対戦車ミサイル - みる会図書館


検索対象: PANZER 1979年7月号
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1. PANZER 1979年7月号

ル装備のストライカー装甲車を装備 年以来 , 川崎重工などの協力を得て ル , ティッセン・ヘンシェル社は A T v 1 装甲輪送車 996 台を 3 億 5 千 することになった。 開発を進めてきた重 MAT を , 「 79 ストライカーを最初に受領するの 9 百万ドル受注しているのが主なも 式対舟艇対戦車誘導弾」と命名して は , 第 32 誘導兵器連隊の第 171 中隊 ので , これらは 1979 ~ 1985 年のあい 制式化することを決めた。 だに引渡されることになっている。 で , バルフォードに駐屯する。ロイ このミサイルは , 三菱重工が主契 アル・アーテイラリーは , 第 2 次大 ◆韓国軍の国産戦場ミサイルは 約者となって開発した 69 式空対空ミ 戦前から 1977 年ごろまで , 対戦車任 ナイキ対空ミサイルの改造型か サイル以来 10 年ぶりの純国産品で , 韓国が去年公表した , 、純洋国産 務を王国戦車部隊に移管していたが 本年度は 5 セットが購入されてまず の大型戦場ミサイルは , 実はアメリ 2 年前から再び対戦車任務を分担す 教育用にあてられる。 カ軍から供与されたナイキ・ ることになったもの。 ーキ 防衛庁の 53 年中期業務見積り ( 昭 ュリーズ対空ミサイルを対地用に改 和 55 ~ 59 年度 ) では , 30 セットの配 造したものだといわれる。 備が想定されていて , 55 年度から正 これは , ソウルで開かれた韓国軍 式配備の見とおしである。 の創立 30 周年パレードにはじめて公 79 式対舟艇対戦車誘導弾は , 全長 開されたときの外観から専門家が判 1.565E , 胴体の直径 152E , 速度 定しているもの。ハーキュリーズに 200 / sec , 射程 4 で , 現用の 64 施された改造は誘導システムが主な 式対戦車誘導弾 ( これも同じく川崎 もので , 弾頭は強化されたにしても 重工の主契約だった ) に比べ速度 , 基本形はほとんど変っていない。 射程とも約 2.3 倍も向上し , 弾頭も 現代版キューベル , イルティス 4 x 4 つまり , 「アメリカ軍のランスに 高性能化されている。誘導方式は , ◆イタリアが 破壊力や命中精度はおよばないにし いわゆる第 2 世代の有線・赤外線追 M C C 80M I C V を完成か ーキュリーズを改造するこ ても , 尾の半自動方式。 イタリア陸軍が使用中の , アメリ とが最も現実的だ」というわけで , 1 セットは , 発射機 2 基と照準装 カ製 M113 の後継となる新型 I C V 全くの新規開発を予想した向きには 置 1 基で構成され , 20 発前後の誘導 の最初の原型がサルジニアで完成し 失望を与えたが , これで射程約 200 弾が配備されるといわれ , ミサイル テストを受けているといわれる。 の本格的戦場ミサイルを韓国軍が保 本体を除いた 1 セットの価格は約 1 MCC80 とよばれるこの車輛は , 有するにいたったことになる。 億円。ミサイルの製作にはダイキン 計画されたフィアット・ランチア製 なお , この新ミサイルは 1978 年 9 工業が慣性式安定装置 , 日本油脂が 工ンジンを装備せず , イソタ・フラ 月 26 日に初の試射に成功し , 現在非 主ロケット , 日本電気が受信機を下 ンシーニ製ェンジンを装備して , 0 武装地帯の南側の地下サイロに配備 請けの形で担当する。 TO メララ社が自主開発し , 基本的 がはじまっているといわれる。 な技術問題を解明することを狙って いるが , この車輛はまだ机上の計画 だけと思われていただけに , 関係者 には , 意外な感じで受止められてい ◆防衛庁が 国産対戦車ミサイルを採用 防衛庁は , 技術研究本部が昭和 38 ◆西ドイツ陸軍が 国産車輛を大量購入 西ドイツ陸軍が , 国産のトラック , 連絡車輛 , 装甲輸送車輛を大量に購 入している。これは , 同陸軍の兵站 用車輛の補充のためで , 車輛の近代 化計画の一環である。 フォルクスワーゲン・アウディ社 は , ジープ型の VW イルティス 8800 台を 1 億 5 千万ドル ( 約 300 億円 ) , ダイムラー・べンツ社はウニモグ 2 t トラック 17 , 000 台を 4 億 4 千万ド ル , マギウス・ドイツツ社は 5 t ト イギリカ陸軍の ラック 7000 台を 2 億 4 千 4 百万ド ストライカー

2. PANZER 1979年7月号

M35A2 トラッワ : ベトナ乙戦ても さガんに使われた標準的な中型 6 x 6 トラッワ。助手席の上に銃架をと りつけ、 M2 機関銃を装備している のに注意。 M35A2 耘し黻 armed with 0 M151A1 ジープ : 現用ジープては最 も標準的なもので、第 2 次大戦中か ら使われている M38 シリースに代っ て配備されている。 M ー 5 7 A 7 ieep. 歩兵携帯用対戦車ミサイル・ドラゴ ン : アメリカが開発したテレヒ、誘導 の小型対戦車ミサイルて、写真はそ の訓練用飛翅体。すてに発射された ものて弾頭部がひしやげている。 ( 左 下 ) Missile of ATM D 「 090n 5 . 56 側ライフル M16A1 : 現在アメ リカ軍の主力ライフルとなってあり、 小口径てありなガら 500m 先のヘル メットを打ち抜 < 能力を持っている。 写真の海兵隊のライフルには、榴弾 投射筒 M148 ガついてあり、また本来 は 20 発弾倉てあるか、 30 発入りのハ ナナ型マガジンをつけている。兵主 はスモワと同しような色の顔料を 塗っているのに注意。 ( 左中 ) M 76A 7 5.56- mm rifle

3. PANZER 1979年7月号

M60 の予言は実際のものとなった。それも再び 5 月 1 であり , また仰角は 45 。で固定されているといわれる。 日のメーデー行進のときにである。 1975 年のことであっ 遠距離の攻撃および対戦車攻撃の主力となるサガーの 発射機は , 独立して俯仰ができるようで , 最大仰角は 45 。 0 西側諸国は , M60 のとき以上に胆をつぶした。 M980 ていどとみられる。サガーの有効射程は 3000 川といわれ るから , M980 を相手としなければならない敵にとって はまさに M I C V の性格を持つもので , ソ連の B M ・ P や は大きな脅威である。車内に 2 ~ 4 発の再装填用サガー 西ドイツのマルダー , そしてフランスの A M X 10 p など を搭載するとみられ , そのときは砲塔内の砲手がハッチ に比べても , それほどひけをとらない優秀な内容を持っ を開き体を出して行うのだろう。被弾の危険は多いが , ためである。アヒルの子がとつじよ白 . 島になったような えら・ぐ小さ - な次発サガー用のハッチを砲塔上に持っ BM もので , その大きな飛躍に各国は目を見張ったのであ P 上、りは , よほど速く再装填できるであろう。 る。 ニ B P とよべるよう M980 の全体のアレンジは , しかも連装発射器だから , BMP の 2 倍の攻撃力 ( 1 な , ソ連の BMP の設計思想を多分に引きついでいるよ 度には 1 発しか発射できないだろうが , すぐ続いて発射 うにみえるが , ひとまわり小型で , かっ各部にユーゴス できるから , 再装を行う必要のある B M P に比べれ ラビアの独自性を発揮している。 ば , 単位時間内では 2 倍の攻撃力を持っ ) を持っことに その最たるものが武装であろう。車体の中央部に全周 なる。これに加えて , サガーの発射と 20m 機関砲の射撃 回転式の砲塔を持っているが , ーこに 20E 機関砲と 7.92 とは同時に行え , 別々の目標も狙えるから , BMP のよ 新機関銃を装備し , しかも砲塔の後面から上方に架台を うに砲かミサイルかではなく , 機関砲もミサイルもとい 設けて , サガー対戦車ミサイルを連装で搭載するという う優位性を持つのである。うまい方式というべきだ。 もので , 極めて強力な打撃力を備えている。 車体は防弾圧延鋼板の熔接構造と思われる。寸法は長 砲塔の前面から上面にかけて 2 本のスリッ トが入り , こから 20E 機関砲 ( 左 ) と 7.92 新機銃 ( 右 ) を突き出すという , 昔なっかし いスタイルをしている。 20 簡機関砲は , ユーゴスラビアでもライセ ンス生産されたことがある ( 現在でも生産さ れ続けているかもしれない ) イスパノ・スイ ザ 804 型 20E 機関砲と考えられている。もし そうだとすると , 砲ロ初速度 850 / sec , A P 弾を用いて射距離 1000 川で 20 ~ 30E の厚さ の防弾鋼板を貫徹できるから , たいていの国 の A P C /M I C v なら容易に撃破できる。 有効射程は地上目標に対して 2000 対空射 撃で 1500 川であり , うまくするとソ連の BM p の 76 低圧砲とも渡り合えるかもしれな い。 7.92E 機銃は M60 に装備されているのと 同じ M53 とみられる。 弾丸の搭載数は不明だが , 20E 機関砲は 50 発入りのドラム弾倉を使用しているので , も しベルト給弾式に改められていないとすれば 内部容積を食って , あまり数多くは搭載でき M980 の砲塔 ( 手前は車長用展望塔 ) ないだろう。 M53 の方は 50 発の箱型弾倉で も , 300 発入りベルト弾倉 ( コンテナ ) でも使用できる。 さ 6.25 川 , 幅 2.85 川 , 車体上面高 1.73 川で , 車輛重量 11 両方とも 85 。の仰角がかけられるというから , 対空射 t, 全備重量 12t と伝えられるが , 少し軽すぎる気がす 撃も可能で , その照準器と思われるものが , 砲塔左前面 る。装甲の厚さは車体前面で 20E というが , これが事実 の凹みにみられる。地上射撃用の照準器ははっきりしな とすると , 車体の他の部分は相当に薄いか , あるいは広 いが , 伝えられるところでは新型の , かなり複雑で高度 範囲にアルミ合金を使用しているものと思われる。それ なものらしく , 機関砲の打撃力を一段と高めている。な にしてもまだ重量としては軽すぎはしないだろうか ? お対空射撃用の照準器は砲塔と独立して旋回できるよう 乗員は車長 , 砲手 , 操縦手の 3 名に , 歩兵を 6 ~ 8 名 93 0

4. PANZER 1979年7月号

ソ連軍は巧みにクルスク戦を戦った。すなわち , 巧妙 クルスク方面に進撃する態勢が整ったのである。だが , にドイツ軍を引きつけ , 複雑な地雷康と対戦車障害をも 北方における第 9 軍の攻勢の停止と , 第 48 機甲軍団の苦 戦は , プロホロフカの戦車戦の勝利をもってしてもつぐ ってドイツ軍の打撃力を弱体化させた。そして突出部に なうことはできなかった。すでに作戦の片方の柱は折れ おけるドイツ軍の消耗を待って , オリョールとフ・リャン てしまっていたのである。 スクの間に攻勢に出て , 逆にドイツ軍の戦線深く進出し ソ連第 5 親衛戦車軍はほとんど戦力を失ってしまった た。ヒトラーは第 4 機甲軍に対して , 第 48 機甲軍団から が , 新しい予備兵力と北方の健全な機甲兵力を考える GD 師団をはずして北方に送り , 背後をおびやかされて と , 傷ついた S S 機甲軍団とケンプフ集団だけでは , ク いる第 9 軍の救援に向かわせるよう指示した。この結 ルスクへの到達はできたとしても , 突出部の横断は不可 果 , クルスク突出部に喰いこんだ戦線の確保は不可能と 能であったろう。さらにソ連軍は , 反撃用に多くの無傷 なり , 7 月 23 日までに第 4 機甲軍は攻勢をはじめた地点 の兵力を待期させており , これらの部隊はドイツ軍の攻 まで押し返されてしまった。 勢の停止とともに南北両軍集団の側面をつこうとチャン チタデレ作戦は完全に失敗に終った。ソ連軍の損害は スをねらっていたのである。 おそらくドイツ軍の損害より大きかったが , この成果も 7 月 13 日 , 南方軍集団総司令官マンシュタイン元帥と 決定的なものとはならなかった。第 4 機甲軍はソ連兵 3 中央軍集団総司令官クルーゲ元帥は , 東プロシアのラシ 万 2 千名を捕虜にし , 戦車 2000 輛 , 火砲 2000 門を捕獲ま ュテンフ・ルクにある大本営に呼ばれ , ヒトラーから連合 たは撃破したと報告している。しかしドイツ軍機甲師団 軍がシシリーに上陸したためチタデレ作戦は中止すると ー作戦開始時には , すべて定数配備されていた一は全く 伝えられた。 壊滅状態に陥入り , 一方ソ連軍は豊富な予備兵力から , すなわち , 連合軍のシシリー進攻に対処するため , 東 短期間にその損害を埋めてしまった。 部戦線から兵力を転用する必要に迫られたのだ。しかし こうして , ドイツ軍が総力を挙げた攻勢が挫折したこ マンシュタイン元帥は , ソ連軍の消耗を目的として攻撃 とにより , 以後の戦略上の主導権はソ連軍に移ってしま の継続を主張した。彼は , プロホロフカの戦いで残った ったのである。 S S 機甲軍団を主力としてソ連軍の機甲予備兵力を撃破 S チタデレ作戦における機甲戦術 することにより , 以後の攻勢能力をうばうことができる かも知れないというのだった。 大戦の開始後 , 3 年間にわたって使われたドイツの軽 しかしヒトラーは , その S S 機甲軍団をイタリアへ送 戦車および中戦車は , その期間においては目ざましい活 りたい意向であり , これ以上の兵力の消耗をきらってク 躍ぶりを示した。しかしながら , ソ連軍の対戦車兵器の ルスク攻勢の中止を命令した。 威力が増大し , ソ連戦車の性能が向上するにつれ , これ 命中弾を受けて 炎上するティー ガー戦車。混戦 のためにティー ガーもその厚い 装甲と火力をじ ゆうぶんに生か すことがてきな かった 物 第 77

5. PANZER 1979年7月号

②死角が生ずる という車の運用構想も確固としたものではなかった。そ 車長の外部視察能力が弱く , 右後方は砲塔に邪魔され のために , M I C V はみるみる豪華となり , 肥大化して てみえない。これは BMP と同じ配置をとったことから いったのである。その典型をアメリカにみる。 くる宿命的な欠陥で , また後方も車長がハッチから体を 一方 , M I C V といっても万能ではない ( あたりまえ だが ) ということが認識されはじめてもいた。その第 1 のり出さないとみえない。砲手も自分の右側 , 後方はほ とんど見えないであろう。 の要因が , MI CV にじゅうぶんな装甲貫徹力を持たせ ともあれ , 総合的に M980 は各国の MI CV の中で群 ることがむずかしいという事実である。歩兵を乗せ , 必 をぬく存在であり , 多分トップ・クラスに位置しよう。 要なときに降車させるという能力が第 1 に要求される以 これほどの MI CV をどんな主力戦車と組合わせ , どん 上 , 限られた大きさの車体に大口径砲を載せることは非 な運用方式をとるのかは疑問であるが , 単に MI CV と 常にむずかしい。 MICV が持つ , 敵の APC/MI C して技術的にみれば , 非常に高い評価を与えられる。出 V を撃破できる火力 ( 20 ~ 30m 機関砲 ) は , 確かに従来 現の時期がもう少し早ければ , おそらく各国にも大きな の APC に比べると大きな進歩ではあったが , それでも 影響を与えたに違いない。 なお「敵の戦車が出てきたらどうする ? 」という不安は 大きな問題として残ったのである。 ☆まとめ こちらも主力戦車に同行するのだから問題ない , とい うのは机上の議論で , いつでも必要なとき , そばに戦車 今回をもって , APC/MI CV の歴史と現状の解説 がいてくれるとは限らないし , 例えいてもこちらが攻撃 をおわりにしたい。 して欲しい目標を射ってくれるとは期待できない。 5 ~ 6 回でおわりにするつもりが , 思わず長くなって 対戦車ミサイルは軽量でしかも射程が長く , かなりの しまった。資料の不足 , 浅学のため , 理解できないとこ 装甲貫徹力を持っという点で , ひとつの解決ではあった ろや誤りもかなりあったと思うが , 全体として A P C / MI CV の技術的な流れと , 機械化部隊の中核をなす車 が , こでも「砲かミサイルか」の議論でいつも上げら 輛の実体をわかっていただければ , 望外の喜びである。 れる , ミサイルの持っ本質的な弱点 ( 長時間誘導の間 題 , 誘導時にこちらは停止していなければならない占 MI CV に対する各国陸軍の考え方も , このシリーズ いちどに多数を狙えない点など ) が問題となり , ミサイ をはじめたときと現在ではずいぶん変化をみせている。 このシリーズをはじめたころは , M I C V はこれからの ルさえあればというわけにはいかなかった。 「ファイア 陸軍機械化部隊のホープとして絶大な期待を寄せられて ・アンド・フォーゲット ( 射ち逃げ ) 」能力を持っ第 3 , いた。極端な話 , この車種以外 , 明日の陸軍を背負って 第 4 世代の対戦車ミサイルが出現すれば , この問題は多 立つものはない ( 主力戦車は別格として ) という感すら 少解決するが , それでもなお目標に命中するまで時間が あった。しかし技術の進歩は急激であり , また MI cv かかる , 多数を搭載できない , 再装填に時間がかかると M980MlCV ( トリム・ペーンを立てた状態 ) 96

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ュース ジャー (Voyageurs) 4 輛を発注し 今後 5 年間のうちに 12 輛で 2 コ中隊 を編成して , 本格的なェアクッショ ン車部隊を保有することになった。 LACV30 は , 積載能力 30t の大 型車で , 1975 年 3 月に陸軍がベル・ ェアロスペース社に 2 輛の軍用型を 発注して以来 , 各種のテストや開発 が続けられていたもの。 LACV30 を使うと , 沖合の母船 や艦船から 25t のコンテナを短時間 で陸に運ぶことができ , 場合によっ ては前線近くまで , そのまま陸上を 輸送できるので , 特定の戦場での兵 站支援用には , 他の車輛では不可能 な重要任務を効率的に果すことがで きる。 ちなみに , 12 輛がフル稼動すると 1 日に 7000t もの貨物を輸送するこ とができ , 上陸地点のバージや陸上 2500 輛が生産される I T V 。いよいよ引渡しがはじまった 車輛が全部破壊されても , 輸送が続 生産価格は 1 輛 140 万ドルの予定 ◆ XM 戦車の生産ついに決定 行できるという大きな特徴がある。 XM 1 戦車 110 輛の生産に国防省 で , バックアップ用のディーゼル・ ◆ M88A 1 回収車引渡し開始 の許可が下りた。これは陸軍省のハ ェンジンの開発はまだ考えられてい アメリカ陸軍は , 1964 年の採用後 ( T ) ーシー・ビエール研究開発局長が 5 ない。 現在も使用中の M88 装甲回収車の改 月上旬の記者会見で発表したもので ◆改良 T OW 車輛納入 良型 , M88A 1 400 輛の引渡しを受 エマースン・エレクトリック社は 生産は 5 月末に開始される。 けている。 己者会見によれば , 決定は 4 月 12 M901 改良 TOW 車輛 (ITV) の 88 は , 大型クレーンを車台の上 日づけの会計監査院の最終報告を加 生産 1 号車をアメリカ陸軍に納入し にとりつけ , 戦車を戦場で回収でき 味した上で , フ・ラウン国防長官自か I TV は 113A 1 を改造した 0 る能力を持っているが , 新しい A 1 らが下したもの。 XMI の性能は , 車体に T 0 w 対戦車ミサイルのラン ではエンジンをこれまでのガソリン 現時点では軍を満足させうるもので チャーを装備したもので , 118 輛が ・エンジンに代えて , M60A1 戦車 はないが , これ以上の遅れはいたず 7000 万ドルで発注されている。実戦 と同じコンチネンタル A V D S 1790 らにコストの上昇を招くばかりなの 部隊への配備は , 1981 年からョーロ で , とりあえず昨年度分の予算で獲 ー 2 R D というディーゼル・ニンジン ッパではじめられ , 最終生産数は , に交換している。これで行動距離が 得した 110 輛を生産する。ただしこ (N) 2526 輛になるとみられる。 増大し , M60A1 とニンジンの互換 れは暫定的な生産決定で , 試作車の 性ができるという大きなメリットが 改修テストは今後も続け , 今年の 11 ある。また , クレーンを動かすため 月に再チェック , 内容によっては本 ェアクッション車の開発を進めて に別の補助ディーゼル・エンジンを 年分 352 輛の生産を再び 110 輛に削 いるアメリカ陸軍は , いよいよ , とりつけたのも , 大きな改良である。 るかどうかを来年 2 月までに決定す の 8 月に生産型の L A C V 30 ポエー 400 輛のうち , 一部はすでに陸軍 る。また量産に入るかどうかも 1981 に配備されているが , まもなく海兵 年 9 月まで保留する , という内容で 隊にも配備される予定である。 ある。 ◆イギリスの対戦車部隊 これで , XM 1 の最初の生産型は 装備更新進む 1980 年 2 月に引渡されることが決ま った。翌年には , ョーロッパの部隊 に配属となる予定である。軍側とし ては , 1981 年 2 月から月産 90 輛の量 産体制に入ることを望んでいる。 110 1 三ロ ◆アメリカ陸軍が ェアクッション車を採用へ イギリス陸軍のロイアル・アーテ イラリー ( 王国砲兵部隊 ) の最新鋭 部隊は , ついに伝統の対戦車砲に代 ってスイングファイア対戦車ミサイ X M 1 のトラブルのもと , A G T 1500

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を′ トとックス 和製ゲパル蹊 AW ー X の開発進む 第オプ・フォーの主力 , T62 戦車。排気管から白い煙幕を張っている 和製、ゲパルトの開発がはじま っている。 1973 年の第 4 次中東戦争で , アラ フ・側が装備したソ連製の Z SU23 ー 4 対空砲車が , イスラエル空軍機をハ ッタバッタと射ち落としたことはま だ耳に新しいが , その後西ドイツで ゲパルトの配備がはじまり , アメリ も D I V A D S の自国開発に入る など , 対空砲車の有効性が再び見直 されている。 陸上自衛隊でも , 旧式化した M42 や M15 A 1 ハーフ・トラックに代る 新型の対空車輛 , AW-X の開発が 着手された。 陸上自衛隊の対空システムは , い まのところホーク対空ミサイル 75E 高射砲と 35E 高射機関砲 L 90 ー ー M42 , M15A 1 となっているが , L90 の他はどれも旧式で , M15A 1 にいた。ては第 2 次大戦中の遺物と 、うありさまだた っ 0 現在進められている計画では , 今 後これを , べイトリオット , 改良ホ 3 コ中隊にふくらんだ ーク両ミサイルーーー短 SAN ←ーー A W ー x ー一歩兵携行式小型ミサイル アメリカのにせソ連軍戔 ( スティンガーなど ) の体制へと切 換えることになっているが , はとん どがミサイル化されるなかで , 機動 的に運用できるカナメとして , AW ー X の装備は重要視されている。 技術研究本部での開発はすでにス ターしていて , 昨年度は約 8 億円 の予算で搭載する機関砲の購入と改 修 , FCS 関係のレーダー送受信部 とアンテナの試作が認められ , 日本 製鋼所に三菱電気が加わった 2 社グ 108 ルーフ。との契約が , 昨年 12 月に交わ された。砲は , ェリコン製 KDA35 1 セットをスイスから直接買入れ て手を加えるのに対して , FCS 関 係の方は現用の L90 ( 同じくエリコ ン製 ) をベースに国内で開発し , 納 入はそれそれ今年の 9 月 , 来年 3 月 の予定である。 本年度は約 3 億 5 千万の予算で , F c s 関係のうちデータ処理 , 表示 装置の試作が認められ , 来年度から はさらに砲塔部分の試作や電源 , ス タビライザーなどの開発に着手 , 全 体的な性能にメドをつけることが予 定されている。これが順調に行けば 昭和 57 年度には陸幕の正式開発品目 に格上げ , 本格的な全体試作に入り , 62 年度ごろから装備を行いたい考え である。戦車に比べれば , 開発の技 術的なリスクは少いといわれるから 計画にそれほど大幅な遅れはなさそ うで , 生産は三菱重工が有力視され ている。 かんじんの車体には 61 式戦車が選 ばれ , 当面は現用車のうち 1 輛に砲 塔を載せて試験を行うことが決定さ れている。車体の選定にはいろいろ な意見があったが , 61 式戦車にして おけば砲塔をすげかえるだけですむ ため , コスト的に安上りになる , と いうのがこの決定の根拠になったも のだろう。 しかし , AW-X を主力戦車 , っ まり 74 式の部隊に随伴させようとす ると , スビード , 出力に欠けて性能 的にじゅうぶんでないという見方も あり , また 61 式戦車自体の今後の運 用 , 長期的な補給・修理の体制は先 細りが目に見えているということな どもあって , 生産型が、中古洋の 61 式戦車の車体を使ったものになるか どうかはまだ最終的に決定したわけ ではない。 車体の決定には , 「 AW ー X をどの ように使うか」という陸幕側の考え も重要な意味を持つ。単なる「移動 できる砲台」としてならば , 61 式戦 車の車体を利用すればじゅうぶんに 間に合うのだろうが , どうせ開発す るのなら本格的なものを造り , 主力 の戦車部隊の防空にあてたい , とな ってくると , やはり 74 式戦車の改造 型の線が濃くなってくる。 この問題は , 全体試作から生産に 入るまでの間に , 74 式戦車の生産・ 配備の状況をにらみ合わせた上で , 決定されるはずである。装備の体制 や生産数は , 「どう使うか」という 問題が , 例によってまだ最終的に煮 つまっていないため , いまのところ 白紙である。 (Q) にせソ連軍、オプ・フォー 本誌でもたびたび報じてきたが , アメリカ陸軍内のにせソ連軍洋の 勢力が , ついに 3 コ中隊の規模に達 した。 これまで , アメリカ陸軍が戦闘演 習をするときには , 侵略軍とよ ぶ仮想敵軍 ( つまりソ連軍 ) をその

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んで撃破しようという考えに 出たもので , その運営にはチ ームワークが重要なポイント 、ニ 260.8 とされた。 一方 , ソ連軍もこの戦法を とり入れ , その運用法をマス ターしていた。そのことはチ タデレ作戦においてドイツ軍 ′く丿レホ ( ニエ が払った犠牲によって判明し た。そしてこれらの対戦車砲 陣地を , 地雷原と対戦車壕で 強化した防衛線に構成した。 ソ連軍の地雷埋設の迅速さ グレムトウシイ はまことに注目すべきものが あった。ソ連軍にとって 3 万 シルツエウォ コ以上の地雷を敷設するのに 2 , 3 日あればじゅうぶんで あり , ドイツ軍戦区内に 4 万 コの地雷を運びこむことは決 シルツエウ して難しいことではなかっ 第 11 機甲師団 た。クルスク戦においても , の、一、、一第 3 機甲師団 ノレラ・ヤー ーノ アレクセイウカ 20 進出してもなおかっドイ G D 師団 ツ軍は地雷原の真中におり , 擲弾兵連隊 対戦車陣地と向かい合ってい ることが何度もあった。 これとともに , ソ連軍がカ クルスク戦 ( 1 ) モフラージュに卓越した技術 7 月 7 日← を持っていたことも述べてお 7 月 8 日ぐ = かなければならない。地雷原 7 月 9 ~ 日 にせよ対戦車陣地にせよ , 先 頭の戦車が触雷するかソ連軍 0 ユ 2 3 4 5 の対戦車砲弾が発射されるま では探知することができなかった。 ら初期の戦車は旧式なものになった。 どのようにしてドイツ戦車が , これらの対戦車手段に 新型の T34 や KV 重戦車が戦線に姿を現わした結果 , 対抗したのかという質問に答えることは難しい。突破の 機甲戦術 , とくに対戦車戦闘は改変をよぎなくされた。 1941 年のドイツ軍の対戦車戦術は , もはや無力なもの ためにとられた方法は , その地域の状況と投入された兵 となっていた。すなわちその方法では , 多数の戦車を投 力によりさまざまなものがあった。チタデレ作戦のため 入するソ連の集中攻撃方式を全く想定していなかったか に行われた綿密な準備と , 地上部隊と航空部隊の間の協 らである。 1 門の対戦車砲や , 独立して戦闘を行う対戦 同行動が , とうぜんのことながら作戦において達成され 車砲陣地では , たちまち発見されて粉砕された。 た成功に大いに寄与している。 そしてこのために , 新たな戦法が開発された。それは チタデレ作戦中 , ドイツ戦車部隊はパンツアーカイル ドイツ軍戦車部隊が対戦車陣地 ( パック・フロント ) と と呼ばれる楔型隊形をもって行動し , 戦った。これは , 呼んだ方法である。合計 10 門までの対戦車砲をまとめて このときまでに非常に効果のある隊形であることが証明 ひとつの部隊をつくり , 単一の目標に対してすべての砲 されていた。隊形の先頭には最も重量の大きいティーガ 火を集中するシステムであり , 軍艦の砲火指揮と同じ方 ー戦車が配置された。この戦車は , 縦深に配置されたン 連軍対戦車陣地に対して威力を発揮した。ティーガー戦 法であった。 車に搭載された 88m 砲は , このときソ連軍の持っていた この対戦車砲群を縦深に配置し , 防衛地域全般に展開 させた。これは , 攻撃側の戦車部隊を火網の中に引きこ いかなる砲よりも優っていたが , 前に述べたようにパン ノヴォセロウカ クルーグリク 2 7 ◇ Q 翆 ペレソウカ コ ラ サウイドウカ - ~ イノレ

9. PANZER 1979年7月号

たびに編成するのが普通だったが , ついこのあいだ , 西ドイツ製のレ すでにこれは過去のものとなり , ソ オパルト 1 をリビアから入手して , 連製の車輛を使った、オプ・フォー ソ連兵が乗りこんでエチオビアで実 戦テストし , 本国に持帰ったことが ( オポジション・フォース , つまり 敵対軍の略 ) が編成されるように 報道されたが , これ以外に西側の新 鋭軍用車輛を入手したという証拠は なって , 事態は一変した。 これらの車輛は , いわずと知れた ない。 1973 年の第 4 次中東戦争のときの捕 しかし , 戦車兵の訓練にシュミレ 獲品で , イスラエルが主にシリア軍 ーターを導入し , 乗員の精鋭化を計 からぶん捕った車輛を , アメリカが こから先はあくまでも想像にな っているソ連軍が , アメリカの、に 入手したものである。 せソ連軍洋の出現をだまつみている るが , ソ連が、にせアメリカ機甲部 アメリカに送られた車輛は , はじ 隊洋を保有するにはなんの苦労もい だろうか。 めは形どおりにアパディーンやフォ ここに重大なヒントを与えるのは らない。これら機甲部隊は , 広いウ ート・ノックスなどの試験場でテス 最近のソ連とベトナムの熱烈な密月 ラルかシベリアのどこかで極秘のテ トを受けたが , なにしろ数が多かっ ぶりである。ソ連の艦船はベトナム ストをおえて , ソ連軍の訓練に , 特 殊部隊として活動しているのではな のハイフォンやカムラン湾にどんど 0 テストが一応終了したところで , ん出入りしているし , 輸送機の定期 いか。 これが、にせソ連軍洋に変身しはじ あたかも , アメリカとソ連のスパ 便がある。そのうえ , 4 月にはシベ めたのである。部隊はテキサス州の イ合戦が公然の事実であるように。 リアから発進した Tu -95 べァ偵察機 フォート・フッドにおかれ , 現在の さらに推理を進めれば , アメリカ がついにベトナムの基地に着陸して 規模は戦車中隊 2 コ , 自動車化狙撃 数日後に帰投した。 とソ連の両国は , ともに、にせ機甲 中隊 1 コである。 部隊の存在を偵察衛星で探知して ソ連は , 物心両面でベトナムを援 いるに違いない。直径 10 の物体な 変身といっても , そこはさすがア 助している。これは , 正にアメリカ らばなんでも探知できるという偵察 メリカ。塗装はもちろん , 兵士の服 とイスラニルの関係である。 衛星の実力をもってすれば , その存 装 , 細かい装備やマーキング , 部隊 そのベトナムには , ベトナム戦争 在はもちろん , 編成の内容から活動 の編成から戦術 , テクニックまで , で捕獲した多数のアメリカ製兵器が の状況まで , 互いに筒ぬけになって ソ連軍になりきっている。 ある。サイゴン陥落の前後だけに限 これは , 貴重なソ連製兵器をでき いるに違いない。 っても , 南ベトナム解放戦線の手に るだけオリジナルのまま保って行こ ただ , これらの、にせ部隊洋でい 落ちたアメリカ軍の車輛は数百を下 うという、狭い、考えではなく , 軍 ちばんこまるのは , 保有車輛が旧式 らないといわれる。 の訓練に最大限の効果を発揮させよ 化しても , 世界のどこかで戦争が続 これは , イスラエルが捕獲したソ うという読みがある。 き , 新型の車輛が手に落ちないかぎ 連製の車輛の数にまさるとも劣らな 、限りなくソ連軍に近い つまり , ソ連軍洋を持っことは , 攻撃や守備 の研究と訓練に最大の効果を発揮す るというわけで , これはまた第 2 次 大戦中に連合軍とドイツ軍が互いに 捕獲した敵の戦車を使って実行した ことのくり返しでもある。 しかし , それから 35 年たった今日 では , 本物の、敵、戦車を手に入れ ることは容易ではなくなった。 昔は , 稼動できるものは実戦に投 B T 60 P B 。塗装はもちろん , 兵士の服装までミソ連軍になリきっている 入したり , 部品がなくなればスクラ り , 部隊の装備の更新がままならな ップにしてしまったが , いまはそん し、 0 いということだ。 なぜいたくなことはできない。アメ もちろん , F ー 111 , F—4, F—5 などの新鋭機の実物や , ミサイルな 、にせソ連軍洋の出現 ともかく , リカ陸軍では , これらの貴重品をク で , アメリカ陸軍の戦闘訓練法が一 どがすぐにソ連に送られたことは , ラシック・カーなみに大事に手入れ 歩大きく前へ進んだことは前述した いまでは疑う余地がないが , M60 や して使っている。 M551 , M48 などの戦車が送られな とおりである。これが , 陸戦の戦術 アメリカ陸軍は , 強力な、ソ連軍 や新兵器の開発に新しい影響を与え かったという証拠はどこにもない。 を味方にしたことといえよう。 むしろ , 「送られなかった」とする ることは , 時間の問題だといっても 、本物ソ連軍の動き〃は 方に無理がある。 対するソ連軍の動きはどうか。 よさそうだ。 、ア OP ー CS 109

10. PANZER 1979年7月号

、ヾ 0 ヾ ' 0 / 6 師団の創立 17 周年言己 パークする対戦車ミサイル M AT 搭載の 73 式小型トラック。これも第 6 対戦車隊の車輛で、 73 式小型トラックはし / 2 t ジープに代って生 産がはじまった新型車輛 ATM launchers carned Type 73 jeep 0f 6th Anti-tank Battery. 偵察隊のホンダ製オートノヾイ。軽快な機動力を利用 して偵察以外にも通信・連絡などに使われている。 Honda made motorcycle and it's man of Scout Battery. なを 02 9761