シャル機構 , C V U ジョイン トつきアクスル・シャフト , プレーキ機構 , ホイールをと りつけるハプからなり , 動力 の伝達 , 減速 , 差動 , 伝達方 向の変換 , 旋回の 5 っ作用を 行う。フロント・ホイールの 旋回角度は外側 24 。 , 内側 28 。 である。フロント・アクスル は半だ円形リーフ・スフ。リン グを介して複動式口一タリー とともにシャ アフソー / 、一 シーに結合されている。 リア・アクスル : リア・ア クスルはジャック・シャフト ともよばれ , テイムケン 56410 BX67 型 1 段減速全浮動スン ジョー型で , 動力伝達 , 減速 , 差動 , 伝達方向の変換の 4 っ の作用を行う。フロント・ア クスルと異って直接操向作用 は行わないので C V U ジョイ ントはない。ホイール・ハプ に履帯を駆動するスフ。ロケッ トがとりつけられており , リ ア・アクスルはシャシーにフ ランジを介して直接とりつけ られている。 履帯とホキー懸架装置 ハーフ・トラックの名称は 車輛の後部走行装置の方式か ら出ている。走行装置は , 走 行部 ( 履帯 , スプロケット , 下部転輪 , 上部転輪 , 誘導輪 ) と懸架部 ( ボギー・アーム , ボギー・フレーム , 懸架スプ リング ) で構成されている。 履帯 . B . F . グッドリツツ 社の T68 E 1 工ンドレス・ゴ ムヾノレト・インテクラ / レ・ノ、 ラレル・グロサー式で , 幅 337 mm ( 旧型 T68 は 305E ) , ビッ クロスパン ( 履板 チ 102E , の一種 ) とセンター・ガイド プレートとはリべット止め され , 鋼製ケーフ・ルで連接し これにゴムを被覆してある。 履帯は中央のセンターーガイ 、ーノ 0 0 【し】し【しロ【しロハし C2 ロ 0 ロ 0 ロ - 0 イ J•V - YOV ← VH ・イ 0 ト 4 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 00 0 0 0 46
の転し ジシラ度 れ置部て ら装上 ラ一は帯 け架製 フラト履 っ懸鋼ら製ドスた 一のけ鋼イボま とギ型っ型ア ポダり 複てれる しさ 複と るコ , 介合て 、い を結れ ラ支に ロ帯 ホ , スっ E ポり 一はプラ 一口田 てホに ドシ サ部一 頂ラ ア 8 イヤ ト一 ッロ 径とで アる上ラが。誘 , フッ プ輪るでヤケ ま使 式ッ ツでコギ るン リき 2 ポ ト管 ツの っちの さ工 ケ型ッャうコ 銃動チ ロ星グイ 機駆用プの タれ各 ムさに て帯ス枚 ゴ列ら し履る え数 酉さ ドコ 接時伝歯 と動に リに癶 行帯で ソ側結 ッる履 4 ケけを肪ホ型各連 ロおカ 列 , で 複 E ム ス地 が雪 0 一口田 ツの ケ社 転 レ地るロ ラ 。フ整れプペる部 完 不さスクあ下の径一 ドた用ンで社直ロ , 0 M 2 ハーフ・トラックのシャシー。トランスミッションから出た短い伝動軸は後部スプロケットに直結する 翡第 ! 鱸ⅱ建川翡ド いいい
M 2 ハーフ・トラックは 1937 年に制式化されたが , 量産は M 3 ハーフ・トラックの完成 , 共通化を待って 1 941 年からはしまった 式ではなく軽戦車や全装軌式牽引車に用いられているス 走行装置を装備した T 4 ハーフ・トラックを製作し , 続 フ。ロケット , ロード・ホイール , サホート・ローラ いて通信部隊の有線架設用に架設 , 撤去装置を装備する T20E2 ゴム履帯を装着した。しかしア , くディーン実験 T4 E 1 を試作した。また 1935 年から 1938 年の間に , 野 場でのテストの結果 , 後部走行方式は従来のケグレス式 戦砲兵部隊の火砲牽引用に T 5 , T 5 E 2 , T 5 E 3 ハ 走行装置の方が軽量で有効だと決定された。 ーフトラックも試作している。 陸軍兵器局の決定にしたがって , マーモン・ヘリント T 5 の初期型は , T 4 と同系の幅 203E の T 1 ゴム ン社は B. F. ゴードリッチと共同開発した鋼製トラック ベルト履帯とカニンガム走行装置 ( ケグレス式とリーフ ガイド・クロス・ヒ。ースつきのゴム被覆鋼製ケーフ・ルを ・スプリングっきのビッカース懸架方式をベースに開発 使った T24 E 1 ベルト式履帯を採用し , T 9 と T 9 E 1 した懸架装置 ) を備え , 24 輛が製作された。 T 5 E 1 は にケグレス式走行装置とともにとりつけた。 1937 年に製 リア・アクスルの減速比を増加したもので , 後期の T 5 作された新しい T 9 は , テストののち M 2 E 2 は幅 254 mm のカニンガム・ゴムフ・ロック式履帯と大 ノ、一フ・トラ ックとして制式化されたが , 第 2 次大戦の開戦まで量産 型ボギー・ホイールを装着した。 GMC と並行して , リン社は 1934 年から 1937 年の間に はされなかった。 T 9 系列の試作時 , アメリカ陸軍のハーフ・トラック T 3 より小型の T 6 , 中型火砲牽引用の T 7 を製作し , の発達に重要な役割をはたした装輪式装甲偵察車の開発 マーモン・ヘリントン社は 1935 年にフォード 1935 年型 が行われていた。クリーフ・ランドのホワイト・モーター 1 t 4 >< 2 カーゴ・トラックをベースに , 2 軸式リア 社は , 機械化騎兵部隊のために , 1933 年に T 7 装輪式装 アクスル・ホイール駆動方式にトラックサン・パテント 甲偵察車 ( のちの MI ) , 1935 年に T9 装輪式装甲偵察 ・ケーフ・ル履帯と半装軌式チェーン変換装置を組合わせ 車 (M 2 ) を試作した。 1938 年には , ホワイト・モータ た T 8 を試作したが , T 8 は陸軍の野外試験を行っただ ー社とロック・アイランド造兵処は改修型の M 2 A 1 装 けで開発は中止された。 甲偵察車の生産に入り , また M2 A 1 に続いてホワイト マーモン・ヘリントン社は 1936 年から T 8 に続き , ・モーター社は M3 , M3A1 装甲偵察車を完成させ , 1939 年にかけて , フォード 1936 年型 (V 8 ) 1 t4 x 2 M 3 A 1 は 1939 年 6 月からコホット社 , インデアン社 , カーゴ・トラックをベースに , ドライプ・フロント・ア ホワイト・モーター社 , マーモン・ヘリントン社で量産 クスル・ホイール・ユニット , T21 ゴム・フッシュ・コ ム・プロック式履帯 , 4 ボギー・ホイール・ユニットを備 をはじめることになっていた。 ホワイト・モーター社は , その後 M 2 ハーフ・トラッ えた T 9 と T 9 E 1 を開発した。 T 9 E 1 は , ケグレス 40 0
ホワイト社の M 3 A 1 装甲車。前型 M 3 は M 2 ハーフ・トラックと組合わされ , M 3 ハーフ・トラックへ発展した を使用したカニンガム lht ハーフ・トラックを製作し T 1 E 1 は M 1 ハーフ・トラックとして制式化され , 1933 年 1 月 16 日 , ケンタッキー州フォート・ノックスで た。 T 2 の後期型は給油ブッシュ式履帯を装着している 編成された第 1 機械化騎兵連隊の機関銃中隊に火力支援 のが特徴である。 車輛として装備された。 T 2 に続いて , カニンガム社ではシポレー 1 t トラッ 1933 年には , カニンガム社とロック・アイランド造兵 クのシャシーを流用し , カニンガム式ニードル・べアリ 処に続いて , リン社 , G M C , マーモン・ヘリントン社 ング・ブッシュつきゴムフ・ロック型履帯をつけたカニン がハーフ・トラックの開発に参加した。デトロイトの G ガム・シポレー・ハーフ・トラックも試作した。 M C は 2 t トラックのシャシーを流用し , リア・ボギー 1933 年 , 火砲牽引車を製作していたリン社は , リン W D12 牽引車を流用し , 通信部隊の有線架設用ハーフ・ト にロック・アイランド造兵処の T 1 E 2 と同系の改修ケ グレス走行装置をとりつけた砲兵用牽引車 T 1 ラックを開発した。これが T 3 で , 動力には T 3 E 2 中 ノ、一フ トラックを開発したが , 6 輛が試作されたのみで製作は 戦車と同系のアメリカン・ラ・フランス , 4 サイクル V 12 液冷ガソリン・エンジン ( 248PS ) を積んでいた。 中止された。 1934 年 , G M C は 1933 年型の T 1 ハーフ・トラックを カニンガム社は , 1933 年型フォード lht 4 x 2 をベー べースに , ゴム・ベルト履帯のカニンガム改修ケグレス スに T 1 E 1 と同系のカニンガム改修ケグレス走行装置 アメリカ製ハー フ・トラックの 第 1 号 , 1932 年 1 2 月に完成した T 1 。民間車の 当ま費霧礒 車体にケグレス 走行装置をとリ つけた を一第・を第を 39
0 0 0 0 0 0 0 リアの中央には大型ド ア , 左右に荷物用のラ ックがつく。ビントル ・フックはトレーラー の牽引に欠かせない 0 0 0 0 9 0 0 0 0 0 0 ( 0 0 4 輪油圧型フット・プレーキ , ティスク型 , 、ンド・プ 装置としてアイドラー・ ポスト・フ・レース , スフリン レーキ , 火砲等の牽引時に電気プレーキを制御する電気 グ , フ・ラケット , 調整ナット , シャックルが後部にとり 制御器からなる。 つけられ , アイドラー・ポスト・フ・レースはスフ。リング 、イドロ フット・フ・レーキはマスター・シリンダ と履帯の張力によってシャックルが異状な衝撃力を受け ーくック , ホイール・シリンダー , 内部拡張式プレーキ た場合に張度の自動調整を行う。調整はナットを手で操 リンゲージ , ラインで構成され , プレーキ 作することでもできる。 シュ シリンダーの油はハイドロ / くッ ダルを踏むとマスター ホキー懸架装置 : 相互関連式とよばれるボギ懸架装 クに送られてさらに倍力され , ホイール・シリンダが 置は , 懸架プラケット , コイル・スプリング 2 コ , H 型 シューをハプ内のドラムに圧着させる。 クラブ , ボギークロス・チューフ・で構成され , 懸架プラ , 、キング・フ・レーキはトランスファ後部とフ。ロペラ ケットはボギー懸架装置をシャシーに支持し , スフ。リン シャフト間にとりつけられ , プレーキ・ディスク , プ グは垂直動揺を吸収する。またクラブは前後の下部転輪 ーキング・フ・ リンゲージからなり , の上下動をスプリングに伝え , クロス・チュープは左右 レー・シュ レーキ・レ , く一の操作でディスクとシューが圧着して車 両側のボギー懸架装置を連結している。 輛は完全に駐車できる。 プレーキ装置 左右のテールライトを 示す。左側につくのは プラックアウト・テー ルライト ( 上 ) とサービ ス・テールライト兼ス トップライト ( 下。右 側はプラックアウト・ テールライト ( 上 ) とプ ラックアウト・ストッ 0 プライト ( 下 ) 49
シナイ半島において訓練中のイスラエル軍の M5 。装甲指揮車に改造されたものて、各種波長 の無線アンテナか林立し、配下部隊とさかんに連絡をとっている。第 4 次中東戦争直前に撮影 この結果、前期県に比 用試験と評価のために購入した : ハーフ・トラック ( HaIf Track ) とは、文字 これをベース 較して P 17 は卓越した性能を示したので、 どおり走行装置の半分がキャタヒ。ラ ( 英語ではト に自国製の , 、一フ・トラックの製作を決定した ラック Track という。キャタヒ ' ラは商品名 ) にな アメリカ製ハーフ・トラックの第 1 号は、 1932 年 12 月、 っている車輛のこと。日本語には半装軌車と訳さ 民間車メーカーであるロチェスターーのジェイムズ・カニ れ、装軌車 (Tracked vehicle) 、装輪車 (Whe べースに改修卑 ンガム親子社が、カニンなム県自動車を eled VehicIe) と区別される。 ケグレス走行装置をとリつけて完成したオーープン・トッ ☆開発経過 この車輛は兵器局によリ偵察車として実 フの車だった ハーフ・トラックと命名された 用試験か行われ、 T 1 1925 年、陸軍省兵器局はフランスの自動車メーカー T 1 に続いて、 T 1 E 1 、 T 1 E 2 、 T 1 E 3 の各改 シトローーエン社か 1911 年にアレキサンダー・ケグレスと 修型か 1933 年から 35 年の間にイリノイ州ロック・アイラ 共同で開発したシトローエン・ケグレス県 , 、一フ・トラ 1933 年製の T 1 E 1 は 33 ンド陸軍造兵処で製作された ック 2 輛を 75mm カノン砲の牽引車として購入し、メリー 両製作され、後部走行装置は改修顰ケクレス懸架方式、 ランド州アバティーン陸軍車輛実験場て実用試験を開始 武装には M 1918 7.62mm 機関銧 3 丁を搭載した。このうち これがアメリカ陸軍の , 、一フ・トラックの出発点 T 1 E 2 はジョイント式コム履帯を、 T 1 E 3 は T 1 E 2 にコイル・スフリングを用いたリア・ポキー機構を持 1931 年 5 月、兵器局は改良型シトローエン・ケグレス p 17 , 、一フ・トラックを牽引車に採用するつもリて、実
ライト・スイッチ コン / 、ス 燃料ケーシ・セレクター 油圧メーター ダッシュライト・スイッチ ホルト・メーター ワイノ、一・コントローノレ スヒ ード ・メーター アンメーター スターター ワイノ、一・コントローノレ 非常灯コンセント タコメータ 0 0 トメント - ~ ッフ・コン / 、 ホルト・メータ ・スイッチ 管制灯スイッチ ペンチレーター・コントロ ーノレ チョーク ホーン・ボタン プレーキ・コントロール 冫冫皿メータ イ : ク・ニ・、ソ、 / ョン・ ットル フ、ロ 燃料ケージ ペンチレータ ・コントローノレ クと M3 装甲偵察車を共通化した T7 ンドリー社が落札して 2439 輛の生産を契約 , 1941 年 9 月 ハーフ・トラック を試作した。 T 7 は , 1939 年 12 月の機械化騎兵委員会の から 10 月までの間にロック・アイランド造兵処から完成 かん告と陸軍省砲兵局が立案した工業供給仕様書にした 車 2 輛の供給を受けた。また , 最終組立と部品製作はオ がって T14 の名の下に再設計が行われ , 試作はイリノイ ダイヤモンド・ T ・モーターカー , ホワイ 州シカゴのダイヤモンド・ T ・モーターカー社で行われ ト・モーターの各社工場が担当する計画となった。しか た。 1940 年 9 月 , T 14 は M 3 , 、一フ・トラックとして制 し , アメリカン・カー & ファンドリー社は軽戦車の量産 式化された。 を行う必要が出たため , 計画は変更されて生産はオト 第 2 次大戦で , 機甲師団 , 機械化砲兵部隊の主要装備 ダイヤモンド・ T ・モターカ , ホワイト となった M 2 , M 3 ハーフ・トラックは , 乗員の数が異 るだけで多くの共通部品で構成されていたが , 1941 年 12 月にアメリカ陸軍が第 2 次大戦に参加するまで , M2 は 野戦砲兵部隊の 105E 榴弾砲の牽引車 , 機甲偵察部隊の 装甲偵察車として , また M3 は主として機甲師団 , 機械 化砲兵部隊の兵員の輪送や救急車 , 通信車として使われ た。さらに M 2 と M 3 のシャシーをベースに , 砲兵用牽 引車や自走砲も製作された。 ☆ハーフ・トラックの量産計画 1940 年 , 陸軍兵器局の主催する会議で , 生産担当官 J . E . マックイマックネー造兵少佐を中心にオート・カ ー社 , ダイヤモンド・ T ・モーターカー社 , ホワイト モーター社の各社は , M 2 , M 3 の生産と部品の共通 化 , 規格化を討議し , 標準構成品としてホワイト 160A X ガソリン・エンシン , スパイサー 3641 トランスミッシ ョン / トランスファー , テムケン F35H X 1 フロント アクスル , 56410 B X 67 リア・アクスル・後部走行装置 と T 68 E 1 グロサー・ゴム履帯が採用された。 M 2 と M 3 の量産は一般公開の競争入札が行われ , 入 札にはオートカー , ホワイト・モーター ダイヤモンド ・ T ・モーターカー , アメリカン・カー & ファンドリ などが参加した。結局 , 生産はアメリカン・カー & ファ 、 7 ⑥⑦ ゝ」し 運転席のシフトレバー ①パワーテークオフ・シフトレバー トランスミッション・シフトレバー ③ハンド・プレーキ ④トランスファ シフトレバー ⑤フロントアクスル・シフ トレバー⑥トランスミッション⑦プレーキ・ディスク
装輪装甲車もこ こまできたかと いう感じの A M X10 飛 C 。 105 砲を備え , な まじ軽戦車ては 歯が立たない 車というジャンルが世界的に消滅しつつあるのはひとつ や有利だ。また一部の装輪車輛にしかできないが , の事実のようだ。そして偵察部隊においては , 軽戦車は ( 9 ) 前進も後進も自由自在 MBT と装輪装甲車におき代えられつつある。 なことも任務によっては便利だ。 ただこれは軽戦車に限らず , 兵器全般にいえることだ ⑩自動車と共通点が多いので , 乗員や整備兵の訓練 が , 兵器の要求される能力はその国の政治 , 経済 , 地 が容易 理 , 用兵思想など , さまざまな条件で決まってくること なことも長所だろう。 だ。だから今後もある国が軽戦車を熱心に開発したとこ もちろんシュライアー氏の挙げた個々の数字には装軌 ろで , それを単純に時代遅れと決めつけることはできな 車輛側から反論が出るかもしれないが , 全体としてはこ のようなものだろう。 ョーロッパ中央部は道路網が発達し , 地理的な障害も 火力の点では AMXIORC のように 105E 砲を搭載し 少く , 装輪車輛の活躍の場といえる。戦車の開発にあれ た装輪車輛すらあるのだから , 両者の間に差はない。 ほど熱心な西ドイツが軽戦車には目もくれず , イギリス 防禦力の点では , 装輪車輛のタイヤやアクスルは一見 やフランスが軽戦車と並行して装輪装甲車輛を採用して 弱々しそうに見える。しかし現在の装輪車輛のタイヤは いる理由はここにありそうだ。 簡単にはパンクしないし , パンクしても走れるラン・フ 軽戦車の生き残る道は存在するだろうか。そのひとつ ラット・タイヤの採用が常識となっている。それにパナ はアメリカの国防省高等研究計画局 (DARPA) が開 ール E R B 75 の中央の車輪のようにソリッド ( 鋼鉄性 ) 発を進めている H I MAG ( 高機動性 / 敏捷性 ) 実験車 なら絶対にパンクしない ! 輛や H s T V-L ( 高生存性テスト車輛ー軽 ) 実験車輛の 4 輪以上で全輪駆動 , 4 輪以上で操向する現代の装輪 線だろう。とくに H s T V-L は , その名のとおり重量 車輛は , ひとつ , 場合によっては 2 つ以上のアクスルを 14.5 ~ 17. 0t , 車体長 5.4 , 全幅 2.7 , 全高 2.3 加のコ やられても走行不能にはならない。それに比べて装軌車 ンパクトさで , 高初速の 75 簡砲と進歩した射撃統制シス 輛の履帯は , ーカ所切断されれば全体が動かなくなる。 テムを持っことになっている。 こと地雷に関しては , 装軌車輛の方がむしろ脆弱だとい もうひとつは軍事小国への輪出をめざすもので , びと えよう。 昔前の M47 ぐらいなら買えた国も , いまの X M 1 やレオ 路外機動性に関しては装軌車輛がリードしていること パルト 2 にはとうてい手がとどかない。そこで軽戦車ク は明らかだ。しかし , 装輪車輛もタイヤ , サスペンショ ラスの戦車を M B T の代わりに売りこむわけで , ティッ ン , 駆動系統 , 操行系統などの進歩で , 差をつめている セン・ヘンシェルの T A M, F S C V, A M X 10 P A C ことも確かといえる。また軽戦車の自慢の機動性が , 肝 90 あたりもこんな狙いで造られたものだろう。 心の不整地走行のときに額面どおり発揮できないことも しかしこれらは単に軽戦車と重量的に同クラスという 多い。不整地乗り切りにはあるていどの重量や大きさが だけで , 性格的には全く違ったものとなる。やはり軽戦 必要だとの説もあるくらいだ。 車は消え去るのだろうか。 〔注 1 〕 lnternational Defence Review, 1977-2 00 冒頭で述べたように軽戦 このようにしてみてくると , 83
量一ッて需に第っ がたハラ場軍送 , てあ 戦輸れまに さ 員のわ年線 産 3 フク兵品使一た 三 : を宣第 - 第 0 、 0 モーターの 3 社が行うことになった。 1940 年 9 月 , オー したが , 結局は走行性能にまさる全装軌式の高速牽引車 ト・カーは 424 輛の M 2 の生産を , またダイヤモンド・ が採用されることが決定した。 T ・モーターカーは M 3 の生産を契約した。しかし実際 火砲牽引用 , 、一フ・トラックの開発の経験から , 1943 の生産は行われなかった。 年 4 月には多用途性を持っ T29 , T31 ハーフ・トラック 1941 年 5 月 , M2, M3 の本格的な生産契約がオート が開発された。 T29 は M2 と M3 の特徴を , T31 は M5 と M9 の特徴を組合わせたもので , 10 月に T29 は M3 A ダイヤモンド・ T ・モー ・カー , ホワイト・モーター ターカーの 3 社と交され , M 2 はオト・カーとホワイ 2 , T31 は M5 A2 として制式化され , 1944 年型機甲師 トモーターが , M 3 はダイヤモンド・ T ・モーターカー 団の主要装備車輛に指定された。しかし 1943 年末には M とホワイト・モーターが生産することになった。 2 , M 9 A 1 , M 3 , M 5 が , そして翌 44 年はじめには また , 1942 年に武器貸与法 ( レンド・リース ) にもと M 2 A 1 と M 5 A 1 の生産が中止された。 づいて連合国 ( カナダ , イギリス , フランス , ソ連 ) に アメリカ陸軍の , 、一フ・トラックは , 兵員輸送 , 火砲 ハーフ・トラックを供給することになり , 生産にトラク の牽引 , 救急車 , 通信車 , 自走砲 , 自走迫撃砲として ターの製造で有名なインターナショナル・ハベスター社 41 , 169 裲が生産され , 1945 年の大戦終結まで各戦線で広 ( I H C) が動員された。そして M 2 E 5 , M 3 E 2 が 範囲に使用された。 試作され , テストののち , それそれ M 5 , M 9 として制 ☆ハーフ・トラックの一般的な構成 式イヒされた。 I H C のハーフ・トラックは I H C 製 R E D 450 B ガソリン・エンジンを搭載し , 同質装甲鋼板の こでは , 1943 年 10 月に M3 A 1 の後継型として制式 車体後部コーナーは丸みがつけられ , 後部中央に出入口 ハーフ・トラックの一般 化された M 3 A 2 をベースに 用ドアがとりつけられていることが M 2 , M 3 と外観的 的な構成について解説する。 に異っている。 M2 と M3 は表面硬化装甲鋼板で , 車体 ハーフ・トラックの主要部を大きく分けると , シャシ 後部のコーナーは直角であり , 後部ドアは装着されてい ( 車台 ) とボディ ( 車体 ) とになる。シャシーはボデ ィを除いた部分で , 動力装置 , 動力伝達装置 , 走行装 ない。 M2, M3 と M5 , M9 の生産に合わせて , 1941 年か 置 , 操縦装置 , プレーキ装置 , フレーム , 付層装置から ら自走砲型 , 自走迫撃砲型の開発が開始され , 機甲師団 なり , フロント・アクスルにはホイール , リア・アクス や機械化砲兵部隊の機動力の向上に貢献した。 ルにはスフ。ロケットを介して履帯があり , これだけでも 1942 年から 43 年には , 火砲牽引用の新型 , 、一フ・トラ 走行は可能である。 ックの開発計画が立案され , 不整地における牽引能力を ボディは用途によって異り , それそれ操縦手 , 兵員 , 向上させるために後部懸架装置の接地面の延長 , ホイー 軍需品などを収容 , 積載する部分で , ェンジン室 , 操縦 室 , 兵員室 , 旋回銃架 , フェンダー , 付属品で構成され ル・べースの短縮 , フロント・アクスルの改良が実施さ れた T16 , T17 , T19 の開発が行われた。テストは成功 る。ボディの外板 , ドア , ウインド・カバーは厚さが 43
夜間の射撃訓練を行う M60A2 戦車。戦車の夜間戦闘は , 最近ソビエト戦車の夜間行動能力の強化によリ非常に重要視され ている 火砲 , 車輛の数のうえではソ連軍やワルシャワ条約機構 立て直さないためにも , 攻撃は手をぬかすに続行され , 昼夜を分けずに続けられる。目的は , 占領地域の拡大で 軍は圧倒的に優勢である。 ただ , 一般にはワルシャワ条約機構軍は , ソ連軍を中 はなく , 敵兵力の撃滅にある。 心とした指揮系統のもとに整然と行動できることが強味 このとき師団長は , 敵陣の後方に包囲陣を作って , 敵 のひとっとみられているが , アメリカの見方は反対で , の後方をおびやかし , 崩壊をはやめるように努める。 このような中央集権的な指揮形態は , 基本的な弱点だと 包囲軍は , 継続して独自の作戦ができるようないくっ かの部隊で編成されているが , 万が一にも敵に分断され している。 たような場合には , もうひとつ別の包囲軍を送りこまな ければならなくなるときもある。また , 攻撃を成功させ るには , 効果的な戦闘支援を連続して行い , 必要な兵器 や弾薬が前線で有効に使用されるようにしなければなら ないが , この重要任務は , 砲兵 , 工兵 , 防空 , 輸送など の幅広い部隊にわたるうえ , 戦闘指揮官と支援指揮官の 意志の素通や連絡がうまく行われることが欠かせない条 件になる。 進撃方向 部隊 カ / ヾ ◆軍の展開 前 アメリカ陸軍は , ョーロッパでの戦力の展開を第一に 考えていることは前にも述べたが , 他の地域でも , 事態 に応じて歩兵 , 戦車 , 機械化部隊はもちろん , 航空襲 撃 , 空中やレンジャー部隊などの特別に訓練された部隊 を直ちに投入できるようになっている。またこれらの部 隊には最近になって火力と機動力を増強するために , 戦 車と対戦車ミサイルが大量に追加された。 また通常の地上部隊は , そのまま戦術核戦争も行える ようになっているが , 実際に問題がないかというと , 誰 も経験したことがないだけに意見が分かれるところであ る。ただこの点では , アメリカ軍とソ連軍の警備が訓練 のレベルにほとんど差がないようなので , 西ョーロッパ で戦争がはじまった場合は , 地形に詳しい NATO 軍の ほうが有利であり , 装備の質や資材の補給などの点でも すぐれている。しかしよくいわれているように , 兵器 , 側 衛 衛 後