巡航戦車 - みる会図書館


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1. PANZER 1979年7月号

ュース ジャー (Voyageurs) 4 輛を発注し 今後 5 年間のうちに 12 輛で 2 コ中隊 を編成して , 本格的なェアクッショ ン車部隊を保有することになった。 LACV30 は , 積載能力 30t の大 型車で , 1975 年 3 月に陸軍がベル・ ェアロスペース社に 2 輛の軍用型を 発注して以来 , 各種のテストや開発 が続けられていたもの。 LACV30 を使うと , 沖合の母船 や艦船から 25t のコンテナを短時間 で陸に運ぶことができ , 場合によっ ては前線近くまで , そのまま陸上を 輸送できるので , 特定の戦場での兵 站支援用には , 他の車輛では不可能 な重要任務を効率的に果すことがで きる。 ちなみに , 12 輛がフル稼動すると 1 日に 7000t もの貨物を輸送するこ とができ , 上陸地点のバージや陸上 2500 輛が生産される I T V 。いよいよ引渡しがはじまった 車輛が全部破壊されても , 輸送が続 生産価格は 1 輛 140 万ドルの予定 ◆ XM 戦車の生産ついに決定 行できるという大きな特徴がある。 XM 1 戦車 110 輛の生産に国防省 で , バックアップ用のディーゼル・ ◆ M88A 1 回収車引渡し開始 の許可が下りた。これは陸軍省のハ ェンジンの開発はまだ考えられてい アメリカ陸軍は , 1964 年の採用後 ( T ) ーシー・ビエール研究開発局長が 5 ない。 現在も使用中の M88 装甲回収車の改 月上旬の記者会見で発表したもので ◆改良 T OW 車輛納入 良型 , M88A 1 400 輛の引渡しを受 エマースン・エレクトリック社は 生産は 5 月末に開始される。 けている。 己者会見によれば , 決定は 4 月 12 M901 改良 TOW 車輛 (ITV) の 88 は , 大型クレーンを車台の上 日づけの会計監査院の最終報告を加 生産 1 号車をアメリカ陸軍に納入し にとりつけ , 戦車を戦場で回収でき 味した上で , フ・ラウン国防長官自か I TV は 113A 1 を改造した 0 る能力を持っているが , 新しい A 1 らが下したもの。 XMI の性能は , 車体に T 0 w 対戦車ミサイルのラン ではエンジンをこれまでのガソリン 現時点では軍を満足させうるもので チャーを装備したもので , 118 輛が ・エンジンに代えて , M60A1 戦車 はないが , これ以上の遅れはいたず 7000 万ドルで発注されている。実戦 と同じコンチネンタル A V D S 1790 らにコストの上昇を招くばかりなの 部隊への配備は , 1981 年からョーロ で , とりあえず昨年度分の予算で獲 ー 2 R D というディーゼル・ニンジン ッパではじめられ , 最終生産数は , に交換している。これで行動距離が 得した 110 輛を生産する。ただしこ (N) 2526 輛になるとみられる。 増大し , M60A1 とニンジンの互換 れは暫定的な生産決定で , 試作車の 性ができるという大きなメリットが 改修テストは今後も続け , 今年の 11 ある。また , クレーンを動かすため 月に再チェック , 内容によっては本 ェアクッション車の開発を進めて に別の補助ディーゼル・エンジンを 年分 352 輛の生産を再び 110 輛に削 いるアメリカ陸軍は , いよいよ , とりつけたのも , 大きな改良である。 るかどうかを来年 2 月までに決定す の 8 月に生産型の L A C V 30 ポエー 400 輛のうち , 一部はすでに陸軍 る。また量産に入るかどうかも 1981 に配備されているが , まもなく海兵 年 9 月まで保留する , という内容で 隊にも配備される予定である。 ある。 ◆イギリスの対戦車部隊 これで , XM 1 の最初の生産型は 装備更新進む 1980 年 2 月に引渡されることが決ま った。翌年には , ョーロッパの部隊 に配属となる予定である。軍側とし ては , 1981 年 2 月から月産 90 輛の量 産体制に入ることを望んでいる。 110 1 三ロ ◆アメリカ陸軍が ェアクッション車を採用へ イギリス陸軍のロイアル・アーテ イラリー ( 王国砲兵部隊 ) の最新鋭 部隊は , ついに伝統の対戦車砲に代 ってスイングファイア対戦車ミサイ X M 1 のトラブルのもと , A G T 1500

2. PANZER 1979年7月号

0 守する戦意などツメのアカほども持っていなかっ たのである。 7.7n のリー・エンフィ ルド小銃を肩にして「ワルツを踊るマチルダ姫」の唄を さてクーパン飛行場の占領は , 日本海軍のパラシュー 歌いながら行進する。 ト部隊と , 陸軍の伊東支隊との協同作戦により決行する さらにウェストラリアとジーランディアという 2 隻の こととなった。まず空挺部隊が降下して , 敵機の発進を オーストラリア客船も到着 , 砲兵 1330 名 , 砲兵将校 70 名 阻止しているうちに , 南から陸軍が突入するのだ 0 ノ、・フ が波止場からクーパン飛行場に向った。 シュート部隊は第 1001 航空隊の輪送機の関係で 2 日にわ いざ太平洋戦争がはじまると , マレーとフィリピンは かれて左表のごとく降下した。 またたく間に日本軍に占領され , ジャワとスマトラとが セレベスのケンダリーより発進した九六式輸送機は , 危うくなる。そこで , オランダ軍はこの 2 カ所を重点的 2 月 14 日 , クーパン基地上空で , 純白の花を咲かせる。 に防衛する方針に転じた。つまりチモール島などに応援 意外や複葉の敵練習用戦闘機コールホーヘン FK51 ( オ の兵力を送る余裕がなくなってしまったのである。 ランダ空軍 ) の妨害は全くなかった。兵士は全員が無血 「チェッ , 約束の増援部隊なんかぜんぜん来ないじゃな で飛行場のそばの牧場に降下したが , 「道の上に戦車の いか ! 」 キャタビラの跡があります ! 」の報告にドキッとした。 守備隊は不平を鳴らした。ましてや , 本国を遠く離れ パラシュート部隊は分解した九四式 37m 対戦車砲を落下 て , オランダ兵もオーストラリア兵も , チモール島を死 傘降下させることになっていたが , どこに落下したのか サッパリわからないからだ。 横須賀第 3 特別陸戦隊飛行場北東に降下 バラ / くラになった陸戦隊員はしだいに人員を増して飛 第 1 次降下隊 2 月 20 日朝 10 時 45 分 行場に向う。小さな橋を渡ったころ , 付近の農家からと 約 450 名 牧場へ つぜん機銃を浴びせられた。兵たちはパッと畑の中に散 第 2 次降下隊 2 月 21 日朝 10 時 24 分 開する。 約 250 名 牧場へ このとき , 道の方から戦車の走る音が近づいてきた。 装備兵器三八式 6.5n 騎兵銃 , プローニング M 草むらにかくれたパラシュート部隊の小隊長は 1911 拳銃 , 九六式 6. 5mn 軽機関銃 , 九 「擲弾筒 , 前へ ! 」の号令をかけた。 二式 7. 7mm 重機関銃 , 八九式 5 擲弾 擲弾筒は迫撃砲の子供みたいなポータブルな兵器であ 筒 , 八九式手榴弾 り , 戦車の装甲を破る威力はないが , 細かい破片となっ 100

3. PANZER 1979年7月号

ル装備のストライカー装甲車を装備 年以来 , 川崎重工などの協力を得て ル , ティッセン・ヘンシェル社は A T v 1 装甲輪送車 996 台を 3 億 5 千 することになった。 開発を進めてきた重 MAT を , 「 79 ストライカーを最初に受領するの 9 百万ドル受注しているのが主なも 式対舟艇対戦車誘導弾」と命名して は , 第 32 誘導兵器連隊の第 171 中隊 ので , これらは 1979 ~ 1985 年のあい 制式化することを決めた。 だに引渡されることになっている。 で , バルフォードに駐屯する。ロイ このミサイルは , 三菱重工が主契 アル・アーテイラリーは , 第 2 次大 ◆韓国軍の国産戦場ミサイルは 約者となって開発した 69 式空対空ミ 戦前から 1977 年ごろまで , 対戦車任 ナイキ対空ミサイルの改造型か サイル以来 10 年ぶりの純国産品で , 韓国が去年公表した , 、純洋国産 務を王国戦車部隊に移管していたが 本年度は 5 セットが購入されてまず の大型戦場ミサイルは , 実はアメリ 2 年前から再び対戦車任務を分担す 教育用にあてられる。 カ軍から供与されたナイキ・ ることになったもの。 ーキ 防衛庁の 53 年中期業務見積り ( 昭 ュリーズ対空ミサイルを対地用に改 和 55 ~ 59 年度 ) では , 30 セットの配 造したものだといわれる。 備が想定されていて , 55 年度から正 これは , ソウルで開かれた韓国軍 式配備の見とおしである。 の創立 30 周年パレードにはじめて公 79 式対舟艇対戦車誘導弾は , 全長 開されたときの外観から専門家が判 1.565E , 胴体の直径 152E , 速度 定しているもの。ハーキュリーズに 200 / sec , 射程 4 で , 現用の 64 施された改造は誘導システムが主な 式対戦車誘導弾 ( これも同じく川崎 もので , 弾頭は強化されたにしても 重工の主契約だった ) に比べ速度 , 基本形はほとんど変っていない。 射程とも約 2.3 倍も向上し , 弾頭も 現代版キューベル , イルティス 4 x 4 つまり , 「アメリカ軍のランスに 高性能化されている。誘導方式は , ◆イタリアが 破壊力や命中精度はおよばないにし いわゆる第 2 世代の有線・赤外線追 M C C 80M I C V を完成か ーキュリーズを改造するこ ても , 尾の半自動方式。 イタリア陸軍が使用中の , アメリ とが最も現実的だ」というわけで , 1 セットは , 発射機 2 基と照準装 カ製 M113 の後継となる新型 I C V 全くの新規開発を予想した向きには 置 1 基で構成され , 20 発前後の誘導 の最初の原型がサルジニアで完成し 失望を与えたが , これで射程約 200 弾が配備されるといわれ , ミサイル テストを受けているといわれる。 の本格的戦場ミサイルを韓国軍が保 本体を除いた 1 セットの価格は約 1 MCC80 とよばれるこの車輛は , 有するにいたったことになる。 億円。ミサイルの製作にはダイキン 計画されたフィアット・ランチア製 なお , この新ミサイルは 1978 年 9 工業が慣性式安定装置 , 日本油脂が 工ンジンを装備せず , イソタ・フラ 月 26 日に初の試射に成功し , 現在非 主ロケット , 日本電気が受信機を下 ンシーニ製ェンジンを装備して , 0 武装地帯の南側の地下サイロに配備 請けの形で担当する。 TO メララ社が自主開発し , 基本的 がはじまっているといわれる。 な技術問題を解明することを狙って いるが , この車輛はまだ机上の計画 だけと思われていただけに , 関係者 には , 意外な感じで受止められてい ◆防衛庁が 国産対戦車ミサイルを採用 防衛庁は , 技術研究本部が昭和 38 ◆西ドイツ陸軍が 国産車輛を大量購入 西ドイツ陸軍が , 国産のトラック , 連絡車輛 , 装甲輸送車輛を大量に購 入している。これは , 同陸軍の兵站 用車輛の補充のためで , 車輛の近代 化計画の一環である。 フォルクスワーゲン・アウディ社 は , ジープ型の VW イルティス 8800 台を 1 億 5 千万ドル ( 約 300 億円 ) , ダイムラー・べンツ社はウニモグ 2 t トラック 17 , 000 台を 4 億 4 千万ド ル , マギウス・ドイツツ社は 5 t ト イギリカ陸軍の ラック 7000 台を 2 億 4 千 4 百万ド ストライカー

4. PANZER 1979年7月号

THE BATTLE 、をイ 1943 年夏、中部ロシアの原野を行くドイツ軍Ⅳ号 G 型戦車作戦の発動にそなえ て機甲部隊はクルスク突出部の北と南に集結し、 7 月 5 日の攻撃発動を待った 両軍の参加人員 415 万名、戦闘車車兩 13 , 200 輛、 航空機 12 , 000 機の大作戦 この特集記事は、北アフリカや独ソ戦の戦記で有名な当時の情報将校 V メレンティン中佐のク ルスク戦の部分を抄訳したものです。メレンティンは当時、南方部戦区にいた関係から、第 48 機 甲軍団中心の戦記になっており、必ずしも全般を公平に記録してはいませんが、当時のドイツ軍 側からみたこの作戦の様相を生き生きと伝えており、その意味で資料性の高いものといえます クルスクの戦い 高

5. PANZER 1979年7月号

よって行われる。 ①旋回動作 方向照準のための旋回動作 は , 室右の履帯をそれそれ反 対方向に駆動することによっ て , 車体の中央部を中心とし た戦車全体の超信地旋回によ って行われる。旋回速度は左 右の履帯の接地長を変えるこ とによって , 360 。の旋回を 2 ~ 4 杪以内に行うことができ る。また , 旋回動作は小さな 木や岩石によって妨害される ことはなく , さらに戦車が方 向照準を行っているときに地 上の岩などの物体に接触した ときには , 接触点を旋回の中 心軸として設定された目標に 砲を指向できる。 ( 2 ) 俯仰動作 俯仰動作は , 戦車の前後の 走行輪の垂直位置を変え , 戦 車の姿勢を変換することによ って行われる。俯仰速度は毎 秒 5 。で , 俯仰角度は一 10 。 + 12 。である。俯仰動作は登 , 降坂や凹凸の多い地形でもじ ゅうぶんに機能する。 戦車砲の旋回 , 戦車の操向 制御を精密に行うために , ェ ンジン④の動力はメイン・ド ライプ ( ギャポックス⑤ , ク ラッチ⑦ , ブレーキ⑥ ) とス テアリング・ドライブ ( コン トロール・ユニット②スビ ドギャ③ ) に区分され , 両 方の動力の流れはファイナル ・ドライプ ( フ。ラネタリー・ギ ヤ① ) でいっしょになり , ス プロケットに伝達される。 のステアリング・ドライプは トルクコンパターっきのト ランスミッションと一体化さ れ , 砲の精密旋回と戦車の操 向を行う。戦車の走行間にお ける操向作用は , 油圧作動方 式のクラッチプレーキ式操 0 0 0 0 〇岩・国 0 0 0 0 0 C 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ( 3 ) 操向作用 0 0 0 25

6. PANZER 1979年7月号

油気圧サスペンションをきかせて前傾姿勢をとる St r v. 1 03 B H. Nakajima ふだんあまりみられない車体上面のアレンジかよくわかる この基本構想にそって検討を重ねた結果、長砲身の 105 ミスの発生などにつながらないよう、車内のスペースを mm 砲の全周射界を可能にするために、従来の戦車と同ヒ 再検討する必要があった。 聢回砲塔式にすると、どうしても車高が高くなる傾向に また基礎研究の段階で、第 2 次大戦の戦車戦における なリ、同時に敵の同ていどの火砲に対抗できる装甲防護 中戦車の被弾状況も調査し、被弾の場所は砲塔部が 31 % 、 力を持たせると、旋回砲塔型では戦車の戦闘重量が約 55 車体部が 52 % 、走行装置 17 % で、地上 1 襯の高さまでは t になり、重量の限界に達してしまうことがわかった。 命中弾が極めて少かったことも明らかにされた 以上の研究の結果、車高および車内スペースの再検討 この重量の上限は、ヨーロッパ戦域で戦車を使用すると きの渡渉限界や鉄道輸送の車幅の問題にも関連するもの を行い、ポフォース社の戦車設計陣は新型戦車では装瞋 手を廃止することにより車高、スペース、重量のムダを である。 戦車の車高を決定するひとつの要素は装瞋手で、重さ 軽減するという観点に立って、戦闘重量 37 t で、長砲身 18 をていど、全長 1 襯の 105m 固定リ単を操作するには車 の 105E 砲を搭載するユニークな設計を提案した。そし 内で立てるスペースが必要なため、その分車高が高くな てポフォース社、ランてバーグ社、ポルポ社の 3 社は協 り、また車体の重量は約 1100 を増加する ( 体重 75 をとす 同して、自動装瞋装置、電気・油圧自動射撃制禦方式、 流体自動変速操向機、油気圧式懸架装置などの新技術を る場合 ) 。 装瞋手以外の乗員についても、目標の観測、照準、射 積極的に導入し、旋回砲塔を廃止し、砲を車体に固定す るケースメート型 ( 無砲塔型 ) の戦車を開発することに 撃、車内外での指揮、随伴する部隊や車輛との協同など なった。この戦車は、従来のケースメート式の突撃砲が には高度な精神的要素と訓練が要求されるとともに、戦 左右への砲の旋回を多少とも行えたのとは異って、左右 車の動揺や戦闘間の緊張による疲労が反応時間の遅れ、

7. PANZER 1979年7月号

チタデレ作戦にそなえて訓練の毎日を送る 15c 鷹自走砲フ ンメル。作戦には最大限の数が集中された 南方軍集団総司令官 として南方部の作戦 を指揮したエリヒ・ V ・マンシュタイン 元帥 わち「その重要性からみて , 本作戦の失敗は許されない 5 月 10 日 , グーデリアン将軍はヒトラーに再び会い , チタデレ作戦の断念を意見具中した。ヒトラーはこれに 対してこう答えた。 「君の意見は正しい。私もこの作戦のことを考えるたび に胃が痛くなる・・・・・・」 おい , ドイツ参謀本部は , ドイツ軍にとって最後の予備 しかしながら参謀本部の圧力により , ヒトラーは結局 兵力と再建されはじめたばかりの機甲兵力を容謝なくク 作戦の発動にふみきったのである。 ルスク地区に投入しはじめたのである。 しかも , 何週間も過ぎてゆくにつれて , この作戦は危 翳作戦の準備 険かっ成功の見込みが少いということは誰の目にもあき この作戦に予定された兵力は , 南方軍集団の機甲 10 コ らかとなってきた。しかし , ヒトラは思いきって作戦 師団 , 装甲擲弾兵 1 コ師団 , 歩兵 7 コ師団があたり , ま を中止するという決断をしないまま , 作戦開始の予定日 た北方から攻撃する中央軍集団は , 機甲 7 コ師団 , 装甲 を延期しつづけていた。 擲弾兵 2 コ師団 , 歩兵 9 コ師団によって南北から突出部 表面上 , その理由はパンター戦車の準備が整わないこ を切断することになった。 とにあったが , グーデリアンの回想録によれば , ヒトラ 戦史上最大の , 戦車による猛攻が行われることになっ ー自身もこの作戦計画には信頼をおいていなかったとい たのである。 っている。 5 月から 2 カ月間 , チタデレ作戦の影は東部戦線をお そして , このような大規模な作戦の計画や準備が , 長

8. PANZER 1979年7月号

ヾ乙 ドイツ AFV アル / 第 26 回 解説ー富岡吉勝 対フランス戦の勝利の後、ドイツ軍の一部はフランス、ベルギーなどに駐留して占領政策の援護、沿 安の維持などにあたった。写真は 1940 、 41 年の各、第 36 戦車連隊を新編成の第 14 機甲師団に抽出され た代りに新品の戦車を受領して訓練に励あ第 35 戦車連隊第 4 中隊のⅣ号戦車 E 型。フランスの駐屯地 にあける撮影と思われるが、いままさに木を押し倒そうとするタイナミッワなシーン。 pzkpfw. Ⅳ Ausf. E tank of 35th panzer Regt.. 4th panzer Division. in action at 0 W00dY zone• France, Winter 1940. レ、第 Bundesarchiv グレー単色の装で、国籍マーワはあろか車輛ナンハーなども一切描かれていないガ、 19 40 年 4 月、バウ乙ホルター練兵場にあける第 10 機甲師団を写した一連の写真の中の 1 枚と みてまちガいないようだ。タイプは C 型で、砲内装式防楯の側部にまでスプラッシュ・ガ ードが刻んである ( 横の照準乳へ反跳弾ガ飛びこまないため ) のが面白い。この角度から みた短砲身のⅣ号戦車は、いかにも 1930 年代末の重戦車といった独特の乙ードを持ってい る。

9. PANZER 1979年7月号

射撃制御装置の総合実用試験は , s 戦車の基本構想が提 p s のポーイング 502 ー IOMA ガス・タービンが , トラン 案される前から , 車体関係はランズバーグ社 , 自動装填スファー , 変速操向機とともに単一フレームにとりつけ 装置っき 105E の滑腔式戦車砲と旋回砲塔関係をポフォられて車体前部に搭載されている。 ース社が担当して , 次期戦車として開発した 45t 級の戦主砲は , 車体の中央に長砲身の 105E 砲が固定され , 車の車体 ( 850D J ガソリン・エンジン ) を利用して 1960 後部に 2 種の弾薬が選択司能な自動装填装置がつけられ ている。この結果 , 砲塔旋回装置 , 旋回リング , 防楯 , 年まで行われている。 連動砲架 , 俯仰装置など , それまで戦車には不可欠だっ S 戦車プロトタイプ 1958 年なかごろから , 部分試作 , 実用試験と並行して , た多くの精密で , 損傷 , 故障発生率の高い機構を廃止で ポフォース社は新型戦車の車体の設計 , 試作に着手し , きた。 翌 59 年に 2 輛のフ。ロトタイフ。の試作契約が結ばれ , 1961 Strv. 103 戦車 年に最初のフ。ロトタイフ。が製作された。 1961 年に , プロトタイプに続いて 10 輛の予備生産型が 1963 年 3 月 , 陸軍は S 戦車の画期的な設計に関して発ポフォース社に発注された。この予備生産型は , 右前部 表するとともに , 一般公開を行って , 技術 , 部隊の実用のフラット・ポッドの測距機銃が廃止されて 7.62E 機関 試験を開始した。 銃 2 丁に変更 , 車体前部中央に砲身止め , 各側に 2 コの このフ。ロトタイプは浮航装置 , 上部転輪 , 砲身止めは単列型ーヒ部転輪を装着したものである。また , B 8 1 ガ まだなく , 12. 7mm 測距用機関銃 1 丁 , 7.62E 機関銃 4 丁ソリン・エンジンは , 240 P S のロールスロイス K60 ( 車長用の対空銃架 , 左前部のフラット・ポッドに 2 丁 , 多種燃料ェンジンに換装された。 1965 年には , S 戦車はさらに改修を受けて Strv. 103A 右前部のフラット・ポッドに測距用と並行して 1 丁 ) が 装備されている。また , 動力装置には出力 230P s のロー戦車として制式化された。この St Ⅳ .103A は , 副武装を 7.62E 機関銃 3 丁に変更 , レーザー測遠機 , 車長用照準 ルス・ロイス B 8 1 液冷ガソリン・エンジンと出力 330 ① ① 6 1 3 ①プラネタリー・ギア ⑤ギア・ホックス直進するときは , キャタビラが F のカて駆動される。左へ ②コントロール・ポックス⑥プレーキ 回転する場合 , コントロール・ホックスを操作することによリ ⑦クラッチ カ S が右側のキャタビラに加わり , 同時に左は煢 S 洋だけ ③スビード・ギア ( ①工ンシン 減速される 20

10. PANZER 1979年7月号

は信地旋回を行う。 向装置を操作することで , 緩旋回と信地旋回ができる。 さらにスビード・ギャを中立にしてハンドルを操作す トランスミッションが中立のときの操向は超信地 また , ると , ステアリング・ドライブからの速度 S は 2 重ディ 旋回となる。 戦車の直進走行時は , 両側の履帯が同一の速度で駆動ファレンシャル機構の作用によって内側履帯は後進 , 外 側履帯は前進し , 超信地旋回ができる。 され , 方向変換のときは両側の履帯に速度 S が作用し , 増速または減速が行われ , 速度 S の増・減速作用は油圧 照準具と操縦 , 射撃統制装置関係 作動式スヒ。ードギャの変換状態で決定される。 strv. 103 のプロトタイプでは , 12. 7mn 測距機関銃が 例えば左に方向を変えるときは , コントロール・ユニ ット②のハンドルを左に引くと , 速度 S で右側の履帯に車体右側のフラット・ポッドに装着されていた。 だが , 測距機銃と主砲の弾道特性は異り , 機銃の射程 増速 , 左側の履帯に減速が行われ , その結果戦車は左に は短いので測距の範囲に限界があるとして , 1966 年以降 緩旋回を行う。ハンドルを 20 。以上引くと , クラッチ プレーキ操向系統⑦⑥は自動的に解放と制動作用が行わから測距機銃は光学式照準具に変更され , さらに照準具 れ , 内側の履帯は制動されるので停止状態になり , 戦車安定装置 , レーザー測遠機の導入 , 加えて精密な視察装 ホフォース社の主張する S 戦車の利点 ( 1 ) S 戦車 砲塔式戦車 4 A ・ 普通のケース車長が全体を指揮する 車長 車長 境手 砲手 操縦 砲手 無線 照準 / 駆動装置 照準装置 射撃 操縦装置 照準・駆動装置 砲弾 装境 後向き操縦装置 後向き操縦 車長または砲手がひとりでも戦闘を行える 車長 操縦装置 操縦 射撃 操縦 車長が全体を指揮し、同時に射撃を行う 車長 砲 : 手 無線 、填手 操縦 砲 : 手 照準 / 駆動装置 照準装置 射撃 照準・駆動装置 射撃 砲弾 装境 操縱装置 後向き操縦装置 後向き操縦 操縱装置 操縦 操縦 砲塔式戦車には完全なチーム・ワークが必要たが , S 戦車は万一の場合ひとリても戦闘てきる 26