 挺 ) , 工兵小隊 ( 機銃 3 挺 ) 。 独機甲軍中にあって , オーストリア合併 , チェコ進 駐などの軍事示威行動に , 装甲車部隊の果たした役 割は大きなものがあった 道路状況の良い中部ョー ロッパにおいて , 相手側の抵抗を受けることなく行 なわれたこれら軍事行動には , 弱装甲でも快速かっ 故障の少ない装甲自動車の方が , 低速で航続距離も 短い戦車より有効に使用されたのである 1938 年末 , 戦車師団 , 機械化歩兵師団の編成内に 装甲偵察車を主体とする機甲偵察大隊が正式に組み 入れられる。戦車師団の場合 , 偵察大隊の編成は , 2 個装甲偵察車中隊 , 1 個オートバイ歩兵中隊 , お よび支援用重火器を装備する 1 個重装備中隊より成 るのか標準であった。機械化歩兵師団では , 装甲偵 察車中隊が , ひとつ減った 3 個中隊編成となってい これらの編成内容は , あくまで標準であって , 各 師団編成年次や充足状況のちがいにより , 装備編成 内容には多少の差があったようである 円 39 / 40 年型機甲偵察大隊 一例として , 1939 / 40 年県機甲偵察大隊の装備内 容を挙げてみよう。モデルとなったのは , 第 1 戦車 師団第 4 機甲偵察大隊である。 大隊本部 : 中型員用車 ( 灯 Z15 ) および通信用車 両 1 個小隊 ( S dKfz 263 2 両または Kfz 17 通信車 2 第 1 中隊 ; 砲装備の装甲車 10 両および機銃装備の
隊は 35 個以上を数えた。もっとも , 前年よリの戦車 師団の増設にともなって , 3 個中隊編成の偵察大隊 1941 年 6 月の開 の比率か増加している。例として , 戦時における第 16 戦車師団第 16 機甲偵察大隊の編成 を見てみよう 大隊本部 ; 本部小隊 ( Kfz 15 , キューベルワーゲン など ) 本部通信小隊 ( Kfz17 , 機銃 2 ) 。 第 1 中隊 ; 砲装備装甲車 10 両 (SdKfz231 , 232 6 両 , SdKfz222 4 両 ) , 機銃装備装甲車 8 両 (SdK fZ221 4 両 , SdKfz223 4 両 ) 。 車砲小隊 ( 3.7cm 対戦車砲 3 門 , 機銃 1 挺 ) , 工兵小隊 ( 機 第 3 中隊 ; 歩兵砲小隊 ( 7 , 5cm 軽歩兵砲 2 門 ) , 対戦 両不明 ) , 機銃 18 挺 , 重機関銃 2 挺 , 迫撃砲 3 門。 第 2 中隊 ; オートバイ , キ ューベルワーゲン ( 数 SdKfz263 銃 3 挺 ) , 以 E すべて車両牽引。このほか師団本部に SdKfz232 4 両 ) , 機銃装備装甲車 12 両 (SdKfz221, 第 1 中隊 ; 砲装備装甲車 8 両 ( SdKfz 231 4 両 , は SdKfz263 大隊本部 ; 本部小隊 ( Kfz15 ) , 通信小隊 ( Kfz17 また 見てみよう。 22 日における S S ダス・ライヒ師団偵察大隊の編成を 団群の装甲車装備は , どんなだったであろう。 6 月 機械化歩師団に昇格したエリート部隊の S S 師 ss ダス・ライヒ師団偵察大隊の編成 SdKfz223 各 6 両 ) 。 歩兵師団 , オートバイ大隊 ( 偵察大隊も兼ねる ) の 組合せたものになって行く 1942 年夏の GD 機械化 おける機甲偵察大隊の装備は , 装輪車と半装軌車を でも十二分に役立っことができたので , 東部戦線に 南部ロシアの広大なステップ地帯では , 装輪装甲車 の必要性が高まってきた。とはいえ , 夏の乾燥期や , 偵察部隊用としてあらたに装軌または半装軌式車両 リップ ) などに悩まされることになる。このため , および雪溶けによる泥ねい , 冬期の行動 ( 寒気とス 戦闘力の不足 , 砂塵による機関 , 部品の損粍 , 降雨 性を存分に発揮することができたが , 反面 , 対戦車 広大なロシアの戦場では , 装甲偵察車は , その特 る偵察小隊 2 個を保有していた 個 ) 内に , SdKfz232, SdKfz222 各 2 両すつを有す る。なお , ライヒ師団は , このはか , 歩兵連隊 ( 2 えども , 一般戦車師団と同等な装備だったのがわか 偵察大隊に関しては , この当時には S S 部隊とい 車砲小隊 ( 3.7cm 対戦車砲 3 門 ) , 工兵小隊 ( 機銃 3 挺 ) 。 第 3 中隊 ; 歩兵砲小隊 ( 7. 5cm 軽歩兵砲 2 門 ) , 対戦 量 : 不明 ) , 機銃 18 挺 , 機関銃 4 挺 , 迫撃砲 3 門。 第 2 中隊 ; オートバイ , キ ューベルワーゲン ( 数 編成は , 第 1 中隊 ~ SdKfz232 , 第 2 中隊—SdKfz25 0 ( ハーフトラック ) , 第 3 , 第 4 中隊 ~ フォルクスワ ーゲン , 第 5 中隊 ~ ( 対戦車砲 ) SdKfz 10 ( ハーフトラ ック ) といった混合編成である。実際には , SdKfz222, 223 , 260 , 261 , 247 , 263 などの各種装 甲車が加わって , 実にバラエティーに富んた内容に なっている 対戦車威力の増大に関しては , SdKfz233 ( 7.5cm 砲装備 ) が , あらたに造られて , 対戦車班 1 個小隊 ( 6 両 ) として編成内に取り入れられるとともに , 対戦 車砲 ( 牽引 ) 小隊の装備を 5cm , 7.5cmPaK40 などに おき変えるなどして対処した 円 44 年型装甲偵察中隊の編成 1943 年 9 月から , SdKfz 231 シリーてに変る新県 重装甲車 SdKfz234 の生産か開始される。これにとも 1944 年型の装甲偵察中隊の編成が定められ なって , ーこの偵察中隊は ABCD の 4 つのがあり , 各中 隊単位で適宜機甲偵察大隊の編成内へ取り入れられ るようになっていた す。 機甲偵察中隊 A 県 機甲偵察中隊 B 県 機甲偵察中隊 C 型 機甲偵察中隊 D 掣 以下 , 各中隊の編成車向を示 SdKfz234/2 全装軌式偵察車 ( 戦車にて代 SdKfz250/9 SdKfz234/1 および 234 / 3 A 県偵察中隊の場合 , SdKfz234 / 2 プーマを 25 両装 備する。ただし , プーマの生産数は 101 両しかない ので , 4 個中隊のみか編成されたにすぎない 偵察中隊の場合 , SdKfz234 / 1 が 19 両 , SdKfz234/3 が 6 両で , こちらは 10 個中隊以上か編成された お , D 県偵察中隊の SdKfz234 / 3 は , のちに PaK40 搭載の S dKfz 234 / 4 県に置き変えられた 1945 年になると , 機甲偵察大隊は上記 4 個中隊を 包括した強力な編成となるが , 実際には車両不足の ため , 完全な大隊編成はできなかったようである。 すでにこの頃には , 偵察部隊には , かっての快速部 隊の面影はなく , 燃料の切れた車両を土中に埋めて , 迫リくる連合軍戦車を迎え打っといった光景も戦線 の各所に見られた。プロシア騎兵の伝統を受け継い だシュネールトルッペ ~ 快速装甲車部隊の歴史も , 1945 年 5 月 , 第 3 帝国の崩壊とともに消え去って行 くが , その精神と伝統は , ドイツ国民のなかに受け 継がれ , やがて新生西ドイツ国防軍の機甲偵察部隊 として再生する。今日 , 高性能の 8 輪偵察用装甲車 ルックスの勇姿に , われわれは , かっての重装甲車 の面景彡を垣間見ることができるのである。 43
SdKfz 231 シリーズの 6 輪重装甲車は , 1932 年に部 隊配備されて以来 , 機械化偵察部隊重装備中隊の主 力車両として , オーストリア合併 , チェコ進駐 , 対ポーランド戦などで使用された。 19 37 年 , 8 輪重 装甲車 SdKfz231 が生産されるにおよんで , 本車の生 産は中止されたが , 既存の車両は対仏戦 , 対ソ戦な どにも使用されている。 Pa rt ( 3 ) 8 輪重装甲車シリーズ (I) SdKfz 2 引 ( 8 ) シリーズ 1934 年初め , ドイツ陸軍兵器局第 6 課は , Schwerer Einheits Geländegängiger Wehrmachts Lastkraft wagen ( 統制式国防軍用不整地向重貨物車 ) という長 ったらしい秘匿名称を持った新 8 輪軍用車のシャー シー設計を , ライプチッヒ ~ バアーレンのビイッシ イング社に依頼した。同社は 1920 年代後半より , ひ そかに軍用装甲車両の研究開発を続けており , 同上 車両の設計に関しては , 十分な技術的確信を持って いた。 8 輪起動 8 輪操行というぜいたくな機構を持 った試作シャーシーは , 早くも同年内に完成する。 一方 , このころ , すでに実用化されていた 6 輪重 装甲車 ( SdKfz231 ) は , べースとなったのか商用車用 6 x 4 シャーシーということもあって , 軍用装甲車 として要求される機動力にいまひとつもの足りない のがあり , 実用部隊からは , 本格的な全輪駆動 8 輪 重装甲車の開発 , 配備を求める声が高かった。 ため , 試作のみに終ろうとしていたビイッシイング 社製 8 輪車シャーシーは , この 8 輪重装甲車用とし て転用される。 GS 型と呼ばれるこのシャーシーはビュッシイング 社製 L8V 水冷 V 型 8 気筒 7.9 - / 150 馬力ェンジンを 搭載 , 前後進 6 段の ZF 製変速器により 8 輪全部を駆 動する。サスペンションは 1 / 2 楕円リーフスプリ ングにより 2 輪づつをベアとした比較的オーソドッ クスなタイプである。シャーシーの全長は 5.87 m も あるが , 全輪操行装置により回転半径はシャーシー 全長とほば同一である。 走行性能は登坂カ 30 度 , 徒渉水深 lm , 超堤能力 50 cm, 超壕能力 1 .25m と , 軽戦車級のすぐれたものであ った。 1935 年 , G S シャーシーに試製装甲ボディを搭 載した VsKfz 623 と呼ばれる試作車両が完成し , 重装 甲車としての各種テストを受ける。同車の機動力は , 要求される性能を十分満足させ得ることか判明した 西川茂 装甲ボディはもつは。ら , キールのドイッチェンべ 開始された。 結果 , 8 輪重装甲車 SdKfz231 ( 8Rad ) として量産か ェルケ社で生産され , 工ルビングの F. ジッヒナウ社 が車両の組立てにあたった。部隊配備は 1938 年より 始められ , 戦車師団 , 機械化歩兵師団等の偵察大隊の 主力装備車両として , 大戦初期の電撃戦には目覚し い活躍を見せる。 実戦においては , 機動力は申し分なかったものの 装甲の薄さと武装の弱さか問題となり , 応急策とし て車体前面に増加装甲板を取り付けた改修型や , 2 cm 砲を新県として , クラッペ類も鋳造品とした中期 型 , さらに砲塔前面形状を変更し装甲厚を 30mm とし , 機関を 180 馬力にパワーアップした後期型 , 車体前面 形状を単純化して装甲厚を 30mm とした最後期型と改 良か重ねられたが , 戦闘の激化にともない , 本車の 武装 , 装甲では , 本来の任務も十分にはたせなくな 1943 年 10 月をもって生産は中止される。この間 , 派生型を含めて 1 , 000 両以上が造られた。以下車両番 号順に各型を解説して行く。 1 8 輪重装甲偵察車 : Schwerer Panzerspahw agen SdKfz 231 ( 8 Rad) 武装として 30 式 2cm 戦車砲およひ MG34 1 挺を砲 塔に装備する標準型 8 輪重装甲車。 2cm 砲は 2 号戦 車などの主砲と同型で , 搭載弾薬は砲弾 180 発 , 銃弾 2100 発。ほかに乗員用として機関短銃 , 信号拳銃各 1 および手榴弾 6 発を車内に格納する。後期の車両 では砲を毎分 480 発の発射速度を持っ 38 式戦車砲に換 装している。 装甲ポティは車体 , 砲塔前面 15mm , 側 , 後面 8mm , 上面 5mm, 底面は動力伝動機構上に底板があるため , 装甲板を張っていない。装甲厚は 4 輪軽装甲車類と はは、同等だか , 完全密閉式なので , 総合的な防御カ は高い。後期の車両では , 前述のように挿体前部 , ラジェターグリルに増加装甲板を取り付け , 砲塔の 前面形 , 防盾形状も変る。 最後期型では , 車体前面は SdKfz 234 系列の車両と 同しように , 単純な面構成となり , 装甲厚も 30mm に 増加する。増加装甲付き改修型の場合で全備重量 8.3t 最高速カ 85km / h , 航続距離 270km ( 路上 ) 。乗員は操縦 手 2 名 ( 1 名は無線手兼後退用操縦手 ) , 車長 , 砲手 の 4 名。通信用に , 車両間通話用の a 型無線機器か 搭載される。 砲塔は小型ながら戦車式のバスケットタイフを採 用していて , 手動旋回装置は砲手 , 車長のいすれも が操作できる。また , 車長用ハッチ前部には , ペリ スコープ用の小ハッチか付いていたり , ペリスコーー プに , カメラ装着用のアタッチメントが付いていた りするのは , いかにも偵察車らしい装備である。シ ーーは 59902 ~ 87267 。 ャーシーナンノヾ
② 8 輪重装甲偵察車 ( 無線機搭載型 ) ・ schwerer Panzerspahwagen SdKfz 232 (Fu) ( 8 Rad) SdKfz231 に中距離通信用の 80 ワット Fu12 型無線 機を搭載した指揮官用車両。全備重量か 8. 8t なのを のぞいて性能諸元は , SdKfz 231 に同し。車体上部に 付けられた大型のフレームアンテナか外形状の識別 点だが , 後期型車両では , このアンテナは廃止され , 変って機関室右中央側部にデュポールアンテナを装 着している SdKfz 231 , 232 の生産数は 1936 年より 19 43 年 9 月までに 607 両が記録されている。 ③ 8 輪重装甲偵察車 ( 7.5cm 砲搭載 ) ・ schwerer Panzerspahwagen ( 7.5cm ) SdKfz 233 対ソ戦の進展にともない , 敵側の機甲兵力が強化 , 増強されるにしたがって , 装甲偵察車も対戦車戦闘 能力を具備することが必至となってくる。このため , 強力な武装を持った新型装甲車か開発されるととも に , 応急策として , S dKfz 231 ンリーズに , 徹甲威力 のある砲を搭載した火力支援型装甲車の生産が 1942 年 10 月より開始される。 これか SdKfz 233 で , 搭載する火砲は , 4 号戦車初 期型の主砲と同し 24 口径 37 式 7. 5cm 戦車砲が選ばれた。 この砲は榴弾 , 徹甲弾ともに発射が可能で , 新型の 成形炸薬弾を使用すれば , かなり重装甲の戦車でも 撃破可能な上 , 戦車用に設計されているのでコンパ クトにできていて , 車載には最適の火砲であった。 砲は砲塔を取り去ってオーフントップとした SdKfz 231 の操縦席右側に , 半埋込式に搭載され , 上面には 15mm 厚の低い防弾板が装着された。副武装として , 対空機銃架に装着する MG34 または MG42 1 挺を車 内に格納する。搭載弾薬は砲弾 32 発 , 機銃弾 1500 発。 全備重量 8.58t , 最高速カ 80km / h , 航続距離 300km のは か性能諸元は SdKfz 231 に同じ。 1942 年 10 月に造られた最初の 10 両は , SdKfz 231 の 車体をそのまま流用していたので , 装甲厚も 231 型と 同しだったが , 11 月から生産された S dKfz 233 標準型 偵察 8 輪重装甲車 Sd Kfz 234 / 2 では , 車体前面か 30mm に強化されている。また , 後 期の車両では , 車体上面の開孔部全周に背の低い防 弾シールドが取り付けられている。 1942 年 11 月から 43 年 11 月までのあいだに , 109 台の生産が記録されて いる。シャーシーナンノヾ ーは 85615 ~ 87267 。 4 8 輪重装甲無線車 . Schwerer Panzerfunkwagen SdKfz 263 ( 8 Rad) SdKfz232 をさらに発達させた指揮 , 通信専用装甲 車。砲塔を取り去って , 車体上部に固定戦闘室を設 け , 車内スペースを広くして , 出力 100 ワットの遠距 離用無線機を搭載している。武装は戦闘室右前面の ポールマウントに MG34 1 挺の装着するのみだが , 乗員は指揮官 , 車長 , 無線手 , 操縦手 2 名の計 5 名 に増加している。 車体上面には例によって大型のフレームアンテナ を装備するはか , 遠距離通信専用の 9m ホイップア ンテナを機関室前部に装着している。後期型車両で は , アンテナ類は , デュポールタイプに変更される。 戦闘室部分の装甲は , 前面 18mm , 側 , 後面 8 —10mm, 上面 6mm で , 全備重量は 8.68t 。生産は 1938 年 4 月よ り開始され , 1943 年 4 月までに 240 台が造られた。シ ーは 59902 ~ 87267 。 ャーシーナンノヾ ( 2 ) Sd Kfz 234 シリーズ G S 型シャーシー使用の 8 輪重装甲車の成功によっ て , 同型車両の実用性に自信を得た陸軍兵器局は , さらに高性能の 8 輪重装甲車を開発すべく , 1940 年 8 月 , ビュッシイング社に対して新型車の設計を指 令した。この新型 8 輪重装甲車に対する主な要求は , 堅牢かっ生産性の良いモノコックボディの採用およ び , 北アフリカ , 南部ロシアなどの熱帯地における 良好な機動性の 2 点であった。 ビュッシイング社での設計完了とともに試作車の 製作が開始された。装甲ボディは , クレッフェルト のドイッチェン・エーデルスタール , 砲塔はダイム ラーベンツおよび F. ジッヒナウ社 , モのコックボデ
しながら , その高性能故の機構の複雑さからくる高 生産コストは , 当時のドイツ国防軍の装備予算をは るかに上まわるものであった。 こっため , これら試製装甲自動車は , 優秀な性能 を持ちながらも , ついに量産化されることなく , の ちの装甲車開発に貴重なデータを提供したのみで消 え去って行く。 だが , さしあたって , 国防軍内に新設される機械 化部隊用として , 大型重装甲車の需要は必須であっ た。このため , ドイツ陸軍兵器局は , とりあえす , 上記 3 社に対して , 市販の 1. 5t 後 4 輪駆動 6 輪トラ ックのシャーシーをベースとした , ある程度の機動 力を持った 6 輪重装甲車の開発を依頼する。 開発のリーダーシップはタ、、イムラーベンツ社がと 1928 年末には同社製の試作第 1 号車が完成 , 陸 軍兵器局に引き渡されていろいろのテストを受ける。 式作車のべースとなったシャーシーは , ダイムラー べンツ G 3 型 6 輪トラックからの流用だが装甲車用と いう意味から G3P 型と呼ばれた シャーシーレイアウトは , フロントに DB 社製 6 気 筒 3.5 - / 60 馬力水冷ガソリンエンジンを搭載し , 後 4 輪駆動前 2 輪操行の , ごくオーソドックスなも のだが , シャーシー後端に , 後退用のステアリング機 構を増設してある点が市販車と異なる。装甲ボディ はキールのドイッチェン・べェルケ社製で , 円形の 砲塔 , 垂直なラジェターグリル , 突町した操縦手用 キューボラなど , のちの生産型 SdKfz231 とはかなり 異なった外形であった。 武装は砲塔に機銃 ( MG13 ) 1 挺のみ , 装甲は車体前 面 14.5 , 側 , 後面 8 , 上 , 底面 5mm 。全備重量 5. 5t , 乗員 4 名 , 最高速カ 60km / h , 航続距離 400km , 登坂カ 13 度が主な性能要目である。テストの結果 , ラジェ ター容量の増大 , 前車軸の強化 , 装甲ボディ , 砲塔 形状の改良など , いくっかの改修を受けた増加試作 車数両か造られ , さらに 1930 年に入って , ホイ べースを 3m に短縮し , 工ンジン出力を 65 馬力にアッ プした G 3a(p) 型シャーシーが開発され , これかダイ ムラーベンツ社製 6 輪重装甲偵察車 SdKfz 231 ( 6Rad ) 生産型のべースとなる。 G3a (p) シャーシーの完成と ともに , 生産型装甲ボテ、イの形状も決定 , 武装は , 砲塔に 30 式 2cm 戦車砲および機銃 ( MG13 ) 1 挺カ鰾準 装備とされた。 生産は 1930 年より始められ , 1932 年には 37 両が軍 に引渡されて , 同年夏の国防軍演習に参加している。 ダイムラーベンツ社製 SdKfz231 の生産化にともな って , ビュッシイング , マキ、ルスの両社も , 自社製 シャーシーを使用した Sd Kfz 231 の生産化を急ぎ , 1933 年には , ます , ビュッシイング社製のモデルか 完成する。この SdKfz231 は , 外形的には , ダイムラ ー社製車両とほは、同型だが , ホイールべースか 2.71 5m と少し短い。また , 同社のパイロットモデルとな った最初の数両は , 操縦手右側に MG13 用 1 挺を装備 し , 車体後面の装甲板傾斜角も DB 型ボディより鋭い。 べースとなったシャーシーは , ビュッシイング G 型 4 気筒 3.9 - / 60 馬力ェンジン搭載の G31 ( p ) 型で , 後期生産型では , 機関が 6 気筒 100 馬力のものに換装 されている。全備重量 5.7t , 最高速カ 65km / h , 航続 距離 250km , 登坂カ 20 度の性能は , DB 社版車両とは は、同一である。なお , 弾薬搭載量は 2cm 砲弾 200 発 , 7. 92mm 機銃弾 1 , 500 発で , これは 3 社製車両とも同一 である。ビュッシイング版 SdKfz231 ( 6Rad ) は , 1935 年までに , 50 両が生産された。 マギルス社では , 同社製 6 気筒 4.5 - / 70 馬力ェン ジンを搭載した M 206 (p) 型シャーシーをベースとし た SdKfz 231 の生産を 1934 年より開始する。不整地通 過用に , 車体中央下面のガイドローラーが装着され たことと , ラジェターグリル形状が , リファインさ れたことをのぞいて , 車体外形は前記 2 社製車両と 同型である。ただし , ホイールべースは 2.5 m とさら に短縮され , 不整地通過能力を高めている。全備重 量は 6 t に増加した。 性能的には最高速カ 62km / h , 航続距離 300km , 登坂 カ 16 度のほか , 前 2 社製車両では 32km / h だった後退 時最高速力が , 62km / h まで引き上げられている。生 産台数は 40 ~ 50 両程度と推定される。 SdKfz 231 ( 6 Rad) 6 輪重装甲偵察車 Schwerer panzersp wagen と呼ばれる上記 3 社製の装甲車に は , SdKfz 232 ( 6 Rad) および SdKfz 263 ( 6 Rad) の 2 種の派生型がある。 SdKfz231 は , 車内に出力 100 ワ ットの遠距離通信用無線機を搭載した通信および指 揮官用車両で , 車上に大型のフレーム式アンテナを 装着している。標準型 231 にみられる砲塔上の対空機 銃架は , この型では取りはすされている。 SdKfz263 は大型無線機を搭載 , フレーム式アンテ ナおよび伸縮式ホイップアンテナを装備するととも , 砲塔を固定し車内スペースを広げて , 指揮専用 車として使用できるようにした車両。武装は砲塔右 前面のボールマウントに MG13 1 挺を装備する。 Sd Kfz 232 の生産台数は 231 型の生産数のなかに含まれ るため不明だが , 263 型の生産数は 28 両である。 SdKfz 232 ( 6Rad ) の正式呼称は , 6 輪重装甲偵察 車 ( 無線機搭載 ) schwerer Panzerspähwagen(Fu) , SdKfz 263 は , 6 輪重装甲無線車 Schwerer Panzer funkwagen である。 二二卩
最高速度 45 ~ 50km / h , 路上での航続距離は約 240km , あらかしめ装甲車として設計された車両ではないの で , 不整地通過能力はほとんど零にひとしいが , そ れでも 15 度の登坂力と , 50cm の徒渉水深を持つ。 同し車体で , 武装をはすし , 無線機を搭載して乗 員を 3 名とした指揮連絡用の無線自動車 Funkk 「 af twagen(Kfz14) も作られた。この車両は , 大型の折 りたたみ式フレーム型アンテナを装着している。本 格的生産は 1933 年より始まり , 装甲ボディはハノーー / ヾーのドイッチェ・エーデルスタール , シャーシー および車両の組立ては , ベルリン・マリエンフェル ドのダイムラーベンツ社が各々担当した。 Kfz13 , 14 は市販の自動車に毛の生えたようなちつほ。けな装甲 自動車だが , ドイツ機械化部隊の創成期に果たした 役割は大きい。 1939 年のポーランド戦には , かなりの数量 1941 の本車が偵察連絡用として使用されているし , ごく少数ながら , 年の対ソ侵攻開始時でさえも , 部の歩兵師団では本車を装備していた形跡がある。 市販商用車としての信頼性の高さ , 取扱いの容易さ がなくては考えられぬことである。 Kfz13 , 14 の生産 台数は 147 両。 Kfz13 の生産が開始された 1934 年 , 兵器局は来るべ き再軍備にそなえて本格的な軍用 4 輪車の開発計画 を開始した。ます最初に , 軍用乗用車にも装甲車に も使用できる万能型シャーシーの設計か始まる。 たくさんの能力 , のシャーシーにはつぎのように 仕様が要求された。 1 : 高度の信頼性 , 通常使用状態におけるサービ スフリー , 燃料性能の如何を問わす , 能力を発揮出 来ること。 2 : 低燃費による高い経済性。 3 : 簡単 な構造 , 統一基格部品の使用により故障修理の簡易 化。 4 : 不整地通過能力 ( 良好な操縦性 , デフロッ クの装備 , 良好なサスペンション , 大きな登坂カ , 強力なプレーキ , 高い地上高と低い接地圧による軟 弱地の通過能力 , 4 輪操行による小さな回転半径な 兵器局よりの依託を受けた民間会社数社が , 技術 の総力を結集して新型シャーーシーの開発にあたった。 この結果 , 1935 年の中頃に , ホルヒ工ンジン搭載の オートウニオン社製シャーシーが採用される。大型 人員輸送用統制式シャ¯>¯(Einheitsfahrgestell fur Schwerer personenkraftwagen) と呼ばれるこのシャ ーシーには , 装甲車用にリア工ンジン・タイフとし た I 型と , 兵員用乗用車としてフロントエンジンの オーソドックスなレイアウトを持っⅡ型の 2 種があ る。 I 型シャーシーは一見平凡な外形だが , 4 輪駆動 4 輪操行 , コイルスプリングによる全輪独立懸架 , セルフロックデフ , 防弾タイアなどのぜいたくな機 構をそなえた , はは、完璧な 4 輪装甲車用シャーシー である。搭載機関は , 当時民間乗用車用として生産 されていたホルヒ V 型 8 気筒 3.5 - / 工ンジンを流用 している。 1935 ~ 40 年にかけて生産された初期型では , 機関 出力は 75 馬力であったが , 4t クラスの装甲自動車に 40 ~ 43 年に生産された後 は少々アンタ、、一バワーで , 期型では 81 ~ 90 馬力にパワーアップされた。公式に も , 前者を A 型 , 後者を B 型として区別している。 なお B 型では , プレーキシステムも A 型の機械式か ら油圧式へと改良されている。 本シャーシーは小型のため , 後退用操縦席を装備 することができなかったこともあって , 4 輪操行に よる小さな旋回半径で , このへんを補うよう意図さ れていたが , 高速時や不整地において急激な 4 輪操 行を行なった場合 , 高い重心と強度の横 G のため , ーのため , 4 車両が転覆することが後に判明した。 輪操行 ( 通常は前 2 輪操行で , 必要に応して切換え ごく緊急時か , または 20 るようになっている ) は , km 以下の速度で使用するように定められた EG I と呼は、れるこのシャーシーの生産は , 装甲車 用ボディとともに 1935 年末より開始される。生造工 場はシャーシーが , ツビッカウのオートウニオン ホルヒ工場 , ボディが , バッド・オイハウゼンのウ ェーゼル・ヒュッテ製鋼所が各々担当 , 車両の組立 てには , もつばらエルビングの F . ジッヒナウ社と ハノーバーの MAN 社があたった。このシャーシーを 使用した装甲自動車には数種の型式があるので , 生 造番号順に追って解説して行く。 ①機銃搭載軽装甲偵察車・ l-eichter Panzers pahwagen(MG) SdKfz 221 EGI シャーシーに装甲ボディを架設した最初の本 格的 4 輪装甲自動車。 Kfz13 に変って 1936 年から機械 化偵察部隊に配属される。 武装はオープントップの全周旋回砲塔 ( というよ リは , 単なる防弾壁といった方か良いような簡単な 構造の砲塔である ) に , 機銃 (MG13, のちに MG34 ) MP38 乂は を装着する。ほかに乗員用携火器として MP44 1 挺 , 27mm 信号拳銃 1 挺を車内に格納してい る。砲塔上面には手榴弾などが車内へ投げ込まれる のを防ぐための開閉式防弾ネットか着けられている。 搭載弾薬は機銃弾 1 , 050 発 , 機関短銃弾 192 発 , 信号 拳銃弾 12 発 , 手榴弾 6 発か標準である。装甲は車体 前面か 14.5mm のほかは , 車体 , 砲塔とも 5 ~ 8mm 厚