お父さん - みる会図書館


検索対象: 誰か
113件見つかりました。

1. 誰か

の人たちは晴れ着を着てますよね。日本髪を結ってるおばさんもいる。これだと違う顔 に見えるんじゃないのかなあ」 それは彼の言うとおりだ。私は数えてみたが、記念写真に写っている女性は十二人で、 そのうち十人までが着物を着ている。日本髪は一人だけだが、この当時は、正月の盛装 で着物を着ると、女生はたいていそのために髪をセットしたものだ。だから残りの九人 も、おそらく普段とは髪型が違っているのだろう。 「そうね。だからわからないのかも」 婚約者の助け船に、聡美は救われたような顔をした。 「それじゃ、あなたを怖がらせた女性じゃなくても、記憶に残る人はいませんか。当時 は社員寮に住んでいたんですから、お父さんお母さんの同僚は、そのままあなたにとっ て近所のおじさんおばさんだったわけです。誰かの顔に見覚えはないですか」 聡美はしばらく考えた。呼吸の音がする。 「このおばさんーーー」と、前列二人目の中年女性を指差す。 「この人は隣にいたんじゃないかしら。でもわからないわ。はっきりしません」 皿またそろとりなすように、浜田が私に言った。「考えてみたら、僕も四歳のころに近 所に住んでた人のことなんか、覚えてないですよ」 誰私だってそうだ。少しでも手がかりはないものかと思っただけなのだが、困惑顔をさ れると、若い二人を苛めているみたいな気分になってしまう。

2. 誰か

ら、『小さなスプーンおばさん』の作者アルフ・プリョイセンは、幼い読者に「どうし てスプーンおばさんは小さくなったり大きくなったりするの」と尋ねられたとき、何と 答えたのだろうと想像した。 そのうちにその問いかけが、梶田聡美の声になった。どうしてわたしは妹より十歳も 年上なの ? どうしてわたしがお姉さんで、梨子が妹なの ? どうしてわたしは梨子み たいに可愛がってもらえないの ? どうして梨子はお父さんお母さんの″いちばん星〃 なのに、わたしはただの子供なの ? 鼻先まで湯に浸かってしまい、あわてて目が覚めた。湯が冷めて、寒かった。 翌日も一日机にかじりついていたが、グレスデンハイツ石川の管理室長に電話するこ とは忘れなかった。 今度の土曜日にチラシを配りたいということを話すと、久保管理室長は鼻声で応じた。 「管理組合の理事長には話しておきましたよ。そりや反対する理由はない、警察の捜査 にも協力することになるんだからって」 皿「ありがとうございます。住人の方の出入りのお邪魔にならないように気をつけます」 管理人のなかに、梶田氏の顔に見覚えがあるという人がいたかどうか尋ねると、 誰「あー、それね。すみませんね。訊いてみたけど駄目だった。これだけの大所帯でしよ。 私ら、住人の顔だって全部は知らないくらいだから、外から来たお客さんじゃね、よっ

3. 誰か

ンピュータソフトウェア会社に勤めているという。 「浜田さんは、あなたの抱えている心配事をご存知なのですか」 「彼には全部話してあります」 「最初にお会いしたとき伺ったーーーその、何ですね、あなたが四歳のとき、誘拐されて 怖い思いをしたという事柄についてもですか ? 」 少しためらってから、聡美ははいと答えた。 「そうですか」 私は出方を考えた。 「昨日、トモノ玩具へ行ってあらためて感じたのですが : いえ、お話しになりたくな いというものを、無理に聞き出すつもりはありません。でも、トモノ玩具の社長さんの お話では、あなたのお父さんお母さんは真面目な従業員で、会社を辞めたときの事情も、 これと言って印象に残るものではなかったようなんです。ですから、あなたの経験した 大変怖い事柄ーーそのためにあなたのお父さんお母さんが、あわててトモノ玩具を辞め て逃げ出さなくてはならなかったほどの出来事というのは、少なくとも外から察するこ とができるようなものではなかったらし い。だからといってあなたの思い過ごしだとか 勘違いだとか決め付けるつもりはありません。ただ、やつばりもう少し詳しいことを伺 誰わないと いや、そもそも私が伺っていいことなのかどうかもよくわからないのです 「ーやゝ 四カ」

4. 誰か

その数日後、梶田姉妺から義父に連絡があった。相談事ができたというのだ。義父は 喜んで、休日に自宅に来るようにと招いた。そして彼女たちの話を聞くと、これは自分 よりも、娘婿に向いている案件だと判断したのだそうだ。 妻は、少しばかり私を驚かそうとしたのか、思わせぶりにちょっと間を置いてから言 つつ 0 「梶田さんのお嬢さんたちは、本を書きたいのですって」 「本 ? 」私は眉を持ち上げてみせた。私の眉は端が下がっているので、これはなかなか 難しい作業だ。 「お父さんの伝記というか」妻は言って、自分で自分の表現に小首をかしげた。「それ だと大げさになるわね。要するに、お父さんがどんな人生をおくり、どんな人だったか ということを文章で書いて、本にして出版したいということじゃないかしら」 私にも、ようやく義父の考えがわかった。私は編集者だ。本を作るとなれば、編集者 の出番だ。 「それじゃ僕に、その原稿を見てくれということなのかな ? 」 「たぶんね。具体的な内容は、お嬢さんたちに会って聞いてみた方が話が早いと思うけ れど、でもあなた、どう ? 引き受けるにしろ断るにしろ、一度は会ってやってほしい と父は言っていたけど、あなたが気が進まないなら、わたしが代わりに会ってもいいの

5. 誰か

8 の奥さんも、そのときまわりには人っ子一人いなかったって言ってました。カンカン照 りで、がらんとして、車さえ通ってなかったって」 お盆の帰省シーズン、抜け殻のように静まり返った街の情景が目に浮かぶ。排気ガス の総量が減るから、空は底抜けに青い 「その自転車の、赤い e シャツの子供が、父を殺した犯人に決まってます」梨子は断一一 = ロ し、またぎゅっと拳を握った。 確かにその可能性は高い。だから義父は表面に立とうとしないのだと、私は思った。 私も右手をゆるく握って、鼻の下にあてがった。考え深そうに見えるといいのだが、 と思いながら。 「そうしますとーー・お父さんについて本を書かれるのは、主に妹さんということになり ますかね」 とが 聡美が私を咎めるように、ばっと顔を上げた。梨子は勢いよくうなずく。 「はい、わたしが書きます ! 」 「梶田さんの人生を忠実に書くとなると、いろいろと調べごとや、人に会う必要も出て くると思いますよ。お父さんが若いころのことは、あなた方もご存知ない。昔の話をし てくれる人が、すぐ連絡のとれる人ならいいですが、たとえばお父さんの昔の同僚なん かは、現住所や連絡先さえわからない可能性がある。お母さんがご存命でしたらまた違 ったでしようけれど」

6. 誰か

「いつもの顔よ。ど偉い会長さまの、のほほんとした婿殿の顔」 疑り深い探偵の顔には見えないらしい。無能な編集者に見えなかっただけ、幸いか。 じき 「『ああ、やっと時期がきた』と、ネコがいいました。『あたしはなん日ものあいだ、ま って、まちつづけていたけど、やっときよう、その日がきたんです。あたしのせなかに おのりなさい。そうして、すぐにでかけましよう』 ゆき おばさんがせなかにとびのると、ネコは、雪をけたてて、かけだしました」 私は桃子のべッドの脇に座り、『小さなスプーンおばさん』を読んでいた。今夜は第 九話「おばさんとひみつのたからもの」だ。 桃子は眠そうで目が半分閉じている。それでもお話に惹きつけられて、懸命に睡魔に 抵抗している。 「お父さん、ネコのひみつのたからものって、何だろう ? 」 「それを先に知ってしまったら、つまらないよ」 まなむすめ 「ちょっとだけ教えてくれない ? ヒント」と言って我が愛娘は大あくびをした。 「ムフ夜はここまでにしとこ , つか」 「えー、おしまいまで読んでエ」 昼間は何事もなかったと、菜穂子に聞いた。おかしな電話もなかった。あなた、大丈 夫よ、あんまり思いつめない方がいいわ。 にち

7. 誰か

ししよ。ショートケーキはつまんなかった。お父さんそっちのバイが食べたい」 コケモモジャムを使った、どちらかといえば大人向けのパイだ。それでも桃子が惹か れたのは、『小さなスプーンおばさん』のなかに、おばさんお手製の美味しそうなコケ モモのジャムが出てくるからだ。おばさんのご亭主は、焼き立てのバンケーキにそのジ ャムをたつぶり塗って食べるのが大好きなのだ。 桃子はいそいそと皿を取り替え、ショートケーキの大きなイチゴにかぶりついた。 「あなたったら」と、妻が言った。 「うん」うなずいて、私は妻の顔を見た。「家にいるときもかかってきたんだ。これで 二度だ」 妻には卯月刑事から聞いたことをすべて話してある。だから、私の考えていることを 察したと思う。瞳が動いた。 「迷惑メールじゃないのね ? あとほら、ワン切りしてかけ直させて、請求書を送りつ けてくるとか。ニュースで見たわ」 「違うと思うよ。あの手のものは、かけ直させることが目的なんだから、非通知じや意 味がない」 菜穂子はフォークを置くと、口元を指で押さえた。「あんまり考えすぎない方がよく 「情報提供者かもしれない。いたずら電話かもしれない」と、私は言った。「可能生は

8. 誰か

くず いて乾燥した、ガムの屑に向かってしゃべっているようだった。 「お父さんの納骨のときー・ートシのお父さんとお母さんが来て、お姉ちゃんともう すっかり家族みたいに仲良くしていて。わたし、たまらなかった」 しのよ、トシは仕方ないと、かばい宥めるように、つないだ彼の手を揺さぶ うわべ る。「お姉ちゃんといるときは、そういう顔をしてなくちゃならないもの。上辺をつく ろってなくちゃならないもの」 深くうなだれたまま、浜田が何か言った。私には彼の顔が見えない。前のめりになっ た背中しか見えない。 ごめんよ、と言ったようだった。 「それであのーー辛くて悲しくて、やつばりわたし、トシを諦めなくちゃならないのか なって思って。でね、杉村さんの家に電話したとき、奥さんが出たでしょ ? 」 二十四日の夕方のことだ。私の帰宅が遅れて、梨子からの電話に妻が出た。その伝言 で、私は脅迫電話がかかってきたことを知らされたのだった。 梨子は泣いていた。いっ泣き出したのか、私は気づかなかった。涙がいく筋も頬を伝 砒い、顎の先にたまっている。 「はい杉村でございますって。主人はまだ帰っていないんですよ、ごめんなさい。帰り 誰ましたらお電話させますね」 あの晩、妻が言ったであろう受け答えを、梨子は暗誦するように呟いた。

9. 誰か

「それは語りの技術の差だな」 私が威張ってみせると、妻は本気で悔しがった。面白い 「そういうものだって押し切るしかないよ。僕は『赤頭巾ちゃん』を読んでやったとき にも経験済みだからね。お父さん、赤頭巾ちゃんはどうして一人で森へ行くの ? どう してお父さんお母さんと一緒に行かないの ? 桃ちゃんは一人でお出かけしちゃいけな いでしよう。どうして赤頭巾ちゃんは一人でお出かけして叱られないの ? 」 そのときも私は、「どうしてか一人で出かけちゃうんだよね」と言い張ってごまかし 「それでいいのかしら」 「いいのさ。だって正しい解答なんかないもの。どうしてかな、桃子はどうしてだと思 うと訊き返すのもいいね」 「考えるきっかけになるから ? 教育者つばい発想ね」 「君だって本を読んでるときに、作者の設定に納得がいかなくて、どうしてどうしてと 思うことはあるだろ ? そ , つい , っときどうする ? 」 し加減なことを書いてるって思っ 妻はちょっと黙ってから、笑った。「この作者はい、 て、読むのをやめちゃう」 厳しい読書家だ。 食事のあと、ワインが残っている状態だったので、温い風呂に入った。半分眠りなが める

10. 誰か

そこで跳ね躍る。 「君、君だよね ? 」 できる限り優しく、桃子に本を読んでやるときの声で、私は呼びかけた。 「よく電話してくれたね。ありがとう。よく決心して、かけてくれた」 相手は黙って聞いてくれている。私は身体ごと前のめりになって語りかけた。 「事情はわかってるんだ。君の気持ちもよくわかる。いや、わからないかもしれないけ れど、僕も一生懸命想像してみたんだ。怖かったろう。今も怖いよね。起こってしまっ たことはもう元に戻せない。だけどね、このまま逃げてしまったら、君はずっとその怖 い気持ちを背負い込むことになるよ。そんなの嫌だろ ? かえって辛いよな」 電話の向こうの沈黙が揺れている。さざめいている。 「梶田さんにはね、お嬢さんが二人いるんだ。二人とも、お父さんが大好きだった。だ からとても悲しんでる。でもだからって、君を許さないってことじゃない。そんなこと は絶対にない。二人がいちばん悲しんでるのは、お父さんの身に何が起こったのか、さ つばりわからないってことなんだ。それを考えてみてくれないか ? 」 「梶田さん」と、私の携帯電話が囁いた。 「そう、梶田さんだ」 沸き立っ感情の下をすり抜けるようにして、私の理性が私に囁きかけてきた。相手の 声をよく聞け。