じられた身であるのだ。 生徒たちの口からは、何もそのような情報は発せら 武田先生は反省している。ただ、 れなかったし、山田克則本人からも、そのような兆しを示すサインは送られてこなかっ たと思う。あるいは、自分が鈍感で気がっかなかっただけかもしれないのだが。 しかし、結果的に、山田克則はいじめにあっていたことになる。それは、山田克則の 自殺につながることになった。 「山田克則くんが、黄泉がえったそうだ。数日前に」 かえ え校長が、言った。死者が還ってくる現象。武田先生は、そのような非科学的な現象が、 そくぶん が熊本市を中心に発生しているということは仄聞していたが、身近で例として聞いたのは、 泉それが初めてだ。母親の眉間の皺は、一カ月前まではなかった。ひょっとしたら、山田 黄 克則の黄泉がえりという非現実的なできごとの結果、生じたものではないだろうか 「山田くんがですか」 「そうです。それで、お母さんが相談に見えられた。まず、お母さんは、この話を直接、 市の教育委員会に持っていかれました。本人が再度の就学を希望しているということで。 で、今、別クラスでの編入をと私は考えていたんです。前回、山田くんのお母さんが、 学校に来られたときも、おたがい、その方向でと合意していたんです」 「はあ。わかります」 179 きざ
高砂尚香はちらと矢野龍平と目を合わせた。一瞬置いて、皆がばらばらと拍手した。 高砂尚香の表情がばっと輝いた 「いえ。もう、終わりました」 彼女はそそくさと自分の席へ戻った。 「そうか。終わったか」 武田先生とともに、山田克則が入ってきた。クラス全員が山田克則を注視した。皆の 記憶にあった彼と寸分変わるところはない。 え「起立、礼」高砂尚香の掛け声が終わり、武田先生は、山田克則を皆に紹介した。 「改めて紹介する必要もないと思う。山田くんも、黄泉がえりで帰ってきた。本人のた 泉っての希望で同じクラスで一緒に学んでいく。いいな 黄 山田。何か皆に、あいさっすることあるだろう」 「はい」と山田克則は答えて、一歩足を踏み出した。「ほくは一度、死にました。でも、 自殺したことで家族やまわりの人たちを苦しませてしまったことを知りました。今度、 黄泉がえり、これから皆さんの迷惑にならないよう、そして一所懸命に生きるように、 もう一度やりなおそうと誓いました。だから、元のこのクラスに入れるよう武田先生に お願いしたんです。また、クラスの仲間に入れて下さい。お願いします」 誰もが感じていた。姿形は同じだが、以前の山田克則の自信のなさそうな、おどおど 216
したところは見えない。彼が頭を下げたとき、教室の中で、二つの拍手が起こった。高 砂尚香と、矢野龍平だった。その拍手は、四つ、五つと広がり、教室全体が割れんばか りにまでなった。 拍手が、消えたのは、ガタンと椅子を引く音がしたときだ。クラスの後ろの方だった。 皆が沈黙し、後ろを振り返った。 倉中憲二が立ち上がっていた。 「山田 ! 」と倉中は言った。「俺のことは許さんだろう ! 声を荒げた。 え「あんなに皆でいじめたのだからな。マンガ本を机の中に入れたのも俺だ。どうだ。許 せんだろう。俺は山田がそんなに悩んでるなんてこれつほっちも思わなかった。だから、 泉おまえが死んで、俺は気が狂うほど後したんだ。でも思った。俺が山田だったら、絶 黄 対、俺のことを許すはずはないってな。そうだろう。さっき、誰かがおまえと握手しょ 、つと言った。だが、俺はやらないそ : できないからな」 倉中は、そう言い放って山田克則をじっと三白眼で睨んだ。山田克則は、表情一つ変 えなかった。それから、吸いこむように見える眼を細め、白い歯を見せた。 明らかに山田克則は笑顔を見せていた。 一拍置いて山田克則は、倉中憲二に言った。 「許すよ。ばくが死んだことで倉中くんにもつらい思いをさせたってことがわかる。そ 217
だったら、このクラスにはもう来ないはずだ。学校も同じクラスには入れないだろう 皆か、そう田 5 った。 しかし : ・・ : ひょっとして。 だったら、ど、つする たかさごなおか 背の高い委員長の高砂尚香が立ち上がって教壇に上った。 「皆さん。あと十分もしないうちに、武田先生が来てホームルームが始まります。その 前に話しておきたいことがあります。皆も聞いたと思うけど、五月に亡くなった山田く えんが帰ってきてるみたい。 もちろん、クラスの皆で、受け入れてあげなきゃいけないけど、こんな状態で、それ 泉ができる ? 黄 高砂尚香の言葉に誰も返事ができずにいた。 「気まずいし、山田くんに悪かったって皆、田 5 ってるはずよ。でも、もし、山田くんが このクラスに帰ってくるのなら、山田くんだって、すごく勇気が必要な筈だと思うんで す。私たちが、山田くんを失って、皆、自分はあれで良かったんだろうかっていつも思 ってたと思う。皆、どう思うの」 つかさ いつもは、授業中もあまり発言しない吉村司が手をあげた。 「俺、あやまろうと思う。俺、山田をいじめはしなかったけど、いじめられるのを見て 214
その情報は、クラス一の早耳男と言われる永野政一からもたらされた。 前日の放課後、山田克則が母親と一緒に職員室で武田先生と話しているのを見たとい うのだ。 うわさ どうも、今日から登校してくるらしい。その朝、その噂はクラス中に瞬間的に広がっ ていた。 山田克則の名を口にすることは、このクラスではタブ 1 化していた。早く風化させた いと願う記憶だった。 え山田克則も、かって三年組のクラスメートの一人だった。 だが、五月の連休明けに、自宅で首を吊って死んでいるのが発見された。 泉ノートに遺書のように書かれた走り書きを残して。そのノ 1 トにはこう書かれていた 黄 そ、つだ。 「もう学校へ、行きたくありません。これ以上、苦しいのはイヤです。死んだ方がマシ です。お父さん。お母さん。これまで、ありがとうございました」 それから、学校では、山田克則が何故、自殺したのか、原因調査が数日にわたって行 われた。しかし、三年組の生徒たちは、彼が何故、自殺に追いこまれたのかを瞬時に して全員が悟っていた。 何故、山田克則がクラスの一グループからいじめられるようになったかは定かではな 212
ぞっとするのかは、わからないけれど。何かが、あるような気はするんだけれど。地 震 ? そうかもしれないし、何とも言えないね」 そういうふうに、確実生は別にして、三月二十五日という日時に対しては、ほば全員 が「特別な日」だと感じているようだ。 もうすぐ、図書室に山田克則が、やってくる。 彼は、放課後、きまって本を借りにくる。日に二冊のペ 1 スで本を読むらしい。黄泉 がえる前の彼の生では、山田克則はそんなに本を読んでいたのかどうかは、誰も覚えて えしオし だが、今の彼はよく本を読む。だから、この場所で待っていれば必ず山田克則がやっ 泉てくるだろうことなど、同じクラスにいるものなら誰でも推測できることだ。 山田克則は推測どおり、廊下の向こうから歩いてきた。右手に本を二冊抱えて おおまた 真正面を見据えて、やや大股で歩いてくる。猫背でもなく、うつむくでもない。前の 彼だったら、そうかもしれないが、そこが山田克則の印象が変わった一番の点だ。 「来たよ」 いずみと結香は顔を見合わせると、彼の進路をふさぐように廊下の中央に二人でなら んだ。そのまま克則は歩いてきたが、肩をすくめて二人の前で止まった。 「どうしたの」 416
れにばくは生き返って、両親や武田先生にも尋ねられてわかったんだ。ばくは、誰も恨 んだり贈んだりしていないということが。許すというより、何も問題にしていないんだ。 許すという言葉がいいのなら、それは、それでかまわない」 倉中は、山田克則の言葉にまだ何か言いたげだった。しかし、それは言葉になっては 出てこなかった。 代わりに、山田克則は教壇を降り、歩き始めた。倉中憲二の席にむかって。 つばの クラスの全員が、唾を呑んだ。 えゆっくりと、山田克則は倉中憲二の前に立った。それから右の掌を倉中にさし出し、 が微笑んだ。そして言った。 泉「許すよ。倉中くんも許してくれ」 ゆが すると、倉中の顔が大きく歪んだ。倉中は恐る恐る出した両手で山田克則の右手を擱 むと、教室中に響きわたるような大声で号泣を始めたのだった。 しげほう 鮒塚万盛堂会長、鮒塚重宝の黄泉がえり披露パーティーは七月十三日の土曜日、午後 ぎよくじゅま 六時、万盛堂からも比較的に近い位置にあるニュースカイホテルの玉樹の間で開催され 218 ほほえ つか
克則が尋ねると、二人は克則の袖を引いた 「聞きたいことがあるの」 「山田くんだったら知ってると思って。本当のことを教えて」 「何だよ。本当のことって」 いずみと結香は、克則をそのまま廊下の大走りの位置まで連れていった。 「何か : ・ : ・告白タイムかい ? ちがうみたいだけど」 二人は、そう言われて、ロを尖らせた。 え「そんなんじゃないわ。あの話、聞いてないの ? 三月二十五日に地震が起こるって 泉「ああ、あの話か」 黄 いずみと結香は、顔を見合わせた。やつばり山田克則は知っている。 「ねえ、本当のこと教えて。私、怖くてたまらないの」 結香が手を合わせた。 山田克則は、二人を交互に見た。結香は、自分を見る克則の眼が、まるで先生の眼の ように見えた。自分よりも随分と世の中のことを知りつくしているように感じたのだ。 「残念だけど、ばくには、わからない ばそっと、そう克則は答えた。 417 話」 そで
ろしていた。 その女には、見覚えがあった。 眉間に刻まれた縦皺をのぞいて。 「お待たせしました。何か」 武田は、三人に近付いた。 「や、武田先生。御足労頂いてすみません」 校長がそう言って、席に着くことを促す。 え武田先生は、その時点で女の正体を思い出していた。 かつのり 言憶に間違いなければ : 、彼女は、山田克則の母親だ。あのときは、校長も、自分 泉も繰り返しテレビの画面に登場した。 黄 「武田先生。山田克則くんのお母さんです。今日は、我々に御相談があって見えてい る」 山田克則の母親は、ややバツが悪そうにも見えたが、「どうも。よろしくお願いしま す」と小声で言って頭を下げた。 こた どう応えるべきなのか。「その折は」でとどめるべきなのか。武田先生は、結局、山 田の母親に深く礼をして「失礼します」と母親の隣に腰を下ろす。 校長も武田先生も、「学校側の管理責任」として、一カ月ほど前この母親に激しくな 178 みけん
遺限を残しているにちがいないクラスには入れない方かいいのではないかと考えるの は、母親でなくても当然だろう。 「ところが、克則くんは、生前と同じ、三年組に戻りたいと言うんだそうです」 武田先生は、目を剥いた 「本人がですか ? 「そうです。本人は、強く希望しているそうです。お母さんも、本人から望まれ、困惑 しながらも、今日、また、おいでになった。武田先生の御意見もうかがわなくてはと思 えいましてね。いかかですか」 山田の母親の後ろめたそうな理由も、武田先生にはわかったような気がする 泉「私は、山田くんがいじめにあっていたことも察知できませんでした。色んなコミュニ 黄 ケーションを生徒たちととろうとしていたにもかかわらず。彼のできごとの後も、手法 を色々と変えてはいますが : : : 私自身の資質もあるのでしようが、完全にとは、自信を もって言いきれません。 おっしゃ それでもかまわないと仰言るんですか ? そう武田先生は答えた。逃げをうったわけではない。正直な気持ちなのだ。 山田克則の母親は、深々と武田先生に頭を下げた。彼女がテレビで担任の無責任な対 応となじっていたことをより深く心に刻みこんでいるのは彼女自身のはずだ。 180