5 イ 6 ′第なン M 2 A ーと同型だがインタナショナル・ハーベスター社で製作されたタイプを M 9 A ーと呼んでいる。 イギリス陸軍で使われプ 最初は機銃マウント・リングのない M 9 として生産される予定だったが↓生産をはじめる直前にマウ 14 無線車輛。イギリスä ント・リングが追加されて M 9 A ーとなった。にれも大量にイギリス陸軍に配備されたが、当初 IO 席 トラック 15cwt. ー / 2 だったシート配置はイギリスでロ席に増加され、円 44 年から 45 年までに 3433 輛が生産されたいなお、 ック・モテルワイヤし このタイプは全車が車体前面にローラーの代りにウインチを装備している。 で、キャビンにキャン / 用支柱を立て、中に無糸 M9A1 produced 3433 machines 0 川 1944 to 45 れ d 記れ℃ d ⅲ the BI ・れな h Ar1 れ ). を搭載した移動無線局。 円年春以後、に , 499 輛という大量生産がなされた M 3 の初期生産型。工ンジンは M 2 と同じホワイ 真でみるように後部ド ) ト OAX6 気筒水冷ガソリン・エンジンだが、兵員室の後部が 25cm 延長され、座席も田からロに増え、 廃止され、外板の角もメ 総重量は 0k9 ばかり増加している。生産は主にダイアモンド T & ホワイト社で行われ、兵車タイプ 整形されている。運転 以外にも患者輸送車、無線指揮車、砲兵観測車などの他、いろいろな自走砲にいたるまで多くのバリ 前と両側にある起倒式 0 ェーションを生んだ。キャビン側板の上方にあるヒンジの部分から上は外側に倒すことができる。 甲板は、車体より厚く一 F01 ・社第 1 1 0 れ 0 ー M3, 2 れ ) ( c に d 12 , 499 m “ c れい“れ t SDring ( 1941. mm ある。 ノ、い、
量一ッて需に第っ がたハラ場軍送 , てあ 戦輸れまに さ 員のわ年線 産 3 フク兵品使一た 三 : を宣第 - 第 0 、 0 モーターの 3 社が行うことになった。 1940 年 9 月 , オー したが , 結局は走行性能にまさる全装軌式の高速牽引車 ト・カーは 424 輛の M 2 の生産を , またダイヤモンド・ が採用されることが決定した。 T ・モーターカーは M 3 の生産を契約した。しかし実際 火砲牽引用 , 、一フ・トラックの開発の経験から , 1943 の生産は行われなかった。 年 4 月には多用途性を持っ T29 , T31 ハーフ・トラック 1941 年 5 月 , M2, M3 の本格的な生産契約がオート が開発された。 T29 は M2 と M3 の特徴を , T31 は M5 と M9 の特徴を組合わせたもので , 10 月に T29 は M3 A ダイヤモンド・ T ・モー ・カー , ホワイト・モーター ターカーの 3 社と交され , M 2 はオト・カーとホワイ 2 , T31 は M5 A2 として制式化され , 1944 年型機甲師 トモーターが , M 3 はダイヤモンド・ T ・モーターカー 団の主要装備車輛に指定された。しかし 1943 年末には M とホワイト・モーターが生産することになった。 2 , M 9 A 1 , M 3 , M 5 が , そして翌 44 年はじめには また , 1942 年に武器貸与法 ( レンド・リース ) にもと M 2 A 1 と M 5 A 1 の生産が中止された。 づいて連合国 ( カナダ , イギリス , フランス , ソ連 ) に アメリカ陸軍の , 、一フ・トラックは , 兵員輸送 , 火砲 ハーフ・トラックを供給することになり , 生産にトラク の牽引 , 救急車 , 通信車 , 自走砲 , 自走迫撃砲として ターの製造で有名なインターナショナル・ハベスター社 41 , 169 裲が生産され , 1945 年の大戦終結まで各戦線で広 ( I H C) が動員された。そして M 2 E 5 , M 3 E 2 が 範囲に使用された。 試作され , テストののち , それそれ M 5 , M 9 として制 ☆ハーフ・トラックの一般的な構成 式イヒされた。 I H C のハーフ・トラックは I H C 製 R E D 450 B ガソリン・エンジンを搭載し , 同質装甲鋼板の こでは , 1943 年 10 月に M3 A 1 の後継型として制式 車体後部コーナーは丸みがつけられ , 後部中央に出入口 ハーフ・トラックの一般 化された M 3 A 2 をベースに 用ドアがとりつけられていることが M 2 , M 3 と外観的 的な構成について解説する。 に異っている。 M2 と M3 は表面硬化装甲鋼板で , 車体 ハーフ・トラックの主要部を大きく分けると , シャシ 後部のコーナーは直角であり , 後部ドアは装着されてい ( 車台 ) とボディ ( 車体 ) とになる。シャシーはボデ ィを除いた部分で , 動力装置 , 動力伝達装置 , 走行装 ない。 M2, M3 と M5 , M9 の生産に合わせて , 1941 年か 置 , 操縦装置 , プレーキ装置 , フレーム , 付層装置から ら自走砲型 , 自走迫撃砲型の開発が開始され , 機甲師団 なり , フロント・アクスルにはホイール , リア・アクス や機械化砲兵部隊の機動力の向上に貢献した。 ルにはスフ。ロケットを介して履帯があり , これだけでも 1942 年から 43 年には , 火砲牽引用の新型 , 、一フ・トラ 走行は可能である。 ックの開発計画が立案され , 不整地における牽引能力を ボディは用途によって異り , それそれ操縦手 , 兵員 , 向上させるために後部懸架装置の接地面の延長 , ホイー 軍需品などを収容 , 積載する部分で , ェンジン室 , 操縦 室 , 兵員室 , 旋回銃架 , フェンダー , 付属品で構成され ル・べースの短縮 , フロント・アクスルの改良が実施さ れた T16 , T17 , T19 の開発が行われた。テストは成功 る。ボディの外板 , ドア , ウインド・カバーは厚さが 43
ライト・スイッチ コン / 、ス 燃料ケーシ・セレクター 油圧メーター ダッシュライト・スイッチ ホルト・メーター ワイノ、一・コントローノレ スヒ ード ・メーター アンメーター スターター ワイノ、一・コントローノレ 非常灯コンセント タコメータ 0 0 トメント - ~ ッフ・コン / 、 ホルト・メータ ・スイッチ 管制灯スイッチ ペンチレーター・コントロ ーノレ チョーク ホーン・ボタン プレーキ・コントロール 冫冫皿メータ イ : ク・ニ・、ソ、 / ョン・ ットル フ、ロ 燃料ケージ ペンチレータ ・コントローノレ クと M3 装甲偵察車を共通化した T7 ンドリー社が落札して 2439 輛の生産を契約 , 1941 年 9 月 ハーフ・トラック を試作した。 T 7 は , 1939 年 12 月の機械化騎兵委員会の から 10 月までの間にロック・アイランド造兵処から完成 かん告と陸軍省砲兵局が立案した工業供給仕様書にした 車 2 輛の供給を受けた。また , 最終組立と部品製作はオ がって T14 の名の下に再設計が行われ , 試作はイリノイ ダイヤモンド・ T ・モーターカー , ホワイ 州シカゴのダイヤモンド・ T ・モーターカー社で行われ ト・モーターの各社工場が担当する計画となった。しか た。 1940 年 9 月 , T 14 は M 3 , 、一フ・トラックとして制 し , アメリカン・カー & ファンドリー社は軽戦車の量産 式化された。 を行う必要が出たため , 計画は変更されて生産はオト 第 2 次大戦で , 機甲師団 , 機械化砲兵部隊の主要装備 ダイヤモンド・ T ・モターカ , ホワイト となった M 2 , M 3 ハーフ・トラックは , 乗員の数が異 るだけで多くの共通部品で構成されていたが , 1941 年 12 月にアメリカ陸軍が第 2 次大戦に参加するまで , M2 は 野戦砲兵部隊の 105E 榴弾砲の牽引車 , 機甲偵察部隊の 装甲偵察車として , また M3 は主として機甲師団 , 機械 化砲兵部隊の兵員の輪送や救急車 , 通信車として使われ た。さらに M 2 と M 3 のシャシーをベースに , 砲兵用牽 引車や自走砲も製作された。 ☆ハーフ・トラックの量産計画 1940 年 , 陸軍兵器局の主催する会議で , 生産担当官 J . E . マックイマックネー造兵少佐を中心にオート・カ ー社 , ダイヤモンド・ T ・モーターカー社 , ホワイト モーター社の各社は , M 2 , M 3 の生産と部品の共通 化 , 規格化を討議し , 標準構成品としてホワイト 160A X ガソリン・エンシン , スパイサー 3641 トランスミッシ ョン / トランスファー , テムケン F35H X 1 フロント アクスル , 56410 B X 67 リア・アクスル・後部走行装置 と T 68 E 1 グロサー・ゴム履帯が採用された。 M 2 と M 3 の量産は一般公開の競争入札が行われ , 入 札にはオートカー , ホワイト・モーター ダイヤモンド ・ T ・モーターカー , アメリカン・カー & ファンドリ などが参加した。結局 , 生産はアメリカン・カー & ファ 、 7 ⑥⑦ ゝ」し 運転席のシフトレバー ①パワーテークオフ・シフトレバー トランスミッション・シフトレバー ③ハンド・プレーキ ④トランスファ シフトレバー ⑤フロントアクスル・シフ トレバー⑥トランスミッション⑦プレーキ・ディスク
レオハルト A3 。 A3 は、第 5 期生産分の前期、 A2 232 輛のあとを受けて 110 輛造られた。第 5 期の生産は 1963 ~ 64 年てある。レオ / ヾルトは A ているのガみえる。昔の戦車は排気管を直接外に出していたが、最近の戦車ては熱源の探知を避けるため、排気を車内の空気と混せて温度を下げ ワに 120 輛が輸出され、カナタ型の C 1 114 輛、オーストラリア型 AS 1 90 輛もこの A3 の改修型てあるよ車体後部側面の排気クリルにススがつい 甲をつけた 2 重装甲のことて、そのために外形はガなり大きくなる。 A3 は、西ドイツ陸軍でこそ 110 輛と少ないガ、オランタ、に 468 輛、テンマー べースド・、アーマーは、 HEAT 弾や対戦車ミサイルなどの成形炸薬弾頭の攻撃をガわすため、装甲本体との間にスキ間を持たせてもう 1 枚の装 3 になってガラリとイメージを変え、一それまての丸味のある鋳造砲塔をやめて、スペスド、アーマーを導入した大型の熔接砲塔を搭載した。ス てから車外に放出するようにしたものガ多い。 Krauss-Maffei Leopard A3 installing a -new rectangular spaced-armor tu 「 ret. Krauss-Maffei
Armies & Weapo レオハルト A4 。 A4 は、 A3 の発展型て、第 6 期生産分として 250 輛が 1974 年に造られ、レオバルト 1 シリースの最終型 となった。とはいっても、ベストセラーのレオバルトの生産は終了せす、 C 1 、 AS 1 、ケハルトなと生産は現在ても続い ている。 A4 は、車長用に新しく PE R に日一 12 べリスコープを採用し、大型ヘットか砲塔上につき出ているのガ特徴とな った。また走行機構には電子化されたギア・セレワターがつき、加速性、運動性もいち段と向上している。砲身上について いるバイプをたばねたようなものは射撃訓練用シミュレーターの発煙筒で、実弾のガわりにここガらドンと発砲煙を出し、 雰囲気を実際の発砲時に近すける。レーサー、ヒ、一乙の発振機は最近砲身の内部にとりつけるものガあらわれ、外からはみ えなくなった。 A4 は第 28 、 29 の両旅団に配備され、 A 1 —A 3 が第ニ線化したあともレオハルト 2 とならんて第一線にと とまる予定とのことてある。 Leopa 「 d A4 250 delivered were the last version 0f Leopard 1 series. レオハルト 2 プロトタイプ、 105m 滑腔砲装備型。ワラウス・マッファイ社は、 60 年代なかはごろからレオハルト 1 の近代化をガら て次期戦車レオ / ヾルト 2 の研究をはしめていたがこアメリカと共同開発した MBT70 計画を 1970 年に放稾してから、レオバルト 2 が 期 MBT の本命に浮上した。レオハルト 2 はレオバルト 1 の「火力強化・射撃統制装置近代化型」で、 1972 年までにプロトタイプ 1 刀 型ガ造られ、スタイルはこらんのように 1 A4 によく似ている。もちろん 120E 砲の搭載のために車体は大きくなり、エンジンは 1500. 力になって機動力も大幅にアップした。砲塔の測遠機カハーガ開いているが、搭載の EMES12 測遠機 ( レーザー式と普通の光学式 併用した高級なもの ) は 1 型への換装も考えて同じ長さ 172 師に造られ、砲塔上にピョコンとみえる車長べリスコープも A4 と同し P 日に日一 12 系である。しガし 1 シリースの近代化は予算ガかさむためにとりやめとなり、無理をして 1 と 2 の共通化を計る必要ガな なったことは、防禦力の強化なややとり残された点と合わせて、次の AV タイプ開発の一要因となった。 One Of the コ 7 prototype of Leopard 2 、 This parucula 「 vehjcle mounts 105- m 皿 smooth bore gul
の域を出なかった。 また F k38 と同様に 4 連装化し たものもあり , これは 3 Flakv:- erling 103 / 38 として少数が生産さ れている。 ( 4 ) 3.7 Flak 43 ラインメタル・ポルジーク社によ って開発されたもので , 前記した M K103 を大型化して , 3. 7c 加 Flak36 の砲架に載せたものである。 MK103 より砲身はやや長くされ , ライフリングのヒ。ッチも多少急にな った。また , 砲耳は砲の重心近くに 下げられたため , 砲耳の近くになっ た給弾ロへの送弾は砲がどのような 角度になっても楽に行えるようにな り , また弾丸クリップが発射によっ 8.8 礪臼 ak41 を搭載した試作車。 1943 年に造られた て減っていくことから起こる / くラン Flak43 ( ならびに連装型 ) は当 砲の 2 本柱としていたが , その中間 スの変化も少なくなり , 操作 , 照準 初ウーベークノくイザー 43 を照準器と をカバーする中口径砲の必要性が生 ともに楽になったのが特徴といえよ していたが , 1944 年なかばからはよ じたため , 1935 年からラインメタル り簡単で , 低空を高速で飛行する攻 社で開発が開始されたのが 5 F lak FIak43 の開発がはじまった直後 撃機に追従が可能な十字型のシュべ で , 1939 年に完成 , F 1ak41 として に連装型の開発も開始されている ーベクライ / くイザーに交換されてい 限定生産が行われた。 が , 従来の左右連装とは異り , 上下 る。 しかし実戦で使用してみた結果 , 2 段に装備したもので , 形態的には 弾丸の発射速度は最大分間 250 発 , この 5 cm F 1ak41 ではやや威力の不 かなりめずらしくはあるが , 実際に 実用 180 発となっており , 初速は 820 足が感じられたため ( 数も少なかっ 使用してみるとなんら不具合はなか 川 / 秒だった。 た ) , ルフトヴァッフェは , より高 ったといわれる。単装型の生産数は ( 5 ) 5. 5c 加 Gerät5S Flak 初速で強力な破壊力を持つ中口径対 不明だが , この連装型は 390 門が完 ドイツ軍では , 大戦がはじまるは 空砲の仕様を提示した。 成し , 1945 年になって配備がはじめ るかに前から , 2 ~ 3. 7c 加といった ラインメタル・ポルジーク社カ : られた。 小口径砲と 8. 8c 加の大口径砲を高射 れに応え , 口径を 5. 5c 加にアッフ。す ればこの要求を満たすことが可能 , という提案を軍に提示し , 軍がこれ を受けて開発を命じることになった のが器材 58 号 , この 5.5 F lak であ ラインメタル社では 1943 年いつば いを砲と弾丸の開発に費し , 1944 年 の春にはフ。ロトタイプが完成するに いたった。 砲そのものは FIak41 の改良型で 機構はほぼ同じ , 砲架も FIak41 の ものを改造したものである。 計画では発射速度が分間実用 140 発 , 初速 1050 / 秒とされていた が , フ。ロトタイプを使って試射した 射撃姿勢の 5.5 ご第 Ge ⅲ t58 対空砲。結局完成にはいたらなかった 86
ニュース ランス戦場支援ミサイル ◆ T 72 , チーフテンなど 中東への武器供与ますます盛ん 8 月 15 日 , アメリカ情報筋は , シ リアに対してソ連がいよいよ T72 の 供与をはじめたと語った。 T72 はすでにシリア国内に運びこ まれており , 150 ~ 200 人ていどのシ リア人技術要員がモスクワ近郊で訓 練されているという。 一方 , M60A 3 を 300 輛購入する と報導されていたヨルダンは , この 話をとりやめ , 代りにイギリスから チーフテンを購入すると発表した。 ヨルダンは , 従来軍事的にはアメリ 力に全面的に依存していたが , 中東 和平交渉への不満からアメリカ離れ アメリカ製の T 0 W は N A T 0 諸国 軍は砲とミサイルのコンビを望んで を示したものと観測されている。 を含めた大ベスト・セラーとなり , いるが , コスト高とイギリス兵器工 のチーフテンは , イギリスがイラン 業界の圧力により , イラン向けに製 おかげで価格がぐんと安くなった。 用に用意していたものだが , イラン そのため , ャグアルには含まれてい 作された自走レイヒ。ア対空ミサイル の政変に続く関係悪化のため , ヨル ダンにまわったというのは公然の秘 ない夜間サイトを追加しても , TO と車載型フ・ローパイプの組合わせが W 搭載車の価格の方がまだ安いとい 最有力視されている。一時うわささ 密である。 うことになったもの。 そのイランは , 政変後いったん全 れていた C A 1 カエサル ( ゲパルト すでにヤグアル 2 輛を改造して T 面破棄まで進んだアメリカからの武 のオランダ型 ) の購入は価格の面か OW を装備した試験車がテストを受 器購入について , 最近再び交渉を開 ら見送りとなり , またアメリカの D けていて , 一説によれば 160 輛以上 始した。中近東をめぐる武器のやり I v A D s は価格はともかく , 配備 が生産されるかもしれないというこ 時期が軍側の希望する 80 年代はじめ とりはますます盛んなようだ。 とである。 に間に合わないため , 旗色は亜い ・一ン、 0 ◆アメリカ陸軍が アメリカ陸軍で , TOW 対戦車ミ 新型の地雷探知機を開発へ アメリカ陸軍の機動装備研究開発 サイルの評価が上っている。 司令部 (M E R A D C 0 M) は , 車 研究は , 第 1 騎兵師団と第 2 機甲 輛に搭載できる新型の地雷探知機の 師団を使った 80 年代型機甲師団洋 開発にかかった。 の編成実験の一環として進められ , 装置は車輛搭載地雷探知システム M113A P C にランチャーを載せた とよばれ , 極超短波を使用したもの。 自走型が用いられている。編成は 36 車輛の前端につけられたセンサーの 輛 , 3 コ中隊の、 TOW 軽対戦車大 S L U A のプロトタイプ 隊洋と , 12 輛 1 コ中隊を戦車大隊に ヘッドから音波が発振され , 地雷を 編入したタイフ。が並行して検討され 発見するとアラームが鳴り , 車内の ◆ャグアルの新型が生産か ている。いずれの場合でも , 研究の ディスプレイには位置が正確に表示 西ドイツのラケーテン・ヤークト される。地雷は金属性 , フ。ラスチッ パンツアー・ヤグアルは , S S 11 対 結果によると , T 0 W は戦車よりも 戦場で生き残れる割合が高く , また ク地雷にかかわらず探知でき , 幅 戦車ミサイルを積んだ前型を改良し 撃破能力も戦車より強力で , シミュ て , ミサイルを HOT に換装した新 3.3 の地帯を時速約 13 で走るこ レーションの結果 T 0 W 1 基につき とができるというもの。 1 号機は来 型だが , 今度はアメリカ製の TOW 戦車 5.27 輛の撃破を記録した例もあ 年 1 月に引渡され , 契約には実験用 対戦車ミサイルを積む新型が現われ ったという。具体的な編成はまだ決 8 機の生産が含まれているという。 た。ャグアルはすでに量産体制に入 定していないが , M9011 TV ( 改 ◆イギリスの前線防空兵器選定へ っており , 一部は陸軍へ配備されは 良型の自走式 TOW ) の生産も順調 イギリス陸軍が前線防空用の自走 じめているが , どこでも悩みのタネ で , T OW がこれまで以上に重要視 式対空兵器の選定を進めている。陸 になるのがコストの問題。ところが 110 ◆自走 T O W の評価さらに上る
(N) を考えている。 標から 24 川以内に命中するのに成功 されることは確実らしい。 ◆アメリカ軍の新型地雷爆砕車 した。 T ー 22 はレーザー慣性誘導シ ◆ M60A 3 の生産順調に進む アメリカ陸軍は , 5 t カーゴ・キ ステムとデジタル自動操縦システム 昨年 2 月に第 1 号車がロール・オ ャリア M548 のシャシーに改良型ズ を持っている。陸軍では T ー 22 を使 フした M60A3 が , 今年 4 月に 200 って , 敵戦車集団の上からミニ対戦 輛を越え , 5 月からいよいよ本格生 車ミサイルをバラまくことを考えて 産に入った。 (6)A 3 は現用主力 M60A 1 の発 いる。 当を物。をま、み 展改良型で , 特徴は AN/VVG2 ヒューズ A H ー 64 攻撃へリコプタ レーザー・レンジファンダー , 風向 ーの武装として開発中のロックウェ センサー , M21 コンビューター , 砲 手用パッシプ・サイトを組こんだ射 ル・ヘルファイア対戦車ミサイルの 全射程誘導テストが , 9 月 18 日には 撃統制装置にある。その他 M239 ス じめて行われ成功を収めた。ヘルフ モーク・ディスチャーシャーと M ァイアは弾頭の代りに計測装置を搭 240 7.62m 機銃も装備しているが , 載し , 高度 60 川で空中停止している これはパッシプ・サイトとともに M AH ー 64 から発射された。目標は静 60A 1 にも積みこまれたもの。 A 1 売リこみさかんな自走レイビア と A3 の外見上の相違は , 砲のサー 止状態で地上からレーザーで照射さ ミサイルを発射できるチュー マル・ジャケット , 砲塔後部に立つ れ , ヘルファイアはその反射をたど フ・ 30 本を備えた地雷爆砕用の特殊型 風向センサー , 右側のレンジファイ って飛行 , 目標を直撃した。 を保有している。 ンダー・キャップについたレーザー ◆ヨーロッパの新対戦車ミサイル 任務は地雷原の破壊で , ズニーを 防護シールドの 3 点である。また砲 イギリス , フランス , 西ドイツの 斉射して感圧型地雷の敷設してある 手用パッシプ・サイトは , A N / V 3 カ国は第 3 世代の対戦車ミサイル 地雷原を爆破させることにある。ズ SG2 熱線映像サイトが完成ししだ を協同して開発することに合意し ーには 38.5 の燃料・空気・火薬 いこれにおき代えられる。 近い内にイギリスのフ・リティッシュ M60A 3 は , 1981 年 3 月までに約 混合の弾頭がつけられ , 発射後しば ・エアロスペース・ダイナミクス社 2000 輛が生産される予定で , その後 らくして弾頭だけが切り離されてパ がユーロミサイル社 ( フランスのア 6 年ていどをかけて既存の M60A 1 ラシュートで垂直に降下し , 接地す ェロスパシアル社と西ドイツの M B 約 7000 輛が A 3 に改修されることに ると爆発して , 戦車が通過するのと B 社の合弁会社 ) に加わることにな (T) る。構想に上っている対戦車ミサイ 同じ圧力を地面に加えるようになっ なっている。 ルは HOT , TOW 級で , 有効射程 ◆ランス改良型の試射が成功 ている。 は 4 0 川 , 超音速で飛行する。 3 カ ヴォート M G M ー 52 C ランス戦場 試作車輛は , 海軍のチャイナ・レ 支援 ( 地対地 ) ミサイルの改造型 , 国は将来は戦場支援ミサイル , 対艦 イク兵器センターでテストをおえ , ミサイルなども協同で開発すること 丁ー 22 ミサイルが 64 を飛行して目 すでに生産型が相当数完成して , 陸 軍の工兵部隊に配備が進んでいる。 ◆ヘルファイアのテスト成功 ◆インドネシアが 新型軽戦車を物食中 インドネシアは現在保有中の 200 輛の AMX13 軽戦車の後継車をさが している。 インドネシアの A M X 13 は , スイ ス陸軍が使用していたものをシンガ ポールを経由して入手したものだが フランスはその後釜を狙って , 最近 A M X 10 P A C 90 1 輛を使ってア ジア各国にデモンストレーションを 行った。しかしインドネシアは外貨 不足で , 高価な装甲車輛を買うわけ にはいかないため , 他の中古車輛が 多量に入る可能性もある。 T OW 対戦車ミサイルを積んだャークトパンツアーャグアル 2 、 1 1 1
ら発展した MBT と , MBT には不可能な任務を遂行す 発された M26 が , 戦後中戦車に分類し直されたことは , 重 , 中 , 軽の分類が時代により , 国により変わり得るも る軽戦車とが残ったわけだ。では , 軽戦車にしか行えな い任務 , あるいは軽戦車に適した任務とは具体的にどの のであることを示している。 一方 , T43 は M103 ファイティング・モンスターとな ようなものだろうか。 ったが生産は少数にとどまった。理由は明らかで , 要す ( 1 ) 偵察ーーーこれが軽戦車の最も代表的な任務で , だ るに鈍重な M103 の巨体は高度に機動化した現代戦に適 から多くの軽戦車は偵察戦車とも分類される。軽戦車の 小型で発見されにくく , 高速で軽快な運動性を持ってい 応できない , と判断されたのだ。例えば M103 の最大速 度は 34 / h , 行動距離は 170 をにすぎない。 るといった長所を生かした用法だ。 ( 2 ) 水陸両用ーーーイギリスやスエーデンではスクリー この運命は他の国の重戦車にとっても同じであって , 第 2 次大戦後のイギリスのコンカラー , ソ連の T 10 はい ンを使って MBT 級の戦車を水面に浮上させる手法を好 ずれも本格的に生産されたとはいい難い。 M103 とコン んでいるが , その実用性を他の国々は疑問視している。 まして付加物なしで浮上航行できる戦車となれば , 物理 カラーはソ連軍のスターリン重戦車を意識したものだろ うが , 本家のソ連では , そのころフルシチョフがスター 的に軽戦車以下のサイズに決まってくる。具体的にいっ リン批判を行っていたのだ ! ? て , 戦車ではないが 28t のマルダーは浮上航行できない。 冗談はともかく , イギリスでは大戦中歩兵戦車と巡航 浮上航行性能が役に立つ場面としては , とうぜん上陸 戦車の 2 分法 ( 軽戦車も別に存在したが ) を行っていた 作戦や渡河作戦などが考えられる。もっと重要なのは河 ・を豫い、第、は物 ン連の戦後派軽 戦車 PT76 。ソ 連では偵察戦車 として使われ , 多くの国に供与 された 川や湖沼を含む地域の偵察行動で , 水を乗り切るのにス が , やはり機動性の低い歩兵戦車は消滅する運命にあっ クリーンやシュノーケルの助けを貸りるようでは , 偵察 た。モンゴメリーは , 1944 年にこのような 2 分法を廃止 して単一の戦車 ( 彼の用語法では Capital Tank= 主要 は行えないのだ。 ( 3 ) 空挺 ( ヘリポーンを含む ) ーーー今日でこそロッキ 戦車 ) を採用すべきことを提唱していた。 MBT の思想 ド C— 5 A ギャラクシー , アントノフ An—22 コックの は第 2 次大戦中からあったのだ。 ように MBT を搭載できる超大型輪送機も存在するが , 実際今日の目でみれば , アメリカの M 4 シャーマン , 1960 年代なかばまでは空輸可能な戦車といえば軽戦車だ ソ連の T34 , ドイツのⅣ号戦車やパンターは , いずれも けだったし , パラシュートをつけての空中投下となれば M B T に相当するものだと考えられる。ソ連はこれに早 やはり MBT には不可能なことだろう。輸送機への搭載 ・く気づき , T34 の思想を発展させて T54 / 55 を送り出し を制約するのは単に重量のみでなく , そのサイズ , とく たが , アメリカは重 , 中 , 軽の 3 分法の形の良さ , 語呂 に全幅である点は注意しなければならない。 の良さ ? に引きずられてまわり道をしたといえよう。 ( 4 ) 歩兵部隊の火力支援ーーー徒歩や機械化した歩兵部 軽戦車の任務 隊と行動をともにし , 一般的な火力支援や対戦車戦闘を 担当する。軽戦車のコスト , 性能 , 大きさなどさまざま トリオの一角から重戦車が落伍したあとは , 中戦車か 79
ーー射第實 A ー、 A 、①、、一 A 、射第 V 射、 イギリスの主力戦車チ ーフテンは、 1967 年に 就役をはじめて以来、 今年で 12 年になるが、 装備の近代化を行いな がらいぜんとしてイギ リス機甲部隊の主力と して活躍している。そ の新型車輛はよく知ら イツに駐留している B AOR ( イギリス・ライ ン軍 ) に重点的に配備 されているが、今回は その活発な訓練の模様 をとらえた写真が入荷 したのでご紹介しよう。 早春の原野を行く M k. 3 。 M k. 3 は円 69 年から生産され、現在のチーフテンの主力となっているタイプ で、補助発電器、車長用キューボラなどが新式化され、先述のように砲塔右側に雑具箱とラックがつ けられた。主砲は 56 口径 120mmL ロ A 2 ライフル砲で、現在にいたるも西欧側で最も威力のある戦車砲 といわれている。本年春、西ドイツにおいて撮影 0 a ⅲ Mk. 3 0 「 BAOR, going on grass pot, Spring 贏 this year; H. Naka1ima Å 0 幵のを後期マ k は . 弯訓練配属れたのにを当。、初の実戦配脣を第 : 。三 = ミい第ミを、す 9 年から就ダし発言第型装備 ~ 性叫は前期型ど筒を、砲搭右側真箱 第 : = こ多を・多・ 0 け 0 ~ れ、後の、をと伺七 0 ならき 0 、み車体後面に : は防禦肝の予備まツ、ダ :