1 9 4 3 年 7 月再編時の第 2 1 戦車師団 第幻 戦車師団 師団司令部 機甲偵察大隊 司令部中隊 第 200 対戦車大隊 第 22 戦車連隊 第 200 通信大隊 第に 5 機械化 弾兵連隊 第 200 工兵大隊 第四 2 装甲 擲弾兵連隊 第 305 高射砲大隊 第 5 機甲 砲兵連隊 第 200 補給大隊 第 200 管理大隊 第 200 衛生隊 修理隊 第 200 第 200 野戦憲兵隊 第 200 野戦郵便局 指揮下に入り , 連合軍の上陸に備えて北フランスを防衛 する任務につくことになった。 1944 年 6 月 6 日 , 連合軍がノルマンディに上陸したと 第 5 軽機甲師団および第 21 機甲師団の師団長 第 5 軽機甲師団 ( 1 ) ヨハネス・シュトライヒ少将 ( 騎 ) 1941 年 2 月 20 日 7 月 22 日 ( 2 ) ヨハン・フォン・ラヴェンシュタイン少将 1941 年 7 月 31 日 10 月 1 日 第 21 機甲師団 ( 歩 ) ( 歩 ) ( 1 ) ② ( 3 ) ( 4 ) ( 6 ) ( 7 ) ( 8 ) ( 9 ) ( 5 ) 76 ヨハン・フォン・ラヴェンシュタイン少、将 1941 年 10 月 1 日 11 月 30 日捕虜 グスタフ・クナーベ中佐 ( 歩 ) ー臨時一 1941 年 11 月 29 日 11 月 30 日 カール・べットヒャー中将 ( 歩 ) 1942 年 1 月 30 日 1941 年 11 月 30 日 ゲオルク・フォン・ビスマルク少将 ( 甲 ) 1942 年 1 月 30 日 8 月 31 日戦死 カール・ハンゼン大佐 ( 参 ) 1942 年 8 月 31 日 9 月 18 日 ハインツ・フォン・ランドフ少将 ( 甲 ) 1942 年 9 月 18 日 12 月 21 日戦死 ハンス・ヒルデブラント大佐 ( 甲 ) 1943 年 1 月 1 日 4 月 25 日 ハインリヒ・フォン・ヒュルゼン少将 ( 甲 ) 1943 年 4 月 25 日 5 月 13 日降伏 E. フォイヒティンガー少将 ( 甲 ) 1943 年 7 月 マックス少将 ( 甲 ) 1945 年 1 月 1944 年 12 月 4 月降伏 きには , 第 15 軍第 1 S S 機甲軍団に配属されていたが , 第 7 軍戦区に移され , 連合軍が攻略をねらっていたカー ン南方に進出した。師団ではその主力であった第 22 戦車 連隊 ( フォン・オッペルン・プロニコフスキー大佐 2 コ大隊 , 8 コ中隊 , Ⅳ号日型戦車 150 輛 ) は使用 できる全力 120 輛をイギリス第 2 軍団の上陸地点で あるジュノーとスウォード両海岸地区の中間に投入 することが決定していたが , 国防軍最高司令部から の命令の遅れによって , 上陸直後の敵を撃破すると いうチャンスを逃がしてしまった。 上陸地点へ進行中 , 最初に接敵したのは第 192 装 甲擲弾兵連隊第 8 重装備中隊のⅡ号 75E 対戦車自走 砲であり , ビエヴィルの付近でイギリス第 3 師団第 185 旅団を支援する第 27 装甲旅団の M4 中戦車と戦 闘を交じえた。続いて連隊長に指揮された第 22 戦車 連隊の 2 コ大隊は 98 輛のⅣ号 H 型戦車で第 3 カナダ 師団の戦区に突入したが , 第 8 カナダ旅団および第 9 旅団の対戦車火器によって多数の戦車が損害を受 けて進出は阻止された。 こうして , 第 21 機甲師団はカーン付近の防衛線に 撤退し , さらに 7 月のグッド・ウッド作戦時にはイ ギリス第 3 師団の攻撃を支えたが , 主力である第 22 戦車連隊 , 第 125 および第 192 装甲擲弾兵連隊の戦力 の消耗は大きく , カーンの防衛を果たせなかった。 その後 , 第 21 機甲師団は第 47 機甲軍団に編入され て , アプランシュを奪回するリュテイヒ作戦に参加 したが , 連合軍に圧倒されて作戦は失敗し , 逆にフ ァレーズで包囲されそうになった。同師団は第 200 工兵大隊の支援でかろうじて包囲陣を脱出し , 機甲 集団 ( 第 5 機甲軍に改編 ) の他の部隊とともに , セ ーヌからマース河を経て , ジークフリート線まで撤 退した。フランスの戦いもこうして連合軍の勝利に 終った。
昭和 50 年 9 月 30 日国鉄首都特別扱承認雑誌第 3570 号昭和引年 8 月に日第三種郵便物認可 ( 毎月一回一日発行 ) 昭和 4 年 4 月一日発行 4 月号ーー第 46 号 PANZER 、ドイツ第 2 い甲・ぬ、 二 FV43 ゑ装中 , 確 : 、 刄 PR / 19 / 9 / No. 46 DIVISION ・ EXPERIMENTAL OF XM-I TANK BRITISH FV432 SERIES ・ GERMAN 21ST PANZER
ろがしておけばよいし , 発射の猛烈なショックに耐えら れるくらいだから手荒なあっかいにも平気である。使用 する砲兵にとっても特別な訓練など必要なく , ただ発射 の簡単な手順を覚えればよいだけである。 カッパーヘッドは従来の 155E 榴弾砲を何ら改造せず に使用できるので , その応用範囲は広い。もちろん陸上 自衛隊の 155E 砲からも発射できるわけだ。 その用法も従来の砲兵の間接照準射撃の要領と大きく 異ならない。カッパーヘッドを使用する場合 , 砲兵の前・ 線観測員は従来の装備の他 , レーザー目標指示器を携行 する必要があるだけだ。現在開発中のアメリカ陸軍のレ ーザー指示器には , A N / T V Q ー 2 と A N / P A Q ー 1 がある。 TVQ ー 2 は重量 22.7 ん 9 , 3 つに分解して 2 人 で持ち運べる。 PAQ-I はわずか 6.4 で , ひとりで ー第義ゞ第ぎ ち運べる。どちらも目標指示の操作はひとりで行える。 また試射でも示されたように , 目標指示は空中から行 敵戦車を狙う携行型レーザー目標指示機 ってもよい。例えば 1975 年 10 月 3 日の第 11 回目の試射で は , フォード社のミニ RPV が使われた。これは全福 落したのに匹敵するショックであり , デリケートなシー 3.96 , 全長 3.35 のラジコン模型を大きくしたような カーやジャイロは破壊され , 回路のハンダなどは剥れて 機体で , 2 気筒 8 馬力のエンジンを動力としている。操 しまう。マーティンが自費で行った初期の実験はこのた 縦は地上のオペレーターが機体に積まれたテレビカメラ めほとんど失敗におわっている。しかしそのおかげで部 の送ってくる映像を見ながら , 離れたところの誘導車に 品にポリ・カーポネイトを用いたり , ソリッドステート 乗って行う。 10 月 3 日の試射の場合 ニ R p V は高度 回路を使ったという , 新しいテクニックが編み出された 450 を 90 / h で旋回飛行し目標からは 58 , 誘導車 のである。 からは 4 離れていた。 もうひとつの問題は , 砲身のライフルによって与えら また 1976 年 2 月 26 日の第 12 回目の試射では , ベル AH れる弾体の回転であった。カッパーヘッドはそのまま撃 ー 1 ヒュイコプラの搭載した A T A F C S ( 空中目標捕 ち出せば毎秒約 250 回転するが , これでは成形炸薬のガ 捉火器管制装置 ) が用いられた。このときヒュイコプラ スに遠心力を発生してその集中を妨げ , さらに部品にも は高度 10 に空中停止し , 目標からは 2 離れていた。 高い遠心力がかかってくる。そこでこの回転を許容でき これらのレーザー目標指示器から出るレーザー光線は るていどに止めるため , カッパーヘッドの後端にはスリ コード化されている。つまり波長と , パルス繰返し周波 ッビング・オブチュレーター・パンドがつけられた。 数 (PRF) が一定の組合わせになっている。こうして れが砲身のライフルと弾体の間で空転するので , カッパ おけば複数の指示器が別々の目標を狙っているときも , ーヘッド自身は毎秒 10 回転ぐらいの緩い回転しか受けな その出すレーザーのコードさえ違えておけば反射が混同 い。砲身を出たあとはフィンにつけられた迎角のため , される心配はないし , 敵から妨害を受ける可能性も少な カッパーヘッドは毎秒 6 ~ 18 回転して安定を保つ。 地上やヘリコプターの前線観測員 , あるいは誘導車 0 中の R P v オペレーターがカッパーヘッドの射撃を要求 X M712 カッパーヘッドは普通の砲弾と同じに取りあ するときには , 自分の出しているレーザーのコードを つかってさしつかえない。これまでのミサイルのように 発射前の点検などは必要なく , 砲弾と同様 , そこらに の側に伝えなければならない。これを受けた砲兵は , カ マーティンの C L G P 試射成績 結果 1974 年 12 月 13 日 射距離 目標 8 静止 命中 1975 年 1 月 27 日 命中 1975 年 4 月 3 日 8 移動中 失敗 1975 年 10 月 3 日 命中 1976 年 2 月 26 日 静止 12 中中中中中 命命命命命 中 中 止動止止動 静移静静移 8 8 1974 年 8 月 9 日 1974 年 9 月 4 日 1974 年 9 月 26 日 1974 年 11 月 4 日
PANZER くル 78 年・一月号〉 6 円一 カラー図 : 第 2 次大戦のイタリア戦車折込図 : T34 / 76 戦車ロ絵 . 陸上自衛隊車輛 = のマーキングフランス装輸装甲車特集 : 陸上自衛隊 第 2 次大戦のイタリア戦車本文 : 歩兵輸送車輛の発達他 ぐ 8 年・ 2 月号〉・ 5 円 カラー図 : ナスホルン / フンメル折込図 : 九七式中戦車ロ絵 : M 68 FV622 アルビス・ストールワート特集 : フランス AMX- ロ軽戦車ナ スホルン / フンメル本文 : フランス陸軍の問題点他 ぐ 978 年・ 3 月号〉 550 カラービンナップ : M 60A ー折込図 : M 5 軽戦車ロ絵 : スコービオ ン軽戦車ベトナムにおけるアメリカ車現代のスエーデン陸軍大戦 - 前の日本の戦車 . 特集 : APC マルダー M 3 z'M 5 軽戦車 く憘 78 年・ 4 , 月号 > - 550 円一 カラー . ビンナップ : 74 式戦車析込図ドイツ牽引車ロ絵 : ベトナム におけるアメリカ単引式戦車の迷彩塗装イギリスの特殊戦車特集 : 74 式戦車ドイツ牽引車本文 : ペールをぬいだ T72 他 0978 年・ 5 月号 550 円一 カラー図 : 74 式戦車折込図 : 74 式戦車ロ絵•.XM ー実用化へ近ずく ストライカードイツ軍に使われたフランス車輛特集 : 74 戦車大戦 -. 前のソビエト戦車本文 : 上陸車 LVA 他 ぐ 978 年・ 6 月号 550 円一 折込図 : センチ・ユリオン MK コ 3 Ⅳ号 H 型戦車ロ絵 : 富士教導団戦車 . 大隊のマーキングフランスの AML バナール T62 戦車特集 . セン チュリオン戦車ドイツⅣ号日 / J 型 0978 年・ 7 月号 ) 570 円一 カラー折込 : チーフテン Mk コ / センチュリオン Mk コ 3 折込図•.AMX-IOO P 兵員装甲輸送車ロ絵 : チームスビリット円 78 最近のチーフテン AFV マニアのウォーゲーム特集 :AMX-IOP 大戦前のソビエト戦車 ぐ 978 年・ 8 月号〉 550 円 1 折込図 : AMX30 Ⅳ号 F 型駆逐戦車ロ絵 : ソビエトの戦闘車輛ドイ ツ AFV アルバム円 40 年代のイギリス重戦車特集 : AMX の最近の発 . 展型ドイツⅣ号駆逐戦車本文 : マルダー他 0978 年・ 9 月号〉 550 円 ' ロ絵 : 第 7 師団の開隊祭イタリアのカルロ・ペローチェ特集 : 第 4 次 中東戦争における戦闘車輛 I 号戦車の改造車輛 本文 : イスラエルの 新戦車メルカバを斬るロンメルとマンモス他 ぐ 978 年・月号〉 550 円 ロ絵 : イギリスの装輪装甲車バットンミュージアムで米独戦車戦九七 式中戦車特集 : 第 4 次中東戦争における戦闘車 T34 / 76 中戦車 本文 : SS 第一機甲師団アドルフ・ヒトラー他 0978 年・月号〉 580 円一 折込図 : M 日 3A ー装甲兵員輸送車ロ絵 : Bv. 206 雪上汎用車 AMX30tl 53 年度富士火力演習イギリスの巡航戦車特集 : M 凵 3A ー装甲兵員輸 送車 T / 85 と改造車輛本文 : イタリア機甲師団他 0978 年・に月号〉 580 円一 析込図 : 九五式軽戦車ロ絵 : 各地の自衛隊イギリス陸軍の装備ソ 連の装輪装甲車特集 : 円 80 年代の MBT 九五式軽戦車本文 : 戦車は . ミサイルにどう対抗するかポーランドの豆戦車他 0979 年・一月号〉 620 円 カラー折込 : Sdk fz. 7 牽引車折込図 : レオバルト 2 ロ絵 : 世界の MICV 題名のない写真集ヘッツアー写真集特集 . ドイツ連邦共和国一 陸軍九五式軽戦車本文 : キャタビラの幅と接地圧他 ぐ 979 年・ 2 月号〉 600 円 ロ絵 : 西欧側の対空自走砲 M48 写真集 KV-I 重戦車特集 . ソビエト の装甲輸送車イギリス第 79 機甲師団本文 : 西ドイツの 57mm 砲護衛 戦車カデシュの戦い BMP 歩兵戦闘車他 0979 年・ 3 月号〉 600 円 ロ絵 : 60 式 106mm 自走無反動砲イギリス・ライン軍の演習 M 2 / M 3 / M 5 軽戦車ドイツ A FV アルバム特集 . ソビエト地上軍ドイ ツ対空戦車本文 : 80 年代戦車のめざすもの他 こに紹介していない号は在庫しておりません。 ・上記のバックナツなトを希望の方は , 、ご婆望の号数を明記しを現金書をか定額小物替にて当文下、。ー寡羂 = = , さいま送料は一部 45 円帋ツ部時円、、 3 部 85 円ですなお六・ツツ十ントは予約購読扱いにはな既ま、せん = = 学一ゞ のでを , 両方を同時に申 - し込まれるとさは文書 , 、送料などを分してご洋文下き当 0976 年・ 10 月号〉 0 円 カラー図 : ドイツ 3 まい / 3 & い戦車折込図 : M 中戦車ロ絵 : 第 7 帥 団の APC ダビデの星の機甲部隊特集・本文 : M 中戦車 3 t ) / 38 ( い戦車 XM- ー他 く 1976 年・日月号〉 5m 円 カラー図 : バレンタイン戦車折込図 : バレンタイン MK. I ロ絵 : M5 引 ドイツ N b. Fz. 重戦車特集 : バレンタインシリーズ M5 引シェリダン 本文 : フォックス軽偵察装甲車他 0976 年・ 12 月号〉 カラー図 : 3 & い改造車輛折込画 : 駆逐戦車へツツアーロ絵 : 最近の イギリス陸軍 3 ま t ) 改造車輛と自走砲特集 : M 47 ジェネラル・ノヾット ン駆逐戦車へツツアーと自走泡 09 〃年・一月号〉 5 円 カラー図 : チャーチル歩兵戦車折込図 : レオバルト I A 3 ロ絵 : ド イツ AFV アルバム世界の MBT 特集 : チャーチル歩兵戦 本文 : ソ 連戦車と西歐の戦車他 ぐ 977 年・ 2 月号〉 530 円 カラー図 : 特ニ式内火艇折込図 : M 48 A 3 戦車 ロ絵 : ドイツ AF V ア ルバム III 号突撃砲特集 : M48 中戦車バットン 特ニ式内火艇本文 : 世界の列車砲他 0977 年・ 3 月号〉 530 円 カラー図 : イギリス巡航戦車折込図 : レオバルト A - ーロ絵 : ドイ ツ AFV ア ) レノヾムスコービオン特集 . レオ / ヾルト I イギリス巡航戦 車本文 : フランスの巡航戦車他 0977 年・ 4 月号〉 530 円 カラー折込 : M 60 A ー折込図 : M 60 A 2 ロ絵 : イギリスのランドロ ーバー特集 : M60 戦車シリーズ駆逐戦車ャークトティーガー 本文 : ラインメタルに Omm 滑腔砲他 ぐ 977 年・ 5 月号〉 530 円 カラー図 : フランス戦車込図 : レオバルトⅡロ絵 : 自衛隊富士学 校の AFV ドイツ AFV アルバムイギリスの自走榴弾砲特集 : レオバ ルトⅡ第 2 次大戦のフランス戦車本文 : M 109 155mm 自走砲他 ぐ 977 年・ 6 月号〉 530 円 カラー図 : 軽戦車ルクス析込図 : ルクスロ絵 : アメリカの自走砲 架橋戦車特集 : アメリカの自走砲軽戦車ルクス本文 : 世界の工兵 用車輛日本の自走砲野戦対空火器の発達と現状他 ぐ 977 年・ 7 月号〉 530 円 カラー図 : イギリス巡航戦車析込図 : 対空戦車ゲバルトロ絵 : サラ セン装輪装甲車 / KV - 引駆逐戦車対空戦車ゲバルト特集 : IKV- 引駆逐戦車イギリス巡航戦車本文 : チェコ陸軍戦車小史他 ぐ 977 年・ 8 月号〉 530 円 カラー図 : Sd. Kfz. 250.2 引折込図 : ー K V- 引ロ絵 : 現代の車載ミ サイルアメリカの AFV 特集 . ソビエト戦車 T 62 ・ T 64 ドイツ・ハ ーフトラック Sd. Kfz. 250. 2 引本文 : 世界の列車砲他 0 977 年・ t0 月号〉 550 円 カラー図 : Ⅱ号戦単の改造車輛折込図 : レオバルト I - A 4 ロ絵 : ア ポット自走砲陸上自衛隊総合火力演習 M 凵 3 APC シリーズ特集 MBT-70x Kpz. 70 Ⅱ号戦車の改造車輛本文 : 攻撃へリコプターの発達 ぐ 977 年・月号〉 550 円 折込図 : 引式戦車 KB-I ロ絵 : ビカーズ MK / MK. 3 戦車 LVTP-7 水陸両用 APC スイス陸軍の機甲部隊イギリスの特殊戦車特集 : 田 式戦車 KB 重戦車シリーズ他 く 1977 年・ 12 月号〉 550 円 カラー図 : アラブ諸国の戦闘車輛折込図 : R S 0 トラクター ロ絵 : ガ マ・ゴートトラックシアーマンインアクション特集 : アラブの陸軍 ドイツ駆逐戦車工レファント本文 : XM- ー他 バックナン / ト サンテーアト社パンツアーをバックナン六一係 , 、 .. , = 、〒日東京都文京区水道い一 4 、、 ~ 惓プチメゾシ 2 田・ 78
ハ・い、 0 実際には , 7 月 5 日 , 資料が欲しい。 / くンコク西方 40 のノンフ・ラド 南方軍鉄道隊の下には 200 万分の 1 の地図しかなかっ ック駅に , 赤と白をした測量用の起点標柱が立てられた た。そこで , 第 5 飛行集団の飛行第 8 戦隊に依頼して航 のが着工の第 1 歩だった。作業は東のタイ側と西のビル 空写真を撮ってもらうこととなる。・ビルマのドームアン マ側の両方から同時に行う。兵力は以下のごとくであっ 飛行場には固定脚の九七式司令部偵察機が進出した。そ た。 して小西六の小型手持ち写真機 ( 斜め式 ) を載せて機体 第 2 鉄道監司令部 ( / くンコク , 50 名 ) タイ側 : 鉄道第 9 連隊 ( 2500 名 ) の底に穴をあけ , レンズを下方に突き出した固定写真機 第 5 特設鉄道隊 ( 770 名。民間の鉄道員 ) ( 垂直式 ) の 2 種により , 航空写真が撮影された。 ビルマ側 : 鉄道第 5 連隊 ( 2000 名 ) これはただちにノくンコク - に送られてきた。フィルムの 第 1 鉄道材料廠 ( 140 名 ) 長さは 20 にもおよぶ。 鉄道第 5 連隊は , 太平洋戦争の直前に中国南部の作戦 「いや , 第 3 案がいちばんよいと思います」 に協力した部隊だった。そして 1942 年 3 月 , ビルマのラ それそれ長短のある 5 つの鉄道敷設路のうち , 参謀の 提案どおり第 3 案に対して服部少将はうなずいた。これ ングーンに上陸後 , 第 56 師団をトングーの町に進出させ はビルマ最長の川 , サルウイン河の激流をわたらずにす るため , 1 日 2 本の列車を動かしてきた。鉄道第 5 連隊 むルートだからだ。第 3 案はその支流の小さな渓谷に鉄 にとって幸いだったことが 3 つある。その第 1 はラング 橋をかけさえすればよい。ところが , この案は地勢上有 ーン郊外のインセン鉄道工場が無傷で入手できたこと。 利であっても , 実は恐ろしい流行病の慢延する地区をと 次はイギリス・インド軍が退却を急ぐあまり橋のいくっ かを爆破し忘れたこと , 第 3 は 1000 台余の各種貨車をビ おらなければならないとは , まだわからなかったのであ ルマ全土で捕獲できたことであった。ラングーンに上陸 した鉄道第 5 連隊は , ビルマの前線から後方へ向って鉄 同年 4 月 , 服部暁太郎少将は内地への帰還命令を受け 道を敷く格好である。 とった。後任は東大の機械工学部出身の下田宣カ少将で 他方 , 鉄道第 9 連隊は , もとジャワの第 16 軍 ( 治集団 ) ある。 の指揮下にあり , 北スマトラの鉄道を動かしてきた部隊 下田少将が着任して 2 カ月目の 6 月 7 日 , サイゴンの である。彼らは蘭印作戦が一段落ついたので船で北上 , 南方軍総司令部 ( 威集団 ) から , タイにある第 2 鉄道監 6 月 , タイに上陸した。鉄道第 5 連隊が 3 コ大隊の編成 司令部に対して正式に命令が下りた。 であるのに対し , 第 9 連隊は完全装備の 4 コ大隊よりな 「泰緬鉄道を敷設せよ ! 完成は来年末とす」 100
あ / あの戦友が、あの愛機がミム , こに甦る . 〃 戦争物録 8 ミリ映画 ま定版 0 新発売 激闘予科練 ( わだつみは語りつぐ ) ニ型、五 登場する海軍機・零戦ーー型、 ニ型・雷電・月光・天山・連山・彗星・瑞雲他 監修・予科練の碑保存顕彰会 秘録予科練 ( 蒼空は炎と燃えて ) ハワイ・マレー沖海戦 燃ゆる大空 秘録少年飛行兵 秘録ビルマ戦記 監修・予科練の碑保存顕彰会 映画「ハワイ・マレー沖海戦」より監督・山本嘉次郎 映画「燃ゆる大空」より監督・阿部豊 監修・合唱・少飛会 監修・元ビルマ方面参謀部 ・スーパー 8 白黒・ 180 ( 30 分 ) 光学録音 / カセット・テープ付 各 \ 1 5 , 800 あ、隼戦闘隊 ・スーパー 8 白黒・ 90 ( 1 5 分 ) 光学録音 / カセット・テープ付 \ 9 , 000 お ) 戦闘隊一 秘録ビルマ戦記 - 秘録少年飛行兵 - 燃ゆる大空 - ( をは灸ときえて ) 第マ / UFO ☆友好か、侵略か / ′ ・スーパー 8 カラー・ 55 ( 9 分 ) 各 1 0 , 800 光学録音 / カセット・テープ付 プロット・スカイラブ 3 号が撮影した U F 0 ・アホロ 1 2 号が撮影した IJ F 0 ・官製ハガキに下のように記入し、下記まてあ申 ニ 7 号が撮影した F 0 ■ア 込みください。・あ申込みハガキが到着しだい代 ダムスキーか撮影した U F 0 ・米国防 金引換郵便て発送いたします。・あ支払いはあ近 総省ファントム機が撮影した F 0 < の郵便局て、商品と引換にてあ願いいたします。 ・送料当社負担。 プロット・ナスカ平原 ( 1 , 500 年前の飛 お年お 8 行場 ) ・イースター島黙せる巨人たち 電令名住ミ ・サハラのタッシリ山にある宇宙人の ~ 所リ 古代壁画他 月リ ガガ お申込みは下の要領で 宇宙 , 、の挑戦 于由への挑戦 人類月に立つ 宇宙人は地球にきた / ′ 意名 2 東京都文京区水道 注署 プチメゾン 2 01 での の者 サンデーアート社す護 ま保 代理部 な方 との 効 無未 は才 も、す いたで なま要 の。必 一にし、刀 ム小当、 . 印 だ捺 、、一は求にきた ! 0 第 E - 三ロ 宇宙への挑戦・地球は青かった 月旅行があなたのものに . 〃 ・スーパー 8 カラー・ 55 加 ( 9 分 ) 各 \ 9 , 8 圓 光学録音 / カセット・テープ付 プロット・ロケット開発と宇宙への欲 望・初めて見た地球の全景・宇宙遊泳 する飛行士・アポロ 11 号の秒読み開始 ・全人類を代表する三飛行士の勇姿■ アポロ 1 1 号は月に向って飛び立った 宇宙への挑戦・人類月に立つ デ 12 東京都文京区水道 1 ー 4 ー 16 プチメゾン 201 プロット・アホロ 1 1 号、月面に向かう サンテーアート社代理部 ・月面着陸、その歴史的瞬間・人間か 見た初めての月面風景・月面て楽しい 発送業務代行 : 東宝ファミリーワラブ谷 03 ( 5 ) 2733 冒険 ( アポロ 16 号より ) ・地球への帰還
く戦史シリーズ No. 44 > 真説戦場にかける橋」 タイ、ビルマをつなぐ鉄道 木俣滋郎 The true story of Mek10hng Bridge 翌 3 月 9 日 , 54 歳の第 15 軍司令官 , 飯田祥二郎中将 ビルマの第 15 軍 ( 陸軍士官学校第 20 期卒業 ) は馬にまたがり , 壮大なラ 1942 年 ( 昭和 17 年 ) 3 月 8 日 , 第 15 軍 ( 林集団 ) の第 ングーン入城式を挙行した。 33 師団 ( 弓兵団 ) は , ビルマの首都ラングーンに突入し こうして , 米の産地 , 「黄金のパゴダの国」ビルマは た。イギリス軍ビルマ第 1 師団 , 第 17 インド師団 , アメ 日本軍の侵入するところとなったのである。 リカ製の M 3 スチュアート軽戦車を持つイギリス第 7 装 だがイギリス・インド軍もいつまでも退却したままで 甲旅団などは装備を放り出し , 鉄道や船で命からがら西 はない。彼らは巻き返しを計って , 3 月 , 上層部の首を 方へ脱出した。 すげかえた。つまりビルマ方面軍司令官ハットン中将が 日本の戦車第 2 連隊の九五式軽戦車は , スチュアート 責任をとって解任され , かわりにハロルド・アレキサン 軽戦車の 37 新砲に射すくめられてかなりの出血をみたが ダー大将が任命されたのだ。 それでも大勢は日本軍の圧倒的な勝利におわった。 彼は 2 年前 , 有名な「ダンケルクの撤退」のさい , イ ギリス第 1 師団長として部下をうまく退却させた功績を 買われていた。 51 歳のアレキサンダー大将は , 疲れきっ た兵力をカキ集め , 日本の第 15 軍を喰止めようと計画し ていた。 イギリス・ビルマ方面軍 第 17 インド師団 ビルマ第 1 師団 第 63 インド旅団 第 7 装甲旅団 ( Mk. Ⅳ軽戦車 , スチュアート軽戦車 ) 第 28 飛行中隊 ( 固定脚のウェストランド・ライサンダ 一地上協力機 ) 中国第 5 軍 ( 応援 ; 北方より ) これらの部隊の将校は皆イギリス人であり , 兵の大半 はインド人やビルマ人であった。 これに対し , 日本の第 15 軍は次の兵力である。 第 56 師団 ( 竜兵団 , 北九州の兵 ) 第 18 師団 ( 菊兵団 , 北九州の兵 ) 第 33 師団の一部 ( 弓兵団 , 北関東の兵 ) すでに海上交通もひらけ , 第 33 師団の先鋒は 3 ~ 4 月 に貨物船に分乗 , インド洋に出てビルマの首都ラングー 98
きミ第にを 中国人民解放軍とその備 キマダジロウ Chinese ′ m / おそらく第 4 次中東戦争でも威力を発揮したこれらの兵 1 中国人民解放軍のあゆみ 器によるものであろう。 2 月 17 日早朝 , 雪崩をうってベトナム北辺の国境を越 しかし強大国中国が思い切りよく 2 週間でサッと兵を 引きあげるところなど , なかなか堂に入ったものだ。 えた中国人民解放軍は 75 , 000 ~ 85 , 000 名であるという。 これを含め , 合計 17 コ師団 , 22 万 5 千名が国境の付近に そこでこの機会に , 中国人民解放軍の横顔に目をやっ 集結したことが , アメリカの偵察衛星の探知するところ てみよう。 1927 年 ( 昭和 2 年 ) , 中国南部の湖南省 , 江西省の境で となった。 ベトナムの正規軍は国境線からややさがって布陣し , 創立された労農紅軍第 4 軍が中国人民解放軍の祖先とい 地形をたくみに利用した陣地や地雷原で中国軍の侵入を える。第 2 次大戦中は , 介石の国民政府軍との対立を 防いだが , 中国兵はこの地雷原を突破するために裸馬を タナに上げて日本と戦っていた紅軍は , 戦争に敗れた日 先に立てたと伝えられる。なかなかュニークな戦法であ 本の武器を接収して , 、近代装備を整え , 2 年後の 1947 年 ( 昭和 22 年 ) , はじめて人民解放軍を名乗った。 る。 それにしてもベトナム軍は意外に強く , 侵入を許しな アメリカの力をックにし 日本名 中国名 がらも中国側にかなりの打撃を与えているようだ。それ た蒋介石に対し , 毛沢東のひ 軍 団 もそのはず , ベトナム軍は長い実戦経験を持つべテラン きいる人民解放軍は農民の絶 師 団 ぞろいで士気も高く , そのうえアメリカ軍が放り出して 師 対的な支持を受け , 悪政に人 いった兵器なども加わって , 評判以上の善戦をみせてい 気を落とした介石軍を台湾 連 隊 団 ベトナムでは農業用トラク る。例の M113APC など , に追っぱらうと , 1949 年 ( 昭 大 隊 ターに改造され , 広く民間に放出されているという。 和 24 年 ) , 新たに中華人民共 中 隊 そのうえソ連がアントノフ 22 4 発輸送機をはるばる 和国を建国したのである。 小 隊 中近東のイラク経由でベトナムへ送り , 対戦車ミサイル 1950 年 , 朝鮮戦争がはじま 分 隊 ・サガーや RPG7 などを迅速に運びこんだ。中国軍の って 4 カ月後の 10 月には , 鴨 戦車が国境の町ランソン付近で多大の損害をみたのは , 緑江を越えて朝鮮に大量の正規軍を送り ( 宣戦布告はな いから名目は義勇軍 ) , 近代装備のアメリカ軍と互角に 中国人民解放軍の兵種と兵力 戦った。このとき , 彼らは T34 / 85 戦車を共産主義の兄 と信頼するソ連から供給されている。その後 , 1959 年 10 121 コ師団 兵 歩 月のインドとの国境紛争にも電撃的勝利をおさめた。 40 コ師団 砲兵 ( 高射砲 = 防空兵を含む ) 12 コ師団 ところが , 4 年後の 1963 年ごろからソ連との仲が悪く 装甲兵 鉄道兵 なり , ソ連の軍事顧問団の引きあげにより , 中国軍の近 15 コ師団 工 代化はビンチを迎える。 3 コ師団 落下傘兵 また , さらに 2 年後の 1965 年 6 月 , 今度は軍に一大改 兵 騎 革を試み , それまで 14 コあった軍の階級を全廃してしま 通信兵 った。これは世界の軍事通をアッといわせたものだ。 防化学兵 近代装備に劣ることを自認する中国は , 1977 年 9 月 , 技術勤務兵 楊成武副総参謀長以下十数名の陸海空軍代表団をョーロ 上記の他、地方部隊として歩兵 70 コ師団がある。 ッパへ送り , フランスや西ドイツで軍事技術の最先端を 88
アラメインから後退してきたアフリカ機甲軍 ( ドイツ・ 第 5 軽機甲師団の戦闘序列 ( 1941 年 2 月 ) イタリア機甲軍と改名 ) も合流したので , 第 5 機甲軍と 合わせてアフリカ軍集団 ( 総司令官ロンメル元帥 ) が編 第 5 軽機甲師団司令部 第 200 特別任務司令部 成されたが , その実兵力はビーク時のアフリカ機甲集団 第 5 戦車連隊 にも及ばなかった。 第 33 対戦車大隊第 1 中隊 ( 第 15 機甲師団へ ) チュニス , ビゼルタ付近に圧迫されたチュニジア戦の 第 39 対戦車大隊 最終段階では , 第 5 機甲軍およびイタリア第 1 軍などの 第 2 機関銃大隊 ( 第 15 機甲師団へ ) 残余部隊で編成されたイルケンス戦闘群 ( 第 8 戦車連隊 第 8 機関銃大隊 長イルケンス大佐 ) に戦車ミューラーと呼ばれたゲルハ 第 75 自動車化砲兵連隊第 1 大隊 、ユーラー大佐の第 5 戦車連隊本部および第 1 戦 ノレト・ 0 第 605 自動車化高射砲大隊 ( アフリカ機甲軍へ ) 車大隊がわずかに戦力を残して米英軍に対抗したが , 補 第 606 自動車化高射砲大隊 ( アフリカ軍団へ ) 給が途絶えていたためにしだいに戦力が細って行った。 第 14 戦車連隊軍団直轄第 2 偵察大隊本部 またプファイフア戦闘群は 5 月 13 日まで抵抗したが , つ 第 3 自動車化偵察大隊 北アフリカ・一リビア有線通信構成中隊 いに弾薬がっきて降伏し , 第 21 機甲師団はかい滅した。 第 39 自動車化工兵大隊 1 コ中隊 ( 第 15 機甲師団へ ) ヨーロッパにおける第 21 機甲師団 第 668 自動車化特殊任務兵站本部 第 532 自動車化補給大隊 1943 年 5 月 , チュニジアでかい滅した第 21 機甲師団は , 第 533 自動車化補給大隊 ( アフリカ機甲軍へ ) 同年 7 月 , 東部戦線に投入されるために北フランスのノ 第 39 自動車化補給大隊第 3 中隊 ルマンディ地区で再編成され , 師団長には E ・フォイヒ 自動車化補給大隊 ( 部隊番号なし ) ティンガー少将が就任した。 第 122 自動車化車輛修理工場中隊 編入された部隊は , 第 22 戦車連隊 , 第 125 , 第 192 装甲 第 129 自動車化車輛修理工場中隊 擲弾兵連隊 , 第 155 砲兵連隊および師団直轄部隊などで 自動車化衛生中隊第 1 小隊 ( 以下略 ) あり , 第 22 戦車連隊の編成は連隊本部 , 本部中隊 ( 中隊 本部 , 通信小隊 , 戦車小隊 , 対空班 , 整備班 , 補給・輸 型自走 150 重歩兵砲 , Ⅱ号 105 榴弾砲車ヴェスペ , Ⅱ 送隊 ) , 2 コ戦車大隊 ( 8 コ中隊 ) で編成され , 第 1 大 号自走 75 対戦車砲および 300 輛の Sdkfz. 250 または 251 隊は第 1 ~ 第 4 中隊 , 第 2 大隊は第 5 ~ 第 8 中隊で , 各 装甲兵車などを持っていた。 中隊に 17 輛 ( 小隊は 5 輛 x 3 ) , 大隊の本部中隊に 6 輛 , そして , ノルマンディ地区で訓練や占領業務などを行 連隊の本部中隊に 2 輛の合計 150 輛の戦車定数であった。 っていたが , 1944 年 2 月 , 西部機甲集団 ( ガイル・フォ また他の部隊を合わせて 60 輛のⅢ号 G 型突撃砲 , Ⅱ号 c ン・シュヴェべンフ・ルク上級大将 ) が編成されるとその 第幻 戦車師団 1941 年 11 月第 21 戦車師団の各種戦闘群 砲兵支援 戦闘群 第 2 幻砲兵連隊 第 408 重砲兵連隊 部 第Ⅱ包兵連隊 第Ⅱ 5 砲兵連隊 第 2 大隊本部 第 6 砲兵中隊 第 362 第 528 重砲兵大隊 砲兵中隊 部 第 902 第 533 砲兵中隊 砲兵中隊 カオテンフェルト べ群一隊 ナ 第兵第兵一 工 ク戦一歩 ウュッマ シュテファン 戦闘群 戦 闘 群 偵察大隊 戦車大隊 第 33 砲兵中隊 偵察大隊 ( 田榴弾砲 ) 第 15 戦車師団 砲兵中隊 から抽出 い 05E 榴弾砲 ) 重高射砲中隊 戦闘群 機関銃大隊 第 408 重砲兵大隊 に砲兵中隊 第 200 工兵大隊 ーコ工兵中隊 本 本 ツ 群 (88mm 高射砲 ) 第田 4 歩兵連隊 第一大隊 75
ッパーヘッドの誘導部にあるスイツ チをそのコードに合わせる。この他 発射前にすべきことは射距離に合わ せたタイマーのセットと , 天候によ って発射角度を決めることだけであ る。 もし戦場に雲が低くたれこめてい るような場合には , カッパーヘッド は雲の下をくぐるような低い弾道で 発射される。これは , 砲弾が雲の中 に入ってしまうと , シーカーがレー ザーの反射を捕捉できなくなるから である。天候が良いときには , 通常 の砲弾と同じわん曲した弾道が選ば れる。 発射の手順は通常の砲弾と全く同 じである。発射の瞬間まで , カッパ ーヘッドは , 機構的に冬眠状態にあ る。発射の 12 , 000G に達するショッ クで先ず / くッテリーが目覚めて活動 をはじめ , その電流でタイマーが作 動し , 主翼とフィンの展開 , シーカ ーの作動を順次行って行く。 これらに一定の時間がかかるため カッパーヘッドは射距離 3 を以下で 距離では , 従来の HEAT や HES Ⅱが役に立つから , こまることはな カッパーヘッドの目標追尾能力が どれくらいか , つまりどのくらいの 速度で動いている戦車に命中できる かについては , はっきりした数字は 発表されていない。しかし 1976 年 2 月の試射のとき目標となった M48 は 13 を / h で走っていたといわれる。 方発射時の許容誤差 , つまり目標か ホワイト・サンズ試射場でのテスト。 C L G P カッパー らどのくらい離れたところに向けて ヘッドは標的となった M47 の砲塔にみごと命中した 撃っても , カッパーヘッドが自分で 方向を修正して命中できるかについては , 飛行高度や射 陸軍は , いまのところ M109 1 輛につき 2 発の C L G 距離が知らされていないが , 1 というデータがある。 P を積み , 誘導は当面地上から行うことを考えている が , 無人機を使った誘導も積極的に検討中と報じられて XM712 の現在までの成果をもとに , 陸軍とマーティ ンでは将来の発達型を考えている。とうぜん考えられる いる。予定のとおりに計画が進めば , 1980 年の 9 ~ 10 月 のは CLGP の大口径化で , 8 インチ砲への適用が考え には月産 200 発の線に達し , 1981 年 7 月 1 日には第一線 られている。もうひとつ考えられるのは戦車以外の目標 部隊への展開がはじまっているはずである。 の精密攻撃用に , HE 弾頭を持った CLG p を作ること である。この他ロケット補助推進による射程延長 , 赤外 線誘導なども検討されているようだ。 85