192 「相談ごとか」河上はマウスをはなして、重田の話を聞く姿勢をとった。 「松本はいま横浜地検に間借りをして、県警の捜査を監視したり、エムザの女性弁護士やア ゼック社のことを調べたりしています。デスクを離れ、慣れない仕事をしているわけです、 それもひとりで。彼は電話ロで非隲を上げていました。横浜地検の公安係も暇じゃないです から支援は期待できません」 雪然だな。で、蕀珊をいいたまえ」 「彼は応援を求めています」 「それだったら、松本にはあきらめろと伝えてくれ。啝示も暇じゃない。応援の検事なんて 出せるか」 「ですから、サポートにまわすのはうちではなく警察の方です。神奈川県警の公安や外事課 いかがでしよう」 に直接指示してもいいのですが : 「警察はまずい。県警の公安部隊を動員したら刑事課の連中に気づかれる。同じ警察内で動 きがあれば、すぐにわかってしまう」 「あるいは、警察庁の公安第一課か外事課あたりに連絡するというのは ? 「それこそ、もってのほかだ」河上はぎよろりと目をむいた。 「警察庁を動かすのは最終局面になるまで待て。いまはまだその時期ではない」 「ではどうします ? 」
序の担い手であると真剣に思いこんでいた。 いま局検察庁「第一一検」の会議ル 1 ムでは三人の人間がテ 1 プルを囲んで話し合っ ていた。 「われわれの予測に反して横浜で動きが出ました。これが新しい捜査報告書です」束地検 の公安検事松本淳也は最上級検察官に一通の書類を渡した。 「警察官が殺されている」河上竜太郎は憮然とした表情で書類を受け取った。河上は地局検 の中でも異色の存在だった。名古屋地検をふりだしにずっと公安検察の道を歩み、そのまま 最高検察庁にまでのばりつめた。やせぎすでカマキリにも似た公安エリ 1 トは「第二検事 室」主部長の要職についていた。河上は捜査報告書にざっと目を通し、そのあと、となりに 座っている重田雄一一にまわした。重田は局検公安部検事で、河上の直属の部下だった。 主部長はふたたび地検の検事にきびしい目を向けた。 染「事件が起きて、やっと腰を上げるのでは刑事部検事の連中と変わらない。尺地検公安部 汚はいっからそんなに腰が重くなったんだ。きみも部内の研修で公安捜査のイロハぐらいは習 章っているだろう」 「こちらは里示をマークしていましたから : : : 。纜庁の公安外事課もアゼック社について 第 はノ 1 マ 1 クです」 霧視庁などを信用するからだ。大体、外事課はソ溥朋壊後ふぬけになっている。冷戦が終
「主部長」重田が口をはさんだ。 「松本がいったようにこの件にはちょっとした事情があるのです -J 河上は地検の検事から腹心の部下に視線を移した。 「まだ私の知らないことがあるのかね」 「アゼック社代表者の須藤明は」重田は上司の皮肉を無視していった。 「元警察官です」 「警官だった、あいつが ? 」 「ええ」曩局検の公安検事は事務連絡でも報告するようにつづけた。 「須藤は六年前まで擎視庁に勤務していました。彼が配属されていたのは外事一課です」 「外事課 ? 河上はやせぎすの顔全体に驚きの表情を浮かべた。外事課は公安部の中でも外 国人を対象とする情報収集部隊だった。擎視庁の外事課は一課と一一課に分かれ、一課は旧ソ 略連・東欧を担当していた。 謀「じゃあ須藤は公安警察に所属していたのか」 章「そういうことになりますね。須藤は公安捜査について内部経験をもっている。こちらの監 五視班を出し抜けたのもたぶんその知識が役立ったのでしよう」 「他人事のようにいうな」河上は節くれだった指を突きつけた。 「これはきわめて重大なことだぞ。あの男の素性がわかるまでなんでこんなに時間がかかっ
は関心だった。たとえ変質者が幼児をレイプし、小さな手足を切り落としてバラバラにす る事件が起きても、彼らは微動だにしない。そのかわり国家秩序に対する反抗であればどん なにささいな事件でも見逃さなかった。市民グループが無許可の反原発ポスターを電柱に貼 っただけで、公安検事は色めきたち、すぐに小うるさい市民どもを監視するよう警察に命じ 公安検察は他の検察セクションからも隔離され、その内部組織はハイテク電子機器に組み こんだプラック・ポックスのように徹底した秘密主義がとられている。そのため彼らの活動 も多分に神秘主義のべールにつつまれ、世間からは何かとうさんくさく見られていた。しか し、実際のところ、検察公安部の仕事といえば退屈なデスクワークが中心だった。検事が自 分でおとり捜査、潜入、尾行、電話盗聴などの捜査活動をすることはまずありえない。とい うより、いまの状況では不可能なのだ。公安部のがもっとも充実している示地検公安 染部でさえ配煖事の数はたったの十五人しかいない。全国の公安検事をかき集めても百数十 汚人にすぎなかった。わずか百数十人の検察官で国内主要な数千の政治団体、数百の宗教団 章体、数十の外国大公使館、それに薮の市民団体、労働組貪学生自治会すべてを監視する ことは到底無理だった。そこで実際の情報や監視活動は警察に頼らざるをえない。纜 第 庁をはじめ全国の主要な都道府県警察には多数の捜査員を擁した公安課が置かれている。公 安課のほかにも外事課など公安関係の部署が完備され、専門の捜査員が治安に目を光ら
た。一一度にわたる法曹人口増員のささやかな恩恵を受けて、検察官の人数は最近やっと定員 数をみたすようになった。法務省の人事課や検察庁の幹部は、自分たちのリクルートが成果 をおさめ、一一十年間つづいた検察官不足が解消されたと得意気になっている。しかし、小野 寺たち第一線の検事は誰もそんな幻想を信じていなかった。もともと検察官の定数自体が低 すぎるのだ。検察官は全国でわずか千一一百人しかいない。定員増の計画が実現しても、四十 人増えるだけだ。小野寺が日頃つき合っている神奈川県警本部の警察官でさえその一一倍はい 小野寺たちはたった千一一百人であらゆる犯罪の処理を背負いこんでいる。犯罪総数は年間 一一百万件を超え、毎年、後最高の数字を更新していた。全国の警察から検察庁に送られて くる事件も一般刑法犯だけで九十万件に達していた。ところが、犯罪数の増加に反比例して 刑事裁判になる事件は減っている。数年前までは一一十万件に近づいていた公覗求事件がい までは年間五万件に激減していた。この冀示には、人手不足の結果、裁判所に起訴する事件 をしばりこむ検察側の苦しいやりくりがあった。 ある犯罪を起訴するかどうかの決定はすべて検察官の独占的な裁量に任されている。現在 の刑事訴訟法では、たとえ犯罪事実が明白でも検察官が不起訴と観すれば裁判にならない 仕組みになっていた。警察から送られてくる九十万人の被疑者全員をひとりひとり綿密に取 り調べることは、千一一百名の検事が一一十四時間ぶつつづけで働いたってとうてい無理だ。小
「アゼック社がばろ儲けをする」捜査主任はあっさりと答えた。 「その結果、銃は出まわり死人が鴻はれてくる。だが、今度はかりは検察官も重い尻を上げ ざるをえまい。何しろ問題になっているのは銃の大量篶だ。令状はまちがいなく出る」 彼はスーツの内ポケットから警察用箋を取り出した。 「いまから、内山茂樹の自宅とアゼック社ビルの各捜索部隊を編制する。ドアをけやぶつ て、一気に片をつけるんだ」 県警本部から歩いて十分のところ、レンガ色の神奈川県庁を正面にして横浜地方検察庁の ビルが建っている。淡い色彩の外壁をもっ十一階建てビルの横浜地検は、里示高煌繕の関 東圏内で、里只地検につぐ規模があった。その五階フロアーには刑事部に所属する捜査検事 のオフィスがならんでいた。 索横浜地検刑事部の捜査検事、小野寺静夫は執務デスクの反対側に座っている里示の同僚に 捜迷惑そうな顔を向けた。地検から押しかけてきた公安検事は、この一一日間、警察麝殺 章事件の捜査についてあれこれ注文をつけている。これ自体、検察官独立の原則に対するあっ 第かましい侵害だ。そのうえ、啝示の公安検事はとんでもない無理難題を吹っかけてきた。ア ゼック社の強制捜査をやるなというのだ。 「 : : : 県警から人が来ています。いま警察専用の待合室にいる」小野寺は前方のドアを見や
に手をうちました。公安から情報が入らなければ現場の捜査刑事にできることはたかが知れ ている。彼らがそれほど優秀な刑事とも思えませんから」 「優秀かどうかはともかく、事件の犠牲者は彼らの同僚のひとりだ。いまも県警本部では総 力を上げて捜査にあたっている。いずれ連中は公安課が沈黙していることに気がつく。そう なったら、優秀な刑事でなくても変に思うだろうな」 まさか汚染の問題にたどりつくことはないでしよう」 「しかし : ・ 「どこにそんな保証がある。至急、対応策を考えなければならない」 河上は里只地検公安部の松本に目をやった。 「きようにでもおまえが横浜に行くんだ。神奈川県警の公安課などあてにするな。アゼック 社を調査し、できれば刑事部の捜査をコントロールしろ。多少のあつれきはやむをえん。わ れわれが失敗して、汚染がさらにひろがれば」彼は革張りの椅子から上半身を起こした。 染「そのときは局検察庁以下、公安検事は全員が辞表を提出するはめになる」 汚 章 第 4 「検事なんてみんなくそったれやろうだ」相原は助手席で毒づいた。 をもって来いだ。そいつをさがすために捜実状が必要なのに、全然わかってい 荷が証拠
396 長い沈黙を経て、水島は慎重に切り出した。 「仮に、わたしが企業集団のむすびつきをつかんでいるとして : : : 」 一瞬、公安検事の目が光った。彼は黙っていることで水島をうながした。 「局検察庁は何を望んでいるのです ? 「証拠の提出と沈黙だよ」 「沈黙 ? ー彼女は怪訝な顔でおうむ返しにいった。 荊事擎の人間にべらべらしゃべることはひかえてもらいたい」 「刑事警察っていうと神奈川県警の捜査本部ですか」 「そう。県警の捜査本部だけではなく、地検の捜査検事にも話す必要はない。この件はすべ て公安部で処理する」 「どうも深い事情がありそうですね」 「それで何かっかんでいるのか ? 」 「わたしはどうなります」水島は逆に聞き返した。 「きみがどうなるとは ? 」重田は質問の意味をとりかねるように眉を上げた。すぐに皮肉っ ほい笑いかひろがった。 「まさか、検事総長に免責冪を宣言させようというわけじゃあるまいな。残念なことに、 そういった超法規的なはなれわざはロッキードの嘱書以来やっていないんだ」
106 基点にして、半径一一百メートルの区域に検察法務合同ビル、日〈蓮本部会館、法曹会館など が建ちならんでいた。 日比谷公園を見おろす検察法務合同ビルは、検察庁と法務省が合体したツイン・タワー で、正式には中央合同庁舎六号館と呼ばれている。この一一十一階建てビルの上層フロアーを 独占しているのが曩局検察庁だった。局検察庁は局裁判所に対応する文字通り検察の最 高男で、全国一千一一百人の検事、一千人の副検事、検察事務官など総勢一万人をこえる検 察組織の頂点に立っていた。 地局検「第一一検事室ーはメインロビーから遠く離れたフロア 1 南側に置かれている。検事 室といっても「第一一検 ~ 曇主ーは単なる部屋ナンバーではない。それは局検察庁公安部をあ らわすだった。 おおざっぱにいえば、わが国の検察官は三つの種族に分かれていた。大量殺人からテレホ ンカードの偽造までおよそ一般の刑法犯罪を捜査する刑事検察、示地部に代表され る汚職や大型脱税など社会腐敗を摘発する・経済検察ーー現岱察の主力部隊はこのふ たつだ。しかし、表だった主力部隊の陰にもうひとっ別働隊がいる。検察内の隠れた第三勢 々それが公安部だ。彼らは、左翼から右翼まで、カソリックからカルト教団までありとあ らゆる政治的イデオロギーや宗教的でごったがえす世の中に、やや右寄りの「中道」と いう国家秩序をうち立てることをⅡにしていた。公安検察は個人の欲望が生みだす犯罪に
野寺の担当事件ファイルには、頑迷に否認する者から綿的パラノイアまで、とても一筋縄 ではいかない連中が含まれている。何を質問しても、ただニャニヤ笑っているだけの幼児虐 待犯もいた。ずさんな取り調べをして起訴すれば裁判では無罪判決が続出し、驚異的な有罪 率はあっという間に下降するだろう。ついには、精密刑事司法そのものが歴史的遺物として 司法博に展示される運命をたどりかねない 検察官の絶対数が不足している状況で、この悪夢のような事態を回避する方法がひとつだ け残されている。起訴便宜主義を利用して、面倒な事件は最初から起訴しなければいいの だ。裁判に上がらなければ無罪判決はカウントされない。こうして、いまや年間五万件の公 判請求事件に対して、実にその十倍の数が起訴猶予になっていた。もちろん、かなりの部分 はもともと起訴する必要のない事件だが、それにしても、ほばパーフェクトにちかい有罪率 は膨大な起訴猶予という暗数の上になりたっていた。 索「九九・九八パーセント」小野寺は苦々しくつぶやいた。 くだらない数字にしばられて自分たちは毎日、毎夜事件処理に追い立てられている。それ 捜 章でもまだデスクをはさんで冷酷な殺人犯や凶暴な強盗犯と顔を突き合わせるのは我慢でき 第た。犯罪の犠牲者にかわって ) 」ろっきどもを訴追するのは、彼の選択した仕事だからだ。だ が、今度のアゼック社の件は得できなかった。示からやって来た公安検事は地局検の名 前をちらっかせ、小野寺に県警の捜査を妨害させようとしている。アゼック社の何がこれほ