しゃれ 私の舅は用意周到な人間であるから ( これは洒落ではない ) 、実際に社内にスパイを 飼っているのだろうし、それにゲシュタポ的な仕事をさせることもあるだろう。しかし、 グループ広報室は違う。そうでなければ、私が配属されるわけがない。 菜穂子と結婚するとき、義父が提示した条件がそれだった。今多コンツェルンに奉職 し、グループ広報室で記者兼編集者として働くこと。 つまりは、常に義父の目の届く場所にいるということだ。この場合の「目」は、イコ ール「権力」だが。 私は当時、子ども向けの図鑑や絵本専門の小さな出版社「あおぞら晝房」に籍を置い ていた。大学を出たばかりの私を採用してくれた、ありがたい会社だ。好きな仕事だっ こ。定年まで働きたいと思っていた。子供の本を作るのは、私にとって充分にやりがい のある事だった。 それでも、菜穂子を諦められなかった私は、義父のその提案を呑んだ。 「あおぞら書房」は良い会社だった。ずっと良い会社であり続けるために、私は必要不 可欠な存在ではなかった。一方、私には菜穂子が必要だったし、菜穂子も私を必要とし てくれていた。だから他に道はなかったし、選択は厳しいものではなかった。 「あおぞら書房」の同僚たちは、私のために喜んでくれた。たいそうな出世だと。「逆 玉の輿」いわゆる「逆タマ」という一一 = 〔葉を、私とて知らなかったわけではない。ただ、 自分に対してその言葉が適用されることがあり得るとは夢想だにしていなかった。
初めて「外商」という存在に会ったのだった。私と私の育った環境では、店とは客が足 うやうや を運んで行く「場所」であって、客の家を恭しく訪ねてくる「人」ではなかった。 かじた 「父の運転手だった梶田さんのことなんだけど : のぶお フルネームは梶田信夫という人だ。妻が「だった」という言葉を使ったのは、彼がす でに故人であるからだ。私は妻の顔を見ながら、彼女の言わんとするところ、つまりは 義父の依頼の内容をあててみようと試みた。 「そろそろ納骨だったかな」 義父は私に、お気に入りの運転手だった梶田氏の納骨に、また自分の代理として出席 してくれというのだろう。しかし妻は、軽くたしなめるように私の膝を叩いた。 「納骨にはまだ早過ぎるわ。今はやっと半月だもの」 「亡くなったのは、先月の十五日だったよね ? 」 私だって忘れたわけではないのだ。八月十五日というのは、人の命日としてなかなか 印象に残る日付である。 しら 梶田氏が死んだという報せを、私たちは軽井沢のリゾート・ホテルで受け取った。電 ~ 話をかけてきたのは義父の第一秘書で、私が常々 ( 心のなかだけで ) 畏敬の念を込め 〃氷の女王〃と呼んでいる人物である。 " 氷の女王。は、今多会長が私に、梶田氏の通夜と葬儀に列席することを望んでいると 伝えた。私はすぐに了承し、手荷物をまとめ、自宅に戻ることにした。妻は、私が一人
なんですけどね」と、聡美をつついて笑う。私は、友野栄次郎氏が同じように肘の先で 嫁の文子さんをつつついていたことを思い出した。 私もいっか、これから所帯を持とうという若いカップルの前で、菜穂子を肘でつつき ながら、「これの若いときはね」などと言えるようになるだろうか。桃子と彼女の婚約 者とタ食のテープルを囲みながら、「私らの恋愛時代はねえ」と語れるようになるだろ 私と妻は仲のいい夫婦のはずなのに、どうして私は、何かというと、自分たちもゆく ゆくこんなふうになれるだろうかと考えてしまうのだろう。私と菜穂子のあいだにある 何が、私に疑問を抱かせるのだろう。 私も聡美と同じく小心なのだ。いつも後ろを振り返り、何かが追いかけてきはしない かと法えているのだ。 それは何故だろう。 聡美は、過去が怖かったからだ。 私は、今の幸せが怖いからだ。 むつ 仲睦まじい浜田と聡美を見ながらばんやりとそんなことを思っていたら、浜田がテー プルの端に置いていた携帯電話が鳴り始めた。きれいな和音の着メロが流れる。 誰私はおやっと思った。どこかで聴いたことのあるメロデイだ。そしてそういう自分の 思考に、重ねておやおやっと思った。つい最近、これとよく似たことがあったような気 ひじ
しつ見ても 私のコーヒーが運ばれてきた。ここのポーイの制服のズボンの折り目は、、 かみそり 剃刀のようにすつばりとした直線だ。 コーヒーがテープルに置かれると、また、「ありがとう」と私は言った。 義父は革張りのソフアのなかで身を起こし、ちょっと目をしばたたいてから、私の顔 を見た。 「昼間、菜穂子が来てね」 やつばりな。 「梶田さんのお嬢さんたちには、昨日、社の方でお会いしました。ご報告が遅れてすみ ません」 大変申し訳ございませんでしたと言わない分、私も義父に慣れたのだ。 「そりやいいんだ」 プラックのコーヒーをひとロ飲むと、義父は気楽な感じで問いかけた。 「それで、どうだね。本を出す見込みはあるか ? 」 義父は、ひょっとしたら、そんな機会に恵まれてもしも私が本気を出したなら、片手 で襟首をつかんで床から持ち上げることができそうなほどの華奢な体格の老人だ。 それなのに、私は気圧される。たとえこの老人が私の舅ではなく、ただの財界有名人 であって、たまたま私がその人の前に出たのであっても、やはり圧倒されるのだろう。 それは恥ずかしいことではない。たぶん。
不測の事態が起こったら 菜穂子は生きていられまい。私だってそうだ。命は落とさずとも、残りの人生は死人 として暮らすしかない。だが、私のことはこの際どうでもいいのだ。菜穂子と桃子のこ とだけ考えていればい、。 だから私は抵抗をしない。私の裁量とか、私の分相応とかいう一言葉も概念も持ち出さ ない。非現実感に襲われて居心地の悪い思いをすることがあっても、それは私が自分の 問題として処理すればいいのだから。 「あるいはね、学校が決まったら、思い切って近くへ引っ越すという手もあると思うの 妻の言葉に、私の心はまた非現実感に揺れた。子供付きの運転手か、子供の通学に合 いや、妻にはそれができるだけ わせた新居か。抵抗しない。反対しない。我々には じゃよ、ゝ。 ナ : し・・刀 の余裕があるのだから、 「引越しも楽しいかもしれない」と、私は言った。ぎくしやくした口調になってないと しいがと祈りつつ。 ねえ 「とにかく、義兄さんと義姉さんに相談してみたらどうだろうね。経験者だからさ」 「うん、そうね」 渋滞列の隙間に器用にすべりこみながら、菜穂子は軽くうなずいた。顔は前を向いた きまだ。
る。私はその椅子を勧められた。 「えーと、私は管理室長の久と申しますけども」 制服の胸をばたばたやって、それから背後の小引き出しを開け、名刺を取り出して私 にくれた。 「ご丁寧にすみません」 「だけどあの事故のことだと、私らあまりよく知らんのですよ。ここは閉まってたから ね。盆休みで」 「存じています」 私は、事故の以前にも、梶田氏がここを訪れたことがあるかどうかを知りたかったの 梶田氏はここに何をしに来ていたのか。誰かに会いに来たのではなかったのか。やっ ばり気になった。 梨子の言うとおり、ただの気まぐれなドライプだったのかもしれない。だが、何とな く釈然としないような気が、私はした。それに、、きなりタテカンに写真を貼って帰っ てくるだけでは、子供の使いのようだ。せつかくだから、管理人と話してみてもいしオ ろう。 誰「何ちゅうか、後生が悪かったですよ。私らがいないときにああいうことが起こると ね」 、、つ ) 0
私が降りる時、彼も運転席から降りてきて、後部座席のドアを開けてくれた。私が不 器用に傘を広げているあいだ、小雨に濡れながらも姿勢を正してそばに立っていた。 そして、私にだけ聞こえるくらいの小さな声で、私にだけ見えるぐらいの小さな笑顔 と韭ハに、こ , つ一一 = ロった。 「おめでとうございます」 私が受けた、最初の祝福の言葉だった。その後ろに、「でもねえ」とか「これから大 さいぎ けいべっ 亦夂だ」とか、「 , つまくやったじゃよ、ゝ オし力」とか、猜疑、冷笑、疑念、軽蔑などなど、さ まざまな表情や仕草のくつついていない、純粋な「おめでとう」だった。私の目には、 彼が喜んでくれているのが見えた。気持ちが伝わってきた。それは、私の実の親たちが とうとう発することのできなかった祝福の言葉だった。だからよく覚えている。 義父も覚えていたらしい。聞こえていたのだ。だからこそ、大勢いる秘書や補佐役の 誰かを遣れば済むところに、わざわざ私を名代に立てて、梶田氏の死出の旅の見送りに 行かせたのだろう。 そして今度は、その梶田氏にかかわる何事かで、義父が私に頼みがあるという 梶田氏は事故で亡くなった。真夏の陽盛りの歩道で、自転車に撥ねられたのだ。撥ね た人物は逃げてしまった。梶田氏を見つけて一一九番通報してくれたのは、通りがかり の主婦である。 犯人が捕まったという報せは、まだない。自転車による歩行者の死傷事故というのは、
水曜日、私が出勤すると、シーナちゃんがもう来ていて、パソコンのモニターの前に 座っていた。私の顔を見ると、嬉しそうに手招きした。 「見て見て見て」 梶田さんのチラシだった。シーナちゃんは私よりもはるかに有能なパソコン使いだ。 見やすいレイアウトだ。事件のあらましと、情報を求める丁寧な呼びかけと、梶田さ じようとう んの顔写真。連絡先には、タテカンにあった城東警察署の番号のほかに、私の携帯電話 の番号も並べて記してある。 私が見入っていると、シーナちゃんは心配になったのか、 「見て見て見てる ? 」と訊いた。 誰「見て見て見てるよ。よくできてるね」私は心を込めて言った「ありがとう」 「今朝六時に来て仕上げたんですよ」
私に気づくというより、そんな梨子に気づくのが遅れて、浜田利和は彼女よりも一歩 前に出た。からみあっていた二人の腕がほどけかけた。 とこの誰だかわからないという顔をした。 そして彼も私を見た。一瞬だけ、、、 それから、彼の目がばかんと見開かれ、顎が半分ほど下がった。 いつでも機敏な梶田梨子は、私に先んじて問いかけてきた。 「杉村さん」 声は震えていなかった。この秋空のように澄んでいた。それでいて、身を切り裂く真 冬の突風のように鋭かった。 「ここで何をしてるんです ? 」 並んでべンチに座ると、浜田利和のインデイゴプルーのシャツから、男性用コロンの 香りがした。梨子は浜田の車の助手席にいる。私が、まず十五分だけ、彼と二人きりで 話をさせてくれと言ったからだ。 フロントガラス越しにこちらを見ている梨子は目を細めていた。私と浜田の会話を、 砒くちびるの動きで読み取ろうとするかのように。私たちの交わす会話を、取って食おう と待ち構える捕食者のように。 誰「いっからですか」と、私は訊いた。 浜田利和は、開き直りふてくされたような顔をしていても、やつばり健康で闊達そう
ないの」 それならやめればいし 、と、私は言った。組み合わせて楽しむものは、他にもいくらで も見つかる。 最近は、和紙を使って紙人形を作ることに凝っている。このところ毎晩、夕食が済む と、いそいそと道具箱を広げていた。 今夜は何もしていない。片手にテレビのリモコンを持ち、気のなさそうな表情で、番 組の切れ目のコマーシャルを眺めているだけだ。 私が声をかけようとしたとき、妻がこちらを見た。そしてリモコンでテレビを消した。 「すぐ寝ちゃったみたいね」 私が隣に座れるように、ちょっと寄ってくれた。そんなことをしなくても、ソフアは 充分に大きい。結婚前の私の年収を全部はたいても、消費税分が足りなくなるくらいの 高価な輸入家具だ。妻が席を動いたのは、隣に座ってほしいという意味なのだ。 だから私はそうした。妻はにつこりして、リモコンをフロアテープルの上に置いた。 「実はね、あなたにちょっと相談したいことがあるの」 私はとっさに、離婚を切り出されるのだと思った。 信じられないような幸運のなかにあって、それがいつ自分から取り上げられてしまう かとビクビクせずにいるには、どのくらいの度量が必要なのだろう。仮にそれがバケッ 一杯分ほどの量だとしたら、私が持ち合わせているのはコップ一杯分ほどでしかない。