川崎 - みる会図書館


検索対象: 日本のとんち話
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1. 日本のとんち話

月北亮司 高ふたごのまほ一つつかい 五百歳の誕生日に、デデブとネネプは大げんかをして : 川崎大治 川崎大治 日本のわらい話 日本のふしき話 江戸小ばなしの中からえらんで語る、わらい話一〇三編。天狗や妖怪、きつねや大蛇が登場する、ふしぎな物塹明 中 川崎大 川崎大治 日本のとんち話 日本のおばけ話 江戸時代の庶民の知恵から生まれた、とんち話四 = 碣ゾーツとする話、ゆかいなおばけなど、大人気の怪談集 ) 長崎源之助 安藤美紀夫 = むかしむかしゾウかきた おかあさんだいっきらい 戦国時代に中国からおくられたゾウを、戦火からまもる。教育ママのお母さんに対して、ちかちゃんは抵抗する。 佐藤さとる ⑦関英雄 キツネが走るプタかとぶ 宇宙からきたかんづめ ろ子ャギちゃんたち仲よし一一一人組は万引き団に誘われて : ーの棚から缶詰をとったとたん、中から声がー 椋鳩十・編 椋鳩十・編 もはすかしかったものかたり 小さい小さいこいものかたり 幼い頃のはすかしい失敗談を % 人の児童文学者が語る。 あわくほは、疋ましい幼い″恋″の思い出を明るくる。 古田足日 ア松谷みよ子 オ天人のよめさま 月の上のガラスの町 フ古代から現代までの日本民話を発生時代順にものがたる。月の上に建設された未来都市でおこるさまざまな出来事。 以下続刊

2. 日本のとんち話

日本のとんち話 川崎大治・作馬場のばる・画 フォア文庫 B 0 1 0

3. 日本のとんち話

フォア文庫 B 0 1 0 日本のとんち話 川崎大治・作馬場のほ、る・画

4. 日本のとんち話

著者紹介 川崎大治 かわさきだいじ 1902 年北海道に生まれる。早大英 文科卒業。巌谷小波門下から新し い児童文学運動に加わり、ロ演童 話や紙芝居に大きな功績を残す。 代表作「川をわたる歌声」の他、 「かヒかびよぶ」等の民話絵本多数。 1980 年 8 月 8 日死去 78 歳。 フォア文庫 この文庫は、岩崎書店、金の星社、童心社、理論社 の四社によって協力出版されたものです。 I S B N 4 ー 4 9 4 ー 0 2 6 2 1 - 2 NDC913 ・ 173X113 日本のとんち話◎ 1979 年 10 月第 1 刷発行 1993 年 6 月第 59 刷発行 著者川崎大治 発行株式会社童心社 東京都新宿区三栄町 22 容 03 ( 3357 ) 4181 ・ FAX03 ( 3358 ) 1078 本文・新興印刷 7 カバー・小宮山印刷 / 製本・田中製本 ☆落丁・乱丁はおとりかえいたします

5. 日本のとんち話

まつもとしんばちろう 松本新八郎 ( 専修大学教授 ) 『日本のとんち話』は、川崎先生の民話のうちでもユーモアあふれる意外性に富んた民話の焚 さくしゅう 作集だといえましよう。 そせん でんせつ きようげん いずれも、祖先の残してくれた民話をひろくとり、昔ばなしや伝説ばかりでなく、狂言をは こばなしらく ) 」 どくじ こうそうりよく じめ、小咄、落語からも素材をとり、それを先生独自の構想力でふくらませ、個性のあふれる ひょうげんりよく 表現力を示してくださるのです。読者の方がたから、″川崎ぶし〃といって親しまれるのは、 しゆだい こゅう そのお話の主題が、先生固有の語り口で生かされていて、読むというよりは、そのまま語れる とくちょう ようになっているのが、特徴だからだともいえましよう。 おしよう ところで、「とんち話」といえば、みなさんは、まず和尚と小僧のお話を思いおこされるでしょ う。それは、この本の「和尚さんおかわり」のように、和尚がなにかずるい考えがあって、 きてん ばくろ 僧に無理なことをしいると、小僧が機転をはたらかせて、和尚の悪がしこさを暴露するのです。 そのあざやかなやり口で、和尚さんは、あいたロがふさがらず、といって小僧を怒るわけにも いかずというところで、お話は終わります。その結末のあざやかさを感心したり、笑ったりす 解説 = このとんち話を読んた人へ みんわ こぞう こせい 234

6. 日本のとんち話

かくめい です。明治の革命はこうして、わが国の歴史により明るい窓をひらくことになります。 この『日本のとんち話』を読んでくださるみなさんが、こんなことも考えながら、川崎先生 のつつぬけに楽天的な大声にならって、ロ語りにしてくださると、みなさんは、昔の人びとと、 そのままお話しができるにちがいないと思います。 らくてんてき かわさき 242

7. 日本のとんち話

300 梶・ 0 , フォア B 010 工 S B N 4 ー 4 9 4 ー 0 2 6 2 1 ー 2 C 8 2 9 3 P 5 9 0 E II 旧Ⅲ馴引ⅧⅢ川 II 場のばる・画 ひこいち きっちょむ 彦市ばなし、吉四六さん : : : 日本には、古くから楽しいとん ぎげんようきしう ち話がいろいろあります。この本には、『戯一言養気集』『醒 すいしよう みみぶ′名 こてん 酔笑』『耳袋』などの古典から少年少女向きに再話したれ編 のお話がおさめられています。落語でおなじみのお話も、た くらはうけんしやかい くさん出てきます。いずれも暗い封建社会の底にたたえられ た、庶民の明るい機知にあふれています。 ・語り口を生かした〈川崎民話〉 ・「読売新聞」評 ひこいちきっちょむ おしよう だれもが知っている彦市や吉四六の話、和尚と小僧の話をはじ 当ようげんずいひっ め、狂言や随筆、さらには人々の間に語りつがれてきた笑い話 したが や小咄、落語なども素材とされています。従って、内容も、 きせいどそくばく じゅうしやみんしゅう 級制度の束縛の中で従者や民衆が主人や役人を機知でやりこめ のうみん る話や、商人や農民の姿をありのままに、とんちにこめた話な とう - じ ど、当時の歴史が生き生きと語られています。 9 7 8 4 4 9 4 0 2 6 21 0 ( 治・作 日本のとんち話 1 91 8 2 9 5 0 0 5 9 01 フォア文庫 B 010 童心社 定価 590 円 ( 本体 573 円 ) フォア文庫の整理番号 ・アルファベットとシンポル・マークの色によって対象 を表示してあります。 ・数字は対象別の通し番号です。 ・定価の変更によって広告表示と実際の定価カ嗄っ ている場合もあります。 川崎大治・作 A = 小学校低・中学年 B = 小学校中・高学年 C = 小学校高学年・中学 FOUR 装丁安野光雅 BUNKO

8. 日本のとんち話

日本人は、とんちゃューモアにとぼしいと、よくいわれますが、けっしてそうでは ありません。昔の人たちの暮らしをよくみますと、ゆかいな「とんち話」が、山ほど あるのです。 この本には、そんなお話をたくさんのせました。 かごや こばうずからかさやはんこ ひやくしようちょうにんげなん 百姓に町人、下男に小坊主、唐傘屋に判子屋、それに、駕籠屋に餅屋、大黒さまま でとびだして、いろんな事件にぶつかります。ぶつかりはしますが、みなそれそれに、 思いもよらぬ知恵をはたらかして、めでたく危機をのりこえていきます。そのときの わら じんぶつ けつまっ 人物や事件によって、結末もいろいろ。そこから生まれる笑いや風刺。そのおもしろ さも、まことに、いろいろさまざまです。 わ 昔の人たちの暮らしの中から愑き出てくる、これらの知恵のみごとさには、ほんと にびつくりさせられます。 さあ、しつかり読んでください むかし じけん ふうし かわさきだい もち 川崎大治 だ じ

9. 日本のとんち話

ぶぎよう ′一うりてき のような、いかにも合理的なフィクションの組み立てをもち、なかには、閻魔でも奉行でも理 よせ づめでその権威を奪ってしまうような自由さがあるのです。ともかくも、こうした寄席でみが かいぎやくみ かれた話題を、機智や諧虐味のあるお話につくりかえておられるのです。 こうして、『日本のとんち話』の種をさぐれば、それは性質のちがったさまざまの民話や話芸 から採用されています。そして、町や村でのお話と都会の寄席での小咄や落語がどういう関係 にあったかといえば、 いうまでもなく裏長屋や寄り合いで語られるお話がもとになって、それ を種にして咄家の小咄や落語がつくられるのです。 〈お話の意味〉「日本のとんち話』は、素材はさまざまのものからとられていても、それはすべ いひょう て川崎先生固有の創作民話につくりあげられています。しかも、どのお話も聞き手の意表をつ いたとんちゃ諧虐、それにユーモアで、江戸時代の社会の仕組みをおもしろく語ってくださる のです せんせいしやかい いったいに、江戸時代ほど庶民の自由が奪われた専制社会はなかったかのように語られてい ししようおしよう ます。しかし、奉行や殿様だとか地主や商家の主人だとか師匠や和尚たとかが、町でも村でも 息もつけなかったはずの民衆によって、どう見られ、どう語られていたかは、この本を一読な しようぐんだいみよう さることによって明らかになるでしよう。それにしても、江戸期のはじめには将軍や大名の権 ちょうしよう 威がたしかなころでしたから、その権威をみとめたままで、これを嘲笑する「方角」だとか「無 ろく 筆の願い書」のようなお話がよろこばれました。これは、世が平和になったもので、禄をはな 0 とのさま しよみん たね よ えんま

10. 日本のとんち話

ばくまっ からかさ とか「生きている唐傘」とかは、すべてこの類にはいります。人びとは、こうした下級の武士 みんしゅう に機知の天才を見つけ、それを親愛の目で見ているのです。いわば、民衆の笑いは、その生活 しんこく の場に直接のつながりがあるので、「とんち」というよりは、もっと深刻な、権威や強者との対 かっとう とくちょう 立と葛藤が、話題にされることに特徴があるといっていいでしよう。 それから、もう一つの系統というのは、都会に住む市民のなかの笑い話をもとにした、小咄 や落語などを素材にしたものです。京都、大阪や江戸のような大都会に住んで、市民あいての はなしか げいじゅっひん お話を職業とした咄家の手になるものですから、ほんらい、完結した芸術品なのですが、それ ろうにん を川崎先生は、民話に語りなおしておられるのです。小咄には浪人ものの手になったものとか、 しようかどうらくもの 商家の道楽者の主人たちの手になったものとかがあって、咄家の出身によって、話題や趣向に しようじき ほうがく むひつねがしょ 大きなちがいがあります。たとえば、「方角とか「無筆の願い書とか「正直ものめ」といっ た、おもに浪人が、市民のがわにたって、武家の権威のたわいなさを笑って見せたようなもの もあれば、「くさい商法ー「そろばんじようず「あわてふろしき「大黒さまのちえ」などのよ うに、品物の売買にたずさわる商人出身の咄家でなければ、つくれないようなものもあります。 これらの小咄は、いずれも後の落語のマクラとして語られてきたものです。 落語は江戸の中期になって成立したのですが、咄家には浪人もいれば商人もいましたけれど、 しよくにん うらながや 幕末になるにつれて職人出身が多くなり、それに聞き手には裏長屋の市民が多くなってきま す。それたけに、「るすばんめがね」だとか、「おけちみやくの印」たとか、「ステレンキョウ」 いん だ しゅこう 238