お話 - みる会図書館


検索対象: 日本のとんち話
167件見つかりました。

1. 日本のとんち話

ろりしんざえもん ひでよし 呂利新左衛門は、とんちを売りものにして、秀吉や家康につかえたのでことに有名です。この とぎしゅう ぶしよう ような人びとをお話の衆とかお伽衆といいましたが、いずれも武将としての出世をあきらめ、 ちやばうず 頭をそった人びとでしたので、お茶坊主と呼ばれていました。秀吉のお伽衆の一人が書いたと ぎげんようきしゅう きようとしよしだい いたくらかっしげ あんらくあんさくでん せいすいしよう 思われる『戯言養気集』だとか、京都所司代の板倉勝重につかえた安楽庵策伝の『醒睡笑』な はくまいじよう どで、どんなお話が語られていたかがわかります。それは、この本の「白米城」のようなもの みみぶくろ くろふくめん であったり、時代はくだるのですけれど、『耳袋」からとられた「黒覆面と寺男や「鉄砲と財 うわさ 布」のようなものでありました。逸話だとか世間の噂だとかを素材にして、それなりの風刺や しやかいひはん 社会批判をもっていました。 しかし、こうして題材が政治や社会にまでひろまった「とんち話」が、江戸時代になると、 おしようこぞうばなし しまばら とたんに和尚と小僧話で代表されるようになったのは、な・せでしようか。それは島原の乱後、 てらうけせいど ほうえ せつきよう そう 寺請制度によって町でも村でも人びとが寺子にされ、法会のたびに和尚の説経を聞かされ、葬 の世話をうけねばならなくな 0 たこととかかわ 0 ておりましよう。和尚と小僧話は、いわば そうりよ この仏教が腐敗して、僧侶の権威がなくなったことを物語っておりましよう。「とんち話」での かげ かわいらしい小僧さんの活躍にも、こうした歴史の陰がきざみこまれているといっていいので す。 〈この本の素材〉ところで、この『日本のとんち話』ですが、これにはさきにのべた和尚と小 ばくしん 僧話のような「とんち話」はわりあいに少ないのです。なかには、江戸中期の幕臣であった根 さ ぶつきようふはい しゅう いえやす ふうし 236

2. 日本のとんち話

ておるこのあたりが、とくべっ瓜がようなっておる。なんと、なんと、よいにおいじゃ、 うまいにおいじゃ。」 と、手さぐりで、一つもいで、かぶりついておると、いきなり、せなかを、 にカりつ おったまげてとびあがると、こんどは、おしりを、 をカりつ。ほかりつ おおにゆうどう まえにつんのめったままふりかえると、大入道がたっておる。そやつが、いきなり、げ わら らげら笑いだしたわい。 「お、お、おばけ 瓜ぬすびとは、あわてて、にげだしたが、瓜につまずいて、ころりん、ころころ、ころ りん、ころころ : 「やい。おらが畑の瓜ぬすっとめ。」 あっというまに瓜ぬすびとはつかまった。

3. 日本のとんち話

ぶぎよう ′一うりてき のような、いかにも合理的なフィクションの組み立てをもち、なかには、閻魔でも奉行でも理 よせ づめでその権威を奪ってしまうような自由さがあるのです。ともかくも、こうした寄席でみが かいぎやくみ かれた話題を、機智や諧虐味のあるお話につくりかえておられるのです。 こうして、『日本のとんち話』の種をさぐれば、それは性質のちがったさまざまの民話や話芸 から採用されています。そして、町や村でのお話と都会の寄席での小咄や落語がどういう関係 にあったかといえば、 いうまでもなく裏長屋や寄り合いで語られるお話がもとになって、それ を種にして咄家の小咄や落語がつくられるのです。 〈お話の意味〉「日本のとんち話』は、素材はさまざまのものからとられていても、それはすべ いひょう て川崎先生固有の創作民話につくりあげられています。しかも、どのお話も聞き手の意表をつ いたとんちゃ諧虐、それにユーモアで、江戸時代の社会の仕組みをおもしろく語ってくださる のです せんせいしやかい いったいに、江戸時代ほど庶民の自由が奪われた専制社会はなかったかのように語られてい ししようおしよう ます。しかし、奉行や殿様だとか地主や商家の主人だとか師匠や和尚たとかが、町でも村でも 息もつけなかったはずの民衆によって、どう見られ、どう語られていたかは、この本を一読な しようぐんだいみよう さることによって明らかになるでしよう。それにしても、江戸期のはじめには将軍や大名の権 ちょうしよう 威がたしかなころでしたから、その権威をみとめたままで、これを嘲笑する「方角」だとか「無 ろく 筆の願い書」のようなお話がよろこばれました。これは、世が平和になったもので、禄をはな 0 とのさま しよみん たね よ えんま

4. 日本のとんち話

おう やぜんもんどう もち屋の禅問答 むかし、むかし。 えろう大きなお寺があったわい。寺は、まことに、りつばしやが、こまったことに、 がくもん の寺の和尚ときたら、学問がきらいなうえに、もの知らず。 さて、ある日のことじゃ。 ひとりの旅の坊さんがやってきて、 ぜんもんどう 「それがし、禅問答をいたそうとそんじて、まかりこしたが、寺の和尚どのはおられるか と、ちょうど玄関のそうじをしておった、この寺の和尚さんにたずねたもんだ。 さあ、問答と聞いて和尚さん、びつくりした。あいてはけさや衣こそ古びておるが、仁 王さまのような大男。どうやら、あちこちの寺をまわりあるいては問答をしかけ、一度も ま 負けたことはござらぬという面魂 おしよう たびばう げんかん てら つらだまし 3 ころも ど

5. 日本のとんち話

「おまえも、もうちっと、ここを : : : 。」 ゅび というて、頭を指さし、 「ここを、つかえ。」 「あれは、たこというてはならん。手が八本あるから、やつでというのじゃ。だれもおら なんだから、よかったものの : して、そのやつでが、どうした。」 そのたこ いや、そのやつで : : : でございますが、えろう大きなやつで。」 「ふむ、大きかったか : それは、近ごろ耳よりな話。して、そいつの頭は、どれほど 「はて、どれほど大きゅうござりましようか : え 1 ーと。」 たさく 太作は、しきりに、あちらこちら見まわしておったが、 おしよう 「おお、そうそう。ちょうど、和尚さまの、その頭ほどでございました。」 聞いて和尚さんは、つばきを、こくんとのみこんだ。それから、頭を、つるりとなでる

6. 日本のとんち話

あわてふろしき むかし、寺の和尚さんというものは、魚や肉を食べてはならん、ということになっておっ た。これは、そんなころのお話じゃ。 だいどころ てらおとこたさく 寺男の太作が、おもてからいそぎ足で帰ってくると、ガラっと、台所の戸をあけて中に よ、つこ。 「和尚さま。めずらしいものを、見てまいりました。」 「ふむ。そりや、なんじゃ。」 太作は、にやっと笑って、 よこちょうさかなや 横町の魚屋に、和尚さまのだいすきな、たこがございました。 ゅび たこと聞いて、すわっておった和尚さんが、とびあがった。口に、人さし指をあてて、 太作をしかりつけてから、小さな声で、 てら わら さかなにく

7. 日本のとんち話

金の鳥居 むかし、むかしのお話じゃ。 びんばう ある村にナ。まだ年のわかい夫婦がおった。えろう貧乏なくらしをしとったが、 はたの見 なか る目もうらやましいほど、それはそれは仲のいい夫婦じゃった。 ていしゅ ・、、ただひとつ、こまったことがあった。というのは、ほかでもない。だいじな亭主の にようばう 頭がはげだったんじゃ。毛が一本もないんじゃ。わかい女房、 ふそく ( これでは、いくら男がようても、まげひとっゅうてあげられん。ほかになんの不足もな かな いが、うちのひとの頭に毛のないのが悲しい。 ) くすり と、いろいろ薬をつけてみたが、、 とうしてもはえてこん。 ( ああ、このうえは、神さまにおすがりもうすほかはない。 ) と、心にきめて、ある日、亭主にそうだんすると、亭主も、 しんばい 「それほど心配してくれるとは、ありがたい。さっそくふたりで、鎮守さまにおまいりに かねとり・ かみ ふうふ ちんじゅ 156

8. 日本のとんち話

りようて ひこいちとの 両手をついて聞いておった彦市、殿さんのことばがすむと、しずかに頭をあげた。 「お殿さま。それは、なんそのまちがいでござりましよう。」 「なにつ。」 「まちがいにちがいごさいません。いままで、そのようなことは、たたの一度もございま せんでした。まことに、ふしぎなことでございます。」 彦市は、いざりよって、三宝の上から、傘をていねいにうけとって、おしいただいた。 そして、じいっと見ておったが、にわかに、大声をあげた。 「おーっ、 こりや、どうじゃ。こりや、どうじゃ。」 一座のものは、その大きな声に、びつくりしてとびあがった。 彦市は、しかと両うでに傘をだきしめて、 「おお : かわいそうに・ あんなに元気じゃったおまえが : おおつ、死んどる : 、死んどる : 死んどるわーい。」 彦市は、おいおい声をあげて、なきだした。そして、おろおろ声で、 りよう さんばう かさ 、おお : 、おお 126

9. 日本のとんち話

と、橋の手すりにかごをのせて、 「やーれ、やれ。これで、ひと休みできるわい。どれ。」 権助は、片手でかごのかじ棒をおさえて、片手で腰のたばこ入れをとって、 ふかーり、ぶか 1 ーり 一ふくつけては、ポン。一ふくつけては、ポンと、手すりにすいがらを、たたいておと しておった。そのたんびに、かごは、ぐらつ、ぐらっとゆれる 中の旦那が、目をさました。 いそぎの用というに、なにごとじゃ。 ) ( はてな。かごが走っておらんぞ。えー おと 川の水が、音をたててれ すだれをあけて、外をのそいて見て、いや、おどろいたワ。 ておるわい 「旦那あ、うごいちゃいけません・せ。このてすりア、くさっとるで、あぶのうござんすよ。」 ぎよっとして、ようすを見ると、かごは、古いおん・ほろ橋のてすりに、のつかっておる かたて ふる

10. 日本のとんち話

ぎしもりのぶずいひっ 岸守信の随筆の「耳袋』のなかから話題をひろって、新しくお話につくられたものもあるくら いで、話題はたいへんひろくなっているといえるのです。 を弓し者が権威のある者に追いつめられたどたん場で、機知をふるって 「とんち話」といえま、弓、 見事に切りぬけるといったお話のおもしろさなのですが、この本では、それが「るすばんめが おもむき ねだとか「ステレンキョウ」、それに現代のお話として「おスマばあさん」などに、趣のちがっ たとんち話となって、とりあげられているのです。いわば、もっと自由で、人間の生活の知恵 けんりよく ださんこうよう A 」し・カコし 、ものの打算の効用というか、ズルがしこさの効果というか、それによって権力 せつきよくてき ばくろ おうぼうじゃあく や権威の横暴や邪悪さを暴露したり風刺したりするといった、より積極的なお話が大半をしめ ているようです。 ところで、これらのお話は、いずれも、いくつかの系統のちがった種類のものから、先生独 じ そうさくみんわ 自の語り口によって、新しい創作民話につくりかえられているといっていいでしよう。そのう のうそん ち、もっとも多数とられているのが、農村で語られていた笑い話です。それは「なまけ弁当」 やど であるとかコ一 = ロうに言われず」とか、「のみの宿」といった形のお話です。ほかにも、いくつか ひやくしようしようにん ありますが、これには、江戸時代の農村に生きたお百姓や商人でなければ語れないような物の ひこいちばなし きっちょむばなし こよ、吉四六話とか彦市話などと呼ばれる種類のもの 感じ方が出ています。ところで、笑い話冫。 じようかまち こうせい があって、これはまた一つの世界を構成していました。いずれも城下町に住んで、お殿様に奉 かつば し かきゅう 仕することで、わずかに生きているといった下級の武士を主人公にしたものです。「河童のつり」 けん わだい け と う しゆるい とのさま どく 237